帝国戦艦リヴァイアサン ユディト海上空
7:18 A.M.(『ユディト』現地時間)
沙恵は、負傷したままの香奈を抱えて走っていた。太一と登の走るスピードは速く、香奈を抱
えては、彼女もついていくのがやっとだった。
香奈は、ほとんど意識が無い状態で沙恵に抱えられていた。幾ら治癒『能力』を持ち、それが
全治一ヶ月以内の傷であろうと、あっという間に治せる沙恵でも、ショットガンの弾をまともに受
けた香奈を癒すのには時間がかかる。いや、このように彼女を抱え、しかも全力で走っている
状態では、治療自体が無理だ。せいぜいする事ができるのは痛み止め、出血を何とか抑える
程度の『力』だけ。
赤い非常灯は相変わらず点灯し、その中でも、香奈の脇腹から溢れている血は良く分かっ
た。弾は体の中にまだ残っているし、飛び散ったほかの散弾で受けたダメージも大きい。自分
達が走っていった後に、香奈の血痕が残っていた。沙恵の止血をするための『能力』も、この
ような状態では完璧ではない。
「どこへ向かおうって言うの?」
沙恵が必死になって、自分の前を走っている二人に尋ねた。
「さっきから鳴り響いていたアナウンスが、今は止まっている!」
走りながら登が答えた。
舞、そしてロベルトとの戦いで気が付かなかった。しかし、艦内アナウンスの放送が流れてい
ない。警報は鳴り響いているのだが、放送が停止している。
「高度が危険区域に入りました。不時着体勢を取って下さい」
それはアナウンスではなく、緊急時に流れる警報らしかった。機械的な音なのですぐに分か
る。
「これだけの事態、船の高度も落ちてきて、パワーを失っているという感じだ」
と、太一。
「どれもこれも、あいつの仕業?」
沙恵は、恐ろしいものを口にするかのように言った。
「ああ、そのようだ。あの『皇帝』が言った通りだ。『ゼロ』はこの戦艦のシステムを乗っ取る
『力』を持っている。そんなのは君も知らなかったんだろ? あいつが近づくと、携帯やらの電
波が妨害されるって言うのは話していたけど」
「そ、そんな」
沙恵はそれしか口にできなかった。
その時、自分が抱えている香奈が、痛みに喘ぐのを沙恵は聞き取った。抱えたまま走ってい
るから彼女は体を激しく揺さぶられている。それでも沙恵は、痛みを抑える『力』も使ってあげ
ていたはずだが。
たまらず彼女は、太一と登に呼び掛けた。
「ねえ、ちょっと休ませてあげてよ!走っていちゃあ、彼女を治せないよ!」
沙恵は必死になって言った。
「悪いが、それはできない。君も分かっているだろう?今、どんな状況になっているのかが。『ゼ
ロ』を捕らえるという事は、もはや任務なんか以上の事になっている」
太一の言いたい事は、沙恵も、あの『皇帝』が言っていた、言葉の意味が大体分かっていた
から知っていた。
「今、この戦艦に備え付けられている、高威力原子砲なる兵器が、僕らの『NK』へと向けられ
ている!」
警報の中でも登は大きな声で言う。
「で、でもどうして?どうして『NK』なの?『帝国』が『NK』に攻撃するの?」
「いや、あの『皇帝』の言い方からして、それは無さそうだ。問題なのは、あの『ゼロ』が高威力
原子砲の機能を乗っ取り、それで『NK』へと照準を向けたって事なんだ」
「ど、どうして!」
沙恵は、今起こっている事が現実の事かどうか、疑いたくなるような気がしてきた。あまりにも
急速に事件が展開してきている。
「それに関しては俺にも分からない。この艦を破壊するのはあいつにとっては簡単なことだ。操
縦を奪い取れるって言うならなおさらだ。だが、あいつはこの戦艦を利用しようとしている!そう
なってしまう前にとにかく、俺達は『ゼロ』を止めなければならない!」
「で、でも、あの女の人が止めるって」
『ゼロ』を止める、そんな事ができるとでも言うのか。
登は知らない。まだ彼は『ゼロ』と直接遭った事がないからだ。
「君は『帝国』の人間を信用するのかい?仮にあの国防長官が止められたとしても、今後、『帝
国』が『ゼロ』を何に使うか分かったもんじゃあない。だけれども、僕らはあの国防長官の後を
追っているつもりだ。彼女ならば『ゼロ』を捜し出してくれるかもしれない」
「わ、分かったよ」
沙恵は走りながらうなずいていた。
「君は、香奈の治療を続けてくれ」
そう言う太一の方も負傷している。登もそうだ。彼は、肩と脚に被弾しているし、背中は切り裂
かれたかのようになっている。全て『皇帝』との戦いの時に付いた傷だ。床に続いている血痕に
は彼のものも含まれている。
彼はおそらくその傷による痛みを、自分の『力』によって封じ込めている。だが彼は治療とか
いった『力』が得意ではないはずだ。だから、残る痛みをひきずりながらも走っているに違いな
い。太一も同じだろう。
「2人とも、無理しないで」
沙恵はそう呟きながら走った。
幾つかの十字路を過ぎた。広い艦内をとにかく通路が続く限り走って行く。赤い非常灯、そし
てそれによって染められている殺風景な通路は変わらず続いていた。
