No.197262

機動戦士 ガンダムSEED Spiritual Vol26

黒帽子さん

極道の中心で正義を解いたところでその正義の味方が暴力に晒されるだけで終わる。それは平和のない世界を生み出す一つの理由…。この世にはそれらを駆逐する最強力があるというのに…彼らはそれを救えない。
救えたとしても―暴力での圧殺は恐怖政治以外の何者でもない。それを是とするものは…
99~101話掲載。平和が欲しければ心の自由など必要ない

2011-01-22 21:32:05 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1186   閲覧ユーザー数:1174

SEED Spiritual PHASE-99 世界を変えたい

 

 〝アイオーン〟が統合国家関連軍とおぼしき存在に追い回されている頃の〝プラント〟を構成するコロニーの一基、〝セプテンベルシックス〟。いつもは静かな電子工学都市は俄な騒がしさを抱えていた。

 カナーバ孤児院に小銃とバリスティックヘルムで武装した男達が踏み込み瞬く間に制圧を完了する。目を剥いたアイリーンの前にはクロフォードの顔写真が突きつけられていた。併記されたデータに興味はない。彼らの態度と、従弟の画像データ、そして四ヶ月前を思い返せば自ずと彼らが吐きそうな言葉は想像できる。

「クロフォード・カナーバの重要参考人としてご同行願いたいのですが」

 今になって思い返せばクロフォードの態度に引っかかるところが多々あった。アイリーンこそが残った最後の穏健派だと嘯き、今のクライン政権に失望しているような言葉の数々を漏らしていた。だがそれらを、今にならなければ引っかけられない。アイリーンは自分の不注意を呪い、嗤う。

 クロフォード・カナーバが、あの黒い〝デスティニー〟のパイロット。世界を震撼させるテロリストだという。あの時から? 久しぶりに自分を頼った彼は、従弟の皮を被った破壊者だったと?

「わたしが、か。まあそうね……」

 生体電子頭脳の新理論はまだ形になっていないというのにこれだ。短い人生、時間を有効利用したいと思う。アイリーンは未完成の、十三本目のマフラーを放り出すと嘆息混じりに立ち上がり、保安局員に挟まれた。

 ――日中散歩など久しぶりでありこのコロニーを訪れることも久しくなかった。懐旧の情が湧き上がる。……いや、過去の栄光への羨望が、か? 数時間後、彼女は〝アプリリウスワン〟に立っていた。

「お久しぶりですねクライン議長閣下」

 程なくして議長の前に出頭させられたアイリーンは、その挨拶に言いようのない皮肉を感じていた。クライン議長閣下。自分がそう呼んでいたのは彼女の父、穏健派の中心人物シーゲル・クライン。クライン議長と口にすれば今も脳裏に浮かぶのは壮年の男の姿だ。そして彼は自分と志を同じにするもの――すなわち味方だったのだが、今は目の前に座する小娘に過ぎない最高権力者とは肩を並べず相対している……。ともに同じ『穏健』を謳うもの同士でありながら、なんなのだこれは?

「お久しぶりです。カナーバ前議長」

 アプリリウス市の議場。二年程度前にはあの椅子には自分が座っていた。今は後任のものがいるはずだが今は弁護を怖れてかセプテンベル市の議員席は空席となっている。

「もう議長とは呼ばないでください。わたしは国政に携わるものではありません。ただの孤児院長ですから」

「……失礼いたしました」

 彼女は礼を失すること無いようその肩書きを選んだのだろうが、逆効果だ。

「ラクス様、あなたのような方が孤児院に……何と言いますか、ガサ入れ?」

 皆が皆眉を顰めたが、何も言ってこない。評議会議員の先達という立場が幾らか緩衝材になってくれているらしい。言いたいことが言える立場など、議員だった頃にも無かったというのに。

「統合国家の代表は次のテロが起こるまでは手出ししないとの決定を下したとのことですが、わたくし達はそれを全て認めるわけには参りません」

「あら、統合国家と仲違いを?」

 犯罪者の縁者が、からかいすぎたか。ラクスの憮然とした表情を初めて見せつけられた。シーゲルと共にいる姿、ステージで浮かべる笑顔しか知らなかったアイリーンから彼女を偶像として扱う気持ちが消えていく。

「……わたくしは戦いたいわけではありません。守りたいのです。何かが起きる前に彼らを停めたいのです」

 黒い〝デスティニー〟はどれだけ壊し、どれだけ殺したかわからない。アイリーンも数ヶ月前〝アプリリウスワン〟が彼に蹂躙された事件は知っている。あれがまたどこかで起こると考えれば……コーディネイターの理性的な思考は否定的な見解を示す。それに家族が関わっているとなれば尚のこと。

 だが――

「キラ・ヤマトと言う逆らえない力で、ラクス・クラインの思想を無理矢理世界に浸透させている――」

 絶句が周囲の空気まで凍り付かせた。手を動かすだけでぱりぱりと音を立てて崩れそうな空気は、むしろアイリーンにとっては心地よかった。

「クロフォードがわたしに言った言葉です。その時はちょっと眉を顰めましたがあなたのやり方を見ていると、それに同意したくなるのは何故でしょう?」

「カナーバ院長……!」

 本当に何故だろう。感情に理由を探すことなど無駄なことかも知れないが、探し始めて最初にリフレインしたのは最前の彼女の言葉だった。

「――戦いたいわけではありません――」

 彼女の言葉を偽善と感じたからか? 戦いたくない? ならばなぜ、〝デスティニープラン〟を受け入れなかった? 彼女は最高位の議席を簒奪して、未だに究極の平和を見せてはくれていない。クロフォードは言った。「世界を変えたい」と。それは――昨年彼女達がデュランダル議長に対して抱いた思いと同じではないのか? それを、悪と断じたとする。ならば、彼女は本当に正義なのか。

(全く…こんなこと考えるなんてわたしは政治屋じゃないわね…)

 政治家の思考ではない。子供を人質に取られ、理性を根刮ぎ掬い取られた母親の思考だ。それを恥じるべきなのかも知れないが、生憎と、今わたしは政治家ではない。

「彼を戦わせているのは、あなたよラクス・クライン」

 椅子がガタガタと音を立てた。こんなのが嫌だから穏健思想だったというのに……わたしは今何をしているのか。クロフォードと言いラクスと言い、妥協をもう少し学ぶべきだ。人は誰も至高神にはなれない。彼らのどちらにもその資格に足るだけの能力など無い。

(そう考える……はは。わたしも押しつけてるわけよね)

 同期で何かと反目していたエザリア・ジュールの冷たい目を思い出した。ザラ派であった彼女は何かと自分の意見を押し通そうとしていたが……自分の裏側がまさか彼女とそっくりだったとは。今度会ったら頭を下げなければならないか。

「カナーバ院長。それ以上は弟さんを庇い立てしていると見なしますよ!」

 アイリーン・カナーバ前臨時最高評議会議長は被拘束を覚悟した。

 

 

 

 ――ネオは〝デストロイ〟の前にたたずみながら、抑留中のダメージから回復して間もないかたわらの少女に語りかけた。

「ステラの、新しい機体だよ」――

 

 思い出しながら、ムウは奥歯を噛み締めた。あの時稚い瞳で自分を見返してきたステラ。彼女の信頼に痛みを感じながら思い返していたのは〝インパルス〟を駆り自分達を苦しめたザフトの少年の、真摯な瞳だった。

 

「死なせたくないから返すんだ! だから、絶対約束してくれ! けっして戦争とか、モビルスーツとかっ――そんな、死ぬようなこととは絶対遠い……やさしくて、あったかい世界へ彼女を返すってっ!」

 

 その言葉を思い返しながら自分がなしたのは……悪魔のささやきを零すことだった。

 

 ――「怖いものはみぃんな、なくしてしまわなければ……」――

 

 べき。噛み締めすぎた奥歯が音を立てた。これほどまでにどうしようもない罪を、俺は忘れて笑っていたと言うのか。彼は〝メンデル〟で遭遇した怒れる〝デスティニー〟を思い出し、今は恐怖ではなく申し訳なさで胸が潰れそうになっていた。

