*読むと頭が痛くなる、又は悪くなる恐れがあります。閲覧の際にはご注意下さい。
「なあ、ツッキーよ。そろそろ誰がこの世で最も美しいか雌雄を決する時が来たんじゃないか? つまり、この俺が美の頂点に正式に君臨する瞬間が。フッ」
「キョンキョンよ。それは即ち、世界で最も美しいこの私に敗北を認めて跪く用意ができたということかね? フムッ。よかろう。貴様の土下座、しかと見届けてくれよう」
男には戦わなければならない時がある。
それが、第三者から見ればどんなに愚かな行為であっても。当事者にでさえ何故戦うのかよく分からない場合でも。
短編 耽美なる決闘 ツッキーとキョンキョンとじじい
*モデルとおぼしき本人からの苦情は受け付けません。賞賛なら構いません。
寒風吹きすさぶ11月末の校舎の屋上。
2人の男が裸(ら)で対峙していた。
1人の男は銀色に輝く長髪を風になびかせながら口元に真紅の薔薇を咥えていた。
男が身に着けているのはそれだけだった。しかし男にとって薔薇は立派な装束だった。
もう1人の男は黒の短髪を風に揺らせながら両手を胸元に当てて撫でていた。
男が身に着けているのはボタンが全て外され前が全開にされた白いワイシャツのみ。しかし男にとって全開ワイシャツは立派な装束だった。
ちなみに男たちは何故裸(ら)なのか。
それは吹き荒ぶ強風が男たちの衣装を吹き飛ばしてしまったからに他ならない……多分。
「キョンキョン。この世で一番愚かなる男よ。この私が真なる美とは何か全力をもって示しているというのにまだ負けを認めぬとは。フム。貴様の脳はよほど腐っていると見える」
長髪の男が咥えていた薔薇の花瓶を短髪の男の眼前に突きつける。
だが、短髪の男は突きつけられた薔薇をもっきゅもっきゅ♪と食べてしまった。
「愚かなのは貴様の方だ、ツッキー。薔薇に頼らねば己の美しさも表現できないお前などに俺が負けると思うのか? そんなことも分からぬ愚か者が我がライバルとはな。フッ」
2人の男達の視線が交錯し、激しい火花が飛び散る。
2人とも下半身が完全な裸(ら)のまま。
耽美の求道者に服など己が美貌を妨げる物でしかない。あくまでも本人的には。
「お前たちぃっ! こんな寒い中に裸で何をやっているのだぁっ!」
2人の視線による対峙が5分程続いた頃、竹刀にジャージという如何にも姿をした禿頭に髭ボーボーというこれまた如何にもな風貌をした体育教師が屋上へと登ってきた。
2人は大声でがなり散らす中年男性教師の姿を見て嫌悪感を露にした。
「我々の神聖なる決闘を邪魔するとは何とも下賎な醜男よ。直ちにこの場を去れ!」
「フッ。先生。男と男の究極の美を賭けた決闘を邪魔しようというのは野暮ですよ」
2人はそれからすぐに顔を向き合わせると美しくない教師の存在を忘れた。今はただ、己が最強のライバルとの決闘のことだけで頭が一杯だった。でもそれ以上に自分がどうしようもなく愛おしい。
「わしを無視するなぁっ!」
そんな2人の間に割って入る中年男性体育教師(45歳独身、お見合い連続45回失敗)。
「先生も俺達の美男子頂上決戦に加わりたいと言うのですか? しかし、フッ」
「自分の顔も鏡でろくに見たこともない不細工が身の程を知れ」
「わしが言いたいのはそういうことじゃな~いっ!」
冷ややかな瞳で見つめてくる生徒2人に男性教師の怒りは爆発する。
「屋上に全裸で立っている生徒がいると近所から苦情が届いたんだ!」
「苦情?」
「それはまた奇妙な」
ツッキーとキョンキョンは顔を見合わせながら首をかしげた。
「世界で一番美しい私と、私よりは美しさで劣るが世界で2番目には美しいであろうキョンキョンが真なる美を晒しているのだ。賞賛の声こそあれ、苦情など来るはずがない」
