合肥に建てられた城は、その地が寿春と並んで対孫呉戦線の最重要地と位置付けられた何よりの証である。
城郭は堅牢を極め、城内には魏の工房で中核を担っていた李典お手製の多数の罠が仕掛けられ、これまで幾度となく繰り返されてきた孫呉の襲撃を退けている。
「ッ……ア、ッ…………ハァッ……ハァッ……」
城の奥には、以前華琳が遠征するのに合わせて設けられた大広間や書斎等が多数ある。
その深奥部、華琳が手ずから設計した寝所で、魘される様にして仲達は横たわっていた。
「御苦労さまでした……」
日に三度、容体を検査する為に訪れる典医に礼をした紅爛は、ちらりと室内を見た。
「ア……ッ、ゥ…………ハァッ……ハァッ……」
「……………………」
苦しそうに途切れ途切れの息を洩らす仲達の手を握りしめ、只管に希う様にしながら青藍はジッと仲達を見つめている。
「……青藍、貴女も少し休んだ方が」
「……………………」
聞こえていないのか。
聞くつもりもないのか。
まるで微動だにせず、青藍はただただジッと仲達を見つめ続けていた。
(仲達様が倒れられて、もう三日……)
その間、青藍は朝から晩までずっと付きっきりで仲達の傍を離れようとはしない。
食事を傍に置いても手をつけず、夜中に見回りに来た兵士の話だと転寝すらせずずっと仲達の手を握りしめているそうだ。
文字通り片時も離れず、この三日間青藍は飲まず食わずのままに仲達の傍にいる。
「…………少し、風に当たってきますね」
元より返事など期待していない。
当たり前の様に返ってこない返答を背にして、紅爛は城壁へと足を運んだ。
「……んお?紅爛かいな」
天上は薄暗い曇り空。
それを杯に注いだ酒に浮かべながら、霞はトロンとした眼を背から歩み寄ってきた紅爛に向けた。
「真昼間から飲酒とは、随分と豪気なのですね」
「あぁ……最近は、めっきりウチの出番も減ってしもたからなぁ……」
グイッと杯を呷り、再び並々と注いだ酒の水面を揺らしながら霞がつと口を開いた。
「まだ眼ぇ覚まさんのかいな……」
「ええ…………」
力なく頷いて、紅爛は瞼を閉じた。
『ちゅ、達様が……仲達様が!!』
三日前。
息を切らし、大粒の涙を零して青藍が合肥の城門を叩いた。
肩に担ぐ様にして運ばれてきた仲達の姿に、紅爛も霞もギョッとしたのは記憶に新しい。
直ぐに寝所に運ばれ典医を呼び、どうにか一命を取り留めはした。
いや、傷らしい傷は肋や腕の骨折ぐらいだった。
だが何故か仲達は目を覚まさず、要領を得ない青藍の拙い言葉に何が起きたのかさえ理解も及ばぬまま、既に三日。
「………………なぁ、紅爛」
ふと、霞が重々しく口を開いた。
「ウチな、このまま司馬懿が眼ぇ覚まさん方がええんやないかって思うんやけど……」
「ッ!?」
瞬間、弾かれた様に紅爛は目を見開いた。
「何を……仰っているんですか……ッ!?」
激しい怒りを抑え込むかの様に。
手をわなわなとさせながらも、努めて冷静な声音で紅爛が問うた。
「や、違うて」
が、霞は何処か拍子抜けた様な、気の抜けた様な声で手をヒラヒラさせながら、
「別に司馬懿に死んで欲しい訳とちゃうねん。勿論意識を取り戻して欲しいって気持ちもある……」
「けどな」と霞は続けた。
「今の内に大将でも甘ちゃん(劉備)でも姫子(孫権)でも誰でもええ、アイツがやろうとしている事全部ぶち壊して、止めてくれたらって思うんや」
城壁を背にしてもたれかかり、空を仰ぎ見ながら霞は独り言の様に呟いた。
「そうしたら、アイツは何も背負わんと静かに暮らせる。そこに青藍やアンタが居れば、少なくともある程度はアイツも『幸せ』になれると思うんよ」
「……馬鹿げていますね」
霞の言葉に、しかし紅爛は嘲笑を浮かべて答えた。
