SEED Spiritual PHASE-59 嘘がすらすら思いつく
〝Combat Oversize Module Extendec Tactilal armes(コメット)〟。〝アイオーン〟の先端両弦に取り付けられた指向性エネルギー兵装……と言えば聞こえは良いが、詰まるところ〝フリーダム〟、〝ジャスティス〟の強化武装〝ミーティア〟のスケールダウン版、いや、〝ミーティア〟のビームソード部分だけ引っこ抜いた代物である。〝ミーティア〟の推進能力はまるまるオミットされているが、扱うのが元々異常な推力を吐き出せる〝ルインデスティニー〟であるため不要と判断された――と、博士から聞いた。
「正確には予算がねぇだけじゃねーの?」
〈クロ、機体に異常はありませんか?〉
「あ、あぁ。マニピュレータが不安だったがフレームに異常は見受けられない。一回アステロイドとか斬ってみた方がいいか?」
〈……はい。バートさんからの報告では付近に哨戒機などはいませんのでご自由に〉
一つ頷き光の粒を撒き散らしながら宇宙を駆ける。やがてメインカメラが虚空に浮かぶ大小の岩塊を見止めるなり方向を転換する。右のマニピュレータを振り上げれば右端のモニタが淡紅一色に煌めき、振り下ろせば惑星片に刃が食い込む。再度レバーを気にしたときには溶断面を見せる二つの岩塊。ハードウェアを走査したがオールグリーン。クロはその結果に満足した。
「こっちは問題ない。あの二人はどうだ?」
〈覗いてしまっていいのでしょうか?〉
「お前が言うと気を遣ってるのか嫌味で言ってるのかわからんな……」
〈シン、調子どう?〉
「あぁ!」
久方ぶりに握った操縦桿、座した座席、そして各種パネル。その感触はしばらく〝インパルス〟に慣れていたとは思えぬほど、馴染む。しっくり来る。
「すげぇ使いやすい」
〝デスティニー〟は嬉々とした返答を返すなり凄まじい速度で〝ストライクノワール〟を追い抜いていった。
〈もぉ! 一応、あんた専用に造ってもらったんでしょ? 使いやすくなかったら議長や設計局の人がなにしてたーってことになるじゃないの〉
「そうだよな!」
シンは〝デスティニー〟にビームライフルをグリップさせると幾つかのデブリを的確に射抜いていく。
〈ちょっとシン! オモチャもらえて嬉しいのは解るけどっ! もっと静かに!〉
「オモチャって何だよ? でも、大丈夫だろ。あのティニってのが周囲が何にもねぇから、機体テストして来いって言ったんじゃないのかよっ!」
更にビームソード〝アロンダイト〟を展開し、手近なデブリを立て続けに斬り裂いてみせる。その様子を〝ノワール〟越しに見ながら、ルナマリアはヘブンズベース、そしてダイダロス基地での戦闘を思い出していた。初めは頼りなかった。そんなシンが〝デストロイ〟と戦っていた後、〝フリーダム〟を撃墜した辺り、〝デスティニー〟を受領した時から変わった。自分は、守られてばかりいる。
「ったく……わたしを連れて逃げるとか言ってた計画はどーなったのよ……」
取り敢えず一通りの武装を試す気か、〝デスティニー〟が休む間も惜しんで周囲のデブリを駆逐していく。ルナマリアも〝ノワール〟の武装を確認した方が良いかと思いついたとき、今度はシンの方から通信が入った。
〈なぁルナ〉
「えっ? あ、はい、聞こえてるわよ」
〈逃げないのか?〉
心に触れられる感触は……鼓動を高鳴らせた。
〈ルナは、なんでこんなのに協力するんだよ?〉
歪んだ世界を、せめて元に戻すための努力をする人達の一助となるため。
「そ、それは……今のラクス・クラインの敷いた世界が、気に入らないからよ。じ、じゃあシンは? 何でザフトを抜け出して、あんな変な場所にいたのよ?」
ルナマリアは聞くべきか迷っていたことを、聞いて良かったことなのか迷うことに変えた。シンは世話になったコニールのことを思い出し、そう言えば挨拶もせずに出てきてしまったなと後悔した。
〈い、今に満足できてないのは確かだけどさ……ぶっ壊そうってまでは思わなくて…〉
「逃げたの?」
かなり待っても答えの返らない通信は、肯定に思えた。
「逃げたっていいじゃん」
〈お前なぁ……〉
「だから、今度はわたしを連れて逃げてよ」
同等以上の時間かかった。が、その前に感じられた息を飲む気配に彼女の鼓動はまた一つ大きく震えた。
〈ルナ………〉
「駄目かな?」
駄目だろうか? 駄目なわけがない。常に圧迫感を感じる人生に、彼女の存在がピリオドを打ってくれる。これに異を唱える理由が、自分にあるのか? シンは迷った。迷ったが、心は即答していた。
「ルナ………」
生唾を飲みながら〝ストライクノワール〟にアクセスし、彼女の映像を引き寄せる。引き寄せたら引き寄せたで目を真っ向から見つめることはできなかった。
「おれ……」
〈ん?〉
電子警告音(アラート)が鳴り響いた。
「えっ?」
シンも動きを止めている。〝ノワール〟と〝デスティニー〟がセンサーに引かれてカメラを向けた先には――黄金が見える。
〈なに?〉
二機の〝ドムトルーパー〟を引き連れた黄金がいる。
「あれは……オーブじゃないのかよっ!?」
〈あっ、シン!〉
ルナマリアの制止も聞こえなかった。隠れる逃げるは頭の中から消え去っている。あの機体、思い浮かぶのはカガリ・ユラ・アスハ。彼女があれを扱っていたとは大戦後に聞かされた。オーブ、未だ心に納めきれないその概念が象徴を持って眼前にある。シンは落ち着かなくなっていた。
「何なんだ、アンタはあぁっ!」
シンは〝デスティニー〟が手にした剣をそのままに追いついた黄金の機体――〝アカツキ〟へと叩き付ける。右端の〝ドムトルーパー〟が慌ててJP536X〝ギガランチャー〟DR1マルチプレックスから細かいビームを連射するが、残像を残して舞った蝶には毛ほどの傷も与えられなかった。
〈あぁ!? てめ、何しやがるっ!?〉
聞き覚えのある声……一瞬引っかかりを感じたシンだが脳裏のピースはすぐにはまった。裏切り。その単語が胸中に熱くのし掛かる。
「アンタ……! ステラの、……そうだ、ネオ!」
〈あぁ? お前までわけのわからんことを……〉
更に大剣を操ろうとしたが閃く数個のターゲットアラートが回避行動を優先させる。
〈シン!〉
「ルナ、下がれ!」
〝デスティニー〟を翻させた、元いた場所に多包囲からの閃光が走る。センサーの感度を上げればライブラリがC.E.71方式の〝ドラグーン〟端末を拾い上げた。〝ストライクノワール〟の間近に陣取り、背後に視界を投げ広げる。
〈なに? 〝ドラグーン〟システム?〉
「そうみたいだな」
しかしこちらに飛来する砲塔は、ない。訝る視界の隅では黄金が光の格子に囚われていた。
〈なに? 別にわたし達を見つけたんじゃなくて、別件やってたの?〉
逃げても追ってこないない敵機が、2つ。ルナマリアはシンの脇に陣取りながら眉を顰め、漆黒と黄金を注視した。
〈待てよ! ネオ! おれだ、シン――あの時の〝インパルス〟使ってた――〉
「ちょっとシン?」
呼びかけながらもふと気づく。エクステンデッド逃亡幇助その他諸々で投獄されたとき、彼の口からその名を聞いたことがなかったか?
こいつはなんだ? どこにでも現れる! そして訳の分からないことをほざきやがる。
〈ネオ・ロアノーク大佐。自分の過去について考えてみたか?〉
「うるせぇ! 誰かと勘違いしてるんじゃねーのかお前がァっ!」
ともに哨戒に出た僚機二つは敵機の放つ無差別な光線に貫かれて消えた。脱出できたかどうか、シグナルを確認する余裕すら与えてもらえない。眼前には〝プロヴィデンス〟。ついこの間の掃討戦で刃を交えた相手だが、一度研究した程度では、戦いにくさは消えなかった。
〈フラガ一佐、余裕扱いてる場合じゃないよ〉
〈説得は無駄だと、俺は思いますがね……〉
追従するのはヒルダ・ハーケンとヘルベルト・フォン・ラインハルト――ラクスを尊崇する親衛隊員――の〝ドムトルーパー〟。二機は凄まじい数のスラスターを駆使し、オールレンジ攻撃を回避してのけたが、5機でかかっても捉えきれなかった敵機を、回避に躍起になっているチームがどうにかできるのか。
「ケイン! お前その、意味のわからんこと……お前こそ誰かに騙されてるんじゃねえのか!?」
〈自分は官軍だから私が賊か? ラクス・クラインに従う奴らはまずそこから考え直すべきなんだよ!〉
ヒルダが相手を口汚く罵る中、黒の機体が後背より砲塔をばらまいてくる。〝アカツキ〟には傷一つ追わせられなくとも、ビームの雨は視界を狭め、特有の『感覚』が意識を乱す。その隙をついての格闘戦を予測し舌打ちを繰り返す。
(寸前で側面に回り、拘束――できるか?)
