この学校の図書室にはほとんど人が来ない。なぜかというと、異常なことがよく起こるからだ。妖怪や幽霊が出たり、ポルターガイスト現象が起こったり……。つまり図書室で本を探そうと思うと心臓が止まるほどに驚かなければならない。そんな思いをするくらいなら、市内の図書館を利用したよっぽど便利で気が楽なのだ。
だから図書室は、ほとんど僕ともう一人しか立ち入らない。
僕が図書室にいく理由は、僕が図書委員長だからだ。だから責任を持って怪現象に立ち向かわなければならない。
つかつかと、早足で廊下を歩く。
僕の名前はリョウ。どこにでもいる、普通の男子高校生。
向かう先は図書室。
毎日の業務で、図書室の怪異、その根源と闘うために、こうして昼休みを潰そうというのである。
「こらぁ!はつかぁ!」
僕は図書室に殴りこんだ。
目標はすぐに見つかった。
窓際の床にちょこんと座り込み、絵本に目を落とす小柄な少女。
彼女、はつかこそが図書室に立ち入るもう一人の人間で、怪異の原因でもある。
「りょーちゃん、おはよう」
現場突入から一拍おいて、ゆっくりとはつかは顔を上げる。
「もう昼だよ」
「お昼……?」
のんびりと首をかしげる。はつかの動作はこれでもかというくらいに遅い。
「……あれ?私授業は?」
「知らないよ、そんなこと」
朝に図書室の鍵が開けられてから、はつかはずっとここにいるらしい。度々彼女は読書に没頭しすぎて、授業をいくつか欠席してしいる。
「そんなことより!なにをした!」
僕が言うと、はつかはついと視線を外した。つられて僕も、そちらの方を見てしまう。
図書室の床の上を、アヒルがよたよた歩いていた。
アヒルなんて飼ってたっけ?
いやいやいや、そんなもの飼ってない。
高校にアヒルはあんまりいない。
「アヒルさんの散歩」
僕が視線を戻すと、はつかもちょうど視線を戻したところだった。目が合って、はつかはにっこりと笑う。はつかの持っている絵本は「がぁがぁアヒルさん」というタイトルだった。
「なるほど、アヒルさんの散歩か」
僕はうんうんと頷いてやる。問いただしたいことはいくつかあるが、とりあえずはつかのペースにあわせておかないと、堪忍袋にヒモがいくつあっても足りない。
アヒルはよたよた歩いてきて、「がぁ」と一鳴きし、絵本に飛び込んだ。そのまま絵本の中の絵の一つになる。
これが図書室の怪異の原因。
はつかは本の中から登場するものを呼び出すことが出来るのだ。そうして様々な登場人物を呼び出し、それもなぜか魑魅魍魎の類を頻繁に呼び出し、入学以来二年間、図書室を怪しげな空間に変換し続けている。
僕だって最初は面食らったが、付き合いも長いのでもう慣れた。僕とはつかは幼馴染だ。
「アヒルさんの散歩……してたよ」
「ああ、そういうこと」
一応僕の問いかけに応じてくれていたらしい。てっきり僕はいつもどおりの勝手なマイペースで話を進められているのかと思ったが、そうじゃなかった。
「今じゃなくて、昨日の放課後。保健室の人体模型が図書室に医学の本を借りにいって、肝臓の病気を調べていたって噂になってるぞ!」
「ジンくん」
「……は?」
「人体模型のジン君」
「あ、ああ、そうなんだ」
どうやら名前までついているようだ。
「お前がやったのか?」
「陸上部なんだって」
「ジン君が?」
「うん。走りたかったんだって」
はつかは書架に勝手に作ったお気に入りゾーンから、「学校の怪談」を持ってきてページを開く。「走る人体模型」のページには、はつか曰くジン君がリアルなタッチで挿画に描かれていた。
「つまり陸上部のジン君が走りたいって言ったから、廊下を走らせてやろうと外に出してやったのか?」
「うん。見て、いい顔してるよ」
はつかは嬉しそうにジン君の絵を見た。いや、僕にはおどろおどろしいホラーな絵にしか見えない。保健室の人体模型よりよっぽど気持ちが悪い。薄暗い放課後にジン君を見た生徒は絶叫したんじゃないだろうか。