「現状はどうであれ、この道はあの方が自らお決めなさった道。……ならば私達はただ、それに従って進めばいい。とやかく考える必要はありません」
「一人で全部背負い込もうとしているのが気に喰わん言うとんねんっ!!!」
唐突に杯を叩きつけて、息も荒々しく霞が怒鳴った。
「ちったぁ周りを頼るっちゅう事を覚えたらどうなんやっ!?どうして何でもかんでも一人で背負って、勝手に苦しもうとするんやっ!?ウチには全然理解出来ん!!」
城壁に拳を叩きつけ、渾身の怒声を吐きだした。
「アイツも、大将も―――月もっ!!!」
乱の直後、霞は許昌を落としたばかりの司馬懿に招かれて長安へと赴いた。
『―――ッ!?』
その玉殿に静かに眠る少女の姿を見た瞬間、霞は手に携えていた飛龍偃月刀を思わず落とした。
『ゆ、え……なんで?何で、アンタが……』
こうならない様に、魏に降ったのに。
こうならない様に、芝居を打ったのに。
どうして、どうして。
『何で―――死んで……ッ!?』
流浪の生活の中で巡り合えた、心優しき少女。
初めて心から『主』として奉った、その少女の骸を前にして。
上げる声すら失ったままに、霞は涙を零した。
「いっつもそうや……あの子は優しすぎるって詠にも散々言われてたんや。連合の時かて、自分の命を差し出せばみんなは助かる言うて…………ッ!!」
ギリッ、と奥歯を噛み締める。
何かが砕け、血の味がジワリと口内を犯しているのを感じた。
「表舞台に立たんでええ。どこでもええから、静かに暮らせる場所で小さくても幸せを見つけて、穏やかに暮らして欲しかったんや…………なのにウチは、ウチはっ!!」
俯いた顔から、雫が滴る。
地面に粒が落ちて、僅かにその跡を残す。
「なんで?なんでみんなそうやって、一人で苦しもうとするんや?ウチらはそんなに頼りないんか?」
紅爛に問いかけているのか、それとも自問なのか。
恐らくは当人にすら分かっていないであろうその矛先は、襟首を締める腕という形を伴って紅爛へと向けられた。
「だったら何の為にウチらはいるんや?ウチらは―――ウチらはただ国の為だけに戦う『駒』と違うっ!!言う事聞くだけの『人形』とは違うんやっ!!そうやろっ!?」
懇願する様な声音で、眼差しで。
遣る瀬無い憤りの全てをぶつけるかの様に、霞はその両腕に力を込めた。
「誰かが壊れていくのを黙って見てるなんて出来へん!!誰かが死んでいくのを黙って見ていられる程、ウチは強かない!!」
心の底の怒りをぶつける様に。
「顔見知りでもない奴は知らん!敵になった奴も知らん!!」
魂魄の叫びを上げる様に。
「―――けど!!ウチらは『仲間』やろ!?」
霞は、叫んだ。
「…………傲慢ですね」
小さく、ポツリと紅爛は呟いた。
「けど……どうして貴女が私達に、仲達様に味方したのか、分かった気がします」
その口元に、静かな笑みを湛えて、
「―――結局、みんな自分の傲慢を貫きたいんですよね」
どんよりとした空と、暗く重苦しい雲の中にあって、その声は鈴の音の様に澄んで響く。
「自分の我儘を押し通したくて、勝手に作った矜持や誇りを貫きたくて、戦っている。みんな、みんな傲慢な人ばっかり。
他人の事が完全に分かる事なんてない。
自分の事だって良く分からないのに、他の人の事が分かるなんてありえない。
自分がどうしたいのか。何をしたいのか。
欲しいのは金か、地位か、名誉か。
何だって良い。
理由が欲しくて戦って、理由の為に戦って。
―――だから、何時までも純粋に自分を貫ける貴女は、自分に正直に生きられる貴女は、そんなにも傲慢で、自分勝手で、そして優しい」
薄く、儚い笑みと共に。
永い永い独白を呟いた。
射干玉(ぬばたま)の空に浮かぶ月が見える。
