私達は、カテリーナとドラゴンが落ちて行ってしまった崖の下を、橋の上から覗き見ていた。し
かし、底は途方も無い程低い場所の深淵にあるらしく、その姿を見ることはできなかった。
このまま地獄の底にまで続いていても不思議では無い。
「あの…、大丈夫なんでしょうか…?」
私は心配そうにロベルトに尋ねた。
「ああ、問題無い。平気だろう。すぐに戻って来る」
彼がそう言うものだから、私は少し安心した。
その時。一本の矢が、私の気づかない内に飛んできて、私の側をかすめ、橋に弾かれて転
がっていた。
それに気づいた時、私はさっと橋の先にある城の方を振り向き、その方向に左腕の盾を向
け、警戒した。
その瞬間に、盾に衝撃が走って、矢が足元に落ちた。
「あ…、危ない…」
思わず呟いた私。視線の先の城の城壁からは、何匹ものゴブリン達がこちらに弓矢を向け
ている。今にも一斉に矢を放ちそうだった。
「ここにいると危険だ。一旦、引き返す」
ロベルトは冷静な声でそう言い、同時に彼の銃が火を噴いた。
ゴブリンのものらしい悲鳴が城壁の方から聞こえてきた。同時に、何本もの矢が放たれる音
も。
私はロベルトの後に続いて、やってきた地下通路の方向へと走った。すぐ後ろで橋に矢が何
本も当たる音が聞こえる。とにかく後ろも振り返らずに、全力で地下通路まで逃げ込んだ。
ロベルトはそんな私を援護するべく、振り向きざまに何発かの銃弾を放っていた。このような
状況でも彼は冷静で、一発一発放つ毎に必ず、ゴブリンの悲鳴が聞こえてきていた。逃げなが
らでも、確実に命中させている。
地下通路までやって来て、矢の飛んでこない場所まで私達は逃げ込んだ。
「どうしましょう?」
ロベルトは撃ち尽くした銃に、腰に巻き付けたベルトから取った新たな弾を詰め込んでいた。
そんな彼に、私は息を切らしながら尋ねた。
「城の方が騒がしくなったら、それは合図になる」
彼はそう私に答えた。
「ドラゴンのものらしき咆哮。火の球が放たれる音。一斉に矢が放たれる音…。その後に続く
銃の音…、何発も…」
クラリスは独り言のように呟いていた。彼女が新しい音を聞き取る度に、その長い耳は小刻
みに動いて反応していた。
「城の方が随分と騒がしいみたいねえ。何か起こっちゃったんじゃあないの?」
馬上で、暇を弄ぶかのように斧を振り回しながらルージェラが言った。彼女は早く攻め入りた
いかのようだった。
「エルフのお姉さんの話だと、相当な事は起こっているみたいだよ」
クラリスと一緒の馬に乗っているフレアーが言った。
「別の入り口を見つけるまで、中には行かないと言ったはずです。それに、あの娘には、ただ
様子を見てくるだけだと言ったはずなのに…」
アベラードが彼女達を制止するかのように、慌てて言った。
「さっき、火の弾が空に向かって飛んでいった場所が、多分別の入り口ですわよ。そうでなくて
も、かなり大きな穴が開いているはずですね…」
クラリスがそう言った事で、騎士達は、先程地面から空へと向かって火の玉が吐き出されて
行った場所へと向かった。
そこには、馬車さえも通れてしまいそうな程の、大きな穴が開いていた。
「正しい入り口を見つける前に、どうやら違う入り口を見つけてしまったようね」
「ここから、行くのか…」
物々しい様子で呟くアベラード。
「あなた達の王が、この先で捕らえられているというのならば…」
と、クラリスが彼に言った。
「そうだというのならば、我々には、全てを覚悟の上で向かっていく義務がある。何物にも変え
られない義務だ。だかだか辺境の警備隊である我々に与えられた、国を左右する勤めだ」
アベラードは、後ろにいる騎士達に語りかけるかのように言った。彼は馬にまたがり、緊張し
て剣を握り締めている。彼の背後に続いている騎士達も同じような面持ちだ。
「まあまあ、そんなに気張らなさんな。ちゃんと戦えないって」
それとはとても対照的にルージェラは彼に言い、斧を振り上げた。
「よし、突撃!」
彼女は半分陽気な面持ちと口調でそう言った。しかし、城へと向かう騎士の一行は真剣な顔
だ。彼ら皆が覚悟を決めている。
先頭を、クラリスとルージェラ、クラリスの馬にまたがったフレアー。そして『アエネイス城塞』
