【メイド長と新人メイド】
十六夜咲夜は紅魔館の廊下の中、壁を背に文々。新聞を眺めていた。
今朝届けられたばかりだというのに、ニュースとしては些か古い記事ばかりだったが、その中の記事の一つに気が取られた。元々、窓ガラスを拭くために新聞を持ってきただけのつもりだったのだが。
惚けた部分も時折見せるが、それでも普段は瀟洒で完璧な仕事ぶりの彼女だ。珍しい姿だと、見るものが見れば小首を傾げたことだろう。
本人も流石に周囲を妖精メイド達に囲まれている中ではそんな真似をするつもりは無いのだが、今はそう……見つかることもないだろう。
と、思っていたのだが。
(あら?)
ふと、咲夜は廊下の奥に視線を向けた。
長い廊下にいるのはてっきり自分一人だと思っていたのだが、そうではなかったようだ。
咲夜は新聞を読むのを中断し、たたんだ。そして廊下の先へと歩いていく。
廊下には柔らかい絨毯が敷かれているため、走ったりしなければ足音は鳴らない。
彼女の視線の先には、壁の埃をはたきで落とす妖精メイドがいた。
「お疲れ様」
「ひゃうっ!?」
咲夜が声を掛けると、妖精メイドはびくりと体を震わせた。近付きながら様子を見ていたのだがやはりこちらに神経は向いていなかったらしい。よっぽど掃除に集中していたというよりは、心ここにあらずといった感じだったが。
「あ……その、こんにちは。メイド長。すみません、私に何か?」
「いいえ、別にそういうわけじゃないわ。あなた確か、この前からここに入って来たのよね。どう? 紅魔館の生活には少しは慣れたかしら?」
微笑む咲夜に対し、妖精メイドは曖昧に苦笑を浮かべた。
「えと……お仕事はまだ覚えてないことも多いですけど、頑張ります」
「そう? 慌てなくていいわよ。まずは自分の出来ることからやってくれればいいわ。それにしても、大変だったわね。落雷で今まで住んでいた木が真っ二つになっちゃんたんでしょう?」
「はい。それで一回休みになっていたら、気が付いたらもうこんな季節だし、住むところも無くて……助かりました」
「お礼を言って貰うようなことでもないから、気にしなくていいわ。部屋はまだ余っているし、人手はいつも必要だもの。こっちも、掃除やら何やらをしてくれたら助かるしね」
と、咲夜は館の数少ない窓から外へと視線を移した。
「ところで、あなたは寒いのはやっぱり苦手?」
「いえ、そんなことは……あの、雪かきですか?」
「その前に、雪合戦が一段落しないと……だけれどね」
咲夜は微苦笑を浮かべた、
館の中にいた妖精メイド達の多くは庭に出て雪合戦をやっていた。寒さに弱くてどうしても外に出られない妖精なんかは、図書館や自室で閉じこもっているが。
雪かきを命じるとほとんどの場合はこうなるのだが、咲夜もそこはあまり気にしていない。というか期待していない。おそらく美鈴も一緒になって遊んでいることだろう。ひょっとしたら湖の氷精あたりも来ているかも知れない。
仕事は適度に遊ばせた後でもいいと彼女は考えていた。
「あなたは参加しなくてもいいの?」
咲夜の問い掛けに、妖精メイドは苦笑とも嘆息とも付かない、小さな息を吐いた。
「ええ」
頷く妖精メイドを横目で見ながら、咲夜は頬を掻いた。
そして、小さく笑みを浮かべる。
「じゃあ、ちょっとお願い出来るかしら? 私は少し外に出掛けるけれど、その間誰かに私のことを聞かれたら、そういう風に言っておいてくれない? そうそう、それと掃除が終わったら夕食まで自室で休んでいていいわよ」
「え? あ……はい。分かりました」
じゃあ後はよろしくと妖精メイドに言い残して、咲夜は自室へと向かっていった。
雪は小休止しているようだが、外はかなり冷え込んでいることだろう。天気もいつまた変わるか分かったものではない。
そう、あのときもこんな寒い日だった。
出掛けるのなら、寒さ対策はしっかりやっておかないといけないと咲夜は思った。
【門番と初めての人間メイド】
紅魔館の長い廊下の中、十六夜咲夜は数少ない窓から外を見ていた。
しんしんと雪が降り続けている。
はたきを握ってはいるが、埃を落としているわけではない。ただ、その場に立ちつくしているだけだ。別に、掃除の仕方が分からない訳じゃないけれど。
周囲に誰かがいれば見咎めるのかも知れないが、今は誰もいない。館の主は、日中は睡眠の時間だし、その友人も地下の図書館から出てくることはほとんど無い。
