No.206752

真・恋姫†無双~恋と共に~ #44

一郎太さん

#44

2011-03-17 16:39:42 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:20819   閲覧ユーザー数:11691

#44

 

 

汜水関の戦いは2日目を迎える。連合軍は知らない。自分たちが休んでいた夜の間も、ひたすら闘いが続いていたことを。関を挟んで連合軍の反対側、崖に朝の光を遮られた薄暗い空間に、1人の少女が倒れていた。すでに意識はない。じっと眼を凝らさなければ分からない程に薄く呼吸をしながら、死んだように眠っている。

 

 

「………流石に体力の限界だな。昼まで寝ているがいいさ」

 

 

かかる言葉に応える声はない。声をかけた男は少女を肩に担ぎ上げると、関へと戻っていく。彼もまた一晩中刀を振り続けた男である。しかし、その足取りは些かも揺らぐことなく、まっすぐと歩く姿は、彼の力を証明するようだった。

 

 

 

 

 

連合軍の陣は、初日と同じ布陣であった。しかし、前日とは一つだけ違うところがある。いま、汜水関の前には9人の武将が集っていた。曹操軍より春蘭・秋蘭・凪、孫策軍より雪蓮・祭・周泰、劉備軍より張飛・趙雲、そして馬超軍より馬超―翠。彼女らが横1列に並び、それぞれ武器を携えてから既に1刻が過ぎていた。

 

 

「それにしても今日は静かねぇ。昨日はいきなり飛び出してきたくせに、城壁の上に見張りが数人いる程度だわ」

「そうじゃのぅ………明命、ちょっと忍び込んで来い」

「えぇっ!?む、無理です!お二人の話が確かなら、流石の私でも捕まってしまいそうです………」

「なんじゃ、情けないのぅ」

 

 

祭の無茶な指示に、長い黒髪を携え長刀を背負った少女は飛び上がっては拒絶を示す。実際にこうして何人もの将軍が集まって相手取ろうという人物だ。1対1では勝てる見込みもない。

 

 

「なぁ、秋蘭。まさか既に退いたってことはないよな?」

「姉者…流石にそれはないさ。緒戦ははっきり言って我々の負けだ。北郷たちだってそう思っているだろうさ」

「そうか………凪、お前の氣弾で壁を壊せないか?」

「無理です。あれだけの関であれば、薄い部分に穴を1つ空けるだけで精いっぱいです」

「そうか………」

 

 

妹からも部下からも否定され、春蘭は大地に剣を突き刺した。

 

 

「姉者、流石に武器を手放すのはどうかと思うぞ?」

「いいじゃないか。出てきたら迎え撃てばよい」

「はぁ……仕方がないな、姉者は」

 

 

溜息を吐く秋蘭。それを見ていた雪蓮と祭も地面に腰を降ろした。

 

 

「星、みんなやる気がないのだ」

「言うてやるな、鈴々。これほど息巻いて出てきてみれば、まったく動く気配もないのだ。仕方あるまいよ。それより勝負をせぬか?どちらが長く立っていられるかだ」

「いいよ!星には絶対負けないのだ!おねーちゃん達みたいに座ったりしないのだ!」

「言われてるわよ、祭?」

「儂か?儂はおねーちゃんという齢ではないからな。かまわんのさ」

「こういう時だけ狡いわね、貴女って」

「くくく、年の功じゃ」

 

 

趙雲に触発され、張飛は蛇矛の石突を地面に突き立てると仁王立ちをする。負けん気の強さは一人前だな、趙雲がそう思っていると、秋蘭が近寄り声をかけた。

 

 

「どうした、夏侯淵殿?」

「いや、なかなか頭が働くと思ってな。流石に最前線にいる将の半分が座れば、前線のお前の軍にも影響するだろう?」

「さて、なんのことやら」

「ふっ、まぁいい。それより……この状況、どう思う?」

「ふむ、普通に考えれば時間稼ぎだろうな。籠城戦の基本は時間を稼いで攻城側の援軍あるいは兵糧切れを待つことだ。何もおかしなことはないだろう。あとは………」

「あとは?」

「昨日は『天の御遣い』の武が目立ってはいたが、向こうの兵にもそれなりに損害を与えている。それもあるのだろうさ」

「お前もそう思うか」

「………昨日のように挑発できればよいのだが、向こうも理解しているだろうさ。なかなかに難しいものよ」

 