「あぁ〝インパルス〟の坊主……お前は俺を恨んで当然だよ」

 皆が笑い合える平和を望むならば約束は果たされなければならない。先程手に入れた〝ターミナルサーバ〟がムウへと情報を運んでくれる。ともすれば激流じみた情報の波に押し流されそうになるが、ムウは時間をかけて一つの居所だけを追っていった。ケインの嘲笑が聞こえたような気がする。ムウは意図してそれを無視した。

「見つけたぜ。俺が行くまでどこかに行くなよ」

 だが、彼と話をする為の力と彼に追いつく為の足が不足している。暴力的な組織に身を置いた件の少年に接近する術がなければ撃墜されるのは目に見えている。彼が自分に遠慮する理由はなく、また彼が今属している組織にも自分に遠慮する理由は毛頭無い。

「……とは言え、どーしたもんかね……」

 ムウは再度情報の海へ沈み込んだ。

 

 

 

 輸送船内での生活は意外と快適なものであった。

「お前、料理旨いなぁ」

「ありがとう。最近流行の料理本は全部頭に入ってますよ。読書は嫌いなんですが、ティニ様がつぎ込んでくれましたので」

 レシピ通りの融通の利かない腕前と蔑むものもいるだろう。だが、煮込みものとレトルトしかできないクロは戦場でこんな料理を味わったことはない。自分に限定された食材だけ渡されても恐らく二十分程唸っているだけだろうが、彼は即座に調理を始めていた。即戦力である。

「針路、どうしたんだ?」

 免許を持っているような存在は誰もいない。でありながらルナマリアの治療から情報収集、痕跡抹消に操船までプロフェッショナルに事欠かない。素晴らしく即戦力である。

 そんな彼らは口を揃えて言う。「私はこれを学んだことはない」。

「しかしスゲェなこれは……オレは思想統一的な意味で言ったんだが……」

 りんごしゃりしゃり剥いてやりながらぼそりと零すと包帯まみれのルナマリアが何を今更と溜息をついた。

「お、気がついたか」

 ……寝起き状態。頭の回路が繋がっていないらしい。ぼーっとするルナマリアに声をかけたクロはなにやら淋しい思いを抱いた――が、何かの拍子に現世復帰した彼女は凄まじい勢いで縋り付いてきた。

「クロ……あっ! シンはぁあああっ!?」

 縋り付こうとして全身の痛みに逆に仰け反りその反動でまた涙目になったルナマリアがシーツの奧でうずくまった。そんな彼女の背中を押さえてあやしてやる。

「悪いな。シンは見逃した。だがまだティニとあいつの〝デスティニー〟は繋がってるってんで追跡して貰ってる」

「そ、そぉ……」

「しかしお前の部下スゲェな。オレはくつろいでるだけの仕事なんて今までやったことねえよ」

 指示をせずとも皆が完璧に仕事をしてくれる。それで順調に動いていくというのなら上司などいらない。クロは無能の上司を演じながら多少の心苦しさを覚えてはいたものの、こんな人ばかりならば世界はもっとラクに回っていくのだろうと夢想していた。

「わたしの部下ってより……ティニの奴隷よ。あなた、何とも思わないの?」

「思うこと、か?」

「彼らを洗脳して……あんなにしちゃったのはあなたよ」

 思うことか。

「ティニから彼らのことは聞いてる。そのままだと飢えて死ぬか、大量虐殺犯罪者やりそうな奴らだったってのをな」

 ルナマリアがこちらの何かを否定しようとしていたその視線を反らした。

「それを、飯作ったり治療したり敬語で喋ったりする友達にしたのがオレだって言うんなら、誇りに思うけどな」

 反らされた目は戻ってこないが、何かを不満に思う気配だけは漏らしてきている。クロは溜息をついた。

 そのまま重苦しい沈黙が支配して……リンゴを剥き終えたクロは手持ちぶさたになった。

「ほら、栄養取れ怪我人」

 沈黙に耐えきれなかったのは彼女も同じだったのだろう。爪を噛むことすらできずにいたルナマリアが瞳を揺らし、更に顔を壁へと向けていった。

「前にクロ、勝手なことしてた政治家の誅殺ってやったことあったよね…………」

 しばらく思い出せずに凍り付く。そう言えば倭国で天下りの専門家をぶち殺してやったことがあったような。

「ん? あぁ、倭国で傲慢なおっさんを踏み潰したことか?」

「そう。あんなこと、よくできるなーって思ったんだけど、クロは迷わなかったの?」

 人が血を流しても堂々と他者の迷惑になる自分勝手を通せる奴など世界の毒。死んでも影響はない。寧ろプラスだと言った考え方が脳裏をよぎるがその思考を努めて客観視してみる。

 法によらない殺人。個人の裁量で正義を決め、勝手に裁くことは許されるのか。だが、その行為によって喜んだ人――いや人々が出たのも事実。クロは自身の犯罪を是とした。

「あー――。もし完璧な法が作れて、その判断に誰もが納得するようになったとする。だが、政治家的な奴らはその法自体をねじ曲げることが出来るんだ。罪に対する罰をちらつかせ抑止力にしようとしても変えられるようじゃ弱すぎる。そんな正義、信じられない」

 ルナマリアの目がこちらに向いた。正義などという青臭い言葉、彼女がどう受け取ったかは疑問だがどう受け取られようとも自分の話す真実に揺るぎはないと思える。

「だからそもそも犯罪を思いつけない存在にした方がマシだと思う。そうすれば、誰もが誰もを絶対に信じられる」

「でもわたし、自分を書き換えられるのは嫌よ」

 彼女の反論は早かった。

「まぁなぁ。抵抗があって当たり前だとは思う。だから思想にまで介入する手段じゃなく、狡猾だとか自分勝手に相当する要素を取り払える状態がベストだと思うんだ」

「クロって……歪んでる。そんなの、誰も賛同しない……」

 やはり彼女の反論は早かった。もう心の中で固まった意識があるのだろう。別に説得がしたいわけではないつもりだが反発は生まれた。

「なら聞くが、シンを見つけた瞬間前後不覚になって仲間全員を危険にさらしたあげく死にかけたようなお前の判断は究極だったと胸を張って言えるわけだな?」

 反論が絶句に覆い尽くされた。口を開いたまま声を出せないルナマリアに暗い満足感を覚えながら、クロはその心を危険と感じた。それはつまり、自分の目指した世界に不必要なものだからだろう。

「心では、シンを取り戻したいとすっげぇ強く思うわけだろ。だが、そう言う場合こそ感情のままに機関最大やるより冷静に対処し、敵の手薄なところ、シンの逃げそうな所を想像して狙ってやった方が捕まえられる確率は高ェと、お前も思うわな」

「……まぁ、うん…」

 気にくわなくても真理は歪められない。クロが言いたいのはそれだ。

「オレの考えは、それを確実に、みんながやれるようにしたいってだけなんだがな」

 その為に心の自由を奪うのか? そう奪うのだ。その方が皆幸せだと思うから。クロは自分の……『非道』を反芻し、それが自身の正義に何ら抵触しないことを確認した。だがその間に、全身激痛で動けないはずのルナマリアがどこからともなく引っ張ってきた端末を操作し、こちらに見せつけてきた。

「ぁん?」

「ティニが送ってきた今の月。わたし達の軍隊よ」

 ルナマリアが差し出してきたのは〝アルザッヘル〟、〝ダイダロス〟、と言った軍事基地まで含めた月の制圧状況だった。白と赤に塗り分けられた地図――いや、赤に大部分を浸食された地図か。これは……つまり、月だけに限定すればかつての地球連合に匹敵する規模の人員だか戦力だかがティニの手中に収まっていると言うことなのか。

 その事実と勢力図を見ただけなら感情は満足で留まっていただろうが、続いて表示された映像がその心を変質させた。

 種種雑多な人類が完璧な碁盤目状に並んでいる。身長、体格、肌の色や腕の太さ、服装に武装まで十人十色だというのにその全員が同じニンゲンに見える。全員が、数年クラスの軍務経験を有し、周囲の全てを完全に信頼でき、でありながら真横の同僚がとてつもなく無惨に潰されようと眉一つ動かさずに任務を完遂できる存在達なのだろう。

「こ、これはライブか?」

「そうじゃないみたいよ」

 表示される群生物に……言い知れぬ気持ちの悪さを感じたのは否定できなかった。

「――もっと増えてるはず。月にザフト対抗勢力作るって言ってたから」

 ……否定できなかった。

「でもこれは……今の世の中に暮らしていけない奴がゴロゴロいるってことだよな……。ただ今に満足できねえってだけなら――お前みたいに思って洗脳を受けようって気にはならないだろ……」

 ルナマリアから反論がなかったことから推せば、ティニが捕虜を強引に下僕に変えるような真似をしていないと信じられる。その事実が世界の不完全さを象徴しているようで……やはり気持ち悪さを否定できない。

〈クロさんルナさん、ちょっとよろしいでしょうか〉

「ん? やばいことか?」

〈いえ。ティニ様からの暗号伝聞です。オーブに向かうようにと〉

 …………

 は?