「人、居なかったから」
「居たから見られたんだろ!」
はつかは本の登場人物を校舎内で遊ばせるのを、バレていないと思っている。だけど二年間それは目撃され続け、おかげで人を遠ざけ、図書室は今や僕とはつかだけの二人だけの空間と化してしまった。
僕ははつかのお守りをするために図書委員になったわけではなく、純粋に本が好きだから委員になったわけで、この現状はかなり寂しい。
「放課後なのに……なんでいたのかな?」
「部活生とか居るだろ」
部活生だけじゃない。授業が終わって、意味もなく残っている生徒たちだって居るし、委員会がある場合もある。それに先生たちは夜になっても残っている。
僕ははつかの隣に腰を下ろす。
「まったく、いつも言うけどさ、今後こういうことないようにしてくれよな」
ため息混じりに言ってやる。と、はつかは「学校の怪談」を開き、僕に見せた。
「見上げ入道、出す?」
少しは反省をしているようだ。反省の証に「見て、子犬が可愛いよ」と同じ感覚で妖怪を出そうとするところがずれているけど。大体、見上げ入道なんて出されたら、学校が潰れてしまう。見上げ入道とは、その名の通り、見上げれば見上げるほど大きくなる妖怪だ。はつかは楽しそうに、際限なく見上げるに違いない。
「いいよ。遠慮する」
「そう……」
はつかは寂しそうに、お気に入りゾーンに「学校の怪談」を戻しに行った。小柄なはつかが、更に小さく見える。まだ僕に怒られていると思っているらしい。
「はつか」
僕は声をかけてやる。
「怒ってないよ」
優しく言ってやると、はつかの表情に明るさが戻った。
「ねぇ、りょーちゃん」
お気に入りゾーンからまた一冊取り出し、はつかは小走りに戻ってくる。
「パーティーにしようよ」
楽しそうに差し出したのは、「妖怪大図鑑」。なんではつかはこんなに妖怪が好きなんだ?ていうか、パーティーになるほど呼び出すつもりなのか?
「駄目って言ったろ。バレないように、アヒルさんにしなさい」
床に置き去りにされていた、「がぁがぁあひるさん」の絵本をはつかに渡してやる。
「はぁい」
少しふてくされたように頬を膨らまし、そしてすぐに楽しそうに、はつかは絵本を広げた。
ぽぉんとアヒルが飛び上がり、羽ばたいて床に着地する。
「がぁがぁ!」
アヒルは嬉しそうに、図書室をよたよたと歩き出した。
***
数日も経っていない。注意をしてから、数日も経っていない。
腕組みをして見下ろす僕の前で、はつかはぺたりと床に正座して、知らん振りをするように、視線をついと外している。
陽の傾きだした放課後の、他に誰も居ない図書室の窓際。
「えー、昨日山下先生が家に帰ろうとしたところ、校門から門が消えるという事件がおきました。さて、犯人は誰でしょう」
「……木下君」
さらりとクラスメイトの名前を出すはつか。どう考えても犯人ははつかしか考えられないのに、まったくこいつは……。
そう、またしても事件があったのだ。
遅くまで仕事をしていた山下先生が帰ろうとしたところ、校門が全てのっぺりとした壁になっており、外に出ようにも出られなかったのだそうだ。
「消えた門は壁のようになっており、目がぎょろりと山下先生を睨んだようです」
「……木下君だよ」
あくまで白を切るつもりらしい。
「壁は四メートル近くあったそうです」
「木下君、バスケ部だから」
目を合わせようとすると、はつかはひょいと視線を動かす。
大体、バスケ部だからって、背が高いとは限らない。それに背が高くとも、人間は四メートルにはならない。
「木下君は半分もない」
「伸びたんだよ」
「今朝見たら縮んでだぞ」
「珍しいこともあるんだね」
目を見る。目をそらす。追いかける。やっぱり目をそらす。ひょいひょいと、はつかは視線を泳がせる。
