No.191759

機動戦士 ガンダムSEED Spiritual Vol22

黒帽子さん

 命投げ捨てられる場所、戦場。己を通すため、他者を押しのけ、斬り捨て、そして全てが死んでいく。
 散らされる命達を守りたくて、シンは慟哭する。世界の愚かさに絶望し、ラウが慟哭する。地獄に阻まれながらクロは自らの価値を迷い―繰り広げられる惨劇に迷う暇すら奪われ―
87~89話掲載。今日この日、地球が渇きに泣き叫ぶ。

2010-12-25 21:19:36 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1414   閲覧ユーザー数:1400

SEED Spiritual PHASE-87 人間を信じたい!

 

 ラウは毒づいた。

 〝ジエンド〟を〝ブリッツ〟から引き離すも『感覚』に混ざり込む気配が圧倒的に増えたのは疑いようがない。如何に高度な空間認識能力を有すると言ってもどこかに限界はある。自分の操る〝ドラグーン〟システムと敵の数……その合計が自らの処理能力を超えてしまえばどこかで何かを減らさなければならない。それが敵数ならば御の字だが。

『ケイン・メ・タンゲレ……お前はそこまでこの腐った世界にしがみつきたいか!』

「ああ。腐ってよーがなんだろうが私は繋がりを絶つ気にはなれない。自分が生き残った意味が、復讐とか絶望とかそんなもん思い知らされるためだって思いたくはないんでね」

『笑止だな』

 確かに笑っている場合ではない。他に気を取られている間に〝デストロイ〟が一機こちらに砲を向けている。避けきれないとの判断が五指のビームガンへ〝ソリドゥス・フルゴール〟を吐き付けるもそれは自身の動きを止める副作用をもたらせてしまった。

〈もらったぁっ!〉

 通り過ぎた〝イージス〟が反転して四肢を開き、大口径エネルギー砲〝スキュラ〟を露出させる。灼熱する閃光へも逆の手のビームシールドを差し込み跳ね返す。次いで彼我の戦力差を思い知らされた。眼前には、〝デュエル〟。ライフルの一射など装甲で跳ね返しても良かったというのに思わず陽電子リフレクターを広げていた。

『ちぃ…! 鬱陶しい!』

 ビームとグレネードの二連を焼き消し、砲塔を一つ放てば死角からの一撃が〝デュエル〟のバックパックを貫通した。が、命中の昂揚を得るより先にラウの背筋が凍り付いた。何度もの反射に押し遣られる内に高度計が下がっている。リフレクターを解除した瞬間眼前に長大なサーベルを振り上げた〝プロヴィデンス〟が大写しになる。

『おのれっ!』

 急制動にも限界があった。〝ジエンド〟は常の如く恰も自らの手足のようにその上体を反らしたが、〝プロヴィデンス〟のサーベル、その切っ先が装甲をえぐり取りバイタルエリア前面を引き裂いていった。

 コクピットの内壁にまで寒空の陽光が届いたがフロントモニタは死んでいない。寒さも大したこと無ければ視覚も奪われていない。傷など無いも同然だ。多少の負傷で、クローンを道具と使うこの思想駆逐を諦めるつもりは毛頭無い。

『やってくれたな……! 貴様ら――』

 声色を染め抜くはずだった怨嗟が――感覚の捉える不思議な感情に、希薄化された。

(……なんだ?)

 Xナンバー共からの攻撃が、いきなり止む。それ以上に脳裏に突き刺さる『声』達が、怒りにまみれるはずだったラウを混乱させていた。

〈ち、ちょっと……、何この機体?〉

〈なに? 映像回してよ――って!〉

〈クルーゼ……あんたは……〉

『なんだというのだ!?』

 業を煮やしたクルーゼは〝ターミナルサーバ〟を経由し、彼らのカメラにクラックをかけた。程なくして奴らの映像を盗み見ることとなるが――ラウの疑問は彼らと色を同じにした。

 盗み取った映像、そこに映るのは引き裂かれた〝ジエンド〟のコクピット。引き裂かれたが故に中まで覗けている。シートも見える、レバーも見える。だが見えるはずのモノが、何故か見えない。

〈クルーゼ! どこにいるんだあんたはっ!?〉

 私の姿はどこにもない。

〈クルーゼっ!〉

 聞きたいのは、私の方だ。

『私が……いないだと?』

 魂の惚けた〝ジエンド〟ががくんと両腕を垂らす。クルーゼはただただハックしたサブモニタだけを凝視していた。――いや、モニタの映像などではない。コレがワタシのメか?

〈クルーゼ!〉

〈ケインさん! 今はチャンスですよ!〉

 仲間の醜態を叱咤する〝ブリッツ〟の放った閃光に直撃され、機体が傾ぐ。更に〝デュエル〟、〝イージス〟がライフルを連射し全身を揺さぶっていく。TPS装甲がダメージ自体は飲み込んでいくが衝撃まではその限りではない。周囲に爆光を見せつけられながら、ラウはただただサブモニタを注視していた。

 機体が、雪に煙る大地へと叩き付けられた。TPS装甲は確かに無敵ではあるが、これに頼り続けると言うことは、命を無理矢理動力炉でまかなっているようなモノ。無限とも思えたエネルギーメーターが機体の振幅とともに激減していく。だがその危機感さえどうでもいい。

 私の体の大半がとうの昔に焼き消されていることなど承知していた。だが、何も残っていないとはどういうことか。想像すれば――自ずと答えがまろび出る。

 世界は、『私』という価値をとうの昔に失わせていたのか。クローンを玩具と扱っただけでは飽きたらずこの命すら紛い物に……!?

〈ジュリ! エネルギー保つ?〉

〈だ、大丈夫よ! チャージ終わったわ!〉

〈よぉおっし! ぶち抜くわよこいつ!〉

『く、く……………』

 信じられない。信じたくない。信じたくない? それは世界への懇願か? 甘かったのか私は? とっくの昔に思い知らされたはずではなかったのか!?

『くははははははははははははははははははははっはははあぁ!!』

 感情が何かの許容量を逸脱した! 狂喜に真っ赤と化した視界、ラウは星流炉のリミッターに手を伸ばした。 炉の限度など知らない。暴走や自爆の可能性など口惜しさに比べれば些細なこと。ラウ・ル・クルーゼの意志は無数の安全装置を次々と突破すると〝エヴィデンス〟が隠匿した未知に辿り着く。

『全てを喰らい全てを滅ぼす! それが! それだけが私の価値だっ!』

 刹那、世界が身震いをした。

 〝イージス〟が複相砲を見せつけ〝バスター〟が二つの砲を連結する。解き放たれた〝スキュラ〟と超高インパルス砲が頽れた〝ジエンド〟を挟撃し、炸裂した。如何に大電力で異常転移させられた装甲と言え一定以上の大出力光まで無効化せしめられはしない――はずだった。

 だが光は機体表面で二つとも散らされ、突っ伏していた黒い機体がもぞりと四肢を蠢かせる。

 その周囲の雪が解けた。

 その周囲の雑木が朽ちた。

 その周囲の建造物がひび割れた。

 その周囲の、土が腐り……轟音と共に沈んだ。

 その直径が加速度的に巨大化し、アイスランド島南端が海中に没した。

 巻き込まれた〝デストロイ〟が腰元までずぶりと沈む。

「あ……なによ?」

 大地の異形化に絶句している間に凄まじい数の砲塔が自分を包んでいた。変形解除しモビルスーツ形態になるその一瞬、〝イージス〟の四肢が全部持って行かれた。悲鳴を上げるより疑問符を浮かべることしかできないうちに〝デュエル〟の首と右手がいつの間にやら眼前にいた黒い機体に斬り飛ばされていた。マユラとアサギが墜ちていく様に驚愕しながらもジュリはミサイルとライフル、ガンランチャーで退路まで断つ攻撃をしたつもりだったが、睨んだ先にはもう敵がいない。ケインも周囲に浮かべた〝ドラグーン〟システムで弾幕を張ったつもりだったがカメラの先には全く敵影が残らない。機械類、センサーすら追いついてこない。ケインがその一撃に気づけたのは進化と自負できる『感覚』故だった。

 超長大化したビームジャベリン〝デファイアント改〟がこちらのシールドに火花を散らす。

『ほぉ! 感じたかケイン・メ・タンゲレ! だが、無駄だ!』

「なにっ!?」

 火花を散らしたなどと思えたのはほんの刹那のことだった。アンチコートビームシールドも紙の盾同然に引き裂かれる。腕ごと持って行かれたケインは必死に機体を下がらせたがそれでも背筋を凍らす感覚が全身を貫いていった。

