ガチャガチャと機械を弄って小さな鉄の塊を削り、大量の粉のような細かい削りカスを生み出しながら部品を造り出して行く。その際、切削作業の効率を上げるためにも油を注す。切削工具と被加工物の滑りを良くするために油を潤滑剤として使用するのだが、火花が散って引火するということはないので安心して欲しい。
通常の油と違い粘性は低いので水のようにサラサラと流れるのが潤滑油の特徴でもある。しかし液体であるため、発生した削りカスを取り込んでしまい作動不良を起こしかねない。そうならないためにも、一定の間隔で潤滑油を追加していく。
これがとても面倒な作業だ。
大きな部品であれば機械が自動で切削しながら潤滑油を注ぐのだが、指で摘まむほどの小さな部品は手作業による操作でないとならない。
機械も万能というわけではない。用途によってある程度の範囲が決っていて、その範囲から外れている、合わない場合は手作業か新たに専用の機械を作るしかない。
などと理由をつけているが、仮にこの部品の制作作業が自動切削機の用途範囲内だとしても、使うことは出来ない。当たり前だ。肝心の機械がないのだから、使えるはずがない。
部屋としては広くも狭くもないが、整備室としては狭すぎる。しかも色んな部品や機材で散らかっているので置く場所もない。整頓がされていようと関係ないが。
そんな脂の臭いが充満してどこか焦げ臭くもある整備室には、この部屋の主にして独りしかいない整備室の整備主任ソーイチ・リヴェルトと、眠たそうに大きな欠伸をするリリオリ・ミヴァンフォーマがいた。
「それで、またどうしてここにいるのですか?」
ソーイチが機械と向き合って油を注しながら、ソファーにどっしり座るリリオリに問い掛ける。
「私の剣はまだかと急かしに来たんだ。ありがたく思え」
「…ええ、有り難いですね」
「なんだその微妙な返しは。まだ眠り足りない身体を無理矢理起こしてまで来たんだ。もっと歓迎しろ」
「あ~嬉し~な~。あの魔王さまと戦った強~いリリオリ・ミヴァンフォーマ大佐が来てくれて、わたしゃあ嬉しすぎて涙が…ふぁぁ」
「それは欠伸というのではないのか」
「気のせいですよ。だってこんなに涙が出ているんですよ。ありえないじゃないですか」
「ではその大きく開いた口は何だ」
「大きくハッキリ発音するためでイタイイタイッ、痛いですよっ! というより機械イジっている時にちょっかい出さないで下さい!」
「人が眠くて苛立ち易いのに、馬鹿げたことをするからだ」
「なら部屋に戻って寝れば良いでしょう! 昨晩の騒動の功績と表して今日は非番にしたんじゃないですか!」
ここで重要なのは非番になった、のではなく非番にした、の違い。
「当たり前だ。夜勤待機でもないのに無理矢理連れて行かれて仕事してきたんだ。しかも相手はあのガサラキ・ベギルスタンだ、魔王だぞ。当然の報酬だろう」
「ガサラキって、あの泥酔飲兵衛で有名な魔王のことですよね」
「そうだ。だがアイツはそんな生半可な相手じゃなかった」
「魔王なんですから当然でしょう」
「酔っていたガサラキ相手に最初から優勢で進んでいたが、最期に見せた魔王としての片鱗。あれには流石の私も―――」
「お疲れ様です」
「―――何故に貴様は話を折るように水を注すのだ」
「早く部屋に戻って欲しいからです」
微調整を繰り返しながら出来上がった部品を切削機械から取り出し、横に置いたケースの中にしまう。
作業を終えると機械の電源を落とし、ソファーに座るリリオリに振り返る。
今にも寝そうに座る彼女は暇なのだろう、自分の髪を弄って暇を持て余していた。
「そんなに暇なら表に出て訓練に参加するなり教えるなりすればいいじゃないですか」
「折角の非番を使いたくない…」
「なら街に出るなりして満喫すればいいでしょう。眠いなら部屋に戻ってベッドにどうぞ」
「それはそれで勿体無い…」
提案しては文句をつけて実行せずにソファーから動かず、しかし暇そうに、そして眠そうに転がる。
「なら自分にどうしろと?」
「早く剣を直せ」
どうするべきだろう、とソーイチは頭を悩ます。
