No.205874

鉄獅子の軌跡 序章 一九三七年十月

白鷹さん

日華事変をきっかけに、軍備改変を進める日本陸軍が
強力な戦車師団を作っていく……といった感じの仮想戦記です。
文章も拙く、内容もおかしい部分が多いと思われますが、ご了承下さい。

2011-03-09 22:12:04 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:734   閲覧ユーザー数:718

 

一九三七年 秋

 

 

電灯の灯りに照らされた船倉内は、無数の車輌で埋まっていた。

 

中戦車や軽戦車、装甲車にトラックといった大小のさまざまな車体が、

 

長い列を作り薄暗い空間にならぶ。

 

その車列を抜けた奥の一角で、姫野樹大尉は一台の試作戦車を眺めていた。

 

「まさか試製九七式重戦車を実戦に出すとは思いませんでしたよ。

 

参謀本部も今まで見向きもしなかったというのに、えらい気の変わりようです」

 

大尉の傍らに立っている部下の阿澄少尉がいった。

 

「それほど状況が悪いという事だろう。まさか中国軍が戦車を持ち出してくるとは

 

予想してなかったようだからな」

 

姫野樹大尉は大きくうなずき思い返した。

 

大陸で試製九七式重戦車の評価試験を行うという話が出たのは、十日ほど前の事だった。

 

完成して間もない重戦車を千葉戦車学校に運び、各種運用試験を行っていた矢先、

 

参謀本部からの突然の命令で試験を中断し、慌しく移動準備に移った。

 

名目上は前線での評価試験とされる今回の派遣だったが、その言葉を姫野樹大尉達は

 

鵜呑みにしなかった。

 

なにせ大陸では七月に起こった中国軍との衝突以降、戦闘の激しさが増す一方だったのだ。

 

当初は小競り合い程度の戦闘が何度か続いただけだが、現在は全面的な衝突にまで発展していた。

 

内地師団の増派を受けた北支邦方面軍は、九月までに寧武、石家荘に至る河北省一帯を

 

占領したものの、中国軍は領土の奥へと後退しながら、なおも激しく抵抗を続けた。

 

占領地の後方でも中国共産党の八路軍のゲリラ部隊や、自動車化歩兵や装甲車で編成された

 

国民党軍の小部隊が頻繁に出没し、線路の破壊や輜重部隊への襲撃が続出した。この影響で

 

北支邦方面軍は、補給不足や後方の警備に兵力を割かねばならず、進撃は大きく停滞しはじめた。

 

そして十月も目前に迫る頃になると戦況は大きく変わる。中国軍が大規模な反撃を開始したのだ。

 

この反撃に中国国民党軍は、それまで温存していたと思われる数個師団を投入してきた。

 

これらの師団は、錬度が低く士気も劣ったこれまでの中国兵とは違い、

 

ドイツ軍事顧問団の指導の下、訓練と装備の改変を受けた、国民党軍の中でも最も戦意の高い

 

精鋭中の精鋭だった。

 

中にはドイツやソ連製の戦車を多数装備した機械化部隊の姿まであり、日本軍は苦戦を

 

強いられた。

 

中国軍の攻勢はかろうじて食い止められたものの、手ひどい打撃を受けた日本軍は、

 

戦力建て直しのため、石家荘方面から後退せざるを得なかった。日本側の被害は

 

それほどまでに深刻だった。

 

特に戦車大隊は、保有する半数以上もの戦車が撃破されており、その内の相当数の車輌が

 

全損したらしい。だが無理もなかった。主力である八九式中戦車は、

 

元々歩兵の火力支援を主目的とした戦車である。

 

主砲は短砲身の五十七ミリ榴弾砲なので初速が低く装甲貫徹力にも乏しい、

 

装甲にいたっては厚さが僅か十七ミリしかない。

 

中国軍が装備するソ連のBT戦車や、ドイツ製の最新鋭中戦車が相手の戦闘は、

 

あまりに分が悪すぎたのだ。

 