 

趙雲は秋蘭の問いに答えると、再び関を見上げる。その向こうには青い空が広がっていた。

 

 

「(同じ天の名を持つというのに、眩しいほどに清々しいな。さて、彼の者も同じ眩しさを持っているのだろうか)」

 

 

彼女の心の問いに応える声はない。そこにはただ、果てしなく透き通った青があるだけだった。

 

 

 

 

 

左翼・曹操軍―――。

 

 

「―――桂花、どう思う?」

「時間稼ぎでしょうね。昨日は撃って出たとはいえ、向こうは籠城側です。また、ここは絶壁に挟まれた大地。伏兵もないでしょう」

「稟」

「はい、同じ考えです。風という軍師もおりますし、無茶な動きはしないでしょう。昨日のあれは一刀殿の独断だと思います」

「そう」

 

 

軍師の返事に一言答えると、それきり華琳は黙り込む。風への対策は荀彧と稟に一任している。彼女が想うは北郷一刀ただ一人。彼はいま何を考えているのか。この戦をどのように運びたいのか………真名を預け、友となった彼。彼には自分の思考も主義も読まれている。しかし、その逆もそうかと問われれば、答えに詰まる。彼が何を考えているのか知りたい、彼が何をしたいのか知りたい。それは恋慕にも似た感情。指摘されれば彼女は否定するだろう。しかし、そこには確かに、強敵あるいは友に対する想い以外の何かが潜んでいた。

 

 

 

 

 

右翼・孫策軍―――。

 

 

「冥琳様、どう思います?」

「お前が聞くか、穏よ」

「でもでも、あそこにいるのは一刀さんですよ?通常の思考では読み誤ってしまいますぅ」

 

 

この場所でも軍の頭脳たちは話し合う。穏の質問に問い返す冥琳。眼鏡の奥に眼を光らせながら遠く関を見やる。そこには閉じられた扉と9人の将。

 

 

「………って雪蓮!?」

「どうされたんですか?………って祭様まで座っちゃってるじゃないですか」

「あの馬鹿………思春!」

 

 

視線の先に友の姿を認め、彼女と将軍が座り込んでいる姿を認めると、冥琳は声を荒げる。呼ばれた甘寧は音もなく彼女達の前に現れると、指示を仰いだ。

 

 

「雪蓮と祭殿に伝令だ。ちゃんとやれ、それだけでいい」

「でも冥琳様ぁ、たぶん言う事を聞かないですよ?」

「………もし何か言うようだったら、酒をすべて捨てると伝えろ」

「御意」

 

 

短く返事をすると、甘寧は背を向けて音もなく走り出す。あっという間にその姿は小さくなる。冥琳は眼鏡を外し、目頭を指で抑える。彼女の苦悩も当然のことだろう。穏は彼女から視線を外すと、関へと視線を戻す。そこには甘寧に伝令を伝えられて途端に立ち上がる2人の将。流石、扱い方を心得ている師に感心しながら、主に言われたことを思い出していた。

 

 

「(気になるのは袁術軍から連れ去った紀霊という子ですねぇ。部隊長と雪蓮様は言っていましたが、一刀さんの眼鏡にかなう人物です。あの人が引き抜くくらいの何かは持っているんでしょうね………)」

 

 

穏の心配は杞憂に終わることはないだろう。しかし、彼女はそのことを知らない。むしろ、絶対に何かがあると確信していた。だが、その何かが読めない。これほどの大軍を相手に、将ではなく隊長を引き抜く。そこには一刀の性格も影響しているのだろうが、彼女にそこまで読む事はできない。それでも穏は、ひたすらに可能性を求め続ける。彼を出し抜く何かがきっとあるはずだ。それが策で成るのかあるいは偶発の何かがきっかけで成るのか………彼女の思考は尽きない。穏もまた、孫策軍の誇る軍師の一人なのだから。

 

 

 

 

 

 