 息を飲む。だが死ななかった。

 その矛先には自分はない。リアモニタが無数の爆炎が上がった。

 振り返る。肉眼での確認など至難を通り越して不可能だが、天空に光の牢獄が生み出されている。

「オルガ! シャニ! 被害状況は?」

〈ちっ! なんともねぇよ!〉

〈――――――へっ……。あいつ、うざい…!〉

 シャニのリーダーが潰されたのかも知れない。空を埋め尽くしていた自軍網に目を疑うほどの綻びが見られる。これが、今の一瞬でやられたというのか。

「〝レジェンド〟……ラウ・ル・クルーゼ…! なんて奴だ」

 

 

 〝スローターダガー〟の群れを屠った光の牢獄は当然のことながらこちらの〝ムラサメ〟達にも甚大な被害をもたらせていた。

「被害状況はっ!?」

「艦隊に被害はありません。戦闘続行に支障なし。で、ですが、地上での〝ドラグーン〟ですかあれは!?」

「……そうみたいね。〝デストロイ〟やXナンバーだけじゃなくてあんな機体まであったなんて……!」

 マリューはアームレストをきつく握りしめながら親指の爪を噛んだ。艦砲を集中させる対象が減りはしたものの、モビルスーツ隊は無数のダガータイプを押し留めるので精一杯というこの状況で超高性能機体を投入されては打つ手がない。

「艦長、〝アカツキ〟、出せるそうですが」

 まずこちらに伺いを立ててくれたことに感謝する、カガリがこの報を聞いたならその瞬間敵中枢まですっ飛んでいこうとするに違いない。未確認の〝ドラグーン〟システム搭載機。如何に『最強の盾』でも太刀打ちできるとは思えない。マリューはほんの少しだけ考え即座に却下を下した。

「カガリさんには、伝えないで。状況が厳しすぎるわ」

 とは言え〝ストライクルージュ〟のまま出し続けるのとどちらが危険かと問われれば困るしかないのだが。

 迷う。

 だが迷っているだけの余裕を与えてはくれない。いきなりの地盤沈下に巻き込まれていた〝デストロイ〟も推力の高いモビルアーマー型に変じ、行動力を取り戻しつつある。

〈艦長! 〝イージス〟が墜ちた。突撃する!〉

「ちょっと待ってカガリさん! あれだけのエース機を一人で相手にするのは無理よ!」

 彼女の矜持に傷を付けてしまった。だがそう自覚してもとても承伏できるものではない。先程のオールレンジ攻撃で敵防衛網が激減した今なら島にまで突撃するのは容易いことだろうが、後は? 続くか? 〝ストライクルージュ〟と〝ムラサメ〟で包み込んだとてあの集団を駆逐できるかは疑問が残る。――こちらの犠牲を度外視してさえも。

「撤退も考えて!」

〈撤退!? 莫迦を言うな。あんなものを放置しておくわけには行かない!〉

 正論だ。だが正論も、命があってこそ言えるものだ。逡巡は先程心に決めた確約を容易く溶かす。マリューは思わず叫んでいた。

「カガリさん戻って! 〝アカツキ〟が使えるわ! 〝アークエンジェル〟へ戻って!」

〈な!? 本当か艦長! 解った、そっちへ行くっ!〉

 通信が切れる。マリューは何となく、周囲をはばかった。誰が責めてくるわけでもないがなんだか言い訳したくなる。

「ら、ラミアス艦長、お気になさらず」

 呻くしかない。それでも自分の心に頓着している場合ではない。まずは、主砲の照準を。まとわりついてくるダガータイプを〝イーゲルシュテルン〟で追い返しながら、マリューは再び意識を艦橋窓の外へ向ける。

「〝アークエンジェル〟はモビルスーツ部隊に攻撃集中させます! 周囲の牽制、任せてよろしいですか?」

〈了解。ラミアス艦長、ご無事で〉

 僚艦長に返礼したマリューは再び戦場を観察した。

 

 

「スティング、大丈夫か!」

 問うまでもなかった。〝デストロイ〟は海中に没することなく戦線復帰を果たした。だがその直後、屹立していた〝デストロイ〟が切り裂かれる。巨大な光刃に頭部をこそげ落とされ巨体が大きく傾がされた。

〈この野郎ぅあぁ!〉

 半身を切り裂かれたスティングが怒りのままに砲口を向け、黒いモビルスーツ目掛けて〝アウフプラール・ドライツェーン〟を解き放つ。次いでもう一機を操るスティングも頭部を失った機体胸部に暴力的な光を灯らせた。

「ジュリ、撃てるかっ!?」

〈やってるっ! できた!〉

 ケインの意図を、彼女は忠実に汲んでくれた。すなわち高出力砲による波状攻撃。逃げる隙間もないほどの破壊力で空間を埋め尽くし、存在自体を押し流す。〝アウフプラール・ドライツェーン〟に続いて超高インパルス砲が解き放たれ、一拍おいて胸部に三つ並ぶ〝スーパースキュラ〟が完全に黒い機体を飲み込んだ。

「よしっ!」

〈いっけぇえぇっ!〉

 灼熱から離れた場所にさえ視界を灼く暴力的な光の洪水。ケインは思わず機体を下がらせたがその渦中にいる〝レジェンド〟は驚きで済むはずもない。

 やがて三叉の光波が収まり、ケインは絞られすぎた瞳孔をすがめつつ、爆心地を睨むため体を乗り出していた。

「やったか?」

 煙は、ない。それでも白に埋め尽くされていた視界がやがて晴れる。その時ケインは驚愕する。悲鳴も上げる。それしかできない。

「馬鹿な…! 〝バスター〟と〝デストロイ〟で……破壊しきれねぇだとっ!?」

 破壊どころか無傷の〝レジェンド〟がそこにいる。コクピット付近に穴を開けながら、あの熱量をものともしなかったと言うのか!? 黒い機体、その周囲が捻れるように滲んでいる。まるで……相転移しているかのように。

〈も、もう一発――!〉

 ジュリが再度連結砲を構え直した。効果など確かめられない恐怖に駆られての殺意が一点に向けられる。しかしこの場の敵は一点だけではなかった。

〈ジュリ!〉

〈!〉

 アサギの悲鳴は遅すぎた。この場ではない、彼方から撃ち込まれた閃光が砲の反動を抑え付けていた〝バスター〟に迫っていた。

〈あぁ……ぁぁぁぁあああああああああああ!?」

 〝ゴットフリート〟高エネルギー収束火線砲がモビルスーツ一機を丸ごと飲み込む。通信を震えさせた、永遠に続くかと思われたジュリの悲鳴がノイズを残しブツリと切れる。

〈ジュリっ!? ジュリ! ちょっと嘘でしょ!?〉

 艦砲に晒された機体は……跡形もない。アサギとマユラが平常心を欠いてしまったのはその悲鳴から容易に推察できる。〝ファントムペイン〟関連の兵士と聞かされたがそんな奴らのメンタルが戦場で安定できないとは笑わせるが、それはどう演技を被せても苦笑いにしかなりそうにない。

 続けて届いたのは、スティングの悲鳴。メインカメラをやられていた〝デストロイ〟が一瞬で数百ものビームに貫通され、文字通り蜂の巣とされて倒れ込む様が見えた。

『滅びろ……愚者共、全て!』

 クルーゼは止まらない。そして〝レジェンド〟のジェネレーターも底なしか。〝デストロイ〟を撃墜した敵機は憎しみを些かも損なうことなく次の獲物を求めて飛び来る。狙われたアサギには四肢を含めた武装が残っていない!

「逃げろお前もっ!」

 脳裏を弾く電流が倍加した。脳に激痛が走るも代償として視界と空間把握が異常にクリアになる。今までたどたどしく周囲を漂うだけだった〝ドラグーン〟砲塔が電波障害など無いかのように高速で飛び散った。

『む!?』

 単機でアサギ機を取り囲みかけていた〝レジェンド〟が回避行動し、スラスターだけにされていた〝イージス〟が慌てて敵機より遠ざかった。

〈ケインさん! ジュリがっ!〉

 それよりもまず私にアリガトウだろぉが! 自分の命さえ二の次になったその狂乱ぶりにケインは戦線維持を不可能と断定した。ここヘブンズベースに太刀打ちできない一騎当千と世界規模の軍隊に挟撃されてまで守る価値は、ない。

「黙れ! 雇われものの権限じゃないが命令する! アサギ、マユラは全員連れてスタンフォードへ行け!」

 引き戻し、チャージを終えた砲塔を即座に放つ。その度一々頭痛が突き刺さるが、空間認識能力は徐々に冴えわたっていくのが自覚できる。宇宙空間で操る場合と全く遜色ない〝ドラグーン〟システムの反応にケインは昂揚すら覚えていく。しかし浮き足だっていられる状況ではない。

