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臨時の全校朝会が終わっても、二年B組の教室は『上野麻季』の話で充満していた。
なぜ自殺したのか――。
しきりに皆が推理しては、それについて論争する。
「ねえ、来はどう思う?」
後ろの席で他のクラスメイトと同じ様に、上野麻季の自殺の原因について推理していた中沢美奈(なかざわみな)が、来に話しかけた。
「どうって――」
上野麻季が自殺した事は事実であり、事実は一つである。しかし自殺をした真相となると、そればかりは本人にしか分からない。
「そんな事、本人にしか分からないよ」
来は乱暴に言いながら後ろを向いて、四人の友人達の輪に渋々加わった。
黒目勝ちでやや釣り気味の美奈の目は、爛々(らんらん)と来に向けられている。興味津々で興奮している様は、獲物を狙う猫に似ている。
「何だよ来、お前の姉ちゃん警察なんだろ?」
推理を投げた来に、藤原誉(ふじわらほまれ)は立ち上がって不満そうに言った。こうして座った状態で見上げると、誉はまるで巨人に見える。190センチの光景は、来には想像も及ばない未知の世界だ。
「バカ! 来のお姉様は探偵なんだよ!」
人差し指を立てた格好で、茶色に染めた髪を左右に振りながら、瀬戸秀道(せとひでみち)が誉の間違いを偉そうに正した。
秀道だけは『来の姉』に会った事があるので、この訂正には少し自慢も入っている様だ。
――探偵でも警察でも無いけどね――。
来は思ったが、口には出さなかった。
そして
――姉でも無いしね。
と密かに加えた。
「へえ、探偵なんだ。凄いね」
美奈の横で静かに皆の会話を聞いていた吉田奈々(よしだなな)が、にこやかに微笑みながら言った。控え目な黒髪が美奈とは対照的だ。
「探偵の弟なら推理するのが仕事だろ!」
誉は力んで大声を出した。人差し指で回していたバスケットボールを、今度はしっかりと抱えている。
「――俺の仕事は学生だっつーの」
来は呆れながら抵抗した。
上野麻季は成績優秀だった。それ故、成績が落ちた時のショックは自分達の倍以上だったに違いない。自殺の原因は成績が落ちたからだ。
美奈はそう、得意げに推理した。
実際、先日行われた新学期学力テストの結果は思わしく無かったらしい。
この学校にはテストの度に、成績の良かった上位十名を廊下に貼り出す習慣がある。彼女は貼り出し組の常連であったが、先日のそれに名前は無かった。
それは来も確認している。
「それでね。あたしらみたいな凡人には、優秀な人の気持ちは分からないじゃん? 来なら毎回十番内に入ってるから、少しは上野さんの気持ちが分かるんじゃないなーと思って」
美奈の言い分に来は呆れた。
成績が優秀な人間の思考回路が、全て同じだとでも思っているのだろうか。同じ環境で育っても、終始同じ事を考え、思う人間などこの世には存在しない。
普段から同年代の友人と自分との間に、色んな意味で距離を感じているが、今日は一段とそれを感じた。
実は周囲には隠しているが、来は既にアメリカの大学を卒業している。三歳で両親と共に渡米し、十歳で大学に入学、十四歳で大学を卒業したのだ。
二歳になった頃、来は世界地図を全て暗記した。国の名前、首都の名前、国旗など問われれば即答出来た。加えて中学レベルの数学の計算も出来たし、物理の論文にも目を通して理解していた。
来の類稀な頭脳に驚いた両親は直ぐに、あらゆる大学や企業に来を紹介し、援助を得て渡米した。物心が付く頃には来は英語で話し、アメリカの学校に通っていた。
しかし当時の来は、周囲に馴染めずにいた。クラスメイトはいつも来より年上だったし、学校から帰ると勉強をしなくてはならなかったから、同年代の子供と外に出て遊んだ事は一度も無い。
大学に行ってもそれは続いた。必要最低限の会話しかしない日々。友達どころか話し相手すらいなかった。
幼い来はここでも打開策を見出せず、やはり卒業するまでの四年間完全に孤立していた。
厳しい両親には相談しても理解しては貰えなかった。その事が一層来を孤独にした。
アイビーリーグと呼ばれる大学の一つを選んだ為、勉強量は相当なものだったが、とにかく早く卒業したい一心で勉強を続けた。学費もかなり嵩(かさ)んだが、在学中に複数の企業のコンサルティングを務める事で解消した。
そうして何とか孤独に耐え、卒業を間近に控えたある日、来はある日本人と出逢った。
いつもの様に独りで俯き加減に歩いていると、来の耳に流暢(りゅうちょう)な日本語が飛び込んで来た。
思わず顔を上げると、背の高い人物と目が合った。肩まで伸びた黄褐色の髪と色白の肌が、一瞬この人物を白人に見せたのだが、よく見てみるとどうも日本人らしい顔をしている。
その人物は来と目が合うなり、にこにことしながら駆け寄ってきて、開口一番こう言った。
「あなた、日本に帰る気無い?」
あまりの唐突さに、来が目玉を丸くして静止していると、その人物は更に
「日本での生活は、全て保障するわ」
と加えた。
