No.175613

虚界の叙事詩 Ep#.03 「イン・ザ・エアポート」

巨大大国の裏で行われている、陰謀を追い詰める、ある諜報組織の物語です。
一博と合流した太一達は、自分達の任務を妨害する、現地の組織を追い詰めるために動き出します。

2010-09-30 20:51:25 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:326   閲覧ユーザー数:288

 

ユリウス帝国大陸上空

6:02 A.M.

 

 

 太一と香奈が、《ユリウス帝国国際空港》へと向かって行っている時、そんな事など知らない

一博は超音速ジェットに乗り、『ユリウス帝国』へと向かっていた。

 彼の乗っているジェットは速い。2000キロは離れている《ユリウス帝国首都》『NK』間の距

離でも、ほんの1時間半で辿り着いてしまう。加速化を目指す為に、ジャンボ旅客機ほどの大

きさは取れないものの、一博はリクライニングシートでじっくりと休む事ができていた。

 『ユリウス帝国』への道のりは、すでに半分以上来てしまっている。首都がテロ攻撃を受けた

ばかりだというのに、わざわざそこへとやって来る、それもこんなに朝早く。そんな人々は、一

博を除けば、仕事熱心なビジネスマンだけだろう。一博の2等の座席シートにはそのような

人々がほんの少しばかり見受けられた。

 一博はどこか落ち着かなかった。2等座席とはいえ、彼の大柄な体格には、座席シートが小

さすぎたという事もあるかもしれない。だが、それよりも気になっている事があった。

 『ユリウス帝国』は今、厳戒態勢。それも未だかつてなかったほどの緊張ぶりを見せいてい

る。そのような場所へと、自分は乗り込んで行こうとしているのだ。たった一人で。無理もない。

 『SVO』の他のメンバーと同じように、一博の持つ特別な能力があれば、一人でも障害は切

り抜けて行ける。それでも不安は不安だ。向こうはテロリストが入国してくるとなれば一個中隊

を仕掛け、戦争さながらの態勢にしてしまう。

 だが原長官は、何も一博をそのまま、あからさまに『ユリウス帝国』の敵であるかのように入

国させて行かせようとしているのではない。いくら一博とはいえ、そのような状態で踏み込んで

いったらひとたまりもない。

 そこで用意されたのが、外交ビザであって、これがあるならば『NK』からの外交官だと証明で

き、空港でのチェックをパスする事ができる。一博自慢の武器が入ったバックも、外交郵袋とし

て扱われ、中身をチェックされない。

 現に、『NK』の空港では何の問題も無く通過する事ができた。原長官が手を回してくれてお

いたお陰だ。

 しかし、『ユリウス帝国』ではどうなってしまうか分からない。『ユリウス帝国』側は、一昨日に

起きた事件で事を起こしたのが、太一と香奈だと言う事を知っている。つまり『NK』の人間だと

いう事を。

 一博の乗っているジェットは『NK』の航空会社ジェット、それも『NK』からやって来たジェット

だ。より念入りなチェックを入れられる事だろう。外交ビザを持っていなくても、無作為の検査を

されてしまうかもしれない。

 そう思うと、一博により一層の緊張が走った。このままでは太一と香奈に近づくよりも前に、

空港すら通過できないかもしれない。

 まだ到着まで30分の時間があった。その時間内で何かをしなければならないわけではなか

ったが、緊張していてもどうしようもない。一博はその残りの時間を、ネットワークの世界にゆだ

ねる事にした。

 航空機や長距離列車などのリクライニングシートには必ず付いている、座席横の操作盤。こ

れはネットワーク設備の端末だ。ボタン一つと、IDカードさえあれば、一瞬でネットワークの世

界へと繋がる事ができる。

 一博は、偽造された自分のパスを使った。『SVO』には政府認定の証明書があるわけではな

い。運転免許の名前だって偽名だ。あるのは、防衛庁関係者としての身分証、それだけではな

く他にも用途に応じて、色々な証明書を使いこなす。しかし全てが発行元の証明することがで

きる“本物” だ。

 肘掛けのスイッチを押し、そこに付いているスロットにカード入れることで、自動的にネットワ

ークへとアクセスされる。たとえ移動中の航空機の中でも問題は無い。無線電波が衛星中継さ

れている。

 そしてネットワークに繋がると、一博の前には、落ち着いた色の立体画面が現れる。小さな

映像走査機によって作られた、光が作り出す立体画面だ。解像度は高く、かなり鮮明に現れて

いる。

 操作盤のようなものは必要ない。全て画面内で操作していくことになる。画面の中のアイコン

を、直に手で操作して行く。

 この航空機内のトップ画面は、『NK』の言葉、紅来語で書かれ、作られた全世界ネットワーク

アクセスだ。それぞれの航空機の所属会社によって言葉は違うが、この機ならば、世界8カ国

語に対応できている。

 トップ画面に載っているのは、一般の検索エンジンと、この機に乗る乗客を中心としたサイト

へのアクセスだ。2等はビジネス客が多い事もあって、企業や経済関係の情報が多く載ってい

た。

 一博はとりあえず、『ユリウス帝国』で発行されている今日の新聞の情報を見ようとした。『ユ

リウス帝国』ではタレス語で書かれる新聞だが、ネットワーク上では一博にも読める言葉に翻

訳されている。

 早速一博は本日の新聞を画面上に開いた。指で直接アイコンをタッチすれば、目の前に勝

手に現れる。

 彼の目にまず飛び込んできたのは、やはり先日、《帝国首都》1区で起きた事件についての

記事だった。新聞の一面全てに大きく掲載されている。しかもテロ攻撃としてそれは載ってい

た。

 死者23名、重軽傷者59名。都市の中心部が受けた被害は、多大なものであると。それも爆

弾テロとして載っている。

 細かい字を一つ一つ読むのは、一博にとって難な行為だったから、彼はとりあえず掲載され

ている写真を中心に見ていく。

 これは全て太一と香奈がやった事ではなく、彼らを迎え撃った兵士から身を守る為、仕方な

かった事だ。一博はそう言い聞かせる。現に、死者と重軽傷者のほとんどが『帝国兵』なのだ

から。

 とは言うものの、ぐしゃぐしゃに潰れたヘリコプターや、完全に崩落してしまった橋を見た時

は、一博もやりすぎだと思ったが。

 相変わらず太一もやる事が派手だな…。彼はそう思っていた。

 マスコミには『SVO』の2人が、テロリストとして伝わっているようだ。しかし新聞は、テロ攻撃

をしたという彼ら自身よりも、むしろ『ユリウス帝国』政府を批判している。最近の『ユリウス帝

国』で強まっている傾向だ。

 近年のテロ攻撃増加に、なぜ対応策が応じられなかったのか。テロリストをみすみす国内に

入国させている程、この国は無防備なのかと。

 マスコミの批判が『ユリウス帝国』へ向かっている中、『帝国軍』は首都内に厳戒体制を敷き、

ローラー作戦で2人を捜索しているという。その光景も写真として掲載されており、まるで戦争さ

ながらの様子だなと一博は思った。

 更には、『帝国兵』が目撃したという、太一と香奈の似顔絵まで掲載されていた。明らかに顔

が『NK』や近隣諸国の顔立ちなのと、あまりに2人に似すぎているのに、一博は焦りを感じた。

 『ユリウス帝国』は予想以上に自分達に近づいてきている。原長官が懸念し、自分を緊急に

遣わすのも無理はないだろう。

 だが、本当に自分が2人を救い出し、しかも彼らが遂行中の任務に協力をする事などができ

るのだろうか。一博は新聞を見たことで更に不安になった。

 どんどん迫ってきている《ユリウス帝国首都》。そこには、自分の仲間、そして彼らを探し出そ

うとしている『帝国兵』がいる。一博は一人緊張していた。

 しかし彼には腕っ節に自身はあった。昨日、『ユリウス帝国軍』からの刺客を一人打ち倒した

ように。

 眼前には、『ユリウス帝国』大陸の様子が現れている。

 その様子を見ながら一博は、原長官の言っていた事を一人思い出していた。

 荒っぽい事を何しても構わん。

 

 

 

ユリウス帝国国際空港付近

6:32 A.M.

 

 

 