彼女がここに侵入し、美鈴に撃退されたのがだいたい半月前。それから匿われるように看病を受け、色々とあってメイドになった。それから数日が過ぎた。館での生活の仕方は美鈴に付き添われながら、妖精メイド達に聞いた。
最初は妖精なんかにメイドが勤まるのか? そもそも何のために沢山の妖精をメイドとして屋敷に住まわせているのか? 最初はそれらのことも分からなかったが、その話も美鈴やパチュリーから聞いた。
建物は誰にも使われないのが一番劣化しやすい。誰かが使っていれば、定期的に手入れが行われるので長持ちする。その理屈で言えば、妖精だろうと住んで貰って彼女らの目の届く範囲でいいから手入れをしてもらえば、それだけで館の維持には役立っているわけである。
紅魔館は彼女らに特に給金を支払っているわけでもない。主人の側としては住居を提供しているだけで、館を維持するため、そしてちょっとした雑用を頼むための労働力が得られるのだから、実に経済的である。
妖精達にしてみても、身の回りのことと、それにちょっぴり増えた雑用をするだけで快適な寝床が得られるわけで、互いにとって利のある話であった。
集団で暮らす。力のある者と共にいる。たったそれだけのことで、こうして安定した住処を得ることが出来る。ついこの前までは独りで生きてきた少女は、そのことに頭では理解していても、戸惑いがあった。そのうち、慣れるのだろうと思うけれど。
慣れなければいけない。そう……思うのだけれど。
咲夜は小さく嘆息した。
“お疲れ様です”
「ひゃうっ!?」
不意に声を掛けられ、咲夜はびくりと体を震わせた。
慌てて声の主に視線を向けると、門番が立っていた。
「め、美鈴。脅かさないでよ」
「あははは、別に脅かすつもりは無かったんですけどね?」
悪戯っぽく、美鈴は笑みを浮かべた。
絶対に気配を消していたんだ、そうに違いないと咲夜は美鈴に非難がましい視線をぶつけた。実際のところは、美鈴の言っていた通りなのだが。
「何? 何か用なの?」
「いえいえ、そういう訳じゃないですよ。咲夜ちゃんが紅魔館でのお仕事や生活に慣れたかなって様子を見に来ただけです」
微笑む美鈴に対し、咲夜は曖昧に苦笑を浮かべた。
「どうかしらね? 今まであまりこういうことをしたことって無いから……」
「そうですか。でも、この前も説明しましたけど、慌てなくていいです。まずは咲夜ちゃんが自分で自分の身の回りのことをしっかりやること。それが第一歩ですから」
「本当にそれだけっていうのも、メイドとしてそれでいいのかって思うけれどね。まあ……急いでも仕方ないっていうのも分かっているつもりだけれど」
だからこうして、暇だからといって自室に閉じこもっているわけでもなく、今も手にはたきを持っているのだ。結局、長く手が止まっているので、自分でもあまり意味はないと分かっているが。
「ふふ、咲夜ちゃんは責任感が強いんですね」
「別に……そんなんじゃ……」
偉い偉いと、無造作に美鈴が咲夜の頭に手を当てて撫で回す。もう自分はそんな歳じゃないと咲夜は反発する感情もあったが、悪い気もしなかったので抵抗はしなかった。
「ところで、咲夜ちゃんは寒いのは苦手ですか?」
「わざわざ好き好んで寒いところにいこうとはしないけれど、苦手っていうつもりも無いわ。……ああ、雪かきのこと? 今も随分と降っているみたいだけれど」
「その前に、雪合戦が一段落しないとですけれどね」
咲夜の頭から手を離し、美鈴は微苦笑を浮かべた。
彼女の来ているチャイナ服もあちこちが雪で濡れていた。今日も一緒になって遊んでいたのだろう。
「咲夜ちゃんはいいんですか? 雪合戦に参加しなくても」
美鈴の問いに、咲夜はしばし押し黙る。
彼女の頭に、ここ数日の生活がよぎった。
沢山の妖精メイド達に混じっての生活。しかし、食事も掃除もその他の雑用でも、あまり会話はしていない。せいぜい、食器の場所を訊いたり、洗濯や掃除のやり方を訊いた程度だった。
集団で生きるのは、これが記憶している限りでは初めての経験になる。そのせいか、妖精メイド達との距離の取り方、話の仕方がよく分からない。
結果、どこか……互いに薄い膜が出来ているような……そんなものを彼女は感じた。
今までずっと独りで生きてきたのに、周りに多くの賑やかな妖精がいるというのに、そっちの方が慣れないものを感じた。集団の中での独りよりも、今まで通りの独りの方が、気楽に思えた。