エネルギーが保つ限り〝プラント〟側にまで連れ込めば大人数で確保することも可能だろう。旧式とはいえ核動力の敵機を抑えきれるかは……半ば賭けだ。
ヒルダとヘルベルトが時間差でバズーカ弾を撃ち込むが、鈍重なシルエットでありながらも〝プロヴィデンス〟がそれを捌ききる。〝ドムトルーパー〟に牽制の銃撃を放ちながらも〝アカツキ〟の挙動を把握するケインはこちらへ向けたビームサーベルを揺るがさない。
「ケイン……お前も一回モビルスーツ降りろ! 〝プラント〟でゴロゴロしてみろよ少しはよっ!」
〈流石ムウ。すげぇユーモアだ!〉
散らばり火を吐く〝ドラグーン〟。格子に紛れる敵機へと意識を研ぎ澄ませば殺意の質が判別できる。
アラートに従いシールドを突き出す。カメラに突如現れるサーベルを振りかぶった〝プロヴィデンス〟。閃光を押し込め拮抗したその瞬間、〝アカツキ〟が銃底より光刃を吐き出させる。しかしケインの圧しの方が強かったか、肩口を貫くはずの一撃は宇宙に殺意を散らして過ぎる。悔しげに呻いたムウはライフルを投げ捨て空いたマニピュレータで彼目がけて掴み掛かった。
〈全てを偽り! 平和だと思いこむことに特化した土地でゴロゴロか! ぞっとしねぇよ!〉
その掌が巨大な銃身に弾かれる。シールドを蹴って飛び離れた〝プロヴィデンス〟に追い縋るも7つの砲塔が行く手を阻んだ。
〈一佐、下がんな!〉
「ケイン!」
追い縋り友を求める。
――しかし帰ってきたのは、予想もしない方角からの怒号だった。
〈何なんだ、アンタはあぁっ!〉
「あぁ!?」
アラートより先に聞こえたその殺意にシールドを差し込むも巨大刀はアンチビームコートシールドをあっさりと両断してのけた。怖気が背筋をはい上がり、直ぐさま怒りの色に染まる。
「てめ、何しやがるっ!?」
先刻虚空に浮かべたビームライフルを求めるが、焦燥感に反して相手からの殺気は届かない。センサーに目を懲らし、感覚で殺意を探っていると、予想だにしない質の声が通信機から漏れてきた。
〈アンタ……! ステラの……〉
「ぁ?」
疑問。しかしフラッシュバックしたのは自分に縋り付き泣き叫び、引き剥がしたら炎を浴びせてきた少女。
〈……そうだ、ネオ!〉
何故だ? なぜ誰だか解らないお前まで、その意味不明な言葉に辿り着く?
「あぁ? お前までわけのわからんことを……」
言葉の意味を問おうとしたが、喉を絞るより『感覚』に弾かれる方が早かった。
この機体はフレーム露出面を最小限にして淡緑光に正対すれば全て弾ける。いきなり横槍を入れてきたトリコロールの機体もシールドを構えながら引き下がっていく。
「なんだよ……お前の相方かあれは?」
〈ほう。こっちはこっちで統合国家の奴かと思ったよ〉
ムウの問いかけにケインが答え、共に望む解を得られなかった〝アカツキ〟と〝プロヴィデンス〟は一時休戦し周囲に気を配った。
〈一佐……なれ合いもほどほどに――〉
「黙ってろ」
口を尖らせたヘルベルトは〝ギガランチャー〟の砲口を〝プロヴィデンス〟に合わせて静止する。ヒルダもそれに倣おうとしたができない自分に苛立った。
(こんなところに、シン・アスカとはね……っ!)
ムウは今こそ何かを話すときだと口を開きかけるが、説得材料が浮かばない。地球連合軍に関しては意見を一つにして幾らでも罵れるだろうが、統合国家に関しては真逆の意見を、どう折衷させればよいのか。思いつかずにいる内に膠着は崩されてしまった。
〈待てよ! ネオ! おれだ、シン――あの時の〝インパルス〟使ってた――〉
「シン? もしかしてシン・アスカとかか? なんだ、ザフトから行方不明だって聞いてるぞお前」
ヒルダは呻いた。
〈そこぉ! いきなり茶々入れないでもらいたいね!〉
〈ヒルダ!?〉
下僕(ヘルベルト)の驚愕を疎ましく思いながら現れたシン目がけてビーム連射を浴びせかけるもその全てが虹に掠められ通り過ぎていく。残像を散らす敵機に目をすがめながらビームサーベルを振り上げるもいきなり飛んできたビームブーメランが右手ごと得物をさらっていった。息を飲みながらビームシールドを展開したが盾の真横に滑り込まれ、放たれた射撃がシールド発生装置ごと左手を吹き飛ばす。反応が一瞬遅れていたら、そして〝ドムトルーパー〟ならではの過剰なスラスターがなかったら、そのままバイタルエリアまで貫かれていた公算が高い。
〈お前なんかにやられるかよっ!〉
(こいつっ……あたしを歯牙にもかけないとはねっ!)
「ヒルダ、大丈夫かよ?」
自機を抱えてくれた同僚に感謝よりも苛立ちを覚える。冷静に戦力分析などできた自分にも苛立ちが募る。そして自分の手が届かない状態で動く世界が恐ろしい。
〈そんなことはどうでもいい! アンタ、ステラを守るんじゃなかったのかっ!?〉
「あ? なんだよいきなり……」
困惑するムウと怒るシンの通信を傍受しながらケインは一人ほくそ笑んだ。この場で二人を理解できているのは、自分だけだ。もしかしたら〝ドムトルーパー〟のパイロットも何かを掴んでいるのかもしれないが都合の良いことに自滅してくれている。
〈シン・アスカか? ステラ・ルーシェのことは仕方がなかった。彼女は兵器としてしか生きられなかったんだ。お前も、頭では理解していたんだろう……〉
「な、なんだよ……アンタ…」
〈当時の、裏側にいた者だ。連合――いや、〝ファントムペイン〟を秘密裏に査察していた。お前がヘブンズベースで完膚無きまで叩き潰してくれたおかげで、失業したがな〉
ケインは自分の精神に感心した。よくもまぁ嘘がすらすら思いつくものだ。言葉がもたらす結果を楽しみに、シンの言葉を待つ。
〈ステラを……〝エクステンデッド〟のこととか知ってるのか?〉
〈け、ケイン、何の話だよ?〉
食いついてきた。そしてネオ・ロアノークを忘れ去ったムウ・ラ・フラガは何の障壁にもなり得ない。
「ああ。更に言うなれば彼らの枷を外す方法も研究していた。ステラ、か。彼女をこちらで保護できれば何とかできたかもしれないんだが……すまない〉
息を飲む気配が伝わってくる。ケインは狂った友人を売ることにした。
「なぁムウ」
〈……なんだよケイン? それが、何なんだよ!〉
「――いや、ネオ・ロアノーク大佐。お前はどうして、彼との約束を守れなかった? いや、できもしない約束をしたんだ?」
シンは査察をしたと言う男の言葉にはっとする。当時の自分自身の価値全てを賭けて救い出したステラを、ネオがこう言ったからこそ託したのだ。「約束するよ」と。彼がどんな誠意を見せるのか、シンは〝アカツキ〟を注視する。
「ネオ……。ステラは、どうしてあんなのに乗ってたんだ……っ?」
解っている。査察を名乗る男に言われるまでもなく、あれは仕方がなかったと。〝ミネルバ〟に収容されたときから理解はしていた。普通には生きられない少女だと。それでも――
〈だからなんなんだよ! 俺はさっぱりわからねぇよ!〉
許せないことがある。
ネオの自覚も反省もかけらもない言葉を鼓膜が受け入れ、しばしの時間をおいて頭脳が理解したその瞬間、脳裏に何かが生まれ、そして知覚できぬまま弾けた。
瞬間、ただ馴染んでいるだけだった操縦桿(レバー)が完全に自分のものになる。
「何だよ……なんだよそれはああああああぁあぁっ!」
搭乗者の憤怒を飲み込み運命が吠え猛る。禍々しい虹を散らし、牙を剥いた〝デスティニー〟にムウは抗う術を持ち合わせていなかった。
「なにっ!?」
敵機は一機、でありながらまるで〝ガンバレル〟や〝ドラグーン〟と敵対したような多数感に苛まれる。額を貫く痺れが散発的なものから流動的なものにすら感じられ、機体をどう操ろうとも激烈な振動が全身を襲う。
〈ネオ、ネオぉおおぉっ!〉
獣の咆吼。それが求める言葉は、俺の名なのか? 納得のできない理不尽に、殺される……っ。
〈シン! ち、ちょっとどうしたのっ!?〉
〈こいつが、こいつがステラを! おれは信じてたのに!! 絶対、絶対許すもんかぁああぁっ!!〉
SEED Spiritual PHASE-60 無理難題にくらくら来る
必死に後退すれば〝アカツキ〟の体に繋がっている箇所は右腕と右足だけだった。
〈大丈夫ですかい?〉
「い、や……ちょっと――ぐっ!」
捩った脇腹に激痛が走った。乱暴にシェイクされすぎて骨がどこかイカレたらしい。内臓が傷つくことを怖れ動きが自然と小さくなるが、状況がそれを許してはくれなかった。
〈フラガ一佐――がぁあっ!?〉
悲鳴と共にヘルベルト機のシグナルが消える。戦慄するムウは〝シラヌイ〟の砲塔を全て射出したが貫けるのは残像のみ。
〈こいつっ!〉
シンの放つ銃光が的確に砲塔を撃つが、〝ヤタノカガミ〟に鎧われた砲塔には傷一つつかない。しかしその隙がなかったら次手を打つ余裕さえもらえなかったかもしれない。攻撃を諦めたムウは砲塔を引き寄せた。
〈ネオぉおおぉぉぉおおおおぉっ!〉
静止する砲塔。現れる八面体。ヒルダ機ごと自機をバリアに包み込む。艦砲射撃の連打すら防ぎきった絶対防御に望みを託し、ムウは撤退を心に決めた。
「ヒルダ! ついて来いよォ!」
通信の返事も待たずに全てのスラスターを敵機へ向ける。全速力での逃亡を試みるが、推力を振り絞っても赤いシグナルは追い縋る。
〈逃げんな! 答えろ! ステラを、ステラを見捨てたのかあんたわぁああああっ!〉
まるで耳元で怒鳴られるような凄まじい怒号にムウは頚をすくめた。
そして突然の振動にリアを映すモニタを慌てて拡大したが、流石の敵機も光膜に阻まれプラズマを散らすに留まっている。ほっと息を抜いたムウは改めてライブラリを探った。ZGMF‐X42S〝デスティニー〟。今の〝プラント〟では忌まわしい存在を想起させる機体として忌避されている。〝メサイア〟攻防戦の最中失われ、歴史からも抹消されたはずの存在だった。それが何故今になって自分を襲うのか?
