クラウン国際空港 NK
γ0057年11月20日
11:21 A.M.
『SVO』の3人、太一、香奈、一博は、『NK』の空の玄関口となる空港へと降り立っていた。
隆文達と別れてから一日、非常にスムーズに事を進めた彼らは、翌日には『NK』へと降り立
っていた。
「どうやら、ここまでは無事に辿り着いたようだが」
到着ロビーへと抜けてきた所で一博が呟く。彼の口調は意味とは裏腹に、まだ警戒心が残っ
ている。
「本当、色々な事がありすぎて、まるで一年も経ってしまったかのよう」
香奈も思わず呟く。彼女の声の方が安心感があった。
「ああ、そうだな」
太一の声など、まるでまだ任務続行中であるかのようだった。
3人は『NK』行きの航空機の乗客に紛れ込み、ここまでやって来た。『ユリウス帝国』では人
種の違いからあまりに目立っていた3人だが、だが今は違う。周りを見れば、『NK』の人間ば
かりだ。
太一を先頭とし、3人は空港の玄関口にまでやって来る。大きなガラス張りの構造になってい
るホールでは、多くの人が行き交い、空間には光で作られた画面が現れていた。
絶えず多くの情報が流れ続け、雑踏が賑わう。例え『ユリウス帝国』でテロだという事件が起
こり、世界が緊張していても、ここは人の波が絶えていなかった。
ホールには、ガラス張りの大画面の窓から西日が差し込んできている。『NK』は『ユリウス帝
国』の時間帯と同じ、午前中だった。
玄関ホールを横切り、出入り口へとやって来た3人。そのまま空港から出て行こうとしたが。
「ん?あれは?」
一博が誰かに気が付いたらしく脚を止める。彼の視線は、出入り口付近のベンチに座ってい
る一人の人物へと向いた。
「どうしたの?」
香奈が尋ねる。その声に、ベンチに座っている者の方も気が付いたらしい。
「登、じゃあないか!」
一博はそう言い、座っていた人物が答えるよりも前に、彼の名を呼んでいた。
ベンチに座っていた男はそこから立ち上がり、3人の方へと近づいてきた。登と呼ばれたそ
の彼は、特に驚いた様子もなく、慌てた様子もなく、感情を表に出さないかのような表情で近づ
いてくる。
「やあ、よく無事で帰ってきてくれたね」
彼は静かな声で言った。
登は、太一達と同世代で歳も変わらない。しかし『NK』の若者としてはかなり派手な格好をし
ていた。
ロックミュージシャンのごとく、金具を散りばめた上着を、ナイロン製のズボンと共に着てい
る。しかも開け放たれた上着の下は何も着ていない。小柄だが、引き締まった肉体が覗けた。
髪は短かったが上に逆立て、黒髪の中に青い色が混ざっている。
顔には目立つくらいにピアス穴を開けていた。肌の中に光る物が多い。
そんな登だが、身長は一博や太一よりも全然低く、体で圧倒するような迫力はなかった。
「君こそだ。なぜ、俺達の出迎えなんかを?」
太一がやって来た登に尋ねる。
「それは、原長官がそうするように言ったからさ…」
登は答えた。彼と一博にはどこか話し方に似ている所があった。
「わざわざ君が出向いてくれるとはね?」
と、香奈が言う。
慣れ親しんだかのように3人と会話をする登。という事が許されている相手は、『SVO』のメン
バーにとっては、仲間以外には原長官だけだ。
紛れもなく、登も『SVO』のメンバーの一人だった。
「君達はまだ知らないかもしれないけれども、あの人はもう、いつ逮捕状が出て逮捕されてもお
かしくない状況なんだよ」
登は彼女の方を振り向いて言った。
「本当か?」
と、太一。
「『ユリウス帝国』側は、僕らと原長官の関係を突き止めたんだ。つまり原長官は、テロリストと
される僕らに加担をした人物というわけさ」
「そ、それは大変ね。それで、あたし達はどうすれば」
「原長官が迎えの車を遣してくれた。それで、原長官の所へと向かう。指示を仰ぐそうだ」
登が、空港の出入り口の外の方を指差した。迎えの車がそこにいるのかどうかは、タクシー
などが数多くあって分からないが。
「あの人は今、どこに?」
そう尋ねたのは一博で、
「身を隠す場所へと向かっているはずだ」
防衛庁本部
11:42 A.M.
