No.207109

機動戦士 ガンダムSEED Spiritual Vol34

黒帽子さん

頂上の決戦。
世界は毒を飲むべきか?それとも我を張り通すべきか?
122、123話掲載。彼女はもう、オレを無視できない。

2011-03-19 23:27:45 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:1423   閲覧ユーザー数:1406

SEED Spiritual PHASE-122 制御を拒む自尊の心

 

「シン! 返事しなさいよっ!」

 噴煙がようやく晴れた。脇目もふらず求め続けた〝デスティニー〟は無残な姿ながらも焼け残っていた。動力炉を貫かれたかとも思ったが、未だ形を残していると言うことは核反応炉を直撃されたわけではないはず。爆発したのは推進剤の詰まったバックパックだろうと自分を納得させ、ルナマリアは〝カオス〟のマニピュレータで〝デスティニー〟の屍を抱き留めた。シンならば、撃墜されるその一瞬に原子炉を閉鎖するくらいのことは、可能なはずだ。

「シン! お願いだから返事してよっ!」

 通信機が壊れている可能性も捨てきれない。ルナマリアは〝カオス〟の腹から這い出し、ダウンして灰色に変じた〝デスティニー〟のコクピットハッチ脇に張り付いた。

「あぁもぉっ!」

 ハッチ開閉システムが死んでいる。業を煮やしたルナマリアは再び〝カオス〟に戻り意識を受け渡すと人とは比べものにならない握力と腕力を持つマニピュレータをハッチに貼り付けた。握り込み、引き寄せる。音が無くとも金属の悲鳴が指先を伝わり程なくして〝デスティニー〟の腹部が引きちぎれた。開け放していたハッチから飛び出したルナマリアは向かいのコクピットへと飛び込んだ。

「シン!」

 ひしゃげ火花を散らす機器を押しのけヘルメットのスピーカーをひたすら試す。もし彼のノーマルスーツが破損していたら……ハッチを壊してしまったのは早計過ぎたかもと蒼くなったが彼女が引き出すより先に闇の奧から手が伸びた。

「っ!」

 ごつり。シンは破損のないヘルメットをルナマリアのそれへとぶつけてきた。接触回線のクリアな音声が彼の意識を伝えてくる。

〈アスランはっ!?〉

「げ、元気みたいね……」

〈何してんだルナ! アスランは!?〉

「く、クロが相手して……とにかくこっち来てよ。またいつ爆発するか……」

 シンは名残惜しそうに愛機のコクピットへ視線を投げたがルナマリアが手を引くと大人しく従う。ルナマリアがシートに収まりシステムを再起動したときにはアスランは敗走し、自分達に近づく敵はクロやステラらに追い遣られ、ザフト軍は残骸と化した〝ゴンドワナ〟すら放棄して後退している。ルナマリアは通信機へ手を伸ばしかけたが先んじてシンが操作し、クロと繋いだ。

「クロ! アスランは!?」

〈……まだ生きてる。が、〝ジャスティス〟の修復には少しかかるだろう〉

「アンタがやったのか? ――いや、じ、じゃあ〝フリーダム〟は!?」

〈付近に反応はない。お前は、どうする?〉

 当然――言いかけてシンは黙り込んだ。〝デスティニー〟は大破、ルナマリアに保護されているような立場で〝プラント〟中枢に征ってどうなる?

〈……オレは〝アイオーン〟と〝プラント〟へ向かう。お前らは〝クリカウェリ〟に戻ったらどうだ?〉

「何言ってんだアンタ! おれは――」

〈キラ・ヤマトを殺したいんだろう?〉

 あっさりとした殺人意志の返戻にシンですら鼻白む。

〈良いんじゃないか。守ってばかりじゃなくって守られたって。何者にも優先して妹さんの仇が討ちたいんなら、ルナマリアに頭下げれば連れてってくれるだろ〉

 クロはこともなげに大切の順位づけを見せつけると黒い機体を闇色の戦艦に沿わせ、〝プラント〟への針路を辿り始めた。

「おれは……」

 シンは光を照り返さない瞳を足下に向け、

「おれは――」

「行こうよシン」

 そしてルナマリアへと向けた。いいのか? おれが何かを求める側で本当にいいのか? 咎人が、罪を償いきる前に人に頼るようなことで――

〈ルナマリアさん、アスランの反応は消えています。〝クリカウェリ〟の護衛に戻ってください。これより〝プラント〟侵攻します!〉

「了解。〝カオス〟帰投するわ」

 応えたルナマリアがウインクを送ってきた。シンは少しばかり鼻白む。

「――で、いいわよね?」

 〝プラント〟へ。暴力を失って尚〝プラント〟へ。

「あぁ……頼む!」

 終わっていない。まだ何も終わっていない。〝プラント〟へ。復讐に猛る心に、決着(ケリ)をつけるために。

 

 

「キラ・ヤマトを殺したいんだろう?」

 シンはその言葉に是と応えたようなものだ。だがクロも、それを譲るつもりはない。

〈クロ、左舷を。突破されています〉

 了解を返す間も惜しむ。クロは〝アイオーン〟の弾幕をすり抜けてきたザフト兵器に急接近すると撃ち抜き斬り裂き追い返す。

「全く。弾幕しかないんだからせめてそれだけは密にしとけよ」

〈この武装ではどーしよーもありません。ただただ足にものを言わせるだけです〉

「なら徹底的に機関最大。〝ルインデスティニー〟ならついて行ける」

 艦へ戻っていく〝カオス〟、援護を失って多包囲攻撃からの回避に必死になる〝ガイア〟への援護射撃を送りつつ〝アイオーン〟のメインスラスターに凄まじい火が入るのを掠め見た。ザフトの防衛ラインも必死だ。こちらの艦も次々脱落し、周囲から火を噴き後退、もしくは爆発しシグナルロストしていく。敵性〝ターミナル〟の中核たる〝アイオーン〟と〝クリカウェリ〟への火線はともすれば赫々たるもの。暗黒の宇宙を埋めつくさん程のビームの嵐。〝ガイア〟や〝ルインデスティニー〟が如何に高性能であっても全てを守りきることなどできはしない。だが、実力を『与えられた』イマジネーター達の実力か、それとも戦場を神の如く俯瞰する〝エヴィデンス〟の戦場操作によるものか、二つの艦は徐々に〝プラント〟との距離を詰めていった。

「〝クリカウェリ〟、N/Aさん、私達はソートさんの開けた穴から〝アプリリウスワン〟へ向かいます。そちらは?」

〈今の雰囲気だと先にボクらが行きたい所ですが……突入5分程後にはそこは最大激戦区になりますよ〉

「〝ターミナルサーバ〟はそう言ってますね。まぁ仕方ないでしょう。覚悟しておきますよ」

 息を飲む気配。ティニは笑った。

〈ではボク達はもうちょっと手の抜けるところで〉

 無数の指示と無数の怒号。その収束点に港がある。〝アイオーン〟は周囲をクロとイマジネーター達に任せながら最大速度でそこへと突き進む。

〈係留するつもりかティニ? 爆発は収まってるのか?〉

「その点はご心配なく。予測する目に抜かりはありません」

 軽口を続けようとしたがクロの切羽詰まった声に掻き消された。艦橋を映していたモニタがホワイトアウトする。ディアナとフレデリカが悲鳴を上げる中、ティニには艦の眼前に立ちいきなり撃ち込まれた大型砲を受け止めた。

 ディアナからの誰何をクロは一喝で黙らせる。

「往生際の悪い……」

 クロは自身の物言いに苦笑した。心臓に刃を突き付けられ、それでも生きたければ往生際も悪くなろう。目の前には〝アプリリウスワン〟の宇宙港。そしてそれを守るように、破損した〝ミーティア〟を構える破損した〝ジャスティス〟。応急修復で埋め尽くされ骨をさらしたその姿、アスラン・ザラの意気以上に鬼気迫るものを感じさせられる。

 一門の120㎝収束火線砲の照準は迷い無く〝アイオーン〟の心臓を狙っていたが、その砲口がこちらに狙いをつけた。

「守りたいものだけは守る。自分がどうなろうとも、か。その根性だけは尊敬に値するな」

〈クロフォード・カナーバ! お前を……! 〝アプリリウス〟へは!〉

「お前を殺すつもりは毛頭ない。洗脳するつもりもな!」

 クロは〝アイオーン〟を置き去り片手のない〝ミーティア〟へ襲いかかった。それでも大型スラスターの瞬間加速力はこちらを上回るだけはある。かなり行きすぎ反転した〝ジャスティス=ミーティア〟が大型砲をの狙いを定める。

「この矛盾しかねぇ世界を目の当たりにし続けろ! 正気がなんなのか、分からなくなったらそれがオレの勝利だ!」

「黙れ!」

 戦艦レベルの火線砲を解き放つ。クロフォード・カナーバ。奴は狂人だ。そう、〝ブルーコスモス〟のような理不尽な理想主義だ。そう断じる心が確固としてありながらいくつも浮かぶ記憶が彼の口から「黙れ」以上を吐き出させない。

 迷い続けてここまできた。その迷い、葛藤、無駄な歩みがあったからこそ自分はキラと再会し、カガリと出会え、メイリンに助けられ――宝と呼べる友人達を得てきた。

「信じるに値する人は確かにいる。だがそれ以上に、信じようとすること自体が愚かなクソ共もいるんだよ!」

 放った〝エリナケウス〟達の爆煙を貫き、前面にビームシールドを拡大展開した〝ルインデスティニー〟が現れる。黒の機体は両肩の〝フラッシュエッジ2〟を両手に握り込ませると一気に〝ミーティア〟の背面へと回り込んできた。振り上げ、振り下ろされた二条の光剣が二つの大型スラスターを切断する。

「――う…!」

 ――だがその一方でラスティ、ミゲル、ニコル、ハイネ……そして母レノア・ザラ――取り戻せないものも歴然としてあった。原因はあの戦争、望む望まないにかかわらず巻き込まれた戦争。一世代前が始めた戦争。もし、ナチュラルの上層部がコーディネイター達を無意味に怖れ、排斥する行為を取らなかったら、彼らは死なずに済んだかも知れない。地球連合が、〝ブルーコスモス〟が、〝ロゴス〟愚かでなかったら――奴らが利己を考えられないイマジネーターであったなら!

