No.176109

真恋姫無双 蓮華と小蓮の三国時代の食文化についてのお勉強講座

Thyleさん

今回は三国時代の食文化についてのお勉強編です。
これで、貴方も人生に役に立たない知識が広がります。

最近夏祭り終了してからモチベーションが物凄く下がり、
書けない病になっておりました。

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2010-10-03 07:50:36 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:4732   閲覧ユーザー数:4513

<小蓮と蓮華の三国時代の食文化ついてのお勉強>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           <はじめに>

 

               このお話は小蓮が立派な呉の公主(姫)になる為に

                国主 蓮華から様々な帝王学を学ぶお話です。

 

                さて今回は、三国時代の食文化ついての話です。

 

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

 

流琉「よいしょと」

一刀「流琉、火加減はこれぐらいでいいのか」

流琉「はい、兄様それ位でいいです」

 

 

蓮華「一刀、なにしているの?」

一刀「オゥ、蓮華か。せっかく魏から流琉が来たことから天の国の料理を再現してもらっているんだ」

小蓮「ぶぅー ぶぅー そんな食事より私との将来設計の話はどうなったの?」

一刀「それについては…蓮華!パス!」

蓮華「えぇぇ、何故私に振るの!?」

流琉「えっーと、確か三国時代の食文化についてのお勉強ですよ……ね」

 

 

蓮華「……前置きが長くなるにのでさくさくいきます。今回のお勉強は三国時代の食文化についてです。

   ある一部の人を講師にすると三食ラーメンや食べるラー油を力説する人、美食談になってしますの

   で普通レベルを中心に どのような食べ物を食べていたかを勉強します」

 

流琉「はい、えーっとまずは三国時代の食文化ですが、現在のようにエリア(北京・上海等)のように料理   

   方法では中国は広く、長い歴史がある為、その地域で様々な料理法があります。これをこ

   こでは述べきれないので、黄河・揚子江といった大河を上下に分けられる話を説明します」

 

小蓮「呉(河南)ではお米等を主食にしているけど、魏(河北)では麦等が主食だもんね~」

蓮華「最初は焼餅もいいけど、段々お米か恋しくなってくるから」

流琉「河北では稲作をしようにも黄河の氾濫が大きいこと、また大量に水が必要であり気候的にも冷害

   により稲作には向いておりません。その為、冷害に強い麦等が栽培されるようになったのです」

 

一刀「麦が重宝された理由には冷害に強いだけではなく粉にすることによりボリュームを増やすことが出

   来る。このような食文化を粉食(ふんしょく)というんだ。なおお米等のように粒のまま食べることを粒

   食というんだ」

流琉「ハイ、三国時代の頃では、小麦を挽いてから低発酵のパンや麺にしたりして食べます。また大麦な

   どはいり麦としてそのまま食べるかお粥状にして食べます」

 

小蓮「ハイハイ、お米等だったら呉の調理方法では長粒米なことから短粒米のようにモチモチした感触は

   なく、『湯取り法』といって、米を炊くときに水をたくさん入れて炊きだし、途中でお湯になったものを取

   り出していく料理法や、『炊き干し法』といって日本と同じように水を入れて炊きだす料理法があった

   そうなの」

 

蓮華「漢代で食べられていた代表的な穀類としては米、キビ、アワ、麦、豆、筍、蓮根、芋、茗荷(ミョウ

   ガ)、白菜、蕨(ワラビ)、韮(ニラ)、葵(フユアオイ・食用の他、漢方薬の原料にも利用)、薏苡の実

   (ハトムギ。茶というより当時は薬膳)があげられるのよね」

 

一刀「この米の面白い逸話で、秦の始皇帝の時代、かの地では粟やコウリャンのような雑穀を

   食べていた。それに対して秦の南の地方では米を食べていた。米の方がデンプン質も多く美味い。

   この事を知った始皇帝は、美味いものを食わせて士気を上げよう…と考え、まずは秦の南に位置す

   る韓の国を最初に征服し美味い米を食べさせて士気を上げた。

   近隣六カ国を滅ぼし、覇中におさめることが出来た原因の一つに米を手に入れたからだという説が

   あるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

小蓮「オカズはどうなっていたの?」

 

流琉「オカズは肉類では羊が最上とされ、鳥肉(雉、雁、鴨、鶴、鶉(ウズラ)、鶏、鳩、鷓鴣(しゃこ)。

   生の場合と乾し肉の場合有り)、鶏卵、他家畜や野生動物(牛、羊、豚、馬、犬、鶏、鹿、兎、猪、

   豚)の肉とされ、最下位には犬の肉があげられます。ちなみに牛は労働力になるため滅多に食べな

   いそうです」

 

一刀「羊は毛織物の採取として使われてたので高級品。豚は臭み抜きの技術がまだ確立してなかった

   ので漢代ではあまり人気ない。それに豚便所の普及がされていなかったからね。牛、馬は農耕の

   ほか、祭事、運搬、交通手段として使われるため、食べるのは非常時のみなんだ」

   

 

流琉「面白いことに当時の肉と言えば脂身の部分を『肥肉』と呼び珍重し、赤味の部分は『痩肉』と呼び

    肥肉よりも下に見ていたのです。江戸時代のマグロなんかも赤身が高価でトロは捨て値だったそ

    うです。中国では儀礼として供えるものとして、最重要なものは「大牢」があります。この大牢とは、

    牛のことを指します。(諸説では羊、牛、豚等を全部そろえたものという説があります)