〈でも――!〉

 彼女の言いたいことは聞かずとも解る。ケインは迷うことなく全周波に通信チャンネルを合わせると言葉だけでは信じてもらえるわけのない真実を送り込んだ。

「統合国家軍も聞いてるか!? こっちはヘブンズベースを放棄し、撤退する! ちなみにここには〝サイクロプス〟級の危険物が出やがったっ! 信じる信じないは勝手だ。お前らも逃げろ!」

 〝プロヴィデンス〟が背面の砲塔を解き放つ。〝レジェンド〟がそれをものともせずに接近してくる。サーベルを失ったケインは大型ライフルと無数のビーム砲で弾幕を張り、敵の侵攻を一秒でも遅らせようと奮闘する。

「ちっ! マユラ! アサギを連れてけ! リーダーお嬢さんのトコまでなぁっ!」

〈で、でもさ……〉

「いいから行けぇっ!」

〈うっ…うん! あの、気をつけて!〉

 もう他人を気にかけている余裕など無い。統合国家軍までこちらの言葉を真に受けたかどうかなど気にしてはいられない。

 無限の小閃光も大口径の一発もどちらも〝レジェンド〟に対しては意味を成していない。そう、如何に自分が進化しようと追いつけていないのは自明であった。こいつは〝プロヴィデンス〟の限界出力以上の照射を無傷で切り抜けた奴なのだ。

 こちらのオールレンジ射撃の網から、逃がしてはいない。

 だがそれでも決定打などあり得ない。むしろ全てが無効だ。

 感覚が敵の殺意全てを教えてくれる。だが見えたとしても全てが対応できるわけではない。無数の小型機動砲塔による射線の全てを回避したものの、数秒の時間稼ぎの結果として相手の有利なレンジへ誘導されたに過ぎなかった。大口径ライフルがこちらの〝ユーディキウム〟を貫通し、誘爆を避けるためには手放すしかない。どうせ無意味な牽制兵器と割り切っても首筋にまとわりつく冷たい汗は拭い取れない。

 砲塔を放ち、撃つ。無駄だ。揺らめく不可思議な装甲は空間に波紋を残すだけで波が消えると何も残らない。

「これが、私への、世界の答えか」

 射撃での突破は出来ないと判断したケインは弾幕を盾に後退し、地に落ちた腕を拾い上げる。アサギが被弾し、落としていった〝イージス〟の腕を無理矢理〝プロヴィデンス〟のプラグと同調させる。内蔵されたビームサーベルが腕奥から出力された。

「殺し合いの役にしか立たない存在が、夢を見た代価だというのか……!」

 またも飛び散る敵の砲塔。盾を失った〝プロヴィデンス〟は自身の小型機でそれを牽制、あるいは犠牲としながら今度は奴との距離を詰める。

『何に期待していたケイン・メ・タンゲレ! そうだ、ここには絶望しかない! この腐った世界にはなァ!』

 集中する敵の飛行砲塔がこちらの浮遊砲塔を駆逐していく。その甲斐あって母機が大したダメージを被ることなく近接戦闘へと持ち込んだ。〝イージス〟のサーベルが敵の腕をもぎ取ろうと振り抜かれるが、世界を揺らめかせる〝レジェンド〟は常軌を逸した制動で斬撃を回避、抜き出した両刃刀を横薙ぎに振り抜いてくる現状の装備では避けるしかない。図太い光刃が突き出た肩アーマーを切り落としていく。

「私は、世界を正そうと努力したつもりだ!」

『その世界こそ救いようがないのだ!』

 クルーゼの声など聞こえない。〝レジェンド〟の一閃は直ぐさま刺突に切り替わり肩を貫いていく。一矢報いるため〝イージス〟のサーベルを叩き付けたが、逆の手から張り巡らされた〝ソリドゥス・フルゴール〟が阻んでいた。

 大型の光刃が肩を貫き〝プロヴィデンス〟の腕が落ちる。だがクルーゼの殺意はそれだけでは飽きたらずバックパックまで貫き露出したケーブルごと引き千切っていった。

「っ!」

 結果、縦横無尽に飛び回っていた砲塔がボトボトと雪原に墜ちていく。それは、完全に打つ手が無くなったことを意味している。

「これが……その報酬か! 世界め!」

 神などいない。絶対善が存在するならそもそも不幸などという概念はあり得ない。なればこそ憎むべきは不完全すぎ、でありながら傲慢極まりない世界だ。

 いずれ進化した人間が増えていけば、誰もが言葉の齟齬や語弊、そもそも意思疎通手段としては不完全すぎる言語などというものの仲介失敗で疑われない世界が、間違いなくできる。それを、諦めたくはない! ケインはサーベルに更に力を込める。ビームシールドは微動だにしないがそれでもこの手を止めたくない。

『哀れだな……ケイン・メ・タンゲレ……。今度は、私の方から問いかけてやろう。世界に絶望したのなら、それを滅ぼす手伝いをしないか?』

「……………断る!」

 逡巡のあった自分を不甲斐なく思う。道を見失ったケインには、その申し出は甘美に響いた。だが……こいつの考えには未来など無い。憎むべき対象のみならず、自らまでも消え去り無に還ることを望んでいる。滅びるための、滅びるためだけの生――その希望無き目的は、やはり承伏できない。

 だから更に、更に剣へと力を込める。満身創痍の傷口あちこちからスパークを迸らせながらも。

「私はまだ、人間を信じたい!」

 だが――〝プロヴィデンス〟が自分より先に諦めた。わずかに暗くなったコクピット内、原子炉閉鎖のステータスが明滅している。あまりのダメージが核エンジンにまで被害を及ぼすとコンピュータが判断した、そんな理性的な理由など要らない。

 残された、外界を映すモニタには――全面を埋め尽くす〝ドラグーン〟

『そうか。残念だがお別れだ。ケイン』

 死の恐怖。消え去る恐怖。それは容易く信念など粉砕する。こんな思いに苛まれるのなら……ならいっそのこと、生まれたくなどなかった。

 蜂の巣。彼の魂の悲鳴が、聞こえなくなった。

 その爆発に間近で照らされながら、クルーゼはなおも猛る怒りを持て余す。表層だけは冷静を装いながら、クローン共が逃げ去った方角を睨みやる。統合国家の奴らなど、当初より眼中にない。

『終わらせればよいのだ。その苦しみも!』

 星を飲み込んだ〝ジエンド〟はアイスランドのみならず爆音までも置き去りにして飛び立った。

 

 

 

 白い、世界だった。気づいているのかそれとも眠っているのかさえ定かではない。全身の皮膚と神経の間に隙間無く真綿を敷いたようなぼんやりとした感覚が全身を覆っている。

「なんだ……? おいおいまさか死んじまったんじゃないだろうな…俺は」

「これは進化だと思わないかムウ」

 死後界で声をかけてくるものなど死神か地獄の裁判官くらいしか思い当たらない。ぞっとしながら聞こえた声に振り返ると死神は見知った顔だった。

「ケイン! お前……なんだよこれは!」

 旧知の友人。だが今は敵のはずだ。思い通りにならないながらも身体に活を入れ構える。しかしケインは殺気はおろか闘争心さえ見せようとせず、憔悴しきった面もちでこちらを見ている。

「私は、諦めたくないんだよ」

「何がだ……!」

 睨み据えていたはずだが声と姿は背後から現れた慌てて振り返り再び声と姿を見失う。

「私はあそこまでされて連合に戻ったお前を信じられなかった。んで連合が潰れたら特に罰も受けることなくオーブの一佐だと? 私はアングラを這いずって何とか命を繋いでたってのに。お前に憎しみすら抱いてるよ」

「俺が…連合? 何の話だ? お前前にもわけのわからん名前で呼びやがったよな」

「それだ。自分の罪を覚えてねぇのがまた腹が立つ」

 顎に噛みつかれそうな距離から声が届いた。思わず膝蹴りを放っていたが、そこにケインはいない。いても嗤われ避けられるくらいに、身体の動きが遅すぎる。

「そんなお前に託すのは屈辱なんだよ。でも、諦めたくない……」

 びしり。

 脳裏で音を立てたものがあった。思わず頭を抑え付けまたも逃げる声を目で追えば――白い世界を満たす、ガラスに入ったような亀裂が見て取れた。

「だから何なんだ……ちゃんと順序立ててだな」

「ムウ。いや、ネオ。私の命をやる代わりに私の希望を果たしてくれ」

「なに!? ちょっと待てお前――」

「――いや、私がお前を真の姿にしてやる。その後のことは自分で決めろ。私は…………疲れた……」

「ケイン!」

「任せたぞ」

 亀裂が徐々に白い世界を浸食していく――空の映る真っ白なガラス片が雨のように降り注ぐ中、ムウは彼に手を伸ばした。座り込みそうなほどうなだれたケインを引き留めようとその方に手をかけた刹那、白い世界が何も見えなくなった。

 

 

 