途中、何度か『帝国兵』姿を見かけることがあった。彼らは、届かない上からの連絡にどうし
たらよいか戸惑い、何らかの目的を持った行動をしていなかった。
だから簡単に巻いてしまうことができた。
2、3分も走った頃だろうか、一行は前方に大きな吹き抜けがあるのを確認した。
「あれは俺達が登ってきた吹き抜けだ、ここまで走ってくれば、何かあれば気付いていたもの
に」
太一を先頭とし、『SVO』の面々は、その吹き抜けがある場所へと走っていった。
直径が数十メートルはある、シリンダー型の吹き抜け。その中央に、円柱型の柱が幾つもの
配線や配管を纏わせながら、艦内を上下に繋いでいる。
一行は、その吹き抜けにかかる鉄骨の橋へと脚を踏み入れた。
下を見下ろせば、建物の十階近い高さがある。そこを橋がかかっていた。下の方にも同じよ
うな姿の、幾つかの橋がかかっている。
鉄骨の足場を踏み鳴らす音が響き、警報が鳴り響いている他は、後は静かなものだ。ここに
いるのは自分達だけ。
そう皆が思っていた。しかし、強い気配を彼らは感じた。
まるで、巨大なものが迫ってくるかのような気配。それを感じるだけで、押し潰されてしまうよ
うな威圧感。
上。直感的に感じた。
だが、上を見上げるという間も無く、それは4人の目の前に立ちはだかった。竜巻のような衝
撃が、『SVO』の四人に襲い掛かった。突然の出来事に、彼らは怯み、思わず顔を覆った。
やがて彼らは、目の前に現れた存在を直視する。
青い色の光が輝くのではなく、蠢いているかのようだった。小さな竜巻のようにエネルギー体
を一人の男は纏い、目の前に立っている。
これが人間なのかと疑ってしまうかのような姿。4人の目の前に立ちはだかっている男は、ま
るで神話に登場する悪魔のような姿をしていた。
青い色をした肌。頭髪や、瞳までもが、深い青色によって染まっているかのようだった。更
に、爪は鷹のように鋭く尖り、体には幾何学的な模様が浮き出ている。それは血痕のようなも
のにも見えたし、皮膚の色が変化しているかのようにも見えた。
しばらくの間、『SVO』は何も口を聞けないままに、『ゼロ』の姿を見つめていた。
しかし、やがて太一が、
「すでに紫色の光ではない!臨戦態勢というわけか!」
と、口に出した。登は初対面のはずだが、直感的に『ゼロ』だと分かっている。
「ゼ、『ゼロ』」
そう呟いたのは香奈だ。
「か、香奈」
沙恵は、香奈の顔を見た。彼女は抱えられたまま、眼を見開いたように『ゼロ』の方を見つめ
ている。
彼女の受けた傷は重傷で、気を失っていたはずだ。それなのに、香奈ははっきりと『ゼロ』の
方を見つめていた。
それは、まるで彼女の本能的行為であるかのようだった。『ゼロ』の纏っているエネルギー体
は、近くにいるだけで体が動けなくなりそうなものがある。香奈も意識下でその力を感じてい
る。
「なるほど、こいつをどうやって捕らえるのか、という事か!」
登は言い放つ、彼はすでに武器を抜き放っていた。太一も同じように警棒を手にしている。
『ゼロ』と彼らは一定の間合いを保ち、『ゼロ』から解き放たれているエネルギー体に触れない
ように注意していた。触れただけでも危険がありそうだ。
登の警戒の仕方から、彼も『ゼロ』の脅威を身をもって感じたようだ。『ゼロ』には、さっきまで
戦っていた、舞の持つ強さとは違う脅威がある。そう、何かしらの特定の脅威ではなく、脅威そ
のもの。それは、『ゼロ』の肉体それ自体から解き放たれている。
「まさか、こんな近くにまで迫ってきているなんて!」
沙恵は思わず口に出していた。
「だが、こいつがここにいるという事は、高威力原子砲の方はどうなんだ!あれは一体どうなっ
たんだ?」
『ゼロ』と対峙しながら登が言った。
「今のところ動きはないみたい」
沙恵が答える。彼女はさっきから艦内には特別変化が無い事を知っていた。
「そうか」
太一がそう答えた時だった。彼の目の前にいる『ゼロ』の取り巻くエネルギー体に変化が現
れた。青い色がだんだんと輝き出し、そのエネルギー体の蠢きが一層増した。
衝撃のようなものが、太一と登を襲った。目の前で爆発でも起こったかのように2人は背後へ
と吹き飛ばされる。
『ゼロ』は、青く輝き出したエネルギー体の中で、更なる『力』を発揮しようとしていた。
太一は受身を取りながらも、何とか鉄骨の橋に着地した。登も同じようにする。
まるで爆弾が目の前で爆発でもしたかのような衝撃だった。『ゼロ』のエネルギー体が彼らを
吹き飛ばしていたのだ。
しかし、それは攻撃の為に行われたのではない。『ゼロ』は、自分の『力』を解放しようとして
いる。それで起きた衝撃だったのだ。
竜巻が接近しているかのように、空気が唸りを上げている。それによって更に吹き飛ばされ
てしまうかのような衝撃が迫る。太一と登は、その衝撃を身構えながら防いでいた。沙恵は香
奈を抱えたまま、彼らの背後にいた。
『ゼロ』の解き放っているエネルギー体は、その勢いの留まるところを知らないかのように、
