《ミスティルテイン》城内に、敵襲の危機を知らせる警鐘の音が鳴り響いた。
何事かと、半分うたた寝をしていたような警備兵たちが、上空を見上げる。その隙に、城内か
ら飛び出したカテリーナ達は、半ばその警備兵達に突進するかのようにぶつかって行き、城を
脱出した。
「何だ、何だァーッ!」
「侵入者だ! 侵入者が逃げたぞ!」
背後で聞える、半ば混乱しているかのような警備兵達の声。
「何よッ! 数時間前は、客人だったのに、今ではもう侵入者扱いなのッ!」
ルージェラが不満も露わに叫んでいる。
《ミスティルテイン》城から脱出した一行は、街中の道へと入って行った。曲がりくねった路地
は、さながら迷路のような道筋を作り上げている。
「どっちに行ったら良いと思う?」
早速道の分岐点に差し掛かった一行。ルージェラが叫ぶ。
「右の道です~! 右の道~! 大きな通りへと通じていますよ~」
上空からついて来ているシレーナのデーラが言った。
だが、カテリーナは、
「いや、大きな通りは避けた方は良い。狭い通りを行く。そうすれば、奴らも私達を見失うだろう
さ…」
そのカテリーナの答えにルージェラは心配そうな表情をした。《ミスティルテイン》の街は、無
計画に港からどんどん広がった経緯があり、市民でも道を間違えるほど入り組んでいるのだ。
だが、今は上空から道を判別できるシレーナ達がついている。だから、カテリーナは道案内
を彼女らに任せるつもりなのだろう。
カテリーナ達は、先の見えない左側の道へと飛び込んで行くのだった。
一方、《ミスティルテイン》城内で、ブリジットと剣を交えるルッジェーロは、騎士の足さばきと
は似ても似つかない、ブリジットの特異的な戦い方に手を焼いていた。
足音や気配を全く立てず、しかも次に、彼女の刃がどのような動きを仕掛けてくるのかそれさ
えも判別できない。
お陰で防戦一方で、ルッジェーロは自分から仕掛ける事ができないでいた。
「どうした? さっきまでの威勢は?」
ブリジットが、2振りの剣で攻め立てながらルッジェーロに言った。だが、彼女の剣は、まるで
蛇のような動きを見せ、ルッジェーロにも手出しができない。
「窓の外にいる、仲間の援護が無ければ、何も出来ないのか…?」
そう静かに言い、ブリジットはルッジェーロへの距離を詰め寄らせた。
ルッジェーロは、ブリジットの片方の剣を受け止める。それはたやすい事だった。騎士として
優秀なルッジェーロが、人間相手に、刃をもらう事はまず無い。まして、相手は自分よりも小柄
な女なのだから。カテリーナのように、超人的な力を持っているとも思えない。
しかし、このブリジットは、まるで生きているかのように、もう片方の刃をも操る。それが、一振
りの剣しか扱えないルッジェーロには不利だった。
身に纏う甲冑の甲手で受け止めるしかない。ルッジェーロの左腕に衝撃が走る。
とりあえず、甲冑越しに腕を砕かれるような剣戟ではない。しかし、ブリジットの刃はルッジェ
ーロに受け止められても止まる事はなく、そのまま、彼の腕の甲冑の上を走っていき、ルッジェ
ーロの首を狙った。
とっさにルッジェーロは身を引き、ブリジットの刃をかわそうとする。だが、ほんの少し掠った
だけで、彼の首には切り傷が走った。
「本来の目的は、貴様ではない…、だが、わたしの邪魔をする者は誰であろうと…、例え貴様
であろうと、命を頂く…」
そう呟き、ブリジットは、ゆらりと体を奇妙な動きに見せながら接近して来た。夜の闇の中、月
明かりに照らされているだけの彼女の体が、まるで、霧のように揺らぎながら、しかも残像を残
しつつ接近して来るのが、ルッジェーロには見えていた。
「まずいな…、俺はあんたが得意じゃない…」
そのブリジットの動きを見て、ルッジェーロは思わず呟く。
「そうか…。だったら運が悪かったな…。貴様の命を貰うぞ…」
言い放ち、ブリジットは刃をルッジェーロへと向かわせる。正面から受け止めるしかないと直
感したルッジェーロは、すばやく防御の体勢を取った。
だが、ブリジットは今度はただ剣を突き出して来たのではない。2振りの刃を投げつけていた
のだ。
意外だった。だが、刃を防御できない事は無い。ルッジェーロは剣を使い、2振りの刃を続け
ざまに叩き落した。刃は、床を音を立てて転がっていった。
何故、今さら剣を投げつけるような真似をこの女はしたのだ? ルッジェーロは思う。また、2
本の剣を振り、追い立てれば、避けられる可能性はあるにせよ、自分を追い詰める事ができ
たはずだ。
不審に思いつつも、ルッジェーロは自分の方が有利になった事を認め、ブリジットへの距離を
一気につめた。
だが、ルッジェーロが接近しようとした直後、ブリジットは突然、手を後方へと引いた。何かを
操るかのように。
月明かりに照らされた彼女の手から、銀色の光の線が見える。それが何であるかを悟った