 気づいた先には――白い碁盤目だった。首筋に浸る白い柔らかさに気づき、それが病院か何かの天井だと気づく。

「………俺は…………?」

 記憶が……自分を粉々に打ち砕く〝デスティニー〟と繋がったのはかなり後だった。自分の命すら後回しになるほど、この夢が衝撃的だったか。

「――っ……。いや、夢とか記憶かアレが……」

 ムウは上体を、特に痛みも違和感も感じられない上体をゆっくりと起こした。そう、脳裏に浮かんだ過去と言うより、全身に染みいってくる別の存在が感じられたような気がする。

「…………」

 伸び放題になっていた金髪に爪を差し込みかき混ぜる。白い部屋の中で茫洋としながらムウは右手を棒になるほどくるんでいた包帯を外しにかかる。解ききった先にはすぐさまじゃんけんさえできる手があった。モビルスーツ大の拳を映したモニタと操縦桿に挟まれ動かなくなったような記憶がおぼろげにあるのだが、まぁ動いてくれるならありがたい。薬液が一割以下になっていた点滴を引き抜き横手の台に置いてあった酒精綿を拝借して傷口に押しつける。

 病衣そのままに立ち上がったムウは外を見ようとして分厚いカーテンに気づいた。完結された安息が――ステラのバイオスフィアを思い出させる。なるほど無責任だったわけだ。ケインが怒り狂うのも頷ける。

「死んで詫びろってわけでもなく……何をさせたいんだかな」

 提示はされた。だがそれに沿うかは自分次第だ。

 脳裏に何かが閃いた。ムウは面白がり、扉の脇に身を潜めた。すぐさま点滴の換えをワゴンに乗せた白衣の天使が扉を開けて入室してくる。彼女はまだベッドが空になったことに気づいていないらしい。考えを読むより笑いを噛み殺す方が難しかった。背後に忍び寄り首筋を指で突く。

「はいおはよー美人さん!」

「ぅきゃあああああああああああああああああ!?」

 …………やりすぎたかも知れない。植物患者しかいないはずの部屋でお茶目をくらった看護師さんは両手を上げてワゴンすっ飛ばすと二回転してしりもちを付いた。腰をかがめて手を振ってやるが、涙を浮かべて怯えまくった彼女は震えているだけ。――立てないらしい。

「あの、眼鏡、落ちたよ」

 震える手にそれを握らせもう一度微笑みかけたがゴキブリさながらの様相で後ずさっただけ。どうしたもんかと後悔を始めたムウだったが彼女は唐突に立ち上がり道具全部置き去りにして部屋から走り出ていった。

「せ、医師ぇえええっ!」

 ………医者が来るのは閃きで解るだろう。その時はおとなしくベッドに入っていようと心に決めた。

SEED Spiritual PHASE-88 無理よ!

 

「ちょっと、アサギ、落ち着いてよ! どーゆうことなの!?」

 アウルとクロトに事後処理を任せての復路。ライラに突きつけられた通信は焦り、どもり、捲し立てるばかりで一向に要領を得ない。ヘブンズベース組に不利な何かが降り掛かり、それが狂乱する程の厄介ごとだと理解させられただただ不安だけが掻き立てられる。

〈ジュリが……! それにケインさんもっ!〉

「それはもう聞いたから! 統合国家? 〝アカツキ条約〟破ったよーな新兵器持ってきたってコト!?」

〈わかんない…っ! でも変な〝ドラグーン〟機体が――ひぁああっ!〉

「ちっ……アサギ、そっちに集中して! あたし達は余裕になったんで迎撃態勢整えとくから!」

 これ以上の通信は負担にしかならないと判断しライラは強引に部下の泣き声をぶち切った。

「ライラ……どーしたの?」

「全っ然わっかんねぇわ。でも何かヤバそーなのはわかったし。シンを拾って迎撃態勢整えるよ」

 怪訝な眼差しを向けてきたステラの眼を見ないままつかつかつかつか歩を進める。家に帰るまでがミッションだと言うのならコンプリートを目前にして何が横槍となったのか。不測の事態に備え、修正事案の幾つかも作ってはいたが最終局面での第三者介入など誰が予測しようか。

「かぞく…」

「ん?」

「かぞく、まもるの?」

 ステラが何を思ってそう口走ったかライラには計りかねる。が、それでも自然と頷けた。

「そうね。アサギちゃん達もステラも、もぉあたしにとっては家族みたいなものよね」

 家族を、わけのわからないものに奪われるのはもうたくさんだ。ライラは高くなる歩調間隔を更に上げながら〝レイダー〟のスリープを遠隔解除した。

 

 

 

 説得は諦めた。だがそれでも連れ帰ることまで諦めるわけにはいかない。自分一人の問題ではないのだ。クロは奥歯を磨り潰した。

「お前は、世界を背負える力がある!」

「関係ない! そんなものっ!」

「お前を信じて待ってる奴がいるっ!」

「くっ……それでも! 今のおれにも、どうしても放り出せない奴がいるんだよっ!」

 説得はとうに諦めた。そのはずだが言葉での吐露をどうしても止められない。シンとクロは互いに銃口を突き付けたまま、硬直を続けていた。

(潰せる時間なんてねぇってのに……。ルナマリア達が永久に保つって保障がどこにあるんだよ)

 自分のために命をかける存在など、あってはならない。そんな思考に気が咎める。膠着状態を打破しようにも視線を彷徨わせる隙さえない。シンに格闘戦を挑むのも、危険すぎる。

 葛藤と硬直にまみれた時間は、望まぬ形で破られた。

「シン! 戻るわよ。なんかヤバイの来そうだから!」

 奥歯が欠けたかも知れない。敵一人でも持て余しているというのに増援などというおまけが付いた。シンが背後に意識を向けたその刹那を用いて視線を動かす。栗髪の胸なしと金髪小娘だけだが、膠着に敵の加勢が付いてしまえば――容易に敗北へと流されかねない。

「シン! こんなおっさんに構ってる場合じゃないわ。統合国家が新型持ってここに来るって。迎撃するよっ!」

 こちらに続いてシンの視線も彼女を向いた。それでも互いの銃口は外れない。

「ま、マユ……。ち、ちょっと待ってくれ」

 いきなり出てきた違う名前にクロは眉をひそめたがライラ・ロアノークは上官らしく自分の気持ちを優先させたらしい。乱暴にシンを押しやり拳銃を抜きながら近づいてくる。

「あぁああ待てないっ! 時間ないっ! こいつはあたしが引き受けるからさっさと〝デストロイ〟と〝デスティニー〟に起動準備してっ!」

 発砲。

 対してクロは鉛玉を光で受けた。

 同時に一気に距離を詰めようと身体をかがめる敵の姿。

 シンと金髪小娘はこちらを気にしながらも爪先は彼方を向いている。

(横槍は入らない。ならば小娘の体格で格闘を挑まれようと潰されるはずはない!)

 一撃の威力に怯え、受け流す角度を気にする必要もない。相手が猪突しか頭にないのならビームシールドでチャージをかましてやるだけで戦闘不能に陥れられる。

 相手に対して緊張することがない分、観察と対処は冷静になった。そして、驚愕もすんなり心に入ってきた。

 突如繰り出された少女の拳。それがわずかに帯電したかと思った瞬間抜き手が光膜を貫いていた。

 大出力ビームの直撃さえ防ぎきるはずの粒子の壁がたかが人の片手を怖れるかのように大きく退いていくとはどういうことか!?

 答えは与えられず抜き手から変化した五指がヘルメットの顎部を握り込む。強化合成樹脂がひしりあげる悲鳴の音にクロは背中に冷たいものを感じた。

 バイザー越しの驚愕の表情に溜飲が下がったライラは防具表面に爪を喰らい込ませながら睨め下し、鼻で笑う。

「へーん。〝ヴァジュラ〟サーベルみたいな〝ユニウス条約〟以降の硬化ビーム兵器はミラージュコロイド使えてないからね。磁場の形成パターンさえ解ってればこーゆーことができるのよっ!」

 下から振り上げ、奴の異常な手にビームサーベルを振り上げたが光刃さえも帯電する腕に触れるなり千切れて散る。

「ヤヴァイとこの兵士になるためいろいろ教え込まれてね。MA-M941とMX系シールドは材料くれれば造れるくらいよ。あたしっ!」

 振り回される。視界の上下が反転する。そして激震と激痛が背筋を貫通していった。

「がはっ!?」

 今オレはどうなっている?重力が脳天に働いているなぜだ投げ飛ばされたからだ何に?誰に?小娘の肩も使わない片手で向かいの壁までかっ!?