 歯切れの良い滑空音が響き、滑り込むようにジェットが滑走路へと滑り込んでいく。朝日が差

し込む中での出来事だった。

 《ユリウス帝国国際空港》は、『ユリウス帝国』への空からの玄関口だ。毎日、数百という航空

機が離発着をし、大勢の人々、そして貨物の輸送を行っている。

 音速を超える事で、ジェットの需要は大幅に増大し、空港の需要も格段に上がった。世界の

反対側に行く便でさえ、半日以内にそこへ到着する。

 そしてこの空港は、大都市に直結するほとんどの空港と同じように、郊外の離れた所に作ら

れた。洋上に人工島を建てて空港を作るというのが、近年では多くなってきたが、《ユリウス帝

国首都》では、空港としての土地は有り余るほどある。それは郊外の砂漠地帯で、広大な土地

は幾らでもあった。

 首都の建物群が、遠くに見える場所。砂漠の中に首都がある。空港のターミナルビルが幾つ

か建ち、広い滑走路が何本も延びていた。ターミナルビルには、首都から直結している長距離

列車の高架橋、そして高速道路の姿もあった。今は朝が早いために、列車の姿も、車の姿も

見えない。

 ようやく日が昇ってきたところであった。朝の強い日差し、東からの日差しが差し込んでいる

中、太一と香奈は迅速に行動をしていた。

 2人は何とか車を盗み、郊外までそれを走らせ、途中からは歩きで空港へと接近して来てい

た。

 磁気起動列車、そして高速道路の高架橋の柱が、首都から延々と立ち並んでいる。その壁

のような柱を背にしながら、2人は移動していく。空港は厳戒態勢なのは明らかだった。ここに

来るまででも、相当の警備網をかいくぐってきたのだ。

 それが空港ともなれば、政府関係の建物の次、いやそれ以上に警備が厳重にしかれている

事だろう。何しろ、テロ攻撃を受けたばかりとされる都市なのだから、テロリストが外へ出ない

ように、さらには新たなテロリストを国内に入れないように、厳重な警備がしかれているはず

だ。

 それでも航空機が往来しているという事は、『ユリウス帝国』政府がすでに自分達の素性を掴

み、いつでも逮捕できるからという事だろうか。テロリストに対する網は万全に張ってあるという

事なのか。

「もう、あたし達の仲間が着いている頃だね。あの人の言う通りなら」

 必要以上に柱の影に隠れながら香奈は言った。右腕には肩の力が入り、鉄パイプの杖をが

っしりと握っている。

「さっき滑走路に入ってきたのがそうかも」

 太一はそれを聞いていないようだ。香奈を気遣う様子もなく、一つ先の柱の方まで走っていっ

てしまった。

 5分ほどしても、進入経路を太一はまだ立てられない様子だ。柱を一つ一つ移動しながら、

前方左手にある、高い塀に囲まれた空港の敷地を観察している。だが、このままでは突き当た

りの駅舎にまで行ってしまいそうだ。

「でも、よく考えたら、あたし達の仲間って誰?」

 香奈がそう言って、少しばかり彼女の緊張が解けかかった時、太一に反応があった。彼女よ

りも一つ駅側の柱の影で、思いとどまったように急がせていた足を止め、彼は空港の方に目線

をやった。

 そんな事は知らない香奈は、油断したまま太一の背中に無防備なままぶつかり、彼女だけが

小さい悲鳴を上げ、砂漠の赤い砂の上に尻餅をついた。

「何か言ってから止まってよ」

 だが、香奈が白いスカートから砂を振り払った時、彼女の気を引くほどの大きな音が二人の

元に飛んできた。

 心臓に響くような、とても低くて大きな音だった。香奈には爆発の音に聞こえた。

「何だ…? 今のは…?」

 香奈は太一の言葉に誘われ、空港の敷地の方に目をやる。空港ターミナルの建物は、砂漢

と高い塀を挟んで50メートルほどの距離にあったが、そのターミナルの建物の脇、《ユリウス

帝国首都》側を向いた建物の壁から、黒い色の煙が上がっている。かなりの量だ。爆発だとし

たらそれなりの規模だろう。

 同時に、空港の周囲を見回っていた兵士も、2人と同様にターミナルの方向に目をやった。

そして2人が側にいる事に気付かないまま、緊急事態とばかりに、空港の入り口方向に向かっ

て走って行く。さらに一分もしないうちに、2人から見える範囲では、空港の周囲を警傲する兵

士達は一人もいなくなってしまった。

「隙ありだね」

「ああ、そうとも…」

 香奈の問い掛けに太一は小さくうなずく。そして2人は、それぞれの手に武器を持ったまま、