原防衛庁長官は、自分のオフィスの中に、まるで忍び込むかのように入り込んでいた。
正確には、まだそのようにする必要はない。部屋の外にいる秘書も、自分がここにいる事は
知っているくらいだ。
原長官は自分がもうすぐ、悪ければ今日にでも逮捕されるという事を誰よりも自覚していた。
誰かに見張られているという気配も感じ取っている。防衛庁長官という役職にある限り、自分
の居場所は誰かには知られているのだ。
今も誰かが見ているのか。覗かれているのか。
身を隠すのならば、早い方が良かった。彼はそうするつもりだったが、まだやり残した事がこ
こにはある。
それを済ませてから身を隠すつもりだった。
防衛庁長官である自分が、逮捕を避け、身を隠す。世間は大騒ぎになるだろう。それよりも
前に、そんな事自体ができるのかどうかが無謀だが、彼には得意のコネがあった。それを利
用する。
完全に行方を眩ます事はできなくとも、必要なだけの時間は稼げるはずだ。
とにかく、『SVO』に新たな任務を引き渡す。その為にも、このオフィスには戻ってくる必要が
あったのだ。
原長官は極度に緊張していた。何かの物音が聞こえてきただけで、思わず飛び上がりそうに
なる。
自分が逮捕されるという事。それは、『SVO』に最初の任務を与えた時から、自分自身でも
覚悟していた事だ。
だがいざ、自分が犯罪者呼ばわりされるようになるのならば。
自らで築き上げてきたキャリア。それを全て台無しにし、犯罪者にさせられる。それを果たし
て耐える事ができるか。
しかし原長官は、自分自身に何としてでも言い聞かせようとする。
今は、キャリアだの、そういった事を言っている場合ではないのだと。
彼は、鍵つきの机の引き出し中に、更に金庫の中に入れて隠していた、『SVO』の情報の入
った記憶媒体を取り出そうとした。
「はい? どなたでしょうか?」
と、オフィスの外から聞こえてくる秘書の声に、原長官は思わずどきりとし、開いていた引き
出しを慌てて閉じた。
誰かが来たらしい、カーペットを踏む足音が聞こえてくる。
「ハラ長官に話があるの。ここを通して頂戴」
聞こえてきたのは、かなり低い女の声。いや、重要なのはかなり訛った『NK』の言葉だったと
いう事だ。
外国人がここに来ている。
「只今、原長官はいらっしゃいません。後日またいらして」
秘書がそのように言いかけた時だった。
「そう言うように言われているんでしょ? 大事な用ならこっちもあるのよ」
彼女の言葉を遮り、外国人の女は部屋の方に迫ってくる。
「あ、あの、困ります! 誰もいれてはならないと!」
秘書が言い終わるのよりも早く、オフィスの扉は開かれた。
随分と荒々しい扉の開き方だ。原長官のオフィスの大きな両開き扉は、激しい音と共に左右
に開かれる。
「ほら、いたじゃない」
そう言い、堂々とオフィスの中に入って来たのは、大柄な褐色肌の女だった。身長が原長官
よりも高いだけでなく、体つきも頑丈そうな女が現れた。
そして彼女は、白いフード付きの黄色い『帝国軍』の軍服を着込んでいる。
さらに、入って来たのはその女一人ではない。もう一人、彼女の背後から一回り小柄な褐色
肌の女が歩いてくる。そちらの方の女は、黒い軍服で青いフードをかなり目深く被っていた。素
顔が伺えない。
『帝国軍』。なぜ『帝国軍』がここにいるのか。ここは『NK』だというのに。原長官は焦った。
自分の逮捕に、『ユリウス帝国』は自らの軍を外国に送り込んだのか。
「誰だ、君たちは?」
もう分かりきっている事だ。だが、原長官は尋ねていた。口から勝手に出てきた言葉だ。
「見れば分かるでしょ」