 苦心して重力からは身を守ったもののそれは頭部を守ることだけで精一杯だということ。右腕を着いて着地した。もう反撃に対応できる体勢ではない。

「っと! なによっ!?」

 ――が、顔を上げ相手を睨む時間が与えられた。訝しがる間もなくクロは理解する。こちらに突きつけられるはずだったライラの拳銃が横手から押さえつけられていた。

「……シン」

「待て殺すな」

「なんでよっ!?」

「な、なんでもだっ!」

 ライラは当然のことながら納得いかないようではあったがこちらが体勢を立て直す様を見て一歩退いた。クロが銃口を突きつけようとする前に後退して射撃の精度を奪う。あちらは…撃てなくなった代わりに罵詈雑言を投げつけてきた。

「バーカ! どっか行っちゃえ緑ィー!」

 ……何となく銃を下ろしてしまう。シンから銃口が突きつけられたがそれに牽制以上の害意は見いだせず、上げようという気すら起きなかった。

「――ちっ……ルナマリアにぶっ殺されるオレの身にもなれっつーんだよ……」

「……うまく、言っておいてくれ」

「何かを守りたいってのだけは、信じてやる。行け。ここまでやっといてラクス・クラインに下ったりしたらオレがお前を殺す」

「……アンタこそ。世界征服が目的なら、おれがアンタを殺す」

 追おうとは思えなかった。

 クロは迷わずナノマシンに意識を向ける。ティニを経由しようとしたら周波数の合わせ方を教え込まれた。一度切断後、ルナマリア機のコードを想い出し、繋ぐ。

「ルナマリア、すまん。シンに逃げられた」

〈っ! っ……あぁもぉその話は後! さっさと戻ってきて!〉

 思っていたのと違う怒られ方にクロは渋面を浮かべ、進入経路を逆走した。

 

 

 

 瞬間閃光。

 また十機近くの〝スローターダガー〟が光と炎に変えられた。スティングに続いてオルガ達まで全滅されそうな雰囲気がマユラの胃の腑を締め付けた。

〈あ、アサギぃ……〉

「黙って! と、とにかくスタンフォードまで!」

 艦橋に座り込んでいるのは恐怖に負けてすぐできなくなった。以前ライラが零した言葉に従い無数のクローン兵を盾とし、足止めのための捨て駒扱いしているのだがそれでも黒い機体の侵攻は止まらない。遅らせているのかすら不安になってくる。アサギとマユラはそれぞれ〝ウィンダム〟を用いて艦上空の防衛をしているつもりだが、奴が目の前にまで迫ってきたとき、何秒生きていられるか不安になる。

「N/Aさん! 何とかならないの!?」

〈スタンフォードまでならあと3504セコンド、あのモビルスーツの対処法に関してなら――申し訳在りません。検討中です〉

 さんぜん……それが約一時間程度と理解するのにしばし脳が停止した。N/Aの声は平然としたものだが、このコンピュータ人間は恐らく量子通信なんぞが使える施設を有しており、この場に赴くことなく戦闘に参加できるが故冷淡の皮を被りっぱなしでいられるのだろう。そう思うと、憎悪してしまう。

〈アサギっ!〉

「え!? あぅあぁっ!」

 前方で楯を突きだしていた僚機の逼迫した声に我に返る。憎悪に圧されて〝ウィンダム〟の操作を蔑ろにしてはすぐに死んでしまう。戦友と共に、各々が空飛ぶ一個の砲塔に付きっ切りになるのも情けないが、そこから目を離せば確実に死ねる。先の戦いで〝イージス〟はカメラ以外は全滅、〝デュエル〟も盾とスラスターしか残らない有様にされている。高性能機で死に体にされた相手により性能の劣る機体での迎撃――安全が保障されるのなら失笑の一つも漏らしたい。

「……オルガと、シャニは…後どれくらい?」

「――待って……。人数だけなら余裕あるって。モビルスーツの残りは、ヤバイらしいけど」

 アサギは輸送艦に全速力を、そしてオルガとシャニには断続的な出撃を命じた。雲霞を模して大空をモビルスーツで埋め尽くしても、無限の砲を持つあの機体には一撃で片付けられかねない。小出しにして絶え間なく気を引いた方が時間稼ぎにはなるとの判断だった。

 自分でも冷たすぎる判断だと思う。だが生き残りたい。まだまだやりたいことがある。他者を押しのけてでも。だからライラの言葉に従い、彼らを犠牲にする。作り直せる命を盾に延命を、図る。

〈アサギ……〉

「黙って。すっごい解ってるから。でも――」

〈うん、でも、私もライラの所まで!〉

 申し訳なく思う気持ちは当然ある。それでも昼空に数十という火球を瞬かせる光の格子を目の当たりにすればとても良心を優先させる気にはならなかった。

 だから、全ての命を盾にしてでも、私達は逃げ延びる!

 

 

 

 〝ファントムペイン〟を避け、任務完了できぬままスタンフォード特別刑務所を脱出したクロは予想外の火線量に目を見張った。

「ルナマリア、オレの位置捉えてるか?」

〈見えてるけど無理よ! こっちこそ手伝って貰いたいっ!〉

 彼女に回収され、戦線を離脱する案は彼女の機嫌の悪さに却下された。それを勝手とはとても言えない。〝ストライクノワール〟の左腕は肘より先が灼き斬られている。

 考えてみれば、自分はこの地に新たな対抗勢力たるザフトの一団を引き込んだのだ。ディアッカの部隊と〝ファントムペイン〟の部隊、そこにルナマリアらが挟まれたことによって三者が二種類の敵を定められた。戦場の混乱はいや増そうというものである。

〈クロこそ暇してないで〝ルインデスティニー〟使いなさいよ!〉

〈そうですね。殲滅でもしなければ逃げられそうもありませんか〉

 見上げる先で〝ウィンダム〟が撃ち抜かれ、彼方の森林に墜落していった。時を置かずして刀傷に分断された〝ザクファントム〟がほぼ目の前に墜ちてくる。粉塵と衝撃をから思わず両手で顔を覆うとバイザー越しの視界が急に暗くなる。

 振り仰げば、黒い機体が虹の翼をはためかせながら血まみれの戦場を睥睨している。

(ラクスに匿われた分際で、また究極の力に寄生する気か)

 振り返った機械の目に射すくめられたクロ。運命を破壊しかねない機体はこちらの畏怖など気にすることもなく。一面を洗い流した戦場の中、ゆっくりと降下してくる。

(もうしっかり勝手に戦ってるじゃねえか……。こんな完成された無人機に、オレなんかが必要か?)

 〝プラント〟に戻り、ザフトに復隊したクロフォード・カナーバが感じられたのはただ一つ、無力感だけだった。阻害されることもなく、敵視されることもなく、理想の環境に包まれながらも自らの価値観を疑い続けた。誰でも良くはない座をその「誰でも」に相当するとしか思えない自分が占有する――後ろめたさ。いや、恐怖か。いっそ傲慢になれれば昂揚もできよう。超常の力で自分勝手を行う存在を、人は神と呼びたがるのだから。

 座した〝ルインデスティニー〟の胸部砲口がスライドし、コクピットハッチが、開いた。

 クロは、もう少し迷いたかった。

 しかし間近での爆発に脚は自然と走り出していた。コクピットに手をかけ、思う。

(ここが〝アイオーン〟の格納庫(ハンガー)だったら乗れなかったかも知れない)

 無価値を自認しながらも自分自身を斬り捨てる覚悟などはなかったらしい。死んでいる場合ではない。それだけに突き動かされ走り出すことができた。

(小せェ悩みに浸って、酔っていたかったのも、あるんだろうな。――多分、誰もが)

 尊いとされる命を草でも刈るみたいに消費する戦場では、感傷に浸れるだけ幸せだと言うことだろう。クロは胸中の濁りを取り敢えず棚上げにするとコクピットに滑り込んだ。

 AIを収めた小箱とコードで接続されたヘルメットが、シートベルトで固定されている。クロは迷うことなく顎の割れた今のヘルメットを取り外した。元々自分のノーマルスーツはザフトのスーツを流用している。固定されていたヘルメットに取り替えても留め具は干渉することなく接続できた。シートに腰を下ろすが流石に懐旧の情などは湧かなかった。

 機能は、オートモード。それを解除するためにOSをシャットダウンし、再起動させた。すると〝ターミナル〟をもじったロゴに続いて見慣れないデータの羅列が流れていった。

「? なんだこのOS、博士、作り直したのか?」

〈キラ・ヤマトの作ったOSです。ソートさんが入手したものを博士が調節したものでして〉

 驚愕した。そして好奇心を刺激されたクロはその詳細を開いてみた。内容を端的に理解して――やはり驚愕。『究極の操縦者が扱うに相応しい最適化』を見せつけられた。低練度でも前線に出られるナチュラル用OSとは真逆の思想だ。操作系のほとんどをパイロットのセンスに依存し、空いた容量でセンサー、ジェネレータ、装甲通電度合い、急制動時ショックアブソーブと言った人間には気の廻らない細かな処理をさせている。それでも搭乗者の負荷が凄まじい分CPUの処理など本当に数えるほど。もう少し負荷を上げても音を上げるようなことはあるまい。

