「…………なんだこれ」
律は率直な感想を述べた。
澪もムギも同意見の様で、3人は顔を見合わせて、難しい顔を作った。
メールの受信時間を見ると、7時35分となっていた。
「唯の奴、こんな早い時間に学校へ…………」
「何時も遅刻ぎりぎりなのにな」
律と澪は呆れて苦笑した。唯はほぼ毎日…………というわけでも無いが、それなりに高い確率で遅刻寸前の時間に登校する。あのしっかり者の妹も、この問題に関しては…………あるいは、その他の問題に関しても…………どうする事も出来なかった様で、高校3年間、ずっとそんな調子だった。
(まあ、憂ちゃんは憂ちゃんで、唯には甘過ぎるしな)
平沢唯と平沢憂は、過ぎるほど仲の良い姉妹で、その様子は見ていて微笑ましくなるほどだった。2人を見ていると、事ある毎にどちらが姉か分からなくなる。しかし、どちらが姉か、という事を語るならば、そうした議論の余地が無い程に、2人の姉妹関係は完成されていた。
律が仲の良い姉妹について考えていると、ふと澪が疑問の声を上げた。
「でも、唯は何処へ言ったんだ?」
「へ? …………居ないな、確かに」
ムギの様に、何処かの隙間に隠れていないかと見てみたが、誰も居ないのは明らかだった。そもそも、隠れるスペースなどほとんど無いのだから、それは当たり前のことだった。
「たく…………唯のやつ、何処行ったんだ?」
部室集合を促した唯が居ないのは、確かにおかしい。部室で何かがあって皆を呼び出したのだろうという事は想像が付く。しかし、どうして居ないのか、と問われれば、これはもう全く創造の範囲外である。
「でもさぁ~、良く考えたら、部室からメールを送信したとは限らないんじゃないか?」
むしろそちらの方が自然だ。どうして唯が部室からメールを送ってきたと考えてしまったのか…………それは恐らく、律の中で、『唯が部室の鍵を開けた』と考えれば、部室施錠開放の件についてはよりすっきりするからだろう。
「ううん、律っちゃん。唯ちゃんがここからメールを送ったのは、間違いないんじゃないかしら」
ムギが言いながら、背後に居る律の胸に頭を預けて、メールの件名欄を指した。
件名欄には『私 On 部室!!!!!』と書かれていた。
上に乗ってどうする。部室の上に乗ってどうする。
恐らく、Inと書きたかったのだろう。どちらにせよお粗末な英語力だが、律にしたって、そう言い切れるだけの英語力は無い。
ともあれ、
「ムギが部室に来たのは、何時頃だったんだ? その時には、もう唯は居なかったわけだろ?」
「うん、居なかったわ。鍵が開いてて、でも、誰の鞄も見当たらないし…………おかしいな、とは思ったんだけど…………。部室に来たのは、8時前くらいだったかしら」
そこからすぐに寝ちゃって、とムギは少し恥ずかしそうに頬をかいた。
ムギが部室に来たのが8時前。唯がメールを送信したのが7時30分頃。となると、その間に、唯は何処か行ってしまった事になる。
「…………探しに行くかぁ?」
このままここで待っていても、どうしようも無い。唯が学校へ来ているのなら、そしてその姿が見当たらないのなら、探しに行くのが建設的だろう。
「その前に、電話してみない?」
「あ、そっか。確かにそうだ」
学校生活の中で、携帯を持つ事は許されているが、大っぴらに電話をかける事は禁止されていた。もちろん、メールの方が楽、という事もあるが、平日の学校内で連絡を取るのに、まず電話という選択肢は有り得ない。だが、今日、学校は休みなのだ。電話機能を使用したところで、誰に怒られることも、迷惑をかける事も無いだろう。
「私はもう電話してみたんだけど…………」
水を差すのは悪いと思ったのかどうかは知らないが、澪が控えめな声で言った。
なるほど、澪は律とムギの2人よりも早く、唯のメールに気がついていた。ならば、メール内容を不思議に思った澪が、唯に対して電話をかけていてもおかしくは無い。
だが、澪の様子から察するに、あまり良い答えは返ってきそうになかった。
「何度か電話したんだけど、全然繋がらないんだ。たぶん、電池が切れてるんじゃないかと思うんだけど」
律はため息をついた。