「黙れ!」

 その叫びは既に内へと向いている。アスランは動かなくなった〝ミーティア〟を切り離す。予備リフターの推力を頼みに二刀を振り抜いた〝ルインデスティニー〟へと向き直った。

 ――父を説得できなかった。彼は伴侶を愛するあまり、代償として全てのナチュラルの命を求めた。そこに意味はないと息子が叫んでも、聞き入れられず、パトリック・ザラは部下に撃たれて死んだ。自分の言葉を聞き入れてさえくれればそんなことにはならなかったかも知れない。――父が、復讐心制御処置を施されたイマジネーターであったなら!

「ぅうあぉああああああああぁぁ!」

 アスランは恐慌を喚起させる元凶へと全ての武装を解き放った。挙動の鈍い臨時の右腕ではなく左で握ったビームライフル、両肩に担いだ〝スーパーフォルティス〟ビーム砲二門が束ねられ黒い機体へと襲いかかる。

 ――母の死を悼み、ナチュラルを殺す軍人となった。

 ――キラを救いたいと願い、ニコルが殺される要因を作った。

 ――復讐心に猛りキラを殺し、かけた。

 ――父の死を……見ていることしかできなかった。

 ――皆のためを思い、結果デュランダルに利用された。

 ――シンを、殴り飛ばすことでしか説得ができなかった。

 ――俺はラクスの父を殺したものの息子だ。

 ――〈そのニコルさんはあなたのすることを認めてくれるのかも知れませんが、ボクは……怒りを感じます〉ニコルのような何かが自分を睨んだ。

 ――〈アスラン・ザラ! お前は…ザフトを! 己達を狂わせた張本人だっ!〉父の亡霊が自分を糾弾した。

 苦い記憶。そのどれにも、自己を正当化できる言葉など当てられない。それでも守りたいものが! だが――

「アスラン・ザラ……もう休め、お前は、折れている」

 突如襲い来た激震が〝ジャスティス〟の命以外を根こそぎ奪っていった。

 クロは〝アプリリウスワン〟の壁面に叩き付け、動かなくなったアスランから身を離す。見下ろすその目には哀惜が浮かんだ。

 モビルスーツ。人型兵器。兵器。殺し、壊し、また殺され壊されるための道具。傷つき壊れるのは必定だ。だが、人型――自身と近しく感じるだけでどうしてこの姿を哀れと感じるのだろう。クロは心が生み出す解のない不快から逃れるため、意識をもっとも表す部位をライフルで撃ち抜いた。

 頭部を失った〝ジャスティス〟が衝撃と気流に嬲られゆっくりと頽れる。

 新たに出現した敵モビルスーツを撃ち抜きながらクロはティニに語りかけた。

「障害排除。入港できる」

〈了解しました〉

「あとは……〝フリーダム〟……!」

 残る戦闘障害はキラ・ヤマトただ一つ。だが……勝てるのか? 太陽光に対応して星流炉の弱点は消えたと思っていたが、コロニー内でそれを十全に信頼できるかと問われれば疑問も残る。

(いや、……そんなことは問題じゃない……)

 砲に頼った大出力が望めないなら接近戦を挑めばいい。最強人類を力で上回れるかどうかなどより、もっとどうしようもないものが目の前にある。

 キラ・ヤマトの心を折ることは、自分にはできないだろう。

 考え事をする時間など戦場は与えてくれなかった。〝アプリリウスワン〟に迄潜り込まれたザフトはさらなる戦力をこちらに集中してくる。〝ゴンドワナ〟を相手にしていた時には攻手だったステラ達だが今は完全に守勢、いや劣勢に立たされている。離れていった〝クリカウェリ〟からシンとルナマリアが戻ったとしても守りきることすら至難のように思えた。

 ステラを守るために援護射撃を放つ〝ターミナル〟の〝ザク〟。〝アイオーン〟を墜とさんとこちらに凶器を振り上げる〝ザク〟。〝ザク〟対〝ザク〟に埋め尽くされた異常な戦場に辟易する。その激しさに迷う。そんな中、オレが離れて良いのか?

 繋がれた意識はおぞましい未来を幻視させはっきり否と答えてくる。クロは近寄る羽虫を磨り潰す行為を繰り返しながら〝アイオーン〟を一瞥した。その心を読み取られでもしたのか、ティニが笑う。

〈クロは、内部へ。中枢へ。あなたが間違いだと豪語する世界の要を〉

「――だが、だい……」

 無事を問うなど愚かなこと。問いたいのなら戦場などに来てはならない。言葉だけの意見を漏らし、叶わないのなら陰口を繰り返していればいいのだ。

「――解った。……ラクス・クラインの位置、頼って良いか?」

〈お任せ下さい。〝ゴンドワナ〟から出たラクス・クライン……まもなく行政府に到着です〉

「了解した」

 二度目の侵攻。手順も道順も意識せずとも辿れる。クロは〝アイオーン〟の存在を意図して忘却すると宇宙港奥へと潜り込み、中央シャフトに進み出た。途端に吹き付けてくるコリオリ気流と徐々に手を伸ばしてくる遠心重力に対応しながらクロは敵を求めた。今も撃墜した無数の相手ではなく、絶対の壁として立ちはだかる敵を求めた。ふと、思う。これが神の心地か。優劣を付け、劣を蔑むどころか無と扱う。だが宗教家の描く神は万民を愛せる存在だという。神とは、なんだ? そして愛とはなんだ? 隣人にすら心を開けず人を導く方法を『制御』と定めた自分には到底答えのでない問いかけ。

 この戦いを始めてから幾度となく言われてきた。お前は狂っている。だが心は揺れなかった。世界の方こそ、人類こそ狂っている。狂わせることでしか平衡には行き着かない。

「だが、もしこう言われていたらどうだろう……オレは、誰かを本気で好きになったことがあるのか?」

 屁理屈で塗り固めたはずの男が自己の正当化すらできなかった。動揺が指先にまで現れ〝ルインデスティニー〟が大きく傾ぐ。それが結果として敵のビームを回避したが、それは運命というものなのか。価値ある命はいつまでも生かされ価値なき命はつまらないことで消えていく……。

 愛を至上という声がある。ならば愛など知らない自分を救う運命とはなんだ?

 魂は尊いと言う声がある。ならばその意味から書き換えかねない自分の行いを通す――否、思いつかせる世界はなんだ?

 アスランは守りたいと願いながら倒れていった。オレにはそんなものはないのではないか? ここの場所に来るために、〝アイオーン〟を無視することができてしまった。

「あぁ…それが悪だというのなら、オレの心を書き換えろ世界」

 心が産み出す認識…認識で成り立つのが世界と言うのなら認識こそが神なのか? 万民を愛し万民を圧殺し万民を監視しながら万民を無視する。それが認識……あぁオレが殺そうとしてるのは、神か?

「…………幻想を賢さと取り替えきった今の人類に……神など必要ない」

 悲しいが、必要ない。知性体たる存在は、奇跡を解き明かしすぎた。

〈クロ、ラクス・クラインが行政府に到着。目前に〝フリーダム〟。気を付けてください〉

「了解した」

 有象無象を駆逐し〝アプリリウスワン〟の中心へと。求め続ける。青と白の、翼広げる歌姫の守護天使を。

 指定ポイントに辿り着き、クロは息を飲む。そこに天使はいなかった。

「……なんだ、あれは」

 行政府目前。そこに〝ストライクフリーダム〟がいる。だが青と白の守護天使はいない。〝フリーダム〟は全身を真っ赤に発光させさながら鮮血に染まった姿のような凄惨極まりない圧迫感を振りまきつつ、そこにいる。

「ティニ、なんだあれは? 〝フリーダム〟はどうなってる?」

 返答には間があった。

〈マイクロウェーブです〉

「なに?」

〈コロニーと太陽光発電パネルの間で送電やってるアレです。〝デュートリオンビーム〟の応用のようですね。コロニー自体をミネルバ級のデュートリオンアクセラレータとして扱い、動力炉以上のポテンシャルを獲得。可変相転移(ヴァリアブルフェイズシフト)装甲のシフト率がハイパーになった結果血ィ流してるようです。博士の技術の猿真似ですね〉

「コロニーのエネルギーが〝フリーダム〟に、か!」

 コロニーをリアクターとした〝フリーダム〟はこちらを認めるなり急迫してきた。

「う!?」

 瞬間移動と見紛う挙動。全身から黄金の粉をまき散らす〝フリーダム〟のスピードに虚をつかれ、ビームライフルの二連射をかわしきれずに被弾する。エネルギーメーターに目に見えるほどのダメージが走った。

「ここまでだ黒の〝デスティニー〟! ラクスの所へは行かせない!」

 クロはバックステップを踏みながらビームライフルとハイブリッドCIWSを時間差で〝フリーダム〟へと浴びせかけた。ライフルは回避されても機関砲の嵐がその装甲を打ち据えたが気にした様子もない。理論的にも同じものだ。装甲性能は完全相転移(トルーズフェイズシフト)と遜色ない、同等以上のものらしい。

 ならばそれを突破できる術を選ぶだけのこと。〝フリーダム〟と〝ルインデスティニー〟が同時に腹部を突き出し、互いの異常動力からMGX‐2235〝カリドゥス〟へ猛火を注ぎ込み解き放つ。二つの赤光は真っ向から激突し、巻き起こる衝撃波が付近の建造物をあらかた吹き飛ばした。

