「無関心の災厄」 -- 第三章 サイプレス
第二話 覚悟と電話と病院と
稲荷《イナリ》。
その名には聞きおぼえがあった。
オレの頭にはあの朱色の無限回廊が蘇った。
「……イナリってのは、この間行ってきた『伏見稲荷』とかとなんか関係あるんだよな?」
語尾が震える。
「はい。『稲荷《イナリ》』は日本古来の宗教組織を母体とし、珪素生命体《シリカ》を研究・保護する事を目的とした組織です」
政治組織でも、警察組織でもない予想外の力の介入に、オレの脳ミソはショート寸前だった。
正直、全く考えていなかったと断言してもいい。
言うに事欠いて宗教組織。
要するに、組織の母体は神社ってコトなんだろう?
ぐるぐると頭の中が混乱していく。
神社、稲荷、キツネ、珪素生命体《シリカ》、保護、研究。
「待ってくれ、白根。ちょっと頭の中を整理させてくれ」
額に手を当て、じっと床を見つめながら。
汗をかく季節でもないのに、背中がじっとりと湿っていくのが分かった。
稲荷神社の歴史を即答した白根。伏見稲荷で遭遇した望月桂樹《モチヅキケイキ》。
何より、白根に向かって京都は組織のお膝元、と言ったのは他でもない、自分だったじゃないか!
「だいじょうぶなのですか? マモルちゃん」
先輩の声ではっとした。
ぱっと顔を上げると、少し悲しそうに笑う夙夜と目が合った――コイツがこんな表情をしている時は、たいてい後ろめたい事がある時だ。
「夙夜、一つだけ答えやがれ」
「なあに、マモルさん」
「オマエ、白根の組織の事……『稲荷《イナリ》』のこと、知ってやがったな」
「うん、ごめんね、マモルさん」
ああ、もう最悪だ――災厄だ。
オレは大きくため息をついた。
何か新しい事が始まるかと思いきや、いつもどおりじゃねえか。
ビークール、口先道化師。
そこでようやく肩の力が抜ける。
落ち着いたところで、オレの隣に座っていた先輩が首を傾げた。
「アオイちゃん、どうしてワタシまで呼ばれたのですか? ワタシはリリンちゃんが消えた時も、シリウスくんがいなくなった時もいなかったはずです。何でなんですぅ?」
「篠森スミレさんに関する情報は、知らされておりません。ただし、監視の人員の選定はすでに始まっていると聞き及んでいます」
「先輩にまで監視がつくのか?!」
オレは思わず叫んでいた。
「うわあ、スミレ先輩も俺たちとおそろいだね!」
「おそろいですぅ」
「お揃いですぅ、じゃないですよ、先輩! お前も喜んでんじゃねぇよ、夙夜!」
もう一度、大きなため息。
ああもう、ここはやっぱりオレが話を進めないと何も始まらないんだろうな。
「で? その『稲荷《イナリ》』ってのは何だ。誰がいつ、どこに、何を目的に作ったんだ?」
ようやく調子の出てきたオレに、白根は淡々と返答する。
「『稲荷《イナリ》』が組織されたのはいまから67年前、創始者は千木良秀和《チギリヒデカズ》博士です」
「千木良秀和《チギリヒデカズ》? それ、珪素生命体(シリカ)を作った千木良(チギリ)博士の」
「息子にあたります」
「!」
おい、待て、いまオレ、何気にものすごい事実を聞いてないか?