慎重に空港の方向へと走り出した。まだ、その辺りに誰かがいるかもしれない。

 だが2人は、誰にも見つからずに砂漠の砂の上を走り、空港の敷地を囲む背の高い塀の前

に辿り着いた。太一はもう一度周囲を確認するが、誰もいないらしい。

 太一と香奈の目的地は、空港の到着ターミナルだ。2人はこの空港から『ユリウス帝国』に入

国した。だから香奈が忘れていたとしても、太一は内部の大まかな構造を心得ている。仲間

も、2人と同じ『NK』からの便の到着ゲートにやってくるはずだ。

「高いね…」

 コンクリート製、高さが2メートル以上はある空港の塀に手を当てたまま、50センチは上の上

端部を見て香奈は呟いた。塀は砂漠の砂の下から伸びており、針の通りそうな隙間さえ無かっ

た。

「これを乗り越えるのかあ…」

 そんな事を言う香奈を、太一は無視し、両手を伸ばして塀の縁に手を掛けると、両脚で軽く飛

び上がり、塀の上から顔を覗かせて内部の様子を観察した。

「誰もいない?」

 塀にぶらさがる太一に尋ねる香奈。太一は彼女の方をチラリとだけ見て答えた。

「ああ、誰もいない」

「じゃあ、お先にどうぞ」

 少し不思議そうに香奈を見た太一だったが、彼は素直に塀の反対側へと飛び降りた。時間

はかけず、あっと言う間にそれを成し遂げる。彼なら片手でも同様の事が可能なはずだろう。

 塀の下に残された香奈は、周囲を見渡し、誰もいない事を再度確認した。危険が迫っている

かもしれない。このように一時的ではあるが、太一と離れている状況であるのだ。

 彼女が2メートル以上ある塀を乗り越える作業には、太一よりも数倍の仕事量を必要とした。

自分の身長を遥かに超える塀を乗り越えるのは、彼女にとって骨の折れる作業だった。

「ふう…、さて行こうか」

 香奈が塀を乗り越えた先は、うまい具合に白い色のワゴン車が塀の側に駐車され、空港のタ

ーミナルからは完全な死角になる場所だった。先にいた太一と一緒になると、とても窮屈だっ

たが。

 しかし太一は、香奈が塀を乗り越えたのを確認して一呼吸も置かず、白いワゴン車の死角を

抜け出し、空港のターミナルヘと向かう。

「休む暇もないなあ…」

 香奈も死角を抜け出し、太一に続いた。

 2人は空港の駐車場の隅を一気に走り抜く。その間に香奈は、空港の建物の一部が破壊さ

れ、そこから炎が吹き出ているのを見ていた。とても勢いのある炎だった。近くに駐車されてい

たのであろう、数台の車が吹き飛ばされ、横転したまま火が上がり、煙が昇っていた。数人の

軍の兵士がその周囲にいる。

 何かのただならない予感に襲われつつも、2人はターミナルの建物を取り囲むようにして植

林された、植え込みの影に隠れた。植えられていたのは背の低い植物だったが、かがめば駐

車場の方から2人は見えない。

「何が起きたっていうの? あそこってさ、もしかして到着ゲートのある辺りじゃあないの?」

 と、炎が吹き荒れている辺りを指差して香奈が言った。内部の構造を把握しているのであろ

う太一は、

「そうだ」

 とだけ、炎の方を見つつ言った。

「あたし達の仲間がやったって言うんなら、どうか無事でありますようにって、祈っておきたいよ

ね」

 太一はうなずいた。

「とにかく、あそこの辺りに行ったほうがいいよ」

 香奈は自分の武器を握り締め、太一よりも先にターミナル内部に入ろうとする。植え込みの

おかげで、建物内部への入り口を探す行為は、駐車場で起こっている火災に気を取られてい

る兵士達からは見られずに済んだ。

 建物内部への入り口は、それほど苦にせず見つける事ができた。窓が横に連なり、横に

延々続いている。窓から見える内部はあまり幅の広くない、たぶん従業員専用の通路なのだ

ろう、それがずっと続いている。そして壁の一部分が、さほど頑丈そうでもないドアになってい

た。

 香奈は体勢を低くしたままドアノブに手をかける。こんな事は太一じゃあなくても、あたしにだ

ってできる。そんな彼女の心が太一よりも先に行動させていた。しかし、ドアには鍵がかかって

いた。

「そうだよね…」

 それは当たり前だよね…。香奈は思う。

 だがその時、自分が誰かに見られているような気配を彼女は感じた。ただならぬ雰囲気。た

だならぬ視線だった。太一の視線じゃあない。香奈は顔を少し上げて見る。

 その視線の先には、建物の窓越しに、武器を持った軍の兵士が立っていた。

 