「凄まじい力だ。……流石最高のコーディネイター。だがその力で世界を救えると思うか?」

「あなたは何一つ救ってない。反対する意志を力で抑え付けて統一しようとしているだけだ! 今の、間違ったトップと何も変わらない!」

 一般市民は皆避難済みだろうな…などと思っても詮無き心配がよぎる。強靱なフェイズシフト装甲を突破するためには出力が過度にならざるを得ない。〝フリーダム〟と〝ルインデスティニー〟、互いに手を抜く理由も余裕もない。人型兵器の踏みしめた先で、建物がまた蹴散らされる。

「成る程。オレが無理矢理ってのは一理ある。が、どっかの教えで世界が負の気に晒されてるとそっち方向に引っ張られちまうってのがあった。悲観的に考えてばっかりいる今の人間を救うには、無理矢理にでも希望を示せる奴が必要だ。例えば……教祖様って奴とかな」

 ビームライフルを乱射したが跳ね返されるどころか当たりもしない。二つの機体はそれぞれライフルをラッチにマウントすると〝フリーダム〟は〝シュペールラケルタ〟ビームサーベル、〝ルインデスティニー〟は〝フラッシュエッジ2〟サーベルを手に真正面からぶつかり合った。

「なにを…!」

「そいつのぶち上げる内容がペテンだろうが構わない。皆が信じ、未来に光を見いだせれば。大ボラ吹きでもそいつは救世主(メサイア)となれる。金をむしり取られていながらもそれを是とするほどの救いを……得られる。

 世界規模でそれが起きたら、皆が皆騙されてても悲観しない世界にはなるんじゃねーか?」

 互いのビームシールドを犯しながらも殺意を通さず拒絶する。

「あなたが、救世主だと言いたいのか!?」

 弾き、返す。クロはビームシールドを収めながら殺意には反応せず彼の言葉に嘆息を漏らした。

「お前がそうだって言いたいんだよ。未来に光を見いだした、だが照らした先には敷かれたレールどころか道すらない。それが今のコズミック・イラだ。

 救世主が世界を救ってそこで終わりなら何の問題もねえ。――だが、残念なことに何かが終わっても世界は存続している。個人の世界が何度終わっても、人類の世界はしぶとく長らえ続けている。お前が救世主で、今まで世界を救ってきた。これはオレは認める」

「人を、駒としてしか扱えないあなたが! あなたは平和を求めてるんじゃない……。ただ面倒なく動く工場が作りたいだけだ!」

「個人の平和なんか問題にしてねぇ。それが工場だって映るんならそれはお前の勝手だがな。

 お前らは二度の対戦から世界を救った英雄だ。頑張ったんだから後は自由になりたいってのも、正論ではある……。だが、そこで終わっていいのかよ? このまま人類を道のねぇ場所に放り出して、今より良くなる保障がどこにある?」

 装甲越しに伝わる念話からはキラの呻き声は聞こえなかった。初めから心を閉ざしている。詐欺師の言葉に惑わされまいと。当然の反応とも思えるが、それはお前の言う互いが分かり合う世界の可能性を、摘み取っていることに他ならないのではないか?

 クロが苦笑すると同時に〝アプリリウスワン〟に激震が走った。こちらの言葉ではどうしても引き出せなかった呻き声が彼の口から漏れる。

「ガーティ・ルー級!? 〝アプリリウス〟が!」

 クロもサブモニタを引き寄せると宇宙港からかなり離れた天井部分で自己修復ガラスの崩落が起きている。自動的に補正処理され鮮明になった破壊現場にクロは頷いた。〝クリカウェリ〟が、あろう事かその機首をコロニー壁面に突き刺している。開け放たれたハッチから数機のモビルスーツが侵入を果たしたのを認めキラが絶望的な声を絞り出していた。

「ほらほらよそ見してる余裕はねーぞ!」

 侵犯した〝カオス〟他数機は膠着から抜け出せないこちらを横目に行政府へと近づいていく。ザフトの部隊が新たな侵入者を抑えに接近していく様を横目にしながらキラはマルチロックオンシステムを跳ね上げた。一度に数十の敵をロックオンし、多数敵の瞬間殲滅を実現させるそのシステムに、キラは〝ルインデスティニー〟を連続してロックオンさせた。

 8基の〝ドラグーン〟ビーム突撃砲、2丁のビームライフル、1門の腹部複相砲、さらに2門の電磁レール砲の計十三、その一つ一つがモビルスーツの装甲を貫くに充分な破壊力を有している。ともすればトリガー一つで十三機を落とすフルバーストが、〝ルインデスティニー〟を包み込んだ。

「変わらない未来、信じられない人たちに囲まれて……それで本当に――」

(痛っ…)

 ――瞬間、クロの脳裏に痛みが走った。ロックされた、その瞬間、アラートが鳴るより早く『意識』がその未来をクロへと刻み込んでいた。行動に繋がる思考もない。

 ロックオンから射撃へ移る僅か過ぎるラグ、異常動力がもたらす瞬間加速をかけたところで向けられた無数の閃光から逃れられるものではない。自身を文字通り囲い込む絶対の死に対し、クロの指先は全身にミラージュコロイドを散布していた。

「――命が、生きていると言えるのかっ!?」

 キラがトリガーを引く数分の一瞬前、感知可能存在が消失した。あらゆる感知波を吸収もしくは無効化するコロイド皮膜はロックオンの意味を掻き消した。自動追尾機能を失った射撃兵装は〝ルインデスティニー〟の僅かな急制動にもついて行けず空を貫く。

「!」

 ミラージュコロイドとフェイズシフト装甲の併用はできない。この機体の対〝フリーダム〟思想の中に今の回避方法も検討されていたが被弾の可能性をゼロにできずダメージばかりを確定倍加させる以上使用する気など起きない構想だった。クロはそれに恐怖することもなく、キラの驚愕へと追いつきビームブーメランを投げつける。

「打算で成り立つこの世界、胸襟開いた方が馬鹿だと言われない保障がどこにある! それで人を信じろだと? ふざけたこと言ってンじゃねえっっ!!」

 高速で迫り来る光刃を展開したビームシールドで殴り返す。

「誰も信じようとしないから! 誰も君を信じないんだ! 何でそれが解らないっ!?」

 弾き飛ばしたビームブーメランは途中で無線制御に掴まり〝ルインデスティニー〟の肩口へと帰って行く。キラはそれを追うように剣を手に脅迫する。コロニーの力に支えられたビームサーベルは更に太く更に長く更に暴力的な印象を見るものに刻みつける。それは印象だけに留まらず凄まじい破壊力を束ねているのは疑いない。

「自由を捨て去った世界には、閉塞しかないんだ! 夢を――欲望を掻き消してまで、人は生きていけない! 命だけ残っても、死んでるのと同じだ!」

 刀身を回避、しかし至近で放たれたレール砲の衝撃からクロは逃れられなかった。痛みを感じていた脳が揺さぶられクロは視界が白むのを感じた。が、その目から光は消えない。むしろ黒く、濁りようのない純粋に染まっていく。

「それが答えか」

「あなたには、人を導けない――!」

 純粋な黒が赤い守護神を睨み据えた。

「未来に対して希望という解答しか出せないお前達に世界は救えない」

 至近に迫った〝フリーダム〟の刃。シールドは間に合わずそこに〝メナスカリバー〟を差し込むしかなかった。だが膨大化したビームサーベルは粒子砲すら受けきったガンメタルの刀身にに食らい付き、わずかな抵抗をものともせずに通り抜ける。彼方へ飛んだ巨大な切っ先がビルにぶち当たりまとめて倒壊させた。

 抜けた刃。だが〝フリーダム〟の左手にはもう一振り。

 頭頂目掛けて振り下ろされる一閃。闇の装甲でさえ無事では済まない破壊力が人工太陽すら圧して光り輝く。

 クロは折れた〝メナスカリバー〟を振り上げながらそのリミッターをカットした。刹那鍔元の発信器から頼りなく漏れていた赤い光刃が盛大に膨れあがり白にも近い蒼に染まる。瞬く間に三角錐を形作った光の剣は相手のビームサーベルを湾曲させ、発信器までも飲み込んで破壊せしめた。振り抜かれた光の巨剣が濁った風切り音を立てた。

 並の相手ならばいきなり伸びた青い刃に対応しきれずサーベルどころか機体まで貫かれ戦闘不能になっていただろう。しかし未来を見るかのごとく機体を操り身を翻した〝フリーダム〟は左のサーベル発信器を投げ捨てただけでダメージらしいものはない。刃を避けるため距離をとり、〝ドラグーン〟端末を開放した〝フリーダム〟は再び目にも停まらぬ速さで迫る。

「あなたは、考え直すべきだ……!」

 斬られてからでは意味がない。繋がる意識は迷わなかった。そしてクロも、迷わなかった。伸びた指の先にはノストラビッチが封印した力がある。

 クロの頭の左片隅で何かが弾ける感覚、〝フリーダム〟が刃を振り下ろした先から、今の今まで存在していた〝ルインデスティニー〟が掻き消えた。

「あ、!?」

 互角では意味がない。死力を尽くして戦い合い芽生える友情など願い下げだ。分かり合うことを拒む敵、その存在を知れ。

 黒の〝デスティニー〟、そのフレームが漏らす鈍色の光が激しくなる。

 死角からの警告音。キラは飛来したビームを回避したが銃口を向けた先に敵はいない。

「自由が大切だとお前は言ったな……」

 キラはマルチロックオンシステムと熱紋センサーの双方をもって索敵を試みたが、光点を捉えられるのは刹那、破れかぶれに全方位へと迸らせたビームと実弾の嵐も敵に擦った様子もない。