の警備団長アベラードが行く。
一行はしばらく暗い地下道を通って行っていた。やがて天井は高くなり、道の幅も広がる。そ
して、きちんと煉瓦で造られた大きな地下通路へと抜けた。そこには横へと抜けていく道もあ
り、煉瓦で固められた通路はそちらの方へも延びている。そちらの方が本道なのだろう。
「どうやらこの場所で正しかったようね? お嬢ちゃん?」
クラリスがフレアーの方を向いていった。ルージェラは、フレアーが再び点けた松明を持って
洞窟の内部を照らしている。
「だから、あたしはお嬢ちゃんじゃあないって…!」
フレアーがそう言った時だった。
「むっ! 何者か来るぞ!」
警備団長はそう皆に呼び掛け、振り向いた方向へと剣を向けた。
その方向からは、何者かが駆けて来る音が響いてきていた。
「二人分の足音。一人は体格の良い男、もう一人は、女の子くらいの体ね…」
クラリスの耳がまた反応して、小さく動いていた。彼女は警備団長の呼び掛けで警戒し槍を
抜いていたが、それをしまった。
「ブラダマンテさん。こちらに戻ってきて正解でしたわ」
クラリスは地下通路の先からやって来た私にそう言うのだった。
「な…、なんであの子には、さん付けなの?」
フレアーが驚いたように言っていた。だが、誰もそれは聞いていない。
「カテリーナはどうしたのよ?」
と、ルージェラが尋ねてきた。私は息をこらしながら、まだ慌てている心を落ち着けながら答
えた。
「あ、あの、一人でドラゴンと戦っていて、それで、その!」
「まあ、落ち着いて。あの子はもう戦っているのですわね?」
そうクラリスが私に言った。
「はい」
「もう! あれだけ、ドラゴンと戦わないでって言ったのに!」
フレアーは言ったが、今の事はもう忘れているようだ。
「とにかく、急がなければならないんじゃあないの? もう城の方には気づかれてんでしょ?」
と、ルージェラ。
「はい、そうです」
「よし。突撃よ。正面から堂々とね。そこのフレアーちゃんの話では、城は城壁で囲まれている
っていう話。梯子を持ってきなさい。城攻めよ。城攻め」
ルージェラは言い、そこへと折りたたみ式の梯子が持って来られた。『アエネイス城塞』から
持って来られたもののようだ。折りたたみ式、しかも持ち運びができるとはいえ、造りはとても
頑丈な梯子だ。
「城は高い城壁で覆われているからね。誰かが乗り込んで行って、内側から城門を開ける必要
があるの」
フレアーは私に説明してくれた。
「あの…、あなたも一緒に行くの?」
クラリスと一緒にいる彼女。ここに残ろうなどという気配は見せない。
「なーに? あなたも、お互い様なんじゃあないの?」
そう言われてしまった私は、何も答える事ができなかった。
「あなたもわたしが援護してあげるからさ。緊張しているようだけど、こんな事は初めて? 傭
兵だか、護衛をやってるんでしょ?」
ルージェラに催促され、私は彼女に近づき、城の方へと先頭を切って歩き出した彼女に続い
た。
「何ていいますか…、私は、その…、あんまり激しくない仕事ばかり請け負っていましたから…」
「初めてなのね。まあ、いいじゃあない、経験できて。『リキテインブルグ』の女の子なら皆慣れ
ているから」
そんな事は聞いたことも無い。多分、ルージェラは私を落ち着かせるためにそう言っただけな
のだろう。
そこへ、黒い甲冑を物々しく身に着けた、『アエネイス城塞』の警備団長、アベラードが近づい
た。
「城まで行ってきたのだろう? 様子を聞かせてもらおうじゃあないか」
そう私に尋ねてくる。威圧感のある声に私は少しうろたえたが、さっきのドラゴンに比べれば
ましだった。
「あ…、そうですね…。城壁はとても高いです…。通路を抜けるとそこまでは直線の橋があっ
て、城からは丸見えですね。城壁には弓を持った兵が沢山いました。私達は一斉射撃を受け
そうになったので引いて来たんです」
私がそう言っても、ルージェラが持った松明に照らされた彼の表情は変わらなかった。さらに
彼は、兜の面頬を下ろして、顔を隠してしまう。
「しかし、『リキテインブルグ』の騎士達は軽装だな? そんなで大怪我したり致命傷を負ったり