〈答えろ……っ! ネオオォォォオオォッ!〉
夢想は遮られた。〝アロンダイト〟ビームソードを突き出した〝デスティニー〟が、少しずつ、じわじわと、だが確実に絶対防御を浸食している。
「馬鹿な!」
絶句する暇は与えられなかった。プラズマを散らしながらも〝アカツキ〟の領域へ踏み込んできた〝デスティニー〟は殺意を塗り込めた切っ先をコクピットへ――
「くそっ!」
残ったマニピュレータを強引に刀身へと叩き付ける。バリアに晒され半ば溶解していた〝アロンダイト〟が澄んだ音と共に真っ二つに折れ飛ぶ。
「うぁああああああっ!」
剣の軌道はギリギリ反らせたが、猛る〝デスティニー〟が、今度は左掌底をこちら目がけて放ってきた。
「なにを――」
蒼の光が掌に灯る。目を剥いた心が脳より早く判断を下し、ビーム光を装甲に弾かせる。――が、ボロボロになった機体では残された装甲も不十分だったらしい。バックパックに〝パルマフィオキーナ〟が命中し、制御を失った砲塔の一つが欠け、バリアが、消える。
〈ステラの痛み、アンタも思い知れっ!〉
悪魔の蝶に捕らえられた金色の花が遙か眼下へと突き落とされていく。
「一佐っ!」
叫びながらヒルダは、内心異なる舌打ちを零していた。
(やっぱりね……っ! ムウ・ラ・フラガには、アイツへの拘束が、通用しない……っ!)
『施した』当時、ムウ・ラ・フラガは〝ストライク〟で陽電子砲を受け止めるという暴挙の結果、故人とされていたのだ。そんなモノに服従させる意味はなく、故にシンがムウに服従する理由が、ない。
(いや、『主』と「その思いの人」を優先させすぎたため、それ以外の対象には……縛りが弱い。彼に関しては施してあってもこんな程度だったかもしれないね……!)
ヒルダは焦り、〝ドムトルーパー〟の推力に火を入れはしたが――この状態で何ができる?
「それでもっ!」
落下するムウを、そしてシンを追い縋る。〝ドムトルーパー〟の胸部が煌めきG14X31Z〝スクリーミングニンバス〟が発動する。深紅の攻性フィールドが前面に展開され特攻に足るだけの攻撃力を纏わせる、と、数条の閃光が眼前に網を張った。
「ちっ! イラつくねぇ!」
閃光を追って眼前に現れた〝プロヴィデンス〟。罵声の一つも浴びせたい相手がこともあろうか先に嘲笑を返してきた。
〈どこへ行く? 恨みを持った者が対象を見つけ、復讐を遂げる――最高の見世物だとは思わないか?〉
会話を楽しむ気にはなれない。ヒルダは吐き捨てた。
「あんたはフラガ一佐の友人とかってんじゃなかったのかい?」
〈そう言えば自己紹介が遅れていたかな? ケイン・メ・タンゲレ。元〝メビウスゼロ〟部隊の……なんていうかな、高度空間認識能力者だ〉
「知らないね!」
再び〝スクリーミングニンバス〟が煌く。面のビームサーベルとも言うべきこの兵装はビーム兵器をもはじき返し触れた対象を切り刻む。その特性、そして〝インパルス〟をも弾き飛ばした実績からPS装甲を纏う〝プロヴィデンス〟とて無傷ですむはずが無い。ヒルダは無数の砲塔から放たれる光をあるいはかわしあるいは受け止めながら鈍重なシルエットへとぶちかましをかけた。
〈ほ……ぉっ! 流石に〝ターミナルサーバ〟にしかデータの無い機体だな。そのざまでもやるもんだ〉
「くだらない事ばかり口が廻るね! そんなことよりさっさと答えな! あたしゃ仲間を売るような奴は大っ嫌いなんだよ!」
〈ザフトの脱走兵の癖に?〉
「余計なことしか言えない口ならこのまま溶接してやろうかねぇ!」
〈仲間だったのは過去のことさ。今はあいつの思想と欠落した責任能力が気に食わない。だから――そうだな。〝デスティニー〟に殺されるとしても知ったことじゃない。むしろ組織としては強大な敵が一個減ってありがたいくらいだ〉
盾と特殊兵装の間では擦過音とともに流星が飛び散っている。盾は徐々に光に嬲られていくがケインは気にした風も無く淡々と言葉を紡いだ。
〈その機体から推すに、あなたも〝ターミナル〟のようだが、ならばネオ・ロアノークについても知っているのだろう? テロリストの地球破壊幇助に世界を混乱させる事実隠蔽情報の流布、果ては都市3つ焼き尽くすほどの大量虐殺やった人間がお咎めなしで大佐待遇? 面白すぎるよ〉
「はん! いちいちごもっともな演説だけどね。〝ファントムペイン〟にでも言ってやんな! 人を操るようなクソ共にこそ制裁くれて、哀れな被害者は救ってやるのがオトナだろ?」
〈聞き捨てならない理論だな……っ。責任能力の無い奴が人をどれだけ殺そうとよしとするか? 遺族はその殺戮を犬にでも噛まれたと思わなければならないと、こういうわけだな〉
口調はまるで変わらないように思えるが、ヒルダは自分の言葉が相手の逆鱗を撫でてしまったことを悟った。思わず言い訳を探そうとして言葉に詰まるうちに彼は次の熱を注いで来る。
〈で、私の持っている情報によれば、あのシン・アスカは『操られている』可能性があるんだが、あなたは何か知らないか?〉
いちいち自分の言葉が胸をえぐりヒルダは言葉に詰まる。その間にも搭乗機は忠実に破壊を続けている。
だが、こちらの沈黙から何を引き出したものか、ケインは致命的な問いを投げつけてきた。
〈彼は、ラクス・クラインに近しいものに逆らえないようにできていると聞いたが、なぜムウはその対象から外れている?〉
「あ、あんた…何を知っている!? ぅ、何なんだよその話は!?」
今の〝ターミナル〟はクライン派資本で成り立っていると信じている。それなのに、あちら側にもサーバ使いがいるとでも言うのか!?
〈どちらでも関係ない。これを聞いた以上、あなたも彼の怒れる虐殺を暖かく見守ってあげるといい!〉
複合防盾がこちらを凌ぐ動力の力で強引に振りぬかれた。体勢を崩す〝ドムトルーパー〟に、盾から生えた光の刃が迫り来る。何とか寸でのところでサーベルからメインカメラを逃がすも〝プロヴィデンス〟は嘲笑を残し、こちらを放置して下の大地へと降下していく。堪えきれない苛立ちに当り散らしそうになったが、予想もしなかった通信が心を切り替えさせた。
〈姐さん! フラガ一佐は!?〉
「ヘルベルト? よくもまぁ悪いタイミングで生き返ってきたもんだねぇ」
憎まれ口とは裏腹に安堵がこみ上げる。発信元を探り、空間を拡大させれば〝ドムトルーパー〟の命――下半身に集中させた過剰なスラスター群――を丸ごとぶち壊されて浮かぶだけしかできないヘルベルトが確認できた。彼に増援を頼もうとして、口ごもる。通信可能圏外だったら彼はまったく役に立たない。
「一佐はかなりやばいよ。助けが要るね」
〈ぐぁあああっ!〉
悲鳴にも、哀れを覚えない。シンの中では既にネオの価値が固定されている。
「どうしてだ! おれは、おれはアンタを信じた! ステラだって信じてたんだ! それを、どうしてぇっ!」
彼は、裏切り者であり、自分の言葉に責任を取らない大人だ。〝アカツキ〟を伴った〝デスティニー〟は轟音と共に巨大構造物へと激突した。コロニーだろうか。廃棄されて久しいと思われる赤茶けた世界。血の色に染まった世界に折れた剣が投げ捨てられる。屍をさらしていた建造物に蒼の大剣が喰らい込み、低重力に絡められた破片がゆっくりと空へ昇っていく。建物が重みに負けて崩れ、剣の破片が倒れる先で、シンは拳を振り上げていた。
「ステラは、アンタのことをっ! アンタはどうなんだっ!? 彼女のことを、道具として、兵器としてしか見てなかったってぇのか!!」
殴りつける。いくら剛性を追求しても多関節になるマニピュレータにそれ程の強度が備わるはずも無い。解っていても、殴りつける。
「謝れっ! ステラに謝れよっ!」
〈ちょっとシン! どーしたのよ!? 敵は他にもいるのよ! ってことより、わたし達そんなに目立っちゃ拙いのよ!〉
ルナマリアは悲鳴を上げた。相手が元地球連合の士官だというのなら辛酸をなめさせられた相手故に殺してしまおうが知ったことではない。だがシンの行動の結果、自分達が逃げられなくなるのも、逃げおおせても災厄を運び込んでしまってノストラビッチやティニに虐め倒されるのもその結果として死に至るのも全てごめんだった。あぁもぉ! わたしはマシントラブル時の運び屋としてついてきただけなのに!
