「北海が攻められたって?」
「はい。徐州より北上してきた曹魏の軍勢により、現在、城が攻め立てられているとのことです」
兗州・濮陽の城の一室にて、司馬懿からそんな報告を一刀たちは知らされていた。揚州の孫家に対する警戒があるはずのため、向こうからは動くはずのないと思っていた徐州の魏軍五万が、青州の北海に、突如として攻め上がってきた、と。
「……孫家と何がしかの、盟約を交わしでもしたのかな?」
「それしかあるまい。……こうなってくると、孫策軍自体も、魏に助力をして攻め込んでくる可能性が出てきたの」
「だね。……瑠里?そのあたりはどうだい?」
李儒の懸念に同意した一刀が、司馬懿に孫策軍の動向は掴めているのかと、そう問いかける。
「……細策さんたちからの報告ですと、どうやらその心配は無さそうです。孫策軍は現在、荊州攻めの準備を進め、すでに一部の将兵が、江稜に向けて進発したそうですので」
「……こっちを油断させるための、みせかけっちゅう可能性は?」
「……無いとは言いませんけど、かなり低いと思いますね。実際、揚州の戦力のほとんどが、柴桑方面に集結しているそうですので」
「そっか。……なら、寿春の戦力も、こっちに集結してくると見て、間違いはないな。……蒔さん、由、それと瑠里は、当初の予定通り、陳留を抑えてそちらへの対応に当たっておいて。……余力があれば、その先も押さえてしまってかまわないから」
『御意』
徐晃、姜維、司馬懿の三人に、一刀は予定通りに動くようにと、そういって聞かせる。
「青州のほうは、沙耶さんたちがそのまま対応に動くと。そう言ってるんだね?」
「はい。兗州からの魏軍は、すでに追い払い済みだそうですから、南からの侵攻軍を叩いた後、当初の通り、徐州へ進軍するそうです」
「そか。なら、こっちも予定通りに動くとしよう。まずは華雄さんと月、詠、命が先発。官渡にて陣を築いた後、こっちの合流を待ってさらに西へと進んで、洛陽を落として下さい」
その視線を、華雄、そして、久々に正装をして従軍している、董卓と賈駆の二人に移す一刀。
……実は鄴を出立するその少し前。月こと董卓は、再びその本来の名を名乗り、将として復帰することに決めた、と。一刀たちにそう宣言したのである。
一刀たちは最初、その決意に懸念を示した。
いつぞやかの一件以降、大陸中に流されることになった、彼女の暴君としての風評。それは、いまだ完全に消えたというわけではない。おそらく、いまだ大陸のほとんどの人々は、彼女の名を暴君の代名詞として認知していると思う。
しかしその一方で、河北の民たちに関していえば、これまで当の本人と触れ合った者たちが、その行く先々で、彼女のその真の姿―――つまり、優しき慈母のごとき人柄こそが、董卓のその本質である―――という話を流したこともあり、董卓=暴君という話が、実は根も葉もないでたらめだったことを、多くの者たちが知り得ていた。
だがそれでも、河北以外の場所でその名を名乗り、再び表舞台に立てば、彼女を誹謗中傷する者が、少なからず出てくると。そう懸念を示したのだ。しかし、そんな心配をする一刀たちに、董卓は笑顔でこう答えたのである。
「ご主人様。お心遣いはとても嬉しく思います。けれど、私はもう、ただ黙って見ているのは耐えられないんです。……今の私に、どれほどのことが出来るかは分かりません。けどもう、皆さんの後ろで、ただ一人安穏と過ごすのはいやなんです!たとえどんな中傷を浴びせられようとも、私は構いません!私も皆さんと一緒に、出来る事をしたいんです!」
たとえその結果、更なる罪を背負おうとも、と。
最後には、ただ真っ直ぐに、真剣な表情で、董卓ははっきりと言った。
こうなった彼女は、もうてこでも動かないわよ、と。賈駆は董卓の擁護に回った。彼女は何があっても僕が守るから、とも言って。
そこまで言われた以上、一刀達にはもう、反対する事は出来なかった。董卓に将軍位を与え、その補佐に賈駆をつける以外。ただし、一刀の侍女の仕事も、これまでどうり続けるとも彼女は言った。
「だって、私はご主人様のメイドですから」
満面の笑顔とともに、彼女はそう言い切って見せたのであった。
話を元に戻す。
一刀にそう声をかけられた華雄たちは、それに対して、それぞれが満面の笑みを顔に浮かべ、胸を張って答え返した。
「ふっ。……任せておけ、北郷。……例え相手が誰であろうが、この私の戦斧でもって、すべて薙ぎ払ってやるさ。お前たちはお前たちで、しっかりと魏の本隊を蹴散らして見せてくれ」
「……そういうこと。月のことも、あんたは何も心配しないでいいからね?なにしろ月には、このボクがついてるんだから」
「へぅ~。……部隊の指揮は久々ですけど、何とか、ご主人様の期待に応えて見せます。詠ちゃん、頼りにしてるよ?」
「月ェ~///」
「……ハハハ。……けど、本当に無理はしないようにね?命、彼女たちのこと、よろしく頼んだよ?」
