雨
「う~、やっぱり英語の授業は好きになれないよぉ~」
6時間目の英語の発音で散々凹まされた見月そはらにようやく解放の時が訪れていた。
放課後を迎え、安堵の息を吐いて背筋を伸ばしながら極度の緊張状態から自分の身を解き放つ。
「何かもう今日は凄く疲れちゃったし、寄り道しないで帰ろうよ。ねっ、イカロスさん、ニンフさん、アストレアさん」
そはらは親友でクラスメイトであるイカロスとニンフ、そして窓の外で意味もなくドヤ顔しながら宙を飛んでいるアストレアに声を掛けた。
「あれ? そう言えば、智ちゃんは?」
そして3人のエンジェロイドの中心にいるはずの少年が教室のどこにも見当たらないことに気づいた。
「……マスターなら、授業が終わった直後に、大慌てで、教室から出て行きました」
心配そうな表情で語るイカロス。忠義に厚いエンジェロイドはマスターのちょっとした行動の変化にも大きな不安を示している。
「どうせまた、変なことでも企んでいるんでしょ」
一方でげんなりした表情で言葉を続けたのはニンフ。善意に解釈したがるイカロスと違い、智樹が引き起こす騒動の害をよく理解している。
「きっとエッチなことなんだろうな……」
そはらもニンフと同じ見解だった。
空美学園を代表する美少女が4人揃って歩いていく様は壮観。
多くの男子生徒たちがそはらたちを振り返る。
しかしそはらたちは男子生徒たちの目を一切気にしない。
彼女たちは共通の想い人でありこの学園一の困った人物でもある桜井智樹のことを考えながら歩いているので他の連中は眼中にない。
そんな渦中の人物、桜井智樹がそはらの視界に入ってきた。
「智ちゃん? 何をしているのかな?」
智樹は校門脇の塀に寄り掛かり、憂いを帯びた表情で空を見上げていた。
「……マスター、どうされたのですか?」
「智樹ったら、先に帰ったと思ったらこんな所で何してんのよ?」
「さては、美味しい食べ物が振って来ないか待ってるんでしょう?」
そはらが近づこうとした時、既に3人のエンジェロイドたちは智樹に接近し話し掛けていた。
「やっぱり私、まだ積極性が足りてないよね」
自戒しながらそはらもまた智樹の元へと駆けていく。
「俺はな、雨が降るのを待っているんだ」
そはらが智樹の元へと駆け寄り始めた時、少年は既に説明を始めていた。
そはらは自分を待ってくれないことに憤りを感じつつも足を速めた。
「今週から夏服が解禁になっただろ? けど、まだ一度も雨が降ってないんだ……」
悔しさを顔に滲ませながら目を硬く瞑る智樹。
一方でそはらは智樹の話が変な方向に行っていることを感じざるを得なかった。
「俺はなっ、雨で濡れて透けた制服が見たいんだっ! 雨のせいでデザインが露になるブラジャーが見たいんだよっ!」
そはらは右手をジッと見ながら手刀の形に構える。
「そして俺は、今年初めて雨で制服が透けて見えたブラの子に告白を……いや、プロポーズしようと思うんだっ!」
智樹は目を大きく見開いて自分の信念を打ち明けた。
冗談としか思えない人生プラン。
でも、それを聞かされた4人の乙女たちは雷に打たれたような大きな衝撃を受けた。
「……そ、それは、ほ、本気なのですか、ま、マスター?」
いつもは沈着冷静なイカロスの声が震えていた。
「ああ、本気だ。俺は雨濡れブラが見えたその娘にプロポーズして一生を添い遂げる」
「はいは~い。約束破ったりしない?」
手を上げてアストレアが質問する。その瞳は爛々と燃えている。
「ああ、俺はその子と絶対に結婚するっ!」
智樹は鉄の意志を持ってアストレアに返答する。
「その言葉っ、忘れるんじゃないわよっ!」
ニンフは大声で智樹に念を押すと共にシナプスのコンピュータのような機械を取り出して何やら計算を始めた。
「だけど、雨って言われても……」
そはらは空を見上げてみる。
雲ひとつない晴天。
昨日も、一昨日も、その前の日も晴天。
とても雨が降りそうには見えなかった。
「え~、雨雲は北海道から引っ張って来なきゃダメなわけ? そんなの遠すぎるわよぉ」
機械のキーボードを叩いていたニンフが不満そうな声を上げた。よくはわからないが、良い結果は出なかったらしい。
「……雨雲を引っ張って来られないなら、ここに作れば良い」
イカロスはそう言って上空に向けてアルテミスを大量に発射した。
はるか上空で派手な爆裂音が鳴り響く。
「……煤や灰が混じれば、空気は重くなる。空気が重くなれば、空気中に浮いている水分がくっ付いて地面へと落ちてくる。即ち、雨……」
イカロスは自信あり気に空を見上げていた。
しかし──
「……空気中に含まれている水の量が、少な過ぎました」
雨は降って来なかった。
「ニンフ先輩もイカロス先輩もデジタルに頼りすぎなんですよ。その点、私は師匠に習った雨乞いの儀式で対抗です」