ハイパーデュートリオンエンジンと、パワーエクステンダー搭載とはいえただのバッテリーではパワーに差がある。ルナマリアはその事実にかなり躊躇したが、意を決して〝ストライクノワール〟を〝デスティニー〟に組み付かせた。彼は振り払うような所作を見せたものの、次いで入った通信がその勢いを留めてくれた。
〈シン・アスカ。離脱しろ。気に入らないなら彼の鹵獲を考えろ。増援を呼ばれたようだぞ〉
見上げれば、先程査察者を名乗った〝プロヴィデンス〟がある。ルナマリアは、どうにも意図の知れないこの男の言葉を聞くのは躊躇われたが、彼の言葉を利用するのは躊躇わなかった。
〈ほらシン! 動作テスト中の機体を壊して怒られるんだから、これ以上マイナスを積み重ねないでよ!〉
しかし、秘匿回線からはなにやらぐちぐちと暗い反論が返って来ているように思える。小声で聞き取れないことがより一層腹立たしいがそれを力で捻じ伏せられないのが更にまた苛立たしい。
その間にもアドバイスをくれた闇色の機体はどこかに敵を見つけたか、振り返り、バックパックの砲塔を飛び散らせていた。無数の十字を描く天空を見上げ、赤茶けたコロニーを見渡し、ルナマリアはただただ陰鬱な溜息を吐いた。L4宙域のどこか、くらいは理解しているが、逃亡思想と戦闘による混乱から当初の予定領域をかなり離れてしまっているはずである。この状況では当ても無く逃げるわけにもいかず、〝アイオーン〟に戻る以外に無い。ナビゲータを何度も確かめながらザフトの包囲を抜けなければならない未来はとても気分を明るくしてくれるようなものではない。
「ほら、シン!」
掴みながら見下ろす。ほんの数刻前までは豪奢一点張りだった黄金の機体〝アカツキ〟は……今は見るも無惨な破片となり果てている。コクピットブロックは無事なのか? もはや散らばった金塊からそれを判別する気にはなれない。シンが意図して殺さずにおいたかなどは先程の激昂ぶりを思い起こせば有り得ないことのように思える。恐らく、ネオとやらは死んでいることだろう。
「復讐終わったんなら落ち着いて。ね?」
〈…………〉
沈黙する。シンは何となく右手を差し上げた。全ての指があらぬ方向に折れ歪んだマニピュレータは掌部さえも打たれて歪み、ビーム砲としてすら使い物にはならないだろう。冷めていく自分を認めながら怒りは消えぬまま萎んでいくのを感じていた。自分が何をすべきなのか……何をして良いのか、わからなくなる。ルナマリアに従えばいいのか、それも何故か納得できない。
〈シン!〉
心の中だけで呻く間に時は幾らも過ぎてしまったか。いきなり鳴り響く警告音に跳ね起きる。的確すぎる射撃へとシールドを差し込み殺意を弾けさせる。背面を映すモニタには自機から飛び離れ、腰部のビームライフルショーティを両手に握り込む〝ストライクノワール〟の姿が映っている。〝デスティニー〟のメインカメラを仰がせれば――シンの瞳孔が音を立てて開いた。
「ふ……〝フリーダム〟!」
馴染んでいた操縦桿が熱でも持ったように手を離してしまう。
彼と同時に仰ぎ見たルナマリアは舌打ちした。シンがぼろを出さないうちに秘匿回線を選んで〝デスティニー〟へと繋ぎ、釘を刺しておく。
「シン! 絶対喋っちゃだめよ! あんたはまだあっちじゃ行方不明のままのはずなんだから!」
しかし、それに対する返答が無い。訝るルナマリアは続けて何度も呼びかけたが、やっと返ってきたのは……震えるようなか細い声。
〈あ……ぁ……〝フリーダム〟……〉
どういうことだ? 去年、ステラの仇と付け狙った時は、あんなにも戦闘意欲に満ち溢れたと言うのに、なぜ、怯える?
そんなことはおれ自身がわからない。怯えていながら目が離せない? 彼も憎むべき相手と斬り捨てるべきだろう! 〝フリーダム〟。…………しかしその中には? パイロットは誰だ? ……キラ・ヤマト?
〈うわぁあああああぁ!〉
「シン!?」
居た堪れなさに押し出され、先刻までとは真逆のベクトルに苛まれた叫びと共に逃げ出す。ルナマリアはわけが解らぬまま牽制射撃を撒き散らし彼の後を追って離脱するが、追っ手はこちらよりも仲間を優先したようだ。降下していく〝フリーダム〟を認め、ルナマリアも逃亡に全力を傾けた。
(俺はどうなったんだ? わからない……)
(なぜ、あの坊主は俺をあそこまで憎んだ? わからない……)
先ほど集中治療だの再生治療だの数ヶ月は出られないだの今夜が峠だの細々と聞こえていたが、半分死んでいるムウにとってはどれも曖昧な儚さしかなかった。心に浮かぶのは、生命の危機感をも圧する疑問。
(なにか、忘れているのか?)
そんな感じは最近ずっと付きまとっていた。
(なんかしちまった、ってんなら俺は償うべきなんだろうが……)
忘れている以上、償い方にも見当がつかない。知ったかぶって万一全然関係の無い謝罪でもしようものなら今度はもっと直接的に殺しに来そうな気がする。無理難題という奴だ。くらくらしている内に、脳が疲れきったかムウの意識は闇に落ちた。
SEED Spiritual PHASE-61 矜恃が良しとしない
コロニー〝メンデル〟。
かつての遺伝子操作のメッカ。
多くの第一世代コーディネイター達のふるさと。
そして最高傑作の生まれた場所。
狂気の生まれた場所……。
いつまでも朽ち果てない、遺伝子研究所であった高層ビルだけが時間を超越するかのように聳えている。他の全ては滅び去った世界でも偉容を失わないその姿は、端的に言えばおぞましい。
そんなおぞましさの足下に、黄金の残骸が転がされていた。焼き切られたコクピットハッチから搭乗員は引きずり出されており、魂のない人型は無惨な屍をさらしている。
〈こ、これは酷いな……。どうやったらこんなデコボコにされるんだ……?〉
〈〝世界樹〟攻防戦で見た〝ジン〟……、バズーカだかリニアだかをくらいまくった奴が、丁度こんなだったよ〉
〈まぁ、確かに質量兵器の傷だわな。折角の鏡面装甲も……あぁ……〉
〈このモビルスーツの装甲一式だけで〝アストレイ〟の完成品が二十機造れるとか聞いたがな……〉
〈そ、そうなのか……。それは、なんて言うか、オーブの納税者達が黙っちゃいないよーなカンジだな……〉
関係の深くないものはどうとでも言えるだろう。だが、修復中の〝デュエル〟の代わりに乗ってきたペールブルーの〝グフイグナイテッド〟で金塊を掻き集めながら、イザークはどうにもやるせない気分に苛まれていた。
「フラガ一佐……。くそっ! 誰だ分散哨戒なんぞ勧めた奴はっ!」
〈イザーク、全部片付けてからにしろよ)
こちらは汎用性及び機動性を重視し、〝ブレイズウィザード〟を背負った〝ザクファントム〟が〝アカツキ〟を抱え上げる。イザークは〝スレイヤーウィップ〟を引き出しぶら下がる突起部分を拘束すると鞭を機体から切り離した。
〈おっさんも戦ってばっかだ。少しは休ませてやった方が良いんだよ〉
「ディアッカ……」
一時期〝アークエンジェル〟に捕まり、そのまま共闘までしたディアッカはムウへの思い入れが自分より強いのだろう。気遣いのように聞こえる言葉に刺々しさを覚え、イザークは自分の苛立ちを飲み込んだ。
〈あぁ。おっさんがアホなんだよ。胸デケェ恋人さんと悦んで楽しんでればいいものを……〉
黒い〝ザクファントム〟は金色を抱え上げたまま独白を続けた。先程の言葉とは裏腹に、なかなか全部片付けようとはしない。
〈以前、〝ユニウスセブン〟の破砕作業に出たとき、俺は戦闘以外にモビルスーツを使えるのはいいとか言っちまったな……〉
「それがどぉした? 俺は間違っているとは思わんぞ?」
〈戦争行動以外なら、いいわけか? 仲間の死体を掻き集めるような、こんな行為が……いいわけか?〉
イザークは惚けたように彼の名前を呼ぶしかできない。ムウのことを愛着を込めて「おっさん」などと呼ぶディアッカの胸中は如何ほどのものか、ザフトにしかいたことのない彼には想像もつかない。
戦争は――殺し合いは陰惨で忌むべきものであり残虐で多くの悲しみを生む行為。忌避すべきだと皆が声高に叫ぶ。だが反面、最も端的に棲み分けを行え、爽快であり、讃えられ、高みに立てる行為でもある。優秀な軍人であるディアッカはともすれば後者の思考に偏重しがちになるが、今だけはその価値観を心の底から疎んだ。気の置けない友人を物言わぬ肉塊に変える行為、それが爽快だと?
〈ディアッカ。感傷の浸るのは帰ってからにしろ〉
「悪い。だが、何で俺達は戦ってるんだ?」
〈……ディアッカ!〉
「あぁ。悪い。帰投するよ」
自分が、ザフトの軍人だから――コーディネイターの兵士は他の専門職を持っているものがほとんどで専門の職業軍人というものはほとんど存在しない――、戦いを捨てても他の道を探せるものだからこう言うのかもしれない。〝ロゴス〟の解体により経済が立ち行かなくなり、就職難に陥る者達の中には確実な生活を求めて軍を志願するという。それを愚かと言う資格は、自分にはない。しかし許せない。どういうことだこの気持ちは?