    これは最大の御馳走が牛肉だったので、けっして牛肉を食べなかったわけではありません」

 

 

流琉「魚類に関しては鮒、鯉、鰒魚(アワビ)、鱸魚(ライギョ・ドジョウのこと)、甲魚(チェユイ・スッポン

   のことで高級品)、鰻(北部では、珍奇な無鱗魚として好まれないが、中南部の人たちはよく食べ

   項羽も食べたという『覇王別姫鍋』という薬膳がある)淡水魚を良く食べるが、海魚はあまり食べな

   いです。また川に棲む蟹は食べないです。というのも戦争のとき腐乱死体を食べるから……」

 

 

蓮華「果物も結構あるのよね。果物では龍眼(ロンガン)、棗(ナツメ)、梨、瓜、林檎、梅、すもも、桃、柑

   橘類(蜜柑など)、茘枝(ライチ)、葡萄、蜂蜜、糖蜜、黒蜜、栗、柿、関羽の顔の色に例えられる

   ナツメが最も一般的なの」

 

流琉「酒では『斉(いわゆる神酒)』、『酒(一般的に飲まれていた酒)』、『漿(穀物の粉を溶いた水を発

   酵)』に分類され司馬遼太郎先生の項羽と劉邦に出てきた馬並に飲まないと酩酊しない酒は『漿』

   を指していたようです。調味料に関しましては酢、塩、醤油、糖、麹味噌、乾納豆、蓼(タデ・香辛

   料)ともうこの時代に様々な味覚はでてきたようです。調理方法も粥、餅、マントウ、羮(あつもの)、

   肉のあぶり焼き、豆腐(淮南王劉安が作ったという説有り)お茶、漬け物、麺料理(諸説あり。パスタ

   料理に近いものでラーメンとは別物。古代中国では麺は餅の一種と考えられています)

   ただ揚げ物はないく。 炒飯、麻婆豆腐、拉麺は清王朝時代ころにでてきたのです。

 

 

蓮華「お茶は単独ではなく、みかんの皮、ねぎ、しょうがなどと混ぜてのお吸い物(煎じ薬)扱いで、現代

   のお茶(煎茶)は蒸したものになるので風味が異なるそうな。

   プーアル茶の元になった「団茶」の流行は唐代からでお茶が庶民間に広まったのは、茶聖と云われ

   る唐の陸羽が書いた、喫茶の技術や思想を記した『茶経』の普及以降からで漢代ではまだ技術不

   足のため王侯貴族が飲む高級品なのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流琉「食事回数に関しましては、皇帝は1日4食、貴族は3食、庶民は2食(秦・漢代頃)だったとの話で

    す。貴族の贅沢な宴会料理ですと太牢の他に鯉や鱸(スズキ)のような大型の魚の刺身、スッポ

    ンやクマの手のひらなど手に入りにくいものが珍重されます。一風変わった宴会としましては、

    調理道具を宴席に持ち込み、好みの食材をその場で料理するという演出もあったそうです。

   

   あと宴席に賓客を招いた場合には、その国の主人を除く高位の人物……つまり主人の身内や高

   位の家臣に給仕をさせ、それによって相手に精一杯のもてなしをしている事を伝えます」

   ( 雰囲気としては夏祭り用「真夏の夜の悪夢」を御覧ください)

 

 

小蓮「テーブルマナーに関しては『史記』によると、帝辛が象牙の箸を使用したという逸話があってね、

    日本の箸のように万能に使われず、前漢末代からスプーンとの併用で使用していたんだ。

   なお 勺子(シャオズ) おたま。匙子(チーズ) スプーン。汤匙(タンチー) スープ用のスプーンがある

   わ」

 

流琉「料理人は皇帝や王族の健康管理もすることから膳夫(料理人)と呼ばれ、皇帝と皇后の世子

   (皇太子)のおかず・菓子、皇帝の食事を掌握する(官職)があります。

   『皇帝は、六穀(粥)を食する。六つの家畜、馬・牛・羊・鶏・犬・豚を料理して食べる。六種の酒

   を飲む。菓子百二十品を(味わう)。八珍(八種類の料理)を作るには「醤」百二十かめを使う。』

   要するに、六穀・六種の肉・八珍の料理の調味料として120種類の多種類の醤を使います。

   ランクが下がって王の食事は「六食、六膳、六飲」などを中心とし、八珍の料理に「醤」を使う。 

   この中で「六食、六膳、六飲」が示すのは現在の食物と健康のつながり「医食同源」や「薬食同源」

   の考えであり、食物をきちんと管理して食事を取れば、体をうまく整えて、病気を治療できると考えて

   いたようです」

   

 

一刀「そういえば中国の諺に次のようなものがあったな。

 食べられない四本足のものは、机と椅子、

   飛んでいるもので食べられないのは、飛行機だけ…

   水中を泳いでいるもので食べられないのは、潜水艦だけ…

     食べられない二本足のものは、両親だけ……多分と……」

 

蓮華・小蓮「はっははは(乾いた笑い声)」

 

 

 

 

 

 


 
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