No.183080

夏に咲いた桜

桃乃花悠さん

前にショートショートの賞に応募した作品です。
箸にも棒にもひっかかりませんでしたが……

せっかくなのでここで発表してみようかなと

2010-11-07 08:42:25 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:353   閲覧ユーザー数:353

 

 「今年の桜、見れるかな。咲くころには退院できたらいいな」

 お見舞いに来てくれた兄に私は呟いた。

「きっと見れるよ。お医者さんもよければ四月初めにも退院できると言ってたし」

 私の中で桜は幸せの象徴であった。一年の中のほんの短い間に咲いて散る桜を見るだけで、幸せに過ごせるんじゃないかと思えるのだ。

それはほんの幼いころに家族で見た幸せを運ぶとの言い伝えがある桜を忘れられないからかもしれない。幸せってどこにあるんだろう……私には分からない。でも、あの桜を見た時は間違いなく幸せだったのだ。

私が一年の四分の一を病院や療養所で過ごすようになってしまってから早五年。あの時から私の幸せのほとんどは無くなってしまった。今、私に幸せを感じさせてくれるのは春に咲く桜の花とたまに見舞いに来る家族の存在だけだ。

ただ、運が悪いことに今年は年明け早々に入院してしまっていた。病院は海沿いにあり、近くから桜を見ることはできない。

早く退院したいと強く願ったが、ものごとは、特に人生はそうそううまくいかないものだ。最初、二月になる前に退院できるという話だったのが、二月初旬、中旬、下旬、三月中となり、ついには四月初めまで延びてしまった。桜がこの街をにぎやかにするのは四月下旬なので順調に行けばぎりぎりセーフということになる。

ただ、その希望もあっさりと崩れてしまう運命にあった。

 

「えっ、それは本当なんですか。何かの間違いなんじゃないですか?」

「残念ながらこれは本当のことです。今、手術をしないとあなたの命は危ない」

 主治医が真剣な声で言った。

手術をすると退院は五月後半になってしまうという。冗談じゃなかった……それじゃ、桜を見れないではないか。

「いったん、退院させて、桜を見せてから手術ってことはできないのですか? 妹は桜を見ることを非常に楽しみにしているのです」

 一緒に話を聞いていた兄が尋ねたが、主治医は残念そうな感じで、

「そうでしたか。それは本当に申し訳ありません。ただ、三月中、遅くとも四月初旬に行わないと妹さんはほぼ助からないでしょう。私は医者ですからできるかぎり患者さんには生きていて欲しい。ですからどうかお許しください」

 兄はしばらく黙り、わかりましたと言った。そんな兄の態度に私はぶちきれて、

「お兄ちゃん、何、納得しちゃってるのよ。どうせ、手術したって私の病気が完全に治るわけじゃないんでしょ。この病気にかかってから何回も苦い薬を飲んだり、ちょっとした手術を受けたりしたけれども結局このざまだし。それなら、私、桜を見て死にたい。桜を見た幸せを感じながら、その花のように散りたい」

 とまくしたてた。兄はしばらく黙っていたが、突然大きな声で、

「ばかっ。死んでいいとか言うなんてお前は本当にばかだよ。お前が死んだら父さんも母さんは悲しむだろうし、そして、何より僕が一番悲しいんだ。お前に死なれてしまったらどうやって生きていけばいいか分からないよ」

 と言って泣き崩れてしまった。今まで見たことのない兄の姿を目にして私は、

「ごめん」

 と言うしかなかった。

 

 その後、両親や主治医、そして兄の説得を受けて、私は結局、手術をうけ、とりあえず生き残ることに成功した。でも、これでもう今年の桜を見ることはできない。

 月日は川の流れのように早く、桜の開花までまだまだあるなと思っていたら開花したとのニュースが流れ、開花したと思ったら満開になっており、満開になったと思ったら散っていた。

 結局、退院できたのは夏になってからだった。その帰り道、迎えに来てくれていた兄が、

「なあ、今から桜を見に行かない?」

 私には兄が何を言っているのか分からなかった。桜なんてもう咲いているはずがない。でも、兄がいいかげんなことを言っているとも思えなかったのでとりあえず見に行くことに決めた。

 ついていった先は近所の川べりだった。桜はもちろん咲いてはいない。

「お兄ちゃん、桜なんてないじゃん。いいかげんなこと言わないでよ」

 と私は怒りかけたが、兄は気にしないといった感じで、

「ちょっと待ってて」

 と言いながら、ポケットに入っていた小さな懐中電灯の明かりをつけ、光を向こう岸に向ける。その瞬間、向こう岸から大きな音と共に色鮮やかな何本のものの光の筋が空に向かって飛んではじけて、一本の木と花を形作った。

「桜だ……」

 そう、桜だった。次々と夏の空に桜が咲き、散っていく。

 あっけにとられている私に兄が照れくさそうな感じで、

「花火師の友達に頼んで作ってもらったんだ。本当の桜はもう散っちゃったけれど、どうしてもお前に桜を見せたかったから。だって、お前にとって桜が幸せの象徴であるように、僕の幸せの象徴はお前の笑顔なんだもの」

「お兄ちゃん、ありがとう」

 私は夏の桜が見せてくれる幸せとその幸せを運んで来てくれた兄に強く感謝しながら、空を見上げていた。

 

 
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