白く、淡く、冷たい月が。
嘗て自分が斯く在ると形容されたそれが、何故か今は焼け付く様な輝きに見えた。
―――止めろ。
腕が何かに引きずられる。
脚に、腹に何かが纏わりつく。
―――離れろ。
ドロリとしたそれは、しかし蔓の様にしなやかでぐいぐいと、まるで地の底に引きずり降ろさんばかりにこの身体を締めあげる。
―――来るな。
月が、その色を変える。
青は赤に。白は黒に。
嘲笑うかの様に酷く輝きを増し、艶やかに妖しく光る。
―――失せろ。
月の表層が変わる。
叔母上の嘲笑う姿。
祖父母の厭らしく歪んだ顔。
母を嬲る親類の、父を蔑む官人共の汚らわしい面。
―――消えろ。
朱里が吐血し果てた。
風が背から血を噴いた。
月が穢され、殺された。
―――消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!!
軋み、蔓が喰らいつく様に纏わりつく腕で振り払う。
月が浮かべ、目の前に広がる全ての負を、記憶を、過去を、真実を、現実を。
―――去れ、退け、散れ、失せろ、果てろ、下がれ!!!
認めない。
無力な自分など。
何も出来ず、ただ諦観する事しか出来なかった『司馬懿』など認めない。
全てを奪い、嬲り、掴み、得る。
私が、私の意思を以て一切の生殺与奪を是としない限り。
友を捨て、友を殺し、友を裏切った私を是としない限り。
私は私自身の存在を認めない。
この血に染まる両腕が、眼が、口が、身体が、存在が。
全てが唯一無二、絶対の存在とならない限り。
私は『私』を認めない。
「……ちゅ、う……達、様?」
―――私は『私』を許さない。
代わり映えのしない天井を眺めて、どれくらいの日数が経っただろうか。
日に二度出される食事は、普段自身が口にしていた流琉の手料理に比べれば遥かに劣る代物で、しかし一般的な牢の食事としては随分と上等に位置する味わいの品。
両の手を締める鉄製の錠によって動きは随分と制限されるが、それでもその状態での食事にも大分慣れた。
「…………」
蝋燭の灯りが通路を照らし、その割には随分と薄暗い檻の中で華琳は息を吐いた。
愛用の衣服も手入れを欠かさなかった髪も随分と汚れてしまい、彼女は酷く不機嫌だった。
だが、今彼女の胸中を占めるのはその様な憤慨の気持ちではない。
(――――――仲達)
あの日――自分を捕え、自らが許昌の主に成り変わったその日――以来この地下牢に閉じ込められ、外界との接触は一切断たれていた。
他の牢に誰もいなかった、という筈はない。
現に司馬懿が迫るその日の朝にも、数名の囚人が入ったのを聡明な彼女の記憶が告げていた。
だが華琳が牢の中に放り込まれたその日。
まるでその地下牢全体が新しく設けられたばかりであるかの様に、誰一人そこには存在しなかったのである。
囚人たちは全て放ったか。
或いは――――――
(仲達…………)
華琳は未だに分からなかった。
何故司馬懿が反乱を起こしたのか。その意図する所が何なのか。
天下を欲した訳でもなく、彼女の理念に反感を抱いたという様子も見受けられず。
ただ整然と。
一言で言い表すならそれが最も的確だろうか。
まるでそうするのが『当然』であるかの様に―――
(ハッ!何を馬鹿な)
どこの世界に反乱を起こす為だけに仕える人間がいるというのか。
ましてや強大な権力や朝廷をも超える財、土地を有していた訳でもない。
そこそこの街の、それこそ県令と同格の人間に。
先見の明があった、と言ってしまえばそれまでだが、それはそれで疑問が残る。
ぐるぐると、堂々巡りの様にいくつもの疑問が去っては来てを繰り返す。
蝋がチリチリと焼ける音が、妙に大きく響いて鼓膜を揺らす。
(…………みんなは、無事かしら?)