そもそも、美鈴が咲夜を匿っているのをレミリアとパチュリーが気付き、彼女らの命令で妖精メイドが咲夜を捕まえようとしたのだが、咲夜はその妖精メイド達を蹴散らしたのだった。妖精メイド達にしても、自分には恐怖心が残っているのだろう。そう咲夜は感じた。
咲夜は美鈴に、苦笑とも嘆息とも付かない息を吐いて見せた。
「ええ……私はいいわ」
そんな咲夜を見て、美鈴はふむ……と顎に手を当てた。
そして、美鈴は小さく笑みを浮かべた。
「では、咲夜ちゃんにお願い出来ますか? 私はこれからちょっと外に出掛けてきます。その間に誰かに私のことを訊かれたらそう答えて下さい。ああそれと、適当に掃除が終わったら、夕食まで自室で休んでいていいですよ」
「え? あ……うん、分かったわ」
それじゃあ、後はよろしくお願いしますと言い残して、美鈴は咲夜の元から去っていった。
その姿を見送って、咲夜は中断していた掃除を再開した。
【人間メイドに伝説を】
夕食の用意が出来たと呼ばれ、咲夜は食堂へと向かった。
美鈴に言われたとおり、独りで自室にいたのだが、それはそれで退屈だった。だから、今晩も会話は無いのだろうと思いながら、それでも食堂から漏れる賑やかな声に、咲夜は少し安らぐものを感じた。
その声と灯りに誘われるように、咲夜は食堂の中へと入った。今日は妙に人数が多い気がする。食事は自室に持ち帰って食べるのも自由なので、いつもならもう少し少ない気がするのだが。
食堂の中では、今日の食事当番だった妖精メイドが食器を並べ、料理を盛りつけていた。咲夜はそれを見ながら、一番隅の席へと向かう。特に決まった席があるわけではないが、よくここに座るようになっている気がした。
「あ、咲夜ちゃん。こっち、今日はこっちに来て下さい」
「え?」
美鈴の声が聞こえ、咲夜は振り向く。
彼女の視線の先、長いテーブルの真ん中あたりの席で、美鈴が手招きをしていた。
ちょっと気後れするものを感じながら、咲夜は美鈴の傍へと歩いていった。
咲夜が美鈴の傍に来ると、美鈴は隣の席に手の平を向けた。ここに座れという意味らしい。
咲夜は素直にそれに従った。
美鈴はいつも妖精メイド達に囲まれているので、食事時にもあまり咲夜は美鈴と話は出来なかった。今日は美鈴が話し相手になってくれそうだと、咲夜はほっとする。
「ねえ美鈴? 外に出掛けるって、今日はどこに行ってきたの?」
「ん? ん~、それはですね。ちょっと、いいものを分けてもらいに行ったんですよ」
「いいものって?」
「それは後で分かりますよ」
「ふーん?」
くすりと笑う美鈴を見ながら、咲夜は小首を傾げた。
盛り付けもだいたい行き届いたのか、めいめい食事を始める。咲夜と美鈴も両手を合わせた。
洋風の屋敷であるにもかかわらず、今日の夕食はご飯と味噌汁、そして魚の干物に漬け物と、和食然とした献立であった。
咲夜は何気なく、まずは喉を潤してからご飯を食べようとグラスに手を伸ばした。
「ふぐっ!?」
その瞬間、咲夜は目を白黒させた。
慌てて口をふさぎ、咳き込む。
口の中、そして喉が熱い。
「め……美鈴? これ……何?」
てっきり水だと思ったのだが、思いがけない不意打ちにちょっぴり涙を流しながら、咲夜は美鈴に訊いた。
「えへへー、それはですね。私が分けて貰った、ちょっぴり特別なお酒なんですよ? ひょっとして、お酒は初めてですか? 咲夜ちゃん」
「お酒? これ、お酒なの? って……あの、美鈴? 私まだ子供なんだけど?」
「気にしない気にしない。ちょっとくらいなら大丈夫ですよ。お嬢様も妖精達もお酒は飲みますし」
「私は人間だってば」
とはいえ、咲夜も本気で怒るつもりもないのだが。あまり子供が飲むものじゃないだろうというだけで、飲酒にそこまで強い抵抗があるわけでもない。出来れば他に水かお茶も用意して欲しいとは思ったけれど。
「でも美鈴? さっきこのお酒をちょっぴり特別って言っていたけれど、どこが特別なの?」
「ん~? そうですねえ教えてあげようかなあ……どうしようかなあ?」
「もう、意地悪しないでよ」
唇を尖らせる咲夜に、美鈴はにやにやと笑みを浮かべる。
美鈴は人差し指を立てて見せた。
「分かりました。それじゃあ、まずそのお酒をこう……ぐぐいっと飲んで下さい。無理はしなくてもいいですけどね? そうしたら教えてあげます」
「……仕方ないわね。分かったわよ」
美鈴に言われたとおり、咲夜はグラスの中に入った酒を口にした。自分の限界というのがどこまでなのかは分からないけれど、無理しない範囲で出来るだけの酒を胃の中へと流し込む。