「あぁ!? なんでオーブ? 宇宙に上がるんじゃなかったのかよ?」

 この兵士達が場の空気も読めない冗談を言うはずがないとわかっていても、クロは全力で聞き返してしまった。ティニの意図が全く読めない。それとも〝ルインデスティニー〟が無事送り返され一流戦士大勢が手に入った今、怪我人コーディネイターと足かせナチュラルなど処分して構わないと言うことか? いや、そんな不確定な処分方法はあるまい。クロの体内には今もティニと繋がるナノマシンが入っているのだ。折角現座標から逃亡しても再度補足されるような危険性を放置すまい。どこか人の目に付かないトコに送り込み、〝ルインデスティニー〟の連結砲で塵も残さず証拠隠滅、の方が確実だ。

 疑問には、通信を受けたらしい洗脳兵が答えてくれる。

「えー、使えそうな宇宙(ソラ)への足がかり、確定できたのはオノゴロだけだと言うことです〉

「どういうことだ?」

 マスドライバーの使用は度外視した計画らしい。

 〝ブレイク・ザ・プラネット〟は宇宙への道を軒並み閉ざしてくれた。大地震に晒されたパナマ、ビクトリアのマスドライバーは完全に崩壊し、比較的震度の低かったと言える南半球を漂っていた〝ギガフロート〟も今は転覆して使い物にならなくなっていると聞く。

 確かに今〝カグヤ〟に近づこうものなら統合国家の軍隊に取り囲まれること必至だろう。だが、他に手があるか? 〝アメノミハシラ〟が軌道エレベータとして機能しているのなら話は分かるが……。

〈〝カグヤ〟も津波で倒壊してますが、オノゴロ島の工廠に無事なものがある、と〉

「工廠だと? なんだ……まさかブースター付けた戦艦とかかっぱらってこいってんじゃねぇだろうな? 制圧も無理だし操縦も……いや、みんなできるのか……?」

 ディスプレイの奧で洗脳兵が首を横に振る。新たなデータが画面の端に表示され、とある工場の見取り図が表示された。記された光点に連なる注釈には――

「? 作業用の、ロケット?」

 ………前時代の遺物だ。昔は重要な宇宙への足がかりだったかも知れないが、今はデブリを捨てる清掃車的な用途しか無いような気がするが……それにこれだけの人数が乗ってけってのか?

「せめてシャトルくらい用意できねーのかな……天下の〝ターミナル〟様が……」

〈地震の影響はやはり大きいみたいですね〉

 輸送網が死んでいても情報網が寸断されていないだけ良しとすべきか……。だがNジャマーの影響下、それもどこまで信頼できるか解らない。世界中に敷設されたはずの通信ケーブル、特に海中に放置してあるようなものなどズタズタになっていることだろう……。レーザー通信で、どうやってるんだろうか。

「まぁ、次善でもなんでも道が在ればいい方だ。やれることやるしかねえな……」

 どうせ端から無謀な計画なのだ。世界の支配者に立ち向かうなどと言う行為は。

SEED Spiritual PHASE-100 人助けにも理由は必要

 

 指名手配犯クロフォード・カナーバはどこでいつ捕まるかわからない。だからこそ最重要要素たる〝ルインデスティニー〟を別の安全経路に乗せたのはクロにも納得できる方策だ。どう回収されるか聞かされていないが――〝ミネルバ〟に回収され、〝プラント〟に送られるはずだった〝ガイア〟を自分のものにしたほどの〝ターミナル〟の裏ルート。抜かりはないのだろう。だが理解できても納得できても、捨て石にされかねないこの不安は消えようもない。

 オーブ。地球圏汎統合国家。世界を回ってみて、その名が形骸どころか夢物語だったというのは身に染みるくらいよく分かった。目にしてきた組織、そのどれだけが今残っているのかわからないが、複数存在する時点で統一という概念から逸脱している。まあそんなことはどうでもいい。

 クロは情勢が混乱してくれていると隠密活動がラクでいいなぁと期待していたが、流石は滅ぼされ『慣れた』世界の中心。津波か地震かもしくは両方の影響で倒壊した建造物、ぬかるんだ地面も目立つのだが……〝アストレイ〟が頑張っているようで瓦礫が積まれ、人が途方に暮れているような光景は見られない。

「はい退いてください! 怪我人です!」

 そんな復興途上の大都市で、クロは叫んで人を退かした。洗脳兵達に混じり、医療従事者に化けてストレッチャーを盛大に引っ張り回す。引っ張り回されている患者さんはルナマリア。彼女は今も残るザフト軍籍を利用してオーブ軍関連の医療施設での入院が予定されているという。

「バイタル120の85 意識レベル15――あ、右上腕と左大腿骨折してるので気をつけて下さい!」

「解りました。お疲れ様です!」

 車輪の転がる軽快な音を残しストレッチャーが見えなくなった。サインを受け取り擬装救急隊の仕事を終えたクロは取り敢えず同僚に話しかけた。

「行くか」

「ええ。治療が一段落するまでには準備終わらせませんとね」

 オノゴロ島への侵入は果たした。モビルスーツも乗っていない空の輸送機をその場に放棄すると、クロらは散り散りになっていく。彼らがどこに潜伏するのかクロは知らない。もしかしたら件の工場に忍び込んでロケットの修理に着手するのかもしれない。なんだか色々申し訳ないが〝ターミナル〟の構成員は適材適所に割り振られた仕事をやればいい。上の割り振り方は下手な――どころかどんな組織より信頼できる。無知が意見して停滞させるのは無駄だ。

 クロは手元の端末を操作する。何やらしばらく住まなければならないらしい場所へ示されるがまま誘導され、倉庫を横目に――

「あれ? クロさん!」

「あ?」

 端末から目を離しまず前を見た。特に誰もいないので右を見た。見覚えのある女がいるが……誰だっけか? 顔は浮かんでも名前が繋がらない。

「え……覚えてない?」

 何か女に泣かれるようなことはしてはならないような気がする。焦燥に駆られたクロはここ最近会ったことのある女性を順番に思い描くと彼女の顔は意外に早く浮かんだ。

「あ、あの時の提供者さんか。久しぶり。お仕事か?」

 名乗って貰ってないはずだ。思い出せないことをそう結論づけることにする。

「いーえ」

 否定と共に彼女は身体を反転させた。空を見上げるその表情は、拗ねているようにも見える。だがその拗ね方は可愛らしくむくれている類ではなく、こぼれ落ちそうな赤黒い憤怒を何とか見せまいと必死になっている類のように感じた。躊躇いを払拭しきれず、ただクロはその「いいえ」に目をすがめる。

「干されたのよ〝ターミナル〟」

「なに?」

 またもその単語を気安く口にした彼女にクロは怯み、同時に干されたことを納得する。

「あんた……なんだ、機密晴らしでもしたのか? そりゃぺらぺら喋るよーな奴は――」

「アスラン・ザラを手伝ったらアンタの軽口と同じこと言われたわ」

 視線を合わせたら殺されるような気がした。

「ど、どういうことだよ……」

「言葉のまんまよ。私はスカンジナビア王国で情報屋みたいなのしてたんだけど、オーブに言われてアスラン手伝ったら、裏切り者と〝ターミナル〟に言われてクビ。王国にそのこと伝えたら無能の烙印押されてやっぱクビよ」

「ちょっと詳しく聞かせてくれ」

 世捨て人じみた溜息を吐く女にクロは興味を引かれた。その中にアスランの名前が出てくれば尚のこと。はぐらかされても問いつめようとクロは言葉を探し始めたが彼女も愚痴を言う相手を求めていたようだ。クロが言葉を弄することもなく彼女は全てを話してくれた。

