三国同盟という形で終着を迎えた動乱の時代。国全体が疲弊しきった中原は、壊し合い、潰し合うことをやめ、作り、維持するということを始めた。
群雄割拠の末、収まった三つの国はそれぞれの国を更に豊かにするべく、乱世の傷痕から立ち直ろうと勤しんでいる。
同盟の立役者といわれる蜀漢は、国を治める指導者としての教育を必要とし、魏と呉の王が代わる代わる来訪に、日々賑わいを見せていた。
皇族の血を引くといわれているとはいえ、生まれは農村の草鞋売りに過ぎなかった桃香と、数年前までは一介の高校生に過ぎなかった一刀。本人たちからしても、自国をより良くするためには王としての技能を身につけることは急務であることを理解していた。
泣く子も黙る魏の覇王と戦乱の風が絶えず伝えていた少女が、実は飴と鞭を上手く使い分ける教育者であると知ったのは、そのころ。
「あら? 指導者を評価するなんて、随分余裕があるのね?」
「指導者や為政者を評価できなくなる世界なんてゴメンだよ。
それに、余裕を与えるような教え方をしてるつもりだったの?」
帝王学の休憩がてら、一刀は華琳と東屋で茶をすすっていた。
秋空の体感で日没まで一刻というくらいの時間か。ちょうどおやつの時間なのだろう。
なんでもないように言葉を吐いて、ゆっくりと湯飲みに口をつける一刀に、華琳の口端が緩く釣りあがった。
実際、ぬるい教育をするほど、覇王は甘くもなければ無責任でもない。
桃香の悲痛な唸り声が執務室から上がることもあり、緻密に練られたカリキュラムは一刀にとっても厳しいものだった。だが厳しいその反面で、無茶なものでもなかったというのも事実。
もともと建国より慢性的な貧困に悩まされ、内政を重視した国家体制、さらに有能な将の少なさからオーバーワークじみていた蜀の国。さらにさらに愛紗や星などの「根性・情熱」で乗り切る将が先陣を切っていた所為もあり、忙殺という表現すら憚れるほどの情勢だったのだ。
多少の激務に対する耐性が付いたのは道理。
その点華琳の教育の中には、「休むこと」も含んでいた。
然るべき休息を取らなければ、十分な実力なんて発揮できるわけがないとは本人の弁。
徹底しているといえば徹底している。乱世の奸雄は治世では何処までも能臣だ。
「北郷は理解力があるから、教えるほうとしても楽しいわ」
「そういってもらえると、教えられる方としては嬉しいよ」
その「理解力」の中には、天の知識も幾分か含んでいるのだろうが、それをいうのは野暮だろう。
社会だの公民だの、あの世界で培ったそれなりの知識がこれほどまでに役に立つとは思わなかった。
欲を言えば、もう少ししっかり学んでおけばよかったとも思うが、ないものねだりは良くない。
それにあの頃の自分と今とでは、変わった自分も自覚している。
本音をいうときと、お世辞だとかの感情とは裏腹な言動をするときとで、華琳は眉の形が違う。
そんなことがわかるくらいには、ともにする時間が長いことに、一刀は苦笑をもらした。
「何を笑っているの?」
「いや。奇縁、っていうのかな? こうして曹操と茶を飲んでいるのとか、良く考えれば凄いことだよなって」
命の奪い合いをしていたのだ。
自国民を駒として、泥遊びのように血をかけ合って、その喉元に剣を突き立てるために武を、学を身に着けて。
国家間にある確執は埋まることはないだろう。家族や友を殺めた者がいるのだから。
だからお互いに監視しあうのだ。野心と怨嗟の獣が暴れないために。これ以上、この大地が紅く染まらないために。
かみ締めるように笑う一刀を見て、肩肘を突いていた華淋の右頬が、掌に深く落ちた。呆れたように眉を顰めても、不愉快な様子ではない。
「私たちをまとめてそそのかした張本人が何をいっているの?」
「そそのかすなんて酷いいわれようだな」
「まぁ確かに、他国の牙門旗に身を強張らせたりしなくなったことを自覚したときは、可笑しくてたまらなかったわ」
「身を強張らせてたんだ?」
「当たり前よ。どんなに万全を期したところで、絶対はないわ。一つの綻びで、全てが瓦解することだってある」
「まぁ、今が良い例だよな」
図らずとも皮肉のような意味合いになってしまったが、華琳はそうね、と天蓋の向こう側に広がる空を仰ぐだけだった。