〝ザクファントム〟のスラスターに火を入れ、飛び立てば白の〝グフイグナイテッド〟を初めとした仲間達がついてくる。宝石箱じみた黄金を抱えながら母艦に戻る道すがら、ディアッカがイザークの方へと通信を送った。イザークが目を見開く中、スピーカーからは彼の怨嗟が漏れた。
〈俺はこれやった奴を殺してやりたいよ……〉
返す言葉など見つかろうはずもない。そこに苦笑が漏れてくる。
〈ッフフ……。矛盾してるな俺も。何で戦争が起こるんだっつったちょい後に殺してやりたいだもんな……〉
ナスカ級のハッチへとムウの抜け殻を投げ込み、機体を反転させる。眼下ではまだ何機ものモビルスーツが研究塔にとりついている。ZGMF‐LRR704B偵察型〝ジン〟がZGM‐1000/R4〝コマンドザクCCI〟を取り囲み、情報を〝プラント〟の方へと流している。ディアッカはそこへ飛び戻ろうとして――やるべきことが見つけられなくなる。重機の代わりは……機体の撤去が終わった今、まさか建物の残骸を撤去する必要はないだろう。
〈どうしたディアッカ。帰投するぞ〉
「………………あぁ」
反論など思いつけるはずもなく、ディアッカもナスカ級戦艦へと潜っていった。
シンはクロに銃口を突き付けられた。
「申し開きは何かあるか?」
「ま、待ってよ!」
割って入ろうとしたルナマリアの眉間にまでビームサーベルの柄を突き付ける。非難の声すら凍り付く中、クロはシンから目を反らさなかった。
「なんで〝デスティニー〟のシグナルが〝メンデル〟付近に載ってたんだ?」
どこにでも監視の目はあるとも言える。自分達が敵対しているのは世界の支配者なのだから。だがだからと言ってわざわざ監視される可能性の高い宙域へ出て行く理由とは何だ? クロは想像できる幾つかを脳裏に並べ、そのどれもが望ましくないものであるため眉間のしわを深くする。
「ここに来る前にお前には聞いといたと思うんだがな……。なぁ、本心言えよ。裏切りたいわけか?」
「クロ、ちょっと待って――」
「こいつ寄りは黙ってろ。オレはシンに聞いてるんだ」
押し殺した怒りに遮られ、何より凶器に足を止められルナマリアは息を飲む。視線だけを動かせば、シンは銃口越しの眼光を真っ向から受け止めていた。
「アンタは……」
「ん?」
ルナマリアの視線にすら気づかず、シンは少しばかり躊躇った。脱走を目論んだ事実は自分の中では否定できない。もしそれがなかったとしたら、銃を払い、クロへと飛びかかっていたかもしれない。
「何で、わざわざ戦争を起こすようなことをしてるんだっ!」
クロは思わず目元を掌で押さえた。〝コメット〟の機能を操りきれた達成感はどこへやら、どっと押し寄せてきた疲労感に心に何かがさくりと刺さる。
「二度三度と説明したくはねぇなぁ…! 戦いたくないってんなら今すぐ〝アイオーン〟を降りろ。降りられず、戦えず、それでも残りてぇなんて我が儘は却下だ。我が儘通すなら、殺す」
撃鉄の起きるような音はない。未来性能の銃ではあるが脅しの道具としてはいささか物足りない。
「答えろよ! なんで戦争なんか起こすんだっ!?」
「いい加減殺すぞてめぇ! この腐った世の中をぶっ壊すためだっ! あぁ『壊す』に反論してぇんだろが壊さなきゃどうにもできねぇとこまで来てんだよっ!」
「そう言うアンタの勝手でっ! 何人不幸になったと、死んだと思ってるんだ!?」
「仰るとおりだなぁ!」
クロは銃口を音がするほどシンの頭蓋骨にめり込ませるとその胸ぐらを掴み上げた。シンは直ぐさま左手を払いのけたがクロの銃口も彼を逃がさなかった。
「不幸を撒き散らしてることぐらい自覚してる! だが、ラクス・クラインの『存在』と! キラ・ヤマトの『戦力』に対抗する手段が他にあるか?」
「なんでっ……! 対抗する必要があるんだよぼぁっ!!」
ひっと悲鳴を上げるルナマリアの眼前でシンを殴り飛ばしたクロはサーベルの柄を怒りにまかせて叩き付け両手に握った銃を彼に押し込む。
「あいつらは政治家として二流なんだよ……! あいつらが絶対正義を唱ってるその足下で、逆らえない権力を盾にどんな世界になってるか、本当にお前には解らないのかっ!?」
言葉というのはなんと疎通に適さない不完全なものなのか。頭突きかなにかで思っていることを丸ごと伝えられないか?
彼らの自由を守るための犠牲にされる個々人の心。
信じた者達を裏切りながらもその存在に気づきもしない立場。
戦争の原因を完全に取り除いた気になっている、意見衝突の絶えない……世界。
なぜ完全になったのに餓死者がある?
なぜ完璧になったのに戦死者がいる?
どうしてなくならないのだ!? 被害者という存在が!
「――お前は解ってるのか? 解ってるなら何故ザフトから逃げた? 不幸なんだろうお前も!」
額で銃を押し返しながら、シンも言葉に詰まる。思い起こされるのは自分の操る〝デスティニー〟の前に立った〝ジャスティス〟。そこから聞こえた、元上官でもあり、裏切り者でありながら……切り捨てきれなかった男の声。
「この世界は変わらなきゃならない……。だから、オーブを撃たなきゃならないんだぁっ!」
それは自分の言葉だったか。だとすればクロに反論する資格などないのか? 混乱が意気を消沈させるもシンの中の怒りはそれを是とする現実を拒む。
「でも……今の〝プラント〟仕切ってる人は、世界を間違った方に向けようとはしてないだろ…?」
シンのための言葉を探してクロを見つめていたルナマリアが不意に彼へと振り返った。何か言葉を漏らす、それより先に、ティニの声が凍った空気に亀裂を入れた。
〈『間違ってない』――そう思っているのは、本当にあなたの心ですか?〉
「……なんだよ……それ?」
届いた通信にクロも凶器を下げ、ティニが映ったディスプレイに視線を投げた。
〈シンさんにも納得していただけるものが、ようやく手に入りました。お手間取らせて申し訳ありませんが、私の所に来てもらえますか?〉
反論するかと思われたシンも、額についた銃の痕を気にもできないまま歩き出す。クロは少しばかり意地の悪い笑みを浮かべ彼の後に続いたが、
〈クロ。外してもらえますか。あなたシンさんに嫌われてますから〉
まぁ、……。納得しきれない部分はあるものの彼女に従う。ついでに同じく後を追いかけていたルナマリアの手を引いた。ついでに耳打ちしておく。
「あの一件で錯乱したよーな奴が行くな」
「ちょっと、何よそれ?」
答えもせずに奧を見やる。シンを飲み込んだドアがスライドして彼を見えなくした。
ヒルダ・ハーケンは最高評議会議長の前に出頭した。部屋の外ではマーズ・シメオン、ヘルベルト・フォン・ラインハルトの二人が気を揉んでいるはずだ。
「ヒルダさん……、あなたの搭乗機のミッションレコーダーから出てきたと言う内容、これはどういうことですか?」
相手がラクスでなかったら、「どう、とは?」などとはぐらかす事もあったかもしれない。下僕二人に囲まれていればもう少し心労が減っていたかもしれない。どちらにせよ思いつきもしないことだ。ヒルダはラクスに対して潔癖なまでに誠実であるし、彼らの同席を無理矢理断ってやったのも彼女自身なのだから。
「はい……全て事実です……」
「何故そのようなことをっ!」
執務室にラクスの絶叫が轟いた。流石のヒルダも身をすくませる。ラクスは机上に両肘をつきピンクの頭を抱え上げたが激情はそんなことでは収まらずかぶりを振って乱暴に立ち上がる。
「何故そのようなことをなさったのですかっ!?」
パーソナルスペースの最奥にまでラクスが踏み込んでくる。普段のヒルダならば無情の悦びを感じていただろうが、今はそうはいかない。頭一つ分以下の低さから睨み上げてくる、ともすれば小娘と呼ばれかねない存在から至上の恐怖を味わうことになった。
「ラクス様…………」
「答えてくださいっ!!」
「ラクス様の身の安全のため、必要なことだったのです……!」
景気のいい音が弾けた。頬に生じた鋭い熱さに思わず掌で押さえてしまう。虚をつかれた丸い目で崇拝対象を見返せばその目に光る涙の粒に心臓が止まる思いがした。そのまま何もできずにいる内に目頭を押さえたラクスはふらつき、体を執務机にもたせかけた。
「ら、ラクス様っ!」
支えようとしたその手を振り払われる。癒やしがたい熱い傷を立て続けて心に刻まれながらヒルダは差し出しかけた両手を持て余す。溜息と涙声を3度交互に漏らしたラクスは仇でも見るような目をヒルダに向けると何度か言葉を探す様子を見せた。
「…………ヒルダさん……。どうしてこんなことを? 何か、申し開きはありますか!?」
ただ項垂れて恭順の意を示すか、ただの一つの嘘もなく、包み隠さず全てを吐くか。ヒルダにはラクスが何を求めているのか判断しきれず唇だけを震わせた。
「あ、あの――」
涙に濡れたその瞳に沈黙を続けることが苦しくなる。口で大きく息を吸ったヒルダは彼女の目を見ることができぬまま蟠りを吐き出した。
「シン・アスカをご存じですか?」
ラクスはただ、頷いた。
「シン・アスカは、アカデミーで公言していました。『〝フリーダム〟は、おれが倒す』と」
盗み見たラクスの瞳に理解の色は灯らない。