アストレアは1人で円状に回りながらコサックダンスともムーンウォークとも区別ができない不思議な舞を披露し始めた。
美香子にからかわれていたのは明白な雨乞い儀式だった。
アストレアの儀式は見学していた生徒たちが全部帰ってしまってもまだ続いていた。
エンジェロイドたちの行動は実を結んではいない。
しかしその積極的な行動はそはらを十分に焦らせていた。
「私も、何かしないとイカロスさんたちに負けちゃう……」
そはらにエンジェロイドたちのような特殊能力はない。
しかし特殊能力がないからといって手をこまねている訳にはいかなかった。
何故ならそはらは自分の不利をよく自覚していたのだから。
「イカロスさんたちあんなに可愛いんだもの。雨も滴るいい女になったら絶対に智ちゃんとられちゃうよ……」
それは予感の域を超えて確信。
だからそはらは必死になって考えた。
「智ちゃんは、水で制服が透けるのを望んでいる。……だったらっ!」
そはらは校庭の一角にある水飲み場に向かって走る。
ホースを左手で持ち、右手で蛇口を捻る。
「智ちゃん……見ててね。これが私の本気だよっ!」
そしてホースの先端を自分の頭の上に向けた。
ホースから水が徐々に流れ出てくる。
そはらはそれを、頭から受けた。
1分後、制服が透けた、というよりも制服を着たまま入浴したかのようなびしょ濡れになったそはらが校庭に立っていた。
白いシャツは体にベットリと張り付き、赤いチェック模様のブラジャーはその色と形をはっきりと映し出していた。
「これなら、智ちゃんも私のことを見てくれるはず」
そはらは校門前の智樹へと向かって全力疾走を始める。
「智ちゃん、私、水で透け透けになったよ」
そして恥ずかしさも一時忘れて智樹の正面に立って声を掛ける。
自分の生涯の伴侶が決まるかもしれない運命の一瞬。
智樹が出した答えは──
「俺は雨に塗れて透けたブラが見たいんだ。そんな水道水じゃダメだな」
非情にもNoだった。
「そ、そんなぁ……」
ガックリと地面に膝を突いて崩れ落ちるそはら。
そはらの無限の献身とも言える愛は智樹の奇妙としか言いようのないこだわりの前に敗れた。
しかし、そはらのそのなりふり構わぬ作戦はエンジェロイドたちに心に火を付けた。
「ああ、それにしても今日は本当に暑いわね」
わざとらしい声を上げながらニンフが制服を脱ぎ出す。
シャツを脱ぎ捨て白いシンプルなブラを披露する。
更に行動はそれだけに留まらず、スカートにも手を掛けて脱いでしまう。
ブラと合わせて白いショーツが学校という公共の場で晒される。
「ニンフさん、何をやって……」
そはらは自分のしたことも忘れてニンフの奇行に驚かされていた。
幾らもう視界に他の生徒や教員の姿が見えないとはいえ、恥ずかしがり屋のニンフがそんな行動に出るとは考えもしなかった。
でも、それだけにニンフの本気がうかがえた。
「……私も、暑いです」
「はいは~い。私も私も!」
そはらとニンフに感化され次々と服を脱ぎ出すイカロスとアストレア。
智樹の目の前に晒される4人の美少女の半裸。
しかし──
「お前ら全然わかってないのな。俺が求めているのは雨のロマンなんだよ。ただのおっぱいなんかじゃないんだ!」
智樹は首を激しく横に振りながらそはらたちの行為を否定した。
「そんなこと言われても……雨なんか急に台風が発生でもしない限り降らないよぉ」
そはらが空を再び見上げる。
先ほどと同じ雲ひとつ見えない快晴。
と思っていたら、急に巨大な黒雲が発生し、見る間に近付いて来た。
「何で突然に雨雲が!?」
そはらには訳がわからない。
けれど、その雨雲をニンフは悔しそうな表情で見ていた。
「そう言えば、カオスがいたのを忘れていたわ。迂闊だったわね」
「カオス、さん?」
そはらには第二世代型幼女エンジェロイドと雨雲の因果関係がわからない。
そんなそはらの疑問を解説したのはイカロスだった。
「……カオスは、登場の際に、雨雲を、引き連れて来られるんです。演出的に……」
「演出、なんだ」
そはらにはエンジェロイドのお約束はよくわからなかったが、とにかくカオスが雨雲を発生させられることだけはわかった。
そはらの目にも上空に浮かぶ黒い修道服姿のカオスの姿が見えて来た。カオスの周辺には激しい風雨が渦巻いていた。
カオスの体はびしょ濡れだ。
びしょ濡れってことは……
「それじゃあ、智ちゃんのお嫁さんにはカオスさんがっ!?」
相手は幼女エンジェロイド。幼女は智樹の趣味じゃない。けれど、カオスは大人バージョンに変身することができる。
セクシーな大人バージョンのカオスに智樹の野獣が反応しないわけがなかった。
考えれば考えるほどにそはらの頭を絶望の2文字が満たしていく。