「オレのやってることを考え直せと言ったな」

 蒼い光が視界の隅を掠めた。センサーに何も返らないがそれでもキラの危機感は操縦桿を引き倒していた。

「人を機械の歯車として扱う。確かにオレのまとめ方は〝デスティニープラン〟と大差ない」

 それでも、遅い。AMBAC機動のため広げられていた〝スーパードラグーン〟機動兵装ウイングのプラットフォームが斬り裂かれ、その衝撃に蹈鞴を踏まされる。

「個性があるから排斥される。妬み、うらやみ、憎み合う。平和を求める軍神さんは、この人間のどーしよーもない点を、如何お考えか?」

 再び衝撃、キラの危機感は何とかそれを先読みしビームシールドを刃の間に差し込んでいたが、ビームサーベルを整える機巧から破壊する蒼い光剣は絶対防御をも貫きその腕ごと粉砕せしめた。

「なっ!?」

「心は心を裏切る。自由じゃ、希望じゃそれを止めることはできない。だからお前にはオレの考えを否定することなんてできねェよ」

「そんなことは!」

 腕を落とされながらも〝フリーダム〟は反撃に転じた。攻撃を受けはしたが一瞬とは言え敵の動きを止められた好機、腕のあった場所へ膨大化したビームサーベルを振り下ろす。しかしそこに手応えはない。

「オレという思考を生み出したのはその自由だ」

 〝フリーダム〟が胴から一刀両断される未来を見た。サーベルで仕留められなかったキラはその未来に戦き必死に機体を引き戻す。

 行き過ぎた〝ルインデスティニー〟が虹を広げ、今右から左へ貫いていく。キラはそれを辛くも回避したが高速で過ぎたはずの殺意が返ってくる。〝ストライクフリーダム〟がフレームから黄金光を吐き出し更に機体を押し出した、が、元々このシステムはフレームを瞬間フェイズシフトすることで機体に無理をさせ加圧を光として逃がすもの、長時間の連続使用が利くものではない。左から右へと貫いていく蒼を纏った黒い光。負荷に悲鳴を上げるフレームはキラの意図を理解はしても追いつけなかった。両断されたのは左腰部レール砲兼AMBACユニット。

「〝メサイア攻防戦〟の折り、デュランダルの意志全てを消し去っていれば〝ルインデスティニー〟なんてお前らの平和を脅かす存在は現れなかっただろう。

 マイナスの……そう、滅びの可能性すら放置する……それが自由の責任だ」

 キラは遅まきながら気づく。気づいて、戦慄する。バランスの変わってしまった機体状況を瞬時に把握し、パラメータの瞬間変更を終えたキラだったが、頭の中ではOS項目とはまるで関係のない過去の存在が反響を繰り返していた。

 

「――今ここで私を撃って、再び混迷する世界を君はどうする?」

「――覚悟はある。僕は……戦う!」

 

 これが覚悟の代償なのか?

「オレは、お前にとっての悪だ。そんなオレを、お前はどうする?」

「僕は――」

「オレが、〝フリーダム〟を操るキラ・ヤマトだったなら、〝ルインデスティニー〟のクロフォード・カナーバなど許すに値しない。絶対に殺す」

 視界から消える黒の〝デスティニー〟が覚悟を問うてくる。キラはそれに即答できない自分に苛ついた。彼の主張に首肯できるものは一つもない。それでも言葉が出てこないことに苛立ちが募る。

「お前はオレに死ねとは言わなかったな。考え直せ、と。本当に信じられるのか? 他人を、悪心を、お前らを批判する群衆までもを! オレがカガリ・ユラ・アスハを射殺しかけたときも、話し合えば改心すると本気で信じられたのか!?」

 それは壁だった。どう言葉を弄そうとも貫けない、意識を抑え付ける心の壁。あらゆる敵意を貫いてきたキラの技量を持ってしてもそれを粉砕することは愚か貫通することもできそうにない。

「他人を信じて、人生丸ごと潰された奴を見たことがある! 相手がこっちを貶めようと考えなかったとしても、裏切らざる状況を作ることがある。もちろん端っから騙すつもりで近づく奴もいるな。世界は傲慢で理不尽で勝手だ。個人の不幸に対応しちゃくれねえ!」

「信じたお陰で、救われたこともある……!人の心はどんなに汚しても、それでも誰かを助けられる! どんな相手も、無償で許せる心はあるんだ! あなたの考えはそんな人達までまとめて殺してしまう……。目の前の誰かが持っているかもしれない良心を、信じられないのか!」

 自由に対する責任――真紅に染まる〝フリーダム〟は息を止めながらも続く殺意をやり過ごした。〝ルインデスティニー〟の瞳を見つめながら思う。彼自身も人であるはずなのに、どうしてそこまで人間を否定できる?

「目に見えない心を信じることは、本当に素晴らしい行為なのか? ただ自分のやりたくないことを押しつけながら、そんな汚さから目を背けたくて綺麗な言葉で飾ってるだけだとは思わねぇのか?」

「なら! 疑い続けることで何か生み出せるって言うのか!? あなたの言い分は極端だ。僕らは、人は、そんな単純な位置に立ってない!」

 急降下する〝フリーダム〟に追いすがる。蒼い砲塔が〝ルインデスティニー〟の周囲を取り囲んだが虹を吐き鈍色を吐き更に加速する黒の力には擦りもしない。極大化した知覚は三次元上に張り巡らされたレーダーにもとらえきれない小型の脅威を全て読み取り剣の一振りでまとめて払い落とす。

「平行線だな。オレ達はやはり敵同士だ。相容れない」

 クロは眼を細めたままニヤリとした。人は、平安がなければ生きていけない。だが無茶をしなければ進歩がない。二人だけのこの戦場は……人間そのものじゃないか。

 わからない心を否定し究極の停滞たる『平和』を望むクロ、対して不確定だが現状に満足せずより良くなる『可能性』を信じるキラ。二つがせめぎ合い互いを否定し次へと進む。鋼の鼓動に包まれヒトを表し続ける自由と運命の闘争は『撃苦しく』すらあった。

「終わりだキラ・ヤマト!」

 そう叫ぶ。クロに余裕があったわけではない。〝バースト・シード〟システムを発動させてからエネルギーメーターが急下降している。奴を手玉にとれるのもあとわずか――それでもクロはそう叫んだ。

 地に足をつけた〝フリーダム〟へ左手で抜いたビームライフルを撃ちかける。敵機は辛くも回避するが、万全からは遠く離れた機体状況でそれ以上は不可能だ。如何なる装甲も無為に変える魔剣が命へ降りかかる。もし万が一剣が限界を迎えても今の〝フリーダム〟が〝パルマ・フィオキーナ〟の直撃に耐えられる道理はない。この一撃が、世界を終わらす!

 ビームライフルの一閃を飛び退きかわしたキラだったが、着地の衝撃に、機体の膝が折れた。

「う!?」

 呻きはそのまま激震に化ける。巨大剣を手にライフルを捨てた〝ルインデスティニー〟が〝ストライクフリーダム〟の顔面を乱暴に喰らい込み落下の勢いそのままに押し拉ぐ。組み伏されながらも生きているビームサーベルを振り上げたが逆手に構えられた対艦刀の切っ先がこちらを貫く方が絶対早い。キラは息を飲んだ。諦めきれない。恐怖に閉じそうになる両瞼を賢明に押さえつけ、残された刃を振り抜こうとする――

 衝撃は別の方向から叩き付けられた。

「ち!!」

 振り上げた蒼い刀身を大きすぎる質量弾が貫通していった。究極の破壊にさらされたそれは原形も留めず無残に千切れ果てたが、それはどうしようもなくクロの意識を引き寄せる。五体のほとんどを失った〝ジャスティス〟がリフターすら失い危なげなく浮いていた。リフターに貫通された刀身は過負荷に耐えかね消失している。勢い余って振り下ろした柄は〝フリーダム〟のアンテナを叩き折るに留まる。

「だが、まだだ!」

 アスランは最後の力を怨敵に直撃させること叶わなかった。そして自分にはもう一つの武器がある。力及ばず友が倒れる――オレと同じ苦しみに溺れのたうつ――そんな感情を味わうのはお前が人類最後になる。

 仰け反らせた首からコクピットおよび動力部までは一直線。ゼロ距離で放たれた星流炉直結型掌部ビーム砲はザフトの力と希望の象徴を真っ向から両断する

 ――はずだった。

 甲高い警告音が悲鳴のように脳裏を劈く。敵を握り抑え付けながらクロの胸中に冷たいものが落ちた。

「バカな!」

 エネルギーゲインがレッドゾーン。帰還するだけのエネルギーを確保しようと大出力に次々とリミッターをかけていく。命など要らないこいつに思いを叩き付けられれば! そう願うクロの心を〝ルインデスティニー〟が裏切った。空間を滲ませる力なき音と共に闇色の装甲が鉄に変じる。電圧を受けないフェイズシフト装甲材など炭素素材にも及ばない。

 握りつぶしかけていた〝ストライクフリーダム〟の両目がギラリと光る。

「ありがとう、アスラン!」

 コロニーを飲み干す敵機に力負けした。振り解く〝フリーダム〟を拘束しきれず逃がす。

「平行線、なのか? あなたはどうしても、わかり合うことを拒むのか!?」

 これが凡人と天才の差だというのか! 底上げの限りを尽くしてなお軍神には届かないのか! 呼吸もできず犬歯をむき出しにしたクロは今を模索した。何も浮かばない。そして過去を悔やみ尽くす。ベストな戦いを貫いたという自負があっても結果が伴わなければ恨み尽くす。

「だったら……っ! 僕にも覚悟はある!」

 殺意!