つと、そんな疑問が胸中を過った。
春蘭や秋蘭、菫や稟や霞と云った各地の指揮官は無事だろうか。
凪や流琉、季衣は都を無事に抜けだせただろうか。
真桜や沙和、張三姉妹は息災だろうか。
それに―――
(一刀……)
彼女の中で、最も比重を占めたのは彼の存在。
桂花と共に河北へと赴いている彼が、現状では最も危険かもしれない。
(…………貴方は、私を残して逝ったりはしないわよね?)
誰かを失う事を心の底から恐れたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
そんな関心を、しかし彼女には考える暇すら惜しかった。
思えば思う程不安が募る。
考えれば考える程、胸が締め付けられて息苦しく感じられる。
違う。
考えなかったのではない。考えようとしなかったのだ。
考えて、そこに私情を挟んでしまえばそれこそ『覇道』が潰えると彼女自身が誰よりも知っていたから。
だから考えるという行為そのものを放棄し、何処までも己の道を貫く為に、その様に生きてきた。
(…………もしかしたら、そこに苛立ちを覚えたのかもしれないわね)
フッと、自嘲的な笑みが華琳の口に浮かんだ。
あの一見高慢で冷徹で、しかし内実は寂しがり屋で孤独を嫌っているであろうその姿を思い浮かべ、その表情が親しい仲間を失った事で歪む姿を想像した。
表層を鉄面皮で通しても、きっと彼はその胸中で大粒の涙を浮かべるだろう。
口から嗚咽の代わりとばかりに、己への叱責でさぞ凄惨な言葉を刻むだろう。
彼は自分の様に強くはない。
むしろその真逆で、きっと彼は誰よりもその精神が脆い。
温もりを、居所を求めて。
けれど誰よりも己に厳しすぎるその性情から、容易に心を開こうとはしない。
何と不器用なものか、と華琳は薄く笑みを湛えた。
自分の様であり、同時に一刀の様でもあるあの銀髪の青年が、何故か子供の様に愛らしく思えた。
脆くて、淡くて、今にも崩れ落ちてしまいそうな瓦礫の上に立ち続けようとする。
ただただ己を罰する為の様に、戒める為の様に尚も瓦礫を積み続け。
いずれ訪れるであろう崩落の時を、あえて無視して彼は続けるだろう。
誰かが彼の堆く積んだ『誇り』という名の虚勢を、完膚なきまでに叩き潰すその日まで。
だが、そんな事をすればきっと彼は壊れてしまう。
何もかもを失ったと思い、きっと己の価値を自ら殺してしまうだろう。
だが――――――
(一刀…………風)
あの二人なら、或いはその瓦礫を共に積み上げてくれるのではないかと華琳は思った。
崩れない様に、丁寧に。時にはその形を少しだけ削ったり繋げたりして変形させて。
彼一人では絶対にそうはしないだろうが、きっとあの二人が一緒ならその行為も受け入れるかもしれない。
そうして『支え』を、『仲間』を得て蘇れば、きっと彼は何よりも強くなれる。
『孤独』を知る彼なら、『痛み』を知る彼であればこそ、強くなれるだろうと華琳は直感していた。
(……フフ、今頃になって気づくなんてね)
だが、それも今や叶わない願い。
脳裏にあったそんな――一刀と司馬懿と自分が仲良く卓を囲み談笑している――平穏な光景は、眼前を覆う様に広がる常闇と共に黒く塗り潰されていった。
「仲達様、動いちゃダメ……!!」
「ええい鬱陶しい!!下がれ青藍!!」
城の寝所奥から轟いた怒声に、城壁にもたれかかる様にして転寝していた霞は飛び上がる様にして起き上がると、何事かと駆け付けた。
