No.195849

真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~

YTAさん

待っていて下さった方(いらっしゃったら)お待たせ致しました。
新年一発目の投稿です。

正月休み中は、書かねば書かねばと思いつつ、溜め込んでいた好きな作家さんの新刊を読み漁り、あまつさえドラマに影響されて、司馬遼太郎先制の『坂の上の雲』にまで手を出してしまい、中々筆を進められませんでした。
申しわけない限りです、はい……。

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2011-01-14 06:45:15 投稿 / 全13ページ    総閲覧数:5901   閲覧ユーザー数:4342

                         真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~

 

                            第八話 天馬幻想 前編

 

 

 

                                  壱

 

「ふぅん。暴れ馬、ねぇ……」

 北郷一刀は、高順こと誠心の話を聞くと、独り言のようにそう呟いて、温めの茶を啜った。

「はい。どうやらその様で。まぁ、山賊の類では無いようで安心致しました」

 誠心はそう言いながら卓を挟んで一刀の正面に腰掛けると、『看板娘』と言うには少々薹(とう)の立ち過ぎた感のある女給に、自分の茶を頼んだ。

 

 一刀たちは現在、成都への道中にある山間の、さながら“峠の茶屋”とでも言った風情の茶房で、小休止を取っている最中であった。

 この辺りは延々と山道が続く為、宿場町と宿場町の間には小さな茶房が多く点在していて、その中には、この店の様に民宿を兼ねている店も少なくない。

 

 一刀は隣の客の会話から、この店に宿泊している二人組の商人の内の一人が大怪我をして寝込んでいると言う話を耳にして山賊被害の可能性を考え、誠心にその商人達への聞き込みを頼んでいたのである。

 因みに呂布こと恋は、一刀の隣の卓で山の様に積まれた団子を殲滅中であり、今や、茶房の他の客達の心を鷲掴みにしていた。

 言うまでも無く、陳宮こと音々音は、恋の隣で甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 

「しかし、珍しいな。こんな山の中に馬だなんて」

 一刀が、団子の皿を誠心の方に押しながそう言うと、誠心も、団子の串を手に取りながら頷いた。

「えぇ、まったくですな。しかも、かなり立派な体躯の白馬が、たった一頭だったそうで―――」

 誠心は団子を茶で飲み下すと、一刀にその商人達の話を語り出した。

 

その商人たちは陳良(ちんりょう)と李順(りじゅん)と言い、成都と巴郡を行き来しながら、その道中での行商を生業にしており、今は成都からの帰り道なのだそうだ。

 この街道はいつも二人が使っている経路なのだが、二日ほど前に大変な濃霧に見舞われ、道を外れて迷ってしまった。

 二人は、『仕方がないので、少し木々の拓けている場所を探して休もう』と話し合い、森の中を歩いていた時に、件のその馬を見つけたのだそうである。

 

 

 陳良と李順は、霧煙る森に僅かに射す日の光を受けながら草を食(は)んでいた姿のあまりの美しさに、一瞬、『神獣か妖物の類ではないか』と疑ったと言う。

 なにしろ、その背丈は優に八尺(約2.5m)を超えており、身体は純白で、真珠の様に光り輝いていたらしい。

 しかし、何よりも二人の眼を引いたのは鬣(たてがみ)で、白馬の頭から首にかけて生えていたそれは、二人が今まで見た事もない、焔の燃え立つ様な真紅であった。

 

「真紅の鬣ぃ?それって、恋の髪の色みたいな、って事か?」

 一刀は訝しげにそう言うと、隣の卓で、今や二つ目の山(おかわりした)を切り崩しに掛かっている恋を見遣った。

「まぁ、色合いが恋様とまったく同じかどうかは兎も角、濃い紅である事は間違いないでしょうな。何せ、怪我をしている陳良には部屋の寝台で、李順には廊下で話を聞いて来たのですが、別々の処で話をした二人が、揃って“真紅の鬣”と言っておりましたから。で、陳良の方が、その馬をどうしても手に入れたいと言い出してそろりそろりと近づいたところ、派手に蹴飛ばされたのだそうで」

 高順は、一刀と同じ様に恋の方に視線を向け、その相変わらずの健啖ぶりに、父親の様な温もりの籠もった微笑みを浮かべながら答えた。

 

「そりゃまた気の毒に……。まぁ、打ちどころが良かっただけ幸いだったんだろうが。しかしなぁ。俺、この世界に来てから、戦場を含めれば何十万って数の馬を見て来たけど、紅い鬣の馬なんて見た事無いぞ。誠心は?」