「確かに世界で最も美しい俺と、俺には劣るものの2番目に美しいツッキーが脱いでいるのですから苦情が来るとはおかしな話です」
2人の目は美しくない教師が嫉妬心から世迷言をほざいているという色を湛えていた。
「お前たちが無造作に脱ぎ捨てた衣服のせいで、窒息しかけたという子供と老人の家族が怒鳴り込んできたんじゃ!」
2人は再び視線を合わせた。そして同時に頷き合う。
「この世界で一番美しい私の身に着けていた衣服の残り香を嗅ごうとつい肺の中の空気を溜めすぎてしまったのだな。わかるぞ。わかりすぎるぞ」
「衣服だけでさえ他人を別天地に連れていってしまいそうになるとは。ああ、俺は何て罪深い人間なんだ。フッ」
2人は大げさに悲しんで見せている。いや、心の底から悲しんでいる。彼らにとって自分達の衣服が世に放たれてしまえばどうなるかはいつも脳内でシミュレートされていた。そして脳内シミュレートの結果以外は受け付けなくなっていた。
「単に強風のせいで顔に張り付いた服がとれなくて窒息しかけただけじゃ!」
「そんな戯言、真実を語るのが恥ずかしくて捏造しただけのものに決まっていようぞ」
「この世知辛い現代社会、真実を告げることができる領域はごく限られていますからね」
2人の中の真実。それは誰に何を言われようと変わることはない。何故なら2人は共に自分のことをどうしようもない程に愛しているから。だから全然美しくない他人の言葉など聞き入れる筈がなかった。
「貴様ら2人共、今すぐ教員室に来いっ! 説教してやる!」
怒髪天を衝く体育教師。もっとも天を衝こうにも頭髪など最初から存在しないのだが。
そして体育教師の言葉には懲罰の思惑もあった。裸のまま校舎内を歩かせて、女子生徒や教職員に裸を見られれば流石に恥ずかしいだろうという思惑が。
「フム。この学校の美しくない女共にも本当の美とは何であるか見せ付けてやるのも良いかもしれんな。早速参ろうぞ」
「フッ。女性は高みを目指すほどに美しくなるもの。俺という存在が彼女たちの美しさに磨きを掛ける為の触媒となるのなら喜んでこの肉体を提供しよう。さあ、行きましょう」
しかし、ナルを極めた2人に体育教師の思惑など通じる筈もなかった。美を隠す理由などこの世のどこにも存在しない。全裸のまま誇らしく階段を下りていく2人。
それを見て教師は
「駄目だこりゃ」
と呟くしかなかった。
2人は職員室で体育教師の説教を受けた。
だが2人はその最中も威風堂々とした態度を一切崩さなかった。
途中、女子生徒たちが教員室にプリントなどを届けに足を運んで来たが、2人は一切動じなかった。というか、誇らしげに立っていた。むしろ、誇らしげに見せ付けていた。
「もうお嫁にいけない」と泣きながら教員室を出て行く純情な女子生徒もいた。しかし2人にとってその行為は真なる美に初めて接触した者が受けた衝撃としか考えなかった。
一方、「ハッ」と2人の姿を見て鼻で笑う派手な見た目の女子生徒もいた。しかし2人は眼球と心が腐っているだと思い相手にしなかった。
社会的な制裁を加味した筈の説教は何の役にも立たず、先に白旗を掲げたのは教師の方だった。
「お前たち、そんなに全裸でいるのが好きか?」
「我々は真なる美を体現しているだけだ」
「人を変態露出狂みたいに言わないで下さいよ。失敬ですな」
教師はどこが違うのか問い質したかった。が、どうせ時間の無駄になるだろうと思い直してしなかった。それはとても賢い判断だった。聞けば頭が痛く、いや、悪くなる。
「そんなに裸で決着を付けたいのなら銭湯でも行ってケリを付けてこい」
教師にとっては匙を投げただけの言葉に過ぎなかった。
しかし、2人はその言葉に大きな衝撃を受けた。全身をワナワナと震わせている。
「フムッ。私の美を引き立たせる為の不細工としてしか存在価値がないと思っていたが、やはり教師ということか」