更に勢いを増した。
「これが、『ゼロ』の『力』か!」
登は防御の姿勢を取ったまま言った。彼の声は、周囲の空気の唸りでかき消され、ほとんど
聞き取る事ができない状態だ。
やがて、『ゼロ』から放たれているエネルギー体の色が、青色から変化して行く。それはだん
だん水色、そして、黄色へと色が変わって行った。
眩いばかりの黄色の閃光が、あたりを一瞬包んだ。その眩しさに、『SVO』は思わず顔を覆
い隠し、眼を瞑った。
やがて、その眩い閃光は、光を一点へと集中させていく。その中心にあるのは『ゼロ』だっ
た。
『ゼロ』を中心とし、黄色いエネルギー体が彼を取り巻いていく。竜巻のように衝撃波を周囲
に撒き散らしながら蠢き、『ゼロ』は『SVO』の前に立ち塞がっていた。
登と太一はようやく身を起こし、目の前にいる者に身を向けた。
「君達の話じゃあ、『ゼロ』の放出しているエネルギーってのは、紫か、青のどちらかじゃあなか
ったのか?」
自分に迫り来る衝撃波を、手で覆いながら登が尋ねる。彼は大きな声で喋らなければならな
かった。そうしなければ、周りの空気の激しい衝撃音で声がかき消されてしまい、全く声が聞き
取れないからだ。あれだけ鳴り響いていた警報も、その竜巻のような音にかき消されてしまっ
ている。
そして、新たに黄色の光を纏った『ゼロ』は、今まで以上の変化を遂げていた。彼を取り巻く
エネルギー体の色が変わっただけではない。彼の姿さえも大きく変化している。
まず、痩せ型で長身という姿だった彼の体躯は、かなり筋肉質なものへと変わっていた。一
博や浩ほどではないが、その体躯の変化ははっきりと確認できた。
変化はそれだけではない。青白かった肌は、恍惚な光を放つ、黄色に近い色に変化。更に
頭髪も金髪へと変貌を遂げ、その長さも、腰までの長さになっていた。
更には、全身に現れていたあらゆる幾何学的模様もその形を複雑化させていた。
『ゼロ』の外見は、以前に『SVO』の前に現れた時から、大きく変化をしている。それが、彼が
更なる『力』を得たからであるという事は、火を見るよりも明らかだ。
火を見るよりも明らか。彼の外見が変化しただけという事もそうだったが、それ以上なのが、
彼を取り巻くエネルギー体の放っている『力』が、段違いだという事だ。
それは『SVO』の4人は肌を通じてはっきりと感じられる。側にいるだけで、命を消費させそう
なくらいの威圧感。さらには、彼の側には立っていられないほどの強烈な衝撃波。それは『高
能力者』でなくてもはっきりと確認できただろう。
「光の波長。そうだ、光の波長が変化している」
登が、独り言のように呟いた。
「紫、青、黄色。光の波長が長くなっている。こいつの放っているエネルギーの光の波長が、長
くなっているようだ」
「それって、どういう事?」
登の声が聞えていたらしい沙恵が彼に尋ねた。
「さあ?普通なら紫に近い方が、紫外線とか、X線とか、さっぱり分からない」
登がそう言いかけた時、『ゼロ』に変化が起こる。
彼は目の前にいる『SVO』の方に視線を向けている。彼の眼球にはすでに瞳が存在していな
かったが、強烈な視線を『SVO』の4人は感じていた。
と、『ゼロ』が、ゆっくりとその左腕を上げ、手の平を登の方へと向けた。
間髪入れず、黄色いエネルギー体がその手の平へと集中。まるで弾け飛ぶかのように解き
放たれた。
登はとっさにそのエネルギー体の塊を避けた。
弾丸並みの速度を持ったそのエネルギー体は、登のいた位置を通過すると、吹き抜けの壁
を破壊、そして、幾つもの壁、部屋、設備、機械類を次々と貫通していき、杭で深々と突き刺し
ていったかのように戦艦に拳大ほどの穴を空け、空の彼方へと去っていった。
「ど、どうすればいいと思う?」
沙恵が登に尋ねた。彼女は香奈を抱えたまま登と一緒に今の攻撃を避け、床に伏せてい
た。
彼女と登の視線は、『ゼロ』が今空けた穴の方へと向かっていた。吹き抜けの一箇所の部分
にはっきりと見て取れる穴が開き、火花が飛び散っている。
「君達が言っていた通り、まともに戦って勝てない相手って言うのは、本当らしいな? いや、本
当に本当だ」
身を起こしながら登が言った。彼は冷静さを保っているが、今の攻撃に驚いているのは確か
だ。
「問題なのは、そのヤバさが、前にも増しているって事だね」
沙恵は、自分自身の声が震えているのを感じていた。間違いなく震えている。脚だってがた
がたしていた。
「それで、本当にどうしたら?」
登は、どう答えたらよいか迷っている。彼は、自分と同じように、『ゼロ』と一定の距離を保っ
ている太一の表情を伺った。
「たった今、僕らの国に、こいつによって高威力原子砲が向けられている。今の攻撃で、この戦
艦がどんなダメージを受けたか知れたものじゃあない。目の前にいるこいつを止めなきゃあい
けない言うのは確かなんだ」
登が言った言葉は、太一の表情も言っていたのだった。
「A-25ブロックで非常事態発生! 危機のレベル7!」