「いえ……。私も生まれてこの方、見た事がありませんなぁ」

「だろう?それに、馬の背丈なんて、大きくても精々五尺(約1.5m)かそこらの筈だし……って、ん?」

「どうなさいました、御大将?」

 誠心が、突然俯いて黙り込んでしまった一刀の顔を気遣わしげに見詰めると、一刀はふと顔を上げながら誠心に尋ねた。

 

「なぁ、誠心。その馬の居た場所がとの辺りかは、聞いて来てくれたか?」

「は?はぁ。ここから五里程の所だと申しておりました。霧もあり、二人も随分と慌てていたらしいので、正確かどうかは分かりませんが―――」

「ふぅん。近いな……」

「一応、お聞きしますが―――。お止しても、無駄なのでしょうな?」

 一刀の言葉を聞いた誠心は、溜息と共にそう言って、苦笑いを浮かべた。

 

「あぁ、すまない。どうしても気になる事があるんだ―――。ま、どの道、恋が“あれ”を片づけるまでは、ゆっくりするさ」

 一刀がそう言って親指を向けた先には、女給の手で運ばれて来た三つめの団子の山が、うず高くそびえ立っていた。

 

 

                                  弐

 

「本当に、この辺りで合っているのですかぁ?」

 音々音は、ぶすっとした顔で美しい薄緑色の髪に絡まった枯れ葉を摘まみ捨てながら、一刀に尋ねた。

「多分な。さっきから、どんどん“呼ばれてる”感じが強くなってるし」

「怪しいものなのですよ……」

 そう呟きながら肩を竦める音々音に、一刀に寄り添う様に先を歩いていた恋が振り返った。

 

「ねね……。疲れたなら、ここで少し休んでる?」

 音々音はブンブンと首を振って、恋の腕にしがみ付いた。

「恋殿、恋殿の様に可憐な御方が、あんなケダモノと森の中に二人きりだなどと危険過ぎるのです!」

「まったく、素直に寂しいって言えばいいの―――ブッッ!!!?」

 一刀は、突如として側頭部に飛来した音々音の靴底を避ける事が出来ず、錐もみに回転しながら、その先に立っていた大木に突っ込んだ。

 

 先程の誠心とのやり取りの後、商人達に聞いた場所で一刀が件の暴れ馬を探しに行く段になり、流石に一人は危険だと言う事で、恋が供をしてくれることになったのだが、その際、音々音がいつもの様に延々と駄々をこねて、無理矢理ついて来てしまったのである。

 誠心は今、残った部下達を連れて先行し、次の宿場町に移動中だ。

 

「痛たたぁ~。ねねぇ、お前もう少し加減ってもんを考えろよな!!」

 一刀が頭を擦りながらどうにか起き上がると、音々音は得意そうに胸を張った。

「ふふん。新技、ちんきゅー“しょーとれんじ”きっくの威力、思い知ったかなのです!って、あ痛っ!」

「ちんきゅー“しょーとれんじ”きっくは、禁止……」

 恋は、得意顔の音々音の頭にゲンコツを落とすと、心配そうな顔で一刀の前にしゃがみ込んだ。

 

「ご主人様、大丈夫?」

「あぁ。ここ数日で、だいぶ受け身の取り方を思い出して来たきたからな」

 一刀が苦笑いを浮かべて恋が差し出してくれた手を握ると、恋は軽々と一刀を立たせて、背中を優しく払ってくれた。

 

「恋殿は、こいつに優し過ぎるのです!」

 一刀が恋に礼を言っていると、追いついて来た音々音が不満そうにそう言って、フン、と鼻を鳴らす。

「酷ぇなぁ、もう」

「大体、“呼ばれてる”なんて話、信じろと言う方が無理なのですよ」

「そうは言うけど、実際にその通りなんだから仕方ないだろ―――。さっきから、頭の中に何か響いてるんだよ。“言葉”って訳じゃないんだけどさ。俺を“呼んでる”って事だけは分かるんだ……」

「まったく、相変わらずはっきりしないヤツなのです。それなら、さっさと確かめて、誠心殿と合流するのですよ!」

 音々音は、一刀の曖昧な言葉に再び肩を竦めると、先に立ってスタスタと歩き出した。

 一刀と恋は、暫くその背中をキョトンとして見詰めた後、顔を合わせて微笑み合い、音々音に追いつくべく、再び歩き出した。

 

 

                                  参

 

 