「銭湯で決着とは全く考えもしませんでしたよ。流石は先生ですね。フッ」
教師にとっては、自分の意見が初めて肯定的に受け取られたという嬉しさよりも、何故2人が衝撃を受けているのか理解できないことの方が気掛かりだった。
「公共の場所で裸になって良い場所が銭湯以外のどこにあると言うのだ?」
「何を戯けたことを! 全裸とは盛装。私という人間をこれ以上美しく着飾らせることなどできん。よって、如何なる場所でも私は盛装で通しているのだ。普段みすぼらしい格好で暮らすことに我慢するこの俗世間の方がおかしいのだ!」
「世の中にはネクタイを締めていないと参加不可能な会合があるのも確かです。そういう場合にはきちんと全裸にネクタイを締めますよ。主催者の顔に泥を塗るような反社会的な真似はしませんよ。フッ」
2人は髪を掻き揚げて爽やかに微笑んでみせた。それ即ち、自分たちはいつ如何なる時でも最高の装束を身にまとっているという自信の顕れ。バカに付ける薬はいまだ開発されていないのが人類的に実に惜しい。誰か早く作って欲しい。
「全裸の部分を気にしろと言っているのだぁ~っ!」
教師は吼えた。
しかし、決戦の場を得てしまった2人は既に教師の話を聞いていなかった。
「行くぞ、キョンキョンよ。我らが決戦の舞台へ」
「先生はヅラでも被ってその寒そうな頭をいたわってやって下さい。それでは」
勝手に教員室を出て行く2人。
全裸のまま誇らしげに玄関に向かっていく2人を見て体育教師(彼女いない暦45年)は
「駄目だこりゃ」
と呟くしかなかった。
放課後、ツッキーとキョンキョンは銭湯『高田湯』の前に立っていた。
最近では大変珍しくなった昔ながらの銭湯。その古式ゆかしい建物の上に聳える大きな煙突が2人を出迎えていた。
「フム。銭湯で決着とはいささか雅に欠けるが」
「風呂で決闘なら、凍える心配はないしな」
勿論、2人とも全裸であった。
街の中を裸(ら)で歩くことに2人は一切の抵抗を持たなかった。もう言う必要もないだろうが2人は誇らしげに街を歩いて来た。人通りが最も多い大通りを、だ。
途中、警察から8度ほど呼び止められた。
しかし2人は自分たちのファンなのだろうと思い特に気にしなかった。
婦人警察官から書類にサインを求められたことも4回ほどあった。
しかし2人は自分たちの熱烈なファンなのだろうと思い特に気にしなかった。
気が動転した婦人警察官から威嚇なしの発砲を受けたことも2回ほどあった。
しかし2人は自分たちのヤンデレファンなのだろうと思い特に気にしなかった。
誇らしく歩く彼らに罪の意識、他人様の迷惑になっているという意識は全くない。こいつらに幾ら訴えても聞きやしない。
こうして2人は堂々とした態度を崩さぬまま目的地へと到着した。
しかし、一見無敵にも見える全裸にも限界はあった。
それは、酷い寒さには耐え切れないという問題だった。
確かに冬山で遭難した時は裸で抱き合うのがお約束。
裸でいれば体の表面の体温を上げるように体内のメカニズムが働く。その為に下手な薄着よりも保温効果が高いのは科学的にも立証されている。ような気がする。
だが、全裸の保温力にも限界はある。
寒さが保温力の限界を超えた時、全裸は無力となってしまう。
無力となった全裸は鳥肌という降参の意を示してしまう。
それは、美を追求する2人にとって決して許されるものではなかった。
凍りつけになって凍死してしまうのは2人にとって別に構わないことだった。氷のアートになったようで美しいから。だが、鳥肌が立つのは許せない。美しくないから。
そんな2人にとって、冬でも己が美を損なうことなく戦える最適な場所。
その名は銭湯。
それは、まさに神が作りし美の頂上決戦の闘技場(コロシアム)。
2人の男の決戦の時は今っ! 恥の頂上決戦の時は今っ!