「無茶苦茶だ……こんなOSであんだけ武装積んだ機体を操るだなんて……」

 そしてノストラビッチがそこに加えた追加処置もそれなりに無茶苦茶であった。スーパーコーディネイターでなければ処理しきれない情報をスーパーコーディネイターを模したAIに処理させ、当代最高クラスの機体制御能力を獲得。パイロットに任された負荷を、AIを間に挟むことで相殺している。何となく、システム任せにしないこのOSの長所を殺してしまっているようだが――AIの『成長』がそれを補って余りあるという判断なのだろう。

「オレにしわ寄せがこないのはありがたいが……怖ェな」

 脇の箱を小突く。

 たった今、オリジナルのシン・アスカに殺すだなんだ言われたばかりだが、その直後で彼と同様の思考に頼らなければならない。

「なぁ。オレなんかで本当にいいのか?」

 

 

 

 おれの守りたいものを守るためにはこの立場は仕方ない。ライラ・ロアノークを名乗る妹の背後を守りながら胸中でそう呟いたシンの脳裏に――初めて起動させた〝デスティニー〟のコクピットが思い起こされた。

 

「アンタが悪いんだ……アンタが!うらぎるからぁああぁっ!」

「シン!!」

 

 それはアスランの声。裏切りを許せなかったかつての自分はその絶叫を一顧だにせず〝グフイグナイテッド〟の胸板を貫いた。

(……アスランも、こんな気持ちだったんだろうか……)

 注視したところでクロは見えない。だが、これがアスランの気持ちならば今クロが抱いているのは怒り尽くし、空虚になり、レイの言葉に縋り付いた自分の心なのか。

〈シン、あと二千セコンド程度で合流予定……〉

「わ、わかった」

〈それまでにザフトを片付けるわよ。後続も来るだろうし、残しといたら死ヌ目に遭うわ!〉

(いいや……おれはあの時とは違う。守るために、戦うんだ)

〈シン! 返事はっ!?〉

「了解だ。おれとステラで先行する。撃ち漏らした分は頼む!」

 〝デスティニー〟のツインアイが光を放ち、魂を込められた機体が光を放出しながら戦場に躍り出た。

 

 

 

「シンっ! クロ、シンは!? どうなったのっ!?」

〈お前……相当ギリギリだな。オレの話聞いてなかったのかよ。だから説得には失敗した。離脱を優先する〉

「シン!」

 離脱することが最優先、現在の戦況、そして自機の機体状況を鑑みれば当然の判断だとルナマリアも思ってはいる。今の今まで意識の全ては離脱のためにと動いていた。

 だが、今は出来ない。飛び立つ虹色の翼を見てしまったから。頭が正しいと考えても心が正しいとは思ってくれない。脇目もふらず、走らせる。

〈シン! 待ちなさ――〉

 喉で痞えた声は悲鳴に変わる。横手からの一撃が〝ストライクノワール〟を弾き飛ばした。装甲片とへし折れたウイングがあまりの機体性能に昂揚していたクロの意識を冷たくした。重粒子砲を放った〝ザクウォーリア〟を打ち抜きその砲を修復不能なまでに斬り散らす。

〈ルナマリア! 出過ぎだ!〉

 そんなクロの叱責など聞こえていない。あそこには、〝デスティニー〟が、シンがいる。どうしてそれを放って離脱などできようか!?

〈下がれルナマリア! 相手は増えてくんだぞっ!〉

「うるさい! 先に帰りなさいよっ!」

 片方になったリニアガンと片手でしか握れないビームライフルショーティ、〝トーデスシュレッケン〟の全てを出し惜しみせず敵を押し返そうとするが、モニタを埋めていく〝ザク〟の数は徐々に増えていくようにすら思える。

「シン!」

 虹をはためかせる〝デスティニー〟はこちらになど気づきもせずに徐々に徐々に小さくなって行ってしまう……。

「くっ!」

 新たな衝撃が自機を襲った。もしかしたら今、かつての同僚に殺されたかかっているのかも知れない。〝オルトロス〟を構えるあの敵機に見知ったザフト兵が乗っているのかも知れない。それでもやはり通信を全周波に切り替えることだけは躊躇われる。だが、今彼に声を届かせなければ、もう二度と、シンは振り向いてくれないのかも知れない。――その想像は、恐ろしかった。

 

 

 ほんの数瞬で〝ルインデスティニー〟を扱うためのカンだかコツだかは還ってきた。この機体に詰め込まれた思考補助と機体性能は未だ他の追随を全く許していない。瞬く間にスタンフォード特別刑務所周囲に犇めく連合もどきを一掃、続いて現れたザフトの後続までも駆逐せしめた。両方の増援はなおも集まってきているものの二つの意識を収めた機体はその戦力に対して十二分以上に対抗できる――そんな錯覚さえクロの中には芽生えかけるほどに。

 だがルナマリアが隊列を乱したその瞬間、自分に酔っていられる時間が霧散した。

〈クロさん。もう充分混乱させられました。離脱を〉

 突如紛れ込んできた通信に思わず問い返す。

「誰だお前は?」

〈ルナさんの、部下です〉

「……あぁ」

 思い巡らすまでもない。ルナマリアが、ティニに処置された兵士を連れているとは聞いていた。

〈ティニ様の勧告通り離脱を開始すべきです。〝ターミナル〟よりルートE‐2が提示されています〉

「待て。ルナマリアを連れ戻してからだ」

 クロは、焦燥の中でふと思う。抑えきれない感情に押されたルナマリアと、周囲の戦意を完全度外視して平常心を保ち続ける彼ら。自分が指揮官ならば、使いやすいのはどちらだ? その理由は、戦場という特殊環境だからこそ当てはまることなのか? パンドラの匣から漏れ出た罪悪を全て撤去し、面白味のなくなった存在は信じるの裏側を完璧に受け入れてくれる。いつ裏切るかもわからない『普通』と、人として見難い『異常』。

 清き一票を投じるならどちら?

 その言葉を問いかける時間など与えられず、いきなり〝ストライクノワール〟が被弾して吹き飛んだ。

「ルナマリアっ!?」

 意識を先んじて重粒子砲を抱えた〝ザクウォーリア〟が視界の中でロックされ、クロの指先がトリガーを引いた。ライフルは的確にコクピットを刺し貫き、意識を失った〝ザクウォーリア〟が砲を放り出し落下していく。ペダルを踏む、その瞬間に光の翼が機体を敵眼前に運んでいた。まだ使用可能な危険物を無害とするため長刀で分断する。

「下がれルナマリア! 相手は増えてくんだぞっ!」

 ルナマリアは傷つきながらも武装を展開し、戦おうとしてる。

〈うるさい! 先に帰りなさいよっ!〉

(……それが軍人の言葉かよ……。人間だから、時にはキレても仕方がないって奴なんだろうが……)

 舌打ちを零しながら目測、彼女との距離は――瞬きの間に制覇できるようなものではない。強引に連れ帰ろうにも往復無傷は無理がある。〝ゲイツR〟部隊の戦闘力は、クロにとっては未知数だが機体性能では〝ザク〟と〝ゲイツ〟にはやはり開きがあるように感じる。

(投降……なんかするわけないわな。降伏勧告受け入れるような奴が、エヴィデンスの下僕になるはずもない)

 ザフトの奴らに銃口を向けられたとき、それを捨て去ったと思っていた自分でさえ『泣きそうに』なった。ルナマリアはどうだ? 古巣を『捨てられている』か? 捨て去れていないとすれば――自分の裏切りを棚に上げ、裏切られた気持ちに苛まれ、おそらく泣いている。

「戻れルナマリア! シンの行方はあとで〝ターミナル〟に頼ればいいだろ!」

 言葉はいつでも遅すぎる。距離に拘泥している間に〝ストライクノワール〟が次々と着弾の炎を上げさせられた。彼女は泣いている。確実に。クロは先程まで思い悩んだマイナス要素を全て置き去りにし〝ルインデスティニー〟を向かわせた。

〈あ、あああああああああっ!?〉

 繋いだ通信機からもう隠せなくなった慟哭が届く。

 足りない力が悔しいのか。

 届かない声がもどかしいのか。

 不完全と不条理が承伏できないのか。

 ただ、死にたくないからか。

〈嫌よ、こんなの……! シン……助けて、助けてよぉぉぉ…〉

 聞き間違えようも無い、弱音。通信機の先に『戦士』がいなくなったその瞬間、頭の片隅で何かの弾けるような感覚が奔った。

(これ……〝インパルス〟とやり合ったときの――!)