「犯人は?」
「……木下君」
「犯人は!」
「……ぬっくん」
すこし厳しく言うと、あっさり白状した。
けど……。
「ぬっくん?」
「ぬりかべのぬっくん」
「ああ、そうか」
昨日はぬりかべを外に出し、遊ばせていたらしい。ぬりかべは道をふさぐ妖怪だ。山下先生が帰途に着こうとしたところを、嬉々としてふさぎにかかったに違いない。
「いいか?はつか。本の中から、呼び出しちゃ駄目とは言わない。でもさ、人に迷惑をかけちゃ駄目だろ?」
「……でも、みんな遊びたいって」
彼らはみんな、それぞれの理由で外に出たがる。そして外に出たって、逃げ出したり、犯罪行為に手を染めたりするヤツはいない。
ただし呼び出されたものが異形の化け物だった場合、見た人が驚き、肝を冷やす。
ただそれだけだ。
だけど、それが問題だ。
「いいかい?はつか。お前が本のためを思ってやっているのはわかる。でもさ、もうこういうことはやめようよ。みんな驚いて、怖がってるんだ。おかげでさ、図書室、誰も来なくなっちゃっただろ?やっぱりさ、読んでもらった方が、本は喜ぶよ」
諭すように言い聞かせてやると、
「……うん」
しょんぼりしながらも、はつかはしっかりと頷いた。
***
あの説教以来、はつかはあんまり本から何かを呼び出すことをしなくなった。図書室に人が居ないとき、こっそり目立たない何かを呼び出して遊ぶくらいだ。
怪異の噂は遠ざかり、少しずつ、図書室に人の足が戻ってくる。
「アヒルさん。ほら、アヒルさん、がぁがぁ」
「がぁがぁ!」
図書室の窓際、ひざに男の子を乗せ、楽しそうにはつかは絵本を読んでいる。
放課後の、まだ早い時間。
男の子はまだ幼稚園に上がる前で、クラスの女子、峰岸の弟だ。バレー部で練習に励む姉の姿を見たいとだだをこね、母親に連れてこられたらしいのだけど、バレーにあっという間に飽きて、今は図書室で預かっている。
「ほら、アヒルさんかわいいね。触りたい?」
「……はつか」
子供を相手に頬を緩ませ、今にもアヒルを本から出しそうなはつかに、ちいさく釘を刺しておく。
アヒルくらいなら手品だと言えばなんとかごまかせる気もするけど、やっぱり人前では出させたくない。はつかの薄い緊張感を、これ以上無くさせたくない。こうして時々注意しないと、図書室はおろか、出先の本屋さえも阿鼻叫喚の縮図にしてしまいそうだからだ。
「アヒルさん!」
男の子はぺたぺたと、絵本の中のアヒルを触っている。
「がぁがぁ」
「がぁがぁ」
二人でとても楽しそうにがぁがぁと繰り返す。図書室に来てずっと一冊の絵本を読んでいるだけなのに、それでも男の子は満足そうだ。はつかののんびりとした雰囲気が、男の子を安心させているのかもしれない。
実際、峰岸が男の子を預けに来たとき、男の子は僕を素通りしてはつかのところにいったのだ。はつかはだからきっと、子供を安心させる何かを持っているんだろう。
「ごめん、ありがとう。大丈夫だった?」
快活に笑いながら、峰岸がショートカットを揺らして図書室に入ってきた。
「あれ?はやいな」
時計を見ると、教えられていた時間よりも一時間も早かった。
「やっぱり気になっちゃってさ。早退させてもらったんだ」
「ねーちゃ!」
峰岸が歩み寄ると、男の子は急にばね仕掛けの玩具みたいに飛び上がり、峰岸に向かってかけていく。
「なんか出なかった?お化けとかさ」
男の子を抱き上げ、頭をなでながら峰岸は言った。男の子は凄く嬉しそうだ。やっぱり姉が一番好きなようだ。峰岸も、歳の離れた弟がかわいいみたいだ。
「大丈夫だよ。なんにも出なかったから」
「うわー、本だらけ。あたしだめだわ、こういうの」
いまだに悪い噂のせいで足を運ばない生徒が多い中、峰岸は本を読まないだけで、噂の類を全く気にしていない変り種だ。
「じゃ、ありがとうね。埋め合わせ、今度するから」