 香奈はとっさに身構えた。同時に彼女の前にある扉が、金属がひしゃげる音と共に建物内部

に吹き飛ばされる。太一が警棒を思い切り叩き付けたのだ。その瞬間彼の体は黄色い色に光

り、警棒の軌跡には電流のような閃光が走った。

「動くな!」

 吹き飛んだ扉の迫力に動じる事もなく、窓越しにいた兵士が言った。相手は3人、全員マシン

ガンを持つ。

 だが香奈は低い姿勢のまま、一気に前方にいる兵士の足元に飛び込んだ。それに対し、反

応が早かった兵士は、マシンガンから弾丸を何発も発射したが、それらはすべて、香奈よりも

高い空間を通過していく。

 兵士は上方に血と共に吹き飛んだ。彼の足元に飛び込んだ香奈が、一気に杖を突き上げた

のだ。鉄パイプの上端は兵士の顎に突き刺さるように当たり、彼は通路の天井に頭蓋骨を強

打した。

 同時に太一は、残りの兵士の内一人に攻撃を加える。たとえ相手がヘルメットをかぶってい

たとしても、太一の、とてつもないスピードで頭上から振り下ろされる警棒に対しては無力だ。

銃弾にも耐えられる頑丈な装甲を破壊し、内部の頭骨に強い衝撃を与える。

 2人の兵士が床に倒れた。しかし、もう一つだけ床に転がるものがあった。

 黒い塊、手に握る事ができるほどの大きさ、その形と色が不気味に光る、小型の手榴弾だっ

た。しかも栓が抜いてある。

 最後に残った兵士が2人の元に投げた物だった。彼は手榴弾の爆発に巻き込まれるほどす

ぐ側にいて、太一と香奈に警棒を構える。自分も2人と共に殉職してやるという意気込みのよう

だった。

 香奈は思わず怯えた。栓の抜けた手榴弾を見て大慌ての様子だったが、素早く、杖を持って

いない方の手をその方に向ける。掌は、寒々強いきらきらとした音と共に冷気を放った。香奈

の放った冷気が手榴弾に到達し、それを氷結させるまではわずかな時間もかからなかった。

手榴弾が瞬間的に凍りつく様子を、それを放った兵士は驚いたように見ていた。殉職への意

気込みも遥か遠く、どこかへ飛んで行ってしまっているらしい。

「危ない事しないでよ!」

 兵士は5メートルも吹き飛ばされる。知らぬ間に香奈の杖で顔面を強打されており、マシンガ

ンのトリガーを引く余裕もない。

「何事だ!」

 誰かが叫んだ。とっさに2人は声のする方向に顔を向ける。通路の先の方には兵士が固まっ

てそこにいた。駐車場で火が荒れている方向。彼らがいるのはそれよりも手前だが、後方には

数十メートル通路が延びていて、その先には到着ロビーが見えていた。火の手はそこから上

がっているようだった。

 それを確認した太一は、一気に兵士達の方、到着ロビーの方向へと走り出す。何の迷いも

無い、潔い走りだ。香奈もそれに続いた。

 2人が走り出したのとほぼ同時に、数名の兵士達は広くない通路を封鎖するように一列に並

び、全員が同じ構えで2人にマシンガンを向ける。銃声がし、2人の元に弾丸が飛んで来た。

 だが、2人は何の問題もなく走り続ける。電流バリアが弾丸の軌遣を大きくそらすのだった。

 しかし、銃の攻撃を防ぎながら、自分達の方に走ってくる2人を見て、まるで予期していたか

のように、兵士達は次の攻撃へと移る。全員が懐から手榴弾を取り出し、訓練された、俊敏な

手つきで栓を抜き、それを2人の方へと投げるのだった。

 数個の黒い塊が孤を描きながら宙を舞い、通路の床に音を立てて転がる。次いで兵士達は

その被害から逃れようと、一目散に通路の奥の方へと退散していく。

「何度やったって無駄だよ!」

 太一の何メートルか後ろを走り続けながら、香奈が自信満々に言った。今度の手榴弾に関し

ての彼女は動じなかった。

 香奈が長い杖を左脇から大きくスイングさせると、青白い冷気の流れが通路の床を凍らせな

がら、床に転がる手榴弾の方に向かう。そしてそれらを撫でるように通過した。後に残ったの

は凍り付いた手榴弾と、スケートリンクのように数メートル四方が氷の塊になった床だけだっ

た。白い気体がうっすらと昇る。

 手榴弾の爆発から逃れようと身を引こうとしていた兵士達は、瞬間に凍らされてしまった床や

手榴弾を見て驚く。先ほどの兵士と同じだった。

 次いで、彼らの元に太一が飛び込んでいく。凍った床に目を囚われていた兵士らは、弾丸の

ように走ってきた彼に反応する事ができず、大きく横に振るわれた警棒に、バットに当たったボ

ールのようになぎ倒され、飛ばされていく。あっという間の出来事だ。太一は急いでいるせい

か、まるで容赦をしていない。

 香奈は太一に追いついた。彼女は自分が走ってくるわずかな間に、ことごとく倒された兵士

違の姿を見て、

「何か最近、君が怖く見えるよ」

 と、小声で言うが、太一はそれを気にもしない様子で、2人は到着ロビーに向かって走り出し

た。

 2人が細い通路を抜けると、そこが本当に目的地の到着ロビーなのかどうか、目も疑いたく

なるような光景が広がっていた。

 ロビーの椅子はひっくり返り、案内板や受付けカウンターのテーブルなどは異様な形に曲が

ったり切断されたりしていた。床には何人もの兵士が倒れ、壁や床は銃弾で幾つもの穴が開

いている。いつもは空間の何もない場所に画面が現れて、広告や様々な情報を表示する表示

板も現れていない。そして、2人が走ってきた通路を出てすぐ左手にある壁には、大きな穴が

開き、炎が上がっていた。壁の向こうが駐車場らしい。火災報知機がかなりうるさく鳴り響いて

いた。

「あれは?」

 香奈は、今は状況が一変した到着ロビーの中央の辺りを指差す。そこには一人の男が立っ

ている。

「ん? 誰だ!?」

 相手は警戒し、身構えた。手には巨大な剣を持ち、それを正面に構えて2人と対時しようとし

た、しかし、

「何だ。どっかの誰かさんか」

 太一と香奈の姿を見ると、声を和ませ、警戒を緩めた。剣の構えを解き、男は2人の方向へ

とやって来る。

「わざわざそっちから来てくれて、探す手間が省けたな」

 男の体は大きい。太一の1,5倍、香奈の2倍の体格はある。筋肉質な体をシャツから露出さ

せ、頭には青いバンダナを巻いていた。その姿を確認した香奈はほっとした様子を見せ、

「久しぶりね、一博君」

 と言うのだった。

 香奈は、自分の仲間がいる場所へと急いだ。

 一博は、巨大な剣を片手に持ち、大きくため息をついていた。彼はおそらく、軍の兵士達と激

しい戦いをしたばかりなのだろう。体中の至る所に手傷を負っていた。

「こっちから捜しに行く必要は無かったか。まさかわざわざそっちから来てくれるなんてな…」

 まるで独り言のような声で一博は言った。

「一博君、大丈夫?」

 彼が傷を負っている事を知った香奈は、思わず心配の目で彼の方を見た。

「さすがに見つかってしまってね…。正体までバレたかどうか分からないけど、とにかく帝国軍