しても、私は知らんぞ」
「あら、ミスリル銀の盾は、どんな金属よりも頑丈ですのよ」
クラリスが口を挟んだ。彼女は表情こそいつものように落ち着いていたが、槍を抜き、盾を持
ち、臨戦態勢であるのに違いはない。
「それは良いが…。しかしフレアー様。あなたは残られた方がいい」
「何? ちょっと、あんたあたしをなめてるの?」
怒ったような声でフレアーが言った。
「あなた様の身を案じての事です」
警備団長は冷静に続けた。
「その心配は無用ですぞ、『アエネイス城塞』の警備団長、アベラード殿。フレアー様は、体こそ
お小さいですが、その魔力でいったら、『セルティオン』国内では一。必ずや力になれますとも」
フレアーが馬の上で抱えているシルアが言った。その喋る黒猫を見るために、警備団長は顔
を下に向けなくてはならなかった。
「…、フレアー様の意思に任せましょう。ですが、どんな力を持っていたとしても、やられる時は
やられるもの。それをよく理解して下さい」
そう言って、警備団長は剣を抜いた。目の前には、地下通路の出口が迫ってきていたのだ。
通路の出口から光が差し込んできている。あの先は谷の中に繋がっていて、そこには、大きな
魔法使いの城がある。
「そうそう、あなたの言う通り。やられる時はやられるの。でもそれまではね、自分を見せ付け
てやるのさ」
ルージェラの声にはいつになく力が篭っている。茶色の瞳を持つ目は凛々と輝いていて、覚
悟というよりも、むしろこれから何かを楽しみにしているかのようであったが。
「ほら、出口が見えてきた。皆? 覚悟はいい? いよいよ突撃よ! 『セルティオン』の王を救
う為! 『フェティーネ』の名にかけて! そしてあたしのドワーフの名にかけて!」
そう後方の者達に言い放つと、ルージェラは真っ先に走っていった。援護してあげる、という
彼女の言葉を思い出し、私もそれに続いた。
「エルフの名にかけて!」
クラリスの声が聞こえ、彼女が走ってくる。
「魔法使いの名にかけて!」
フレアーの声。
「『セルティオン』の名にかけて!」
「そして、『フェティーネ』の名にかけて!」
その二つの声は、地下通路を揺るがすほど大きなものだった。辺境警備隊と、『フェティーネ
騎士団』が一斉に声を上げたのだ。
先頭を切るルージェラ、その次に私が続き、地下通路から、先ほどの橋までやって来た。
目の前に聳え立つ大きな城、《ヘル・ブリッチ》へとルージェラは真っ先に、馬を走らせていく。
高い城壁、そして分厚そうな城門。城壁の上にはゴブリン達がいた。先ほどから警戒態勢に
入っていたらしく、弓を構えている。その数は合わせて百を越えるだろう。
地下通路から橋へと走ってきた私達に向け、一斉に矢が放たれた。
「アルセイデス!」
私の後ろから走ってきたクラリスがそう言った。すると、彼女の方から突風が巻き起こる。そ
れは私達の体をかすめ、一斉射撃された矢へと向かっていった。
突風の正体は、クラリスの精霊魔法。彼女が呼び掛けた精霊は突風を起こし、私達目掛け
て飛んできていた百本はあるかという矢の軌道を全てそらさせた。
「これで隙が出来た。ゴブリンは反応が鈍いからね。次の矢をつがえるのには、人間よりも時
間がかかる」
私達は馬なりで橋を駆け抜け、城壁にまでやって来た。城壁はとても高く聳え立っていて、し
かも、針の先ほども開いていないようだった。
「上! 気をつけて!」
クラリスに呼び掛けられ、私は上を見上げ、そしてさっと身をかわした。
煮えたぎった熱湯が上から降り注いで来る。私とルージェラは間一髪の所でそれを避けてい
た。
「城門を攻める時は、あらゆる攻撃に注意するのよ。いい?」
クラリスに注意され、私は、
「は…、はい…」
とだけ答えていた。
その時、地下通路の方から、軍勢が現れた。馬達が一斉にこちらへと走ってきて、橋を激しく
揺るがす。
「梯子を! 早く!」
ルージェラは先頭を走ってくる、梯子を持った数名の騎士達に呼び掛けた。折りたたみ式の
梯子はすでに元の大きさへと戻され、城壁に達するほどの長さがある。
数人の騎士達によって、素早く梯子が城壁へと立てかけられた。その頂点は城壁よりも高い