諦めたような、それでいて吹っ切れたような横顔だった。
「こんな事態、予測できたとしても歯牙にもかけなかったでしょうね」
「こっちの陣営だってそうだったよ。ただ一人を除いてね」
強調された「ただ一人」に、華琳は鼻で笑う。
覇道に立ちふさがり、突き崩したその少女は、別室で今頃ヒーヒーいっているのだろう。
華琳も同じことを想像したのか、少しだけ複雑そうな表情をしていた。
「ホント。あんな娘にもっていかれるなんて、ね」
「もっていったなんて思っていないところが、桃香の一番怖いところなんだろうけど」
――三人一緒に立つことって……できないものなのかなぁ。
魏が呉へと攻め込んだとの第一報を聞いたとき、玉座に響いた蜀漢王の声を、一刀は思い出していた。
「……戦で人が死ぬ。戦で人を殺す。
あの時代、誰もが割り切っていたことを、桃香だけは捨て切れなかった。
流れる血に、敵味方関係なく憂い、傷ついていた」
時々、本当に稀にだが、子どもたちとじゃれ合う桃香に、痛ましさを感じることがあった。
「綺麗事だといわれることだって一度や二度の話じゃなったよ。
事あるごとにできるはずがない、と指を指されたりもしていた。
それでも捨てなかった。いや、捨てられなかったんじゃないかな?」
「捨てられなかった?」
自分の好敵手たる英雄の深淵へと繋がる話に華琳は肘に乗せた顎を浮かせた。
伏せられた一刀の視線は、目の前の菓子を、向こうにあるものを見定めようとするものだった。
「きっと、怖かったんだと思う。それを受け入れたら、自分の世界が崩れてしまうから」
不可能だとわかっていながら、できるわけがないと思いながら、それでも願うのは、善意や良心からではない。
それもあるだろうが、もっと根底的な人の感情。
自分を支えている理念を、人の定義を崩されることへの恐怖。
理性を持ち、考えることができるはずの人間が、無秩序な獣へと成り下がってしまうような絶望感。
だから否定したのだろう。あの乱世を。必死だった。望む世界がどれほど現実味がなくても。
痛ましかったのは、子どもたちへ向けられた笑顔があまりに純粋だったから、そう思わずにはいられなかった。
血風の世界には、そんな世の君主にはあまりに不釣合いだったから。
「乱世を否定する想いが力を呼び、次代を切り開いた。そういうことかしら」
「どうだろう? 少なくても、俺はその考えに賛同したんだ。力も学もなかったけどね。そうやって彼女の周りに、人が集まっていったんじゃないかな。それに、その中には曹操。君も入っているはずだよ」
「私?」
思わぬ飛び火をみせた展開に、華琳が驚きを見せる。
目を見開くその表情は、珍しいものだった。
「覇道を歩む曹孟徳は、乱世での犠牲を止むなしと考えた。そうして時代に『乗って』、その先に世界の安寧を望んだ」
それは桃香とは対極の発想。だからこそ対立し、だからこそ互いに譲ることができなかった。
「それじゃ、『華琳』という少女は?」
冷たく、風が吹いた気がした。
葉のざわめきが、華琳にはやたらと大きく感じられる。
喉を押さえつけられたような息苦しさに、一瞬視界が白くなった。
「……何がいいたいの?」
組み合わせた手の向こう側の、赤銅の瞳に華琳の背筋が冷たい。
戦場で、敗将に睨まれるそれとは全く違う、ほのかな熱を宿した瞳に惑わされる。
威圧でも、牽制でもない。ただの疑問に、自分の脆い部分が揺さぶられたような気がして、華琳は思わず眼力を強くなった。
剣呑な気にあてられながら、それでも一刀は穏やかに目を細めるだけだった。
「今までもそうだけど、俺は自分なりの推論で話しているだけだから。違っていたら謝るよ。
けどなんとなく、順序が逆な気がしたんだ。
『覇道の為に犠牲を払う』というより、『犠牲の為に覇道という言葉を用いた』ような」
違和感を感じたのは、五胡襲来直前まで続いた舌戦のとき。
彼女にとって、覇道という言葉は推進力であると同時に、抗いがたい楔にも感じた。
何百何万の人の死というものは、一人の少女が背負うにはあまりにも重過ぎる。
時代も世界すら違うから、言い切れないかもしれないけれど。
こうした時代になってそれは確信に変わっている。時々見せる華琳の表情は、どことなく桃香に重なるものがあった。