 クロと『意識』は全力で回避を命じたが全身から砲塔を撃ち出す全方位の牙に抗いきれるわけがない。数秒前なら無視できたはずの光の折が全身を打ち据え〝ルインデスティニー〟のコクピット内で終ぞ聞いたことの無かった断続的な危機警報が焦燥を掻き回す。

「僕がこの手で、あなたを斃す!」

「今更何をほざく!? 兵士にもなりきれない殺人者がっ!」

 満身創痍で光子の格子を突破したクロはビーム砲の仕込まれた掌を突進する〝フリーダム〟に突き付けたが――トリガーを引いても作動しない。

 神速。放てなかった敵意を通り抜けビームサーベルが懐にまで、来る。

「あなたは…あなただけはぁっ!」

 殺さなければならない。壊さなければならない。キラは注視していた部位を『頭と両腕』から『身体の中心』へとシフトさせた。視線はそのまま死線となり、敵を貫く軌跡を描き出す。

(コロニーに気兼ねしてる場合じゃねえ!)

 生命の限界で生きるには思い遣りなど余分になる。哀しい。そう思いながらも、自己以上に見ず知らずを優先させることなどできはしない。〝イマジネーター〟でもない限り。クロは目元を歪めながら足底アブソーバーのパラメータを最大値に書き換えた。〝ルインデスティニー〟が踏みしめるその先から大地が一気に腐っていく。

 心臓に突き立てられたビームサーベルが脇腹を掠めて通り抜けた。変わらず空間の隅々へ意識の触手は伸ばせられるが高速で突き出される連撃に抗する回避は紙一重にならざるを得ない。削り落とされ弾き剥がされる装甲片が腐った大地に沈みかける人の造物に次々降り注ぎ、コーディネイターの中枢を地獄へと塗り潰していく。

 だがそんなものに構ってなどいられない。

「まだだ、まだ死ねるか!」

 引き絞り絶叫する喉。脅威を連続して脳に送り込んでくる『意識』とは裏腹にクロは戦い続けた今までを追い続けていた。あぁ自分が殺してきた奴も皆が皆「まだ」だったろう。それを無視し続けてきた男が願う台詞じゃない。

 ならば死ねるのか? 冗談ではなかった。斬り捨てた者達にこそ謝罪する気持ちはあれ目の前の軍神には頭を下げる謂われなどない。数瞬の接地では無敵を取り戻すには至らなかったが一矢報いる力は得られた。AIにリミッターの拘束を厳命、縋りたくなるビームシールドも抑え込み残る炎を掌に集める。〝フリーダム〟のコクピットへと破壊の右手を突きつける。

 〝ストライクフリーダム〟が紅いコクピットハッチを握り込まれるのと〝ルインデスティニー〟が左脇腹に膨大刃を振り当てられるのは同時。脇腹から首筋へと打ち上げられる光刃、握りしめた掌ごと眼前を打ち砕く光波。

 落下したなすすべのない男は二つのモビルスーツが光に消える世界を目の当たりにした。

 

 

「うっ……く」

 意識を失っていたのはどれくらいなのか? まだラクスは無事でいるか? はっとしたキラは操縦桿に手をやりかけて操作する前に無駄を悟った。ほとんどのモニタがノイズを返す中、生きているわずかなものに世界を震撼させた黒い〝デスティニー〟の屍が映っている。そしてその背後、自己修復ガラスの鏡面に鎖骨より上を吹き飛ばされた愛機の姿……。腹部短身砲〝カリドゥス〟が不測の事態を起こした場合を見越し、その直上に位置するコクピットは超高精度の鏡面壁と起動時に発生するエネルギー防壁によって過剰なまでにガードされている。その防御機構に救われたらしい。だがキラが身じろぎするとコクピット上部が薄膜も残さず割れて降ってくる。外したヘルメットは高熱にあぶられ形が変わっている。もしを思えば機体の頭部とともに蒸発していた自分の身……キラは息をのみ収まらない冷や汗に押されて吐きだした。

「っ……あ、ラクスは!?」

 上空にはまだガーティ・ルー級の開けた穴がある。先刻目にした部隊は行政府へ到着してしまったのではないか? それに、死ぬはずだった自分に最後のチャンスを与えてくれたアスランは? 懸案事項が多すぎてキラは再び自失しかける。慌てて弄った通信装置はそのほとんどからノイズを漏らしたが、遠雷のような声がどこからか聞こえてくる。ボリュームを最大にしても時折ノイズに飲み込まれる囁き声だったが、彼はその声に飛びついた。

「アスラン!? 君、無事?」

〈お前が無事か……。キラ、お前は動けるか?〉

「う…ん…。〝フリーダム〟は……ダメみたい。〝ジャスティス〟は?」

〈……〝ジャスティス〟には無理をさせすぎ――ぅっ……〉

「アスラン?」

〈く……俺もすぐに行く。だが俺のことなんかどうでもいい…キラ、お前だけでも先に行くんだ……〉

「でも……」

〈ラクスが奴らの手に落ちたら…何もかも終わりだ〉

 反論はそこで遮られる。悩み事は無数にあろうとも優先事項は付けざるを得ない。ラクスが今の世界の要。その事実は揺るがせられない。

〈行け〉

「……わかった」

 アスランの無事は気になる。だがラクスを放り出すことはできない。キラは役に立たなくなったヘルメットで天井を砕き〝フリーダム〟の胸部から這い出すと頭を巡らせた。墜落した〝ジャスティス〟が何かを求め、得られなかったかのように手を伸ばし倒れる様が胸を突き刺したが、アスランは言った。行けと。

「ごめん、アスラン!」

 キラは〝フリーダム〟から飛び降り、コーディネイターの中枢目指して駆け出した。

SEED Spiritual PHASE-123 曖昧な悪心

 

「みんな、あとは任せるわ!」

 ルナマリアはちらりとサイドモニタに目をやった。あれは頂上の決戦だ……。キラ・ヤマトとクロの侵し合い。目を眇めたところで把握できるものではない。あまりに、速くそしてあまりに激しすぎる……!

〈待て、おれも……!〉

 あれに構っている場合ではない。自分も、そしてシンも。むしろ今〝デスティニー〟が使えない状況に感謝したくなった。力があれば、彼は彼処に行ってしまう。

「解ってる! もっとこっち来てっ!」

 ザフトの〝ザク〟が撒き散らす乱打を躱す〝カオス〟と〝ウィンダム〟が〝プラント〟の中枢に取り付き、腰を折って項垂れた。その胸部ハッチが開き、ルナマリアとシンを吐き出す。

「シン、行くわよ」

「ああ!」

 ルナマリアは短機関銃Vz93を、シンは小銃AK112のマガジンを引き抜き弾を確かめるとお互いを見つめ頷きあう。

「……おれ達が最高評議会に攻め込むなんてな……」

「……言わないの。これが、時代って奴よ」

 ルナマリアは自分でも信じていないような言葉で誤魔化すと、場所は知っていても入ったことのない扉へと足を踏み入れた。

 誰も、いない。毛足の長いレッドカーペットが視界を拒む闇奧へと続いている。

「誰も、いないわね……」

「あぁ。全員避難したみたいだ」

「なるほど、――って…護衛の人も?」

「戦える奴はみんなモビルスーツだろ」

 やたらと確信めいて呟くシンにルナマリアは眉を顰めたが構ってはいられない。護衛がいないなら好都合であるが、それを信じるには根拠に乏しい。

「行くぞ」

「え、あー、うん」

 やはり彼には確信があるのか隠密よりもスピードを重視した挙動でレッドカーペットを突き進んでいく。銃を構えてはし続けても妨害がない。

「シンは、議長に呼ばれたりしてここに入ったことあるの?」

「いや。おれが議長に呼ばれたのは〝メサイア〟だぞ」

 彼女もそう記憶している。ならばその迷い無き先導の仕方は何なのだ?

「クライン議長の居場所、知ってるわけ?」

「何となく、わかる」

 シン自身も眉を顰めたが相変わらず足取りによどみはない。ルナマリアも見渡す内に記憶と合致する景色が現れ始めたが、ルナマリア自身ここに足を踏み入れたことはない。メディアというものは恐ろしい。他者の作品だというのに自分のものかと錯覚してしまうとは。

「……羽根鯨」

 ルナマリアは思わず銃を下ろしていた。ファースト・コーディネイターの持ち込んだ地球外生命体の証拠品(エヴィデンス)……。ティニセルというもっと具体的な〝エヴィデンス〟を見せつけられたルナマリアにとって、この白骨は……人に可能性を見せるものではなく――

「こう言う特殊なのが、戦争の発端なのかもね……」

 誰かが言っていたような気がする。もしかしてクロだったか? 平和に生きるためには、夢は余分だ。ルナマリアは考えがそちらに引きずられていく自分に苦笑を漏らした。

「ルナ」

 小声とサインを送ってくるシンにルナマリアは息を潜めた。シンが指さすその先には――護衛らしき人影がある。

(じゃああの奥に、ラクス・クラインがいるってこと?)