「司馬懿!?おま、何しとんのやっ!?」
寝巻に羽織を一枚来ただけの少し肌寒そうな格好と、腕に幾重にも巻かれた包帯を解こうとしていた仲達は、視界に飛び込むなり声を張り上げた霞を剣の様に鋭い眼光で一瞥した。
「ダメ……ダメッ!!」
「其処を退け霞、青藍もいい加減離れろ!」
腰にしがみついて必死に翻意を迫る青藍に対し、心底から煩わしげにそう叫ぶ仲達を見て、霞はきゅるりと眉を吊り上げた。
「……何の真似や?」
「何が―――」
仲達の言葉が途切れた。
刹那、仲達の襟元を掴んだ霞はそのまま神速の勢いで仲達の背を壁に叩きつけると、声を荒げて怒鳴りあげた。
「アンタさっきまでぶっ倒れてたんやろ?病み上がりで、一番養生せなあかん時に、一体何してんのかって聞いてんのやっ!!」
背中に奔った鈍痛に、仲達は僅かに唇を噛んだ。
それを見落とさず、霞は仲達の腕を掴んだ。
「ッ!!」
堪らず、司馬懿は顔を顰めた。
「見てみぃ?まだ怪我も完治しとらん奴が、何をご大層に偉そうな事ほざいとんのやぁ!?」
グッと、襟首から肩に移動した手に力を込めて、霞は鼻先が擦れる程間近に仲達の双眸を覗いて睨みつけた。
「ッ……そこを退けと云ったのが聞こえないのか!?『こんな所』で寝ている程、私は暇ではない!!」
仲達の言葉に、ビクリと霞の肩が震えた。
「何、やて……?」
「間もなく銅雀台にて禅譲の儀が執り行われる。その地に私があらねば、これまでの積み重ねも、これより後の算段も、全てが水泡に帰す。だから―――」
そこで、不意に仲達の言葉が途切れた。
「……加減にせぇや」
「何?」
訝しむ様に眉を顰めた仲達は、しかし次の瞬間――――――
「――――――ええ加減にせぇやッ!!!」
怒号と共にその体躯を弾き飛ばされた。
「ッ!?」
堪らず床を滑った仲達は、怒りの双眸を向けようと霞の方を見―――
「大願……?積み重ね?算段?」
それより遥かに早く自身の襟首を掴んでいた手に引き寄せられ、
「仲達ゥ……ふざけんのも大概にせぇへんと」
低く落とした腰と、やや低い声音が耳目に映った瞬間、
「――――――マジでぶっ殺すでぇ!!」
腹部への凄まじい衝撃と共に、もう一度床を滑り飛んだ。
「アンタは…………アンタは、んな下らん事の為に、自分の命まで投げ出す言うつもりかッ!?ええ加減にせな、終いにゃ本気でキレるでぇッ!?」
周囲が唖然とする中、霞は腹の底からの怒声をぶつけた。
「下らない、だと……?」
「ああそうやッ!!下らん!下らな過ぎて反吐が出るわッ!!」
立ち上がった仲達に詰め寄り、霞は再び襟首に手を掛けた。
「アンタが何しようが知ったこっちゃあらへん。ウチらはウチらのやるべき事やって、大将の国守るんが仕事や。それはキッチリこなす、絶対や」
「けどな」と、霞は奥歯を噛み締めた。
「その為にアンタの周りで、アンタのせいで何処かで、誰かが泣くんやったら許さへん。アンタの手に入れた力で、願いで誰かが傷つくのを、ウチは絶対に認めへん」
「貴様のそれは理想論だ。戦えば傷つく、死ぬ。それは自然の摂理であり厳然たる事実。貴様も私も、他者の命を奪い、削るという点においては共通しているだろう。何より……」
私の大願には、犠牲が居る。今までも、これからも。
そうのたまう彼の口を、目を、本気で二度と開かない様にしてやろうかと霞は血走った眼を彼に向けた。