時、ルッジェーロはとっさに背後を警戒した。
ブリジットの手から伸びている線は、そのまま彼女の武器である二振りの刃へと伸びていた。
今度は、背後からルッジェーロに刃が迫った。この女は、ただ剣を投げただけではなく、それ
を背後から襲わせようというのだ。それに、糸越しの操作とはいえ、ブリジットは正確に刃を操
る。
顔のすれすれの位置を通過していく刃。頬を切り裂かれるルッジェーロ。刃を避けた事で、ル
ッジェーロは体勢を崩さざるを得なかった。
糸で引き寄せた刃を手に取ったブリジットは、そのままルッジェーロへと強襲しようと迫る。素
早い動きで距離を詰めた彼女はルッジェーロの首元へと、その刃を押し当てた。
月明かりを照らす銀色の刃が、首に押し当てられている。ブリジットが少しでも力を込めるな
らば、その刃は、ルッジェーロの首を切り裂くだろう。
「な、何だ? 俺をやらないのか? 一応、覚悟って奴は決めてきているんだぜ…?」
だが、ブリジットは、
「『セルティオン』の近衛騎士を殺すとなると、さすがに我が国の主も喜ばないのでな? 命だ
けは助けてやってもいい。このまま大人しく捕まるのならな?」
その、氷のような表情でブリジットは言って来た。この女なら、人を殺す事に、何のためらいも
持たないだろうと、ルッジェーロは直感する。
だが、捕まるつもりも無かった。
「悪いな…、俺も騎士なんだ。素直にあんたの言う事を聞くほど、誇りを捨てるつもりも無い…」
「なら、貴様の命は、この私が貰うだけだ」
と、ブリジットは言い放ち、ルッジェーロの首元に押し付けた刃を、そのまま手前に引き、喉を
切り裂こうとした時だった。
「止めておいたほうが、いいぜ…? そいつを殺せば、あんたの命を貰うのはオレになるから
な…?」
廊下に響き渡る、不敵な男の声。
「悪りいな、ルッジェーロ。こっちに来るまで、時間がかかっちまってな」
その声の主はカイロスだった。彼は銃を片手に廊下の闇の中から姿を現す。その銃口はじっ
とブリジットの方へと向けられていた。
「あ、ああ…」
良く知らない男だったが、窮地の所を救われたルッジェーロは、思わずほっとした。
「ふん。何人現れようと同じ事さ。皆、わたしの刃にかかれば、簡単に始末できる」
「ほう、そうかよ。カテリーナを逃がしておいて、よくそんな口が聞けるもんだ。オレ達は、あんた
を足止めするだけでいいんだぜ…」
銃口を向けながら、カイロスは自信も露わな声で言う。よほど自分の銃に自信を持っている
か、ただ自信過剰なだけか。
しかし、そんなカイロスの姿を見て、思わず鼻を鳴らしたのはブリジットの方だった。
「ふん。銃なんかで、このわたしの動きを捉えられるとでも思ったのか? 例え矢の雨の中でも
傷一つ受けずに歩く事のできるこの私を」
「そいつはえらい自信だな? 試してみようか…?」
そう言うなり、カイロスは、ブリジットの足元へと銃弾を撃ちはなった。ブリジットは飛び上が
り、カイロスの銃弾を避ける。
更にカイロスは、続けざまに何発も銃弾を撃ち放つ。
彼は銃底のレバーを下げ下す事で次の銃弾を装填し、次々と撃ち放っていた。銃という武器
すらそれほど普及していない、新型兵器であるというのに、このカイロスという男は、まるでそ
れを生まれたときから持っていたかのように、使いこなしていた。
銃弾は計10発、ブリジットへと放たれていたが、彼女にその弾が当たる事は無かった。ブリ
ジットは、残像を残すかのように揺らいだ動きでカイロスの銃の照準を鈍らせていたのだ。
「芸が無いな。ただ銃というものを持っているから自分が有利だとでも考えているのか?」
そう廊下に響き渡ったブリジットの声は、カイロスの背後から聞えてきていた。カイロスは素
早く背後を振り返り、銃口をブリジットの方へと向ける。
だが、彼が引き金を引いても、銃は軽い音を立てるだけだった。
「弾切れか…、そんなものでわたしを倒そうとしても無駄だ…」
ブリジットが言った直後、カイロスは銃の台尻を振り上げ、それを鈍器のようにして彼女を攻
撃しようとする。
だが、その彼の攻撃は、見えない何かによって遮られた。
いや、見えなかっただけに過ぎず、見えないものではなかったのだ。カイロスは知った。自分
とブリジットとの間に、糸が張り巡らされている。それも、目にも見えないくらいに細い糸だ。
「な…、何だ…、これは…?」
狼狽するカイロス。しかしブリジットは身構えるような事もせず、ただ、冷たい瞳をカイロス達
の方へと向けていた。
「気付かなかったか? お前達は、すでにわたしの結界の中にいるんだ。そこからは一歩たり
とも外へは逃れられんぞ…」
「まじいぜ…。この女、オレの銃を避けているだけじゃあなかった。ついでに廊下に糸も張り巡
らしていたんだ…」
「だが、糸なんかで何ができるって言うんだ?」