今まで加工していた部品は彼女の愛剣のものではなく、新兵器の開発計画フォス・プランに出品するアルミィ・フォーカスの作品、仮名で「オーリス」に持たせる武器の部品だ。基地司令官ダルタロス・ローカリストによって半ば強制的に参加することになっており、開発プランは参加する各技術者に一任されているがソーイチは剣を造るように命じられている。
製作はアルミィの計らいで研究部にも手伝ってもらうことになっている。しかし交換条件として彼女が開発した兵器の武器、剣と銃を造る事になった。実際は相互利益のためとも云えるが、どちらかといえばソーイチの方に不利な条件だ。
これらを含めた現在の仕事は、フォス・プランに出品する武器開発、アルミィの兵器に持たせる武器開発、そしてリリオリの愛剣の修理。この三つなのだが、リリオリの愛剣に関しては行おうとすれば一日で終わらせることが出来る。不眠不休かつ一切邪魔が入らなければなのだが、肝心の修理を要求する本人がこれでは集中できるはずもない。
後手ではなく八方塞のソーイチは重く圧し掛かる目蓋を必死に抑え付けながら、深々と溜息を洩らした。
「出来れば今日してましたよ。でも貴女が夜明け前に突然来て、自分を叩き起こしたではないですか。おかげで予定がいくつか狂いましたよ」
「む」
ゴロゴロがモゾモゾと変わり、ついにリリオリが動き出した。と思ったが結局ソファーから退こうとはしない。
「仕方ないだろ、気になることがあったんだから。そういうものは早く解決するべきだろ」
「それは否定しないですけど」
「ならいいではないか」
何故だろう。スッカリ居心地が良いように見えるのは、考えすぎから来る幻覚なのだろうか。
仕事場と私室を分けるように、人はその場に合うようにスイッチを切り替えるものだ。それはソーイチにも当然あり、いくら自分だけの空間とはいえ私室ほど寛ぐことはない。
なのに、今ここにいる大佐殿は私室で見せるような、それほど親しくない他人には見せないような反応と言動をする。命令口調はのは相変わらずだが、どこか覇気がない。眠いということもあるだろうが、やはり根本的な雰囲気からして違う。
「気になること…あのリース・リ=アジールが自分の名前を訊ねたことですよね」
「ああ」
簡素に答えてくる。
「それは最初に言ったとおり、自分にはもう関係ありませんよ」
「もう、ということは以前はあったのだろう」
「―――黙秘権」
「…今日のお前は意地が悪いぞ」
「いつもどおりです。違うとすれば、二人とも睡眠不足だということで、疲労が頂点だってぐらいです」
「そうだな」
もう限界に近いようだ。リリオリの目蓋が閉じ掛けている。
「もう無理だ。少し寝るから、昼過ぎたら起こしてくれ」
「分かりました」
「絶対だから、な…」
ついに、かの鬼教官リリオリ・ミヴァンフォーマが眠りについた。
今までにない反応だ。部屋に訪れて県を直せとしか言わない彼女が、安心して睡眠を取るようになるまで部屋に懐くとは誰にも想像できない。
今日も暑くなるだろう。まだ昼前の朝なのでそこまで暑くない。ぐるぐるとプロペラを回す扇風機一つで足りるが、機械を使い続けていれば一番暑くなる昼前には四十度に達してしまう。気持ち良さそうに眠るリリオリの表情が苦痛に変わるのは、それはそれで楽しそうだが邪魔するのも気が引ける。
「仕方ないか」
薄いタオルケットを取り、腹周りに掛ける。ピクリとも反応せず、既に深い眠りの中にいるようだ。この安眠が続くように、彼女が起きるまで作業を中断することにした。
「なに馬鹿を言っている。貴様程度の力で天地人全てを粉砕できるものか」
絶体絶命の、魔王は危険であると再認識し殲滅を呼び起こす一歩手前。リリオリは平静であるかのように装いながらも、彼らが魔王と呼ばれる根本的な意味を風に乗って来る威圧感と存在感で感じ取っていた。
魔法が使えるから魔王と呼ばれる、のではなく、ヒトでありながらヒトと超越した存在。そしてこの認識を許してしまったが故に彼らは魔王と呼ばれているのだと。
「何だと。人間の女如きが…!」
突然跳び込んで来た呆れ口調の罵声にガサラキの威圧感がさらに増す。殺気と怒気を放つ眼光は自身が見ずとも、彼に見られただけで鳥肌が止まらない。