の奴らとやらざるを得なかったのさ…、原長官の言っていた通りにしたまでさ…」

 そうは言うものの、とにかく一博が無事そうなのを見て、香奈は安心した。そして、仲間が救

援に駆けつけてきてくれた事にも。

「それにしても、君達も良く無事だったね…。太一も相変わらずだな。2人でちゃんとやっていた

のかい」

「まあな」

 香奈の後からやって来た太一の方を見て、一博は言った。彼はとりあえず2人が安心なのを

知って安心したようだ。

「ところで、なんで君達はおれが来る事を知っていたんだい?」

 そういえばと言った様子で一博が香奈に尋ねた。

「教えてくれた人がいるんだよ、ねぇ?」

 そう香奈が太一の方を振り向いて言った時だった。

「よーし、そこまでだ!」

 火災中の空港内に、火災報知機の音に混じって、『ユリウス帝国』の言葉で声が響く。

 ロビーの中央にいる3人は、とっさに声のする方向を振り返り、身構えた。

「これが見えたら観念しろ」

 銃を3人に向けてくるのは帝国軍の男だった。後ろにマシンガンを構えた部下を3人従え、太

一と香奈がやってきた通路の方から迫って来る。それを見た一博は、

「こいつらのしつこさには、感服するな…」

「全くね…」

 一博の言葉に併せて香奈は言い、兵士達に向けて武器を向けようとした。

 だがしかし、

 始めは自分自身でも、彼女には何が起きたのかよく理解できなかった。突然、息が止まり、

腹に激痛が走った。次いで手からは杖が抜け落ち、彼女は服から露出した自分の腹を押さえ

て床に両膝をついて、力なくうずくまった。

 香奈の側にはいつの間にか、銃を持った軍の男が立っていた。香奈は自分が攻撃された事

すら気が付かなかったが、その兵士は俊敏の動きで、銃を使って彼女の腹を殴っていたよう

だ。

 今まで、こんな兵士数人など楽に倒せると思っていた香奈だったが、これは予想外の事態だ

った。しかも、まともに鍛えられていない彼女の体は、腹部の痛みで立ち上がる事ができない。

痛い腹を抱える事しかできない。

「問答無用というわけだ」

 うずくまった香奈の側に立つ兵士が言う。太一と香奈は、とっさに攻撃に移ろうとしたが、残り

の兵士達はマシンガンを彼らに向け、香奈を殴った男は、銃を向けてくる。

「はぁ…、あぁ…、痛い…」

 呼吸が苦しかった。

「さあて、この女を撃たれたくなかったら、言う事を聞いてもらおうか?」

 自信たっぷりに男は言う。香奈がこうなっている以上、太一と一博はそれに従うしかなかっ

た。

「よし、連行するぞ」

 その男が自分の部下達にそう言った時だった。

 とてつもない爆音が空港内に響いた。首都の端から端にまで届きそうな、ジャンボジェット並

の爆音が、大きく響く。と同時に、太一と香奈が走ってきた通路から、炎と爆風が噴き出る。音

と同じくらいの勢いで、炎と爆風はその側にいた兵士達を飲み込み、ついでに太一も飲み込ま

れた。

 すでに荒れ果てていた到着ロビーだったが、その爆風と炎でさらに破壊される。壁は破れ、

椅子や案内板は、さらに吹き飛ばされた。香奈と一博、そして彼女を殴り倒した帝国軍の男は

危うく炎に巻き込まれそうになり、彼らの体の周りを爆風が通過する。

 一博と、残った『帝国軍の男は、何が起きたのかまるで分からない様子だ。突然の出来事に

は爆風に吹ぎ飛ばされないように身を構える事しかできず、炎の中に兵士達と太一が飲み込

まれる瞬間だけを見ていた。

「何い…!」

 残った男がそう言った時だった。彼はみぞおちに鉄パイプの杖を突き出され、炎の中に

 押し込まれる。彼が銃で応戦する間もなく、何の反応もできない間での事だった。

 後には杖を構えた香奈が立っていた。

 爆風と炎を免れた一博は、今の出来事を驚樗の目で見ていたが、

「危ないぜ、離れないと…」

 と、香奈を催促し、周りで吹き荒れている炎から彼女を逃がそうとした。

 香奈は、さっき受けた攻撃で口から垂れていた血を手で拭うと、一博の方に向かって後退り

し始める。まなざしは真剣に通路から吹き出す炎を見たまま、彼女は一博と共に素早く行動し

た。腹の痛みは残っていたけれど、何とか体勢を戻し、『力』を使って痛みを押さえ込む。

 到着ロビーの中央の辺りまで逃げて来ると、一博と香奈は炎の被害から逃れたと確信した。

そして、警戒を緩めないまま、今さっきいたロビーの隅の辺りを一緒に見つめた。

「な、何が起こったんだ?」

 状況を理解できない一博が言った。

「手榴弾だよ」

 香奈は言う。

「さっき、軍の人達が投げてきた手榴弾をあたしが凍らせて、不発弾にしてあげたんだけど、そ

れを解除してあげたの。瞬間で凍ったから、瞬間冷却みたいに爆発の能力は失わなかったみ

たいね。まあ、こんなに派手になるとは思っていなかったげど」

 そう、淡々と話した香奈を、一博は驚いたようら見つめて、

「き…、君はそんな大胆な事、するような人だったか…? 前は殴られたりしたら戦意喪失ぎみ

だったのに…」

 まるで怖いものを扱うように言ってくる。いつもの一博の自信の無い口調がひどかった。香奈

はそれを尻目に、

「そうかな…?」

「そんな事より! 大事な事を忘れてるって!」

 香奈の言葉を遮るように一博が叫んだ。彼はとても慌てたような表情をしていた。

「何?」

 香奈は何も知らないという感じだ。

「ヤバい状況を逃れたのはいいけど、太一まで爆発に巻き込まれちまった。いくら殺してもしな

ないような奴だったとしても、ありゃあ、間違いなく…」

 そう言う一博はとても慌てている。行き場を失った時の香奈よりも、ひどい慌てぶりだった。

「あら、彼なら大丈夫」

 と言って香奈は、爆発によって激しい火災となっているロビーの端のほうを指差す。だが、

濛々と炎が吹き荒れて爆発が起こり、その度に建物の一部が崩れる音と、地震が起きたよう

に足元が揺れるのを知ると、指が少しばかり震え出し、

「多分、ね…」

 香奈がそう言った時、激しく燃えている炎の上にある案内表示板から、火の手が届いていな

い安全な床に降り立つ者の影。10メートル以上もある高さを何の苦も無く降り立つ姿があっ

た。

「ほら、大丈夫だったよ」

 爆発を逃れた太一は、何事も無かったかのように冷静な様子で、香奈と一博の方に歩いて

来る。

「あいつには君以上に関心するよ…」

 香奈に向かって、安心した様子で一博が言った。

 しかし、安心しきった彼らの背後には、大きな黒い影が迫っていた。

 到着ロビーからは、ガラス張りの壁を挟んで、広大な滑走路が見える。毎日何百というジェッ

トが飛んで行く光景が見られる場所だ。今は朝が早いから、それらはほとんど見られないが、

遠くに首都の街並みが見られた。

 そして今、その滑走路の手前から、何やら大きな黒い影が、無防備な3人を狙っていた。

 