男の子を抱きかかえたまま、峰岸は片手で拝むように礼をして、図書室を去っていく。
二人だけの空間に戻り、図書室が静かになる。
人の出入りの増えた図書室だけど、放課後いつまでも居るような人間は、やっぱり僕たちだけだった。
「友達できてよかったな」
僕は椅子から立ち上がり、窓際に移動してはつかの隣に座る。
「ねえ、りょーちゃん」
「んー?」
「誰か呼んでいい?」
「ああ、いいよ」
男の子と遊んでいる間も、はつかは本の中から何かを出したかったらしい。いつも放課後はそうして遊んでいるので、ずっと機をうかがっていたようだ。
はつかは書架のお気に入りゾーンに歩み寄り、「妖怪大図鑑」を取り出して戻ってくる。
「今日はね、百鬼夜行」
嬉しそうにはつかは言う。
「いや、そんなに呼ばれると困るけど……」
百鬼夜行とは、たくさんの妖怪が夜中に列をなして歩き回ることだ。さすがに図書室のキャパシティを大幅に上回るから、それだけは絶対に駄目だ。
***
「これはね、すすわたり」
もぞもぞとうごめく黒いマリモのような物質をはつかが解説する。
「触ると手が真っ黒になっちゃうから、触っちゃ駄目だよ」
そう言って、はつかはすすわたりに手を伸ばし、引っ込めてを繰り返す。最後にはちょんとつついて、指先についた煤の黒さを僕に見せ付けた。
「でも、触りたいよね」
喜色満面。僕は既に、なにが楽しいのかわからず、飽き飽きしている。陽はもうとっぷりと暮れていて、僕は帰りたいのだけど、はつかが帰らないので図書室の鍵を閉められないのだった。
「帰ろうよ」
というと、
「帰っていいよ」
というのである。
鍵を閉めてしまいたいのに、そう言っても、「ずぅっと居るから、閉めても平気」と言うのだ。このまま図書室に住むつもりなのか?
「ねえ!あの子知らない?」
不意にドアが開いたのはその時だ。
峰岸が大きく声を上げ、室内に飛び込んできた。
やばい!見られる!僕は眼を大きく見開き、のんびり驚くはつかの手から「妖怪大図鑑」をもぎ取り、すすわたりに向かって投げる。
開かれた状態で着地した「妖怪大図鑑」は、無実のすすわたりをぺしゃんこに潰してしまう。ごめんすすわたり!
「な、なんだよ」
「居なくなっちゃったんだ、あの子が」
峰岸は青い顔をしてうろたえている。
「……どうしていなくなっちゃったの?」
「帰る途中、公園でさ、あたしトイレに寄ったんだ。待ってろって言ったのに。待ってるって言ったのに……」
頭を抱えて、今にも峰岸は鳴きそうだ。峰岸がトイレに行っている間に、男の子がどこかに行ってしまったらしい。
「すぐどっかいっちゃうんだ。いつも気をつけてたのに、でも、待ってられるって言ったんだ」
こんな峰岸は見たことが無かった。いつも元気いっぱいで、細かいことを気にせず、男子ともすぐに友達になれるヤツだ。
その峰岸がこんなに狼狽するなんて……。
「あたしのせいだ、あたしの……。しっかり見とくべきだったのに……」
「落ち着こうよ、峰岸。警察に連絡はしたのか?」
「警察にも、父さんにも母さんにも電話したよ。でも、見つからない。誘拐とかされてないかな?」
峰岸は僕にすがり付いてくる。
峰岸は汗だくだった。
きっと方々に電話をして、自分でも色々と探し回ったに違いない。あっちこっちに走り回り、そして見つからず、もしかしたらと学校に戻ってきたのだろう。
「へえ、あんた懐くね」
男の子を連れてきたとき、男の子に気に入られたはつかを、峰岸は珍しそうに見て、言った。人見知りするタチだそうで、だからこそ、もしかして図書室に戻ってきているかもと思ったのかもしれない。
はつかは不意に、放り出された「妖怪大図鑑」を取り上げる。
「りょーちゃん、早く見つけてあげよう?」
はつかは「妖怪大図鑑」を持ち上げ、僕に示してみせる。こいつまさか……!