しかし彼は勘違いをしている。確かに言葉が発せられた方角はリリオリがいる位置で合っているが、その当人はこの事態に途方に暮れて立ち尽くしている。とても否定の言葉を、しかも呆れた言葉使いで言えたものではない。
「誰が人間の女、だって? もしや貴様、わたしを忘れたか」
発せられたのはさらに後方。
振り向けば、そこにいたのは女だった。白に近い銀髪を腰まで伸ばし、この場に流れる威圧感すら吹き飛ばす鋭い双眸でリリオリを越えてガサラキを睨む、ドレスのような黒衣の女。
その瞬間、誰もが息を呑み、目を見開き、かの存在が今ここにいることに驚愕した。魔王であるガサラキすらよく知らない部下達も、そのガサラキ・ベギルスタンも例外ではない。このような街に来ないであろう、自分の城から絶対に出ないであろうその女は誰もが知っている。むしろ知らないほうがおかしい。
何故なら、彼女はこの国、フォリカ国内で最も権力を有し、魔王を統べるとも言われている。
そんな彼女の名をガサラキが呟く。
「り、リース・リ=アジール」
「ほう。覚えているではないか。何故間違えたのか、言ってみろ。どうせ酒は抜けているのだろう」
この場を支配していた圧力が急速に消えていく。伴い、荒れ狂う突風のような力の奔流もそよ風程度にまで弱まり、ついには止まった。
「どうした。言えんのか? では問いを変えよう。何故、魔法を使おうとした」
「そ、それは、だな」
「この国はわたし達との共存を理解してくれている。かつて全滅すべき畏怖の存在として君臨し、今でも魔王と呼ばれ恐れられているわたし達とだ」
リースが歩みだす。
「あ、ああ勿論分かっているさ。けどよ」
おどけるようにガサラキは笑顔を作るが、リースの歩みに同調するように退がる。脚だけは正直者のようだ。
「けどもされどもない。彼らの方から歩み寄ってくれたならば、わたし達は何をすべきか分かっているだろ。彼らにこの力を揮わないことだ。これでこのやり取りは三度目…分かっているな。次はないと言ったのは忘れていないだろ、ガサラキ・ベギルスタン」
「ッッッ!!」
その瞬間、黒い影が横を通り過ぎた。振り返れば、跳んで逃げ出そうとしたのだろうガサラキは大通りの上空で、リースによって組み伏せられていた。ガサラキの背に乗るリースは片腕だけで両腕をまとめて背中に対してほぼ垂直に曲げ、残った腕で頭を押さえつけている。しかも丁寧なことに正座で座って身体を弓のように反らせている。これを解くのは無理だ。
落下が始まる二人。ガサラキはもがき脱出しようとするが、揺れるのは無事な脚だけ。じたばたと上下を虚しく振るが無駄な努力に終わり、重力加速度の補正を受け続け、腹を突き出す形でアスファルトに激突した。
リースはガサラキというクッションのおかげで微動だにしていない。当然、腕を緩めることもない。
「クソッ! クソッタレッ!」
「随分と騒がしいわね。腹でなく頭にすれば好かったかしら。そうすればもう少し静かなのにね」
「バッ! テメェこのやろゴブッ!!」
暴れそうだったガサラキの頭がアスファルトに殴るようにぶつける。
「このやろ―――? その後は何かしらね」
ミシミシと指が食い込み、アスファルトに亀裂が伸びる音がリリオリにまで届く。きわめつけに右へ左へ動かされて擦り付けられる。
「な、何でもない…」
「そう。ならそこで黙ってなさい」
ガサラキを黙らせたリースがこちらに振り返る。先程の覇気はなく、のんびりとした落ち着いた表情があった。
しかし、だからといって安心が生まれるわけではない。短い時間だったが殺気と怒気に中っていたせいか、つい身構えてしまう。
それを見たリースが、くすりと笑う。
「そんなに身構えなくても、襲って食べようだなんて考えてないわよ」
「食べるだなんて…そんな」
「何? 食べて欲しかったの」
「いえ決してそんなことは―――」
「ふふ、冗談よ」
そう仄めかして眼を閉じるリース。冗談を言われても、冗談に聞こえてこない。
リース・リ=アジールを知らない人間はいない。特に、フォリカの軍隊にいる者なら尚更だ。彼女はその知名度に反比例して、ガサラキよりも下の最も若い部類に入る。年を取るごとに力が増大する魔王にとって、若さこそが弱さであり、老いこそが強さでもある。