「D-18ブロックで火災発生!」
次々と新しい警報が鳴り響いている。今さっきの『ゼロ』が放ったエネルギー体による破壊の
せいだ。
『ゼロ』は、自分の周囲を取り巻いている黄色のエネルギー体を、十前後の塊として凝縮させ
た。
凝縮されたエネルギー体は、そのままの状態で空間に浮かび、蠢きながら火花のようなもの
を放ち、滞っている。
一発だけでも、この戦艦に穴を開ける威力があるというのに、それが幾つも幾つも現れてい
た。
「まずいぞ!避けろ!」
登はそう言い、すぐに身を伏せた。
『ゼロ』の周囲を取り巻いたエネルギー体。それは、彼がたった今発射し、戦艦を一気に貫通
したものと、間違いなく同じものだ。拳大ほどの大きさ、今にも放たれて来そうな動き。それが、
幾つもある。
『ゼロ』は再び左手を向けてくる。それと同時に、一斉にそのエネルギーの塊は、『SVO』の
方へと解き放たれた。
『皇帝』、ロベルトが放ち、操った散弾の迫力の比ではない。一発一発がミサイルのような迫
力だ。衝撃波が、まるで空間を歪めてしまいそうな勢いで、しかも幾つも放たれて来ている。
太一、登はそれを避ける。沙恵は、香奈を抱えたまま、すぐに身を伏せた。飛んで来ている
塊の速度は、弾丸ほどだったから、ライフルの弾だって避けられる彼らには付いていく事がで
きる。
だが、『ゼロ』によって解き放たれたエネルギーは、先ほどと同じように、吹き抜けの壁に激
突、次々と壁を貫通し、戦艦を破壊していった。
その内幾つかは、4人の足場である、鉄骨の橋へと激突し、穴を貫通させ、あっという間にそ
れを破壊してしまう。
橋を破壊したエネルギー体は3発。一発ならば耐えうる頑丈な橋だ。だが、3発も橋を貫通し
ただけで、橋は大きく傾いた。
エネルギー体は、拳大ほどの大きさしかないのだ。それでも、破壊の跡は、まるで手榴弾が
爆発した時の破壊の跡のようだった。
「皆、平気か?」
太一は、自分の目の前に開いた大きな破壊の跡を見ていた。彼はぎりぎりの所でそれを避
けていた。空けられた穴には、吹き抜けの下の方が良く見える。一番下まで、ゆうに30メート
ルはありそうだ。
「な、何とか大丈夫だよ」
沙恵が、香奈をかばいながら身を起こす。登はすでに『ゼロ』との間合いをかなり広く取って
いた。
今の破壊で、橋がかなり不安定になっている。すでに大分傾き、足場が強い音を立てながら
軋んでいる。この場から下に落ちていこうものならばひとたまりもない。足場自体が崩落してし
まったら、手のかかる場所もない。
「ここは、まずいな。足場が崩れそうだ」
「こんな存在!一体どうしたら良いって言うの!」
沙恵が叫んだ。彼女は橋の崩落には気付いていたが、登の言った言葉は聞いていない。
「とにかくここはまずい!」
橋は今にも崩落する。登と太一はすでに走り出している。沙恵もすぐに後を追いかけた。
『ゼロ』は追って来る。彼は走ってくるのではない、床から少しだけ浮かぶリニアモーターカー
のように滑空しながら追いかけてくる。それだけに彼の移動するスピードは相当に速い。
沙恵は香奈を抱えているだけに少し遅れる。登は彼女の動きが気になったが、元々『ゼロ』
から一番離れていただけに、橋の崩落からは間に合った。全員が、滑り込むかのように橋から
通路へと飛び移った。
鉄パイプの手すりが完全に折れ曲がり、鉄でできていた橋は崩壊していく。それがどんどん
ひしゃげていく音が、吹き抜けに響いた。
『ゼロ』が追いかけてきているという事が、彼が動いただけで大きく気流が変化していく事で分
かる。
『ゼロ』が追いかけてきている。当たり前だ。前の時と同じ。『ゼロ』は自分達を追いかけてき
て、しかも全力で始末しようとしている。なぜかは分からないが、分かるのは彼がとてつもない
パワーを自分達に差し向けてきているという事だ。それも、自分達が太刀打ちできないほどの
パワー。
「一体どうすればいいの!」
沙恵が叫んだ。彼女は半ば混乱している。『ゼロ』の力は前にも増して増大していたから予想
以上に対処ができない。
「今は距離を置く!それしかできない!」
初めて『ゼロ』の力を目の当たりにした登の方が、冷静でいられるくらいだった。だがそんな
彼にも太一にも、今の『ゼロ』はどうしようもない。
橋を渡り切り、再び天井の高い通路に戻った4人は、とにかく『ゼロ』から距離を置こうとし
た。
「お、追ってくるよ!」
背後をちらちら振り返りながら沙恵は叫ぶ。
『ゼロ』は4人を追いかけてくる。しかも、全速力で走ってくるこちらよりも全然速い。彼を取り
巻いているエネルギー体は、壁を抉るかのように破壊し、天井の配線類をショートさせている。
彼の周囲はまるで竜巻だった。近づくだけでも危険だというのは眼に見えても明らか。
「何だ!何かやってくるぞ!」
今度は叫んだのは太一だ。
その次の瞬間、黄色いレーザー光線が走った。5本の細い光線が、走る3人の間をすり抜け
て行く。
床を焼き、穴を開けるレーザー、それは『ゼロ』の左手の5本の指から放たれていた。ちょう