 アスランに尽くさないと国家反逆に問われかねない。だがそこを立てれば〝ターミナル〟を裏切ることになる……。そして両方を立てようと頑張った結果、両方から捨てられた。しっかり聞いてしまったクロは……ひとまず同情した。

「いや、ホントかそれ……なかなかあんた可哀想だな……」

「ありがと。取り敢えず解ってくれるだけで充分よ……」

「で、ここまで話してなんだけど……あんたの名……コードネームなんなの? 代名詞じゃ呼びにくい」

 相手が凍り付いた。

「そう言えば……言って無かったっけM‐S……いえ、ミリアリア・ハウよ」

「ミリ……え、あんたそうなの!?」

 ミリアリア・ハウと言えば、〝アークエンジェル〟のCICではなかったか? 疑問の晴れなかったクロは密かに端末を操作すると〝ターミナルサーバ〟がその事実を裏付けてくれる。ミリアリア・ハウ、C.E.55年2月17日生まれ、血液型(ブラッドタイプ)ABのナチュラル。〝ヘリオポリス〟の工学カレッジ時代はあのキラ・ヤマトの学友でもあった女。〝ヘリオポリス〟コロニー崩壊の際地球連合大尉に拉致される形で〝アークエンジェル〟に乗艦、そのまま軍事の真似事を覚え込まされた。〝第二次ヤキン・ドゥーエ戦役〟の後は〝クライン派〟とのコネクションを用いて〝ターミナル〟に参加。表向きはフリーのカメラマンとして戦場を撮っていたらしいが先の大戦の際、その職を蔑ろにして〝アークエンジェル〟に参加したその『潔さ』から言っても職業がカモフラージュに過ぎなかったことを臭わせるようにも思える。実際の所はどうだか解らないが。

「ミリアリア……そうか。あんたも苦労してるな……」

「共感はありがたいけど過分な同情なら結構よ」

 勝ち気そうな瞳を返された。誰にも頼らず一人でやっていく覚悟はあるらしい。だが、そう言う人間をこそ助けようと思うのは間違いか?

「でも干されたんだろ。住むトコ大丈夫か? 三、四日程度なら匿えるが……」

 ……提案しておいて何かと思う。多分こんなのを匿ったと知れたらノストラビッチに呆れられ、ティニに冷たい目を向けられあの洗脳兵達から合理性がないなどと罵られること間違いあるまい。だが……一度は世話になった相手だ。

 人助けに理由が必要か?

 ミリアリアは目を丸くしている。

 ……理由は、必要なのだろう。現状の社会に溶け込みたいなら。利益と迷惑を天秤にかけ、利が勝らなければ動けない。自身は利己を無視して正義のためと邁進しても周囲に利がもたらされなければ正義が社会から阻害される。間違っていると思いつつも人にはそれを正せない。

「うーん…遠慮しとくわ」

 彼女にも彼女の都合というものがあるのだろう。

「あなたも男なわけだしね」

 ……全然違う方向から却下された。まぁ思い当たらなかった自分も思慮が浅い。

「……そうだな。危険を増やす必要はないわな」

 ミリアリアは頷くことも首を横に振ることもせずに立ち去った。〝ターミナル〟の仕事をするのかとも思うが、今は無職の彼女。詳細な部分までは照会しなかったが〝ヘリオポリス〟にいたということは、オーブの人間で里帰りとも考えられる。

(まぁ、関わることもないだろうってぇのに気にしてても仕方ないか)

 特徴的な髪型の後ろ姿を見送りながら、クロは隠れ家への道順を思い描いた。

 

 

 

 クロ達がどう宇宙へ上がろうか検討している頃、ヨウランとフレデリカは生物兵器の実験のため地上へと降りていた。見た目は軽そうでも実際はハードスキン軍用車然とした車のステアリングを切りながらヨウランは憂鬱なため息をついた。助手席のフレデリカは車体が曲がる度右へ左へと力無く揺れる。それが彼女の、任務に対する気怠さを示しているのか単に筋力と根性がないだけかは彼には判別できなかった。

「バイオテロだよなこれどー考えても……」

 気が滅入る。

 手渡されたのは新型S2インフルエンザウィルスをベクターとした怪しげな思考浄化装置とそのウィルスを無効化するという抗生物質。思考浄化などというと綺麗事かいかがわしさかどちらともとれない不確かさしか感じられないが、詰まるところは以前自分たちが精神科領域の治療を行ったことを拡大実行するための道具と言うことだと認識している。

 治験方法は至って簡単。自分たちは抗生物質で身を守り、人が変わる様を見届け、その範囲を主観で判断すること。全くもっておぞましい。ヨウランは再度げんなりとした。

「確かにそうですけど……それを言ってしまえばわたし達の所属自体がテロ組織なわけでして……」

 大地毎壊滅した大西洋連邦からは多数の難民が出ている。北側は山脈ができるほど地形損傷が激しい上、ベーリング海峡に阻まれるためユーラシア連邦への道は閉ざされていると行っても過言ではない。故に難民の大多数は南アメリカ合衆国に救いを求めることになる。

 難民とは言え元は世界一裕福だった連邦国家の住人。着の身着のままという者は少なく、意外と「持って」いる。持っている以上は、狙われる充分な理由になる。

「これ……非道い……」

「ああ。思った以上だな」

 実験のためできるだけ荒れた世界を求めた結果、ティニの提示した場所が北米大陸南端地域だった。自分たちは隠密を旨とし、人目を避けて彼らを伺っている。しかし逃げ延びることに躍起になっている人々は彼らの巣、その真っ直中に進入することとなる。

 手斧、鎖、さびた軍刀に時折銃。統一性のない凶器を担いだいかめしい風貌にいかめしい装飾を施した人間達が、南の救いを求める平和の民を待ち受け取り囲む。顔中を金属片で装飾した男達は平和の中ですら悪魔を模したファッションと囁かれることだろう。そして理性など必要のない世界に墜とされた彼らは……人にあるまじき行為を笑いながら実行する。幻想に求める必要はない。悪魔はこうしてここにある。

 始まったのは略奪だった。落ちぶれても中流を自負できた衣服も家財も尊厳すらもはぎ取られ、酸鼻極まる陵辱の限りを尽くされる。弱者を虐げる為に手足は武器となり、快楽と共に適度な運動となる。待てば物資は転がり込み、外道が満ち足りた生活を送れる。

 そして最期には命すら刈り取られる。喜悦を叫ぶ悪魔達に理性の枷などあろうはずがない。彼らにはこれが生きる術なのだろうから。荒廃した世界。それを間違いだと叱責に来るような健全な政府などお目にかかれない。

 ヨウランは地獄を安全圏から覗き見ながら凄まじい罪悪感に襲われていた。だが、自分に何ができる? シンや、アスランだったらどうか。力ある彼らなら、あの行いを正すため行動することもできるかもしれない。だが自分の義憤など役には立たない。正義を振りかざした結果、自分は喰らい尽くされ脇にいるフレデリカまでも……輪姦される事になるだろう……。

「だ、大丈夫ですかヨウランさん? ふ、震えてますけど…」

「………………な、なんでもない」

 その場面を想像し、顔が熱くなった自分を恥じる…。自分も同じだ。何かで取り繕っても、あの汚いニンゲン共と……。一通りの蛮行を録画してはあるが……これを二度見ようなどと言う気には到底なれそうもない。

 だが、そんな無力な自分が、世界を正せるを持っている。ヨウランは地獄から目を背けると背後に立てかけてあったトランクケースの封を解いた。

 収められてていたのは金属製の円筒数本、アンプルが幾つか詰まった正方形が一つ。筒には思考を操るインフルエンザウィルスが充填されており、アンプルにはそれを無効とするらしい成分が含まれている。

「はい、フレデリカ」

「ありがとうございます」

 注射器とアンプルを手渡した。

「フレデリカ……静脈注射ってできるの?」

「え?あ、はい。私、看護師資格持ってますから」

 ……この娘、スカンジナビア王国で政治っぽい仕事に着いていたとか言わなかったか? 人はどこで何を学んでいるのか解らないものである。どうしても自分の腕に針を突き立てる気になれないヨウランは腕をまくり彼女に突き出すと酒精綿消毒と共に彼女に任せきった。