「彼の経歴を調べました。〝オーブ解放作戦〟の際、彼は家族を失っております。その原因は……〝カラミティ〟と〝フリーダム〟。どちらがどうというわけではありません。ですが、シン・アスカの宣言から、彼が〝フリーダム〟に並々ならぬ恨みを抱いていたことは、疑いないかと思われます」
ラクスは何も返してこない。
「そして――デュランダルが、彼をラクス様に対する切り札として育て始めました。連合から流出していた服従遺伝子や記憶操作の――、デュランダルが彼に何かを施しているのを利用し、あぁ、言い訳に過ぎません。ですが、私は、ただ、その頃オーブで平和に暮らしていたお二人の手を煩わせたくなかったのです…………」
ラクスが、かぶり振った。何度も、激しく。
「だからと言って……っ! 人の心を奪うことなど……踏みにじることなど……っ! 承伏できません――」
「ラクス様っっ!?」
怒り狂い悲嘆にまみれたラクスの感情は彼女の心の許容量を超えてしまった。ヒルダは糸が切れたように崩れ落ちた信仰を必死の思いで抱き留める。
彼女のためを思い、外道の技にまで手を出した。彼女がここに立てるのは、間違いなくヒルダ達〝ターミナル〟がその道を切り開き、整えてきたからに他ならない。オーブに〝フリーダム〟を隠せなければ、連合、ザフトどちらにも無関係な立場を利用して条約を無視した開発を続けなければ、〝エターナル〟を匿わなければ、彼女と言えどどこかで無力と成り下がっていたかもしれない。
全てはラクス様のために。
……だが、今、その全てが彼女の心に過負荷を強いた。
頽れたラクスを支えきれず、彼女も膝を折り崩れ落ちる。きつく閉じた彼女の隻眼に光るものが浮かび上がったが、彼女の矜持はそれを落とすことだけは良しとしなかった。
SEED Spiritual PHASE-62 解っていなかったのです
秘密ドックを見つけた。アスランは上空を仰いだが生憎天井まで暗い装甲に覆われたここからでは星空など見えはしない。〝ギガフロート〟は人工島であり、人工島の地下に風情など求める方が間違っているのか。
「ザラ隊長」
「どうした?」
「一人――」
黒い〝デスティニー〟に逃げられたアスランの部隊はマスドライバーの封鎖と関係施設の接収を行った。その一つに隠された施設があり、周囲には累々たる屍が満ちていた。頭に何かを突き立てられた屍の山は不可解な意味を漂わせ、彼をしても戦慄させていた。そんな中、部下の一人が何かを見つける。彼が指差した先には、やはり額に何かを突き立てられた人間が人二人に拘束されてそこに、あった。
「彼ら、歯に毒薬でも仕込んでいたようですが、彼――だけは……」
何かを突き立てられた人間は脳に損傷を付けられているわけではないのか、理性的な口調で拘束者に反論している。報告から得られた異常性に顔をしかめたアスランは何度も『付いている』でなく『刺さっている』と言うことを聞き返したが、どうにも納得できなかった。
「……どういう状況なんだ……あの男は。一体何が刺さってるんだ?」
「よく分かりませんが……」
「取り外せるか? もちろん、無事にと言う注文が付くが」
「ぅ……担当に確かめてみます」
――数時間後、母艦の中で知らせを受けたアスランは医療室へと向かう。スライドした扉の先には予想よりも控えめな包帯を巻かれた先程の男がいた。
「二、三聞きたいことがあるが、大丈夫か?」
「あ、はい」
何かを突き立てていた時と変わらない普通の返答。アスランは眉を顰めながらも気持ちを奮い立たせる。こいつも憎むべきテロリスト、そこまで行かなくともその協力者なのだ。
「あなたは何故あの組織に協力した?」
あの機体の行き先でもなく、目的でもなく、何故かまず、そう問いかけていた。恐らく狂信者らしく自らの思想を誇らしげに語るのだろうと嫌な想像を覚悟していたアスランは、彼の惚けた表情に虚を突かれる。
「いえ……それが、何とも……」
眉を顰めたアスランは施術者に問いかけた。
「彼の頭に着いていたあれは、何だったのですか?」
「調べてみないと詳しいことは言えませんが、何かの信号を遮断していたようです」
軍医は渋面を作りながらトレイから取り上げた脂肪片のこびり付いた針を指差す。
「この先端が大脳新皮質にまで達していましたので、思考に何か影響を与えていたのかと、推測しますが……」
おぞましさに満たされた。今夜は悪夢にうなされるかもしれない。包帯を巻かれた男を注視し、躊躇いながらも聞かざるを得ない。
「な、何をされたんだあなたは……?」
彼は、特に臆した様子もなく首を傾げた。
「いえ、彼らに、拘束されたあと、手術台みたいなのに寝かされたんです。でも、特に何もなく今まで仕事をしていたんですけど……」
「な、何もなく!?」
驚愕するアスランは再び置かれた謎の針を乱暴につかみ取った。
「こっ……こんなものを突き立てられて普通に生活していたと言うのか!?」
「あぁ、はい。刺さっていたとか今聞いたんですけど、これに関しては全く思い至りませんでした」
特に何事もなく、応える。信じられない。その後の研究でも見解の変更はなかった。
「ヒトを、操る技術だと………!」
慣れ始めていた怒りが新たな火種を取り込んで彼の心を焼き焦がした。あの組織は、どこまで世界を腐らせるつもりなのか。信じられない。全く信じられない。ヒトがヒトとして在る魂の根幹を他者の勝手で汚したというのかっ!? 自分に施される想像はあまりに恐ろしい。
「最悪だ……俺達の敵は……」
「ザラ隊長……!」
額を抑えたアスランがよろめき、医療器具を一つ押し倒した。治療のための危険物達が綺麗な音色で抗議を奏でる。看護師達が片付けようとしたメスをアスランが踏みつけた。
「こんなものが、何になるっ!? 世界を混乱させるだけだ!」
アスランの怒りに反論できるものはなく、医療室には地獄のような空気が充満した。
ザフト製随一の高速艦として名高いエターナル級一番艦FFMH-Y101〝エターナル〟。戦意高揚を優先したローズレッドのボディカラーは守るときには鬱陶しいが帰還するときにはありがたい。一直線に帰還した一機の偵察型〝ジン〟が下部のハッチに飲み込まれた。
〈何とかギリギリ受信できましたよ隊長〉
「ごぉ苦労~ダコスタ君」
艦長を務めるアンドリュー・バルトフェルドは話し込んでいた二人を手で制すと通信小窓に微笑みかけた。戦争で受けた左目を潰すほどの傷跡を張り付かせ、造作は精悍でありながらも彼には愛嬌がある。軍務人生の大半を彼と過ごしてきたマーチン・ダコスタは偵察型〝ジン〟の後部座席にいる情報処理担当にデータ転送作業を押しつけると自分は艦橋(ブリッジ)へと足早に進んだ。
「はい戻りましたよ隊長。あまり地球圏に近づくとNジャマーの影響が――」
いつものように上官相手の愚痴を漏らしドアをくぐる。いつものクルーと艦長席の彼の姿だけを想像していたダコスタは予期せぬ闖入者の存在に慌てて無礼な口を噤んだ。
「あ、お二方……」
「よう」
「毎度ご苦労だなダコスタ」
手を挙げて挨拶を返した二人に何とはなしに生返事を返す。知った顔だった。ヘルベルト・フォン・ラインハルトとマーズ・シメオン。〝ターミナル〟の実働部隊、ヒルダ・ハーケンの付属物が何をしに来た?
「ダコスタ君。君も彼らを見習ったらどうかねぇ?」
疑問符を浮かべた視線の先には――ヨーグルトソースの入ったボトルが見える。
(何をしてるんだかこの人は……)
頼んで買わせたというのかこの人は? 彼らはアプリリウス市にいたと記憶しているがそれをわざわざ物資補給役として使う上官の神経に嘆息したダコスタだったが、その考えが誤りだったと言うことに気づかされる。
「後悔してるか?」
バルトフェルドの問いかけに、強面の男二人は一様に項垂れた。
「あんたらは、歌姫を思ってやったことなんだろう? なら、いいじゃないか。どうしても気に病むってんなら、俺が必要なことだったとでも言ってやろうか?」
歌姫のために行った、歌姫に疎まれること――と言えばダコスタにも思い当たるところがあった。ザフトのパイロット候補生に特殊な処置を施したと言うことは、彼も知っている。その候補生が、デュランダルの懐刀となったシン・アスカであると言うことも。だが、そのパイロットのことをよく知らない、情報でしか知らないダコスタにはラクスに感情移入しきれなかった。
「あぁ。ラクス様にバレちゃったんですか……。で、ヒルダさんは大丈夫ですか?」
反応して生まれた二人の険悪過ぎる視線にダコスタは一歩引いて苦笑いを浮かべた。殴られそうな気配すら感じて思わず平手を顔の前に持ってきてしまう。
「まぁ……どーなのかねぇ。ボク達のしたことも非人道ではあるけど、戦争やってたわけだしねぇ」
ヨーグルトソースをショートケーキ上のホイップクリームの如く盛り上げられたシシケバブを食べるでもなく弄びながら偵察機より送られてきたデータに目を通していた。コーディネイターだらけの艦橋では流れるデータ速度もコーディネイター級。艦橋内に一人でもナチュラルがいたら目を回して倒れ込みそうな状況である。