そのような状況の中で、実戦における評価試験などといわれても納得できるはずがない。

 

阿澄少尉は表情をくもらせていった。

 

「おそらく参謀本部は、試製九七式を消耗した戦力の穴埋めに使うつもりでしょうね。

 

重戦車の火力と装甲なら、敵戦車とも十分太刀打ちできますから」

 

姫野樹大尉も少尉と同じ推測をしていた。

 

 

試製九七式重戦車は、仮想的であるソ連の機甲戦力に対抗する事を目的に作られている。

 

主砲には七五ミリ砲を搭載し、前面装甲は三五ミリに加え、二五ミリ厚の増加装甲板も

 

あわせれば、六〇ミリにまで達する。これなら中国軍の戦車相手でも、

 

互角以上の戦いができるはずだ。

 

重戦車の配備先が、河北方面へ転進中の独立混成第一旅団だった事もそれを裏付けていた。

 

日本軍唯一の機械化部隊である独立混成第一旅団は、中国軍への反撃に備えて対戦車部隊を

 

編成している最中ときく。中には長五七ミリを搭載した軽砲戦車や、

 

九五式改十センチ砲戦車といった試作の改造車輌までかき集めているというから、

 

重戦車もその中に組み込まれるのはまず間違いないだろう。

 

友軍が苦戦したお陰で重戦車に出番が回ってきたのも皮肉な話だが、

 

実戦で試す絶好の機会だった。

 

もしここで試製九七式重戦車の有効性を示す事ができれば、上層部の面々も戦車に対する

 

認識を改めるだろう。そうなれば今後の運用開発は大きく変わっていくはずだ。

 

―――とはいっても戦車の開発より、まずは輸送手段の解決が先のようだが……。

 

姫野樹大尉は憮然とした表情でそう考えた。

 

大尉の目の前にあった試製九七式重戦車の車体は、原形を留めていなかった。

 

船に収容された際、多くの部品を取り外したからだ。

 

車体上部にあったはずの砲塔は丸ごとなくなっており、車載機銃や装具箱に予備の履帯、

 

挙句には後部の発動機まで、重量物があらかた取り去られて、みすぼらしくなった外見を

 

さらしている。

 

重戦車に近づいた姫野樹大尉は、履帯に足を掛けて車体の上によじ登り、開口部から車内を

 

覗き込む。多分にもれず、中は無線機や砲弾、消火器といった搭載品が撤去されて、

 

狭かった車内がやけに広く感じた。まさに抜け殻のような有様だ。

 

それでも全体を重厚な装甲板で覆われ、両端には幅の広い履帯を備える巨大な車体は、

 

周囲に並ぶ八九式中戦車や九五式軽戦車といった見慣れた車輌と比べれば、一回り以上もの

 

大きさがあり、一際目を引く。何も知らない者がこの外見を見たら、戦車というより

 

大型のトラクターにでも見間違えるのではないか。

 

「船に積み込むためとはいえ、よくここまで分解したものだな……これでは組み立てにも

 

苦労しそうだ」

 

車内の検分を終えた姫野樹大尉は呟くようにいった。

 

「仕方ありませんよ、試製九七式重戦車を運ぶには、こうするしか方法がありませんからね……

 

今回はこれで何とかするしかないでしょう」

 

大尉の傍らに立っていた部下の阿澄少尉が、慰めるようにいうと車体の脇に眼を向ける。

 

そこには、機関部から取り出されたBMW製のガソリンエンジンや梱包された車載砲といった

 

部品、装具類が積まれてあった。

 

重戦車がこのようになった理由は、その重量に起因する。

 

輸送インフラの整備が十分でない日本国内では、自重が二〇トン以上にも達する

 

重戦車の輸送は容易ではなかった。

 

道路や橋は、通行できる強度を持つ区間が大きく限られ、鉄道に関しても狭軌式の軌条を

 

採用している関係から、広い車体幅を持つ重戦車と貨車の規格が合わずに載せる事さえ

 