 いつの間にか止めていた息を吐き出すと、彼女は自分の腕に針を突き立て薬液を流し込んでいる。ヨウランはなんだか情けなくなった。

「ティニは、この薬について、なんて言ってたっけ?」

「えー……経口で二十八時間、注射だと三十分程度で効果が現れ、一月程度無効化すると、私のメモにあります。えぇと…思考云々は解りませんが、感染状況とワクチンの有用性はラットで実験しました。私やりましたから、効能は大丈夫だと思います」

「三十分か。じゃぁちょっと待ってから散布した方がいいかな」

 傷口を揉みしだいた綿を捨てる。それからが問題だった。話題のない三十分というのはかなり長く感じる。

「……効かないと拙いから余計に待った方がいいよな……」

 そして不安に思うとそんな鬱陶しい待ち時間にさえ+αを与えてしまうのは何故だろう……。ヨウランはひたすらひたすら時計を気にしていた。が、居心地の悪さは文字盤を見ても脳まで情報を運んでくれなかったらしく、四十分経過を先に言い出したのはフレデリカの方だった。待ち続けていたその時だが、いざ訪れると恐ろしい。銀の筒にかけた掌は汗でじっとり濡れていた。背後で気遣うようなフレデリカの気配を感じる。が、これまで女に任せてしまっては、自分はヴィーノを嗤えなくなる。

「………じゃあ、やるぞ」

 これが、眼前の地獄を正す術だとは、思う。

 だがいいのか? 本当に、これを解放して? パンドラの匣の最後の一滴まで世界にばらまいてしまうことに成りかねないか?

「…はい」

 彼女の声を踏ん切りの合図とし、疑問を行動で掻き消した。レバーを引き落とされた銀筒は気の抜けるような音を漏らしながら何かを吹き上げる。

「……何も見えないから、ちゃんと吹き上がってるのか不安になりますね……」

 ちゃんと出ていないから不安になるか、毒を撒き散らしているから不安になるのか……。

 その結果は一晩を経て出る。

 窓から差し込む朝日に眠気に押し遣られながらも使命感に突き動かされシーツにくるまったまま双眼鏡を覗き込んだヨウランは瞬間完全に覚醒した。

「フレデリカ!」

 一応の礼儀として別の部屋に引っ込ませていたことがもどかしい。呼んでも来ない女に苛立つヨウランは双眼鏡から目を離せぬまま窓の桟を乱暴に叩き、呼び続けた。

「は、はいっ! すみません!」

 それでも髪の毛以外整えてきたようだ。女の不思議に舌打ちを零す間にも、予想しながらも想像できなかった世界が遠くで流れている。

 墓が、作られていた。

 顔中をピアス穴と金属片で埋め尽くしていた男が涙を流しながらうち捨てられていた屍を谷底から引き上げ、自らが陵辱し尽くした存在を丁重に弔っている。その数は計り知れず、既に墓作りだけで長時間に渡っていることを窺わせる。

 ヨウランは慌てて昨日記録しておいた映像データを見直した。画面の中で搾取を働いていたモヒカン男が、レンズの先では嗚咽を漏らしている。

 今日も、難民がここに来た。彼らの、親しみを駆逐する容姿に疲れ切った家族の口から悲鳴が漏れる。しかし極彩色のモヒカン男は彼らに丁寧な挨拶を返すと自らの乗り物を提供し、南への道案内を始めていた。家族は第一印象を拭いきれず、不安な視線を彼に注ぎ続けているが、更に援助の手を惜しまない彼に……おそらく、いや確実に他意などないのだろう。

「…………俺達も、注射打ってなかったらあーなってたのか?」

 人格。自分そのもの。根源価値観を変えられたかも知れない不安感に、戦慄が拭えない。だが彼らを観察してみれば解る。彼らは、昨日までの自分を綺麗さっぱり消し去られているわけではない。殺ってきたこと犯ってきたこと全てを克明に記憶しており、でありながら昨日の自分自身を否定している。

「どうでしょう? 私達は、変わらなかったんじゃないですか? 思考規制など、かけられたかもしれませんけど」

 神や悪魔に憑かれたりしなくても、人は「どうかしていた」の一言で激変を正当化することはある。だが彼らを指して、「昨日までのあいつらはどうかしていた」その一言で納得するものなどいるのか?

 ヨウランは疑問をそのままフレデリカに漏らしたが、予想外に彼女は即座に同意することなく、口元を抑えて考えを告げてくる。

「狂った弄ったは、今私達が議論しても意味ないと思います。昨日既に決めて、実行してしまったんですから」

「あ……うん」

 フレデリカは双眼鏡の奧を指した。人間のクズだけで構成されていた群衆が、今も、人を助けている。

「あの、不良の人達の中で、誰か一人が「こんなことを止めよう」と、まぁ正義に目覚めた人がいたとします。その場合、正義が勝って、良い集団に変わると、ヨウランさんは思いますか?」

「…………いや、その正義の味方がフクロにされて昨日見た難民の人みたいな、犠牲者が増えるだけだろ」

「私も、哀しいけどそう思います。あそこが良い場所になるためには、そうですね……最低でも半数が正義に目覚める必要があると思います」

「……半数か」

「はい。別にあそこに百人いるから五十人逆らえって言うのではなくて……何と言いますか、戦力とか、指導力とか、そんな感じですが」

 半数。もし残る数を圧殺できるだけの価値が在れば例え一人でもその半数に当てはまる。だが、教祖資格者など見て解るものでも無し、そう言った超人がその場に存在しなければこれは前提から成り立たない。指導者など早々生まれるものではない。残数を圧殺する半数を確実に求めるのなら――

「クロの呪詛しか、その力を確実に手に入れる方法はない……と」

 その言葉を絞り出すのは苦しみを伴った。フレデリカの首肯を目にし、冷たいものが背筋に凝った。

 ヨウランとフレデリカは荷物をまとめ、昨日訪れれば確実に食い物にされた場所に立つ。そこにはもう安全が約束されていた。

「……効果は、まぁ解っていたわけだしな……」

「はい。あとは効果範囲ですね」

 尖った髪型、皮を彩る金属錨。悪魔を象徴する暴力的なファッションは今も他人を助けている。ヨウランは意図的に彼らを視界から外しながらGPSで位置情報を張り付かせる。ここを中心として効果範囲を調べるよう言われている。

「……インフルエンザの感染者を見ればいいのか?」

「親切にしている人と意地悪な人の境目を探せばいいのかと思います」

 どちらにせよ、終点が定かではない旅をしなければならないわけだ。〝ターミナル〟に燃料補給と簡易宿泊設備の破棄を手配。北に向かったところで疲れた旅人としか会えないだろうと思い、ヨウランとフレデリカは数日をかけ直線距離を南下することにした。

 景色が徐々に変わっていっても代わり映えのしない人達が続く。これはつまり思考制御ウィルスが効いているということなのだろう。

「……今まで見てきた人がみんな根っからの真面目だったらどうすればいいんだろうな?」

「明らかに人の手で壊されたようなあとがありました。先程と似たような状況だったんじゃないかと思いますけど……」

 ドライビングが……延々と続く。その行程は四日目入り、そろそろメキシコ領の南端に差し掛かろうかと言うとき

「あ! ヨウランさん!」

 助手席からの大声に慌ててブレーキを踏めば、彼女の指差す方向が目にとまる。暴動が、あった。しばらく、見つめてしまう。渦中に行ったら間違いなく骨の随まで食い尽くされるだろう犯罪は自分たちとは関係することなく流れている。

「……あ、と言うことは、効果範囲を過ぎたってことか?」

 ティニから見せられた新型S2インフルエンザのデータではひとたび広まった地域では沈静化までに一年以上かかるとあった。弱毒性ウィルスであるためパンデミックがわかりづらいが……ともかく四日程度で流行が過ぎ去るものではない。走行距離は、約二千キロか。効果範囲は直径四千キロ。一つめの実験データをティニに送ろうとしたがNジャマーに邪魔された。

 二人は暴動を避けて身を隠すと――二本目の銀筒を解放した。

 次の日。――結果は言うまでもない。

 ヨウランは平和を目の当たりにしながら、戦慄し、同時に昂揚もしていた。その自らの心におぞましさを感じつつも昂揚は間違いなく快感であった。

「こいつは……マジで世界征服できるな……」

 時代を支配してきたエンペラーもプレジデントも、それどころか旧世紀自体をもたらしたジーザスですら為し得なかった偉業、世界征服。それが目に見えたように思えてヨウランは戦慄し、また昂揚した。

 初めてこれを撒いたとき、思った。

 身勝手な暴力を覆す術を持たされていると。邪悪に抵抗を感じたのは事実だが……精神への介入にも抵抗を感じたのは事実だ。

 世界を正す術は、これしかなかったのか? だがもし全知であり、他に術がないと知っていたのなら、嬉々としてウィルスを撒けたか?