相手の女は案の定、そんな原長官の心を見据えたかのように言ってきた。
「あいにく、『ユリウス帝国』の方々との会合は予定には入っていない」
あえて強気で原長官は言った。
「『レッド部隊』」
原長官の目の前に堂々と立ち、大柄な女は言って来る。
「何だ? それは?」
その名前なら、原長官も知っている。
「名前は知っているでしょ? あなたは自分の部下から聞いているはずだわ」
「私の部下? 一体、何の事だ?」
知らない事を詮索されたくない、マスコミに対しての答えのはぐらかし方が、思わず今の長官
には現れている。
そんな原長官にいい加減飽きでもしたのか、相手の女はため息を付いて首を振った。
「原長官? こんな事はもう辞めにしてもいいかしら? 単刀直入に言うわ。私の名はイエロ
ー。それで後ろにいるのがブラックよ。原長官。私はあなたの部下を捜しに来たの。どこにいる
のか答えてもらうわ」
「何?」
この女が『NK』の言葉を間違えなかったのなら、言葉通りだ。
「さあ、答えてもらおうかしら? あなたの部下である、『SVO』という組織の連中は、今どこに
いるのかを」
目の前の女は、原長官よりも背が高いし、しかも顔も深い。睨んできてこそはいないが、その
まま圧倒されてしまいそうなくらいの迫力がある。
だが、原長官は負けじと言い返す。
「部下の事など私は知らない。お引取り願おうか」
そう言うと、相手のイエローと名乗る女は再びため息をついた。
「ふぅ、しょうがないわねぇ、原長官? わたし達もできる事ならこんな事はしたくはないのよ。分
かるかしら?それに、わたし達はあなたを逮捕しに来たんじゃあないの。部下の居場所を教え
てくれれば、それでいいって言うのに、ねぇ」
相手が何を目論んでいるのか、原長官には分かった気がする。だが、『SVO』の事は明かす
わけにはいかない。
「ブラック」
そのように、イエローと言う女が、後ろのフードを目深くかぶった女に呼びかける。彼女は一
歩下がり、そちらの方の女を自分よりも前に立たせた。
「ハラ長官。わたし達も好きで手荒な真似をしたいんじゃあないわよ。でも、あなたが強硬姿勢
に出るというなら、わたし達もこうせざるを得ないの」
「な、何をする気だ」
原長官の目の前に立った、ブラックというらしい女。彼女は、イエローと同じように褐色の肌
の色をしていたが、目深くフードを被っているが為にその表情が窺い知れない。
イエローよりも背は低く、原長官よりも低い。『ユリウス帝国』の女の中でもかなり小柄な方だ
ろう。
だが、原長官はその姿に、奇妙な不気味さを読み取っていた。
「一体、何を?」
彼がそう言いかけた時だった。ブラックという女は、原長官に対し両手をかざした。
そこから、黒々とした電流のようなものがほとばしるのを、次の瞬間に原長官は見ていた。
『NK』国の《メルセデス・セクター》は、この国のいわゆる官僚街である。
政府関係の建物が集中し、国会議事堂や中央省庁がここにはあった。『NK』全体が三次大
戦後に再建された国であるので、他の国に見られるような、歴史ある中央省庁の建物は存在
しない。
この国を動かしている人々が活動している場所なのだ。『NK』の中心部となればここだろう。
証券取引所や、大企業の本社も多くあった。
そして、その内の一つに防衛庁本部があった。高い建物に囲まれ、それ自体も高い円筒状
の建物が、防衛庁本部だった。
防衛庁本部の玄関前には、取材関係者が殺到していた。カメラ機材などを用意した者達が
何かを待ち構えているかのように、本部の建物の前を塞いでしまっている。