桃香に捨てる勇気がなかったように、華琳には抱える勇気がなかったのだろう。それが華琳という少女の中で、乖離を生んだ。
「それが一国の主というものよ。私情に流されては、大局を見失う。自国全体に不利益を被らせることにもなりかねない」
「そのとおりだよ。国の主であるなら、私情をもてない。けど、桃香が救いたかったのは、その『私情』なんだ」
民の生死を兵が、兵の生死を将が、将の生死を主君が負う。
天の国なんてところからきて、学んだのは結局、そんなことだった。
華琳、雪蓮。国を想い、非情なる決断を誰もがしている。好き好んでやるわけがないそれらを、辛酸舐める思いでそれをする。
桃香が止めたかったのは「やむを得ない事情」で回る、誰も救われない世界。
だって厳しい肩当のない身体は戦時のときよりもより驚くほど小さくて、華奢だったのだ。
湯飲みすら持て余すほどの掌で大鎌を握り、血を浴び、他者の恨みを跳ね除けながら、進む。
それもまた、茨の道だったのだろう。
だから――
「君主として生きた、君も幸せになって欲しい。
……今はそう思ってる」
それは桃香の願いで、そして一刀自身の想い。
暗愚で、幼稚で、それでいて尊い祈り。
綺麗事が切り捨てられるのは、そこに望みが無いように思われるから。
誰だって、他人が他人をいたわる、そんな世界を望んでいるはずなのだ。
利害の絡む現実では、砂上の楼閣に等しいそれを桃香は諦めなかった。
華琳とはまた違った茨の道を、仲間たちとともに駆けて来たのだ。
そうして今、遠かった者たちが、今では小さな卓3尺ほど隔てただけの距離にいる。
差し伸べた一刀の腕だけでは、埋めるには足りなかった。
その意を知らぬ操孟徳でもない。
差し伸べた手が繋がるまではそう時間はかからないはずだ。
頬を朱色に染めた少女の顔を眺めながら待つその数秒は、決して悪いものではない――。
初めまして。初投稿、初恋姫ssの牙無しです。
蜀編終了後、けれど登場人物は一刀+華琳という偏屈にもほどがある内容でした。
まぁ話の中心は桃香と華琳についてですけれど。
桃香は現実味がないと揶揄されたりしていますが、逆にあの時代であそこまで自分の考えを貫き通したかったのは、それなりの理由があったからではないかと。時代に迎合できないのは、自身を護るためだとすれば、愚か者といわれても必死になって信念を貫こうとするだろうなという、完全に創作です。
華琳については、誰かの人生を踏みにじる罪悪感を覇王という言葉で正当化して、自身を護ってきたような気がします。本当は脆くて挫けそうになる自分と『覇王たる操孟徳』とを分離させて、進んできたのだろうなという、完全な創作です。
特に華琳に至っては魏編未プレイなので、性格がおかしいかもしれません。
というか未プレイで書くという蛮行……。
一刀はプレイしての性格イメージが『身内には甘いけれど、戦時では打算的で計算高い食わせ者』でした。基本的には聡い青年だと思います。なんだか他の人とは大分異なっているようで……。PSP版補正かもしれない。性描写がないからとんでもなく紳士に見える不思議。朱里や雛里にもべろちゅーしてないんだから、本番なんてしてないよね?
あと蜀編のラストではまだ華琳のことは「曹操」って呼んでたよね? というか、一刀の目の色って赤っぽいよね? ……色々不安。
蜀編は評価が低いようですが、個人的には良いと思います。
大切な人が死んだり消えたりするのは確かに心揺さぶられますが、なんだか救われませんし。
フィクションくらいご都合主義の大団円でかまわないではないかと。
あと魏や呉の陣営とは一刀にそれなりの地位があるほうが面白いと思うのですが……。
華琳様と同じ陣営で支えるという物語は他の作家さんがもっといいの書いてくれますし、こんな作家が一人いてもいいのではないかと。
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初投稿。時流に乗っかって、真・恋姫のssです。
短編って明らかに少ないけど、需要あるのかなぁ。
一刀+華琳(+桃香)で、蜀エンディングのあと。
ちなみにPSP版の蜀編しかしたことないです。