「おう、あれが今日の目的地のようだな」

 誠心が手で庇を作って、山間に現れた宿場町を見遣りながらそう言うと、隣の馬に乗っていた部下が不安げに誠心に尋ねた。

「高順様。本当によろしかったのですか?御大将や恋様、ねね様を置いてきてしまって……」

 誠心は、部下のその至極当然の疑問に首を竦めて苦笑いを浮かべた。

 古今東西、総大将と直属の武将を山の只中に置き去りにして先行する軍隊など、聞いたことも無い。

 世が世であり、人が人であれば、それこそ打ち首は免れぬ所業であろう。

 だが、北郷一刀なる人物の臣下である以上は、今回の様な事態はそう珍しくもないのである。

 

 何せ、自分から撤退戦の殿を務めたいだの、軍使に立ちたいだのと言い出すような総大将なのだ。

『暴れ馬を探しに一人で山中に分け入りたい』などと言うのは、まだ可愛い方であろう。

 誠心に意見具申したこの部下にしろ、当の誠心自身にしろ、当たり前の事になっていて感覚が麻痺してしまっているが、そもそも一国を治める為政者が、僅かな供しか連れずに(あろう事か、時には一人で)市中を歩き回り、下々の民草と親しく言葉を交わすなどと言う事が、常識に照らし合わせて考えれば、既に狂気の沙汰である。

 それも、長く泰平の世が続いている時代の事ならばまだしも、群雄割拠の戦国乱世から、未だその殺伐とした空気が抜け切っていない今に至るまで、(三年おっつきの間隔の開きはあるにせよ)何ら変わらずに。

 

 例えば、二・三十人の刺客などものともせぬほど武術に覚えがあるとか、世の理不尽さなど毛ほども知らぬ貴人の子息であると言うのなら、その振る舞いにまだ納得も出来ようが、周知の事ながら、元々北郷一刀はそのどちらでもなかった。

 剣が全く遣えぬ訳では無いにしろ、そこいらの兵卒以上では無い。

 だが、その戦歴に限って言えば、一介の部隊長から野戦指揮官、一軍を預かる部将、一国の総大将と、それこそ、乱世で戦場に生きた男ならば誰しもが憧れ、一目も二目も置く様な華々しさだ。

 人がどれほど簡単に死ぬのか知らぬ訳ではあるまいし、ましてや、この大地に生きとし生ける全ての人間が善人であるなどとも思っていない筈である。

 

 

 今では仲良く手を取り合っている各国の王達を含め、有象無象の敵対勢力の盟主達、或いはいずれかの国の軍師達が、数え切れぬほどの刺客を放っていたのは間違いあるまい。

 しかし、その無数に放たれた敵意の内の短剣一振り、毒一服、矢の一本に至るまでの悉くが、北郷一刀に届く事はなかった。

 本人の、“務めて用心する意思”が皆無に等しかったのに、だ。

 

 蜀軍の一騎当千を誇る将たちの日々の守りや、神算鬼謀の策士たちの暗躍があったにせよ、かつては漢王朝の宮中に渦巻く陰謀術数の中で、十重二十重に用心を重ねていながら“不慮の死”を遂げた数多の人間を目の当たりしてきた誠心にとって、その一時は最早、“天”なるものの意思が、死から彼を遠ざけて奇跡を成しているとしか、考えられなかった。

 

 正直に言って、誠心自身も降伏して間もない頃は、『今なら確実に仕留められる』と考えた事が、日に十度はあった。

 誠心が結局それを実行に移さなかったのは、その必要がなかったからに過ぎない。

 だがもしも、恋か音々音のどちらかが一言、『隙を見て切り捨てろ』と言い含めていたら、曹魏が大挙して攻め入って来る迄の間に、北郷一刀の首と胴はスッパリと別たれていただろう。

 

「―――様。誠心様!」

 誠心は、怪訝そうな声で呼びかけてくる部下の声に思考の海から引き上げられると、彼の不安を拭う様に、白い歯を見せて微笑んだ。

「すまぬ。ちと考え事をしていた。まぁ、どの道、恋様が御一緒ならば心配はあるまい。それに、ねね様と共に闘っていた兵の話では、金色の鎧兜をお纏いになられた御大将の武働きは、恋様に負けぬ程であったそうな。それが真であるならば、害を為さんとした相手の方が余程心配であろう。何せ、二人に増えた恋様に向かっていく様なものだからの」

 