できなかったのだ。

 

同様に港の設備も、二〇数トンもの重量物を吊り上げるには、あまりに能力が不足していた。

 

一般的な港湾設備の積載能力は、最大でも十五トン程度、船舶のデリッククレーンに至っては

 

十トンあまりが限界とされている。重戦車を船に積み込むには、搭載品や部品を大幅に

 

取り外して重量を軽減しなければならなかった。

 

しかも積み下ろした後、再び組み立てなければならないから、作業にも多大な費用と

 

時間を要した。

 

こうした問題から、重戦車の開発に反対する者も多かった。

 

運用上の利便性を重視する声が大きかった参謀本部や陸軍省では、輸送に支障が出ないように

 

戦車の重量や車幅を抑えさせたほどだ。そのために性能を犠牲にする事すらあった。

 

現に最近採用が決まった新型の中戦車も、当初は三七ミリ砲に耐えうる装甲を要求されたが、

 

重量を抑えるため、二五ミリ程度にとどめたという。

 

だが大尉からすれば、火力と装甲を犠牲にして軽くするなど本末転倒に思えた。

 

この先何年かすれば、戦車の発展と共に重量の増加と車体の大型化が間違いなく進む。

 

中戦車が重戦車並の大きさになる時もくるであろう。

 

そうなる前に輸送手段を考慮しておかなければ、陸軍はいつまでも軽量小型に捉われ続け、

 

数年後には他国の戦車に性能面で大きく差をつけられるのではないか、そのような事態だけは

 

何としても避けたかった。

 

 

 

姫野樹大尉は嘆息した。

 

「やはり重戦車の配備運用には、輸送の改善が必要だ。道路や鉄道はまだしも、

 

海上の輸送だけは円滑にしておくべきだろう。

 

内地から戦地へ戦車を運ぶには、必ず海を渡さないといけない」

 

「そうはいっても、港湾設備の整備には膨大な時間と予算が掛かりますよ」

 

困惑する阿澄少尉に、姫野樹大尉はかぶりを振った。

 

「いや、港の設備でなく載せる船の方を変えるんだ。船の構造に詳しい訳ではないが、

 

戦車を丸ごと運べる専用の輸送船を作る事もできるんじゃないか? 」

 

「戦車専用の輸送船ですか……」

 

そういうと阿澄少尉は、神妙な面持ちで何かを考え始めた。やがて何か思い出したらしく、

 

おもむろに口を開く。

 

「そういえば、運輸部にいる知り合いから聞いたのですが、海軍で新型の輸送艦を

 

作っているそうです。何でも、上陸用舟艇の類らしいのですが・・・」

 

「上陸用の舟艇、神州丸みたいなものか?」

 

上陸用舟艇と聞いて、姫野樹大尉が真っ先に思い浮かべたのは、特殊輸送船と呼ばれる

 

神州丸だった。

 

排水量九〇〇〇トン近い船内に多くの大発を搭載し、上陸地点の近海まで運び

 

支援する目的で作られている。見た目は空母の様な形をしていて、実際に飛行機の運用も可能だ。

 

そんな姫野樹大尉の予想に対して木原少尉は首を振った。そのまま要領を得ない声で話し出す。

 

「いえ、そんな大きな船ではありません。せいぜい1500トン程度の、大発を大きくした

 

ような航洋力のある船みたいです。大発と同じく直接浜辺に乗り上げて揚陸するそうですが、

 

兵員だけでなく野砲や戦車も積めるそうですよ。むしろ、そちらの輸送を念頭に置いている

 

のではないでしょうか」

 

「なるほど、しかしなぜ海軍がそんな船を? 」

 

姫野樹大尉は疑問を口にした。

 

「詳しくは知りませんが、海兵隊からそういった船の要望があったようです。

 

元々海軍から派生して設立された組織ですから、

 

海軍からの支援も受けやすい。それため、専用の艦の建造も容易なのでしょう」

 