「仏よ……私は美しい」
ツッキーは壁面に描かれている富士山と太陽に向かい目を細め眩しそうに見上げていた。
勿論、全裸で、だ。
天井からの照明の明るい日差しに照らされ、ツッキーの裸身は光り輝いている。勿論その行為に何の意味もないことは今さら言うまでもない。
「随分と余裕だな、ツッキー」
石鹸で髪を洗い終えたキョンキョンが髪の水分を手で拭い落としながら話し掛ける。
勿論、全裸で、だ。
2人の所持金は合わせても銭湯の入場料を支払うのが精一杯。シャンプーを買うような金銭的な余裕もなかった。だから1つの石鹸を共有している。2人はドが付く貧乏。
『色男、金と力はなかりけり』の川柳の文句を忠実に守る2人は金とは無縁の生活を送っていた。寒風が入り込み、雨漏りがひどい4畳半ぼろアパートの隣室同士を借りて2人は住んでいる。近所からは『キン肉ハウス』と陰口を叩かれているボロ物件に。
だが、彼らは自分たちの居住環境に満足していた。鏡さえあれば彼らは他に何も望まない。1日中、世界で一番美しいと固く信じて疑わない自分の姿さえ見ていればそれで幸せ。
単に、1日中鏡ばかり見て働かないので良い物件に住めないという話でもあるのだが。
「それではそろそろ雌雄を決しようぞ。私よりは美しくないキョンキョンよ」
「それは構わない。で、どうやって決着を付けるんだ? 俺よりは美に劣るツッキーよ」
2人は決闘の方法を全く考えていなかった。その場のノリと思い込みだけで生きる彼らにとって綿密な事前計画など生きていく上で不要だった。というか計画なぞ立てられない。
「フムッ。ならば私がこの世で最も美しい決闘方法を考えてみせようぞ」
「フッ。常日頃世の憂いを考えている俺の方が素晴らしい決闘方法を考えてみせるさ」
2人は思い思いのポーズを取りながら決闘方法を考え始めた。
しかし2人共、すぐに考え事をしている自分の美しさに酔ってしまいアイディアが少しも浮かんで来ない。それは耽美を追求する者の誰もが陥ってしまう宿命というべき罠。ナルの性。
そして何のアイディアも出ないまま1時間の時が過ぎた。
だが、2人は幸せだった。とても幸せだった。
「考える私は美しい……」
「物思いに耽る、アンニュイを湛えた俺。フッ」
自分に酔える材料さえあればそれで幸せだった。ナルなんて所詮はそんなもの。期待する方が間違っている。
だが、その幸せは打ち破られる為に存在していた。というか打ち破れ。
「若いのにその堂々とした脱ぎっぷり。主ら、裸族、じゃな?」
突然声を掛けられ夢想の世界から戻って来た2人。彼らの目の前にはよぼよぼのじじいが立っていた。
勿論、全裸で、だ。
じじいはどうやって立っているのか不思議なぐらいよぼよぼだった。しかし、誇らしげな表情と態度で威風堂々と立っていた。まるでツッキーとキョンキョンのように。
「フム。じじい、我々が裸族とはどういうことだ?」
「というか裸族って何なんだ?」
2人は何故かじじいの存在と言葉に心惹かれていた。それが何故なのかは自分たちにも分からない。ただ、その存在を無視できなかった。美とは無縁のよぼよぼのじじいにだ。
「裸族とは人類の革新、ニュータイプとも言える存在。2千年前からその存在は確認されている人類の突然変態異であり、脱ぎたがりをその特徴としている」
「ニュータイプなのに2千年前からいるのか?」
「突然変異体ではなく、突然変態異なのか?」
じじいは2人の疑問を軽く流す。2人が教師の説教を聞き流すぐらい軽快に。
「普通の人類は暑いから服を脱ぐ。しかし裸族は脱ぎたいから暑がる。脱ぐタイミングを常に全力で探しておる。そこにニュータイプとオールドタイプの決定的な差があるっ!」