どそれが光源になっている。
「光を凝縮してレーザーまで放てるようになったのか!」
しかも、彼が使ったのは兵器級の破壊力を持つ強力なレーザーだ。それが5本同時に放た
れている。
レーザーは途切れる。そして、追いかけてくる『ゼロ』は、もう片方、右手の手を向ける。そこ
に指先ほどの球体のような光が凝縮していく。
「ま、またやって来る。避けて!」
そう叫んだのは沙恵ではなく、彼女の腕の中に抱えられている香奈だった。
彼女が喋っている。意識は朦朧とはしていない。かなりはっきりとした意識を持っている。沙
恵は、彼女が促した注意よりも、そちらの事の方に気が行った。
次の瞬間に沙恵は、右脚を貫く鋭い痛みを感じた。
一本のレーザーが、彼女の右脚を貫いていた。それだけではない、右腕にも一発、レーザー
が貫通していった。
彼女は転びたくなかった。だが脚をレーザーが貫通していっては転ぶしかなかった。さらに、
右腕もやられた事で、抱えていた香奈も、床に転がせてしまった。彼女の体が力なく床に転が
っていく。
「沙恵」
床に転がった香奈が、同じように床に倒れた沙恵に言った。
「だ、大丈夫だよ、このくらい、あんたに比べればね」
そうは言うものの、顔をしかめながらそう言う沙恵は、かなりの激痛を感じているはず。レー
ザーが貫通した手足から相当量の出血をしている。
「立てるか?」
登が目の前に立っている。『ゼロ』が迫ってきている今、本当は彼も太一も走っていかなけれ
ばならないのだ。
「あたしは大丈夫だよ!」
沙恵はそうは言ったが、『ゼロ』はすでに目前に迫っていた。彼の放っているエネルギー体が
肌で感じられるほど近くにいる。
そう、ほんの5メートルも離れていない。彼は沙恵が起き上がる間も無く、次の攻撃を繰り出
して来ようとしていた。右手の指に黄色い光が球体状に集中している。
そんな沙恵、そして倒れている香奈の周囲の空間を、プラズマのような火花を放つ膜が覆っ
ていく。
太一がとっさにバリアを張ろうとしていた。それが完成するのとほぼ同時に、『ゼロ』がレーザ
ーを放った。
『ゼロ』の放ったレーザーは、そのバリアで受け止められる。しかし、それもほんの1秒も無い
時間だけだった。5本のレーザーがあっと言う間にバリアを貫通する。
しかしそれよりも先に沙恵は、レーザーから避けていた。更に香奈も、今度は太一の手によ
って抱えられた。
「まずい!」
登が叫ぶ。彼はすでに『ゼロ』から距離を取ろうと走り出している。
『ゼロ』は、レーザーを放った右手を振りかざし、まるで何かをわしづかみにするかのようにそ
れを振り下ろしてきていた。
それに危機を感じた沙恵は、香奈を抱えた太一と共に飛び退る。
『ゼロ』の右手、それに纏った竜巻のようなエネルギー体。それは、4人の避けた後の空間を
通過し、床に叩きつけられる。
黄色いエネルギー体は、ドリルのように地面をえぐり、強化素材の床のタイルは粉々に砕け
散る。衝撃波も台風のようだ。
飛び退ったというよりも、その衝撃波で4人は後方へと吹き飛ばされた。
「な、何と言う破壊力だ!」
『ゼロ』は、戦艦内の床を破壊して行き、そのまま、下部へと移動した。
視界から消える『ゼロ』。ただ、彼の気配だけは強く感じられていた。戦艦内で竜巻が起こっ
ているような音さえも聞こえてくる。
「ど、どこから来るの?」
沙恵は慌てる。彼女がそう口にした瞬間、すぐ側の床が砕け散り、黄色いエネルギーが吹き
上がった。
彼女は悲鳴を上げ、その衝撃に吹き飛ばされる。ついでに血も舞い上がった。
『ゼロ』が床から飛び出して来た時に、そのエネルギーをかすっただけで沙恵は、左肩をスク
リューに巻き込まれたかのように傷付けられた。
『ゼロ』はエネルギー体と共に飛び出し、そのまま天井を砕いていった。天井が崩落し、破片
が崩れ落ちてくる。
「だ、大丈夫かい?」
登が沙恵を気遣った。
「こ、このくらいの傷なら」
沙恵の負った負傷は、出血こそしていたものの、致命傷ではない。だが、そんな沙恵を見る
登の目は心配していた。
普段冷静な登だが、沙恵はその目を初めて見ていた。
「君は以前、こいつは、とてつもない『力』を使える代わりに、それを絶えず補給していなければ
ならないって言っていなかったか?だから確か、そのパワーを吸収する『力』を使えるって」
空気の激しい動き、エネルギーの変化が感じられる。轟音が、今度は上部から迫って来てい
た。
沙恵は、登の質問にどう答えるべきか、言葉を探した。
「ええ?そ、そうだったっけ?で、でも、今はもの凄い『力』から、補給する必要も何も無いんじ
ゃあないの?そ、それに確か、死んだばかりの死体からも吸収するところをあたしは見たよ。
ここにくるまでに何人の『帝国兵』を殺してきたか分かりもしない。だから、満タンどころか、限
界を超えてしまっているんじゃあないの」
『ゼロ』が動いているというだけで、戦艦は揺らぎ、また、天井からも塵がこぼれ落ちて来てい
る。