だが仲達は酷く凍てついた、それでいて怒りを湛えた瞳にそんな霞の姿を映した。
「貴様は言ったな、私の大願は下らないと」
「それが、何や……?」
「私は、貴様が私に対して、私の願いに対してどう思おうと知った事ではない」
グッと、気づけば仲達のか細い両腕が霞の喉元に手を掛けていた。
「私は私以外の人間が、私に対して何を思おうと、何を感じようと知った事ではない。私が求めるのは命を聞く『駒』、忠実な『駒』、有能な『駒』、それだけだ」
「仲達……!!」
怒りに震える霞に、しかし仲達は酷く呆れた様な眼を向けた。
「いい加減にするのは貴様だ霞。抗命罪で牢に繋がれたいか?」
瞬間、霞の目が本気でキレかかった。
縊り殺してしまいたい。
コイツを、このまま――――――!!!
「もう止めてッ!!!」
咄嗟に、青藍が霞の右腕を抑えた。
驚いて霞が目を向けると、そこには血が滴る程に強く握られた拳と、
「ダメ……止めて……!!」
泣きじゃくり、必死に止めようとする青藍の姿があった。
「………………ハァ」
やがて、大きくため息を洩らしてから、霞は仲達の襟首を掴んでいた手を放す。
それに合わせる様にして、仲達もまた霞の首に掛けていた両腕を戻した。
「ちゅ、うたつ、様……!!」
安堵したのか、緊張の糸が切れたのか。
酷く涙に濡れた顔のまま、青藍は仲達に抱きつく。
仲達は、もう彼女を振り払おうとしなかった。
「……なぁ、仲達」
つと、霞が小さく呟いた。
「今、アンタの目には何が映ってる?」
問いかける様に、その言葉は吐かれた。
「…………何度も言うが、私は私以外の人間が私をどう思おうと知った事ではない」
言って、しかし仲達はやはり歩を進めた。
今度は、霞も止めようとはしない。
―――だが霞とのすれ違い際、ふと仲達は足を止めた。
「今から言うのは独り言だ。別段他意はない」
そう前置きして、
「…………済まなかった」
「詫びなんかいらんわ」
間髪いれず、霞が返した。
驚いた様に目を見開いた仲達は、自身とは逆の方に歩を進める霞の背を見た。
「……今のは独り言や。他意はあらへん」
言う霞の背は、何処かむず痒そうだった。
若干の気恥ずかしさが混じった様なそれを聞いて、仲達は僅かに微笑んで、
「―――フン」
何処か誇らしげに、そして気恥ずかしげに鼻を鳴らした。
後記
お久しぶりです。私用で色々ご迷惑おかけしました。
一応、病院通いという状態は脱し、現在は体力も復活してそれなりに安定しております。
問題はそれがイコール書く気力に結び付けられない自分なのですが……
さて。
本作もいよいよ第三部の佳境を間近に控え、どんどん糖分が抜けていくという何とも言えない展開が続きます(まぁここで無理やり甘々な話を挿入しても全体をぶち壊すだけなので既に諦めてはいるのですが)。
終盤の展開を予想している方も少なくないと思いますが、そんな皆さんの予想の(斜め)上を行ける様に頑張っていこうと思います。
また更新が間延びしたり、途中で詰まったりするかもしれません。
ですがそこは生温かい視線で結構ですので、どうぞ最後までお付き合いの程、宜しくお願いします。
それでは、また。
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今更ですが、霞の口調(大阪弁)て難しいっすね。