 誠心の豪快な笑い声に部下は毒気を抜かれて呆けていたが、何も誠心とて、ただ根拠のない楽観論を口にした訳ではなかった。

 今日に至る一月余りの間に、何度か帰還した主の一人稽古を眼にする機会があり、見識を改めた結果の言葉である。

 

 その剣閃の冴えは、以前とは見違える程に鋭かった。

 特に、べったりと両足を地に着けて腰を落とし、あの反りの付いた片刃の剣を立てて身体に抱え込む様にした構えから放たれる初太刀は、誠心にも完全に受け止められる自信がなかった程だ。

 まして、あの様に鋭く美しい刃を持った剣で斬りかかられれば、そこいらの数打ちの鈍らなど、刀身ごと紙の如くに断ち斬られてしまうだろう。

 

 

 三十年近くも戦場に身を置いて来た誠心ですら、あの刀が持つ様な美しさを備えた剣は見た事がない。

 無論、宝剣・宝刀の類は、何度となく目にしてはきた。

 千人、万人を率いる将軍であれば、そこいらの兵卒が一生分の俸給を全て注ぎこんでも手に入れる事は叶わぬであろう豪奢な装飾を施された剣を腰に佩くのは当然であるし、もう一人の大将である劉玄徳の様に由緒正しい(と称する)家柄であれば、彼女が持つ“靖王伝家”の様な宝刀が代々伝わっているものだからだ。

 

 だが、それらの剣が持つ美しさは、あくまでも“美しく見せる為の美しさ”である。

極端な言い方をしてしまえば、貴人たちが身に付けている首飾りや指輪などと大差ない物なのだ。

 偶(たま)さか剣の形をしているだけで、己の権威を周囲に示す為の装飾品の一つに他ならない。

 だから、実際にそれで敵を叩き斬ろうなどとする者はまず居ないし、その様な高貴な剣には、血を吸わせるべきではないのである。

 だから、武門の家柄の者であれば、例え常に腰に先祖伝来の宝剣を佩いていても、実戦では別の得物を使う。

 

 数少ない例外は、呉の孫家に伝わる“南海覇王”くらいのものだろう。

 だがそれは、生粋の武門である孫家の家伝らしく、実戦本位で鍛えられた業物だからである。

 “呉王の証”としての権威が付随し出したのは、あくまでここ二代の孫策王、孫権王になってからの事だ。

 なにせ、先々代の孫文台は孫武の末裔を称していて、今でこそ廟号を『始祖』とされているものの、その実、当人の代までは漢王朝の臣ですらなかったのである。

 傍目から見れば、その言の信憑性はと言えば、まごう事無き一振りの宝剣を持っている分、筵売りであった劉玄徳が、多くの子を儲けた事で有名な“中山靖王劉勝の末裔である”と称す方が、目に見える証があるだけまだマシ、という程度のものであったし、誠心自身も何度か間近で抜き身の南海覇王を見る機会があったが、“素晴らしく鍛えられた名剣である”という感想こそ持ったものの、今迄に数々見て来た宝剣が持っていた神秘性の様なものは、微塵も感じなかった。

 南海覇王は、どちらかと言えば見てくれは無骨な方で実用性に特化した、如何にも武人が持つ事を焦がれる“名剣”ではあったが、王侯貴族が権威を示す為に持ちたがる“宝剣”ではない。

 つまり、“宝剣になってしまった名剣”なのだった。

 

 だが、実用の剣としては最上位に位置するその南海覇王ですら、一刀の持ち帰って来た刀の持つ、“剣が剣である理由を極めたが故の美しさ”には敵うまい。

 どうすれば金属をあの様に鍛えられるのか想像すら出来ないが、あれは“剣”と言う武器の全き完成を見た代物であろう。

 

 

 一刀の話によれば、仙人が神々の金属を用いて鍛えた物で、様々な形の金物に姿を変えられるらしいが、刀身の美しさは、天の国に存在する、鉄を鍛えて造られた最上級の刀も負けていないだろうとの事だった。

 即ち、人が鉄を用いて作り出す剣が、神仙が神々の金属を以て作り上げた剣と同等の“極めたが故の美”を持ちえたと言う事である。

 いや、実際には神仙が天の国の剣を元にして造ったと言うのだから、あの美しさは、そもそもは人が達した境地から生まれたと言う方が正しいのだろう。

 

 つまり、今の北郷一刀は“人がその在り様を極めたる剣を用いた術”を修め、“神仙が人が極めたる在り様を模倣して鍛えた剣”を携えている事になる。

 先程は部下を安心させる為にああ言いはしたが、実際のところ、件の金色の鎧を纏っている時ならいざ知らず、まさか一刀が、生身の状態で三国無双の飛将軍に肩を並べるとは流石に思わない。