「本当にそうだろうか?こいつが僕らの前に姿を現してからというもの、急激にこの戦艦のパワ
ーが落ちている気がする。高度も落ちてきているってさっき、警報が鳴り響いていた」
戦艦内部にいては良く分からないものの、登の言う通りだとしたら、想像でしかできない事が
現実になって来ているのかもしれない。
「ええ?じゃあ、この戦艦を動かしているエネルギーを吸収したって言うの!」
沙恵は慌てた。
その時、天井が一気に砕け、黄色いエネルギーが噴き出す。そして、エネルギーを纏った
『ゼロ』が襲い掛かってきた。
何とか登と太一はその攻撃を避けるが、足場は幾度もの破壊で崩壊しかかっている。このま
までは頑丈そうな床でも抜けてしまいそうだ。下部のフロアが見えてしまっているくらいに穴が
空けられていた。
攻撃を避け、体勢を取り戻した太一は、冷静に言葉を続ける。
「もしそうだとしたら、これだけの大きさの戦艦を飛ばすエネルギー、相当なものというわけだ。
『帝国』側も、『ゼロ』が何者からもエネルギーを吸収できるって事を知らないんだろう?知って
いるのは僕達だけだ。だからこんな戦艦をよこした。知っていれば、莫大なエネルギーを持つ
この戦艦をよこしたりはしない!」
『帝国』側も、『ゼロ』の隠された力については良く知らない。それは『ゼロ』がどれ程の脅威に
なるかも知らないという事ではないのか。沙恵はますます焦ってくる。
「じゃあそんなのを相手に、とてもあたし達には立ち向かえないんじゃあない!無謀過ぎだ
よ!」
その時、床が砕け、再び破壊をすると、『SVO』の四人の前に『ゼロ』がはっきりと姿を現し
た。
「だが、激しいパワー過ぎて小回りが利いていない。そんな感じは受けるな。猛獣も、目にも見
えないノミには手こずるように、奴も、自分自身の力には暴れ馬に乗っているような気分なの
かもしれない」
登と太一は、じりじりと『ゼロ』から間合いを離していた。彼らは敵とはっきり対峙しているのに
も関わらず、その場から逃げようとしている。
それは、彼らにとっても、どうしようも無い敵である事を意味していた。
「で、でも、どうやったって、ノミは猛獣を倒せないじゃあない!」
「だが、何としてでも高威力原子砲の発射だけは、それだけは阻止したい!」
登と太一は、『ゼロ』の出方を伺っている。『ゼロ』の方は、一連の攻撃を区切り、再び『SV
O』の4人と対峙していた。
「今度また、こいつに戦艦を操らせたら、間違いなくやる気だ。彼がそう言っているかのように
僕は思える。しかし、こいつは僕らと戦っていては、戦艦を乗っ取る事はできないんだろう」
太一は言った。彼の表情は決意を固めている。
「じゃあ、どうするの!」
「俺達が可能な限りこいつを抑える。もしかしたらその間に、『帝国』がどうにかしてくれるかもし
れない、この事態に気付き、戦艦を着陸させてくれるかもしれない」
「かもしれない?そんな曖昧な」
沙恵は、太一や登の判断には、今まで口出しすまいと言っていたが、今はあまりに焦ってい
て思わず口に出してしまっていた。
「そうだ、曖昧だ。だけれども、もはや俺達には何もできまい!」
そして、『ゼロ』が向こうから来る間もなく、太一、そして登はほぼ同時に脚を踏み切ってい
た。
その2人の動きを見た『ゼロ』は、すぐに迫って来ていた。彼の体は、黄色い色から緑色のも
のへと変わっていく。
緑色のエネルギー体へと色を変えた『ゼロ』は、そのまま『SVO』の4人の元へと突っ込んで
きた。それは、まるでミサイル砲のような迫力でやって来る。空気の動きの向きが変わり、スク
リューのようなものが一気に迫ってくる。とてつもない迫力だ。まるでジェット機の目の前に立っ
ているかのようだ。
太一と登は、迫ってくる衝撃にどうする事もできない。防御しようとしても、反撃しようとしても
無駄だ。いくら彼らであっても、ジェット機を受け止める事などできない。
ただ避けて身を伏せる事しかできない。太一は香奈をかばいながら身を伏せ、沙恵も一歩遅
れて同じようにした。
直撃は免れたが、『ゼロ』が通過する際の衝撃だけでも凄まじいものがあった。衝撃波はスク
リューのようになって体を斬りつけて来たし、回転する空気の動きで、体がどこかへ飛ばされて
しまいそうだった。
『ゼロ』は、『SVO』の4人の場所を通過すると、そのまま通路を飛び抜けて行く。衝撃波が壁
や床、そして天井を通っている配管や配線を粉々に破壊する。飛び散った塵や破片が、そこら
中に弾丸のように飛び散っていた。
突き当たりまで『ゼロ』は飛び抜けて行った。通路の突き当たりは、何やら巨大な装置のよう
なものが入り乱れている。
『ゼロ』はそれを破壊しながら、装置の中に突入して行った。ひるむ事もなければ、止まるよう
な事もない、一気に突入していった。
「平気か?」
登は身を起こした。今のは身を伏せてはいたものの、衝撃波で背中を斬り付けられており、
その負傷と出血だけでふらついていた。