最左翼・馬超軍―――。

 

 

「馬岱様、本当によろしいのですか?」

「いいっていいって。敵が出てきたらお姉様たちが相手をするし、たんぽぽ達はそれから準備をすればいいの。適度に気を抜いて今は休んじゃおう?」

「そうですか………」

 

 

副官の問いに蒲公英は軽く答える。前夜に言われている、今日は出て来ないと。ならば気を張っていても仕方がない。彼女は率先して馬の背に寝転がると、脚を組む。スカート姿でそのようなことをしても少しも扇情的でないのは、彼女の活発さが故か。周りの兵達も幼い頃からその成長を見ていた妹のような存在である彼女の振る舞いに、仕方がないなと苦笑するのであった。

 

 

 

 

 

右翼後方・袁術軍―――。

 

 

馬の背に乗って、後ろに座る張勲に袁術はもたれかかっていた。退屈そうに見えるが、彼女は後頭部に感じる柔らかい感触を楽しんでいる。もぞもぞと動くが、張勲もそれを気にする様子はない。目の前にある金色の柔らかい髪を撫でながら、微笑んでいた。

 

 

「のぅ、七乃や」

「どうされました、お嬢様?」

「紀霊の姿が見当たらんのじゃが、どこに行ったんじゃ?」

「紀霊………そう言えば、昨日『天の御遣い』に連れ去られた、って副隊長の人が言ってましたよ?紀霊さんのこと知ってるんですか?」

「うむ、まぁのぅ………」

 

 

珍しく元気のない主の姿に、張勲は不思議に思う。自分以外の人間にはほとんど興味を持たない筈の彼女が、心配そうに声を出すのだ。珍しい事この上ない。気になった彼女は、その事を問いただす。

 

 

「以前な?妾が廊下でこけてしまった事があったのじゃ。その時は丁度七乃もおらんくて、その時に助け起こしてくれたのじゃ。妾も暇じゃったからその時だけの話し相手に茶を飲んだんじゃが………妾と話すのがそんなに緊張することなのか、おどおどしっぱなしでの。それから七乃が仕事でいない時は呼び出してちょくちょく話したりしていたんじゃ………そうか、連れていかれてしもうたか………………」

 

 

そのような話は初耳だった。極力時間を作り、政務は彼女が眠っている時に行なっていた張勲だが、それでもどうしても外せない時間はある。また、その場に袁術を連れていけないような話の時も。その時間帯は部屋で待ってくれているとばかり思っていたが、そんなことがあったとは。

紀霊では太刀打ちできないような強さの人物が連れて行った。それも男だ。厭な予感が胸をよぎる。しかし張勲はその懸念をおくびにも出さず、袁術の頭を撫でた。

 

 

「大丈夫ですよ、お嬢様。『天の御遣い』を名乗る相手です。ひどいことはしない筈ですよ」

「そうだとよいのじゃがのぅ」

「お嬢様………」

 

 

少しだけ胸が痛む。それは誤魔化したことへの呵責の念か、それとも嫉妬か。彼女にその区別を判断することは出来ない。

 

 

 

 

 

 

汜水関・城壁―――。

 

 

太陽も天頂を過ぎ、下り始めた頃、その場には一刀・風・華雄に加え、紀霊の姿があった。4人はそれぞれ眼下を見下ろしている。その視線の遙か下には9人の武将。その中の1人は地に突き刺した大剣に手を掛けたままこくりこくりと舟を漕いでいる。

 

 

「あーぁ、春蘭ったら立ったまま寝ちゃってるよ」

「春蘭さんですしねー。おにーさん達が出て行かないから退屈なのでしょう………っと、星ちゃんもいますねー」

「知り合いか?」

「最初におにーさん達にお会いした時に話したと思いますが、一緒に旅をしていたのが彼女、趙子龍ちゃんなんですよ。相当の手練れですよ?」

「趙雲か………それはまた困ったな」

「おや、お名前をご存じなんですね?」

「………まぁね」

「どうする?撃って出るか?」

 

 

華雄がその言葉を発した次の瞬間、一刀の拳骨が彼女の脳天に落ち、風のつま先が脛を蹴り飛ばす。

 