いやでも、こうなったら仕方ない。峰岸を安心させるためだ。
なんせ、見てくれは悪いがいいヤツばかりなんだ、本の中の妖怪とは。
「許す」
僕が言うと、
「峰岸さん……驚かないでね?」
はつかは窓に向かい、本を開いて差し出した。
と、ページがバサバサと激しく動き、本の中から様々な妖怪たちが暮れた空へと飛び出していった。峰岸は目を白黒させながら、その様子を見ている。
「……!」
「いいんだ。実は結構、頼りになるんだよ」
驚いて声の出ない峰岸の肩を抱き、僕は言ってやった。
「ちょっと早いけど、百鬼夜行……だよ」
はつかはゆっくりした動作で僕らのほうを振り返り、にっこりと微笑んだ。
***
男の子は、どこに迷い込んだか自分でもわかっていなかった。ただ蝶々が飛んでいたので、すこし追いかけたかっただけだ。姉が「待っていろ」と言ったので、少し追いかけて、すぐに戻るつもりだった。
山林の多いこの町では、子供の足でもすぐに森の中に入ることが出来る。
蝶々は、森の中へと飛んでいった。
男の子は、夢中でそれを追いかけた。
ちょっとのつもりが、いつの間にか、たくさんの時間が過ぎていた。
男の子は森の中で迷子になっていた。
姉の居る公園も、追いかけていたはずの蝶々も見失ってしまった。そして薄暗い森は、日暮れに伴い闇と化し、木々の揺れる音は恐怖となって男の子の小さな体に襲い掛かる。
もう、顔は涙にぬれてぐしゃぐしゃになっている。
どこだかわからない森の中をさまよい、頬を涙でぐしゃぐしゃにぬらしている。
本当は、そんなに時間は過ぎていない。1時間か二時間か、その程度しか時間は経っていない。
だけど、男の子には一日にも、二日にも感じられた。
暗い森の中で迷い、時間は永遠にも感じられた。
戻る場所はわからない。
男の子は方向を失い、森の奥へと進んでしまう。より深くへと進んでしまう。
男の子はもう、疲れ果てていた。
涸れたはずの涙が、また流れ出してきていた。
男の子は、落ち着きのない子だった。
いつもふとした瞬間、どこかに居なくなるのだ。
普段は姉や母の目があり、二人の目を盗んでも、人の目のあるところにいるから、誰かが見ている。小さな騒ぎになることはあっても、大きな騒ぎにはならない。
けれど、この日は違う。
暗い森の中。人の目は、どこにも無い。
がさがさと、男の子は森の中を分け入る。
涙は再び涸れそうだ。
そのとき、ガサガサと音がして……。
***
「ねえ、あれ、大丈夫?食っちゃったりしない?」
「大丈夫だよ。実際の妖怪は食べちゃうけど、あの子達は本の中の子だもの」
不安そうな峰岸に、はつかはおっとりと言った。安全性は僕も保障できる。あの妖怪たちは、気のいいヤツばかりだ。
「人手は増えたんだし、空からも見て回れるんだから、安心していればいいよ」
「人じゃないだろ、妖怪だろ」
僕が言うと、峰岸は小さく笑っていった。「妖怪大図鑑」から妖怪が飛び出したときは一層うろたえた峰岸だったが、今はもうだいぶ落ち着いたようだ。
「透視が出来たり、凄く耳がよかったり。あの子達は凄いんだ。すぐ見つかるよ」
はつかは終始のんびりとしている。
峰岸は「妖怪大図鑑」を持ち上げ、ページをめくった。挿画が全て居なくなっている。
「すごいな。こんなの、初めて見た」
図書室の怪異の原因を聞いて、峰岸は笑った。そして、言った。「怖い感じがしないはずだよな」と。要するに、はつかを慕う妖怪たちが、怖いわけが無いというわけだ。
「でも、本当に食っちゃわない?」
峰岸には、それだけが心配なようだ。人がよくても、妖怪は妖怪といったところだろうか。
「ねーちゃー!」
どこかから、声が響いた。
小さなその声に、僕らは押し黙り、次の声を聞く準備をする。空耳ということも考えられる。
「ねーちゃー!」
今度ははっきりと、その声が耳に届いた。