「それは決定的な差なのか?」
「私は暑かろうが寒かろうが最初から服など着ないぞ」
3人の会話を聞いて男湯に入っていた他の客たちは足早に去っていった。これ以上聞いていると頭が腐ってしまいそうだったから。子供は特に優先的に避難させられた。日頃の避難訓練万歳。
「そしてお主ら、その裸族の中の裸族、裸王を決める戦いに挑みたいのじゃな?」
じじいの目が鋭く尖った。だが、そんなじじいを見ながら2人は大げさに首を横に振ってみせた。
「おいおい、じいさん。俺たちは別に世紀末覇者になりたい訳じゃないぜ。フッ」
「フムッ。このじじい、全く人の話を聞かんな。他人の言葉に耳を傾けぬとは嘆かわしい」
唯我独尊、傍若無人×3。
この3人、実によく似ていた。似過ぎていた。神がこの3人を巡り合わせてしまったのは何かの悪意か試練としか思えない。勿論、銭湯の営業にとっての。
「そして裸王を決める決闘方法といえば…………古来より伝わる温泉ファイトしかないっ!」
じじいの背後に雷が落ちる。
「何ぃっ、温泉ファイトだとぉ~っ!?」
口を大きく広げながら大げさに驚いてみせるツッキー。この光景を小さな子が見ていたら、親は確実に見てはいけませんとたしなめているだろう。たしなめないのは親としてどうかしている。昨今の日本ではまず親世代の教育が重要だろうと思う今日この頃。
「知っているのか、ツッキーっ!?」
目を大げさに見開きながら反応するキョンキョン。この2人、すごく息がピッタリなのは今更言う必要もない。
一番にならないと気が済まない重度のナル同士が近親憎悪しているだけなのも言うまでもないだろう。
「ああっ。およそ裸(ら)に覚えのある者なら聞いたことがあるであろう究極の決闘法だ」
ツッキーは天井を見上げ遠い目をしてみせた。
「温泉ファイトの起源は古代中国、後漢朝末と言われている。世は乱れ、群雄たちが互いの覇を競っていたあの時代。多くの英雄たちが武を競い、己が肉体の強靭さを見せつけあう裸(ら)の覇を競う時代でもあった」
多くの三国志ファンを敵に回しそうな危険な台詞だったが、解説モードに入っているツッキーは一向に気にしない。解説モードに入っていなくても気にしないのだが。
「裸(ら)の覇を巡る戦いは温泉の中でも起きた。だが、温泉の中に武器を持って入るなど無粋極まる行為。そこで編み出された決闘法が温泉ファイトであった」
キョンキョンは劇画調の真剣な表情でツッキーの話を聞いている。聞かんで良いのはもう言うまでもない。
「温泉ファイトのルールは単純明快。温泉という場を生かしてどちらがより漢らしさを演出できるか競い合う。ただそれだけのこと。だが、その単純さゆえに勝負は過酷を極めた」
ツッキーが拳を硬く握り締めう。そんなツッキーを見ながらじじいがウンウンと頷く。
「時の皇帝の前で開かれた御前試合ではあまりにも激しく漢アピールがなされた為に皇帝はノイローゼになってしまったという。その為皇帝は漢らしさと対極にある宦官を周囲に大量に登用し、それが原因で漢朝の滅亡が一気に進んだことは中国史を学んだことがある者なら誰でも知っていよう」
ツッキーは切なげに顔を伏せた。
「大豪族の袁紹が宦官の大量粛清を行ったのも、裸王の覇を唱えんとした奴にとって漢らしくない宦官は生理的に許せなかったからという裸(ら)を巡る歴史の悲劇のひとつだ」
「温泉ファイトは、歴史を動かすほどの過酷な決闘方法という訳か……」
ツッキーの話を聞きキョンキョンの体が震えだしていた。