データの洪水からふと目を離し、艦橋窓に視線を投げれば併走するナスカ級が見られる。〝エターナル〟も、先程まではL4宙域に〝フリーダム〟を運び、そして〝アカツキ〟、〝ドムトルーパー〟を撃墜した調査隊を搬送するため彼らに紛れていった。今横にいるナスカ級戦艦がL4でも脇にいたものと同じものかは分からないが、星空はいつも代わり映えしない。人が死のうと、重機が死のうと、星が死のうと――代わり映えしない。少なくとも人の認識の中では。人の認識外には何も存在できないとのたまった学者がいたが、ならばこれらの滅びはなかったことにされるのか……。
バルトフェルドはマーズとヘルベルトの表情を盗み見た。一様に項垂れている。ダコスタの表情など見ずとも解る。ケバブの最後の欠片を口に入れ、コーヒーの湯気でそれを溶かしながら、ぽつりと呟いた。
「ボクねぇ。〝アカツキ〟撃墜の件、実は内心喜んだんだよね」
三人から届けられる空気が変わったのが解った。操舵士やオペレータまでは窺い知れないが。視線に笑みを乗せて彼らに向ける。
「『おぉ! これで女が出来る』ってさ」
あまりといえばあまりの物言いに一同は鼻白むがバルトフェルドは意に介した風もなくダコスタに鋭い微笑みを返した。
「――と、言うことだ。ヒトには汚い一面があって然り。その汚さを、他人のためってな美しさで覆える分お前らの方が正義ってのに近いんだよ」
二人は互いの顔を見合わせ、共に目を丸くした。
「ヒルダにも、言ってやれ。お前は必要なことをやってるとな」
やがて〝エターナル〟が修復中の〝ヤヌアリウスワン〟に寄航すると、彼らは懸念半分納得半分と言った表情で下艦していった。多少薄れさせはしたが、未だ暗いオーラを背負った二人が見えなくなり、そして艦の整備が始まるとダコスタが不安そうに聞いてきた。
「……あの、隊長、さっきの――」
「ん? ラミアス艦長を盗ったろーって件かい? 冗談だよ」
C.E.71、〝ラゴゥ〟第一号機の中で彼は最愛の人アイシャを失った。そしてC.E.73、共に最愛の者を失くした者同士、傷の舐め合った相手は――片割れを取り戻している。その結果が今の上官の姿、なのだ。
その懸念を払拭するため――もしくは彼の強靱な精神に敬意を表して――彼の冗談に笑顔で答えた、
「隊長は……強い人ですね。僕もそうできるかどうか……」
バルトフェルトが大笑した。
「ダコスタくぅん……。それよりキミは彼女探すとこから始めるんだね」
世界を恨める立場に放り込まれながらそれを笑える上官を誇りに思う。
「来たよ」
〈ご足労申し訳ありません〉
筒のある部屋だった。窓一つない奥まった部屋に、地上にいたときとほとんど変わらない機械にまみれた女がいる。なにやら賢しいことを並べる小娘と話して談笑になるわけもなし、また言い負かされるようでは不快になる。シンはいきなり居心地の悪さを感じていた。
〈以前あなたの意識に植えられていた枷を撤去したこと、覚えてらっしゃるかと思いますが〉
「…………あぁ」
覚えているも何も彼自身には変になったなどという自覚がないため言葉を濁すしかない。
〈それを施したのが、〝プラント〟ではないか、と言う話はしましたでしょうか?〉
知らない。が、気に入らない。
「そんなわけあるかよ。連合じゃあるまいし……!」
シンが理不尽に対する当然の怒りとして吐き捨てるが、ティニはそれを咀嚼することなく突き返してきた。
〈連合なら薬物やマイクロインプラント、ナノマシンを用いて意識を乗っ取ると思います。中枢思想であった〝ブルーコスモス〟は遺伝子操作を毛嫌いしていたわけですし。それが今になって服従遺伝子など利用するとは思えません〉
何より〝ソキウス〟技術は不完全な失敗作として連合の内から破棄されている。
〈それに、あなたの経歴を見たところ、地球連合との関わりはまるでありません。〝ターミナル〟にデータがあるのはC.E.71以降ですが。特にお父様が〝ファントムペイン〟に関係していたなどという話も聞きませんし〉
「オノゴロにいたけど軍事とはまるで関係なかったよ! ウチはっ!」
親を持ち出されたことを侮辱と感じ、シンは思わず声を荒らげた。が、頭――どころか全身にケーブルをつないだ少女は堪えた風もなくこちらを見据えてくる。
「何だよ一体? 話があるってそれか? アンタもクロって人も、おれに何を期待してるんだよっ!?」
彼女はじっとこちらを見返す。怒号をぶつけても怯む様子のない少女にシンは意識をくじかれる。その胸中を苛立たしく感じながらも声は出せなかった。その前に彼女が言葉を被せてきたのである。
「話したいことはそれだけですが、考えて欲しいことは一つも伝えていませんよ。少しは考えてください」
「あ?」
「ザフトを敵としたくない気持ちは分かります。その気持ちを裏切る必要もないと思います。ですが、あなたを利用しようとした存在がいることをどう考えますか?」
そう言われ、はっとなったシンが最初に思い描いてしまったのは亡き友レイ・ザ・バレルだった。彼は慌ててその考えを打ち消すと次いで浮かんだギルバート・デュランダルの姿を抱いた。
ティニは大きく溜息をつくと言葉に何かを着せるのをやめる。
「アスラン・ザラを超えたいとは思うのに、キラ・ヤマトには服従したい。それは何故ですか?」
「な?」
驚愕するシン。ティニはもう気遣うことは忘れ、手持ちのデータを全て晒した。シンから視線を外し、空間にデータを投影しながら瞑目する。消されずにいたか、復元したかはこちらの知るところではないが、まず一つ目。手術台に寝かされ何かを調節されているシン・アスカの映像が表示されている。
「先程あなたが戦闘を行った〝メンデル〟から引き出されたデータです。あなたは洗脳されています」
その映像は流れたまま、ギルバート・デュランダルがさせたという遺伝子検査データが表される。その中のシン・アスカのパーソナルデータがある時を境に書き換えられた。変更日は脇で流れる映像のタイムスタンプと同一。
「〝クライン派〟があなたに処置を施した記録です。あなたは洗脳されています」
ずらずら流れたテキストウィンドウが閉じ、映像が更に周囲を引き寄せる。入ってきた黒服の男は、シンも見知った顔だった。キラと和解したあとに何度か顔を合わせたことがある。確か、ヘルベルトだったか?
「この処置に関係した人間のリストです。あなたはこの人達に洗脳されました」
ヘルベルトの画像データが詳細なものに変わり、それに連なってマーズ・シメオン、ヒルダ・ハーケンのデータも並ぶ。その他にも人物データは並んだが、シンの記憶にある者はその程度だった。
一通り表示し終わったところでティニは彼が叫び出すかと思っていたが、彼は思いの外冷静だった。が、瞑目していた瞳を上げるとその考えが間違っていたことを悟らされる。
シンは顔面蒼白になって立ちすくんでいた。刺激が強すぎたようだが知ったことではない。こちらの望む解に辿り着けない彼が悪いのだ。
「そんな……まさか」
「これを〝クライン派〟がやったのは事実ですよ。泣き寝入りするのも自由です」
それで本当に伝えることがなくなったか、ティニはシンから視線を外すと再び意識の世界に入り込んでしまった。かさかさになった唇を持て余しながらシンの視線は彼女に縋ったが、異星人に慈悲はなく――シンには縋れるものが自分の心しかなくなってしまった。
「おれは……」
「決めるのは、あなたです。但し一人で探したいのなら、ウチの資本には頼らないでください」
口呼吸を改められない。呼吸のリズムも正せない。そんな中でも応えることを求められる。シンは精神制御に全霊を込め、なけなしの自分を引っ張り出した。
「おれは……あの人に聞いてみる。このことを……」
彼女はそれでいいともそれではいけないとも、答えてくれなかった。
「解りました。〝デスティニー〟にこの映像を転送しておきます。交渉の仕方はあなた次第です」
聞いてみる。それから、考える。思うに自分の人生に足りなかったのはそう言った待つ忍耐だ。そう思う。
決意を固めるシンの横顔を盗み見ながら考えた。服従遺伝子はどこまで彼の意識を蝕むだろうかと。彼がキラに対し、服従以外の行動を取れたのなら、地球人種について研究課題が増えるかな、などと。
「あぁ…………」
キラの哀しげな表情に感化されて心の堤防が崩れる。しかしそれでも彼の胸に身を投げることのできないラクスは執務机の机上へと潰れ込んだ。
「ラクス!」
キラが慌てて肩を支えるも、彼女はそれに甘えるがまま、もしくは気づけぬまま崩れ落ちる。胸中を苛む熱い黒さに耐えかねた彼女は左目だけを外に放り出すと黒さを言葉に乗せて吐き出した。
「わたくしは、解っていなかったのです……っ!」
ヒルダらが過激な思想を持っていること、自分のために裏側では非人道的行為にも及んでいるだろうことを、知っているつもりだった。だが、違ったのだ。
「わたくしは、理解していなかったのです。ヒルダさんのしていることを。いえ……世界のことを……っ」
「そんなこと――」
そう口走りながらもキラは言葉を続けられなかった。そんなこと、どうだというのだ? 無視をすればと? それで世の中が良くなると? そのどれにも否と答えたキラの感性は続く言葉を飲み込ませた。
「どうすればいいのでしょう? このままでは、わたくしは、何もできずに………」
「そんなこと――」
ないと言い切れるか? 自分自身でさえ、破壊する黒の運命に今も心をかき乱されているというのに?