彼らは時折本部にやって来る防衛庁関係者に、コメントを求めたり、すでに撮影まで行って
いた。
いち早く、原長官とテロリストの関係の情報を入手したが為に、これは特ダネとここに集まっ
た者達だった。
彼らの目当ては、原長官への直接インタビューだ。
防衛庁長官がテロリストを支援していたとなれば、これほどの衝撃的なニュースは無い。国
中だけでなく世界中が注目する。
そんな取材陣を尻目に、一人の人物が防衛庁本部の中へと入って行った。
玄関ホールを抜けて、上階へと行くエレベーターへと向かうその人物は、とてもカジュアルな
格好をした、『NK』の若い女だった。あまりに若者のスタイルに溶け込んでいた為、取材陣も、
彼女が防衛庁関係者である事に、気付きもしなかった。
ショートにした黒髪と、ラフにした服装。青色の上着に、黒いズボンを履き、あまり派手な格好
ではないが、典型的な若者の衣服を纏っていた。
彼女は堂々と防衛庁本部の通路を歩いていき、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの中で、他の役員と共に到着階を待つ。20人は乗り込めるエレベーターに、入
れ替わり立ち代り乗り込む人々に混じり、彼女はじっと到着を待つ。
エレベーターに乗っている人間が自分だけになっても、彼女はエレベーターに乗り続けてい
た。
やがて最上階に到着する。そこは、防衛庁長官、原隆作の執務室がある階だった。
彼女がエレベーターから降り、歩き心地の良い絨毯を踏みしめようとした瞬間。
「ああッ、奥山さん?大変です!」
原長官の秘書が、血相を変えたように、エレベーターから降りたばかりの彼女を呼び止め
た。
「ううん?どうしたの?」
何が何だか分からない様子で、彼女は答えた。
「大変なんです!原長官が!『ユリウス帝国』の人達がここに来て!」
秘書は大慌てだった。どれだけの事が起こっているかは、彼女の表情を見れば分かる。
「ええ?『ユリウス帝国』?」
その言葉に驚いたように、黒髪の女は答える。その時、
防衛庁長官の執務室である、大きな木造りの両開き扉。その向こう側から、大きな叫び声が
聞こえてきた。
「原長官?原長官?何が起こっているんですか?大丈夫ですか!?」
秘書が大慌てで、扉の方へと向かった。
叫び声は、原長官のものだった。だが、普段ならそのような声など上げるはずもない、本当
に彼の口から発せられた声なのかと、疑ってしまうほどの声。
「一体、何が起こっているの?」
秘書の方が、執務室の扉を開けようとしたが、それを黒髪の女が制止した。
「あなたは下がっていて!あたしが行く」
そして彼女が、執務室の扉を勢い良く開いた。彼女の姿勢には、警官が危険な場所に突入
するかのような警戒の構えが現れている。
「原長官!」
黒髪の女は執務室の中に入るやいなや、原長官の名前を叫ぶ。
彼女の視線の先には、2人の『帝国軍』の軍服を着た者の姿、そして先には椅子に座らされ
ている原長官の姿があった。
原長官は、机の前に置かれた椅子に座らされ、ぐったりしていた。額には大粒の汗をかき、
息を荒げている。
原長官は拷問を受けているのか。防衛庁の、自分自身のオフィスの中で。
「さ、沙恵か?は、早くここから立ち去りなさい、私の事はいい、から」
搾り出すかのような声で、原長官は入って来た女にそう言った。
「そ、そんな事」
沙恵と呼ばれた女は、警戒心も露に答える。拳は握られ、『NK』人の若い女の顔には、かな
りの緊張と警戒が現れている。
と、突然部屋に入って来た者に、軍服を着た片方が振り返った。