「怖気づいたか、小僧?」
じじいは挑発的な笑みを浮かべた。、
「フッ。何を言っている? 俺は怯えているんじゃない。俺という存在を最大限に生かせる決闘方法に巡り合えたことに武者震いを覚えているんだ」
キョンキョンもまた挑発的な笑みを返してみせた。
「ならば、受けて立つが良い。最強の裸王決定戦、温泉ファイトをっ!」
「「おおっ!」」
じじいはぷるぷる全身を震わせながら拳を突き上げた。
ここに温泉ファイト、またの名を変態王決定戦が開催される運びになった。
「さあ、みなさんお待ちかね。温泉ファイトの時間がやって参りましたのじゃ!」
湯船の中で立ち上がっているじじいがマイクパフォーマンスで場を盛り上げる。
勿論、全裸で、だ。
とはいえ、現在男湯にはツッキーとキョンキョンとじじいの3人しか存在しない。みんな出て行ってしまったので観客などはなから存在しない。
「ルールは簡単じゃ。この風呂というシチュエーションを生かして最も漢らしさをアピールできた者が勝ちじゃ」
じじいが鋭い目つきでツッキーとキョンキョンに目を向ける。2人はゆっくりと首を縦に振った。
「美と漢では多少ニュアンスが違うがそれでも構わん。それぐらいのハンデがなければキョンキョンには万に一つも勝ち目がなくなってしまうので面白みに欠けるからな」
「既に負けた時の言い訳とは。よほど自信がないようだな、ツッキーッ!」
激しく火花を散らす2人。
勿論、全裸で、だ。
「2人とも、やる気はマックスハートのようじゃな」
じじいの問いかけに髪を掻き揚げて答える2人。
「それでは裸王決定温泉ファイト、レディ~GOッ!」
じじいが拳を突き上げ温泉ファイトの開催を宣言する。
その宣言と同時に2人は動いた。
「フッ。イケメンフラッシュッ!」
「食らえっ! ビューティフルワキワキっ!」
キョンキョンの顔とツッキーの脇から正体不明の謎の怪光線が飛び出す。
互いを攻撃する為に。ではなく、じじいに向かって。
戦いの邪魔になりそうなじじいを滅ぼしに。
絵的に最も汚いものを視界上から消滅させるために。
だが……
「甘いぞっ! 小僧どもぉっ!」
「「何ぃっ!?」」
じじいは2人の攻撃が自分に向かってくることを予期していたかのよう両腕でビームを弾いてしまった。
何故、顔や脇からビームが放てるのか、何故怪光線による攻撃を素手で弾けるのか。
深く考えてはいけない。感じるんだ。
考えても頭が変になる以上の成果はない。
「現裸王であるわしの力、貴様らひよっ子どもにとくと見せてくれようぞぉっ!」
じじいが目を大きく見開いて体に力を入れながら野獣のようなうなり声を上げ始める。
すると、湯の振動と共にじじいの体に変化が生じ始めた。
「うぉおおぉおおぉおおぉおぉっ!」
浴槽の水分を吸収しながらじじいの体が膨張を始めたのだった。水分を吸収した増えるワカメが大きく膨らむがごとく。
メカニズムとか考えても無駄なのは今更言うまでもない。
ただ確実なのは、現裸王を名乗るじじいが身長2m50cmを超える巨漢のマッスルボディーへと変貌を遂げた。ただ、それだけが真実だった。
「貴様らにぃ、真の漢の何たるかを知らしめてやるぞっ!」
マッスルじじいは象の足を髣髴とさせる太い腕を振り上げ、一気に打ち下ろした。
「「クゥッ! …………?」」
2人に…………ではなく、壁に向かって。拳と壁がぶつかる轟音と共に建物全体が振動する。
「気でもふれたか、じいさん?」
「如何に風呂の力を借り体を巨大化させようとも寄る年波に頭の方は耐え切れん訳か」
2人にはマッスルじじいの行動が理解できなかった。