太一が香奈をかばっていたから、彼女は無事だったが、太一のコートもかなり切り裂かれて
いる。
「大丈夫、だと思う。でも今のは?」
よろめきながらも沙恵は、立ち上がり、『ゼロ』が向かって行った方向を見た。
通路の突き当たりの機械類は、小規模の爆発をしながら、煙や水蒸気のようなものを噴出し
ていた。
「何か、違った。今の『ゼロ』の動きは、今までの『ゼロ』とは違うようだった」
彼が行ってしまった方を見つめた登が呟く。その時、天井で電気系統がショートしたので、思
わず彼は身を伏せる。
「太一、双眼鏡を持っていないか?」
登は太一に尋ねた。
「ああ、何の為に?」
太一が登に聞く。太一の方は、別に尋ねる事もせずに、登へとカードサイズ程の双眼鏡を渡
した。
「確認の為さ」
登は双眼鏡を受け取ると、『ゼロ』が向かって行った方へとそれを向け、ピントを合わせて行
った。
双眼鏡で何かを確認する登。彼はそれで何かを見ると、思わず絶句したようだった。
「何なの?」
登の表情に、沙恵は慌てた。
「見れば分かる」
登はそれだけ言い、双眼鏡を沙恵の方に渡すと、力が抜けたかのように壁に寄りかかった。
双眼鏡を渡された沙恵は、それを使って登が見ていた方へとレンズを向けた。
さっと見ただけでは分からなかった。『ゼロ』が突入して行ったと思われる、機械類の破壊、そ
してその先に見える強化鉄板の扉に空けられた穴はすぐに確認できた。
強化鉄板には看板がかけられていた。それは『ゼロ』が扉に穴を空けたおかげで大きくひし
ゃげていたが、何が書かれているか、沙恵はすぐに分かった。
「参ったよ、本当に。高威力原子砲の砲台はこの先だったんだ。あの吹き抜けから繋がってい
る配線か何かを伝って、砲台を奴は捜していた。あの場所からここへと高威力原子砲は繋が
っているんだ!だから奴は、自分自らが原子砲の弾になるつもりなんだ!」
沙恵が見たのは、放射性危険物を示す表示だった。登も、あまりに有名なその記号と表示を
見て絶句したのだ。
「そんな、そんな事って」
思わず彼女はそう言うしかなかった。
「そのエネルギーを得て、もしかしたら僕らを始末するつもりだったのか?高威力原子砲を発
射するのを阻止しようとしている僕らを?だが、この艦のエネルギーを得た『力』の前では僕ら
の力など話にならない事を知った奴は、パワーをこの艦へと戻した。いや、この艦を航行させ
るためのパワーだけじゃあない、あの高威力原子砲に使うエネルギーも全て戻した…。だから
動力が完全に回復したのか!」
「高威力原子砲、目標、北緯53度、東経116度、発射1分30秒前」
艦内へと鳴り響くアナウンス。機械化された音声が、無情にも流れ出す。
「な、何で?何で?あいつはそんなものなんか使おうとしているの?」
力が抜けたように沙恵は、その場でがっくりと脚をついた。彼女の出た言葉も、ほとんど漏れ
てきたかのようなものだった。
「『NK』を消すため、なのか。なぜ『NK』なんだ?あいつは本能なんかじゃあなく、しっかりと意
識を持っている!だとしても、『NK』を攻撃する意味なんてものがあるのか?」
「高威力原子砲、これよりの目標の変更はできません。発射一分前」
カウントは、機械化された音声のアナウンス。それがより一層、事が手におえなくなった事を
意味しているかのようだった。
「ど、どうなっちゃうの、どうすればいいの」
沙恵は悲観に暮れた声で、まるで搾り出すかのように声を出した
「どうすればいいのか、これからどうなるのか、俺にも分からない。いや、誰にも」
太一が言った言葉と表情。それが意味する事は、本当にどうしようもないという事を意味して
いた。
それから先は、ただ警報と、無情なカウントダウンが続くだけだった。
「高威力原子砲、カウント5秒前。4、3、2、1、0」
「こんにちは、《メルセデスセクター》のTG放送、Bスタジオからお昼のお天気とニュースです」
『NK』では、正午を過ぎ、テレビでは午後の天気予報が流れていた。《メルセデスセクター》
の建物群と、大きな雲ひとつ無い青い空のリアルタイム映像をバックに、アナウンサーがにこ
やかな表情を見せていた。それが、『NK』全土に電波として流れている。
「今日も良い天気ですね。『NK』全土は高気圧に恵まれています。本日は快晴。最高気温2
4℃ 湿度は30%、過ごしやすいお天気となっております。続いて午後のニュースです…、『帝
国』は『ユディト』に新たな軍の部隊を派遣したようで、このことにより、『ユディト』国内の反政府
勢力の活動を煽る事になると懸念され、…尚この事と、《帝国首都》で起きたテロ事件との関
連性は不明…」
そのニュースを、気に留めている者もいれば、いないものもいなかった。街中にある大型スク
リーンではそこをただ通過するだけの者もいれば、ベンチに座って遅めの昼食を取りながら、
ちらちら見ている者もいる。
平日の『NK』の昼下がりは、いつになく穏やかで、いつもと変わりの無い光景が続いていた。