 けたたましい音と同時に、ロビーと滑走路を隔てたガラスが粉々に割れた。一度割れたガラ

スが幾度もの衝撃を与えられ、これ以上粉々にできないほどにバラバラに砕け散る。

 火災報知機の警報をかき消し、ガラスが割れる中に激しく響く音は、機械のうねる音。軍の

兵器が稼働する音だ。

 誰かが恐怖の悲鳴を上げる。それが様々な音が叫び合う中に響いた。悲鳴を上げたのは香

奈だった。

 3人はとっさの判断で物陰に身を隠す。突然の出来事に悲鳴を上げていた香奈は反応が遅

れ、一博に引っ張られて、滑り込むようにロビーにあるカウンターの影に隠れた。体の大きな

一博は香奈を連れ、身を守るべく狭い場所に、無理矢理体を滑らせ押し込んだ。

 テーブルに傷を付けているのは弾丸。目にも止まらぬ速さの弾丸だ。それが自分達の方向

に飛んで来ている事を香奈はすぐに理解し、自分の能力で一博も包むバリアを張ると、屋外に

目をやった。

 戦闘機。戦闘機がそこにいた。それも、音速を遥かに超えるスピードで飛ぶ事ができるという

ステルス戦闘機だ。

 それを形容するならば、さながら未確認飛行物体だろうか。全く無駄の無いような正三角形

の形をし、真っ黒に塗られ、それに『ユリウス帝国軍』のロゴマークすら入れられていない。

 その先端部に備え付けられた重機関砲から、弾丸は次々と発射されていた。かすっただけ

で、ロビーの椅子など粉々になってしまう破壊力のある弾丸だ。丸いテーブルは、一、二発弾

を食らっただけで真っ二つになった。

「絶対に頭を上げないでッ!」

 一博は銃声の中で、香奈に叫びかけた。

 やがて、その激しい銃弾の雨は止んだ。空港のロビー内に、ステルス戦闘機の低いエンジン

音だけが響いてきている。

 どうなったかと、一博はカウンターから外へ顔を覗かせてようとしていた。

 だが、彼はそこで見た光景に、思わず叫び声を上げた。

「あれは! まずい!」

 そういって、一博はさらに体をカウンターの奥へ押し込み、頭を抱えて体をまるめ、防御姿勢

をとった。

 何事かと、香奈はカウンターから顔を上げたが、一博が取った行動の意味はすぐに理解でき

た。

 香奈は思わず悲鳴を上げ、一博と同じようにカウンターへと身を隠す。

 一発のミサイルが放たれていたのだ。

 ミサイルは、カウンターの上部を通過して行く。そしてそのまま加速しながら、奥の方の壁へ

と激突した。

 同時に爆発が起こる。激しい爆風と共に炎が吹き出され、壁やら何やらの破片が弾丸のよう

に飛び散った。

 香奈は頭を抱えたままじっとうずくまった。炎から出ている熱い熱。爆風、そして体に何かが

当たるのを彼女は感じた。このまま死んでしまうのかと思ってしまうほどの恐怖も。

 爆風が収まると、香奈は恐る恐る目を開いた。彼女はカウンターから外へと顔を覗かせてみ

る。

 到着ロビーの光景は一変していた。ミサイルが突入して行った場所を中心として破壊が広が

り、そこら中が火の海になっていた。壁は粉々に砕け散り、ベンチやテーブルなどが破壊され

て飛散していた。

 そして香奈は、重要な事に気がついた。

「か…、一博君…! 太一…! どこ…!」

 自分と一緒のカウンターに滑り込んだはずの一博と、太一の姿が無かったのだ。

 辺り一面炎の海の中、香奈は慌て、仲間達の姿を探した。だが、彼らの姿は見当たらなかっ

た。まさか、今の爆発で跡形もなく吹き飛んでしまったとも思えない。それとも爆風で遠くへ飛ば

されてしまったのだろうか。

 だが、目の前に迫っていたステルス戦闘機の姿を見て、香奈は思わず踏みとどまった。

 その機体に備え付けられた重機関砲の銃口が、自分の方向に向いていたのだ。

 パイロットの姿は見る事ができない。コックピットを覆っている強化ガラスは全てを反射し、ロ

ビーで燃え盛っている炎や煙が写っているだけだった。

 香奈はすぐに行動に出ようとした。今にも重機関砲は発射されそうだったからだ。

 しかし、それよりも前に彼女は、ステルス戦闘機の機体上部に現れた人影に気がついた。

 巨大な剣を、コックピット目掛けて振り下ろす姿。それは一博だった。

 まるで鉄骨の塊のような剣を振り下ろす一博。コックピットを覆っていたガラスは粉々に砕け

散った。

「こんな場所でミサイルをぶっ放すとは、正直驚いたが…」

 ステルス戦闘機、その機体の上には一博が立っていた。彼は、大剣を振り下ろしたままの姿

勢だった。一博は大剣の斬撃で、コックピットの強化ガラスを叩き割っていた。

 更にそこへと太一も姿を見せ、二人はコックピットのパイロットを見下ろしていた。

 操縦士は、ヘルメットを被っていて表情は伺えないが、言葉は焦っていた。

「お、おい! 変な真似をしてみろ! あの女に機銃の照準が向いているんだぜ! 引き金を

引くぞ!」

 そう彼は言ったが、それよりも前に、彼は一博によってそのコックピットから片腕で引っ張り

出されてしまう。彼が付けていた座席固定の為のベルトも、それだけで引きちぎられてしまっ

た。

「なーんて言ったんだ?」

 操縦士の喋った言葉は、『ユリウス帝国』のタレス語だったから、あまりに素早く喋られると一

博には理解できなかった。

「は…、離せ…!」

 操縦士はそう言い、一博はすぐに彼の首から手を離した。

 少し安心したような表情を彼は見せたが、次の瞬間、操縦士は後頭部を太一によって警棒で

殴られてしまった。

「あんた、容赦しないな、本当に」

 ステルス戦闘機の上で気絶し、倒れた操縦士を見下ろし、一博は呟く。

「まあな」

 太一はそれだけ答え、戦闘機の上から床へと降り立ち、カウンターの所にいる香奈の元へと

向かった。

「本当に心配したよ。いきなり2人ともいなくなっちゃうから。もうこんな事しないで」

 香奈は顔に少し火傷を負っている。それは両腕や、スカートからはみ出ている脚についても

言えた。一博も2人の知らない所で細かな怪我をしていた。その反面、太一は傷一つ負ってい

ない様子だ。

「面倒な奴は仕留めた。さっさと逃げた方がいいぜ」

 一博が太一と香奈を急かす。彼らの周囲では相変わらず炎が至る所で燃え上がり、だんだ

んと激しさを増し、素早い勢いで3人の近くにまで迫っていた。

「急いで消火をしろ!」

 誰かの声が響いた。誰かが叫んでいて、それは兵士だろう。突然の爆発と火事で彼らは慌て

ている。火災報知機が鳴り響いて緊張感を増させていた。

「逃げるのなら今のうちだぜ、早くしよう」

 再び一博は太一と香奈を急かし、彼らは、俊敏な動きで炎の隙問を縫うように走り、その場

から姿を消した。

 後に荒廃した到着ロビーに残ったのは、炎と黒い戦闘機、気絶した兵士1名だけだった。

 

ユリウス帝国首都42区

7:24 A.M.

 

 

 