「全く、こんな時に電池切れなんて、タイミングの悪い奴だな、唯は」
「…………お前が言うな」
大げさに首を振って嘆くようなリアクションをとっていると、澪に冷たい視線を送られた。
「…………駄目、本当に繋がらないわ」
万が一、という事も考えて、ムギが電話を掛けていたのだが、やはり繋がらないようで、困ったように視線を向けてきた。
「やっぱり探しに行くか? あー、でも、面倒くさいなぁ…………」
「おいおい、そこを面倒くさがるなよ」
「そうよ律っちゃん。唯ちゃんに万が一の事があったら大変だもの!」
呆れ気味に突っ込む澪と、あくまでも真剣に唯を心配しているムギ。大き目の眉毛はやる気に満ち溢れていた。どうやら、本当に万が一があるかもしれない、と思っているようだった。
律としては、そこまで真剣に探す必要は無いだろう、と当然の様に感じていた。そもそも、何か大変な事態に陥っている可能性など、確実に0%だとすら思っている。
律は、去年に実行されたマラソン大会の事を思い出していた。夏休みが終り、2学期が始まると、この桜高では生徒達の不満を押し切ってマラソン大会が敢行される。そのマラソン大会の途中、唯は忽然と姿を消した。一緒に走っていたはずなのに、途中で行方不明になったのだ。それだけ聞くと、恐ろしい怪奇現象の様な印象を受けるが、行方不明張本人の唯はあっさりと姿を現し、事なきを得たのだった。
…………考えてみれば、あの時もそこまで心配しては居なかった様な気がする。いくら探しても見つからなかった時は、流石に少し焦ったが。
「案外、メールを送信したのはやっぱり家からなんじゃ無いか。それで、そのまま2度寝してるとか?」
律がそういうと、澪とムギの2人は、いかにもそれは有りそうだ、と言葉を詰まらせた。部室の鍵が開いていたのだって、そこまで重要視するほどの事では無いのだ。軽音部とは関係無く、何か事情があって鍵が開いていた。その方が、可能性としては、より高いだろう。何故なら、今日は休日なのだから。
それに、わざわざ早朝に学校へ来てメールを送信、その後行方をくらませた…………というのと、家でメールを送信した後に2度寝してしまったのと。どちらが唯らしいかと言えば、これは間違いなく後者だった。2度寝どころか、3度寝すらやりかねない。
ではメールの件名についてはどう説明するかというと…………これはもう、件名に意味など無かった、という解釈で、唯ならば有り得る、と納得出来てしまうのだった。
「大体、来てるなら鞄くらいあっても良さそうなもんだし…………鞄持ってコンビニに行ったりしてたとしても、流石にギー太まで持って行かないだろ」
ギー太とは、唯のギターであり、相棒であった。情緒豊かな唯はこのギターを溺愛しており、正に肌身離さず、と言った感じで、コンビニまで行くためのちょっとした時間ならともかく、学校へ来るのにギー太を家に放置してくる事など、ちょっと考えにくかった。
「そうね…………」
「それは確かに…………」
改めて3人で部室を見回すが、ギー太の姿は見当たらない。やはり、部室には来ていないのだろうか?
3人の中で、『唯は部室に来ていない説』がその地盤を確かにし始めた頃、澪の携帯に着信が入った。
「ん…………梓からだ」
「あー、そう言えば、梓にもメールは行ってるはずか」
澪は電話に出て、少し間を空けて、
「おはよう、梓」
と言った。そこから、
「いや、それが居ないんだよ」
「憂ちゃんから?」
などと、しばらく電話のやりとりが続いた。会話が終わり、澪は律の顔を見て、微妙な表情を作った。
会話の内容から、なんとなく状況の察しは付いた。どうも、面倒な事になりそうな予感だった。
「朝から唯の姿が見当たらなくて、憂ちゃんが凄い心配してるんだってさ」
予感はいとも簡単に具体化し、さっそく3人で唯 探索の旅が始まった。
旅と言うよりも、ピクニックにでも出かける様な足取りで、3人は出て行ったのだが。
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唯から送られてきたメール。
しかし、肝心の唯は何処にも見当たらないのだった。