No.221663

祝いの奏楽(前編)

小市民さん

中学2年生に進級した狩野ふたばが東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂を訪ねた理由は……
皆さん、お久しぶりです。小市民の短編小説の新作をお届けします。この物語を書くに当たり、実際に東京カテドラルを訪ねました。このとき、JR目白駅から歩いたのですが、「ビスクドールの心」を書いたとき以来、半年ぶりで、史跡を要素にする以上、どこかで重なることを知りました。主人公のふたばは文京区立の中学校に通っている、という設定ですが、夏服のデザインが解らず、6月上旬の舞台設定にも関わらず冬服を着ています。まあ、お愛嬌と言うことで……

2011-06-09 20:31:13 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:813   閲覧ユーザー数:797

 直上からは十字架の形にほのかな光が差し込んでいる。東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂の内部は厳かな空気が漂っていた。

 紺襟に白線三本のセーラー服に、細く折り畳んだ青いスカーフを、中学校を意味するJHの刺繍が入ったスカーフ留めで留めた標準的なセーラー服姿で、東京都文京区立の公立中学校二学年に通う狩野ふたばは、厳粛な雰囲気の中に一人ぽつんと佇んでいた。

 広く小暗い大聖堂の中にずらりと並ぶ信者席には誰の姿もなかったが、パイプオルガンの壮麗な音色が奏でられている。

 曲名は知らない。しかし、美しい演奏だった。ふたばはまるで天上から聞こえてくる調べに手を引かれるように、大聖堂の中をゆっくりと進んだ。

 カトリック教会には教区と呼ばれる教会の行政や指導のため地域区分がある。日本には十六の区分があり、それぞれの責任者である大司教、司教が儀式の際に着席する椅子をギリシャ語で「カテドラ」と称している。伝統的に司教の紋章がついた赤い椅子で、こうした司教座があり、教区の中心的役割を担う教会を「司教座聖堂(カテドラル)」という。

 東京都文京区関口三丁目にある関口教会は、東京教区の司祭聖堂で、聖マリアに捧げられたため、東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂と呼ばれていた。

 大聖堂に入ると、すぐ右側に洗礼室があり、前衛彫刻のような洗礼盤があるが、カトリック教徒ではないふたばには、どのように使うのか解らない。

 更に進むと、上方からの淡い光に照らされたピエタ像がある。

 ピエタとは、イタリア語で「悲哀」を意味している。キリストが人類救済のために十字架で磔刑になった後、聖母マリアが亡骸を膝に抱き、その苦難を忍び、限りない愛を瞑想する姿を現したもので、サン・ピエトロ大聖堂に奉じられたミケランジェロ作の原寸大レプリカである旨が、解説パネルに記されている。

 信者席へ出ると、コンクリート打ち放しの正面と左右の壁が天井に収束し、まるでピラミッドの内部のような特異な空間であった。

 天井には採光のための天窓が十字架の形に並び、そこからわずかな光が入り、堂内を照らしている。

 正面の祭壇は、キリストによる最後の晩餐の食卓をかたどり、その背後からは大理石を通して柔らかな光が射している。大理石にはめ込まれた十六メートルの十字架は、キリストの救いを象徴している。

 祭壇の左奥には、ひっそりとマリア祭壇が置かれ、やはり頭上からの淡い光を受けている。

 全てに救済と感謝を表した大聖堂であったが、学校帰りに重い学生カバンを提げ、制服姿のまま足を運んだ自分の心にある悲しみが癒されないのはなぜなのだろう……ふたばは大聖堂の厳かな空気の中にある全てに問うたが、何の答えもなかった。

 やがて、ふたばは堂内を一周し、信者席の最後列に力なく腰を下ろすと、パイプオルガンの華麗な演奏は続けられ、この祝典的な曲は何という題名で、作者は誰で、それを見事に奏するオルガニストは一体、どんな人物であるのか、ふと気になり、教会用オルガンとしては日本最大の楽器を見上げたものの、構造上コンサートホールに見られるような演奏席は、聴衆には見えない。