(僕だって……何もできていない。軍神なんて呼ばれても、守れてないから)
二人はただ、小さく触れあったまま何もできずに息をする。二人の心は通うことなく、それでもただ、平和の作り方を模索する。光量の乏しい評議長執務室で息をすることさえ阻まれる静寂に浸される中、先に意味を結実させたのはラクスの方だった。
「…………せめてわたくしの目が届けば――」
皆が平和を望んでいる。だが、その世界にも必ずいる。裏から邪悪を撒き散らす者達が。かつての〝ロゴス〟に連なるものが未だ残っていると〝ターミナル〟は伝えてきた。未だに地球表面での小競り合いが絶えないのは思想のせい。そしてそれを激化させているのはどこからともなく武器を供給する愚か者達のせい……。自分はその全てを弾劾できる立場にいる。ならば――
「わたくしに、全てを視る力があったら、この悲劇を止められるかもしれません」
「ラクス……」
彼女は本当にそれを求め、得るかもしれない。だがもし、責任に凝り固まった今の彼女が全知など手に入れたらその情報量に圧殺されることは疑いない。
「駄目だよ……。そんなに自分を追いつめちゃ。ラクスは絶対に、世界に対して裏切りなんてしてないよ」
突如の警報とアナウンスに、項垂れながらもラクスが反応した表情は、最高評議会議長のものに変わった。
「何事ですか?」
〈あぁ! 議長っ! 敵襲です。あの、黒い〝デスティニー〟ですっ! キラの奴がどこ行ったかご存じ在りませんかっ!?〉
「行ってくる!」
通信を傍受したキラを止める言葉を、彼女は持ち合わせていなかった。彼が世界に意味を投げかけたいと言うのなら、その手段を押し止めることはできない。
在り来たりな言葉も今のラクスには投げかけられなかった。掌を組むこともせず、彼に並んで走り出す。
「――ラクス?」
「わたくしも、〝エターナル〟に」
キラは少しばかり躊躇ったが、行動することで絶望を紛らわせられるならと微笑みかけた。
「うん、行こう!」
SEED Spiritual PHASE-63 異様な興奮を覚えてしまった
中東のとある遺跡群に通されたエージェントは意識を取り戻すなり目を丸くした。テロリストの頭領という奴は頭にタオルを巻いた髭爺に違いないという固定観念が突き崩される。
「スパイってェよりエージェントって呼んだ方がしっくり来る人をとっ捕まえられるのはなかなか爽快ね」
切り出した石のみで構成された部屋の中に金属質の拘束机。そんな異質に固定されたエージェントは目の前の少女二人に度肝を抜かれていた。下手をすれば娘と同じか。それに詰め寄られる心地も奇妙ではあるが脇に控える幼子の存在がより奇妙を際立たせている。
「し、指導者とは会わせてもらえないのか? これだけがんじがらめにしても俺が怖いってわけだ」
「声、震えてるよ」
黒髪の少女は場にそぐわぬ軽快な笑い声を鳴らした。なんなのだ? 小娘に過ぎない。仕草も口調も自分の娘よりも幼稚にすら感じる。――だというのに、この威圧感はなんだ? 軽快な笑顔から、恐怖を感じるのは何故だ? 気づけば自分は失禁寸前まで怯えきっている。であるが、拘束されているため逃げられない。国を背負うこの立場が逃がさない。彼は肉体・精神共に袋小路に入り込みながら、余裕の仮面だけは外すことができなかった。
「あなたがどんだけの地位なのか良くわかんないけど、エージェントやってんだから深いとこ入れるよね? あぁ――」
何やら小娘が指示を出している。中堅年齢が腰を折って上司から指示を受け、一礼して退出していく。ここがオフィスで上司が壮年ならば様になるのだろうがここは岩肌むき出しであり、上司は小娘だ。固定観念などという情報収集の妨げになる概念は極力廃するよう指導されてきたつもりだったが、体に染みついた訓練の数々が音を立てて崩れるような喪失感に苛まれた。
「――っと、ゴメンね。何の話だっけ?」
「俺をエサに取引など考えるだけ無駄だ」
また、笑う。嗤うのならばまだ気も楽になるだろうが。
「違うよー。エサじゃなくて道具、かな。あなたの生態情報まではこっちでも造ったりできないんで、ね?」
造る? そして生態情報だと? 少し推せば察しは付く。網膜だの静脈だのと言った鍵となる個人情報が欲しいわけだ。
「は……め、目玉でもくりぬくか? 手首でも切り落とすか? そんな怪しいもの持った奴が入れるような諜報機関がどこにある?」
また彼女より年かさとしか思えない男が小娘に耳打ちし、小娘が何事か指示を出す。数事話した後、彼女は手を叩いて喜んだ。
「丁度良かったぁ! あなた、大西洋連邦のソレなのね!」
何かの情報網によって自分の所属が看破されたと言うことか。胸中を表に出さずにいられたかは、自信がない。どのみち脂汗でべたべたの全身だ。どのような態度を取ろうと不審でしかないだろう。
「CIA? だったらスゴイけど、まぁどこでもいいわ。スタンフォードに手を出せれば」
スタンフォード? あのA級犯罪者を放り込んで蓋をする、刑務所とは名ばかりの墓場のことか?
「お前ら……そうか。確信犯でも引っ張り出したいか。下らないことを……」
精一杯毒を乗せたつもりだったが彼女は苦笑いを見せることもなく世界を進めている。不安に、勝てず、彼は我知らず次の言葉を継いでいた。
「どちらにせよ、無駄なことだ。俺などでは何の材料にもならん」
「アンタの脳味噌なんかどうでもいいのよ。どーせ聞くしかないんだから」
「何だと? あ、おい!」
拘束されたまま、抱えられた。言い知れぬ恐怖が心臓から股間にまで直撃する。その内何人かが金物を手にしたところで恐怖がよりいっそう冷たさを増す。思わず呻き、唾液が乾いた。
「な、何する気だっ!?」
反抗的な言葉を並べ、小娘を睨め付ければ周囲の男が大工道具にしか見えない金物を振り上げた。手を挙げようにも五指から拘束されている。手を逃がそうにも五指から拘束されている。嫌でも覚悟を決めさせられる。振り下ろされる金属塊を――
「あぁー! やめてやめてそう言うグロいのっ!」
甲高い声が押し止める。鈍器が小指をくの字に砕く前に押し止められて震えていた。恐怖に引き締まっていた汗腺が突如の安堵に滝を流す。絞り込まれていた気管支が堰を切って大気を流した。
「原始的なことしなくても言うこと聞かせられるんだから。ほら、早く連れてって」
だが安堵は直ぐさま凍死した。そんな絶望をありありと表す表情に、ライラは異様な興奮を覚えてしまった。そー言えば、『大人向け』とかで命令してもなかなか見せてもらえない映像の数々は……女性の悲鳴ばかりな気がする。
大の男が漏らす悲鳴はどんなものだろうか? 確か小さい頃、寝てるお兄ちゃんにものすげぇ量の落ち葉をぶっかけて見たら目に入ったらしくもがいていた姿が面白かったのを覚えている。
取り敢えず今自分にはそれができる立場にある。例えば――
(なに考えてるのよ。あたし……)
思考の向いていく方向に自分自身呆れたライラは天を仰いで彼らを追い出す。脇にちょこんと座り込んでいたステラは特にだだをこねることもなくただただ前だけを向いていた。
「ステラ、何か興味あった?」
振り返るステラの顔にはいつも表情はない。常に何かを疑問に思うように大きな瞳を揺らしている。
「おじさん、どこかいくの?」
彼のことだろうか?
「友達にしようかと思ってるんだけどねー」
旧連合軍、と言うよりも〝ファントムペイン〟ができる人格改変は『記憶を消す』そして『別の記憶を映す』ことだけだ。同僚と司令官の存在を脳裏から消され、精神に大量の空白を抱えて壊れてしまったスティング・オークレーとかいう〝エクステンデッド〟の例もある。これでどこまで説得し、なおかつ潜り込ませられる人材を育成できるかは疑問が残るが、そこの仕事はライラの知った事ではない。子供に悪い教育だと思いつつもライラはいけしゃあしゃあとそう告げる。ステラは小首を傾げたが、疑問に答えてやるよりも先に新たな耳打ち係が近づいてきた。
「え? おじいちゃんから?」
手渡された通信装置が映像を吐き出しスタンフォードの面会室を映し出す。誰があそこに行っているのかはライラも知らないが、鉄壁のはずの閉鎖空間を出し抜く方法は今更驚くに値しない。自分も一つ知っているわけだし。
〈生きておるか?〉
「久しぶりー。ずっと面会行けずにいるけど寂しがってる?」
〈くだらん挨拶はどうでもいい。これを見ろ〉
くだらない? そのフレーズにカチンと来た自分を持て余す。そんな彼女の内面など素知らぬ顔で、ブルーノ・アズラエルがフレームの外にいる誰かに指示を出した。映し出されたデータは、宇宙のものか。ラグランジュポイントに点在するコロニー全てを記憶できるはずもないが、この建物に見覚えがある。
「……これって、〝メンデル〟? 昔遺伝子操作でバイオハザードやっちゃったってアレ?」
〈そうだ。だが問題は廃れた研究施設などではない。この記録だ〉
ブルーノの指示で一つのデータがピックアップされる。
(……えっ?)
所属不明の存在が地球連合とは関係のないところで遺伝子操作を行った記録である。
〈記憶操作だ。まだこの技術はまだ〝ファントムペイン(おまえたち)〟が独占しておくべきだと思うが、どうだ?〉
「……………えーと、まぁあたし達が世論とか気にするのは馬鹿げてると思うけど、一般に非人道的とされるのは、こちらで制限しておくべき、くらいには思うわよ。特に今の統合国家には持って行きたくないわね。『らくすさま』や『かがりさま』に反発する思想家が全滅させられそーだもの」
ブルーノはこの答えで満足したらしい。一つ鷹揚に頷くとパイプいすの上で腕を組んだ。
〈ならば、わかるな?〉
「秘匿って事実を現実にするための抹殺? 了解。あ、あたしからもおじいちゃんが喜びそうな情報、送っておくから楽しみにね」
ブルーノは了解だけが聞きたかったのだろう。こちらが皆を言うより先に通信が切られてしまった。
「…………」
ライラは通信が切れるなり思い切り背もたれに自重を押しつけた。キィキィと耳奧にまで響く抗議を無視して空どころか暗すぎて天井も見えない闇を見上げる。
「ムルタさんなら、覚えてたよね……」
「ライラ……?」
「ん。なんでもないわ。気にしないで」
覚えていたに違いない。だから、この名をあたしに見せたわけがない。
「ま、やること決まったから動こうか。ステラ、抹殺、行くわよ」
「うん。了解」
準備はそれ程必要ない。オーブの目が届きにくいビクトリアかパナマ基地のマスドライバーを使えば〝デストロイ〟入りの艦を飛ばすことくらいは容易だろう。後は、月のどこかでも徴発して補給地点にすればいい。
「さっきの人と、〝ロゴス〟関係のこと、任せていい?」
「了解っすよ。隊長も気をつけて」
「私は、ついて行かせてもらう」
「――交渉するときは歳喰った人がいた方がいいからね」
壮年の不機嫌を笑顔でいなすと、ライラは見えない天井から目的地を臨んだ。宇宙へ。ステラも真似て闇を見上げたが……その子が何を見ているのかは想像する以上できない。見返してきたステラを、ライラは微笑み返した。
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責任、信念、そして正義。貫かなければならないモノがヒトにはある。だが歪んだ世界は人の真剣をゴミのように取り扱う。志半ば、貫ききれずに散る意識。そして貫ききったとしても、結果が誰かを不幸にする。究極の平和という命題誰もが妥協で疑似回答を提示して満足した気になっている。それでいいか? あなたは出せるかこの解を?59~63話掲載