 

「ぐっ!?何故だ!」

「これだから華雄さんは猪武者と呼ばれるのですよ。風たちのやるべきことは、基本的には時間稼ぎなのですから、この機会を利用するという考えはないのですか、この猪さんは?」

「風の言う通りだ。次そんな事を言ったら縛り上げたうえでひたすら風にくすぐらせるぞ」

「華雄さん、撃って出たいですか?」

「いや、ここは基本に則って籠城だな、うん」

 

 

一刀の言葉に風が即座に反応する。加虐嗜好な辺りは一刀にも負けないようだ。対する華雄も風のその性格に慣れたもので、すぐに否定すると、それより、と隣に立っていた紀霊に向き直った。

 

 

「なかなか骨のある奴だな、お前も」

「私がですか?」

「そうだ。一昼夜得物を振り続けた割には、それほど疲れているようには見えないが」

「えぇと、あたしにもよくわからないんですけど、起きたら意外とすっきりしていて、あまり疲れを感じないんです………」

「あぁ、それは紀霊が寝ている間に俺がマッサージ………按摩をしておいたからだよ。全身の筋肉がガチガチに固まっていたから、ほぐしておいた」

 

 

風と華雄がばっと一刀を振り向く。2対の鋭い視線にさらされた一刀は若干後ずさりながらも、どうしたと声をかける。

 

 

「はぁ……まったくこの変態さんは救いようがないですねー。寝ている女の子の身体をまさぐるのが好きだとは………」

「北郷よ、さすがに私もそれはひくぞ………この変態が」

「え、えぇっ!?北郷さん、そんなことしてたんですかぁ!?」

「いやいやいやいや!凝りをとっただけだから、別に変な意味はないぞ?」

「変な意味とはなんですか?風は分からないので説明してください」

「そうだな、私にもその変な意味というのを教えろ」

 

 

詰め寄る華雄と風に、口元を引き攣らせる一刀。そしていまだ真っ赤になったままの紀霊。城壁の上は前日と同じような状況だった。

 

 

 

 

 

「そう言えば、先日の軍議の際に、劉協様とお話ししてましたよね?何を話したんですか、おにーさんは?」

「えぇっ!?劉協様って………えぇと、帝ですか?」

「そうだよ。なに、ただの雑談さ」

「と、言いつつも、帝の破瓜を奪ったおにーさんでした」

「違ぇよ、コラ。協には色々と天の国の事を聞かれてね。まぁ、こっちの大陸の人には理解できない事の方が多いから、本当に雑談になったけど」

 

 

風の質問に紀霊が反応する。『天の御遣い』とは読んで字の如く天を冠する名前だ。天帝とは相反する存在である筈が、言葉を交わし、あまつさえ名で呼び捨てにしている。改めて一刀の怖ろしさを知る。

風のからかいも気にせず訂正する一刀は、その時の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

数日前、洛陽―――。

 

 

軍議も終わり、一刀は劉協と並んで廊下を歩いている。話がしたいと部屋に呼ばれはしたが、劉協は口を開く事をしない。一刀もそこに疑問を呈することはせず、黙って彼女と進む。しばらく進むと、廊下の奥にひと際大きな扉が見えた。あれが劉協の部屋かと一刀はあたりをつけると、その予想通りに劉協はその大きな扉に手をかけた。しかし――――――

 

 

「ぬぬぬ………」

 

 

――――――その見た目に違わず、扉はかなりの重さを有しているようだった。劉協は両手で取っ手を掴み、両脚で踏ん張りながら扉を開こうとする。ギギギ…と重たい音を発しながら少しずつ開いていくが、それでも人が通るには狭すぎた。

 

 

「いつもこんな苦労してるのか?ほら、交代だ」

 

 

一刀は苦笑しながら劉協の肩に手を置くと、彼女と立ち位置を入れ替える。左手で取っ手を持つと、彼女の代わりに扉を開いた。その様子に少女は眼を丸くする。無理もない。先の軍議での礼の違いは体面がある為に聞き流したが、ここでは2人だけだ。体面を気にする必要はない。頑張ってもなかなか結果を出せない妹に手を貸す兄のように、一刀は自然に彼女をフォローする。

