最初の出会い その後の2
俺はいま、学校の剣道場の隅で正座をしている。中央では数組で試合を行い、他の部員も正座をしてそれを観戦していた。竹刀どうしがぶつかる音や、部員の気合の入った声が響くなか、俺は目の前の女性に見下ろされている。
「昨日は無断欠席だったな、北郷」
「………」
「理由を聞こうではないか」
「………特にありません」
「嘘をつくな。君が理由もなく部活を休むわけがなかろう」
「夏風邪をひいてしまって………」
「嘘だ。これまで授業も部活も皆勤賞の君が、自分の健康管理を怠るようには思えない。それに仮に病欠だったとして、連絡をしない君ではないだろう」
「………」
「わかってはいるだろうが、君は指導をする立場だ。部員の指導にまわるという条件で、大会には出ないという事だったな。いわば契約だ。その君が、責務を放棄して部活を休むからには、相応の理由が必要となる」
ことごとく俺の嘘を見抜いてくる。俺が返答に詰まっていると、不動先輩は傍に置いてあった学校指定の鞄から携帯を取り出すと、それを開いて操作し、俺の眼の前に突きつけた。
「………げ」
「これは昨日、私の友人から送られてきたのだが、これはどういう事だ?」
携帯電話のディスプレイに写っていたのは、俺と恋の初デートの様子だった。恋が服を選び、俺はそれを後ろで眺めている。遠目の写真だが、それでもその雰囲気はまさしく恋人のそれだった。
「いくつか質問がある」
「………」
「ここに写っているのは、昨日の出来事で間違いないな?」
「………はい」
その有無を言わさぬ声色に、俺は素直に首肯する。
「では次の質問だ。ここに写っているのは………君の彼女か?」
その言葉を合図にしたかのように、竹刀の音も部員の掛け声も消える。顔を上げれば、男子も女子も、道場内にいるすべての人間が俺を凝視していた。面の奥からもその視線が突き刺さる。
「答えられないのか?」
「えぇと…」
「この娘は、うちの生徒か?」
「………」
「全員集合!」
沈黙の俺に痺れを切らしたか、不動先輩は部員に集合をかける。いくら今日は顧問の爺さんが居眠りをしているからって、それはやりすぎだろう。そんな俺の思考をよそに、全員が寄ってきて俺と先輩を囲むように円陣を組む。
「この中で、この娘に見覚えのある者はいるか?」
彼女は携帯を開いたまま部員にまわす。何人か手渡っていき、そして2年の女子のところでそれは停止した。
「この娘、うちのクラスの女子ですよ」
「2年か」
「はい、確か陸上部のはずです」
「陸上部……そういえば、何度か表彰されていたな、この娘は」
そうだったのか?知らなかった。いや、恋も大会で一位を獲ってたと言っていたし、俺が忘れているだけなのだろう。
「ふむ…確か、今日は顧問の先生は休みで、陸上部は自主練の筈だったな」
「なんで知ってるんだよ…って、まさか………」
「くくく、その通りだよ、北郷。さて皆、外は暑いが、走り込みにでも行こうではないか」
いつもなら不動先輩と俺を除いたすべての人間が嫌がるはずのその鍛錬も、この時ばかりは全員一致で賛同されるのだった。
3年の男子2人に腕を取られて連行される俺は、まるでFBIに捕らえられた宇宙人のようだった。そのまま道場を出て運動場へと向かい、陸上部の練習風景が見えてくる。不動先輩の言う通り、顧問の教師は見当たらない。彼女はその場に俺達を待たせて一人の陸上部員の下へと歩いていった。親しげに話しており、どうやら彼女の友人らしい。
「ちょっと、皆、集まってー!」
彼女は陸上部の部長なのだろうか。彼女の指示に部員は集まってくる。その中には恋の姿もあった。俺達剣道部員を放って不動先輩は携帯を陸上部にまわす。そして、全員の視線が恋に集中した。
「………?」
恋はいつも通りのようだ。と、不動先輩が手招きをして俺達を呼び寄せる。俺は逃げようとするが、不動先輩指導のもと完璧に関節を極められている為、それも出来ない。そのままずるずると引き摺られ、俺は陸上部と剣道部の生徒が作り出す円の中に放り投げられた。
「………一刀、部活終わった?」
「いや、まだなんだが―――」
恋が俺に話しかけた瞬間、円周の女子たちから黄色い声が上がる。
「いま、下の名前で呼んでたわよ!」
「っていうか、この娘の声初めて聞いたかも!」
「嘘、もしかして付き合ってるの?あたしも北郷君狙ってたのに!」
まさかの告白が飛び出したが、そんな事を気にしている場合ではない。しばらくキャーキャーと騒ぐ女子たちであったが、不動先輩はそれを制し、恋に話しかけた。
「さて、質問があるのだけれど、いいかい?」
「………?」
「君は、北郷と付き合ってるのか?」
「………(こく)」
認めるの早過ぎだろ。いや、恋なら仕方がないのか?