ではリースが何故有名かというと、リ=アジールの血族だからというのが一番に来る理由に違いない。今は亡き先代のリ=アジールである彼女の父親は千にも届くと言われるほど長寿の魔王だった。共存を結んだのも、その協力を惜しまなかったのも彼であり、いま生活に満ち、軍でも使われている魔導工学を大きく発展させる貢献をしたのも彼だ。
数年前に亡くなった後を引き継いだのが、娘のリースだ。代が変わった当初は親の七光りなどと呼ばれて時期もあったが今では消え去り、有事の際以外では自身の城から一歩も外に出てくることはない。
「しかし何故、貴女様がここに?」
さすがのリリオリでさえ、恐縮と敬語を使っている。
「あら、伝わってないのかしら。何でも街で暴れている馬鹿がいると連絡があったから出向いてみたのけれど、何も聞いてない? こっちに来る前にリオークスのほうには連絡したのけれど」
「もしや…十数分持ち堪えろというのは」
「わたしのことね」
「そう、でしたか」
「もう少し時間が掛かるかと思ったけれど、思いのほか早く着いたのは、貴女にとって好ましかったようね」
簡単に言うが、リリオリにとってそれは生死の境目。危機一髪だったと断言できた。
警戒こそ怠っていなかったが、優勢で進んでいくうちに油断が生まれたのは間違いない。魔王相手に油断が生まれるとは軍人としてありえないことだ。まだまだ精進が足りないと痛感した。
「はい、ご協力ありがとうございました」
軍人らしく、敬礼で感謝を送る。
対し、リースは微笑で返してくれた。
「おい。いつまで乗っているつもりだ」
痺れを切らしたのか、ガサラキが地に伏せられたまま口惜しく言ってきた。
ガサラキの上に座るリースは頭からは手を離しているが、彼の両腕は未だに背から立つように垂直に曲げてまとめている。諦めたのだろう、落下する時のように脚を上下に振ってもがく事はしていない。
しかし、その表情は不服そうにムッとしている。
「いい加減に降りろよ」
「あら、いい敷物だったのに。仕方ないわね―――なんて言うと思ったかしら」
「イデデデデデデデデデデデデデデデデデデデデデデデデッッッッッッッッ!!」
ガサラキの両腕がきつく締め付けられ、さらに垂直を通り越して強引に反り曲げられる。笑顔が張り付くリースの顔だが、どうしてだろう不気味な影やら怒りやらが浮かび上がっている。悲痛な叫びと痛々しい光景にどうすることもできず、ただただ呆然と見ることしかできない。
「いくら酔っていたからと言って、この状況は許されるものじゃないわよ。民間人だけでなく軍にも迷惑を掛けるような酔いどれには、それなりの躾が必要よ、ねっ」
ふん、と勢いを付けて反り立つガサラキの両腕に体重が掛かる。
不吉な音。
「ギャァァァァ!! 待てっ! これ以上は―――」
「問答無用」
「あ、あの…さすがにそのくらいでよろしいのでは」
見るに見兼ねて、恐る恐ると声を掛ける。
そろそろ切り替えないと雰囲気はどんどん悪い方向に進むと思った。
周囲で事態を見ていた彼女の部下達も、苦笑どころか失笑してヒいている。中には血の気が引いて真っ青な者もいる。リリオリの連撃や手榴弾の爆風、降り注ぐ弾幕すらも耐えたあのガサラキが簡単に組み伏せられて、しかも根を上げているのだ。いかに魔王とはいえ、見た目は女性なのだ。末恐ろしくもなる。
だが、リースは顔を向けたままその不気味な笑顔で―――
「優しいのね。さっき言ったように、こればかりは許せるものじゃないのよ」
「――――――――――――――――――――ッッッッッッッッッッ!!!」
「でも、これで静かになったから一時的に止めてあげるわ。彼女の優しさに感謝して、今は気絶して(ねむって)いなさい」
あっさりと気を失ってしまったガサラキの上からリースが立ち上がる。
ふぅ、と乱れた髪を整え、黒衣に付いたホコリを払い落とすだけなのにどこか気品を感じるのは気のせいではないだろう。見惚れることはないが、女性として羨ましいとほんの少しだが劣等感を感じてしまうのは、僅かに残った女としての性か。
「さてと。申し訳なかったわね、思いのほか早く着いたなんて言ったけれど、これは取り消させて。もっと早く着いていなければならなかったわね。いかに軍とはいえ、彼の相手をするのは大変だったでしょう」