位置まで達している。長さは十分だ。
「ルージェラ。あなたが行って来るのよ。やる事は分かっている? 得意でしょう?」
クラリスはルージェラにそう言うが、彼女は梯子が立てかけられた時点から、自分の馬から
飛び降り、その梯子を登り始めた。
「城門を開けるんでしょ? 分かってる。ただ、あたしが落っこちて来ないように、ちゃんと援護
してね。ああ、あとあたしの馬もよろしく」
そう言って、彼女はとても機敏な動きで梯子を登り始めた。何とも、目が覚めてしまうくらいに
素早い動きで彼女は梯子を登って行った。だから彼女に任せられたのだ。
「あなたも行って。彼女一人ではつらいわ」
「わ、私もですか? で、でもあの人のこの馬は…?」
クラリスに言われ、私は梯子のかかっている城壁を見上げた。ルージェラはもう半分くらい登
ってしまっているが、20メートル以上の高さがあった。
「大丈夫。あなたが狙われないように、弓矢で援護してあげるから。馬については、この彼女に
乗せさせておくわ」
そう言って、フレアーをルージェラの乗っていた馬に乗せさせる。見るからに気性が激しそう
なルージェラの馬だったが、フレアーで平気だろうか。
「あ、あたしが、馬?」
「ちゃんとわたしに付いて来るから平気よ」
クラリスがそうフレアーを宥めると、彼女も安心したようだった。
「お、お願いします」
クラリスに言い、私も梯子を登り始めた。
上までかなりの高さがある。私が一段一段と登っていく度に、梯子は軋み、また揺れる。その
度にヒヤッとした。
頭上の方では矢が飛び交っている。騎士団の放つ矢は城壁の上にいるゴブリン達を次々と
射落としているようだ。ゴブリン達から射られていく矢も、橋の上にいる軍勢の中に飛び込ん
で、誰かがやられたりしている。
時々、爆発するかのような音も聞こえてきていた。それはロベルトの銃の銃声だ。彼も私を援
護してくれている。炎が塊となって、城壁の上へと飛び込んでいったりもしているが、それは多
分、フレアーの放つ魔法だ。
私は上を見上げたが、まだ半分といったところ。ルージェラはとうの昔に上まで登りきってしま
ったようだ。
城壁に立てかけてある梯子があって、城壁の上に弓撃隊がいるのならば、梯子はすぐに倒さ
れてしまうもの。だが、私はまだ安全に登っていられる。多分、上でルージェラが私が登ってく
るまで梯子を持ちこたえさせているのだ。彼女一人で、一体いつまでもつか。私は急いで梯子
を登ろうとした。
城壁の上からゴブリンが一匹顔を覗かせる。手には弓矢。私と目線を合わせると、そのゴブ
リンは妙に勝ち誇ったような表情をして弦を引いた。
梯子に捕まっていては避けるような事もできない。もちろん、腕にある盾で守ろうとする事もで
きない。
だが、矢が放たれる直前、銃声が響き、そのゴブリンは力無く城壁から下へと落ちていった。
ロベルトが私の危機を感じてやってくれた。私はより素早く梯子を登る。城壁の上からはルー
ジェラのかけ声が聞こえ、同時にゴブリンが城壁の上から飛び出してくる。
足音と、その聞くに堪えないような鳴き声からして、城壁の上には相当数のゴブリンがいるよ
うだ。ルージェラ一人では無理がある。
また、城壁の上からゴブリンが落ちてくる。それは私の脇をかすめて行き、危うく私は梯子か
ら手を離してしまいそうになった。だが、何とかしがみ付き、緊張で高鳴っている胸を落ち着か
せながら梯子を登った。
頭上での矢の嵐も、一方的なものになって来ている。城壁の上から放たれるゴブリン達の弓
矢はその数を減らして行っている。ルージェラが弓撃隊をどんどん倒していっているからだ。
思っていたよりも長い時間かかって、私は城壁の上に飛び移った。一度も下を見ないように
して梯子を登っていたせいか、城壁から下まではかなりの落差があると思った。
その城壁は、中心となっている大きな塔を取り囲むようにして建っていた。城壁の反対側に
は城の中庭が見える。中庭と言っても、石畳だけの無機質な空間だったが。
「やっと登って来た? 手伝ってくれないと厳しいかもね!」
斧を振り回してゴブリンを打ち倒しているルージェラ。彼女は城の城門を開ける為にここに来