とルッジェーロが言った時、ブリジットは手を振り上げた。すると、廊下に張り巡らされていた
のであろう、糸は輪を形成し、それは、カイロスとルッジェーロの身体をくっ付けて拘束した。
「しまった」
思わずルッジェーロが声を上げる。
「無理にもがこうとするな。その糸は、下手をすれば、身体をも切断できる糸なのだからな…。
大人しくしていろ」
「ち…、なるほどな…、やりやがった。オレを簡単に縛るなんてよォ…、只者の女のする事じゃ
あ、ねえぜ…」
カイロスが呟くように言う。多少、彼の顔からは自信が失われていた。
「せいぜい喚け…、お前達は生かしておいてやる…、どう処分するかは、大領主殿にお任せし
よう…、我らが『ベスティア』の平和を、乱した者としてな…」
と、ブリジットが言った時、
「何事だッ! 何が起きたッ!?」
廊下に響き渡る、低い男の声。やがて廊下の闇の奥から、衛兵に身の回りを護衛させた、一
人の男が姿を現す。『ベスティア』の大領主、クローネだった。
「ち…、まるで推し量っていたかのような登場だな…?」
カイロスは遠慮する事も無く言い放った。
それにはいささかの不快も見せず、衛兵に守られているクローネは、細い糸に拘束されてい
る2人の男を見やる。
「このような真夜中に、間者となは…。この『ベスティア』においても、城内での不法侵入者は、
誰であろうと、その場で切り捨てるのが常…。今宵は客人も見えているというのに、何と言う不
届き者であろうか…」
客人という言葉に、ルッジェーロは少し反応した。彼はそれがカテリーナ達の事についてだと
分かり、苛立ったが、拘束されている体を、クローネの方へと向ける。
「クローネ大領主…、私は、『セルティオン』の王族近衛騎士団のルッジェーロ・カッセラート・ラ
ンベルディと申す者です…」
糸で拘束され、動けない姿は情けなかったが、ルッジェーロは名乗った。するとクローネは少
し驚いたらしい。
「何と…、その顔、どこかで見覚えがあると思ったなら、そうか…。その甲冑の紋章は、確かに
『セルティオン』のもの…。だが、お前がこの城に侵入する理由が分からん…」
言葉も最後の方になると、クローネも普段の冷静さを取り戻していた。
「私、私達は…、『セルティオン』のエドガー王の命令を受け、この地までやって来ました…、理
由は、『リキテインブルグ』のカテリーナ・フォルトゥーナ以下、『フェティーネ騎士団』の援護をす
る為であります…。任務の内容は、我々の土地のみならず、貴公の土地をも荒らす、『ディオク
レアヌ革命軍』を、異端者として裁く事…。これは教皇陛下の命令でもあるのです…」
必死になってルッジェーロは言っていた。だが、薄々分かっている。クローネには教皇の名な
ど出しても無駄だろうという事が。
案の定、クローネは薄ら笑いを浮かべていた。
「分からぬな…? 『セルティオン』のランベルディ殿よ…。我が国には、革命軍などという不届
き者はおらんのだよ…。もしいたとしても、我らが優秀な騎士達が排除してくれているだろうか
らな…、それに…」
そこでクローネは、糸で拘束されている2人には全く恐れる様子も見せずに近付いてくる。
そして、ルッジェーロの顔を覗き込むようにして言った。
「教皇陛下の命令だと…? 宗教だと…? まさかお前は、この期に及んで、神の名など口に
するのか…?」
挑発的にクローネは言った。
「言っておくがな、ランベルディ殿。宗教の力など、100以上前の戦乱の世に、この世から消え
うせたのだ。今あるのは現実なのだよ。この世は力で統率するという…、な。信仰心などという
くだらんものでは、何も動くまい…」
「けッ…、よく言うぜ…」
ルッジェーロの背後で、カイロスが吐き捨てた。それははっきりとクローネに聞えていたはず
だったが、彼は構わなかった。
「こやつらを、地下牢獄に閉じ込めておけ! そして、『セルティオン』のエドガー王、並びに『リ
キテインブルグ』のピュリアーナ女王に言伝の用意をしろ!」
クローネは威厳たっぷりに言い放った。
「おい、あんた…。こんなになるなんて、オレは聞いちゃあいないぜ…。言っておくがな? オレ
は半年間閉じ込められていて、やっと抜け出してきたってばかりなんだぜ…?」
と、カイロスはルッジェーロに耳打ちするかのように言った。だが彼は、
「後は、カテリーナに任せるんだ…。俺達は、自分達の事を考えよう…」
そう決意も露わな表情で言うのだった。
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22.アガメムノン
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カテリーナ達を追い詰めようとする罠。彼女らはそれから逃れるためにミステルティンの街を奔走します。