大柄な女である。沙恵と呼ばれた彼女よりも1.5倍くらいの身長と体躯がある。黄色い軍服
の上からでも、かなり鍛えた体である事が分かる。
「これはこれは?ハラ長官は只今、予定が入っておりまして、お会いになれませんよ?日を改
めて後日…」
流暢な『NK』の言葉で女は言ってきた。その口調には余裕がある。こんな場所で原長官を拷
問している事など、何の抵抗もないかのように。
その女が拷問しているわけではなく、原長官を痛めつけているらしいのは、彼の座っている
椅子の前に立っている方の人物だった。
フードを目深く被っているので、表情どころか顔すらも伺えない。一見すると、まるで何もして
いないかのようだったが。
だが、その人物、沙恵から見える体型からして、小柄な女は、原長官の頭の部分へと、手を
かざす。すると、黒い稲妻のようなものがそこから迸り、原長官は、まるでスタンガンで撃たれ
たかのように痙攣し、声を上げた。
「や、止めなッ!そこまでだよッ!」
沙恵は叫び、自分の腰にぶら下げている、大きなウエストポーチから円盤状のものを取り出
し、更に折りたたまれている物体が広がった。
それは一見すると、金属製の皿を2枚合わせて重ねたかのような形状の物体だ。しかし彼女
が、目の前にいる大柄な女にそれを向けると、四方向からナイフのような刃が飛び出した。
れっきとした武器だった。それを防衛庁本部に堂々と持ち込めるのは原長官の裏の許可が
あるからだ。
だが、目の前に刃を向けられても、女は動じなかった。
「そんなものをこの私に向けて、一体何をしようって言うの?」
むしろ、まだ余裕のある笑みで沙恵を見て来ている。
「今すぐ原長官を放しな!」
沙恵は強気に言い放った。
「あなたも、このハラ長官の部下、『SVO』のメンバーなんでしょう?違うかしら?」
大柄な女は言って来る。
「さあ?何の事だろうかね?」
沙恵は警戒の姿勢を崩さないままに答えた。
「そうやってはぐらかすって事はそうなのよね?それに、こんな時にハラ長官のオフィスにやっ
て来るあなたみたいな人って、『SVO』以外にいないじゃあない?」
刃を向けられても、目の前の女は警戒したり、身構えたりするような素振りさえも見せてこな
い。
「あたしが何であったとしても、やっているのは立派な犯罪だよ。今すぐ原長官を放しな!」
「ふうう、やれやれだわね」
そう呟くと、女は、沙恵の方に向かって立った。彼女の方は、飛び道具のようなものに警戒す
る。
だがそれに反して、女は沙恵の前に向かってやや半身に構えて立つと、随分と大きな手を向
け、構えの姿勢に入った。
この女は、その手にグローブをはめていた。それも、オープンフィンガーグローブで、総合格
闘技の選手が使うもの。それをしっかりとはめ込んでいる。
そんなものをはめてこの場所に来ている事から、沙恵は不審に思った。『帝国軍』にしては変
わっている。
「あなた、誰?いくら『帝国軍』だったとしても、ここまでする?普通?」
武器を構えたまま沙恵は問う。
「『レッド部隊』、名前は知っているかしら?わたしはイエロー。それで向こうの彼女はブラック
ね」
女は何のためらいもなく名乗る。
「『レッド部隊』?」
「細かい事はいいじゃあない?お互いに、正体と事情は言わなくても理解できているでしょ?そ
れよりも、さあさあ、この戦いを楽しまなきゃ」
女は沙恵に向かって、一気に間合いを詰めた。
大柄な女は体勢を低くし、沙恵に向かって一気に間合いを詰める。沙恵はそれに反応し、と
っさにかわそうとした。
だが、女は機敏な動きで沙恵を追う。あっという間に沙恵の胴の部分を、両腕でがっしりとつ
かむ。