 しかし最早、この辺りの山中を細々と荒らしている程度が関の山の盗賊どもが束になって刃向かってどうにかなる相手ではないのは確かだろう。

 

 誠心が小休止を切り上げ、部下たちに出立の号令を掛けようと口を開いた瞬間、用足しついでに物見に行っていた一人が、支給品の下穿きの紐を結ぶのも忘れ、大声で誠心の名を呼びながら戻ってきた。

 誠心は、自分の馬の前に屈んで息を切らせている兵を、「まずは装束を正さぬか、粗忽者め」と、やんわりとした口調で叱責して、兵が言われた通りにした後、その呼吸が鎮まるまで待ってから、改めて「如何した」と尋ねた。

 

 兵士は幾らか落ち着いたと見え、誠心の騎乗する馬の前に、居住まいを正して跪いた。

「は、御無礼を致しました!改めて御報告申し上げます!只今、次の宿場より土煙を上げた無印の早馬が二騎、こちらに向かっております。恐らく、成都からの御使者かと!」

「旗は立っておらなんだのだろう。何故に民間の早馬ではなく、使者であると?」

「は、馬の体躯が軍馬に間違いないと見受けられ、騎手の手綱捌きに西涼者の癖が御座いました故、十中八九は馬超将軍の御家来かと思われます!」

 

 誠心は、淀みなく返って来た答えに満足そうに一つ頷くと、出立の号令の代わりに馬を出来るだけ道端に寄せ、下馬したまま手綱を握っておく様に部下たちに命じた。

 片側が崖になっている山道で馬同士がすれ違う時ほど、落下事故の起こる可能性が高い状況はまず無い。それが早馬であれば尚の事である。

 だから、端に寄って大人しく待っているのが最善なのだ。

 その二騎の早馬は部下の言った通り使者なのだろうから、こちらも旗こそ立てていないが、目立たない様に袋に仕舞ってあった赤備えの具足を見える所に出しておけば、自然とそれを眼に止めてくれる筈であった。

 

 

 それにしても。

 

「間の悪い事この上ないな、まったく」

 よりにもよって、主君と別れて別行動を取っている時に城からの使者に出くわすとは。

 関羽将軍は都に駐留中だからすぐにお耳に入る事はなかろうが、賈駆こと詠の、憎まれ口混じりの説教は免れぬだろう。

 誠心は、鼻から大きく息を吹き出して眼を閉じると、こめかみに青筋を立ててこちらを半眼で睨む詠の幻を瞼に思い浮かべながら、じきに聴こえて来る筈の馬蹄の響きに耳を澄ますのだった。

 

                                  四

 

 一刀は、再び恋と音々音の先頭に立って森の中に分け入りながら、先程からまるで釣鐘の中に頭を突っ込まれ、撞木で思い切り突き鳴らされた様な感覚の正体を探ろうと、意識の半分以上を己の思考を探る為に費やしていた。

 自分の周りで凄まじい音の反響が巻き起こっており、何処が音源なのかさっぱり分からないと言ったところだ。

 今、小枝を掻きわけて獣道を歩いているのは殆ど、一刀の最低限の肉体反応が行っている、半ば無意識の行為だと言っていいだろう。

 先程までは、ただ“呼び掛け”を感じた方向に歩を進める事に迷いなどなかったのだが、発信源に近づいているからなのか、“呼び掛け”の力が強過ぎて、何処から呼ばれているのかが解らなくなってしまったのである。 

 ふいに、どこからか、アメリカでの賞金稼ぎ時代の師であり相棒でもあった男の声が、昔と変わらぬ口調で一刀に語りかけて来た。

 

「いいか、カズト。大事なのは、“自分が最も敏感に感じなければならないもの”を、自分自身が正確に認識出来る様に務める事だ」

 元海兵隊員として幾度となく現代の戦場に身を置いて来た彼は、一刀に教えを授ける時は決まって肘を張って腕を組み、顎を引いて、一刀の前に巌の如く立ち塞がっていたものだ。

 世に悪名高き『米国海兵隊式罵詈雑言』こそ用いなかったものの、その立ち姿は如何にも鬼軍曹然とした威厳を纏っており、訓練は苛烈を極めたが、彼の教えはいつも明瞭で正確であった。