「さて、どうするよ?」

 一博は歩きながら、太一と香奈に質問を投げかけた。

 3人は、半分パニック状態になっている空港の敷地内から逃れ、そこからそう遠くない場所に

いた。

 見通しの良い砂漠を低い姿勢で横断し、郊外の住宅地に入り込む。兵士が厳重な包囲網を

広げるよりも前に、その外へと逃れようと、依然として逃亡を続けていた。

 彼らの歩いている歩道には、会社に通勤する人間などはほとんどおらず、スクールバスで学

校に登校する子供達の姿に至っては、ただの一人も見かける事が無かった。首都内で起きた

一連の事件のせいで、都市全体に厳戒体制が敷かれている。しかも、その犯人がまだ都市内

に出没しているとなれば、当然だろう。

 3人はそのように緊迫する首都郊外を歩いていた。もちろん、いつも通りの警戒を払いなが

ら。

「どうするよって…、それをどうにかする為に君が来てくれたんでしょう?」

 香奈は、自分の背後から歩いてくる一博にそう答えた。彼女にそう言われてしまうと、一博は

少し戸惑った様子を見せる。

「それは、そうだが…、その重要な任務を遂行する為に、どうしたらいいかって事を聞きたかっ

たのさ…」

 自信の無いような声で一博が答えると、香奈は彼の方を振り返った。

「そうだねぇ…。確かに重要な潜入任務だって言うことは分かるんだけれどもさ、一体こんな状

況でどうしたら良いんだかね…」

 確かに香奈は、任務の事を忘れていたわけではない。彼女は太一について『ユリウス帝国』

から姿をくらましていたが、任務は必ず遂行するつもりだった。

「こっちには味方もいない。連絡も取りようがないって事か…」

「だから、それをどうにかする為に君が来てくれたんだよね?」

 きっぱりと香奈に言われ、一博は少し面食らった様子を見せた。

「あ、ああ。一応そのつもりだった。君らが事件を起こしたんで、うちの国の防衛庁が、急ピッチ

で捜査を進めたんだ…」

 一博は、原長官の言葉を代弁して言っていた。

「それでな…、どうやら『ユリウス帝国』はこの度、どこかの誰かさんと手を組んだらしいんだ。

その誰かさんは、どうやら腕利きのハッカーらしい。まんまと『NK』の防衛庁に潜入して、うちの

組織の情報を盗み出したんだ…」

「やあねえ」

 香奈が間に入った。太一の方は、前を歩きながら背中で話を聞いているようだ。

「しかしだ。誰かさんが防衛庁のコンピュータに潜入している時に、逆探知に成功した。2回目

の事だったからな、ハッキングはすぐに分かった」

「さすが、うちの国の防衛庁!」

 一博の声を遮るように香奈は言った。

「その誰かさんは、どうやらここ《ユリウス帝国首都》に住んでいるらしくてな。逆探知の結果、

番地まで弾き出す事ができたそうだ」

 そう二人に言うと一博は、青い大きなサイズのズボンのポケットに手を入れ、くしゃくしゃにな

った紙切れを取り出した。香奈にそれを渡す。

「17区の66番通り、2704番地…、17区って…」

 紙切れに書かれた住所は一博がメモをした字らしく、香奈にとってはとても読みにくかった。

「そう、《ユリウス帝国首都》の17区」

 少しの間の後、香奈は態度を大きく変えてしまった。

「そ、そこって、危ない人ばっかりいて、いつも危ない事ばかり起きていて、普通の人の行くよう

な所じゃあないって、前に誰かから聞いたような…」

 うろたえた声で言った。

「朝からあんな事をしている割によく言うよ」

 と、呟く一博。

「まあ…、そこに行って、盗聴なり、ハッキングなりを止めさせない限り…、おれ達の任務は遂

行できないし…、情報が漏れ続けているからな。放っておけば、いずれまた同じ事に…」

 香奈には一対一で話しにくいらしい一博、ところどころ口調がおかしくなっていた。

 一方の香奈は、少し考えた挙げ句に、

「わかってるよ、行かなきゃあならないもの。また面倒な事になるなんて、あたし嫌だしね」

 そう言って太一を追うように歩き続けた。彼女は、前よりも少しだけ堂々とした足取りになって

いた。

 住宅地の向こうに高層ビルが見え、その窓ガラスに日の光が反射してくる。いつものようにそ

の光は淡い。曇り空は、《ユリウス帝国首都》の陰欝な一日の幕開けだった。

 

 

ユリウス帝国首都17区 66番通り 2704番地

5:11 P.M.

 

 

 

 レイはベッドに横たわり、そこで苦悩していた。部屋は完全に締め切り、誰も入れないように

している。いや、そうしていても、誰かが入ってくるような事はまずないだろう。何しろ、彼に仲間

はもういなかったからだ。

 仲間がもういない。そう思う事自体が、彼にとっては現実ではないかのような気がしていた。

更に彼自身に募ってきている、責任、迷い、恐怖、そして疲労。

 それらが、彼を極度に緊張させ、興奮、苛立たせていた。

 ベッドの上に横たわっていたとしても、眠れるわけではない。そんなに落ち着いた状態でもな

い。とにかく静かな場所で一人になりたかっただけだ。

 時計の秒針が動く音が、焦りを募らせるほど大きく感じ、またその間隔も不気味なくらいに長

く感じられる。彼の周囲にはその時計の音しかしなかった。部屋の中、そして建物内は静かだ

った。彼は『フューネラル』のアジトにいた。

 『フューネラル』のアジトは、《帝国首都》17区の中心部にあり、そこにあるどの建物とも調和

するようなアパートに存在していた。

 アパートは十何年も前に打ち捨てられた廃屋。4階建ての作りで、誰が持ち主というわけでは

ない。住んでしまったら、その住人のもの。それが、この17区での常識だ。だからアパートは

『フューネラル』のものだ。

 それは、『ユリウス帝国』に一矢報いる事のできている、数少ない組織の内の一つ。選りすぐ

りのハッカー達がいるアジト。だが、外見からではとてもそのような場所とは思えない。

 窓ガラスは擦りガラスにされ、建物にある汚れやヒビなども全てそのままに残してある。周り

の建物と見分けが付かないようにしているのだ。

 その中にあるレイの部屋は、コンピュータ関連の機材やら配線、そしてそれが陳列された戸

棚などがところ狭しと並んでいた。その片隅に、彼専用のベッドがある。レイがリーダーだから

と言って、部屋が特別なわけではない。メンバー達と同じような部屋だ。元は、このアパートの

管理人室だった場所で、他の部屋よりも広めに作られていた。それだけだ。

 レイはそんな部屋にあるベッドに身を埋め、とにかく考えるという事をしていた。

 これからどうすればいいのか。

 彼はあの時、兵士達によって連行されそうになっていたが、何とか脱出する事ができた。あ

の状況で脱出することができた自体が、今となっては奇跡的だ。

 しかし、レイが命からがら『フューネラル』のアジトに戻ってきた時、そこに仲間は一人残らず

いなかった。

 自分自身を疑った。この場所にいた、『フューネラル』の仲間達が、一人もそこにはいなかっ

た。どこを探しても仲間はいない。全員がこの建物からいなくなり、空にしている事など未だか

つて無かった。

 仲間にも見捨てられたな。レイはそう思っていた。

 あのような行為に出た自分自身が間違えてしまったのだろうか。

 

 

 

11月16日

8:32 P.M.

 

 

 