そしてそのまま、沙恵の体を後ろ側へと押し倒した。
沙恵は大柄な女のタックルにまんまと押し倒されてしまう。彼女には抵抗する事ができない程
の力だった。
しかしイエローは、沙恵を押し倒しただけではなかった。
仰向けに倒れた沙恵の上にまたがり、彼女の動きを封じてしまう。
「どう?このマウントポジションは、あなたにとって圧倒的に不利よ?普通、試合では、こんなに
簡単にこの体勢に、してくれないものだって言うのにね?あなたは簡単にやらせてくれたわね」
沙恵の胴の上にまたがった姿勢のまま、彼女は見下ろしてくる。
「どんな風に不利なのかしらね?」
「こんな風によ!」
イエローは、沙恵に向かってハンマーのように拳を振り下ろしてきた。
女とは言え、沙恵とこの女は根本的に体型から違っていた。繰り出される拳は大きなハンマ
ーのよう。
だが、その拳は、沙恵の顔面すれすれの所で受け止められた。
薄く黄色い膜のようなものが、沙恵の体を包み込んでいた。イエローの拳はそこで受け止め
られている。
「これはバリアーね?空間上に膜を張る事ができる力。なるほど、そんな防御的な『力』をあな
たは使うことができるの?しかも、こんなにはっきりと形状を感じる事ができる頑丈なものを張
れるなんて、よほどのものよ」
「そう言っていただけで、まあ光栄って事にさせてもらうよ」
沙恵はそう言ったが、焦りの色は隠せなかった。
「でもねえ!」
イエローは再びハンマーのような拳を振り下ろした。
沙恵を覆っている薄い膜に、亀裂が入った。ガラスにひびが入るように、この膜にもヒビが走
る。
「これは随分と硬いバリアーじゃあない?これならライフルの弾まで受け止められそうだわ。」
とは言うものの、イエローはバリアーに拳を叩き付ける事で、深いヒビを入れる事ができてい
た。
イエローはまたも拳を振り下ろした。すると、更に深いヒビがバリアーへと入る。
「でも、何度か殴れば、このバリアーも簡単に破壊できそうねえ…?」
バリアーが粉々に砕けるのも時間の問題だった。彼女の流暢な『紅来語』にも余裕と自信が
現れている。
沙恵は身動きが取れない。完全に胴を両脚で挟み込まれてしまい、動こうにも全く動けない。
イエローの拳はハンマーのような破壊力がある。まともに顔面にくらえば、意識は飛んでしまう
だろう。
バリアーにもヒビが入ってしまっている。ガラスが粉々に砕ける前の前兆。ひび割れ、細かい
破片が空中に飛び、消え去る。
だがそれよりも前に、沙恵を覆っていた膜が、画面がフィードアウトするかのように消え失せ
た。
そして間髪入れず、沙絵は握っていた自分の武器を、イエローの方に向かって突き出した。
尖った刃がイエローの方へと突き出される。彼女はその刃を相手の喉元へと向けていた。
「なるほど、普通はそうするわね?でも、それは何も知らない人がそうするの。わたしだったら
しないわ」
イエローはそう言い、突き出してきた沙恵の右腕を掴んだ。
がっしりと片手で腕を掴み、それを握る。沙恵が全く振りほどけない程に。刃はイエローに達
する前で止まった。
そしてイエローは、沙恵の鳩尾の辺りに腕を握っていない方の手を押し当て、それを軸にして
マウントの体制からシフトする。
地面に仰向けになって沙恵と、丁度直角になる位置に移動したイエローは、彼女の首と、腰
を頑丈な両脚で固定。右腕を掴んだまま、座った姿勢から一気に体を仰け反らせた。
何かが外れる音と共に、沙恵は叫んだ。
彼女の右腕の肘の関節が破壊される。
「どう?無闇に腕なんかを出して来るもんじゃあないのよ?だから言ったでしょう?マウントポジ