 シンの感覚に舌を巻きながらルナマリアはサブマシンガンの安全装置を確かめた。この奥に、世界の要がいる……。世界を変えるかもしれない引き金を手にし、ルナマリアは苦すぎる唾液を胃の奥へ押し込んだ。

 

 

 侵入者達に対して大きく出遅れた。首を刈られ動かなくなった〝ストライクフリーダム〟と俯せに突っ伏し力を失ったアスランを残したキラははやる心を押さえ込みながら乗り捨てられたモビルスーツ達を横目にする。

「ラクス……」

 拳銃の安全装置を確かめ、行政府に踏み込んだ。レッドカーペットを何度か踏みしめ、思い至って弾倉を取り外し確かめる。殺戮の力は充分だが、ここに忍び込んだらしい破壊者を押さえ込む自信はキラにはなかった。思い返してみれば、生身の自分は自分は守られてばかり。そんな自分に、身一つしか残っていない自分に誰かを守ることなどできるのだろうか……。

「ラクス……。無事でいて」

 〝ゴンドワナ〟から脱出したラクスはここの執務室で指揮を執っているはずだ。キラは目的地までの最短距離を思い描き角に視線を投げながら走り出す。

 角を三つ、曲がった。そこでキラは思わず足を止める。人の気配を感じ突き付けた銃口が……小刻みに震え出す。そこには思いも寄らなかった人物が彼を待ち構えていた。

「やぁ。久しぶりだ。本当に久しぶりだなキラ」

「な…………さ、サイ…!?」

 〝第二次ヤキン・ドゥーエ戦役〟以後連絡すら取ることの無かったかつての学友がそこにいた。サイ・アーガイル。彼は今まで見つめていた端末を足下に捨て落とすとあまりに友好的すぎる微笑みを向けてきた。

「どうして、ここに?」

「俺がここにいちゃいけない理由があるのか?」

 捨てられた端末。視線を投げている間に彼の笑みは更に穏やかに、更に深くなっていた。そして空いた手には殺意しか示さない道具が。キラは自身もそれをぶら下げながら息を飲んだ。

「き、君は……」

「ああ『反クライン派』だよ。L1第8〝ファクトリー〟が今の俺の仕事場だ」

「どうして?」

 サイが空いた手で眼鏡を押さえつけた。そのまま心を持て余し目元を覆う。口元に浮かぶ笑みだけがそこに意志を残した。

「キラぁ……お前がそれを聞くのか? 俺に? 何でもできるコーディネイターのお前が、やれることの限られた俺に?」

 銃口が震え、撃鉄の弾ける凄まじい音が回廊に轟いた。

「キラ……お前は以前、俺に言ってくれたよな。お前に出来ないことを、俺が出来るって。

――お前が思う俺にできることって、何だよ?」

 サイの声に涙の気配が混ざる。キラは怖ろしさに苛まれ息を飲み二の句が継げなくなる。

「お前は俺のことをこう思ってるんだろう? 世界を混乱させるような〝ターミナル〟に所属して、汚れたって。だったらお前はどうなんだ? 俺から何もかも…。本当に何もかも奪って自分は軍神にまでのし上がったような……お前は!」

「ふ、フレイのことは……」

 後ろめたさが目をそらさせる。彼には自分を糾弾するだけの理由がある。だがその中でもっとも重い物だと思っていた理由を彼は一蹴した。

「そうじゃない……! あれは、悔しいけどフレイの意志でもあっただろ。そんなんじゃないんだ! お前は〝デスティニープラン〟を完全に殺した! それが許せないんだ!」

 キラは友人が何を言っているのか理解できなかった。

「な、なん……どういう意味だ? あの時は地球にいたはずの……いや、そうじゃなかったとしても〝ターミナル〟にいたはずの君が、どうして〝デスティニープラン〟を!」

 デュランダル議長の率いていたザフトに関係していたのなら話はわかる。だがなぜサイのような人間が〝デスティニープラン〟を? キラには理解が及ばなかった。それを悟るなりサイの赫怒は心の仮面を突き破る。弾けた銃弾はキラを通り過ぎ柱に当たってどこかへ消えたが、彼が撃つはずないと信じていたキラの心には風穴を開けていた。

「全くわからないみたいだなキラ……。俺が〝デスティニープラン〟に縋っていたのが、馬鹿みたいか? そんなにも滑稽かよ……?」

 デュランダル議長の示す世界に縋っていた? サイが?

「俺は自分にできることを知りたかった」

 銃声。キラは今度こそ突き刺さるはずだった殺意から飛び逃れた。

「っサイ! やめるんだ!」

「あぁ俺は汚れたよ。だがお前が俺の居場所を奪ったからこそこうなったんだ! 〝デスティニープラン〟で、俺の最も役立つ何かが見つかっていたら、反政府勢力なんてのに身をやつすことなく暮らしてた!」

 更に銃撃。反撃することなどできないキラは徐々に逃げ道を狭められる。銃弾の軌跡がある程度予測できてもそれだけではサイを留めることができない。彼が投げつけた真実に、知らずにいたなら何も感じなかった真実に打ちのめされたキラに、サイを害する勇気など持てなかった。退路を断たれたキラにサイは更に詰め寄ってくる。形だけでも友好的だった仮面が剥げ落ち醜悪なほどの悲しさが崩れた笑みを彩っていた。

「あの戦争のあと、みんながどうなったか、お前知らないだろ? お前だけが傷ついたなんて思うなよ」

 トールが死に、彼の父は人生を捨てる程狂った。

 カズイは自分がみんなを見捨てたという思いに苛まれて狂った。

 ミリィは友情を守るため心を殺しすぎて狂った。

 キラは、どうだ? 心を壊すほど戦争に打ちのめされたのか? そんな大層な物ではない。幸せをつかめたからこそ今ものうのうと殺人機械を操っていられるのだ。

「サイ……僕は…」

 サイはあらわにした犬歯を折れるほど噛み締めた。今この場でもキラの目に怯えなどない。その気になれば自分を組み伏せるのだろう。本気で喧嘩したらサイがキラに敵うわけがないと心の底から思っているのだろう。だがその力は努力もなしに与えられた物。ナチュラルには備わらない特権。あぁこの見方が差別的だと糾弾されても…止められない。

「どうしてお前は!なんどもなんども俺の居場所を奪うんだっ!」

 もう我慢などできないのだから! 照準も付けず弾倉が空になるまで撃ち尽くす。どうせ殺したい相手は目の前にいる。マグマのようにどろりと蟠る憤怒の塊を吐き出すには、我を忘れるしか方法がない。

 激昂し尽くしたサイの表情にキラは何も抗うことができなかった。サイの気持ちをどう処理すればいいのか、まるで思いつけない。こんなところで殺されてはラクスを守れないとさえ思いつけない。これを何と言い表せばいいのか、キラの中に言葉はなかった。

 銃口の奧が睨み付けてくる。直後の絶叫の後、僕は、死ぬ――

 破壊道具の絶叫が広大な廊下に轟いた――。

「サイ……?」

 彼の銃から硝煙は棚引かない。疑問符が途切れない。サイが手を突き出すこともせずこちらの方へ倒れ込んできた。固い音でなく濡れた激突音が足下に叩き付けられる。爪先が流れ広がる黒い海に浸っていった。

「……アスラン?」

「だ…大丈夫か、キラ……」

 自身も無数の裂傷に埋め尽くされ荒い息をつきながらも拳銃を構えたアスランがそこにいた。彼の握る鉄塊の先端からは煙が立ち上っていた。

 キラの目は――何も見えてはいなかった。遠く遠くに投げられる彼の視線はアスランを通り抜け、彼の背後に〝イージス〟の幻を映し出していた。

 

「キラ、お前も一緒に来い! お前が地球軍にいる理由がどこにある?

「僕だって…君となんて戦いたくない……。でも、あの艦には守りたい人達が――友達がいるんだっ!」

 

 ――自分は今どこにいるのだ? 

「キラ、しっかりしろ!」

 時折呻き、口から息を吐くアスランの一喝にもキラの意識が忘我の縁から帰ってくるのは一瞬だけ。アスランは痛む全身を引きずりながらキラの目の前にまで近づくと肩を掴んで揺さぶった。

「こいつが何なのか今は考えるな!」

「……」

「ラクスを守るために来たんだろうお前は!」

「…ラクス……そうだ」

 アスランはまだ口を開こうとしたが、痛みがそれを遮った。が、結果としてその表情が彼を今につなぎ止めた。誰かを斬り捨てることで生まれた痛みが誰かを心配することで癒やされる。

「大丈夫?」

「お前こそ……」

 心など、誰かを下に見ることでしか安定を得られない卑しいもの。

「……くっ…」

 ――先程沈めてきたクロフォード・カナーバならばそう言うのかもしれないと思い当たってしまう自分に嫌悪を感じた。アスランの目を見たが脂汗に曇った表情があるだけで、同じ痛みを共有できたかは確認できない。

(いや、そんな場合じゃない!)

 自分はラクスを守りに来たのだ。アスランの言うとおり、他のことは、二の次にするしかない。キラは意図して足下の亡骸から目を背ける。と――ここではないどこかから銃声が聞こえた。

「…! 近いぞ」

「うん」

「俺のことはいい。行け!」

 迷う余裕すらなくなった。銃を手に駆け出したキラは次の角から漏れ出たマズルフラッシュに全身を引き締める。だがカッティングパイと同時に敵を確認したキラの意識は再び闘争心を霧散させた。

「君は……シン!?」

 数少ない護衛を打ち倒した二人、キラの声に反応し振り返ったそのうち一人は紛れもなくシン・アスカだった。

「待つんだシン!」

 キラは苦しみながらも心を固定し両手で構えた拳銃で彼の手元をポイントする。崩壊した北米大陸で〝デスティニー〟を駆るシンは妹を殺した自分をどうしようもない程憎悪していた。こんなところにまで侵入してきたからにはその憎悪は衰えてなどいないのだろう。真っ向から向けられるシンの怨嗟を、キラは覚悟した。

 だが、シンに睨み付けられるようなことはなかった。

「……へっ」

 こともあろうか、シンはキラに対して侮蔑とも言える嘲笑を送ってきたのだ。キラは一瞬その意図を計りかねる。

「シン、奧へ!」

 ピンの抜ける音にキラは反応した。シンに追従している赤毛の女兵士がハンドグレネードを振りかぶりこちらに向かって投擲しようとしている。元来た道へと飛び退いた。爆圧に晒されながらシンの嘲笑の意味に気づく。自分は、彼の最も大切なものを殺すことで彼に絶望を与えた。ならば――自分への憎悪冷めやらぬ彼が最も求めるのは――