 

 

「………………」

「どうした?入らないのか?」

「………入るぞ」

「はいはい」

 

 

しかし、ここで嬉しそうな顔をするのは負けたような気がする。せめて部屋に―――自分だけの空間に入るまではこの体面を保ちたい。劉協は一言だけ返すと、一刀が支える扉の間を通って部屋に入る。一刀はやれやれと再び苦笑しながらその後に続いた。

部屋の中はさすが帝の部屋なだけはある。広い空間の右の壁には先ほどの扉より幾回りも小さい扉があり、おそらくそこが寝室なのだろう、その扉の周りだけ装飾品や置物が少なく、部屋に似合わず僅かばかり落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

劉協は扉が閉まった事を耳で確認すると、部屋の中を進み、奥にある机へと着いた。その机の一刀の側には洛陽の文官や将軍が立つのであろう。机は幅が広く、奥行きもあり、距離を感じさせた。だが一刀は気にすることなく机まで進むと、劉協の近くの淵に軽く腰掛け、腕を組んだ。

 

 

「………やはりお主はこの国の人間ではないのじゃな」

「まぁね。というか俺はこの世界の人間ではない」

「天の国か?」

「いや、天というほどおこがましくはないよ。簡単に言うと、2000年近く先の未来からやって来た」

「なっ!?」

 

 

この時初めて、劉協はその感情を素直に表した。『天の国』というのならば納得がいく………という表現も語弊はあるが、それでもそういうものなのだと自分を納得させられた。天の国というのは、それこそ書物に描いてあるような桃源郷のようなものと思っていたし、その内容も――人間が描いた表現ではあるが―――書物で知っていた。しかし、一刀の口から出てきたのは予想だにしない返事。自分がそれなりに書を嗜んでいると自負はしているが、それでも2000年も先の未来となると、想像もつかない。

 

 

「まぁ、そんな事はどうでもいいさ。俺はいま、こうして此処にいるんだから。それで話って?」

「言ったじゃろう、戯れと。なんでもよい。朕と話してくれればよいのじゃ」

「………って言われてもなぁ。そう言えば、俺達ってちゃんと自己紹介もしてないよな。じゃぁ、それから始めようか。俺は北郷一刀。姓が北郷で、名が一刀。字と真名はないんだ」

「そ、そうじゃな。うむ。朕は、姓は劉、名は協、字は伯和じゃ。よろしくな」

「あぁ」

 

 

一刀は返事をすると右手を差し出す。しかし劉協は首を傾げるばかりであった。一刀はその意味を理解すると、口を開いた。

 

 

「ほら、右手を出して。で、手を握り合う。これから友達だ、って挨拶な」

「友達………?」

「あぁ、友達だ。よろしくな」

「………うむ!」

 

 

帝には決して存在しえない友。それを手に入れた少女は、しっかりと一刀の手を握ると、ぱっと花のような笑顔を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

それから一刀と劉協はいろいろな事を話した。一刀の国の風習、馬よりも早く走る乗り物、絵本とは違った絵のある書物、食べ物、娯楽。劉協の幼い日々のこと、姉と遊んだ思い出、帝としての母の姿、親としての母の姿。そんな中、一刀はふと思いついた疑問を口にした。

 

 

「そう言えば、ずっと『朕』って一人称を使ってるけど、帝位を受け継ぐ前からそんな風に自分の事を呼んでいるのか?」

「そのような訳なかろう。『朕』という呼称は帝のみが使えるものぞ。姉上からそれを受け継ぐまでは、私と言っておった………思えば子供じゃったな」

「今も子供じゃないか……まぁいい。だったら、俺と2人の時だけはそっちに戻さないか?俺たちは友達だ。地位なんて関係ない」

「…そう、じゃな………そうじゃ!それもそうじゃ!私はお主の友達じゃ!だから、私も一刀と呼ばせてもらうぞ。一刀の国では真名の代わりに、友とは名前で呼び合うのじゃろう?」

「あぁ、それでいいさ」

 

 