「ヨウランさん、次に行きましょう」

「あ……あぁ……」

「一つじゃ、正確なデータじゃありませんから」

 彼女は、嬉々として撒けるのか? 気の弱そうな彼女ならば問いつめさえすれば幾らでも解は得られるであろうに、聞いてみる気にはどうしてもなれなかった。

SEED Spiritual PHASE-101 心の内を思う理由

 

 北米の基地は、半壊しつつも一通りの施設が生きていた。

 アサギがライラから受け取っていたデータを頼りに無意味に方位と紙地図を頼りに飛んできた。無価値になったナビシステムには苦労させられたが、その労苦は、報われた。だがそれを喜んでいられるものはいない。

「……ライラ?」

 無惨な亡骸を、シンが抱えて歩いていく。もちろん死に化粧などしている余裕などなく、血にまみれた顔、バラバラになり今も破片を落とす義手もそのままだった。行き着く先には花葬台。割れた天井より差し込む光に照らされている。そこに献げられた種々雑多な花も重苦しい空気に押し潰されている。

 知りもしない作法に則り、シンは妹の亡骸を台に横たえた。あれ以来焦点の合わない、だが前以上に世界を見通せる視界が涙で滲み、死に顔を薄くする。シンはそれでも面を見つめ続けることができず、瞼で悲しみを押し出しながら元来た道を戻っていく。茫としたステラとすれ違った。

「ライラ……?」

 返事はない。いつも強く大きな表情を浮かべていたマユの顔からその表情がすっぽり抜け落ちてしまった。

「ライラ……何で寝てるの?」

 それはステラにも、彼女の死を明確に伝えていることだろうか。

「やだ……」

 ……おれの比ではなかったのかもしれない。今の今まで彼女の死を理解していなかったステラは大きな目を見開きわなわなと震え続けている。親など有り得ない彼女と言う存在には、ライラの存在は――母親以上だったと言うことなのか。奇跡が腕の中に引き戻してくれた、なのにまた自分の目の前で失われた妹。これを超える感情はないと思っていたが、彼女の内には自分を超える感情があるように……感じられた。認めるのは、苦痛だったが。

「う、う、ううううううううううううううううううう……!」

 シンがどう声をかけるべきか迷っている内にアサギとマユラがステラの方へと歩み寄っていった。ステラは殺していた声をそのままに、縋り付く相手を自身の内からアサギの腰へと移した。布地が引きちぎれるくらいに握りしめ、呻き続ける。床に落ちる絶え間ない涙の滴が彼女の悲しみを伝えてくる。シンは悲しみの合間に興味を差し挟んだ。意外だった。ステラと言えば、平常時は茫洋とし、感情が高ぶった際は暴力的に絶叫していたイメージが強い。シンの中に、声を押し殺して静かに泣くステラという概念はなかった。

「ライラが、起きない……」

 アサギが相手の肩に手を置いたまま天井を睨んだ。鼻に詰まる涙声を喉の奥に落とし、深呼吸で泣き気を抑えたアサギは彼女に宣告した。目を見ることは、できなかったが。

「ライラは、死んじゃったの。もう起きないんだよ」

 ステラは、花葬台へと振り返ることはしなかった。アサギはわざわざ教え込んでいるが、やはり理解はしていたのだろうとシンは思う。

「死んじゃ……やだ。ライラ」

 縋り付いて号泣するステラ。

 これが、犯罪に対する代償か? シンは壁を殴り付けた。

 ザフトの兵であったシンの目から見れば、〝ファントムペイン〟は数限りなく痛みを世界に撒き散らしてきた。ここに所属してしまった自分も数限りないを苦しみ皆に押しつけてきたことだろう。おれも、犯罪者だ。

 しかし、ならばあの男に罪はないと言うつもりか!?

「ふざけるな……っ!」

 復讐心を持っていたからと言う理由で心を改竄し、都合のいいように事実隠蔽するような奴に何者にも汚されない正しさがあるとでも言うつもりか? そもそも復讐されるだけのことをしているのはあいつではないか!

「〝フリーダム〟は、オノゴロで、おれの家族を殺したんだ……!」

 低く呟く。それだけで例えようのない気持ちが胸中を支配しかけるが脳裏に蟠る黒い力がその心を浸食して潰す。

「あいつが、折角差し出された平和を、蹴ったんじゃないか!」

 黒い心が弱さを掻き消す。

 ――あぁ解っている。おれのこの怒りが、先の大戦を引き起こし、戦火を拡大していく要因になったのだと。ここでおれが抑えれば、少なくとも一つの戦争の種を消し去ることができると。だが本当にそれが正しいことか? 正しい人間とは、不条理までも許すのか? あらゆる不幸を自分を壊してまで飲み込む者が、究極の聖人であるのかっ!?

「あ、ちょとっ! シン!」

 マユラの警告は遅かった。思考に没入していたシンに重すぎる一撃が突き刺さる。

「ぐっ!?」

 腰骨に突き刺さった一撃がシンの身体を向かいの壁にまで吹き飛ばす。廃材とも葬祭用具とも言えない何かを弾き散らして止まったシンが痛みを無視して起きあがると視界の先には拳を振り抜いた小さなステラがいた。暴力を放っても怨嗟は吐き出しきれず彼女の喉が震えて呻く。

「なんで……」

 恐らく、殴りたかったのは顔だ。

「なんでライラを守らなかった…!?」

 返せる言葉があろうはずがない。自分は信念をすら守れなかったのだから。

「かぞく、なんで守らない!?」

 ステラに睨め上げられ、シンは危うく目を逸らしそうになったが駄目だ。ステラの拳が振り上げられ、彼女の怒りを受け止めるため甘んじて受けようとしたが、駄目だ。絶叫と共に振り上げられた拳を見切る。シンは暴力を掌で無効化していた。

「うぅ!?」

 死を撒き散らしてきた者達が死に打ちのめされている。皮肉に感じる余裕もなく、沈み込んだ思考を浮かび上がらせる。おれ達は、滅ぼされるに足るだけの罪を犯したか。滅ぼされるに足る罪とはなんだ?

 掌を握り込まれたステラが反抗的な視線で腕を引き抜こうとするが、シンはがんとして離さない。

 彼女の肩越しに並んだスティング、アウル、オルガ、クロト、シャニ……シンの目に彼らのオリジナルは入らなかった。ステラの激昂にも周囲の悲しみにも微動だにしない精神が、こちらの心に爪を立ててくる。そう、究極の聖人ならここにいる。干渉しなければ他人を傷つけることもない。心をなくせばそうなれる。シンにはそれが認められない。

「うぅ!?」

 シンは怒りの嗚咽を漏らすステラを、かき抱いた。

「マユ……いやライラを守れなかったのは、おれの責任だ。おれを殴りたかったらもっと殴れ。許せないなら殺してくれても構わない。でも、その怒り……少し待ってくれ」

「うぅ!?」

「――おれが、仇を取るまで」

 胸の中で不機嫌に呻いていたステラが、彼の言葉に何かを感じた。だがその何かを確かめる前に、彼女はシンに突き放される。ステラを気遣うアサギ達の叱責に背を向けながら、シンは思考の中に没入した。

 おれは究極の聖人となるべきか? それが恒久平和実現の近道か? それを――『親』を殺されたステラは受け入れられるか?