たはずだが、まだ城壁を登ったばかりの場所にいる。
ゴブリンの数が多すぎるのだ。だから、ほとんど先へと進めていない。たった一人で相手にし
ているだけ彼女は凄い。少なくとも十数体のゴブリンに囲まれているのだ。
錆びた剣に、簡素な甲冑で武装しているゴブリン。今まで遭遇していた者達よりも、装備が整
っているだけ、彼らは精鋭なのだろう。
私は剣を抜いて構えた。私の武器と言えば剣だけ、防具と言えば左腕に付けた腕甲と盾、そ
して胸の中に忍ばせている、丈夫な皮の胸当てだけだ。
梯子を登ってきた私に気づいたのか、ゴブリンは私の姿に気づき、飛び掛るように攻撃を仕
掛けてきた。人間よりも小柄で身軽な分、厄介な相手だった。
私は、その剣を左腕にした盾で受け流し、そのゴブリンを城壁の下へと追いやる。私も既に
何匹ものゴブリンに囲まれていた。
「言っておくけど、あたし達でやらなきゃあいけないからね! 梯子はもう倒れたみたいだし!」
斧を自分を中心にして大きく一回転させるルージェラ。それだけで、何匹ものゴブリンがその
場でなぎ倒される。
「ええ!? 梯子が?」
そう私が振り返ろうとした時、ゴブリンの錆びた刃が私の胸をかすめた。
白いベストがぱっくりと斬られるが、その下に着ていた皮の胸当てで何とか守られた。
「気を付けてよ! そろそろ相手の数も減ってきたみたいだけれども。ここの城門を開けるまで
は気が抜けないからね!」
私に言いつつ、ルージェラはまた一体のゴブリンをねじ伏せる。激しく動き続け、彼女はまだ
素早い動きで相手を打ち倒している。
「じょ…、城門って、どうやって開けるんですか?」
飛び交う矢、その一本が私のすぐ側を通過してひやっとする。さらにやって来た錆びた剣によ
る攻撃も、盾で受けなければならない。
ゴブリンの身に着けている甲冑は、かなり簡素なものとはいえ、私の剣と腕力では結構な負
担になる。剣の方は軽い割に相当頑丈だったのだが、すでに腕が痺れ始めていた。
「ここの城門は、落とし格子のようなものとは違って、かんぬきが差してあるもののようね? し
かも…」
そう言うと、ルージェラはまた一匹のゴブリンを斧で殴り付け、城壁の下、中庭の方へと落と
す。彼女はそれが当然の事のようにそのまま走って行き、ゴブリンが落ちて行った城壁の下の
方を覗き、素早く確認した。
「大きなかんぬきが6つあるみたい。一つ一つが互い違いになっていて、両脇の2つある塔で
それぞれ開く仕組みになっている。結構頑丈にできているわね?」
私は迫ってきたゴブリンを何とか退けながら答えた。
「つまり、どうやって門を開くんですか?」
倒れ去ったゴブリン達の合間を縫って、私は彼女の方へと向かった。今では城壁の上には
倒れたゴブリンしかいない。
「要するにね。城門脇の2つの塔にそれぞれ行って、3つずつかんぬきを外して来なきゃあい
けないの、じゃあ、あたしの反対側、よろしくね」
そう言うと、早速と言わんばかりに彼女は城門脇の塔へと向かった。
「えッ!? 私一人でですか?」
「いい? 急いでいる状況なんだから、二手に分かれてそれぞれかんぬきを外すしかないでし
ょう? 敵がいるかもしれないけど、それぐらい倒して行きなさい!」
「は、はい!」
私はとても心配なままルージェラと別れ、彼女とは反対側の塔へと向かった。
塔の上にいるゴブリンが、私に狙いをつけて弓を引いてくる。私は走って、矢が放たれるより
も前に塔の中に滑り込もうとするが、とても間に合わない。矢が放たれ、私は地面を転がるよう
にしてそれを避けた。そして、そのまま滑り込むように塔の中へと入った。
塔は、中に下へ向かって螺旋階段が伸びていた。私はそれを素早く降り始める。
階段の前方からゴブリンでもやって来はしまいかと、前へと盾を構えたまま、警戒して降りて
いく私。城門の方では矢が飛び交い、何やら鳴きわめくゴブリンの声が聞こえている。どうやら
彼らの注意は私達よりも、城門前の騎士達にいっているらしい。
階段を降りていくと、やがて、何やらハンドルの付いた台座のようなものが設置されている場
