麗羽は執務室で、報告を聞いていた。
「……曹操軍は撤退中に何進軍の強襲に遭いましたが、駆けつけた夏侯惇の部隊によって辛うじて逃げ延びることが出来たそうです」
「そう……無事でしたのね」
「はい。敵の数は圧倒的でしたが、オークや絡繰りで構成されているため、臨機応変な行動ができずに撒かれたようです。それでも曹操軍の被害は甚大で、現在の兵力は8万ほどだと思われます。ただ、北の国境から3万ほどの兵が動かされたようで、近々、それらと合流する予定です」
報告書を読み上げていた斗詩は、持ってきた地図を机の上に広げる。
「現在は、この辺りに陣を張っています」
斗詩がそう言って地図のある地点を指で示すと、麗羽と猪々子が覗き込んだ。
「おいおい、こんな拓けた場所に陣を張ったら危ないんじゃないのか?」
「そうなの。普通、寡兵で戦う場合はもっと入り組んだ場所とか、地形を利用するのが定石だと思うんだけど……」
「曹操って、もっとスゲエ奴と思っていたんだけどなあ」
つまらなそうに猪々子が言うと、麗羽が小さく溜息を漏らした。
「姫?」
その様子に気付いた斗詩が、麗羽を問いかけるような目で見た。
「二人とも、何もわかっていませんのね」
「姫はわかるんですか?」
「地図をよくご覧なさい」
斗詩と猪々子は、曹操が陣を張っている周辺をよく見た。最初に気が付いたのは斗詩だ。
「これって、もしかして――!」
「気が付いたようですわね。私もきっと、昔のままでしたら気付くことはなかったと思いますわ」
麗羽は柔らかく微笑み、窓の外に見える街に目を向けた。
かつては荒れ果てて盗賊の住処になっていた長安も、今では活気を取り戻しつつある。まだ街の半分は復興が進んでいないが、人々の中に溢れる熱気はどんな街よりも強かった。
(始まりは後悔……。でも今は、この街が私の誇りでもある)
生まれた時から、手の中にあるものは与えられたものだけだった。歴史と伝統が、彼女自身の誇りでもある。けれど心のどこかで、その事に対する重圧と空虚さを感じてもいた。
しかし長安の復興に関わることで、麗羽の中に生まれたものがある。それは充実感と使命感だった。
「曹操さんは、許昌の街を守るおつもりなのですわ」
確信を込めて、麗羽は言う。自分ももし、長安が襲われることになったら同じような事をするだろう。
「どういうことだ、斗詩?」
「単純に戦うだけなら、もっと東の山沿いがいいんだけど、何進軍が相手をするとは限らないの」
「あ、そうか。無視して進めば、許昌まで障害が何もないんだな」
「うん。何進軍の目的は曹操さんの首を取ることだと思うけど、まず許昌を落としてからでも十分だと判断する可能性もあるの。だから曹操さんは、不利だとわかっていてもここに陣を張って、何進軍の侵攻を遅らせる必要があるのよ」
「遅らせる? 撃退するんじゃないのか?」
猪々子が首を傾げて訊ねると、麗羽が小さく首を振った。
「さすがにそこまで楽観的には、考えていないでしょうね」
「はい。たぶん、時間を稼いでその間に許昌へ伝令を走らせ、避難させるつもりだと思います」
あるいは……斗詩はもう一つの可能性を考える。しかし最悪の展開に、それを払うように頭を振った。その時である。麗羽が突然、宣言したのだ。
「私、決めましたわ! 河北に戻ります!」
何を言っているのか、一瞬、斗詩と猪々子はわからなかった。
「あの、姫? もう一度、言ってくれませんか?」
「だから、河北に戻りますと言ったのですわ!」
斗詩と猪々子は、ぽかんとして顔を見合わせた。
「長安はどうするんですか?」
「桃香さんに任せます」
麗羽は、少し前にやって来て怪我人を治療する劉備と、真名を交換するほど親しくなっていたのだ。
「あの方は献身的に働いてくださっていて、街の者からも慕われています。桃香さんならば、私も安心して長安をお任せできますわ」
「えっと、確かに彼女はよく働いてくださっていますが……」
「斗詩さんはご不満ですの?」
「いえ、不満というかその、河北に戻ってどうするおつもりですか?」
「そうだぞ、姫。今更戻っても、何進の部下になった連中ばかりじゃないか」
猪々子が言うと、麗羽は首を振る。
「表向きはそうでしょう。けれど皆が、何進に心から恭順の意を示しているわけではありませんわ。必ず、私とともに立ち上がろうとする者がいるはずです」
そう言うと、麗羽は遠い眼差しで思い出す。
「思えば私は、人々に忠誠を求めるばかりで、何一つとして与えてはいませんでした。長安で復興に携わり、そのことを痛感したのです。彼らのために働き、安心と安全を提供する。そして初めて、人々は感謝と敬意を私に示してくれるのです」
強い眼差しで、麗羽は斗詩と猪々子を見る。
「やり残したことを、片付けましょう」
今まで見たことのない主人の様子に、斗詩と猪々子も覚悟を決めた。三人は大きく頷いて、これからの戦いに思いを馳せるのだった。
華琳は用意された簡単な食事を終え、箸を置いた。すると、給仕をする秋蘭がすぐにお茶を差し出す。
「ありがとう、秋蘭」
香りを楽しみ、丁度良い温度のお茶を一口飲む。ホッと一息ついて、華琳は物思いに耽るように視線を落とす。すると、天幕の中に食事の片付けをするため、一人の兵士が入って来た。まだ若い、働き盛りの男だ。
「ねえ」
「へっ? わ、私ですか?」
黙々と片付けをしていた男は、突然、華琳に声を掛けられて驚いた。
「あなたは、街に戻らなかったのかしら?」
「は、はい」
実はこの日の朝、華琳は全兵士に対して自由に帰還しても良いと知らせを出したのだ。
「わかっているのでしょう? この先の戦いは、生きて帰れる保証もない。戦う義務はないのよ。あなたにも、家族がいるんじゃないかしら?」
「お、おります。妻と息子が二人……先日、助けて頂いた街が私の故郷なんです」
男は自分のズボンを、ぎゅっと握りしめる。
「色々言う者もおりますが、曹操様がこうして兵を出してくれたおかげで、私は命よりも大事なものを失わずに済んだのです。言葉には表せないくらい、感謝しています。だから私も、誰かのために何かをしたいんです。このまま帰ったら、息子たちに胸を張れません」
「そう……」
「あ、あの、すみません」
「謝る必要などないわ。いい話を聞かせてくれて、ありがとう」
華琳が礼を言うと、男はすっかり恐縮して出て行った。
「……秋蘭」
「はい」
「明日の戦い、いざとなれば――」
「わかっております。ですが、私と姉者は華琳様のおそばに」
「ふふ……」
静かな夜が、更けていく。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
麗羽が原作とは最も、かけ離れております。自分が苦手なので。
楽しんでもらえれば、幸いです。