 受け入れられるわけがない。シンにもそれが正しいとも思えない。だからおれが仇を取る。復讐する。彼の見据える先には、大きめの携帯端末を手にしている対〝ロゴス〟の協力者、サイ・アーガイルが所在なげに立っている。

「なぁPMCの人。聞きたいことがあるんだが」

 サイが振り返った。完全に蚊帳の外にいた彼はしばしの沈黙を奇異に思う。

「ん? あ、俺達のことか。なんだい?」

 サイは苦笑した。自分たちはPMCではないのだが、彼らには〝ブレイドオブバード〟所属と思われ続けている。もうそれでいいと嘆息が漏れるくらい一緒にはいた。

「あんた達の……なんだ、〝ターミナル〟だったか? 情報網を使って〝フリーダム〟の所在を割り出してほしいんだが」

 当然の望みだと思えるが、サイにとっては意外だった。あのライラという上官はあらゆる者を使って当然との考え方だったが、このシンという戦闘員は人に頼ることを……むしろ格好悪いと考える手合いだと思っていた。もしもこの印象が正確ならば彼は結構必死だと言うことが伺える。

「どうするN/A」

〈〝ブレイドオブバード〟も、この間の地震で潰れています。報酬が出るかどうかも解りません。彼らと繋がる理由は消えてますね取り敢えず〉

「そうか」

 携帯端末を見つめたサイは逡巡する。バルドルが去り、ケインとサトーが死んだこの組織に、所属し利用するだけの価値があるのかどうか。

〈ですがボクは、彼らに協力したいと思います。統合国家のアスラン・ザラ。彼にもう一度会いたいのです〉

「あぁ俺もキラに用がある」

 端末を閉じて頷いたサイにシンが怪訝な視線を向けていた。

「アンタ、キラ・ヤマトの知り合いなのか?」

「ああ。工学カレッジの同級生」

「へぇ」

「いや、希望を潰された怨敵、かな?」

 暗い微笑にシンは一瞬虚を突かれたが、すぐにその表情は同調に取って代わられた。

「なら、おれと一緒だな」

 サイに手を差し出すと彼は掌を高く上げた。シンはにやりとするとその掌に掌を当てる。小気味のいい音。それが契約の証しだった。

「よろしくな」

「世界を敵に回しても、かなえたい願いがある。俺達は、そう言うことで良いんだ」

 眼鏡の奥に灯った暗い炎にシンは一抹の不安と、それ以上の昂揚がある。

「よし〝デスティニー〟の整備が終わり次第出る」

『えぇ!?』

 性急過ぎるシンの宣言にアサギとマユラが見事に異口同音。

「ちょっと焦り過ぎよ! 機体見てよ右腕どーすんの!?」

「右腕は……代用品で済ますしかないか……いや、ジブラルタルに忍び込めれば――」

 駄目だ完全に怒りに我を忘れてる。二人は彼を思い止まらせようと口を開いたが、サイの方が一歩早い

「それも〝ターミナル〟で何とかできると思う。最高機密の最新鋭機〝デスティニー〟も世に出てから一年以上経った。純正品とは行かないだろうが可変相転移(ヴァリアブルフェイズシフト)装甲材付きも提供できる」

 サイの淡々とした説明にシンは眉をひそめた。

「今、この状況でもか?」

「地表の網が寸断されても宇宙のファクトリーは問題ないから。N/Aがいれば、連絡を取る手段はある」

「お…!」

「あの〝フリーダム〟と〝ジャスティス〟も〝ファクトリー〟製なんだからな」

「おぉ……」

 だんだん動く方向に話が進んで言っている。マユラの方を向いたが彼女も腕を組んで考えているだけだ。アサギは頭を抱えたくなった。

「ち、ちょっと待ってよぉ! 〝ターミナル〟があいつを探せるなら、万全の体制を整えてからでもいいじゃないの!」

「そんな余裕はない」

 何故? アサギはうんざりとしてシンの前まで歩いていったが彼はこちらに目を見ようともせずサイの差し出すデータに眼を走らせていた。流石に頭に来た彼女だったが続くシンの応えに反論を失った。

「おれが『今』の状態をいつまで保てるかわからない」

「……え?」

「おれには〝フリーダム〟のパイロットやラクス・クラインに対する服従遺伝子が組み込まれているらしい」

「は?」

「この間のでぶちキレたかなんかで、今は抑えられてる。でも落ち着いた瞬間、奴らの奴隷に逆戻りすると思う。だから一刻も早く、あいつを討たなきゃならないんだ……!」

 彼には彼の理由があった。いつまでも涙を止められずにいたステラが息を飲んだ。マユラの手をはね除けシンの元までとてとて走っていったこの子がシンの言葉に何を思ったのか二人には解りかねたが、ステラには彼の心の内を思う理由があったと言うことなのか。

「シン……」

「ん?」

「操られてたか?」

「……まぁ、そんなとこ」

 見下ろしながら彼が思い返していたのはもういない、心を通わせたもう一人のステラのことだった。この子が彼女から受け継いでいるものは何もない。強いて言えば遺伝子や容姿くらいだが、ふと彼女との繋がりを感じてしまい――自責した。自分に彼女の人生を決めつける権利はない。それでは、間違っていると感じたデュランダルと同じだ。

「だから、今度はステラを守れず、マ……ライラの時みたいに逃げ出すかもしれない。だからおれは一人で――」

「有り得ねぇっ!」

 マユラが遠くで跳ね上がった。いきなり激昂したアサギがシンを思い切りひっぱたいた。誰もがいきなりのことに目を丸くしているとアサギは腰に手を当て深々と嘆息した。

「ライラの仇を取るんでしょ!」

「な……」

「その気持ちは私達も一緒よっ! くだらねーこと気にしてないで私達にも手伝わせて」

「おま……解ってるのか!? おれが敵に回る可能性もあるんだぞ!」

「ライラは、私達にとっても家族なの!」

 頭に手を乗せられたステラが一つ大きく頷いた。

「……まだおれらのことは知れ渡ってるわけじゃない。統合国家から隠れて、ラクに暮らしていく道だってあるんだぞ」

「愚問ね」

「愚問だわね」

 アサギとマユラ、二人に返されシンは呆れた。こいつらは本当におれの状態を理解して言ってるんだろうな?

「話はまとまったみたいだね。じゃあ俺は、君の機体の修復と、キラの捜索。手筈を整えるよ」

 現場の放棄を始める。葬儀場が俄に騒がしくなった。悼むものだけが残り、心の薄い者達が戦場を目指していく。

「ステラ。無理するなよ」

 花葬台の前には、今は四人だけが立っている。シンは傍らで、手を合わせることも解らずライラの屍を見つめ続けるステラを見下ろした。マユの亡骸は、もう見られない。

「……ステラも――」

 小さなステラがか細い声を漏らす。と、アサギとマユラが何か同意を求めそうな表情を見せたので制した。

「ステラも、征く。この気持ちが残ってると、ぼーっとできない。この気持ち消すため、ステラも戦う」

「その気持ちは、消さない方がいい」

 ふわりと少女が視線を上げた。シンは、今度こそ失われた妹を感じた。掌を差し上げても、もうそこにピンクの携帯端末はない。今度こそ、妹は何もかも失われてしまった。

「どうして?」

「苦しいのは……ステラがライラを大事に思っていた証だよ」

 彼女の表情に理解は灯らなかったが、シンは心の中だけになってしまったその証だけは、守り通したいと願った。

 

 

 

 隠れ家はマンションの一室。だがここは二件目だ。最初の隠れ家に入り込んで数日後、ティニから急かされここに誘導し直された。宇宙へ行くまでの待機に過ぎない場所、発見されたわけでもないのに何故変わらなければならないのか。面倒な。憮然とするクロの心はアスラン・ザラと〝ジャスティス〟、キラ・ヤマトと〝フリーダム〟がこのオノゴロ島に帰投したとの情報が書き換えた。

 成る程新たに押し込まれた一室の窓からは建物と建物の隙間を縫って軍事基地が盗み見られる。クロが双眼鏡(スコープ)の陽光反射を気にしながら覗き込めば確かに超有名な機影が二つ見える。が、クロはその光景に驚愕した。

「どうしたんだ? 〝フリーダム〟が……」

 所々切り刻まれたような傷がある。特に目を引くのは頸動脈を掻き斬ったような首筋の傷。恐らくメインカメラや迎撃システムは機能していまい。ビームによる弾痕すら穿たれたことのないあの機体に刀傷というものが想像しづらくクロは眉間に皺を寄せた。

「! ティニ。アスランだ」

 ナノマシンに話しかけると頷くような気配が伝わってくる。

「暗殺、しようかと思うがどうだ?」

 先程部屋を引っ掻き回した際、ドラグノフをカスタムしたようなスナイパーライフルを見つけてある。直線上で見られる状況さえ待てれば、脳を狙撃してやることも可能、かもしれない。