所があった。これで城門のかんぬきを外すのだなと分かった私は、それに手を掛け、回し始め
る。
かんぬきはとても頑丈で重厚にできているらしい。ハンドルもかなり頑丈な鉄製だった。とて
も硬く錆びているくらいだ。私の力で回せるのかと心配になる。目の前には窓があり、そこから
城門についたかんぬきが見えていたが、両側から互い違いに付いているかんぬきの内、上一
つと、下一つはすでに外されていた。つまりルージェラはすでにかんぬきを2つ外したようだ。
私も急がなければ、と、より一層力を込めて鉄のハンドルを回す。全身の力を振り絞るように
してハンドルを回していくと、軋むような音と共に、城門の方で、重厚な音がし出し、かんぬきが
外れていった。
このハンドルは相当に錆びているな、と思いつつ、かんぬきが完全に外れるのを私は確認し
た。
手が痺れ、腕が痛んだが、早く残りのかんぬきを外していかなくてはならない。私は急いで螺
旋階段を下の方へと降りていった。
やがてもう一つのハンドルが目に留まる。すぐさま私はそれを回す作業に取り掛かった。同じ
ようにして力を込めてそれを回し、今度は思っていたよりも短い時間でかんぬきを外す事がで
きた。
城門の方を、塔の窓から見れば、ルージェラはすでに全てのかんぬきを外している。私も急
がねばと更に螺旋階段を降り始めた。
しばらく降りて、最後のハンドルを私は見つけた。
だが同時に、その周りにいる数匹のゴブリンも目に留まるのだった。
急いで降りてきたせいで、あまり警戒していなかった私。その姿をゴブリン達に見つけられて
しまった。
あと一つだったのにと、思う私をよそに、ゴブリンは奇声を上げて、私に飛び掛って来る。
「ちょっと! えーっと、あなた…! ブラダマンテ!」
そこにルージェラの声。私は彼女の声を、ゴブリンの錆びた剣を盾で受けながら聞いていた。
「あたしはハンドルを回すから、あなた、そいつらを何とかしなさい!」
「は、はい!」
返事をしつつ、私はゴブリンと剣を打ち鳴らし、隙だらけの相手の技の中に見つけた隙を突
き、盾で殴りつけていた。
ルージェラは私よりも素早くハンドルを回している、しかもとてもスムーズに。彼女は見かけよ
りも力持ちだ。
何とか残りのゴブリンも私は打ち倒す。そして、最後の一匹はルージェラの振り下ろした斧で
止めを刺された。
「ふうっ。任務完了ね! クラリスッ! 門が開いたよッ! 入ってきてッ!」
ルージェラは大きな声を出して呼び掛けた。
「クラリスッ! 早くッ!」
と、城門がその反対側から激しく押される音が聞こえる。かなり重い城門のようだ。騎士達が
一斉にそれを開こうとしている。
「さあ、あたし達も行くよ!」
ルージェラに言われ、私は彼女と共に塔を一番下へと降り始めた。
城門は重厚な音を立てながら両側へと開かれる。城の方からは、更なるゴブリンの兵達が城
門の方へと、奇声を立て、武器を振り上げたまま駆けつけていく。その数、ざっと200は超え、
その者達は城から一斉に溢れ出した。
そして、城門からは、『フェティーネ騎士団』と『アエネイス城塞辺境警備隊』の連合軍が、一
斉に突入して来た。こちらは人数こそ150といった所だが、馬に乗り、洗練された立派な騎士
達。さらにしっかりとした甲冑と武器を持っている。
その先頭を行くのはクラリスだった。彼女は槍よりも盾を前に構えて突撃して行く。その姿
は、いつもの上品な令嬢の姿とは違い、白馬にまたがり、白い絹のような衣に、輝く鎧を着け
た姿。さながら美しい戦の女神のようである。その隣では、アベラードが、雄たけびを上げなが
ら突撃していた。
両軍は城の中庭で激突した。
騎士達は、ゴブリンの錆びた剣による攻撃を次々と受け流し、その剣を弾き飛ばしてしまった
り、中には豪腕で剣ごと折ってしまったりしていた。何より馬に乗っている事が決定的な差だっ
た。ゴブリンの体からして見れば巨大な馬。その前に立ち塞がるならば、踏みつけられるだけ
だ。
倒れたゴブリン達は騎士達の馬に、更に踏み倒され、騎士はどんどん城の方へと進んでい
く。
クラリスは、盾で相手の攻撃を弾き返し、軽やかな、まるで風に乗るかのような動きで馬を操