 唯一、床かららせん階段が巨大楽器へ伸び、この歩きにくい足場を頼りにオルガニストは演奏席に着くようだった。

 ふと、がらんとした静謐な堂内に一組の老夫婦が、辺りをはばかるように足音を忍ばせ、入ってきた。

 カトリックの信者なのかどうかは解らなかったが、ふたばが目を遣らなかった日本初のキリスト教宣教師だった聖フランシスコ・ザビエルの胸像を熱心に見入っている。足許も頼りなげな老人をしきりに気遣う老婦人の姿は幸せそうだった。

 ふたばは人生を長く共にしてきたのであろう老いた二人の姿に、胸をつかれ、涙が込み上げ、今日、聖マリア大聖堂に訪れたいきさつを振り返った。

 

     ○

 

 狩野ふたばが諸橋 聡(もろはし さとし)という男子生徒と同じクラスになったのは、中学二年生に進級した二か月前のことだった。

 聡は、特に思春期の女子があこがれる長身ということではなく、学級委員を務めているということも、体育会系の部活動に在籍し、活躍著しいということでもなかったが、朗らかな性格で、いわゆるムードメーカーと言えた。

 東北東日本大震災の余震が都心で続き、まだ新二年生という意識も薄れぬ四月初旬、古典の授業で、平安時代中期の女流作家で歌人でもある紫式部の代表作である「源氏物語」の「桐壺(きりつぼ)」の冒頭部分を、ふたばが大学出たての若い女性教師に指され、現代では何とも読みづらい平安文学を拙い口調で、

「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねたまふ」

 読み進めていくと、当然、誰もが退屈となり、教室の中が騒がしくなる。

 大学出たてで、更に女性の教員と侮られ、一層、収拾がつかない騒々しさとなった。男子生徒は野次を飛ばし、女子生徒は無駄話に花を咲かせ始めた。誰が投げたのか、ノートを破って作った紙飛行機が飛んだ。

 女性教師が何度か声を荒げたが、生徒の誰にも一顧だにされず、やがて涙を浮かべ始めたそのとき、聡が不意に机を叩き、

「うるせぇってんだ! てめぇら!」

 誰もがすくみ上がるような怒声を上げた。ふたばも女性教師もびくりと肩を震わせ、ぴたりと教室内が静まり返った。女性教師はほっとして、

「そ……それでは狩野さん、続きを読んで下さい」

 上ずった声でふたばに言った。「源氏物語」を読み続けながら、ふたばはたった一言でクラスメートを沈黙させた聡に強く引きつけられた。

 その日の放課後、ふたばは自宅が同じ方面にあり、公立小学校からの幼馴染みで、クラスメートの山瀬 美那(やませ みな)と目白通りを一歩入った閑静な住宅街を歩きながら、

「ねぇ、今日の諸橋君、格好良かったね」

 古典の授業中、クラスメートを一喝した姿を思い返しながら言うと、美那はにやりと笑い、

「あー、惚れちゃった?」

 ずばりと言うと、ふたばは慌てて、

「ち……違うよ! 何言ってんの!」

 ムキになって否定したが、美那は、

「そうかねぇ? すっかり恋する乙女の瞳になっちゃってるけど。ふたばちゃんは」

 楽しそうに笑った。

 それか数日たった昼休み、聡は昼食を終えると、横浜市中区の山下公園通りに面した神奈川県民ホールの小ホールで行われるパイプオルガンコンサートの入場券三枚を机の上に並べ、ほとほと困り果てた顔で溜息をついた。

 美那はめざとく、そうした聡の傍らに立つと、

「どうした、諸橋君? あ、パイプオルガンのコンサートに行くの? へーえ、クラシック音楽、聴くんだ。趣味いいね」

 殊更に驚いた口調で言った。聡は、

「俺って、姉貴が二人いてさ、上の姉ちゃんが東上野学院高校の音楽科にオルガニストになりたいって言って、通っているんだ。で、東上野学院大学で教授をやっている天城 凌(あまぎ しのぐ)って先生が、東北東日本大震災復興のチャリティーを兼ねたコンサートを開くんで、入場券を売ってこいって言うんだけど、中学生に一枚二千円の入場券を買わせて、クラシックコンサート聴きにいけって言ってもな……」