「くっ! 駄目だっ!」

 噴煙にかき混ぜられた視界は敵も景色も見せようとはしない。キラはかつて無い程の焦燥に駆られ足を投げ出した。――今度は脳裏に、〝プロヴィデンス〟の一閃に貫かれるフレイの乗った救命艇が思い浮かべられていた。

 

 

 ルナマリアの投げた手榴弾に追い立てられるように分厚い扉の奥へ。シンはとうとう辿り着いた。〝プラント〟の、ザフトの、コーディネイターの中枢へと。

 瞬く間に護衛が斃され、執務机から戦況を眺めていたラクスは腰を浮かさざるを得なくなった。

「あなた方の狙いはわたくしですか」

「アンタが、クライン議長……!」

「ラクス・クライン? この人が、本物の……!」

 二人。シン・アスカとルナマリア・ホーク。二人のことはよく知っているが深く関わったことは、考えてみればほぼない。彼らのことはキラや自分よりもアスランが関わるべき。自分では心を開いてはくれないだろうという哀しい確信がある。それでも彼女は毅然としていなければならない。〝プラント〟最高評議会議長として、なにより空席を作ってはならない『ラクス・クライン』として退くことなどできはしない。

 護衛の者達が人形の如く倒されていくその中心でラクスは声を張り上げた。

「やめて下さいお二人とも。わたくしの前でこれ以上の非道は許しません」

 時間が止まったかのように、全ての衝撃が音を無くした。最後の空薬莢が床と奏でる不協和音を最後に皆が声をすることも忘れる。護衛の者達は自分達の不甲斐なさに心の奥底から歯噛みした。自分達は歌姫を守護するためにここにいたというのに彼ら全てが理解している。我々は彼女にこそ守られているのだ。

 だが――その全てが音を無くした世界に異を唱えるものがアサルトライフルを荒々しく鳴らした。

「アンタが、アンタが…!」

 人一人を殺すには過剰な銃器を左に持ち替え、シンはブーツのエッジから肉厚のダガーを抜き取り構えると守るもののいなくなった歌姫へと躙り寄る。

「アンタが! おれを狂わせた張本人かよっ!」

 黒豹の如く飛びかかる。怒りと殺意に塗り固められたシンが留まる理由はない。ラクスは周囲を見渡すことをやめた。戦いに身を置いているだけの覚悟はある。人を殺す覚悟、生き延びる無様を追い求める覚悟、そして恨みを一身に受け死ぬ覚悟も。ラクスは赫怒に塗りたくられた紅い瞳を見つめ続けた。この瞳に殺される。今まで受けた歓声と愛情を台無しにする、ありったけの怨嗟。この感情に害される――

 覚悟を決めていたラクスは、信じられないものを見た。

 自身の遅れに絶望感を覚え悲鳴をかき分け室内に走り込んできたキラは信じられないものを見た。

「ぐ……ぅ……あぁ……あ………!」

 ラクスを睨み付け殺す寸前であったはずのシンが、今は項垂れ呻いている。その姿勢を保っていられたのも一瞬、四つん這いにまで崩れ落ちたシンは悲鳴のような叫びを上げると信じられない行動に出た。

「っ…!?!? ち、違うっ!?」

「!? うそ……シン、なんで!?」

 シンが、左手にぶら下げていた小銃を――今一緒に入ってきたルナマリアへと突き付けている。

 ラクスは拾った命、その理由を目の当たりにしながら笑顔を浮かべることなどできなかった。

(ヒルダさん……わたくしは、あなたに感謝すべきなのでしょうか?)

 ヒルダ・ハーケンがラクス・クラインを思うあまりにかけた異常な鍵は、どれだけ破られようとも最愛の人だけは守りきった。愛に感謝する? 感謝しなければいけないのかもしれないが……ラクスは息を止めた。

「シン……!」

 キラも銃をぶら下げたまま二の句が継げなくなっている。ラクスはシンの背中を見つめ続けた。〝クライン派〟が彼に仕込んだという服従遺伝子……。

 どうなのだろう。ラクスは心の中だけで考える。思わず口から漏らさないように。「わたくしを守って下さい」――そう言った瞬間、彼は唯一の敵対者となってしまったルナマリアを撃ち殺すのだろうか。

「シン! 違うわ! あなたは、妹さんの仇を討ちに来たはずでしょ!?」

「ち、違うっ!? 違うんだっ!」

 守り抜くと誓った相手に銃を向ける。心が命がけで指先を押さえているというのに覆い被さる別の心が主の排除命令を嬉々として鬼気として待ち続けている。シンの喉から引きつるような漏れ声が断続的に響いた。恋人の無事を祈りながらその命を刈り取ろうとする心に正しさや安定など求められるはずもない。瞳孔すらも見開かれ必死に前を凝視していた眼球が徐々に上を向き始めた。

「撃ち……たくない……撃ちたくない…んだ…おれは…!」

 キラは何もできずに崩壊へのカウントダウンを始めたシンの姿を見つめていた。なんだこれは? 自分が、先程の戦闘で否定した世界が、目の前に広がっている。だがその世界こそが……ラクスを救っていた。思考することなどできようもない。キラは深く考えることを拒否するように激しくかぶりを振る。こんなのは駄目だと心は叫ぶも何が駄目なのかは理解を拒む。

 その、彼の頭の後ろに金属塊が突き付けられた。

「何をしているキラ・ヤマト」

 死神。最悪に背後をとられキラの心身は跳ね上がる。

「……く、クロフォード・カナーバ…!」

 生きていた。右目を額から頬にかけて潰す程の傷に潰されながらも彼の狂気に些かも陰りはない。乾ききって唾も飲めない口腔から漏れた彼の名はキラの心臓を止めかねない衝撃を伝えてきた。

 振り返り、飛び退くのを彼は止めなかった。凄惨な面で微笑んだクロは顎をしゃくって奧を差す。キラが目だけを動かせばそこには殺し合う恋人達の姿……。戻した目元を掠める銃口はキラの肩口を通り過ぎ、ラクスへと向けられている。

「お前らなら、止められる。お前らじゃなきゃ止められないだろう?」

 銃口をラクスに向けながらもクロはキラだけを睨み付けていた。誰も、動かない。動けない。彼らの可能性を期待していたクロだったがルナマリアの泣き声を聞き続けている内に我慢する気は失せていた。

「ラクス・クライン。シンに銃を下ろせと言えねえのか!?」

 キラとラクスがびくりと震えた。クロは表情を歪めて舌打ちを零す。

「……っシン・アスカさん……銃を下ろして下さい。彼女を害することを、わたくしは望みません」

 シンは銃どころか全身を落とした。四つん這いに崩れ落ち息を喉奧から魂毎絞り出すかのように荒い息を連続した。彼のあとを追うようにしてルナマリアも膝から崩れ落ちる。

「気づけ」

 口の中だけで呟かれた毒付きを残し、クロの手が下げられる。すかさずキラは拳銃を向けてきたが彼は意にも介さずラクス・クラインを睨み付けた。

「オレはあなたに自由をもらった。あなたはオレに自由を与えて……後悔していないか?」

「あなたは、あなたの求めた未来を見つけられたのですか?」

 まさか質問で返してくるとは思わなかった。だがそれでも答えはある。芯のない心など持ち合わせていない。

「見つけた。いや、見つけていた。ラクス・クライン。あの時呼び出されたザフトの緑クロフォード・カナーバと、今ここにいるオレの間に差はない。今一度問う。あなたは、悪を生み出すこの世界に、何の疑問も感じていないのか?」

 ラクスの目は崩れ落ちた二人へと注がれる。以前のクロは悪を自分に置き換えた。彼女もそう受け取り言葉を返したことだろう。だが今は、どうだ? 今も悪は自分の外にあると思うのか?

 その時護衛の一人が動いた。クロの死角に倒れていた彼は軍神も歌姫も動けずにいる。テロリストを殺せるのは自分しかいないとの使命感にかられ、銃口をクロに向け――何者かに撃ち殺された。

「注意力散漫だなクロ」

「すみませんが今のオレには彼らしか眼中にないもんで」

 彼の後ろに陣取ったのはタカオ・シュライバー元国防委員長だった。ラクス・クライン現最高評議会議長にも面識があったのだろう。彼女の表情が僅かに歪んだのをクロは見逃さなかった。

「この人の手配で、オレはここに来た。今はあんまり必要なかったけどな」

 ザフトの高官に敵対される? こちらに向けられた目は丸くなっている。信じられないものでも見るように。

 評議会の機能も望めない今、フェイスに隊長権限で指揮させる方法は最良だったはずだ。しかし、国防委員長はないがしろにされた――それくらいの推測はラクスにもできる。だがそれが現実に影響を持つとは考えられなかった。

「最高の判断をしても、全てが満足できるわけがない。感情というのは事の善悪正否とは全く関係なく動く。勧善懲悪こそが正義と平和の道標ってんなら、その感情を律して何が悪い?」

 タカオはクロの問いかけに表情を歪めたがあえて何も言おうとはしなかった。

「オレとあんたは同じ物を、「平和な世界」を求めていたはずだ。――最初はな。だがあんたのその願いには不純物が混じっている。あんたは戦争のない平和な世界をと謳いながら……明らかに、もぉ明確すぎるほど明らかにほかの何かを優先させている。その被害者が、あいつらだ」

 悔恨の喘ぎを繰り返すシン。絶望の涙を繰り返すルナマリア。全てを救うと言う命題を掲げながら見捨ててしまった物がある、その証左。

「現状だ」

 平和を。だが即物的な平穏よりも可能性に満ちた未来を。二兎を追った結果、数え切れない人々を傷つけさせ、喉元にまで刃を突き立てられる、その証左。

「この、オレの存在だ!」

 責任という立場を捨て去れば夢までも他人に利用された。ならば人類の頂点に立てば? ……結果反抗者は現れた。彼女ですら神にはなれなかった、その証左。

「幼子の考えに危機感を持つ奴はいない。寧ろ戯けたことでもほほえましく感じるだろう。子供が無垢でこの子達のようなら戦争起きないって声は幾らでもある。「小賢しさ」が無いからだ。なら知恵の制御してナニが悪い? 微笑ましく思ってないで、自分たちより馬鹿だと蔑んでないで、平和が究極命題だってんなら全員子供になりゃいいんだ。結局みんな、平和以上に望む物がある。それが世界を歪ませてるとわかってても、自分の贅沢を捨てきれないならその小賢しさ、外部制御で封じ込めて何が悪い?」

「――悪いなら代替案出せ、でしょうか」

 苦々しく呻いたラクスにクロは満足げに頷く。オレのような存在を歌姫様に記憶していただけるとは光栄の極みだ。血に染まったクロの顔に嘲りとは違う笑いが広がっていった。それを目にし続けていたキラは……言いようのない恐怖に駆られる。

(な、何を言ってるんだこの人は……わからない…。世界は、人があってこそ世界だって考えられないのか?)