「……ぷはっ」
途端、さっきとは比べものにならないほど体と顔が熱くなった。考えていたよりも飲み過ぎたかも知れないと、咲夜は少し不安になった。
「おお、いい飲みっぷりですね~。よしよし、それじゃあ教えてあげましょう」
上機嫌に笑う美鈴を見ながら、咲夜はこくこくと頷いた。
「いいですか咲夜ちゃん。このお酒について説明するために、まず雀について説明する必要があります。実はですね? お酒っていうのは最初に雀が作ったっていう伝説があるんです」
「雀が? どうして?」
「それはですね。雀は親孝行だからなんですよ」
美鈴の説明に、咲夜は首を傾げた。雀の親孝行とお酒がさっぱり結びつけられない。
頭も何だかふわふわするので尚更だった。
「美鈴。勿体ぶらないでよ」
「はいはい。えーとですね……むかしむかし、あるところに一羽の雀がいました。そんなある日、その雀に悲しい知らせが伝わります――」
話をまとめて伝えてくれという咲夜の願いに対し、美鈴は頷きながらも、遠回りに雀の昔話から説明を始めた。
思考能力の落ちた咲夜は、そこでどうして昔話が出てくるのかと非難しない。素直に訊いていた。
そんな咲夜を見ながら、いい具合に雀酒が効いているなあと美鈴はほくそ笑んだ。
【いつか見た光景】
妖精メイド達は広間で飲めや踊れやと、どんちゃん騒いでいた。
その光景を見ながら、咲夜は笑みを浮かべる。彼女の視線の先には、雪合戦に参加しなかった新入りの妖精メイドが、他のメイド達に混じって踊っている姿があった。
「咲夜さんは飲まないんですか?」
「飲むわよ。でも、もうちょっと後でね」
隣にやってきた美鈴に、咲夜は頷く。
乾杯、と二人はグラスを当てて鳴らした。
「咲夜さん? これって、やっぱり使いましたね? 雀酒」
「まあね。今朝届けられた新聞に記事が載っていたから、貰いに行ってきたの。丁度、まだここの生活になれていない新人がいたからね」
「なるほど、こんな寒い日にどこに行っていたかと思ったら、そういうわけですか」
咲夜は頷いた。
「美鈴。あのときは有り難う。もしもあのままだったら、私はもっと……ここに馴染むまで時間が掛かっていたでしょうね。感謝しているわ」
「いえいえ、壁を取り払って互いの距離を縮めるには陽気な酒が一番っていうだけの話ですよ」
その壁を取り払うというのが、当時の咲夜にとっては難しいことだったのだけれど。
けれど、妖精メイドも含めみんなでいい気持ちになって踊って、そんな馬鹿みたいに騒いで、次の日から互いに話しやすくなったのは確かだった。
話をするようになって、本当に何をくだらないことで遠慮し合っていたのかと思ったが。
咲夜は苦笑した。
「そこまで大昔の話でもないのに、何だか懐かしいわね。きっと私もあの子みたいだったんでしょうね」
感慨深そうに頷く咲夜に対し、美鈴はしばし虚空を見上げた。
そして、首を横に振る。
「いやいや、あのときの咲夜ちゃんは確か、あんな感じだったと思いますよ?」
そう言って美鈴が指を差した先には、レミリアとフランドールがいた。
“溢れ~るカリスマ~♪ 不死者~のおう~じょ~♪ この世~はすべて~♪ 私のもの~♪ イエーッ! ありがと~っ!!”
“魔法少女。マジカル・フラン参上っ☆ 月に代わってぶち殺しよっ!! どうパチェ? 格好いいっ?”
レミリアは紅く輝く槍をマイクのようにして歌い。フランドールは分身を使って漫画の主人公になりきっていた。
どちらにしろ、館の主達は理性も威厳も欠片も無い醜態を晒している。こんなところを天狗に写真を撮られたり、稗田の本に書かれたらどうするのかと思うが、まあそのときはそのときだ。
それはともかくとして……。
「知らないわね。私にはそんな過去は無いわ」
「まあ、咲夜さんの中ではそうなんでしょう。咲夜さんの中ではね?」
くすくすと笑う美鈴に対し、咲夜は拗ねたように顔を背けた。
そして、グラスの中にある雀酒を飲み干した。
紅魔館の長い夜はまだまだ続く。
―END―
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東方二次創作
紅魔館に新人メイドが来たようです。
春になって新入生や新入社員はみんな不安と戦いながら毎日を過ごされたかと思われます。
そんな心細い感情を想像しながら書きました。
過去作の「紅魔館と~」と設定は同じですが、単体で読めるものになっております。