「そうではない。このアホォどもがぁっ!」
2人の言葉を否定しながらもじじいは懸命に拳を壁に向かって振り続ける。
そして6回目の拳が振り下ろされた時、壁はじじいの拳圧に耐え切れなくなってその体の一部に拳大の穴を開けた。
穴の先には男湯とよく似た作りの世界が広がっていた。
そして
「キャア~!」
穴の先から女性たちの悲鳴が聞こえた。
それ即ち、穴の先は女湯であることを示していた。
「じいさん……あんた一体、何をしている?」
「やはり基地の外のようだな、このじじい」
呆れ顔の2人。2人に穴を覗く気は全くない。
2人にとって自分より美しくないものにさして興味はない。従って、女湯へのゲートが開かれた所で何ということはない。決してモラルとか倫理とか道徳による判断でないことだけは彼らの不名誉の為にここに断言しておく。
「だから貴様らは馬鹿なのだぁっ!」
穴をガン見しながらマッスルじじいが吼える。
「わしが何をしているかだとっ!? そんなもの、漢のロマン、覗きに決まっておるだろうがぁっ!」
マッスルじじいは自らの犯罪を自白し始めた。銭湯の親父はとりあえずMP3でじじいの話を録音することにした。後で裁判所に証拠として提出できるように。
「だが、じいさん。女湯を覗けばパラダイスというのはあまりにも思考が短絡的だ」
「銭湯の女湯といえばばばあどもの集う場所。その光景は美とはかけ離れていよう」
2人はマッスルじじいを鼻で笑った。だが……
「だから貴様らは馬鹿なのだぁっ!」
マッスルじじいは更に大きな声で吼える。
「銭湯がばばあどもの集う場所? そんな戯言、穴の先をよく見てからものを言え!」
マッスルじじいがあまりにもうるさいので、仕方なく2人は穴を覗いてみる。
「「なっ、何ぃっ!?」」
穴の先には少女や若い女性が当惑して忙しなくあちこち動き回っている姿が見えた。
「夏野美緒ちゃん17歳、美鼓ちゃん15歳の町で噂の美少女姉妹っ! 秋野楓ちゃん18歳、椛ちゃん10歳のテレビでも取り上げられた年の差仲良し美少女姉妹っ! 冬野美香さん23歳、美奈さん21歳の美人お姉さまOL姉妹が入浴中である目算ぐらいつけて壁を壊したに決まっているだろうがっ!!」
マッスルじじいは穴を覗きながら全身の血を更に滾らせている。最低だ、このじじい。
「じいさん……何故彼女たちが女湯で入浴していると分かった?」
「じじい、まさか貴様には予知能力があるとでも言うのか!?」
無駄に劇画調で盛り上がる2人。その前にマッスルじじいの覗きを止めろ。
「そんなこと、わしが今朝、夏野家と秋野家と冬野家の風呂を破壊したからに決まっているだろうがぁっ!」
「「何ぃいいいぃっ!?」」
じじいの新たな犯罪暦自白。勿論録音されている。
「じゃあ、彼女たちの家の風呂を壊したのも、俺たちの争いに付き合って男湯に残り続けたのも、マッスル化したのも、全ては覗きの為の一貫したプロセスだったというのか?」
「じじい、何がそこまで貴様を駆り立てている?」
マッスルじじいは2人の若者を見ながら優しげに、そして楽しげに笑ってみせた。
「大志を抱き、人生最高の瞬間を迎えるためにあらゆる努力を惜しまない。真に輝いている漢というのはそういうものじゃろうが」
マッスルじじいの言葉を聞いてツッキーとキョンキョンは膝を折って浴槽に崩れた。
「俺たちの……完敗だ」
「美を極めた筈のこの私が、まさかこんなじじいに敗れようとは……」
それは、ゴーイングマイウェイが止まらない2人にとって人生初の敗北の瞬間だった。
これを契機に少しは真人間になって欲しい。
真人間に。んっ?