「暗闇に慣れたいのなら目、臭いを嗅ぎ分けたいなら鼻、僅かな音を察知したいなら耳。自分が今、五感のどれを最も必要としているのか、また、適切なものは何なのかを、常に冷静且つ迅速に把握し、そこに集中する事こそが、戦場に於ける鉄則だぞ」

 

『あぁ、それは解ってるんだけどね……。流石に、“第六感”近辺への集中の仕方は難しいよ。しかもなんだか入り組んでる感じで、捕まえたかと思うとスルッと逃げられちまって、まるで鰻を掴み取りしてる気分だ』

 一刀が内心でそうひとりごちると、老兵の声は辛抱強く一刀を諭した。

 

  

 

「基本が出来ていれば、応用なんて幾らでも利くもんだ。そう教えたろ?ハンドガンで狙ったポイントを撃ち抜ける様になったんなら、アサルトライフルやスナイパーライフルでだって、同じ様に様出来るんだ。無論、“より精密に”となれば話は別だがな。それでも、全然出来ないなんて事は、絶対にないとも。暗闇に眼を慣らすのと同じ様にやってみな」

 一刀は内なる師の言葉に頷くと、一旦足を止め、暗闇に慣れる為に瞼を閉じる時の感覚を意識して、今迄やたらに振り回していた意識の波を鎮めて蓋をし、深く呼吸をしてから、ゆっくりとテンカウントを数え始めた。

 

 後ろを付いていた音々音が、急に立ち止った一刀を不審そうな顔で見遣ってから声を掛けようとすると、その肩に恋の手が優しく置かれた。

 恋は音々音が顔を上げた音々音に向かって、『邪魔しちゃダメ』とでも言う様に、人差指を唇に当てて微笑んだ。

 

「見つけた―――」

 一刀がそう呟いて、再び歩き出したのは、それから一分程してからの事であった。

 暗闇の中でゆっくりと眼を開ける時と同じ様に、意識の蓋をそろりそろり開けてみると、今まで自分の周りに奔流の如く渦巻いていた思念が、その力強さはそのままに、一つの大きな流れになっていくのが感じられたのである。

「Good Job,Boy」

 頭の中の老兵の声は満足そうにそう言うと、聴こえて来た時と同じく、ふっとどこかに消えた。

 

「今度こそ、本当に大丈夫なのでしょうな~?もう歩き回るのはごめんなのですよ」

 それから暫く歩いていると、音々音が唇を尖らせて前を歩く一刀に言った。

「大丈夫だ。今度ははっきりと、何処から呼ばれてるのか分かったから。もうすぐだよ」

「どうだか……。ねねには、さっきから適当に歩いているようにしか思えないのですよ」

「そんな事ないって。―――ほら」

 一刀がそう言って立ち止り、視界を遮っていた木の枝を手で退かしながら身体を逸らすと、音々音と恋は、思わず感嘆して息を漏らした。

 

 その場所は言うなれば、自然が作り出した庭園であった。

 中央にある大樹を中心にしてドーナツ状に拓かれた直径五十メートル程の野原には、もう冬も近いと言うのに、色とりどりの野草が控えめな花を咲かせ、晩秋の穏やかな陽射しが木漏れ日となって、愛おしげにそれを照らしている。

 頭上からは、恐らく中央に鎮座している大樹を棲みかにしているのであろう小鳥たちの歌声が、そよ風に乗って聴こえて来た。

 空気がしっとりと水気を帯びているのは、そこかしこに点在する小岩に生えた、濃緑の苔のせいであろう。

 

 

「すげぇな、これは……。きっと、風の通り具合とか地形とかの条件が、奇跡的に揃ったんだろうけど……」

「まるで、人が意匠を凝らした様ですのー……」

 庭園の様な空き地を見渡しながらそう呟いた一刀に、音々音が呆けたように相槌を打つと、それまで数歩後ろに立っていた恋が、二人の横に並んだ。

「あの、おっきな樹のおかげ……」

「あぁ、そうか―――」

「どういう事なのです?ねねを差し置いて、一人だけ恋殿と以心伝心など許しませんぞ!」

恋の視線を追って、大樹が広げる広大な枝葉を見上げた一刀が得心して頷くと、音々音が一刀に食ってかかった。

 

「ははっ。悪かったよ、ねね。ほら、この広場みたいになってる場所の上は、あの大樹の枝や葉っぱが、傘みたいに覆ってるだろ。だから、その下では日光が足りないし、地面にも根っこが伸びてるから、そっちからも栄養が取れなくて、他の大きな木は育たないんだよ。それでも、草や花には十分だから、森の中に小さな庭が出来たって訳だ」