「え、ええ。ですが貴女が着て頂いたおかげで、こうして部下を含めた全員が無事でしたので、そのようなことを言わなくても」
「それとこれは関係ないわ。それと、無事そうに見えるけど貴女は一発打ち込まれたのでしょう。基地に戻ったら、きちんと検査を受けなさい。もし問題あったら、その治療代はこっちで出すわ」
「いえそんなっ!! そのようなことをして頂かなくてもっ!!」
「彼の暴走を早期に止められなかったのも、貴女が傷ついたのも、わたしの責任よ。貴女が背負うことは―――そういえば、貴女の名前を聞いてなかったわね。教えて頂けないかしら」
そう訊ねられて、自分がようやく挨拶をしていないことに気付く。
慌てて気を付け、敬礼する。
「リオークス基地所属、リリオリ・ミヴァンフォーマ大佐です」
「リリオリというのね。どうもありがとう、そしてすまなかったわね」
戦場だった大通りに漂っていたピリピリとした雰囲気が風で流される。
魔王がすぐにいるからだと思っていたが違っていたようだ。現に目の前にはガサラキなんかよりも数段格上であるリースがいるが、そんなことはない、深夜の市街地に似合う静けさを再び帯び始めていた。
まだ大通りの向こう側には警察機構や野次馬などがいて騒がしいかもしれないが、リオークスらしく静かで雰囲気は落ち着いている。
「この馬鹿はわたしが連れて行くわ。あと、ここの修理もこっちが請け負うからリリオリ大佐は戻って身体を休ませなさい。こんな状況になるだなんて久々でしょうから、貴女の部下達も疲れているでしょうしね」
リースが言うとおり、内線から聞こえる部下達の安堵が聞こえた。無事に帰れる安心から来る溜息だ。
リリオリも部下達も初めての実戦といっていい。平和の中で生まれ、平穏の中で育ち入隊した彼らにとって世界観や平和への価値観が一新するほど強烈だった。まともに扱った事のない銃を使い、土壇場ともいえる連係でガサラキの動きを誘導、翻弄しようとしたのは好ましい経験を積めたと実感している。
「ふふ…。今度、暇が出来たらお茶でもいかが?」
「そんな、恐縮です。ですが私は軍人で部下もいますし、何よりまだ未熟ですので―――」
そう答えるが行くつもりはない、ということはないがリース相手では流石に恐れ多い。なにより、行く時間はないと考える。
今日は強引にでも非番にするつもりだ。基地に戻る時には日が昇るがどうかの時間帯になる。報告したのち一眠りして、起きた時にはおそらく夕刻の手前になるに違いない。翌日になれば訓練の日々だ。厳しくしてやると言った手前、自身の鍛錬や部下達を叩き上げるのには時間が掛かる。
そこまで詳しくではないが察したのか、リースは肩を竦める。
「なら気長に待つとするわ」
「申し訳ありません」
「謝ることではないわ、わたしの気紛れでもあるのだから。それじゃあ、そろそろ失礼するわね」
リースは背後で気絶しているガサラキの片方の足首を握り、そのままズルスルと引き摺りながら市街地の外に向かって歩き出した。抱いたり、背負ったりなどしない。むしろ、このくらいの扱いで合っていると云わんばかりの雑さだ。
リリオリの横を通り過ぎ、数十メートル進んだ所で突然停まり、リースは振り返った。
「一つ聞きたいのだけど、軍にソーイチという男がいないか、知らないかしら」
よく知る名前を口にしたリースに対して、リリオリは呆気に取られた。
「この国じゃ珍しい名前だけれど」
「あ、はい。私が所属するリオークス基地で整備主任を任されています」
「そう、リオークスにいたのね」
そう呟くとリースの眼がスッと細くなる。遠くを見ているようで、しかしどこか寂しさを含んでいる眼光。どうして彼女がそのような眼をするか、リリオリには分からない。
そちらよりも、あの整備主任と魔王の代表格が何か関係を持っていることのほうに興味が傾いていた。
口は開かない。聞こうとすれば何かしらの軋みを上げるのは明白だったからだ。
「リリオリ、もしかしたら、わたしの方からお茶をしに窺うかもしれないけど、その時はよろしくね」
「………」
「どうしたの、呆けて」
「え! あ、はい。よろしくお願いします」