珪素生命体(シリカ)を作った千木良晴良《チギリハルヨシ》生物学博士、そしてその息子が設立した保護組織『稲荷《イナリ》』。その母体は稲荷神社、ときたもんだ。
でかい話過ぎて信憑性を疑う――が、よく考えたら相手が白根だ。
コイツ自身も騙されているというわけでない限り、嘘をつくほどの器用さは持ち合わせちゃいないコイツがこれほど淡々と虚言を吐く事はないだろう。
再び思考停止しそうになった頭を抱え、オレは苦悩する。
これまでの白根を知るオレにとっては、不気味なほどにぺらぺらと組織についての情報を語る行為は警戒するに値する。
「もう逃げ場はねぇって事だよな」
つまり、『稲荷《イナリ》』とかいう組織はオレたちをとりこみにかかっている。
ここまでの情報を開示された上で逃げられるものなら逃げてみろ、と言われているような気がした。
と、その時。
ぴりりり、とその場に電子音が響き渡った。
「携帯の電話機能か?」
「あ、俺のだ」
夙夜がごそごそとポケットを探りだす。
「オマエの携帯端末が鳴るとこなんて、初めて見たぜ」
「ワタシもですぅ」
「俺も初めてかも」
この時代に、しかも一人暮らしで、携帯端末の電話機能を使わずにどうやって生きてきたのか、驚くような返答をして、夙夜はポケットから携帯端末をとりだした。
そして、着信画面を見た夙夜は硬直した。
見た事もないような無表情でじっとその画面を見下ろしていた。
着信音が鳴り響いている。
「夙夜? どうした?」
聞くと、夙夜は画面に視線を釘づけにされたままポツリと言った。
「……ごめん、ちょっとだけ電話してもいい?」
「ん、ああ、いいぜ」
自分の部屋でもないのにオレが返答し、夙夜はごめんね、と言ってソファを立ちあがった。
広いリビングの端によって――だからオレたちの聴力を過小評価しているだろう――聞こえないつもりなのか、普通の声で電話し始めた。
とはいえ、わざわざ盗み聞く趣味もない。
それでも、なんとなく、叔母さんが、病院が、という単語がいくらか耳に入ってきた。
いやな予感がする。
焦った様子で電話を終えた夙夜がパタン、と携帯端末を閉じてこちらに戻ってきた。
「どうした? 夙夜」
オレが聞くと、夙夜は珍しいくらいに焦りながら言った。
「えーと、ちょっとごめん、おばさんが怪我したみたいなんだ。すぐ、行かなきゃ」
「珂澄《カスミ》さんが?!」
夙夜の叔母の香城珂澄《コウジョウカスミ》さん。
先輩がバイトしている花屋の店長にして、国家権力(自称)だという彼女に、シリウスの事件のときにはオレもお世話になっている。
「どこだ?」
「桜崎の総合病院だって」
「だったら歩いて10分くらいだな」
どうしてだろう、この時オレは夙夜並みのカンを発揮した。
どうしても夙夜についていかなくてはいけない気がした。
「オレも行っていいか?」
「ワタシも行くのです。店長が怪我したんだったら、ワタシも行きたいのです」
「うん、分かった」
夙夜が頷いて、オレと先輩はソファから立ち上がった。
「白根、悪いんだが緊急事態だ。話の続きはまた改めて、ってことになるが、いいか?」
「構いません。ただ、今回ここで話した事は」
「他言無用っってんだろ。大丈夫だ。そこにもここにもある神社が率先して珪素生命体《シリカ》を保護する組織を作ってるって、誰に話したら信じてもらえんだよ」
そう言い残して。
オレたち3人は白根のマンションを飛び出し、珂澄さんが運ばれたという桜崎総合病院へと向かった。
覚悟。
オレがそう呼んできたモノは、きっと世間一般的に見たらちっぽけなもんだったんだろう。
自分自身で選んだ、なんて言いながら、すべて周囲に流されていただけだった。
それでもオレが折れなかったのは、隣にマイペースと先輩がいたからだ。
だから、もしオレの隣に誰もいなくなったら、オレはいったいどうするんだろう、なんて考えてぞっとする。
そんな事は絶対にないはずだ、と言い聞かせながら――
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オレにはちょっと変わった同級生がいる。
ソイツは、ちょっとぼーっとしている、一見無邪気な17歳男。
――きっとソイツはオレを非日常と災厄に導く張本人。
次→http://www.tinami.com/view/194752
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