「しんっ!」
峰岸は大きく声を出し、窓から身を乗り出す。ああ、男の子はしん君と言うのか。
「……はぁ?」
空を見上げ、何かを探していた峰岸が、不意に頓狂な声を出す。
「どうしたの?」
僕が窓によると、峰岸はヘンテコなものを指差した。
目を凝らしてやっと見えたそれは、夜の闇の中に浮かんだ、風呂敷包みのようだった。
「……なにあれ」
「ね?こう、判断に困るでしょ?」
風呂敷包みの中から身を乗り出して、しん君がぶんぶんと手を振っている。暗いのでよく見えないが、どうやら元気そうだ。
「一反木綿だよ」
僕と峰岸の後ろで、はつかが満足そうに微笑んだ。
「ねぇ、りょーちゃん、みんな凄いでしょ?」
「……ああ」
「これからはもっと、みんなと遊んでいい?」
「時々な」
一反木綿が窮屈そうに窓をくぐり、図書室の床に着地すると、ぼろぼろに汚れたしん君が中から飛び出した。
「バカ!どこ行ってたの!」
「ねーちゃ!ごめん!」
制服が汚れるのもいとわず、峰岸はしん君を抱きしめた。
「あんまりバレないようにするなら、時々じゃなくてもいいかも」
僕ははつかにそう言ってやる。
ちょっとした気の迷いかもしれないけど、僕は今は、とりあえずそう思えた。だから、少しくらいなら、許してやることにしよう。
***
気の迷いだった。あれは本当に気の迷いだった。数日で結論を覆すなんて、自分の間違いを即座に正すなんて、あんまりやりたいことではないけど、あれは気の迷いだった。
「はつかぁ!」
昼休み。図書室のドアを僕は開ける。
はつかは定位置にちょこんと座っていた。
「……りょーちゃん、おはよう」
「もう昼!」
「……あれ、私授業は?」
「知るか!それよりアレ!」
僕ははつかを立たせ、窓の外を指差した。カメラを持った怪しげな人たちが、ぐるりと学校を取り囲んでいるのが見える。
「……なに?」
「見られてたんだよ!」
図書室から飛び立つ百鬼夜行。薄暗い夜の闇にまぎれたそれは、ばっちりとたくさんの人たちに見られていた。それはスポーツ新聞に載り、オカルト雑誌の巻頭記事を飾り、インターネットを介して広まった。
そしてその結果がコレである。
「怪奇スポットとして有名だよ!もうこの学校は!」
そう、オカルトマニアの面々が、自らの手で怪異を写真に収めようと、こぞって集っているのである。我が校はもはや、図書室のみならず、全体が全て怪しい存在となってしまったのだった。
「どうしてくれるんだよ!教室中がもう、お通夜みたいになっちゃったぞ!」
「……ちょっと見てみたい」
「いくらでも見れる!いいか?もう本から何かを呼び出すのはダメ!」
「でも、峰岸さんの弟さん、助けたもん」
「でもダメ!」
やっと図書室に戻ってきていた人出は、すぐにもと通りになりそうだ。何しろ、図書室から飛び出す妖怪たちの写真が世界中で有名になってしまったのだから。
騒いでいたからか、カメラを持った人の何人かが、僕たちに気付いてこちらを向いた。イライラしていた僕は、窓を閉めておまけにカーテンまで閉めてやる。
まったく、これでしばらく、図書室は僕たち二人だけの専用だ。……いや、もしかしたら峰岸が来るかもしれないから、三人かな。
でも峰岸は本を読まないし……。
「りょーちゃん、図書室にはミステリー小説もあるよ」
「……だからなに?」
「あの人たち、消しちゃおっか。完全犯罪、みんな得意だよ?」
「やめて……」
よたよた歩いてきたアヒルが「がぁ」と一声鳴き、絵本の中に飛び込んだ。
怪異のある図書室には、今日も利用者は現れない。
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ピクシヴからの転載。
ドラマガ超短編コンで箸にも棒にもかからなかったやつ。
ピクシヴでは読めない人も居たらしいからこっちにも……。