「なるほどぉ~」

 音々音が、一刀の説明にそう言って改めて辺りを見回してみると、確かに空き地のあちらこちらに育ち切らずに倒れてしまったと思われる木が幾本か散在していて、中だけが腐って空洞になり、外側には苔の衣を纏っていた。

 

「山の神様の、お家……」

 ポン、と左手を音々音の頭の上に置いた恋が、視線を大樹から逸らす事なく、ポツリと呟いた。

「山の神様の?」

 恋は、小さく頷いて一刀に視線を移した。

「うん……。前に成都にいた時に、行商の人から聞いた……。蜀の山の何処かに、山の神様が住んでるお庭があるんだって……。そこには、神様が住んでる大きな樹があって、“ひごろのおこない”が良い人は、そこに行ける事があるって……」

「成程。そこがこの場所、ってことか」

「で、お前の探している馬と言うのは何処に―――!?」

 音々音は辺りを見回しながらそう言いかけて、ハッと息を呑んだ。

 いや、音々音だけでは無い。共に空き地を見渡していた恋も、この場所での邂逅を確信していた一刀でさえも、只々言葉を無くして、大樹の後ろから姿を現したその存在を見詰めるしかなかった。

 

 

「主殿、あれは本当に馬なのですか……」

 音々音が、瞬きすら忘れて一刀にそう尋ねたのも無理はなかった。

 逞しい体躯は本来の馬の一回り以上も大きく、それを包み込む体毛は、射しこんでいる木漏れ日の光より、尚も明るい純白である。

 そして商人達の話の通り、背と尾の色は、轟々と燃え上がるが如き真紅であった。

「きれい……」

 一刀は、恋のその言葉が、ゆっくりと自分に向かって近づいてくる白馬の全てを形容している様に感じた。いや、『綺麗』と言う言葉以外に、この白馬を完全に形容しうる言葉など、この世に存在しないのではないだろうか。

 

 白馬は迷う様子もなく一刀の前で足を止めると、太く逞しい首を下げて顔を寄せ、興味深げに鼻を鳴らして、一刀の匂いを嗅いだ。

 その漆黒の瞳から投げかけられる視線は一刀を試す様でも、また、微笑んでいる様でもあった。

 やがて一刀が、ゆっくりとその首筋に触れようと手を伸ばすと、白馬は『まだ早い』とでも言う様にすっくと顔を上げて、優雅に馬首を巡らし、一刀に横腹を見せた。

 一刀が、どうしたら良いのか解らずに呆然としていると、白馬は首を曲げて一刀に顔向け、一度だけグイと上に振る。

 

 一刀がその意思を悟って白馬の腹に右の掌を当てると、恋が「手伝う……」と言って一刀の横に歩み寄り、両方の掌を上向きにして重ねて片膝を着く。

 一刀は少し逡巡したが、恋に礼を言ってから片足をその掌の上に置いた。

 本来、足掛かりとなる鐙なしに馬に乗るのには相当のコツを必要とするが、この白馬の背丈は通常の馬よりもかなり大きい。

 一人で乗る為には、思い切り飛び上がって背中にしがみ付かねばならないだろう。

 今のところは大人しくしているが、野生の馬に変わりは無い以上、あまり乱暴にして刺激すれば、暴れ出しかねないと思ったのだ。

 

 恋が、一刀が乗せた足に力を入れるのと同時に絶妙のタイミングで押し上げてくれたおかげで、一刀は普通の馬に乗る時と変わらないスムーズさで、ふわりと白馬の背に跨る事が出来た。

 白馬は、恋が下がったのを確認するかの様に一瞬だけ顔を横に向け、次の瞬間、猛々しい嘶きを上げながら棹立ちになり、真紅の鬣をふり乱した。

 

「うおぉぉぉ!!?」

 一刀が慌てて脾肉に力を入れて鬣にしがみ付くと、白馬の身体が淡い光に包まれ、その頭の上に光が集まって、粒子となって何かを形作って行く。

 背に乗った一刀も、数歩離れた所に居た恋と音々音も、その様子を、口を開けて見守るしかなかった。

 

 