〈いえ。アスラン・ザラさんを殺して貰っては困ります。短絡的で問題です〉

「何でだよ……あいつが最大の障害じゃねーか……。この間オレが襲われたのも見てたんだろ?」

〈もう一度だけ彼と話してみたいので。私も諦めきれない部分があることもある時もあります〉

 ティニがアスランとラクスに何かを思っていることはクロも薄々気づいている。が、それがもし自分の思い描く未来の障害になるようだったら、どうするだろうか。もし敵対せざるを得ない状況に陥ったとしたら、自分はティニに逆らえるだろうか。

(何か情けねぇなオレ……)

 取り敢えず待機を命じられたわけだが……。クロは歌姫の双剣の監視をし続けた。その結果、久しぶりに笑うことになる。

 

 

「お姉ちゃんっ!」

「あ、今度はお見舞いに来たわね」

 JOSH‐Wでの決戦でルナマリアが大怪我を負ったとの情報がメイリンの耳に入ったのはほんの数日前。何故こんなのに遅くなったのか。忙しさのせいか? 一兵士の生死など政治中枢には些末事と扱われたのか? 何故真っ先に教えてくれないのかと抑えきれない怒りを吐いて病室に駆け込めば――姉は思いの外元気な様子で雑誌をめくっていた。公務の合間を縫って駆けつけたのがなんだか申し訳なくなってくる。

「あ、だ、大丈夫? 今度はって……わたしなにかお姉ちゃんを放っておいたことあった?」

「うあ忘れてる……クレタで! わたしの〝ザク〟がオーブ軍にやられたとき! 一回もお見舞いに来なかったじゃない?」

「あ…………」

 そう言えば。だってあのときは〝ミネルバ〟の通信管制を一手に引き受けシートから腰を浮かせるような余裕すらなかったのだから仕方がない。トライン副長からの差し入れだけを楽しみにしていたら体重が言えないくらい増えていたことを思い出した。憮然とした。

「しかも「だってぇわたしずっとオンだったんだもーん」とか言ってたじゃない……」

 似てないし。メイリンの口元が綻んだ。姉は心配なさそうだ。

「えー……。いいじゃない今日は来たから。それにわたし、お姉ちゃんがこの作戦に参加してるなんて知らなかったんだもん」

 見舞いの品か、果物籠の中に転がっていたリンゴを手に取ったメイリンは、ルナマリアが視線を窓へと逃がしたことに気づけなかった。姉が何かを述懐するが、言い直しては来ない。メイリンもあえて聞き返すことはせずリンゴを剥いた。

 リンゴを渡すと飲み物を催促された。メイリンは嘆息しながら落ち着けたばかりの腰を浮かす。

「ねえお姉ちゃん、シンと、会ってる?」

「…………ど、どうして?」

「ザフトからいなくなったとか聞いてるから……」

「…………知らないわよ。わたしだって知りたいくらい」

 紙コップを口元に運んだ

「あー……」

「何よ?」

 少し躊躇ったがメイリンは聞いてみることにした。うん。すれ違っているままだったら妹として放って置くわけにはいかない。

「お姉ちゃんってシンとつき合ってるの?」

 轟音と共にお茶が壁にまで飛んだ。次いで姉はげほげほげほげほ咳き込み始める。メイリンは水を探したが、姉は頑張って紙コップを保持している。

「あの、大丈夫?」

「――っ……あぁー! いきなり何言うのよっ!?」

 怒られることだろうか? ルナマリアの反応から何かが透けて見えたような気がしてメイリンはにまりとした。

「……何よ?」

「フラれた?」

 くくった髪へと神速で手が伸びてきた。髪をがっつり掴まれてメイリンがうっと息を飲む。

「コロすよ?」

「………非常にゴメンナサイ」

 頭に痛みを感じながらも笑っていたメイリンだったが……その痛みから解放された瞬間、不安に襲われた。

「……お姉ちゃん?」

 手を離した姉は、遠い目をしている。動かない右手はそのままに左手と膝で器用に頬杖を突きながら。姉のその姿が今、透けて見えたように感じて、メイリンの心臓が跳ねた。

「あ、ゴメン……」

「な、なに? シンとのこと、聞いちゃいけなかった?」

 そうではないと感じられる。

「ん……そうじゃないよ」

 姉の声はますます遠くなる。メイリンはひたすらに不安を掻き立てられたが何を話すべきなのか思いつけず、沈黙が続いてしまう……。

 破ったのは、姉の方だった。

「メイリンは……今を…メイリンの仕事は、世界を救えてると思う?」

「え? い、いきなり重いんだけど……どうしたの?」

「いや、わたしは救えてるのかなぁ、って思って」

 ルナマリアは今も第一線級のモビルスーツ・パイロットだ。少なくともメイリンはそう認識している。

「救って…るんじゃない? JOSH-Wでの一戦だってお姉ちゃん達が頑張ってくれたから〝ロゴス〟の残党を滅ぼせたりなんかしたわけだし」

 お世辞を言ったつもりはない。姉はそれだけの仕事をしていると思う。だが彼女が聞きたかったのはそんな言葉ではなかったのか。遠い目をした彼女の暗い空気は晴れなかった。

「世話になってるよね……わたし」

「い……いきなり何?」

「個室にしてくれたの、あんたの権力でしょ?」

 ……その通りなのだが、それはあくまで姉孝行のつもりだ。〝ミネルバ〟にいた頃、メイリンは日陰であることを、嘆き、姉の放つ圧倒的な光を疎ましく思ったこともあった。しかし今は、忙殺という概念を知ってしまった今は、自分が姉に守られていたことを痛感している。結局自分は何も変わっていない……。誰かに依存せずには生きていけない。だからこそか? 姉にも変わらず光でいて欲しい。

「う……」

 沈黙が再び横たわった。が、言葉を必死に探していたメイリンにその沈黙は短すぎた。

「ほらほらわたしもまだまだ療養中なわけだし。あんた忙しんでしょ。偉いんだから」

「うぅ……忙しいけど、お姉ちゃんも放ってはおけないよー」

 猫なで声を出すと、姉はうんざりしたような表情で溜息をついた。

「わたしなんかいなくても、あんたはもう大丈夫よ。ほらほら世界のために頑張りなさい」

 結局、追い出されてしまった。メイリンは愁眉を下げ、名残惜しそうにしていたがルナマリアは笑顔と掌で追い払う。病室の取っ手を握ったままかなり長い間逡巡していた。

「うぅ……じゃあ、お大事にね。お姉ちゃんも休暇とか取ってよー」

 ルナマリアは、下げていた掌を上に向かせてへらへらと振って挨拶した。ドアが開き、妹を飲み込んで、閉じる。しばらく上げられていた掌は、彼女の溜息と共にはらりとシーツの上に力なく倒れた。

「結局、素性をバラす根性はなし……と」

 扉の閉まる音に紛れて誰にも聞こえない呟きを漏らした。妹が去った。姉であるわたしはここにいる。妹は統合国家に残り、自分は――宇宙に上がり、その平和を破壊する……。

「わたしも……そろそろ行かないとね」

 代わりに入ってきた看護師が不思議な符丁をこちらに示した。ルナマリアはギプスを足から引っこ抜く。腕の包帯はまだ取れないものの、走ることに問題はない。両足を解放し、シーツから抜け出す間に看護師に化けた構成員がカーテンに隠れた空の寝台から荷物や武装を取り出しこちらに手渡してきた。

「退院の手続きは終わってます。精算はしてくださいね」

「はーい。あ、ノーマルスーツも準備できてるのよね? ロケットって聞いてるけど」

「そちらにバッグに圧縮されてます。予備はないのでなくさないように」

「ん」

 片手で抱え上げるのは難儀ではあったが〝ミネルバ〟時代にも経験はある。着替え終えたルナマリアは肩掛けとキャリーの二つを左手に任せ、病室を出――

「ルナマリアさん」

 振り返れば看護師がバッグの方を指差していた。一瞬意味を計りかねたが見下ろしてみれば通信機がコールしている。手に取り、出る。言葉はなかったが端末に映像が表示されていた。

「…………えっ? なに、今すぐここに行けってこと?」

 看護師も通信内容は理解しているらしく目を丸くしたら手を振ってくれた。

「まぁ、仕方ないわよね。了解よ。退院直後に走ります!」

 挨拶は、自然とザフト式の敬礼になった。


 
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