ションは私にとって圧倒的に有利なんだってね」
沙恵は、仰向けになったまま、外された肘の痛みに喘いだ。
「わたし達のする事に、邪魔をすればこうなるわ。さてハラ長官」
イエローは倒れている沙恵の事は放っておき、彼女の側に立ち上がる。そして再び原長官の
方に近づいて来た。
「あなたには質問に答えてもらうわ。これ以上、部下が傷つけられるのが嫌だったら、ね?」
そう言って、少し落ち着いてきた様子の原長官の顔を覗き込む。
「あ…、か…、」
小さな声で原長官は呟いた。落ち着いたとは言え、体に受けているダメージは大きい。虚ろ
な目と掠れる力の無い声。言葉が聞き取れない。
「うん…? どこよ…?」
イエローは更に彼の顔を覗きこむ。
すると、原長官は顔を持ち上げ、汗ばんで疲れきった表情と共に答えた。
「彼女は…、あの程度ではやられない…」
「何…?」
イエローは疑いながらも、背後を振り返った。そこには、肘を外されたばかりの沙恵が、痛み
を堪えながら立ち上がっている。
ただ無理矢理に痛みを我慢して立ち上がっただけ、イエローはそう思ったようだが、違った。
沙恵は何かに集中するように、息をつく。すると、外れたはずの彼女の肘の部分が服の上から
でも分かるくらいにうっすらと光ると、軽い音を鳴らした。
沙恵は、肘を外された時に手放してしまった自分の武器を、その関節を外されたはずの腕を
使って、床から掴み取った。
普通ならば、腕を動かせるような事はできないはず。
「へええ…、これは驚いたわ」
そんな彼女の様子を見たイエローは、そう言ったものの、表情にはまだ余裕がある。少しも
驚いてはいない様子だ。
「こんなにあっという間に、外してあげたはずの肘を元に戻す事ができるなんて、相当の治癒
の『力』を持った『高能力者』じゃあない? わたし達の軍にも、そこまでできる人がいるかどう
かなんて、分からないわ」
関心したように彼女は言って来る。だが沙恵は無視した。
「原長官を放しな! 同じ手はもう食らわないからね!」
彼女は、武器をイエローの方に向け、凄んだ。
「そうね、同じ手はもう使わないわ。手っ取り早く済ませるとしましょ。ねえ?ブラック!」
言われたイエローは、自分の背後で原長官と共にいる女に向かって呼び掛ける。
すると、その、黒いフードを目深く被った女は、原長官に向けて手を向けた。そこから黒い光
が飛び出していくのを沙恵は見ていた。
と、同時に、原長官は電気ショックに撃たれたかのように体を痙攣させ、叫んだ。
「な、何をするんだよッ!」
沙恵は、思わず、驚きと共に叫ぶ。
「あら?違う手を使ったまでよ?」
イエローがそう答えた瞬間、ブラックは再び原長官の体に、黒いエネルギー体のようなものを
送った。
今度は断続的だった。
「わたし達は、あなたの仲間を捜しているの。試合は楽しみたいけど、そんな事している暇も無
くなって来たわ。原長官が答えようとしないのなら、あなたに答えてもらえばいい。それだけの
事よ?これ以上原長官が苦しむのを見たくないのならね?」
原長官は叫び続ける。よほどの苦痛を与えられているようだ。
「そ、そんな事!」
沙恵には、原長官に与えられている苦痛がどんなものなのかは分からない。だが、耐え難い
ものであるのは、聞いた事もない程の彼の叫び声で分かる。
「ほら、答えないと。原長官は二度と立てない体になるわよ?」
イエローは余裕の表情で沙恵に詰め寄る。それが原長官の叫び声と共に、彼女を焦らせ、
追い詰めた。
「冗談じゃあ無いよ!」
「ええ、冗談じゃあないのよ。だから答えればいいのよ。あなたの仲間達の居所を。それだけ
で、原長官は解放されるの」