一刀の言葉に劉協は納得すると、元気よくそう宣言する。その姿は年相応の女の子であり、誰も帝などとは思わないだろう。と、次の瞬間、劉協はふと表情を戻し、何かを考え込んだ。

 

 

「やはり、一刀はやめてもよいか?」

「………どうして?」

「帝としての決まりなのじゃが、家族か夫となる者にしか真名を預けられないのじゃ」

「俺は気にしないよ?」

「いや、私が気にするのじゃ………それで思ったのじゃが、先の軍議で私の事も考えてくれたり、さっきも扉を開けるのを手伝ってくれたり………その、姉上みたいじゃった」

「劉弁か………」

「うむ………姉上は優しくての。私が勉学で分からない時に教えてくれたり、夜眠れない時も一緒に寝てくれたり。あの時も………」

 

 

口籠る劉協。おそらく、姉の死を思い出しているのだろう。次第に暗くなっていく表情に、一刀は組んでいた腕を解いて哀しげな顔をする少女に手を伸ばすと、その小さな頭を撫でた。

 

 

「あぁ、詠から聞いて知っている。立派な最期だった」

「………うむ。姉上は私の誇りじゃ。それで、話は戻るのじゃが………一刀の事を兄上と呼んでもよいか?」

「兄?」

「あぁ、義兄ならば家族じゃ。つまり真名を許すことも許される」

「いいのか、そんな屁理屈で?」

「よい!私は帝じゃ!これくらいの独断をしても許されるじゃろう」

 

 

だったらさっきの決まりを変えればいいだろう、という無粋を言う事はしない。因習とはいえ、長らく続いてきた伝統なのだ。それを無下にしたくないという少女の気持ちを汲み取る。

 

 

「そうか、だったらこれからは俺が君の兄だ。あまり我儘を言うと兄として叱るから覚悟しておけよ?」

「それは怖いのぅ、くっくっく………じゃから、私の真名を預ける。私の真名は…『空』じゃ。2人の時はそう呼んでくれると、その………嬉しい」

「いい真名だな。兄が掲げ持った天を空色で彩る妹。なかなかいい組み合わせじゃないか、空」

「ありがとう………兄上」

 

 

空と名乗った少女は頭を優しく撫でる手に両手を添えると、それを自分の頬へとおろす。この手のどこに、皆が言うような強さがあるのだろう。そう思いながら、頬に触れる手の柔らかさと温もりを感じ、瞼を閉じる。天帝と『天の御遣い』という相反する存在から友に、そして友から義兄妹に。2つの変遷を経た2人。心地よい沈黙。一刀は何も言わない。一人でずっと頑張ってきた少女を見つめる彼の眼は、本当の兄の様に優しさに満ちていた。

 

 

 

 

 

時は戻り、汜水関―――。

 

 

「まぁ、色々と話して、真名を預けられたくらいだよ」

 

 

一刀の説明は単純であるが故に、傍で聞いていた3人に衝撃を与える。それほどまでに、帝の真名というのは高潔で、尊いものなのだ。

 

 

「………おにーさんが劉協様の名を呼んでいることは知ってましたが、まさかそこまでとは思ってもみませんでした」

「そうだな………本当に規格外だよ、お前は」

「えぇと…それって本当なのですか?」

 

 

紀霊の質問に、風と華雄は眼を見合わせると、華雄が口を開く。

 

 

「それが北郷という男だと理解しておけ。でないと、これからも驚かされっぱなしだぞ」

「………………」

 

 

華雄に言われた言葉に黙り込む紀霊。本当にそう思っていないと、この先やっていけない。彼女は困ったような顔で無理矢理自分を納得させるのだった。

 

 

 

 

 

 

汜水関の戦いの2日目が終わりを迎える。何度か弓矢での牽制があったが、それ以外はたいした事も起こることはなく、それぞれの軍から代表で出てきていた8人は自陣へと戻って行った。

 

 

「結局今日は出てこなかったわね」

「そうじゃな。明命よ、ちょっくら忍び込んで来い」

「また無茶振りを………わかりました。夜半に行ってみますよ」

 

 