「……大丈夫、です」
そんなそはらに力強く励ましの声を掛けたのはイカロスだった。
「どうして、大丈夫だと言えるの?」
イカロスはカオスを指差した。
「……修道服は透けません。それに、カオスはブラをしていませんから」
イカロスの指摘には力が篭っていた。
イカロスに言われて智樹を見る。
「カレーに味噌汁ってのはそんなにヤバいものなのだろうか? 美味ければ関係ないような気がするんだがなあ」
智樹は少しもカオスの存在に気を払っていなかった。
「お兄ちゃ~ん♪」
カオスが急降下して智樹の首にしがみ付く。
「ああ、カオスか。元気そうだな」
智樹は抱きつかれて初めてカオスの存在に気づいた。幼女は完全スルーらしい。
そして──
「すっ、凄い雨っ!? きゃぁああああぁっ!」
豪雨がそはらたちに降り注ぐ。
滝に打たれているような大量の水滴がそはらたちの体を包んだ。
それは普段であればどうしようもないほどの不幸。けれど、今のそはらたちにとっては天佑だった。
「これで、智ちゃんの望む条件は整ったはずっ!」
雨に濡れて透けた制服。覗き見えるブラ。
「智ちゃん、私を見てっ!」
「「「私をっ!」」」
4人の少女たちは自分のウエディングドレス姿を胸に思い浮かべながら智樹の元へと再度駆け寄って行く。
そして智樹が出した答えは──
「お前ら雨が降る前からブラ見せているじゃねえか。そんなののどこにロマンがあるってんだよ。ヤレヤレ、男心ってヤツをお前らまるでわかっちゃいねえな」
あまりにも非情すぎるNo宣告だった。
両手を広げて首を左右に振りながら嘲笑の溜め息を吐き出す智樹。
その乙女の純情をバカにしきった態度を見て、そはらたちはもう黙っていられなかった。
「智ちゃんのバカぁああああああああぁっ!」
そはらのチョップが、イカロスのアルテミスが、ニンフのパラダイス・ソングが、アストレアのクリュサオルが智樹に炸裂する。
「お姉さまたちの愛が痛いよぉおおおおぉっ!」
智樹に抱きついていたカオスが攻撃に巻き込まれ、再び海底へと吹き飛ばされていった。しかしそれに誰も気にしないほど智樹への攻撃に集中していた。
「あの、みなさんはいったい何をそんなにお怒りで?」
虫の息になった智樹はそれでも何故にそはらたちが怒っているのか理解していなかった。そんな鈍感王に運命の出会いの瞬間が訪れた。
「フッ、この世で最も美しい女性イカロスさん。この世で最も美しい男である僕からの花束のプレゼントを受け取ってください」
鳳凰院・キング・義経がそはらたちの前に現れた。
私立空美学園も今週から夏服に変わっており、義経も真っ白いワイシャツを着ていた。
そのワイシャツはカオスが起こした台風によりずぶ濡れになっており、その下には──
「アンタ、男のくせに何でブラなんかしてんのよ?」
真っ白いブラの形がはっきりと見えていた。
ニンフの蔑んだ視線が義経へと突き刺さる。しかし、義経は誇らしい態度を崩さない。
「これはスイカ1年分と交換したイカロスさんのブラジャーさ。愛する女性の身に着けていたものはいつだって傍に置いておきたいという男心さ」
髪を掻き揚げいつものナルシーポーズをとって見せる義経。
そんな義経のナルシストぶりはどうでも良かったが、そはらにはどうしても指摘したいことがあった。
「智ちゃん。この人、今年初めて雨で制服が透けて見えたブラの子。だよね?」
「えぇええええぇっ!?」
驚きの声を上げる智樹の首根っこを引っ掴む。
「智ちゃん、この人にプロポーズするんだよね?」
「ちょっと待てっ! コイツは男じゃねえか!」
「プロポーズ、するんだよね?」
智樹を拘束したまま義経へと近付ける。
「良かったわね、智樹。素敵なお嫁さんがみつかって」
「ぷすす~。桜井智樹にお似合いのお嫁さんよねぇ」
ニンフもアストレアも智樹を助けるつもりはなかった。
智樹は縋るように最後の希望の砦であるイカロスを見る。
イカロスは智樹をジッと見て、それから義経へと振り返った。
「……マスターと、結婚してくれたら、その花束を、受け取ります」
「O.K.お安い御用さ。愛するイカロスさんの頼みならばどんなことでも聞いてしまうのがこの鳳凰院・キング・義経だからね」
「何でそうなるんだぁああああああああぁっ!?」
こうして智樹は宣言通りに雨に濡れてブラが透けて見えた子と結婚することになった。
めでたしめでたし
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そろそろ雨が鬱陶しい季節に入ってきました。
というわけで題材は雨です。
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