阿澄少尉の言葉で、姫野樹大尉は輸送艦の意図を理解した。

 

海兵隊は先の欧州大戦後、海軍より分離して創設された陸戦部隊だ。

 

編成は米海兵隊を手本としており、その役割は、敵前上陸や水際作戦に加え、

 

平時には外地の警備や緊急時の展開任務と幅も広い。組織としては小規模だが兵の錬度は高く、

 

上海事変の時には十九路軍相手に兵力に数倍以上の差がありながらも終始善戦した。

 

最近では満州にも展開しており、部隊の拡充を図ると共に、機動性を重視した軽装備を改めて

 

機械化を進め、大隊規模の戦車隊まで持つと聞いている。

 

使用する戦車は、海外から購入した軽戦車が主体だが、中には独自に開発した

 

大口径の野砲を積んだ砲戦車といった代物まであるというから、そのような重装備まで

 

運ぶとなれば、普通の船舶では当然不都合が出てくるだろう。

 

ましてや米国を仮想敵国と想定する海兵隊の主戦場は、太平洋に浮かぶ無数の島嶼帯であるから、

 

重量物の積み下ろしが出来る揚陸施設は少なく、桟橋すらない島も多い。

 

場合によっては敵前上陸もする海兵隊にとって、重装備を容易に運べて迅速に揚陸が可能な輸送艦

 

の必要性は、陸軍よりもはるかに切実なはずだ。

 

「いずれにしろこれは良い方法かもしれませんね。直接浜辺につけてしてしまえば、

 

積み下ろしに必要な設備も必要ないし、余計な手間はかかりません。

 

それに何といっても海上の移動に関しては、海軍の方が一日の長がありますし、参考になると

 

思いますよ」

 

明るい表情で阿澄少尉はいった。

 

話を聞いていた姫野樹大尉も、輸送艦に興味が湧き始めていた。確かに独力で改善を目指す

 

よりも、海軍の協力を得た方が効率が良く理にかなっている。

 

幸いなことに海軍や海兵隊には知り合いも多くいる。話を通せば詳しい事もわかるだろう。

 

どのような船なのか実際に確認してみなければわからないが、陸軍でも同じような物が

 

造れるのではないか。

 

輸送問題解決の糸口が見つかり安堵する姫野樹大尉の脳裏には、次の重戦車の構想が

 

浮かんでいた。

 

試製九七式重戦車は確かに強力な戦車ではあるが、既存の九五式重戦車の設計を流用している

 

ために、機動性等の面で不安が残っている。

 

予算と時間の制約上、早期に完成させる必要があったゆえの措置だったが、それだけに

 

中途半端な感が否めないのだ。そうした意味でも試製九七式重戦車はあくまで中間点に

 

過ぎなかった。

 

大尉が目標としている戦車は、主砲に長砲身の七五ミリから一〇〇ミリクラスの物を搭載し、

 

前面の最大装甲は七五ミリ以上、機動性も確保するため発動機は四〇〇馬力以上の物を

 

想定していて、重量はおよそ三〇トン近くになると見込んだ。

 

近年急速に発達しているソ連の戦車に対抗するには、最低でもこの程度は必要だというのが、

 

上司である渡良瀬少佐らと論議を重ねた末に出た結論だった。簡単な基本設計もまとめてある。

 

もっとも実現するには、解決すべき技術的課題が山ほど残っていた。おそらくあと数年はかかる

 

だろう。何よりも今回の評価試験を成功させなければ話にならない。

 

―――全てはこれからだ。

 

姫野樹大尉はそう実感していた。

 

 

 

―――数日後、無事天津に到着した姫野樹大尉らと試製九七式重戦車二輌は、独立混成第一旅団

 

に編入され、華北の平原で中国軍の機械化師団やドイツ義勇兵機械化旅団と激戦を繰り広げる事と

 

なる。

 

この出来事が、戦車の開発形態に多大な影響を及ぼすとは、大尉は知る由もなかった。

 

 
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