ひたすら待ち続ける間、その言葉をかけ続けられた周泰はがっくりと項垂れると諦めの返事をした。いくらその強さが抜きんでた相手でも、夜ならば見る事くらいはできるだろう。周泰は溜息を吐きながら前を歩く雪蓮と祭の後についていく。

 

 

「ふわぁあ……気づけば陽が暮れていたな」

「それは姉者だけだ。まったく眠るのはどうかと思うぞ?」

「北郷が出て来ないのがいけないのだ。私は悪くない」

「そうだな………」

 

 

途中から眠っていた春蘭を起こし、秋蘭と凪は彼女を連れて帰る。途中何度も欠伸をする軍の筆頭将軍に呆れながらも、秋蘭は、明日は出てくるのだろうかと考えていた。

 

 

「にゃー、今日の勝負は引き分けなのだ!」

「そうだな。ついぞ姿を見せることはなかったが………流石に明日は出てくるだろう」

「なんでわかるの?」

「なに、敵さんとて同じ人間だ。ひとところにずっと留まり続けるのはしんどいのだよ。鈴々みたいにな」

「にゃ!鈴々は全然しんどくなんかないのだ!」

「そうだな。鈴々はちゃんとしてたからな」

 

 

いつも通りに元気な少女に笑いかけながら、趙雲は肩に担いだ槍をゆらゆらと揺らす。その切っ先は崖の先から少し顔を出した月の光で、わずかに輝いている。

 

 

「はぁ……やぁっと終わったよ」

「お疲れ、お姉様」

「今日は出て来ない、って何度言いそうになったことか………」

「やめてよお姉様。そんな事したら蒲公英たちが疑われちゃうじゃん」

「わかってるって………それにしても一刀も明日は大変だろうな。8人が相手かぁ………」

「ねぇ?でも、一刀さんなら軽く手玉にとりそうじゃない?母様みたいに」

「………………十分あり得るな。むしろやられないように気をつけないとな」

 

 

陣に戻った従姉を労う蒲公英は、叔母の強さを思い出す。一度も稽古で勝った事がない、むしろ攻撃を掠らせたことすらない女性。ふと思った。叔母が病気でなかったなら、1対1で出たがらなかっただろうか。そしてそれを止める苦労はどれ程なのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

汜水関・裏―――。

 

 

「さて、これから最後の仕上げを行う」

「はぁ、はぁ…は、はい………」

「安心しろ、今日は月が頂に昇る頃には終えるから」

「ほ、本当、ですか……?」

「あぁ。その後はしっかり休め。ところで紀霊、お前は自分がどれだけ強くなっていると思う?」

「………えぇと、わかりません」

「正直に言おう。今のお前では、孫策を倒す事もできない」

「なっ!?」

「だが、負けることもない」

「それは、どういう………?」

「何、明日になればわかるさ。明日はお前にも出て貰うからな」

「わかり、ました…お願い、します………」

「あぁ…しっかり避けろよ」

 

 

月は東に浮かぶが城壁の影に遮られてそれを拝むことは出来ない。ほんの僅かな薄闇の中、一刀は刀を振るう。昼からの華雄との鍛錬でふらふらになりながらも、紀霊はそれを捌いていく。一刀の剣速は速い。少しでも気を抜けば、たった一太刀で少女の命を奪っていくだろう。しかし彼女は眼を逸らすこともなく、それを見据え、己の得物で防ぐ。

ぼんやりと光るその刀身は淡い軌跡を描き、また鋭い音が響く。その線を見、音を聞きながら、紀霊は次第に意識を落としていく。思考は途絶え、視覚と聴覚から入る情報だけが彼女の脳内を満たし、その四肢は1日半の反復と本能の反射によってのみ動いていく。

 

 

「やはり、引き抜いて正解だったか………」

 

 

紀霊の虚ろな瞳を見ながら、一刀は思考を口にする。資質とは無意識の内に潜む才能。彼女は今、意識もなく、ただ才能のままに武器を振るう。その資質の芽に過大な栄養を与え、その花弁を無理矢理開かせる。その花は小さいながらも確かに開花している。その様子を目の当たりにしながら、彼女の才能に、改めて感嘆の念を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 

 