「うむ!大丈夫じゃ。彦雲もようやく帰ってきたことだしの。ま、大船に乗った気で任せておけ♪」
仮面の下のその顔を、満面にほころばせ、李儒がそう答えて返す。なお、部屋の外には、長らく行方不明になっていて、少し前に、涼州から突然の帰還を果たした王淩が、一人部屋に入らず待機をしていた。
……まあ、例の掛け声と共に戻ってきたその途端、李儒に抱きついて頬摺りを始めたのには、一同も思いっきり呆気にとられたものだが。
「さて、それじゃあ行動に移るとしようか。……曹魏との争いは、この一戦を持ってそのケリをつける!みんなの奮起に期待する!そして全員、生きて再び顔を合わせよう!」
『応!!』
そしてその翌日。
華雄を先陣に、董卓、賈駆、李儒が率いる、三万の虎豹騎を含む十万が、官渡に陣を築き上げるべく出立。それとほぼ同時に、徐晃、姜維、司馬懿が、虎豹騎を”除いた”十万でもって南下を開始。陳留の制圧へと向かった。
それに遅れる事二日。一刀、徐庶、そして、匈奴からの協力者として従軍して来ている、呼廚泉の三人が率いる本隊十万が、李儒たちの待つ官渡を目指し、濮陽を発った。
一方その頃。
許都の魏王屋敷では、青州での敗戦の報告を主君にしている、曹仁、曹洪、そして夏侯姉妹の姿があった。
「此度の敗戦。弁明は何もいたしません。華琳様の大切な兵たちを多く失った事、そは万死に値する失態。どうか、われ等に厳重なる罰を」
「……」
頭を下げたまま、曹仁はそれだけ言って押し黙る。……目の前の王座に座る、従姉妹のその烈火の如き怒りを浴び、首を飛ばされるのを覚悟して。しかしその曹仁に対し、曹操はただ優しく微笑み、こう言っただけだった。
「……勝敗は兵家の常。これを教訓に、今後もがんばって頂戴。いいわね?彩香、雹華?……ただし、春蘭と秋蘭は今夜私の閨に来るように。……そこでみっちり、敗戦の原因を聞いてあげる」
『は!はい!分かりました華琳様!!』
……なぜか嬉しそうに、主に返事をする夏侯惇と夏侯淵の姉妹。
「……相変わらずだねー、華琳は。わざわざ閨でお仕置きだなんてさ」
「あら?なんだったら貴女もきていいのよ、雹華?……ふふ、従姉妹の啼く所、ぜひ見てみたいんだけど?そうね、彩香も一緒にどう?……たっぷり可愛がってあげるわよ?フフ♪」
「///……結構です。わ、わたしは、その、そんな、女性同士の営みなどに、興味はありませんので」
曹操の言葉に、顔を真っ赤にしてそっぽを向く曹仁。その隣で、「姉さん可愛い♪」なんてつぶやいた従妹の耳を、ぎゅうっとつねりながら。
「冗談はそれぐらいにしておいて。……北郷軍の虎豹騎……だったかしら?それほどの強さなの?」
「はい、華琳様。……おそらく、われらの兵を一とするなら、あやつらは十と見なくてはならないかと」
「!?……秋蘭をして、そこまで言わせるわけね。……稟?北郷軍の現状は?」
夏侯淵の言葉を険しい表情で聞いた後、曹操は続けて郭嘉へとその視線を転じ、北郷軍の動向を報告するよう促す。
「は。……濮陽に入った本隊ですが、三方に分かれて行動を開始したようです。一隊は陳留方面へ。残りは官渡から洛陽へ向かった部隊と、その官渡に、北郷一刀の本隊が陣を構えたそうです」
「そう。……わざわざ戦力を分散して、一気にこちらの領土を押さえにかかるとはね……。大した自信じゃない」
自分が率いる魏の本隊。それは、寿春から合流してくる予定になっている戦力を合わせれば、その数はおよそ十八万にはなるはずだ。なのに、向こうはその兵をさらに分散し、十万程度の戦力でこちらと対峙しようとしている。
自らの率いる軍勢の実力。それに対するよほどの自信が、その戦略に現れているのだろう。そして、自信の背後に対する絶対の信頼。それが、全戦力をつぎ込んでまでの、魏領制圧作戦を後押ししているのだろう。
そして実際、北郷の後背や足元は、まったく動じなかった。
戦略的な裏工作-つまり、河北の有力豪族たちへの働きかけを、曹操は前もってすでに行っていた。北郷領を内から崩すために、そしてその背後を脅かすために、幽州の公孫賛や、烏丸と匈奴にも、十分すぎるほどの宝物を送り、こちらへつくことの利も語りかけた。
けれど、すべてはまったくの無駄に終わった。
豪族たちは頑として、その首を縦に振ることもなく。公孫賛も、そして二つの異民族も、送った宝物をすべて送り返してきた。その、すべてに一致した意見はこうだった。
『我々はすでに、この世で一番の宝物を北郷からもらっている。友情と信頼という、何物にも代えがたい宝物を』
その返答を、戻ってきた使者から聞いた曹操は、その心のうちで、こう思った。
北郷一刀を手に入れたい、と――――。
しかし、魏と北郷の戦力差は、あまりにも大きかった。裏工作が失敗した以上、純粋に力でぶつかるしかない。では、どうやって戦力差を埋めるか?