 東上野学院は、明治末期に東上野女学校とした開校した伝統があり、戦後間もなく東京都より音楽研究校に選定され中学、高校が設置されている。特に、音楽科を設置した高校は日本でも初例であった。

 美那はチケットに添えられたコンサートのリーフレットを手に取ると、

「すっごーい! バッハにブクステフーデだって! ドイツのバロック音楽なら、ふたばちゃん、大好きなんだよ!」

 突然にふたばの名を口に出すと、離れたところから美那と聡のやり取りに聞き耳を立てていたふたばを手招きした。

 ふたばはドイツのバロック音楽の知識など何一つとしてなく、突然に縁遠いコンサートの話題など持ちかけられても困るだけで、黙り込んでしまったが、聡は、

「そうか、狩野、オルガン曲に興味あるのか」

 目を輝かせて言った。ふたばは聡に気の利いた返事をしようと、

「えっと……あの……あのね……」

 言葉を探せば探すほど何も言えなくなった。美那はぽんとふたばの肩を叩き、

「よかったね、素敵なコンサートの情報が手に入って。あたしも連れていってよ」

 巧みにふたばと聡の初デートの機会を作り上げたのだった。

 コンサート当日は全席自由席であったから、美那はふたばと聡を並んで座らせる配慮を怠らなかった。また、聡の長姉とその友人達にも如才なくふたばを挨拶させた。

 これを機会に、ふたばは聡と昼食を共にするまでに発展したが、弁当のご飯もおかずもきれいに食べる習慣がある聡に感心して、ふたばは、

「諸橋君って、食事を残さずに食べるんだね」

「うん。お袋にそう躾けられたからな。大震災でコンビニの棚がガラガラになると、食い物のありがたみがよく解るよ」

 聡のこうした言葉を聞き、ふたばは聡を自宅へ招き、自分が作ったカツ丼を振る舞おうという計画を立て、くる日もくる日もカツ丼を作り、両親と妹に味を尋ね、これでよし、という頃、美那が学校帰りに思いもかけないことを言い出した。

「あんたさ、やっぱり諸橋君にカツ丼食べさせる計画、やめといた方がいいよ。っていうか、もう、諸橋君は諦めな」

 ふたばは驚き、

「何で! やっと……」

「諸橋君のすぐ上のお姉さんが、ここの中学の三年生で、その友人が日曜日ごとに諸橋君の家にやってきては、母親よろしく食事を作っては食べさせてあげてるんだって。このお姉さんの友人って言うのが、両親が日本そば屋さんをやっていて、調理はお手の物だそうだよ。年上で、調理の英才教育を受けてきた人と付け焼き刃のふたばじゃ、お話にもならないよ。赤っ恥をかく前にやめときな」

 今まではふたばと聡を交際させようと躍起になっていたにも関わらず、美那は手のひらを返したようなことを言い始めた。

 唯一の相談相手の美那に突然に突き放され、一度として会ったこともない一学年上の女子生徒が、とっくの昔に聡と家族公認のつき合いをしていた現実を知り、ふたばは住宅街の路地に立ち尽くし、泣いた。

 

     ○

 

 自分の名前通り、ようやくにふたばぐらいにまで育ったと思った恋愛感情が、実はとんだあだ花で、渦巻くような後悔、悲しみ、怒りのもっていき場を求めて、聖マリア大聖堂へ訪れたのだった。

 小暗く、厳かな空気が漂う聖マリア大聖堂の中で続いていたパイプオルガンの演奏が不意に止み、演奏台から続いているらせん階段から人が下りてくる足音が聞こえた。

 ふたばはオルガニストにカトリックの信者でもない者が、大聖堂に入り込んでいることを見咎められるのではないかと考え、慌てて外へ出た。


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
1
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択