「顔を上げて立ち上がるがよい、未来溢れる若人たちよ」
なんか、マッスルじじいが余計なことを言い始めた。
今、あの2人には完膚なきまでの自己否定が必要だというのに。全てを否定しての再生が必要だというのに。
「主らの裸力(らりょく)はわしに匹敵するなかなかのものじゃった。じゃが、風呂というシチュエーションを生かしきれなかった。それがわしと主らの差。人生経験が長い分、わしに一日の長があったというだけのことじゃ」
マッスルじじいが手を取り、2人の若者を立ち上がらせる。
それは2人にとって人生のやり直しの機会が失われてしまったことを意味していた。
本当にいい迷惑だ、このじじい。
「じゃあ、俺たちも経験を積み重ねていけばじいさんのようになれるんだな?」
「私の美には、まだまだ極める余地があるということだな?」
ほらっ。馬鹿がまた増長し始めた。
「主らの可能性は無限大。世界の次代の裸(ら)は主らに任せるぞ」
「ああっ、任せてくれっ!」
「この世最高の美に辿り着いてみせようぞっ!」
こうして、裸王決定戦、温泉ファイトはナル馬鹿どもを更に調子付かせるだけという最悪な結末を迎えることになった。
「世界の未来を、裸(ら)を頼んだぞ、ツッキー、キョンキョン」
温泉ファイトの勝者じじいがゆっくりと銭湯の門を扉を出て行く。
後ろ手に手錠を嵌められ、2人の警官に肩を掴まれながら。
「銭湯の主人の話によると、このじじい、覗きの常習犯なだけでなく、住居不法侵入及び器物破損など、多くの余罪があるみたいです」
「じいさん、あんた生きてこの町に戻ってくることはなさそうだぜ」
「ふっふ。成すべき事は全てなした。我が人生に一片の悔いなしじゃ」
じじいは晴れ晴れとした表情でパトカーへと乗った。
もう2度と出会うことはないであろう、未来を託した2人の若者の顔をそっと横目に見ながら。
勿論、全裸で、だ。
「さて、俺たちもそろそろ行くとするか」
「フム。鳥肌が立たぬ前に去るとしよう」
ツッキーとキョンキョンがゆっくりと銭湯の門を扉を出て行く。
後ろ手に手錠を嵌められ、2人合わせて4人の警官に肩を掴まれながら。
「また今回も君たちかね?」
パトカーの前には小太りの中年警察官が立っていた。
「ゴンザレス署長、わざわざご苦労様です」
「ゴンザレスよ。出迎え大儀であった」
立っていたのはこの街の警察署の署長だった。
ちなみにゴンザレスとはツッキーとキョンキョンが付けた彼のニックネームであり、本名ではない。
署長はこのニックネームを嫌がっているが、何度注意しても呼び方を変えないので最近は諦めて何も触れない。
「もう説明した回数も3桁目に入っているから言わなくても分かると思うけど、罪状は猥褻物陳列罪及び公務執行妨害。とりあえず今日も署の方でゆっくり泊まっていきなさい」
署長は2人の背中を押してパトカーへと乗せる。
「真理を説こうとすると権力はいつも妨害する。フムッ、これも美しき者の定め、か」
「今夜も隙間風の心配をしなくて良さそうだな」
2人は既に乗り慣れたパトカーの後部座席に座って今夜の宿泊先へと向かう。
勿論、全裸で、だ。
「2人とも、今日はやけに楽しそうに見えるが何か良いことでもあったのかね?」
助手席から後部ミラー越しに見える2人の表情は普段よりも楽しそうに署長には見えた。
「強敵(とも)と出会ったのですよ。フッ」」
「そして、二度と会えない筈の強敵(とも)と再び巡り合えそうなので。フムッ」
署長には2人が何を喋っているのか理解できなかった。
だが、2人が楽しそうにしているのでそれ以上の言及はしなかった。
12月の満月が、漢たちの裸身を優しく照らしていた。
了
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