そのことに頭を悩ませていたとき、皇帝劉協から使者が訪れた。涼州の馬騰と、揚州の孫策に対し、勅をもって魏への不可侵を約束させた、と。
馬騰と孫策。それぞれに、おそらくは別々の思惑があるのだろう。だが、曹操にとってはまさに渡りに船だった。洛陽の戦力を動かすのは無理だったが、それでも虎牢関の守備に力を入れる位のことはできた。一方で、揚州方面の抑えとして、寿春に配置していた戦力のほとんどに、こちらとの合流を指示。およそ五万の兵が、まもなく許都に到着する手はずになっていた。
こちらの戦力はこれで整った。あとは、実際の戦場での駆け引き。そして、いかにして、北郷自身を捕縛、もしくは討ち取るか。……そこに全神経を注ぎ込むだけだ。
「春蘭、彩香、雹華。貴女たちに名誉挽回の機をあげるわ。此度の戦の先鋒を任せる。……期待してるわよ?」
『はっ!』
「凪、沙和、真桜。貴女たちには遊撃隊としての任を与える。いざという時には、独自の判断で動いてかまわない。いいわね?」
『御意!』
「秋蘭は季衣、流琉とともに、私の直衛につきなさい。出陣は明日。官渡にて、北郷との決着をつける!皆の奮起に期待する!」
それぞれの将にその命を下し、曹操は王座から立ち上がって、声高く宣した。
己が胸に描く覇道。その行く先は、この一戦にて決まると、彼女はそう予感していた。そう、例えどちらに転ぶことになろうとも、退がると言う選択だけはけしてない。
不退転。その決意を持って、彼女は王座の間を歩み出る。悦にも似た笑顔を、その顔に浮かべて。
そして、曹操率いる魏の本隊十八万が、一刀率いる北郷軍本隊十万と、官渡の地にて対峙したのと、時同じくして。
虎牢関の前面にて、久方ぶりに顔をあわせた、元・主従、四人のその姿があった。
北郷軍の先頭に立つ、董卓、賈駆、華雄の三人と。
その反対側、虎牢関を背に立つさらしに袴のその女性、張遼。
もしそこが、戦場という場所でないのであれば、彼女たちは久方ぶりの再会に、喜々としあうことができたであろう。
しかし、現実は厳しく、今は互いに敵同士。
先に声を発したのは、董卓の方からだった。
「……お久しぶりです、霞さん。お元気そうで何よりです」
「……せやな。月っちも元気でなによりや。……で、ちっとだけ聞きたいんやけど、月っちは、今ここに”月”としておるんか?それとも、元・相国、董仲頴として……か?」
「……今の私は、北郷軍の将、董卓仲頴、です」
「!!……ほうか。……それは、全てを覚悟の上なんやな?」
「はい」
自身をまっすぐに見据える董卓の、その迷いのない瞳を見て、張遼の心にある種の感激が湧き上がってきた。
(強うなったな、月っち。……それも、北郷のおかげなんやろな)
あの、儚げで可憐という、そんなイメージしかなかった、彼女の元主君はここには居ない。ここに居るのは、確固たる強い意志を持った、一人の良き将だと。張遼は、そんな彼女に感激し、それと同時に、彼女にそれだけの決意をさせるにいたった、北郷一刀という人物に、改めてその関心を持った。しかし。
「……例え昔のよしみがあろうと、いまのウチは、曹魏の将や。……洛陽が欲しいんやったら、ウチのことは力でねじ伏せなな。……武人たるウチに、小難しい理屈はいらへんからな」
そう。戦わずに矛を下ろすことなど、張遼には到底できっこなかった。……たとえその相手が、かつての主と仲間だとしても。張遼はにやりと口の端をあげ、かつての友たちに笑って見せた。
「……ふ。それでこそ、私たちの知っている張文遠だ。……月さま」
「はい。……全軍抜刀してください!曹魏の軍を打ち倒し、洛陽へと兵を進めます!」
「来いや、月っち!賈駆っち!そして華雄!ウチらも全力をもって、相手をしてやるで!ええかお前ら!絶対に、手なんか抜くんやないで!それこそ何よりの失礼やからな!!」
おおーーーーーーーー!!
『全軍!!攻撃開始ーーーー!!』
蒼天の下、二つの軍勢が咆哮し、その戦いは始まった。
董卓らが率いる北郷軍十万。
張遼率いる魏軍五万。
果たして、勝利の女神が微笑むのはどちらなのか。
戦のその趨勢ははたして……?
そして、魏の本隊と対峙する、一刀たちの決戦は、いかなる結果を迎えるのか。
中原を制し、華北の覇者となるは、一刀か、それとも曹操か。
両者にとっての長い一日は、こうして始まったのであった。
~続く~
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北郷対魏。
官渡決戦の、まずは前編でございます。
どうぞごらんあれ。
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