 中央インフォメーションディスプレイに〝Burst S.E.E.D.〟と表示されている。それを確認した直後、操縦桿を握りしめた指先から感覚がなくなった。それに恐怖することもない。以前と違う。翻弄されるだけだった加速する世界、その全てが理解させられる。同化した〝ルインデスティニー〟は自身が相手にしていた軍事力を完璧に黙殺すると瞬間移動じみた速度で崩れ落ちた〝ストライクノワール〟へと急迫する。

 ビーム突撃銃、ビームライフル、〝オルトロス〟に各種ミサイルが進路を埋め尽くしたはずだが点や線の乱舞に潜む微細な隙間が――視える。視えて、感じられる。装甲越しでありながら恰も皮膚感覚のように。

(馬鹿な! 当たったはずだ!?)

(おいおい高出力砲ならダメージになるんじゃなかったのかよ!?)

(あれに、クロフォードが……!)

 聞こえるわけではない。だが、視界の隅に置き去りにしたモビルスーツ達が横切る度、そんな『表情』が読み取れたような気がした。皆が皆一様に吐き出す驚愕、それさえも置き去りにして対象物を掴む。腕先から撃ち出されていたアンカーを絡め取り胴部をマニピュレータで握り込む。そんな乱暴な制動にさえこの機体は応え、気づけば〝ゲイツR〟達の確保した退路の中心へ二つのモビルスーツが出現していた。

〈あ……ぁぁああああああ……!〉

「ルナマリア。反論は聞かない。離脱するぞ。みんな、ナビゲート頼む」

〈了解しました〉

 ――突如、地が、激しく震動する。クロはそんな天災を有り難く利用させて貰った。

SEED Spiritual PHASE-89 奥歯を轢らせた

 

「アサギちゃん、無事?」

〈ライラ……! 気をつけて。ケインさんと…っジュリが、アレに――!〉

 聞いている。聞いていたつもりだったが見ると聞くとでは勝手が違いすぎた。飛び放たれる無数の砲塔、それに加えて脚部と腕部、黒い機体は解体されながらも破壊兵器としての機能を失わず――

 ライラがザフト軍に意識を割いたその一瞬でもう数え切れない程の友軍機が鉄屑に変えられた。

「えっ!?」

〈こいつっ!〉

 ステラの怒号が自己分解する敵に無数のミサイルと巨砲を叩き付けたが殺意は全て塵に還られた。陽電子リフレクターらしき光が〝アウフプラール・ドライツェーン〟を飲み込み、艦船すら撃沈できる大型ミサイルさえ、パーツが漂わせる不可思議な揺らぎに阻まれ、着弾できずにいた。ライラの目はそれを捉えたが、捉えたからといってどうすればいいのか。

「なにあれ?」

〈あいつの装甲、実弾もビームも効かないのよっ!〉

『お前か…! お前なのだな? この腐敗した舞台の立て役者は!』

「っ!?」

 脳に痛みを覚えたような気がした。彼方の意識に睨まれたような気がした。瞬間、殺意が来る。ライラは迷うことなく部下を犇めかせ変形の時間を稼ぐと殺意の投網をくぐり抜けた。

 先程までいた場所、そして今も逃げる場所に集まり、意識を向けた〝スローターダガー〟が秒間百もの穴を空けられ飛び散っていく。

〈何なんだアンタはっ!〉

 〝デスティニー〟が追いついた。浮遊する何かにビームライフルを打ち付けるもその装甲や光膜があらゆる殺意を無駄にしてしまう。シンは更に中心部へと肉薄したが圧倒的な火線量が〝デスティニー〟の進路を阻んだ。

〈このぉおおっ!〉

 振り上げられた〝アロンダイト〟が砲塔の一つに追いつく――巨大な実剣と閃光の複合刃が黒い小型機動兵器にぶち当てられたが、あろう事か砲塔を包む揺らぎはその加重にさえ抗している。対艦刀が振り抜かれたがそれはあくまで砲塔が逃げ延びたから。表層を刮げ落とされるに止めた砲塔は彼方で反転すると〝デスティニー〟を狙撃する。

「なんなんだ……こいつは…!」

 吐き捨てながら閃光を受け流したシンは結合するモビルスーツを見た。〝ドラグーン〟の制空能力が図抜けているのは熟知している。だが分離するパーツにそうそう大容量のエネルギーを蓄えられるはずもない。必ず母機からの、それなりに頻繁な充電を必要とするはず。

(〝アロンダイト〟で斬ったとき、手応えはあった。なら接近さえできればコクピットを貫いて終わ――)

 心に殺意を、機体に力を溜め込むつもりだったシンは結合した機体を見せつけられるなり意識が凍り付いた。

「れ、〝レジェンド〟!? ……れ、レイ…!」

〈シン、あたし達で引っ張るから叩っ斬って。〝デスティニー〟じゃなきゃ話にならないみたいだしっ〉

 マユの言葉はもっともだ。今自分が考えていたこととも符合する。それなのに、動けない。

 

 ――「どんな命も、生きられるなら生きたいだろう」

 苦しげにあえぐステラを見下ろしながら、呟いたレイは……あの時既に残る命数を数えていたのか。

 ――「お前が守るんだ。議長と…新しい世界を」

 あの時は押しつけとは思わなかった。かといって今もそうとは感じない。レイは、世界を正すことを焦っていたのだろうから。

 ――「父も母もない、俺は俺を作った奴の夢など知らない

 ――他人より早く老化し、もうそう遠くなく死に至るこの身が科学の進歩の素晴らしい結果だとも思えない

 ――もう一人の俺はこの定めを呪い、全てを壊そうと戦って死んだ……

 ――だが誰が悪い? 誰が悪かったんだ?」

 レイは、レイの全てが悪かったわけではない。おれはそう思っている。

 

『楽しいか? 面白いか!? 存在というものを弄び、高みに立てるのがそんなにも嬉しいのかっ!』

 怒号に圧され、無数の命が消える。だがこちらの戦力に激減は有り得ない。削られた分、いやそれ以上に、投入する。訓練をショートカットできる〝ファントムペイン〟の技術は兵力の安定供給を、もしくは過剰供給をも確約できる。

〈そっちは力で粋がってるけどね……あたし達の戦力は無限なのっ!〉

 シンは妹の言葉にはっとした。スティングとアウル、いやシャニ、にオルガとクロトもだ。末端の生体CPUはどれだけ殺されようとも統制に支障ないよう補充され、万が一リーダー格が撃破されても転送が起こる。故に彼らの魂に死はあり得ない――

「…………本当に、そうか?」

 今、かつてレイが操っていた〝レジェンド〟にそっくりなモビルスーツに貫かれた仲間がいる。彼が感じたであろう痛みは、恐怖は、無意味か? 無かったことなのか?

「マユ! 全員を撤退させろ!」

〈あぁ!? ナニ言ってんのよ、倒せるよ! いくら〝ドラグーン〟機体だからってこっちの全てに対応出来るわけ無いんだから――〉

「そぉゆう意味じゃねェっ! おれは、こんな戦い方をするなって言ってるんだっ!」

 サブディスプレイの中、妹が子犬のように怯むのが見えた。だが彼女の立場が、むしろ容姿にふさわしい弱さを許さない。眦を吊り上げたライラを目にし、シンは自分の言葉が聞き入れられないことを悟らされる。

〈な、なによ! 信じらんない。上官はあたしなんだから……もぉいい、お兄ちゃんは戦えないってんなら下がっててよ! ステラ!〉

「ステラぁっ!」

 〝デストロイ〟の五指と胸部、そして口腔の砲口が〝レジェンド〟をロックした。その一時の間にも何人もの〝スローターダガー〟搭乗者が散っていく。彼女に撃たせる為に、部品として消費されていく。

『ノーと言えないよう作り替えられ自己のためではなく他者のためにつくすことを強要され……それをお前は嬉々として受け入れられるというのか!』

 脳に痛みを覚える言葉が再び叫ばれた。その出所は敵機。敵だとわかっていても、どうしてもその怒りが正しいもののように思える。〝デスティニー〟は内包した魂に翻弄され、戦場で大剣をぶら下げたまま、何もできずにいる。

 想い出されるのは、レイの哀しすぎる微笑みだけ。

 目の前の機体は、彼をまざまざと連想させる。

 その姿に、鉄鎖が巻き付けられた。〝レイダー〟と繋がる黒い拘束具が直ぐさま溶解を始めるも物理を覆すまでには行かず、確かに止まる。

〈ステラ!〉

〈ぅぅうぁあああああああああああ!〉

 ステラの殺意が、再度結合した黒い機体に吐き付けられた。

 

 

『哀れな……そして愚かな……。見ているか〝エヴィデンス〟』

 ふと、頬に熱いものを感じた。だがすくい取る指も暖かさを受ける皮膚もない自分にそんなものが流れるはずもない。疑似触覚に嘲弄を向けようとして、出来なかった彼はその不可解な感情を機体に乗せた。

『これが救いようの無い世界の姿だ!』

 〝ジエンド〟は一瞬にして破壊の海を泳ぎきる、赤の大洪水を逆流し、その源へと残った片刃を振り上げ振り抜く。

 負荷などは感じない。巨大兵器が首を撥ねられ濁流が制御を失って四方八方に拡散する。しばしの静けさ。遠くで生首が大地を叩く、轟音が轟いた。

〈ステラっ!〉

 中心人物の悲痛な思いは部下を差別し死を命じる叫びに注がれた。

〈みんなあいつをっ!〉

〈しょうがねぇなあっ! 行けお前らァ!〉

 他者の一言で自らを捨てさせられる。〝ジエンド〟に肉弾攻撃じみた体当たりを繰り返す無数のダガータイプ、その中心に怯懦はないのか? 無いとしたら、疑問はないのか? 今まさに消費される、その自己に!