 何よりラクスがクロを一蹴しない。彼女が、この男に、洗脳されかけているとでも言うのか!?

「聞いちゃダメだラクス!」

 キラは危機感を覚えた。未だ銃を上げないクロへ銃口を向ける。紫の制服を着た壮年が代わりに銃口を向けてきたがあろう事かクロフォードがそれを抑えた。そして、嗤う。

「はは!平和を捨てるのかキラ・ヤマト! 軍神って名前にふさわしく、平和は戦争の準備期間ってな戯言を認めるんだな!」

「違う! 人は、みんな手を取り合える日が――」

 更に嗤う。呆れたように手を振る。

「今の世界のままそれを望んだら人類の過半数…いや九割は殺さないとできねェよ。余裕があるうちは自分勝手が勝る。他者を気遣う心は他の何かを蔑めるだけ余裕がある奴の特権なんだ。戦争をやめなければ今すぐ死ぬってところまで追い詰めないと、人間は…個人は行動しない」

 キラはゆっくりと首を左右に振ったがクロはそんな彼に向けて溜め息とともに首を左右に振った。モビルスーツ越しだろうと直に接しようと何も変わらない。なぜ彼はこちらの言葉をわかろうとしない? 何一つ譲歩せず、自分が絶対の正義だとでも言うつもりなのだろうか? キラは一人の男を思い出していた。

「あなたは…ラウ・ル・クルーゼだ」

 キラの怨嗟にクロは三度嗤った。

「そいつとは少し前に意見の不一致で殺しあったばかりだ。オレは、あいつじゃない」

 クロはそのまま意地の悪い笑みをキラへと向けた。

「――だがあいつにも世界を憎悪し破壊を正当化するだけの材料はあった。戦犯には違いないが、奴が究極絶対悪ってわけじゃない。なぁ、キラ・ヤマト。曖昧な悪に敵対して正義ぶるのはいい加減やめろよ……」

 そんなつもりはない。だが、何を言えば彼に通じるのかまるでわからない。だからと言ってこの銃で彼を黙らせることが最良だとも思えない。

「ラクス・クラインは少し考えてくれてるみたいだがな……。キラ、あんたにはどう言ったらわかるのか……」

 同じ疑問を彼が抱いている? その理解が気持ち悪い。

「あんた達はコズミックイラ至上究極の平和の守護者だよな。んでオレらは狂信的なテロリスト。それが世間一般の認識だ。でもそのテロリストだって暴力する前に何かないか、考えたんだぞ?」

 考えた? 嘘だ。考えたのならなぜ平和を求める者同士がこうなっていると言うんだ?

「国境だの、人種の違いだの宗教の違いだのある。それが争う理由。〝ロゴス〟みたいな命より金が重いと考える死の商人が煽る。それも争う理由。ならばその全てを統括管理する究極専制君主制はどうか、とかな。この世界にはそれだけのカリスマを持った方もおられるわけだしな」

 クロフォードは視線をキラからラクスへ向けた。すぐさま目を伏せかぶりを振る。

「まぁ地球圏汎統合国家の最終形態だな、そう聞くと、お前も納得するのか?」

 キラは返事をしない。

「だが、万民記憶操作と違って欠点がある。あんたは全てを把握できない。あの時のザフトを、〝メサイア〟を攻める際、あんたはデュランダルを支持してた奴らのことを考えて動いたか?」

 彼の笑みが更に深まる。キラはもうそれを直視できなかった。

「可能性……デュランダル議長が間違っていると決めつけた結果、誰も彼もが自分たちの行為をわかってくれると……『信じた』だけなんじゃないか? だとすれば信頼なんて都合のいいだけの言葉だとオレは思う。お前らの願いを、欲望を他人に押しつけてるだけだ」

「それでもっ! 何もかも機械検閲制御で、ヒトらしさを捨て去るなんて! 良い心まで区別なくリセットをかけるなんて、記憶や人格はその人そのものだ。機械のように書き換えて、みんなの見る目が変わって……それでその人が無事だって、どうして言い切れるんだ!? 希望も、友情も、愛もデータに置き換える、その扱い方が、僕は許せない!」

 クロは……キラの言葉に胸を打たれた。あぁ誰の心も感じるだろう。クロよりもキラの言葉の方が遙かに美しいと。だがしかしその何人かがこう呟く。「でもそれって綺麗事だよな」。1%のその呟きが彼の価値を全て覆す。神聖不可侵、神が与えたもうた至上の美を人の精神が備えているのなら人の世界は何故こうも荒む? 人による愚行がなくならない? 何故こんな言葉が宗教の中で主流となりうるのだ!?

『人は神が作った最大の失敗作である』

「……お前に聞くのがすげぇ怖いんだが……お前は人間が滅びるべき地球に邪魔な存在と考えたことはない、か?」

 キラは逡巡しなかった。

「ない。人は地球を傷つける。でもそれを救おうとするのも、人だ」

 クロはそれを空恐ろしく感じた。

「………すげぇな。流石は最高のコーディネイターだ」

 

 ――「傲慢だね。流石は最高のコーディネイターだ」

 

 デュランダルの言葉が思い返された。あの時は未来を守るためには、と自分の正義を完璧に信じていた。〝デスティニープラン〟を急停止させることによって起こる混乱に悩みながらも、高みから見下ろす冷静に語るデュランダルは絶対悪と信じられた。だから銃口を向けられた。しかしクロは、呆れ、哀れみの目で僕を見ている。――だが、関係ない。この人の心はすでに壊れている。

「あなたは、どうしようもない人だ。やっぱりラウ・ル・クルーゼと同じだ! あなただけは、ここで、僕が――」

「やめてくださいキラ」

 そのキラの決意をラクスが押しとどめた。皆が一様に意外そうな顔をするが、彼女はそれを順に見渡し息を吸い込んだ。

「あなた方とわたくし達……戦うべきものだったのでしょうか……?」

「戦わずにすむ道もあったんだとは思う」

 どちらが先に手を出したかなど愚かな水掛け論。クロからすれば〝メサイア〟で自分の心を裏切ったラクス達が発端。ラクス達からすれば倭国への侵略を発端とした各地でのテロ行為こそがこの戦いの始まり。どちらにも言い分はある。しかしそれらを肯定してしまえば今この場で死に続けている兵士達全てが平和への危険因子となる。

 クロはラクスの、負の感情をたたえた瞳を見据えた。彼女はもうオレを――オレの残す物を無視できない。

「ラクス・クライン。戦争をなくし平和を求める――これだけの条件が善悪の定義なら、オレ達こそが正義だ」

 クロの方にはもう言うべきことはない。

 扉奥から顔を出したマッド・エイブス、そしてタカオ・シュライバーが叫びながらトリガーを引く。ならばもうここにとどまる意味もない。クロは銃をあげキラを牽制すると二人に倣って執務室を後にしようとした。

 ――が、その足を掴まれる。

「クロ……行かないで。もう嫌……わたし、シンが信じられない……」

 気絶したシンから遠ざかり這い寄るように縋り付いてきたルナマリアだった。彼女の心は痛いほどわかる。苦しんでいるのがわかっている近しい人を癒したい。その為に彼を信じ、そばにいたい。だが――目の前で起こった数分程度の衝撃は彼女の中から信じる心を根こそぎ奪い取った。忘れようにも忘れられない。事実はやはり現実として在る。記憶は、知恵は、時に容易に人を殺す。人を常態に戻すことを治療というのならクロの脳裏にはその治療法は一つしかない。

「オレは……オレは今のお前を助けてやる方法を一つだけ持ってる。ティニに、治療を頼め」

 彼女は、その治療法を知っている……。驚愕し、嫌悪した。だがほかに方法は?

「納得できないってんならそこにいる世界で最も力を持ってる二人に頼め。責任はあいつらにある。お前が遠慮することはない」

 ルナマリアは震えながら両手を離した。

「ラクス・クライン。この二人に少しでも罪悪感を感じるんなら、オレ達に洗脳された被害者にでもしてやってくれ」

 護衛達が集まってくる。モビルスーツのパイロット達も集まってくる。キラはその銃火に自分の殺意も混ぜ込んだ。だが敵性〝ターミナル〟に所属する三名は奥の角を曲がりその姿を消した。

「どうして……?」

 キラには何もかも納得ができなかった。クロフォードの考えにか? それとも狂信者を見逃したラクスに対してか? もしくは…彼らの意図を理解しきれない自分自身をか? だがそんなキラも崩れ落ち悲哀を見せつけ続けるシンとルナマリアの姿を目にすれば……何も言えなくなってしまった。


 
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