「つ……、角ぉ!!?」

 光が収まり、視界が開けた一刀の目に飛び込んで来たのは、白馬の耳の内側辺りに生えた、一対の枝角だった。

 だが、変化はそれだけでは無かった。純白の体毛の下から、ツルリとした感触の硬質なものが、規則正しく重なり合うような配列を成して浮き上がってきたのである。

「これって、もしかしなくても“鱗”……?って、うおぃぃぃぃぃぃぃ!!!!?」

 一刀が左手を鬣から離して、白馬の身体に浮き上がった“鱗らしきもの”に触れようとした刹那、白馬は再び棹立ちになって鋭く嘶くと、その逞しい四肢で猛然と大地を蹴って奔り出した。

 

「恋殿……。ねねは、夢を見てるですか……?」

 音々音が、白馬が一刀を乗せたまま消え去った森を見詰めながらそう呟くと、恋は“触角”をフルフルと揺らして首を振り、音々音の前に背中を向けて跪いた。

「ねね、乗って。追いかける……」

 

                                伍

 

「ふむ。あの宿場町で間違いはないのだな、天牛蟲(かみきりむし)」

 檮杌(とうこつ)は、断崖に吹き荒ぶ風にその美しい芦色の長髪を遊ばせながら眼下を見下ろし、背後に控えた異形の配下に尋ねた。

「ハ。先ノ宿場カラ出立シタ時間ヲ計算に入レレバ、今日中ニハ、北郷一刀トソノ供ガ到着スルカト」

 天牛蟲と呼ばれた異形は片膝を立てて跪いたまま、顔の下半分を占める巨大な大顎を左右に開閉しながら、檮杌の問いに応えて小さく頷いた。

 その額からは、腰の下にまで伸びた、黒革の鞭を思わせるしなやかな一対の触角が生え、顔の上半分を占める禍々しく釣り上った複眼は、感情のない赤黒い光で爛爛と輝いている。

 全身を覆う、鎧の如き甲虫の強靭な外骨格は、拳銃の様な艶のない漆黒で、後頭部から腰にかけては、黄色がかった斑点が、縦に二本のすじ模様になって浮かんでいた。

 

「そうか。して、“あれ”の様子はどうか?」

「ハ。現在、“調整槽”ニテ休眠ニ就イテオリ、状態ハ極メテ良好デ御座イマス」

「よし。では予定通り、一刻後に作戦を開始する。抜かるでないぞ」

 天牛蟲は、檮杌の言葉を受けて頭を垂れると、音も無く背後の森の中に姿を消した。

「さて―――。間に合うにしろ間に合わぬにしろ、良いデータを出して下さいね、御遣い殿……」

 一人残された檮杌は、眼下に広がる宿場町を冷たく眺めながら、その麗しい唇を美しく歪めるのだった。

 

 

                                 あとがき

 

 さて、今回のお話、如何でしたか?

 今回ようやく、貂蝉から一刀への贈り物の正体を明かす事が出来ました。

 皆さん、出オチ臭プンプンのサブタイで大体の予想はついただろうと思いますが、ドッコイ翼は生えませんでした(笑)。

 あの白馬のモチーフは『龍馬(りゅうま)』と言います。字としては『竜馬』と書く場合もありますが、私の趣味で“龍”の字にしました。

 詳しくは、近い内に設定資料に書きますが、三蔵法師の愛馬としても有名な『玉龍』も、この龍馬であるらしいです。

 蛇足ですが、堺正章さんが孫悟空を演じた西遊記のⅡでは、おヒョイさんこと藤村俊二さんが演じていらっしゃって、再放送世代の私としては、非常に印象深かった記憶があります。

 

 また、敵キャラ勢での新登場は、天牛蟲(かみきりむし)でした。

 モチーフは“シロスジカミキリ”と言う髪切り虫なのですが、天牛(てんぎゅう)と言う、中国語由来の別名があったので、そちらを当て字にしました。

 なんでも、あの触角が牛の角の様だからそう付いた名前らしいです。

 

 今回のサブタイの元ネタは、

 

  聖闘士星矢初代OPテーマ

 

  ペガサス幻想(ファンタジー)/MAKE-UP

 

 をモジって使わせて頂きました。

 有名な上に燃える、名曲ですよね。

 

 ところで最近、オリジナルのおっさんキャラ、高順こと誠心さんが、書いている内に気に入って来てしまっている自分がいます。

 カッコよくて豪快なおっさんって、好きなんですよね(笑)。

 出番、増やしちゃおうかな……。

 

 さて、次回は、一刀を乗せて突如走り出した龍馬の真意とは!?檮杌の秘策が湯煙を斬り裂いて一刀達を襲う!的な展開にしたいと思っております。

 

 ではまた次回、お会いしましょう!

 

 

                           


 
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