聞けばこの人物は、日本で民間の『犯罪研究事務所』を立ち上げたばかりで、葉後留衣(はごるい)という名前らしい。来の噂を聞いて、遥々渡米して来たのだと言う。
見ず知らずの人間に、突としてその様な誘いを受けても、信用するに値しないし何より怪しい――。
しかし来は、二つ返事で日本に行く事を承諾する。
大学を卒業して一人で日本に帰ると、この留衣という人物は、本当にマンションを用意し出迎えてくれた。
「何でも好きな事をしていて良いわよ」
留衣は日本に着いた来にそう告げた。
来は透かさず返答した。
――同世代の子達の生活を体感してみたい。
留衣は少々面食らった様だったが、直ぐに学校の手配をしてくれた。
一体何のコネでどう交渉したのかは不明だが、十五歳の春、来は経歴を隠しこの学校に入学する事が出来たのである。
高校に入学するには保護者が必要だったので、それも留衣にお願いする事にした。いちいち事情を説明するのも面倒なので、周囲には留衣を義理の姉だと説明している。
友人達が姉と呼んでいるのも、勿論この留衣の事なのだ。
とはいえ、慣れるまでは必死だった。
同世代の子と話が合う様に、日本の若者についての勉強もした。
進学校では無い高校だったので成績で目立たない様にしようと、最初の学力テストの回答もわざと間違えた。
しかし返ってきた答案の、間違いを記入した部分には三角が付いている。
点数は九十点。
来は絶句する。
正解に近い答えを書いたのが災いしたらしい。進学校なら有り得ないサービスだ。
廊下に貼り出された学年三位の自分の名前を見ながら、来は落ち込んだ。
――次のテストでは、絶対にここに名前を載せない。
そう心の中で誓いながら廊下を歩いていると、そこで迷子になっている外国人英語教師に運悪く遭遇してしまう。彼は日本に来たばかりで日本語が分からず、一生懸命に職員室を探している様だった。
困っているのを見過ごす事も出来ない――。
仕方が無いので周囲に誰もいない事を確認し、こっそり英語で職員室の場所を教えてやった。
ところが後日、担当の英語教師に
「君は英語がペラペラなんだってな」
とクラス全員の前で褒められてしまう。どうやら、あの外国人教師が話してしまったらしい。
――代夜来は頭が良い。
かくして来の頭の良さは、この出来事によって確立されてしまった。
それならばテストの答案に気を使うのも面倒だったので、多少は空白にしたりはするものの、やっぱり順位はいつも十番内を保っているのである。
「だから、人の気持ちは、その人にしか分からないのが基本だろ? 人それぞれ感じ方が違うんだから。俺なんか、いつもまぐれで十番内なんだから、上野さんの気持ちなんて分かんないよ」
答えを期待して待っている美奈に、来はさっきと同じ事をもう一度分かりやすく、感じ良く、言ってやった。
「そっかー。じゃあ、やっぱ謎のまんまかー」
美奈は大きな声を出した。大げさに納得した様だ。
「いいよなー。俺もまぐれで良いから十番内に入りてー」
秀道も大げさに手足をばたつかせながら言った。
「でも、来君が言うと嫌味じゃないよねー」
奈々がそう言って笑うのと同時に、教室の前方から怒鳴り声が響いた。
「静かにしなさい! もう授業は始まっているんだぞ!」
生徒達は一斉に前を向いて怒号の主を見た。
教壇には山本充(やまもとみつる)が立っていた。
ペタリと貼り付いた前髪の隙間から、生気の無い眼で此方を睨んでいる。
生物教師の山本充は、地味で目立たない容姿から生徒達に『幽霊』と呼ばれ、そこには居ないものとして扱われている。本人もそれを承知していて、いつもは注意も促さずに淡々と授業を始めるのだが、今日は珍しく大きな声を出したので、生徒達は驚いて彼に注目したのだ。
しかし山本充だと認識した途端、生徒達は何事も無かったかの様に再び話し始めた。山本の方もまた、いつもの様に静かに授業を始めた。
今し方の叫び声は幻聴に変わってしまった様だ。
――来は考えていた。
もし、先程の美奈の推理が本当でも納得は出来る。
でも、わざわざ全校生徒の目に付く様な、あんな目立つ場所で自殺をするだろうか。成績が落ちて、親から責められるなり自分で自分を責めるなりして自殺しようと思うなら、普通は学校以外の場所で自殺するのではないか。自分なら、あんな晒し者になる様な場所で自殺しようとは思わない。
――最後に派手に目立って死にたかったのか?
いやいや、目立ち過ぎだろう。
それに成績が良い輩は普通、プライドもそこそこ高い。成績不振で晒し者になる様な真似はしないだろう。
――ならば、何故あんな所で死んだのか。
来は、只の自殺では無い気がして仕方が無かった。
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【Joker's】絞首台の執行人 小説版です。
犯罪心理?物というか
ミステリ崩れ(笑)な小説です;
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