「ふふ、本当に面白い子ね」
子供を見るような笑顔で言葉を残してリースは去っていく。あの瞳はもう消えていた。
太陽は頂点を通り過ぎ、その軌道は西へ向けて傾き、空をゆっくりと紅に染まり始めていた。擦れ違う自然の光景も同様だ。緑が拡がる草原は今や輝く紅だ。違うのは遠くに見えるそれほど高くない山ぐらいで、太陽の影となった部分だけが強い黒を強調している。
舗装されている唯一の道路を一台の自動車が走る。普通の自動車ではなく大人数が乗れる白のワゴン車だ。
窓が開いている左側の助手席に風が入り込む。熱気はまだ残っているが昼間ほどの不愉快さはなく、むしろ陽が落ち始めたことによって涼しさが混じって気持ちが良い。
「風が気持ち良いですね」
ふと、運転席に座るアルミィ・フォーカスが声を掛けてきた。
いま彼女が運転している自動車は軍所有のものではなく、彼女自身のもの。基地内にある宿舎で寝泊りをしないで市街から通勤しているアルミィにとって大切で唯一の足だ。ワゴン車なのは仕事で使う機材や大量の資料の運搬、あげくには帰れなかったときにここで寝るためである。だから荷台には毛布から私物であろう奇妙なものまでが詰め込まれている。
そこまでするなら宿舎に泊まればいいのにと、風を感じながら助手席のソーイチは思う。
しかし、とそこで思考が切り替わる。視線は外から内へ、そしてアルミィの身体へと流れる。他意はないが、観察するようにアルミィの頭の頂上から足の先までゆっくりと眺めて、しみじみと思う。
―――小柄なのに、足がペダルによくとどくな。
「む。何やら失礼なことを考えてましたね」
「はは、そんなことないですよ」
笑ったように見せ掛けるが、内心は驚いた。
さすがに運転中で下手に頭を向けるわけには行かないため、アルミィは唸りながら視線だけをぶつけて来る。ソーイチの考えを読み取ったのか。はたまた直感なのかは分からないが、その鋭さには感服した。
けれど、ソーイチが思ったことは背の低い者への侮辱でしかない。口に出して言わなかっただけ、まだ良かったといえる。
「まあいいですよ。その代わりに、質問に答えて下さい」
それで話題が逸れるならと頷く。
「どうして頬に真っ赤な手形がついているんですか」
「……………………………」
早朝、リリオリが整備室で寝てしまい、機械の騒音で起こすのも可哀想だからと休憩を挟んだ。昼過ぎに起こしてくれということでどうやって時間を潰そうか考えつつ、肝心のフォス・プランに出す武器の構造などを簡単にだが書き出していたら、不覚にもそのまま机に突っ伏してしまった。
そう、目蓋を閉じて開けるぐらいの一瞬とも取れる暗闇のうちに時刻は昼過ぎを過ぎて真昼間。慌てて起き上がると、その騒音でリリオリが起きて状況を理解すると代金代わりに一発打ち込んで出て行った。
これが手形の真相である。
勿論、誰にも言いたくないし、触れられたくもないが、空気を読んでくれないアルミィが見事にど真ん中直球を選んでくれた。複雑な計測結果を読む技術はあっても、場の空気を読む技術はないらしい。
「あ~風が気持ち良いですね~」
「そうですよね、誤魔化しますよね、でも答えてくれるんですよね」
「すみません。勘弁して下さい」
「始めからそうすればいいんですよ」
ふふん、と勝ち誇ったアルミィ。気分は良い方向に流れたようだ。
負けた気分になるが、どうにか誤魔化したソーイチは吐息を洩らすと、山や自動車のフレームの陰に隠れていた太陽が姿を現した。激しく輝く光が眩しいと、手の平で視界から隠す。
「それにしても、自分に合わせたい人って随分と遠くに住んでるんですね。どんな人なんですか」
「幼馴染で魔導工学の研究者なんですけど、手を貸してくれませんかと連絡したら、なら一度こっちに来いって言われまして」
「しかし何でまたこんな夕暮れ時に」
「向こうからこの時間帯に来るように言われたんで、その辺はさっぱり。昔から変なところでドジをしたり、意地になったりとちょっと変わった子なんです。でも小さい頃から勉強熱心で、頭の回転は誰よりも速かったんですよ。学校も上級校に進みましたし、魔導工学の学会ではそれなりに有名なんですよ」