 全身から破壊光を放つ。密着していたダガータイプが穴だらけにされ砕片になって飛び散っていく。それが自分の価値だと認められるのか? 誰を守りたい? その犠牲の果てにどんな高みが見えるというのだ?

 ラウは奥歯を轢らせた。実際はどうだか知らないが、それでもラウの心は奥歯を轢らせた。

 ――何も得られてはいない。ただそう造られたから。それだけだ。ラウの心は奥歯を轢らせた。

『全く度し難い奴らばかり……思い知ったか〝エヴィデンス〟! これが今の世界なのだ!』

 

 

「――レイ……!」

 脳裏に響く、世界への怨嗟。それがシンには慟哭に聞こえていた。レイ・ザ・バレルと同じ、だが何かが違うその声が彼の記憶を喚起した。

 

 ――「俺達のような子供が、もう二度と生まれないように……」

 

〈ステラ、動く?〉

〈だいじょぶ。まえ、目の変え方おぼえた!〉

〈おし、あっちも煙出てる。不死身じゃないわよ。もっかい止めるからもっかい撃って。できる?〉

〈できる〉

〈いい返事!〉

「――やめろ……」

 シンは〝デスティニー〟の手を突き出した。だがどうすればいい? ライラの肩でも引き寄せるか? レイを想起させる敵は、怒りにまみれている。こちらが待ったをかけたところで攻撃の手を緩めはしないように思える。

「やめろ!」

 何をしてる今度は自分のエゴのために守りたいものを危険に晒すのか!? だがそれでも自分の正義が裏切れなかった。

 突き付けられる大口径のライフル。シンは鉄球をぶん回していた〝レイダー〟を強引に引き寄せると二人の間に自分をねじ込んだ。驚愕する二つの隙間でビームシールドを展開する。〝レジェンド〟へと大剣を突き付け牽制しながら振り解こうとする妹を抑え付ける。

「アンタ……レイじゃないのか?」

『ほう…。それはもう一人の私だ』

 通信機を繰ること無く問いが返ってきた。シンは不思議を棚上げにする。

「アンタは……、アンタは、……、勝手に生み出されたことが許せないの……か?」

『……――…。フ…。レイ・ザ・バレルの言葉か?』

 ラウは、ギルバート・デュランダルが、幼かったもう一人の自分に、『運命』を手渡した時のことを想い出していた。彼は泣きながら問うてきた。何故自分は……不完全に生み出されたかを。

『ならば私の憤怒を理解できるとでも言うつもりか? 傲慢だな――敗残者シン・アスカ!』

 個人情報の看破に今更驚くことはない。寧ろ心に届いたのは彼の突き放し様だった。『解るつもりか?』

「わかって『やる』よ。自分と同じ存在を雑に扱うこの組織――いや、おれ達が憎いんだろう?」

『――ほう?』

〈なに喋ってんのよシン! 全員突撃! ステラ――〉

「待て!」

 一喝が二人を黙らせた。アウルらにザフト軍の牽制を押しつけたこの空間がまるで切り取られたかのように静止する。

〈ナニ庇ってんのよっ!? アンタ、こいつっ! こいつにジュリ達殺されたんだよ!? それにこんだけ殺されかけて許してやるってどんだけハードなMなのよ!? ステラ見なさいよ! 首飛ばされてんのよ!〉

「ステラだって……あぁステラだって加害者だ!」

 その叫びは覚悟を容易く食い破った。心を貫く罪悪感。だが、言えなかったからこそ自分は道を誤った。妹にまで、血塗れの道を歩ませた。

「ステラだけじゃない……お前も、おれだって!」

 睨み据えた眼前の〝レジェンド〟は意外にも嘲笑を漏らすことなく、心を無視して暴力に訴えることもなく佇んでいる。

 シンのいきなりの剣幕に二の句を告げられなくなったライラ。そんな上官と戯言を叫ぶ同僚に何かを感じたか、〝デスティニー〟の通信機にはステラの溜息のような声が届いた。

「〝ロゴス〟を潰すってのは、叶ったんだろう? なら、生き方を変えろ。今が、その時なんじゃないかっ!?」

 敵は、まだ動かない。なればこそシンは希望を見いだし、敵と定めたはずの相手へと語りかけた。

「アンタも話を聞け! レイと、同じなんだろう? まだ、この世界ってのに、どこかで期待してんじゃないのか? だから、裏切られてアタマに来るんじゃないのかっ!?」

 静止する、切り取られた世界。消費される命に囲まれた安全圏でシンは何かに期待した。

 だがステラは、何も期待しなかった。〝デストロイ〟の五指がシンの前に割り込み砲口全てを〝レジェンド〟へと突き付ける。

「ステラ!? やめろ! そんなことは――」

〈ステラは……これしかしらない〉

「ステラっ!」

〈ステラ…かぞくしらない。ライラは、戦えって言う。ステラはライラのためにがんばる…だから、これしかできない〉

「す、ステラ……」

 轟音。言葉にそこまで衝撃があるものか。シンは頭蓋を殴打されたかのような激震を味わった。

 シンの脳裏には完璧な碁盤目状態で並び座る〝エクステンデッド〟クローンの姿が映し出されていた。シンは、正義を口にしたつもりでいた。だが、ステラにとってはそれは戯言だったのだろうか。迷う。迷うしかできない。全てを停滞させ、考えるための時間を与えるつもりだった〝デスティニー〟が二つの破壊兵器を怯えるように盗み見るしかできない。その奧で、シンは口を閉じられず、震えるしかできない。

『そうだ。全ては遅すぎる』

 轟音。厳かなる言葉のはずが心臓を殴り付けられる。おれは何に期待した? 話せば、解るか? ここまで、荒廃した世界には、もう施す術など残されていないのか?

 

 ――「ですが仕方ありません。彼らは話を聞かないのですから」

 

 レイはそんなつもりで言ったのではなかったはずだ。もちろん予言などできようはずもない。だが、それを思い出したシンは胃の奧にまで冷たいものが落ちる感覚を味わった。

〈死んじゃええええっ!〉

 〝デストロイ〟が暴力を解き放つ。〝レジェンド〟も無数の砲口を突き付ける。互いの存在を認め合わない。断絶の証が瞬きの後にぶつけられる――

 死んでもいい。

 殺してもいい。

 良いはずがない! 幾ら世界が腐っていると思い知らされても、納得できない。良いはずがない。〝デスティニー〟はその手を伸ばす。

 轟音。先程首が地に落ちた余韻が脳裏で反響しているのかと思っていたが――違う。今も現実に聞こえている。

 轟音。浮遊できるが故に見落としていた。轟音、否。音だけではない。地球が轟いている。

 その轟音が戦場を砕いた。〝デストロイ〟の撃ち出した極光をいきなり隆起した大地が飲み込む。ステラとラウが驚愕に目を見開く間にもスタンフォードがひび割れ、砕けていく

〈何これっ?〉

「わ、わからねェっ! でもこれじゃ戦闘どころじゃない。ステラ、逃げるぞっ!」

〈む……〉

 納得がいかないようだが今度はライラも説得に加わる。しかし悠長に喋っている時間など与えてはくれない。地球が、悲鳴を上げている。

 隆起した大地は直ぐさま陥没し、新たな岩柱が天を突く。反応できなかったモビルスーツ何機かが砕かれながら天空へとたたき上げられていった。数え切れないクレバスが特別刑務所を分断し飲み込んでいく。咎人を気遣う余裕などあるわけもない。恐慌する意識を必死に落ち着け目を懲らせば岩石の津波が北より押し寄せてきているのが解る。だが解ったからと言ってどうなる。惑星の絶叫に小虫程度が抗えるはずもない。

『覚えておくがいい……お前達は、既に終末に飲まれていることを』

 姿は彼方へ。それでも怨嗟は追い縋ってくる。シンは〝デストロイ〟を押しつけ〝レイダー〟に引かれながら、必死になって呪詛から逃げ出した。


 
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