り、迫るゴブリン達を次々と槍で倒し始めた。
彼女の後方では、一人、奇抜な格好をしているフレアーが、ルージェラの馬に乗せられ、クラ
リスの背中にくっつくようにして付いてきている。
「ちょっと! お嬢ちゃん…。じゃあなかった。フレアーさん! あなたも何かしてくれないの?」
ゴブリン達と戦いながらクラリスは呼び掛ける。
「シ、シルア? ちゃんと付いてきている? どこかに落ちたりしていない?」
周りの迫力ある戦いに気圧され気味の彼女は、自分のパートナーに呼び掛ける。
「ちゃんと付いてきておりますぞ、フレアー様!」
黒猫は、しっかりとフレアーの服にしがみついていた。
「2人で力を合わせれば、こんなゴブリン達なんて敵じゃあないよ! お姉さん! 危ないから
離れていて!」
クラリスはフレアーからさっと離れる。クラリスはゴブリンの軍勢の中に、食い入るように突き
進んでいたから、それに付いてきていたフレアーも、ゴブリン達の真っ只中にいた。地面の上
を進んでいくようには行かない。何しろゴブリン達の数が多い。騎士達はすでに百を遥かに上
回るゴブリン兵達に取り囲まれていた。
しかし、周囲をゴブリンに囲まれてしまっていても、フレアーは不敵な表情を浮かべていた。ま
だ子供のような顔の彼女の表情は、それだけでまるで悪戯をする宣言をしているかのようだっ
た。
フレアーは杖を持ち、全身に赤い光を纏う。彼女がその場でくるりと一回転すれば、赤い光
は炎へと姿を変え、手に持った杖から解き放たれた。
フレアーを中心として、火柱が巻き起こり、それは次々とゴブリンを焼き払った。
「あなたも、なかなかやるわね…」
離れていた所でそう呟いたクラリスに、フレアーは笑顔で答えていた。
その時、フレアーは自分の近くを掠めていった矢に悲鳴を上げた。
「危ない! 弓隊よ!」
クラリスは城の上の方を見上げた。城の入り口のすぐ上のバルコニーから、数匹のゴブリン
が騎士達を狙って弓を引いていた。
一斉に弓の一波が放たれた。それらは無防備なフレアー目掛けて飛んでくる。クラリスは盾
でそれらの矢を防いだ。矢には火が点いている。今度は火矢が放たれていた。
無防備な体をさらしている状態のフレアー。誰しもがそう思っていただろう。
火矢がフレアーに飛んできている時、彼女の周囲の地面が赤色に光りだした。そして、彼女
へと矢が当たる直前、その光り出した地面は、地響きのような音と共に隆起する。隆起した地
面は、盾のようにフレアーの前に立ち塞がった。
飛んで来た火矢は、全てそれに阻まれる。
「ふうう…、さすがですなフレアー様…。このような場所はあなたには到底無理だとばかり思っ
ておりました…」
自分の背後から聞こえてきた警備団長の声。
「だから、言ったでしょ? 何にもビビる事なんか無いってさ」
そう言ってフレアーは背後の警備団長の方を振り返ろうとした。だが、彼女はそこで彼の姿を
見て驚きおののく。
彼はすでに落馬しており、幾つもの矢が、彼に突き刺さっていたのだ。
「ああッ!」
思わず声を上げるフレアー。
警備団長の甲冑の隙間から、幾本もの矢が彼の体に突き刺さっているようだった。血が地面
に滴っている。フレアーは少し凍りついたように動けなかった。
そこへとクラリスが駆け付ける。
「警戒を怠っては駄目! その人の事なら、まだ動けるから大丈夫」
土壁の裏にいるからフレアーは矢にやられるような事は無いが、周囲からはゴブリンが迫っ
てきていた。
「フレアー様…。私の方は平気です…。もしここで死ぬのなら、それは私の定め。騎士とはそう
いうものです」
搾り出すような声で、彼は言う。屈みこむ彼にクラリスが近寄るが、
「私の事を構うのなら、自分の心配をした方が良いぞ…。お前も騎士なのならばそのくらいの
事は分かるだろう…?」
「…、うん。分かったよ」
そう答えたのは、クラリスではなくフレアーの方だった。彼女は自分の目の前の土壁の壁面
に手で触れる。
「でも、あなたを死なせるなんて事、絶対にしないからッ!」
そう叫ぶと、フレアーの体が赤褐色に光り、それが馬を伝わり、土の壁へと伝わる。土壁は、
その光によって砕かれ、弾き飛び、土の弾丸のようになって迫っていたゴブリン達を次々と薙