変わらぬ口調のイエロー。彼女の後ろで苦痛を味わわされている原長官と、あまりに対照的
だった。
「あ、あたしの、仲間の居場所、居場所は」
踏み止まりたい沙恵だった。しかし、原長官の叫び声が頭に突き刺さる。答えなければ、原
長官は死んでしまうかもしれない。それほどの声だった。
「どこよ? 答えなさい」
イエローが、沙恵を追い詰めたその時、
「仲間の居場所は、ここだよッ!」
執務室の外から聞こえてくる女の声。同時に、その両開き扉は荒々しく開かれた。
そこに姿を現したのは、『SVO』の香奈。他にも、太一と一博と登もそこにいた。
「か、香奈?」
目の前に立ちはだかっている大柄な女を警戒しつつ、沙恵は、突然現れた仲間達に驚いて
いた。
「原長官を放しなさいッ!」
香奈は部屋に堂々と入ってきて、沙恵と共にイエローという女を睨んだ。
「これは、これは、そちらから姿を現して頂けるなんてね?」
「5対2、しかも一人が長官を拘束しているんじゃあ、ちょっと分が悪いんじゃあないのか?」
一博もそれに加勢する。幾ら大柄とは言え相手は女。一博の方が体は大きい。
「ええ、確かにそれはあなたの言う通りね。ブラック!」
イエローがそう呼びかけると、原長官に苦痛を与えていた女は、その手をかざすのを止め
た。別に何と言う素振りも見せない。義務的にその行為をしたかのようだ。
「それで、あたし達の居場所を知って、どうしたいの?」
沙恵は目の前の女に問う。
「何も」
そうイエローは言った。すると、原長官のいる机の方を振り向き、彼の方に歩み寄っていく。
「何をする気だ?」
一博は言ったが、その大柄な女は何も答えようとはしない。しかし彼女が向かったのは原長
官のいる場所ではない。ぐったりとしている彼を無視するかのように素通りし、彼の机の元へと
向かった。
ブラックと言う女の方も、その後からついていく。彼女達は、原長官の机の背後にある、大展
望の窓の前に立っていた。
高層階に位置する原長官の執務室。その窓からは、『NK』の街並みが一望できていた。
突然、イエローという女は、その窓にはまっているガラスに拳を裏拳で繰り出した。強化ガラ
スのはずのその窓は、一部が粉々に砕けてしまう。
「何をする気!?」
香奈が言った。
「それでは、皆さん。ごきげんよう」
イエローと言う女はそう言い残し、窓に自分であけた穴から、外へと飛び出す。ブラックと言う
女もそれに続いた。
窓の外に姿を消す2人。
「おい、嘘だろ?」
あっけに取られたように一博は呟いた。
しかし、窓に駆け寄る彼の前に姿を現したのは、ヘリコプターだった。それは原長官の執務
室の窓の前に現れ、そのまま上昇して行く。
ヘリコプターの下部には、ワイヤーに吊るされた、2人の女の姿があった。
そのヘリはそのまま防衛庁の建物から飛び去ってしまう。『SVO』のメンバー達には、逃げ去
っていくそれをどうする事もできなかった。
「逃げやがった」
一博が飛び去っていくヘリに向かって言った。
「何の目的で来たんだ?」
と言ったのは登だ。
「原長官! 大丈夫ですか?」
香奈と沙恵は窓ではなく、原長官に駆け寄っていた。椅子に座ったままぐったりとしている彼
は、しばらく何も答える事ができなかった。
Next Episode
―Ep#.08 『交錯』―
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
巨大大国の裏で行われている、陰謀を追い詰める、ある諜報組織の物語です。舞台は祖国、NKへ。
しかしそこにやって来たのは、ユリウス帝国からの工作員だったのでした。