曲線形の清潔な街並み。燦燦と照っている太陽の日差しの中を歩く人々。そして、建物の中で
いつもと変わらないことをしている人々と、何も変わらない。
太陽の光だけでも眩しい。日差しが強いので、空の方を見上げるならば、手で顔を遮らなけ
ればならなかった。
「…、次のニュースです。《帝国首都》で起きたテロ事件に加担したとされる、元防衛庁長官
の、原隆作容疑者ですが、依然として行方が掴めぬまま…」
そこで、スクリーンに映されたテレビの映像に、激しいノイズが流れ出した。突然の出来事で
ある。電波障害が起こったのか、画面は一気に砂嵐に覆われた。
それとほぼ時を同じにして、『NK』国内の人々で、ちょうど携帯電話をかけていた者は、それ
が通じなくなるのを知った。
昼の燦燦と降り注ぐ日光、そんな時間での出来事である。
さらに眩しい光が、『NK』の街を覆って来ていた。
誰もが、それを太陽の光と思っただろう。それを知る方法も無いし、それを知る暇も無い。た
だ、それが少し緑がかった光だと思った者はいた事だろうし、外の様子を相当注意深く見てい
なければ気付かなかっただろう。
だから、緑がかった光など、太陽の光としてはおかしいと、思った者は少なかった。繋がらな
くなったテレビや、携帯電話の方に気が行っていた者の方が多かったが。
光が通過して行った大洋に船を走らせていた者は、その緑色の光をはっきりと目撃した者も
いた。
しかし、『NK』の人間はその光を、緑色のものとして見る事はできなかった。それはやって来
るまで音すらしなかった。
それは、『NK』の中心部である、《メルセデスセクター》へと突入して行った。丁度、オフィスビ
ルのある上空辺りまでやって来ていた。
『NK』の人々が、その光を見る事ができたのは、ほんの一秒も無い時間での事だった。大勢
の人が、その光を見る間も無かった。
重い音が、『NK』、いや、近隣諸国にまで響き渡った。あまりに巨大な音だったので、それが
爆発音だとはすぐには誰も信じられなかった。
その爆発音の直後にやって来たのは、光。
光だった。建物も、青空も、人々も、車も、道路も、木立も何もかもが、光によって包まれた。
目を開いてもいられないほどの光だった。大勢の人が目を瞑った。あまりに近かった人は、
その視力を失った。
それは数百キロ彼方からでも見れるほどの光、宇宙からでもはっきりと見えるほどの光だっ
た。
光が全てを包み込んだ。まばゆい光。
多くの人、最も光に近い場所にいた人々は、光と共に消え去った。そう、苦痛など感じる暇も
ないし、何が起こったのか分かる暇すらもない。
その閃光と共に肉体が消滅したのだ。
人のみならず、ビルも、道路も車も、一瞬で消え去った。
その光は、ほんの一秒ほどだっただろうか。その程度の時間しか無かった。
続いてやって来た熱波と衝撃波が、これまた一瞬にして、直径10キロほどの範囲に広がっ
た。数千度を超えるという熱波が、多くの人々、それも数万という単位で消滅させた。
熱波に焼かれた。といっても一瞬だ。事実、光を見た直後にその周囲にいた人々は、消滅し
ていったのだ。
熱波と共に、凄まじい衝撃波が広がった。半径5キロほどの建物群を次々と破壊して行く。窓
ガラスなどは、一瞬で粉々になり、壁面は巨大な鉄球に潰されたかのように砕かれる。まるで
紙でも吹き飛ばすかのように車を空中に舞い上がらせ、多くの人々が吹き飛ばされた。上空
の雲も、瞬時にかき消された。
建物までもが、その衝撃波で空中に舞い上げられる。そのままそれは瓦礫の塊となって宙を
舞った。大きなビルでさえも。
それが、数秒もしない間に起きていた。それも、『NK』という国の、最も人口が過密な地帯
で。
普段ならば100万人以上の人々がそこにいる。この5秒間の間も例外ではなかった。建物、
車、何もかもが、100万人の人々と共に消滅して行く。
この光の直後、『NK』の上空には、大きなキノコ雲が上がっていた。成層圏まで立ち上る巨
大な雲。そう、3度目の世界大戦以来、人々はそれを目の当たりにしていた。
いや、その3度目の世界大戦の時にすら、生まれていなかった人々がほとんどだし、生まれ
ていたとしても、それを見たものは少ない。
それを夢の光景だと思ったものも多い。あくまでそれをはっきりと見る事ができたのは、キノ
コ雲から大きく離れていた場所の者だけだったが。
その日、『NK』国は一瞬にして、100万人という人々が消え去る大惨事にみまわれた。その
後にも犠牲者は爆発的に伸び、最終的にはこの爆発の影響によって1000万人が死亡した。
それも爆発は、政治と経済の中心部で起き、壊滅的と言っても足りないくらいの被害を与え
た。
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―Ep#.14 『秘密』―
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巨大国家の陰謀から発端し、異国の地へ。主人公達の必死の行動が始まります。