ぎ倒した。
そしてフレアーは、地面に屈んだ彼の体へと近寄った。
「…、王に仕えるほどのお方が、今まで会った事もなかった辺境警備隊の私なぞに、慈悲をこ
うむられるとは…。あなたは王をお救い下さい。この城のどこかにいられるはず…」
「クラリスッ!」
私は、ルージェラと共に、その場へ到着した。ゴブリンの軍勢を斧でかき分けるようにしなが
ら、ルージェラはクラリス達の元へと迫る。
「だけれどもこの軍勢。そう簡単には先に行けないわね…」
呟くクラリス。彼女は槍と盾を構え、再び迫るゴブリン達へと視線を向けていた。
「クラリスッ!」
再び彼女の名を呼ぶルージェラ。私達はクラリス達の側へとやって来ていた。
「ルージェラ…、それにブラダマンテさん。城門を開けてくれたのはうれしいけど、先に進むの
は難しいみたいだわ」
私は周囲の様子を確認する。無数のゴブリン達が、城の中庭で騎士達と戦いを繰り広げ、混
乱の中にあった。
「あたし達が引き付けている間に、誰かが城に入っていって、王様を救出するっていうのはど
う?」
そう言ったのは、クラリスの側で警備団長を気遣うフレアーだった。
「城に入っていくって? 誰がよ?」
迫り来るゴブリン達を斧で牽制しながらルージェラは言う。彼女はフレアーを押しのけ、自分
の馬に再びまたがっていた。
「それも作戦の内だけれども、城の中が手薄とは限らないわ…」
クラリスが言った。
「もし行かせてくれるのなら、私が行きます!」
意見が飛び交う中、自分でも気づかぬ内に私は言っていた。なぜ、自分がそんな役を買って
出たのか、私自身もよく分からない。迫ってくるゴブリン達、その混乱の中、思わず出た言葉だ
った。
「…、お前のような娘にできる事だと思うか…?」
警備団長が私に言った。自分自身でもかなりそう思った。
「そんな事ないって、ブラダマンテは見かけよりもずっと立派なんだよ!」
フレアーが言うが、警備団長の言葉は私の自信を失わせていた。
「フレアー様、私は本当の事を言ったまでです。王に危険を負わせたくはないのです」
「ならば、私が一緒に付いていこう、それならば問題はあるまい」
ゴブリンの軍勢をくぐり抜け、姿を現したのはロベルトだった。彼は銃の弾を再装填しながら
姿を見せる。
「…、ふん。得体の知れない者共にそんな事が任せられるか…」
「そんな事言っている場合じゃあない!」
ルージェラが警備団長に激しく言い放つ。事実、私達は武装したゴブリンの軍勢に囲まれて
いた。
「やれやれ、と言ったところね…。じゃああなたが行きなさいよ。少なくとも、このおじ様と女の
子は、あなたと違ってまだ怪我をしていないのですよ…、警備団長とあろうお方が怪我をして、
女の子達がぴんぴんしているなんてね…、笑える話だと思いませんか?」
盾で敵を牽制しながらクラリスが言う。大勢の敵に囲まれても、彼女の声はまだいつもの状
態を失っていない。
警備団長は少し黙っていた。
「…、ならばお前が行けば良かろう…?」
クラリスにそう言う。
「わたしとかは、どちらかというと、こういう戦いの方が向いていましてね…」
ゴブリンの錆びた剣が、クラリスの盾に当たる。彼女はその衝撃を受け流すと、攻撃をしてき
たゴブリンに槍を突き出した。
「あの…、どうすれば…」
目の前には百を遥かに超えるゴブリンの軍勢。騎士団はまだ持ちこたえているが、数では圧
倒的に敵が勝っている。私は目の前で戦うクラリス達に問いかけていた。
「行くのよ! あなた達が行きなさい! わたし達はここで食い止めておきます!」
クラリスは、まるで戦いの女神が命を下すかのような声でわたし達にそう言った。
「はい!」
そして、私はそう答えるのだった。
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20.救いの手
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ある少女の出会いから、大陸規模の内戦まで展開するファンタジー小説です。いよいよ王を救出するために、敵地へと乗り込んで行く一行。