「いつからだ?」
「………おととい」
恋の返答に、再び上がる悲鳴。それを両部の部長が宥め、不動先輩はさらに質問を続ける。
「言いだしたのは、どっちから?」
「…一刀」
「出会ったのはいつだ?」
「先週…?」
「………思っていたより手が早いな、北郷は」
「いや、そんな睨まれても―――」
「黙れ」
「………はぃ」
一言で斬り捨てられ、俯く俺。そろそろ腕が痛い。耳も痛い。先輩の質問はまだまだ続く。
「ちなみに、君は北郷のどこを気に入っている?」
「………?」
「ないのか?」
「………(ふるふる)」
「ふむ…質問を変えよう。君は、何故北郷の告白を受け入れた?」
「………」
逡巡。それは俺も気になるが………。
「見た目がいいからか?優しいところか?それともスポーツが出来るところか?」
「………一刀は、恋を助けてくれた」
待て。まさか、それをバラすのか?
「弱みに付け込んだのか、最悪だな、お前は」
「いや、そういう訳じゃ―――」
「黙れ」
「はぃ……」
先輩の視線に、恋は続ける。
「恋は、ずっと一人だった…でも、一刀が助けてくれた。ご飯も、食べさせてくれる……一緒に…寝てくれる………ずっと一緒にいてくれる、って言ってくれた………恋も、一刀とずっと一緒にいたい………」
俺にするように、少しずつ話していく恋。その声音に、皆も騒ぐことなく聞き入っている。
「一刀が助けてくれたから…恋はここにいられる………」
「………そうか」
不動先輩が珍しく考え込む。納得してくれたのだろうか。そう安堵の息を吐きそうになるが、俺の思考は見当違いであった。不動先輩は、皆が流していた一言に触れる。
「ひとつ気になったのだが、一緒に寝る、とはどういう事だ?」
「………一刀と、一緒に寝る」
「いや、それはわかるのだけれど………それは夜の話か?」
「…ん……一刀と一緒に寝て、朝は一刀と一緒に起きて、一刀と一緒に今日も来た」
「北郷?」
「あー…うちの祖父が恋の後見人になったんですよ」
「後見人?」
どう説明したものか迷っていると、陸上部の部長が不動先輩に耳打ちをする。そうか、部長なら去年の事も知っているのかもな。
「そういう事か。つまり、一刀と一緒に暮らしている、と?」
首肯。そして幾度目かの黄色い声。勘弁してくれ、というか蹴るな。
「まぁ、君の境遇は大体分かった。これからも北郷と仲良くしてやってくれ」
「……ん」
その一言で、この集まりは解散となる。俺もようやく解放され、皆と一緒に部室へと向かった。途中、一度だけ振り返ってみれば、恋が陸上部員に囲まれている。質問攻めにでもあっているようだが、恋の事を気にかけてくれるのはありがたい。願わくば、これを機に他の人とも仲良くなれますように。
いつもよりも数段気合の入っている部員をすべて叩きのめし、今日の部活を終える。制服に着替えて校門へと向かうと、恋がひとり、門の所で待ってくれていた。
「お待たせ。帰ろうか」
「…ん」
朝のように、恋と肩を並べて家路につく。
「あの後囲まれていたみたいだけど、どんな話をしたんだ?」
「ん…いろいろ、聞かれた」
「どんな事?」
「昨日のデートの事とか、一刀の家での様子とか………」
「気にされてもなぁ」
「あと、もうちゅーはしたか、って聞かれた」
「………」
これだから女ってやつは………。
「してない、って言ったら、してみたら、って言われた」
「………」
けしかけられても困る。
「でも…みんなと話せて、よかった………」
「そっか…」
もしかしたら、恋は思っていたよりも孤独ではなかったのかもしれない。恋に話しかけても返ってくるのは一言二言で、会話を続かせる事は慣れなければ難しい。彼女たちも対応に困っていただけで、本当はもっと話したかったのかもしれないな。
「部長も、よかったね…って、言ってくれた」
「そっか…」
「あと、ご飯もしっかり食べて、って言ってた」
「そっか。本当は気にしてくれていたんだな」
「ん…」
他でもない、不動先輩の友人である。自分ではどうしようもない恋の境遇に、心を痛めてくれていたのだろうか。
「さて、今日も部活を頑張ったし、帰ったら婆ちゃんのご飯が待ってるぞ」
「ん…楽しみ………お弁当もおいしかった」
「そうだな。今日は何だろうな?婆ちゃんの事だから、気合を入れて作り過ぎてるかもしれない」
「………全部、食べる」
「食べ過ぎてお腹壊すなよ」
「…ん」
恋が微笑んでくれる。それだけで、今日の疲れも吹き飛ぶくらいだ。俺と恋は、手を繋ぎながら夕陽が照らす道を歩いていくのだった。
おまけ
家に帰って食事をとり、恋と婆ちゃんが揃って風呂に向かう。俺が麦茶を啜りながらテレビを見ていると、爺ちゃんが寄って来た。
「なんだよ?」
「一刀よ、これは儂からのプレゼントじゃ」
「?」
爺ちゃんがこそっと小さな紙製の箱を手渡してくる。そこに書かれていたのは、003という数字。箱をひっくり返してみれば、その使用方法が図解入りで書かれている。
「せめて卒業するまでは待てよ?」
「大きなお世話だ、この色ボケジジイ!」
俺が箱を畳に叩きつけ、殴り合いの喧嘩が始まる。いつも通りの騒がしい俺達に、風呂上りの恋は、婆ちゃんと顔を見合わせて微笑むのだった。
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