恥ずかしそうに語るが、自慢にも聞こえるアルミィの表情は綻んでいる。それほどまでに優秀な知人がいれば自慢もしたくもなる。それが幼い頃を共に過ごした幼馴染なら尚更なのだろう。
上手く理解できずに曖昧な反応しかできないが、これも人の縁なのだろうと変な解釈で済ませた。それ以上に気になった一文がある。
―――変なところでドジをしたり、意地になったりとちょっと変わった子なんです。
とても心当たりのある人物の行動を似ている。突然ドアを開けて象さん象さんと慌てふためいたり、気付いてもらえなくて不貞腐れたりする女性だ。そして本当に足がとどいているのか今でも疑問に思いつつ、横で安全運転を心掛けている。
「むむ。また何か―――」
「それにしても太陽が眩しいですね。カバーを下ろさなくて大丈夫ですか」
「……大丈夫ですよ」
諦めたか。これ以上、追求しようとしてこなかった。
「そういえば、昨晩のことは聞きましたか。大変だったそうですね」
「相手が相手だからですから。今のご時世、魔王とやりあったのは彼らだけでしょうね」
「魔王だなんて…おとぎ話程度しか知りませんでしたから、今回のことを聞いたときは正直驚きましたよ」
「おとぎ話ですかぁ…。でも、リース・リ=アジールぐらいは知っているでしょう」
「それは当然ですよ。それこそ生きる伝説のような方です」
「生きる伝説ってそれこそ言い過ぎな気がしません?」
「何を言いますか。四年前、魔力を暴走させて首都近郊に突然現れた魔王を一日で、しかもたった独りで叩き伏せた。歳を増すほど力を蓄える魔王が、数百年近く歳の離れた相手に圧勝ですよ。歴史こそ短いですけど、年配の魔王すら凌駕する逸材です」
話を振っておきながらそんなことも知らないんですか、と微笑を浮かべられたが、特に反応して返すことはあえてしない。
中途半端にするよりはマシだろう。
「躊躇していた軍が到着した頃には全て終わっていて、一時、一部の軍上層部で彼らのことが問題視されましたけど、暴走した魔王の矛先はリース・リ=アジールであり、故にこれは同士討ちであって国や国民は被害を被っていないという結論で終わりました。事実、戦っていたのは首都近郊と言いつつ広野でしたから」
「それこそ引っ掛りません?」
「何がですか?」
「戦った場所は広野だというのはフォリカの風土や現状を見れば分かりますよ。けれど、誰も見ていないのに相手が数百年も歳の離れた魔王だとか圧勝だとか、戦ったのは独りで一日だとか。まるで現場を見て語ったような報告じゃないですか。何より、リースに負かされた魔王はどうなったんですか」
「――――――――――――――――――――」
アルミィから言葉が返ってこない。
景色に向けていた視線を彼女に向けると、彼女の表情が凍り付いていた。驚愕やその他の感情を表現しているわけではない。表情がない、と表現した方が正しいだろうか。反して運転だけはきちんとこなしている。感情だけがフリーズしたような感じだ。
「アルミィ主任…?」
「そういえばオーリスの武器なんですけど、どうですか。やはり、造るのに苦労してますか?」
「え、ああ。まぁ大丈夫ですよ。これといった苦労はありません」
それはよかったです、と安堵を見せると、アルミィは到着するまで口を開くことはなかった。
不自然に切り替わった話題や、僅かに見せたのっぺらぼうのような表情に動揺と疑問が混じり合い、腹の奥底に変なわだかまりが重石のように強く残った。しかし口に出して問おうとする気は起きなかった。
おそらく分かっているからだ。もしこれで問えば、ぼんやりとだがどうなるかが。
そして、彼女がフリーズした時に聞こえた、パキンと何かにひびが入る音がしたのは気のせいだろうと、深く押し込めながら知らない目的の到着を待った。
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あけましておめでとうございます。新年早々風邪を引いて今なお続いているグダ狐です。
前回の観覧数が飛躍的に伸びていたのは、おそらく「魔王とは俗称であって自称ではない。」に釣られたんでしょうね。しかし読んでガッカリ、何よりも私がビックリ!
ということで、冷や汗鼻水に耐えながら公開します4をお楽しみ下さい。