月が天の頂に昇る頃、汜水関裏の崖の上に一つの影があった。長い黒髪を携えたその影は、音もなく崖を滑り降りる。ほぼ垂直に切り立ったその自然の壁をこれだけ滑らかに降りることができるのは、大陸を探してもそうはいない。その突出した身体能力を如何なく発揮し、地に降り立った。

 

 

「(なんとか此処まで来ることはできましたが………あれでしょうか?)」

 

 

少女の視界の先には2つの影があった。1つは地面に倒れ伏し、1つはその影を見下ろす様に、少し離れた位置に少女に背を向けて立っていた。

 

 

「(死合?いえ、あれは稽古みたいですね。もうちょっと近づいて………)」

 

 

少女・周泰はより一層気配を殺し、音もなく影から出る。その姿は常人には捉えられないほど闇に染まり、そして姿を消した。その瞬間―――

 

 

「所属と名前を言え」

「っ!?」

 

 

―――彼女の両肩を2つの手のひらが掴む。声を出さずに済んだのは、彼女の胆力の賜物だろう。しかし、それもこの状態では意味がない。視界を前に戻すと、そこには地面に倒れている影しかない。ということは………。

 

 

「答えろ」

「………そ、孫策軍の周泰です」

「………………なんだ、雪蓮か」

 

 

背後の言葉と共に、途端に殺気に満ちた空気が弛緩する。両肩を掴む感触が消えると、少女はへたり込まないようになんとか踏ん張ると、後ろを振り返った。そこには1人の男の姿。周泰は直感する、彼が『天の御遣い』だと。

 

 

「驚かせたね。でも敵陣に単身乗り込んでくるんだから、仕方ないと思ってくれ」

 

 

しかし、彼はなんの覇気も出さずに、つい間違えたとでも言うように苦笑する。周泰は唾を一つ飲み込むと、言葉を発した。

 

 

「えぇと、貴方が『天の御遣い』様ですか?」

「まぁ、そういう事になるね。それで、君が此処に来た理由だけど………どうせ雪蓮の無茶振りだろ?」

「はぅあ!?何故その事を?」

「あれ、俺が以前雪蓮のところに居た事は聞いてない?」

「いえ、聞いておりますが………」

「まぁ、彼女の性格は知っているからね。今日は何も出来なかったし、ただ面白そうだから君を忍び込ませた、って感じでいいのかな?」

「………そんな感じです」

 

 

一刀の言葉に項垂れて肯定する。周泰は毒気を抜かれたように、今度こそその場に座り込んだ。一刀は笑いながら、彼女の前にしゃがむと、その眼を覗き込む。

 

 

「それで、君はこれからどうしたい?」

「どう、とは?」

「なに、敵陣に忍び込んで、しかも見つかって捕らえられているんだ。殺されるか人質にされるか………まぁ、雪蓮相手だし後者は意味がないな。さて、殺されるのと大人しく陣に戻るのと、どちらがいい?」

「………戻らせて頂けるのであれば」

「じゃぁ、戻っていいよ」

「いいのですか?」

 

 

あっさりとした返事に、周泰は目を丸くする。

 

 

「あ、ひとつだけ雪蓮に伝言を。くだらん嘘を言うな。また同じような事をしたら、徹底的に虐めてやるから覚悟しておけ、ってね」

「はぁ、よくわかりませんが、分かりました」

「よろしく」

 

 

短い返事を伝えると、一刀は立ち上がって歩いていく。周泰がその影を見送るなか、一刀は地面に倒れている人物を担ぎ上げると、そのまま振り返ることなく関へと戻っていった。

しばらくの間、周泰はその場に座り込んでいたが、彼女はやおら立ち上がると、そのまま崖を登っていく。狐に摘ままれた表情のまま、彼女は崖を登り切り、そして陣へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

孫策軍―――。

 

 

「――――――という訳です」

「………………………………………………」

 

 

隠密の報告を受けた雪蓮は言葉を口に出来ない。その眼は遠くを見つめながら、微かに震えている。

 

 

「なぁ、策殿。嘘とは何のことじゃ?」

「………聞かないで」

 

 

雪蓮はこの日、朝方になるまで寝つけなかったとか。

 

 

 

 


 
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