 前日の出来事だった。

 レイが、今と同じように部屋で休んでいる時だ。状況こそ似てはいたが、レイは今ほど興奮し

ていないし、仲間達もまだ建物の中にいた。

 突然、彼の部屋のインターホンが鳴り、レイは思わずびくっとしていた。

 だが、枕の近くに置いてあったモニターに写されている、部屋の扉の映像を見て、レイは安心

する。少なくともその瞬間だけだったが。

 彼は、床に網のように張っている機械類の配線に脚を取られないよう、いつものように気を

付けながら歩いていった。

 レイは半ば乱暴に扉を開けた。

「ベルトか…、一体何の用だ?」

 不機嫌な声でレイが言うと、そこにいた、褐色肌で髪の毛を派手に結んだ男は面食らった様

子を見せた。

「何の用だ? じゃあねえぜ。一日中一人きりで篭っていてよォ。皆心配してんだぜ…」

 このベルトという男も、『フューネラル』のメンバーだ。そうであるからには、彼も腕利きのハッ

カーだった。

「そうか…、少し考え事を、な」

 ベルトから目線を外してレイは答えた。ベルトの方は睨んだような目付きをする男で、レイは

いつも喧嘩を売られているような気がしてならない。

「俺達も考え事をしていたんだぜ。ビルの奴の件でな…」

 レイは、はっとしたように目をベルトの方へと向けた。彼の睨んでいるような目と、レイは目線

を合わせた。

「ビルの件? 一体何の事だ?」

「ビルの奴は愚かだった…。俺達まで一緒に犠牲になるつもりはないって話だ」

 レイはかっと目を見開いた。

「何だと! 俺を差し置いておいて、勝手に話を決めるんじゃあない!」

 強い口調でレイは言った。しかし、ベルトは動じない。まるでそう言われるのを分かっていた

かのように切り返し出した。

「何でだ? 何であんな奴の為に命をかけなきゃあならねえんだ? 俺にはそこのところがよく

分からねえ」

「それはお前だけの独断だろう! また皆に自分の意見を押し付けたのか!?」

 だが、ベルトは、その睨んだような表情のまま、苦笑したようだった。

「分かってねえなあ、あんたは。相変わらずだ。皆、ずっと前からそう思ってたんだよ。自分だ

けの独断だとか、自分の意見を他人に押し付けているのは、いつもあんたの方なんだぜ…!」

 ベルトはレイの言葉をそのまま使い、挑発的に言うのだった。

「皆はどこにいるんだ!」

「会議室だぜ。いつも使っている部屋だ」

 ベルトはレイの言葉をそのまま使い、挑発的に言うのだった。

「皆には俺から話す…! いいか…! ビルの事は断じて変えようとはしない…!」

 レイはベルトを押しのけ、会議室へと向かおうとした。しかしレイの背中に、ベルトは捨て台詞

のように言葉を投げかける。

「やれやれだ…。それで、『ユリウス帝国』の奴らとくだらない取引をするんだからな…! そん

なんで良く今までやって来れたものだぜ」

 レイは背中から来た言葉に思わず歯軋りをしたが、何も言い返さなかった。

 

ユリウス帝国首都17区境

5:13 P.M.

 

 

 

 厳戒態勢となって、静かで人気の無くなった《ユリウス帝国首都》。その住宅街に現れる『SV

O』の3人の姿があった。

 香奈は、脚がぼろぼろになって行きそうな疲労を感じていた。そう、ちょうど、鉄が錆びてしま

ったかのような感覚。今にもぽっきり折れてしまうかもしれない、そう思えるほど。ここまでほと

んど歩きで来たのだ。

 郊外の空港から、この住宅地帯まで約50キロ。足早に10時間も歩いてきた。太一も一博も

体力があるが、香奈は彼らほどではない。いくら超人的な能力を発揮できるといってもそれは

一瞬の事だけで、長い時間歩けば普通の人間と同じように、疲れるし、脚も痛くなって来るの

だ。

 更に、『ユリウス帝国軍』に見つからないようにも行動しなくてはならなかった。警戒をして大

きな通りは避け、なるだけ人気の無いような場所を通って移動して行く。重い緊張を保ったまま

の行動だった。

 3人は《帝国首都》に詳しい訳ではない。香奈はこの場所がどこであるのかさえ分からなかっ

たが、太一は、携帯型のナビゲーションシステムを使って、地図を見ながら行動している。だか

ら迷う事は無かった。

 『SVO』に対してスパイ行為を行い、『ユリウス帝国』へと協力をしていたらしい者の住んでい

るという17区。そこは迫ってきている。すでに隣の18区の住宅街にまで来ていたのだ。

 そこはまともな人間は寄り付かないというスラム街。《ユリウス帝国首都》の汚点として有名だ

が、その片鱗はすでに隣の区から現れ出していた。

 建物の価値はだんだんと落ちて行き、道路も汚く、更には狭くなってきた。厳戒体制を無視

し、外出している人々も見受けられる。落書きも多かったし、自動販売機も電源が入っていな

かったりしている。

 一般の旅行者は寄り付かない17区。そこには地下鉄も通っていないし、主要道路からも外

れている。行くのは陸路でしかない。

「もうすぐだ。そこの角を曲がったら17区だそうだよ…」

 一博は香奈の方を振り返ってそう言った。彼は太一の携帯端末を一緒に見ていた。

 やがて3人は角を曲がる。そこから先には、正真正銘のスラム街が広がっていた。

 さっきまでの建物は、中流の住宅地に比べれば、大分年季が入り、安アパートばかりだとい

う程度だった。しかし、ここから先は違う。

 全ての建物が、板が打ち付けられ、または窓ガラスが割れていて、さらに道路は舗装がされ

ていない。建物の塀などは崩れ、路上駐車されている車も、フロントガラスが粉々に砕け、タイ

ヤはパンク。何年も前に乗り捨てられてしまっているようだった。

 3人が、そんな周囲の様子にきょろきょろしながら進んでいくと、浮浪者の姿も多く見受けら

れた。路上に座り込んでいる者、何かをぶつぶつ言いながら歩いている者などが狭い道に沢

山いた。

 香奈はこの光景に嫌気が刺していた。歩いている人々の虚ろな目や、漂っている妙な匂いが

耐えられないのだ。道の不潔な状態も。

 3人は《ユリウス帝国首都》では珍しく、『NK』の人間だった。しかも旅行者がこんな場所に来

る事など無いのだろう。歩き回る人々にじろじろ見られていた。

 それでも3人は歩いていった。

「おれ達が行こうとしている場所は、この区の大分奥地にあるんだ」

 では随分歩いていかなきゃあならないな。香奈はため息をついていた。

 そんな時、3人を取り囲む者達の姿。

 様々な物が打ち捨てられている路地の物陰や、廃屋にでも隠れていたのだろうか、5人の男

達が現れ、3人を取り囲む。

 兵士達ではない。この区の人間なのだろう。全員が薄汚い姿をし、何年も切っていない髪、

そして汚れた顔を見せていた。

 間違いなくこの17区に住み着いている者達だ。正式な住居権を持っているわけでもなく、た

だ適当な廃屋に住み着いているそんな者達。

 この17区は、『ユリウス帝国』の中でも、身を隠さなければならない者達が住んでいるような

場所だが、この3人の目の前にいる彼らは、大した大物ではない。隠さなければならないような

身を持っているわけでもない。ただの浮浪者だ。

 外国人旅行者は、無闇にこのような《ユリウス帝国首都》の汚点とも呼べるところには近づい

てはならない、その理由は、このようにトラブルに巻き込まれるからだった。

 どこの国でも、特に『NK』の国の人間は金を持っている、そう思われがちだった。余計に『N

K』国民はトラブルに巻き込まれやすいのだ。もちろん、普通の者ならば、トラブルが起こりそう

な所へ行ったりなどはしない。

 『SVO』の3人を取り囲んだ者達は、それぞれ、鉄パイプなどの武器を取り出した。そして、

思い思いの姿勢でそれを構える。

 一方の太一達の方は、特に身構えるような事もしなかった。

「何だ?」

 一博が簡単な『ユリウス帝国』の言葉、タレス語で言った。

「金持ちさん達よ、おれ達に金をよこせよ」

 そう言って、手よりも持っている凶器の方を差し出してくる男達。

「遊んでいる暇は無い」

 一博がまた答えた。

 すると、男の内一人が、傍に止めてあった車のフロントガラスを、鉄パイプで叩き割る。わざ

とらしい脅しだった。フロントガラスの粉々に砕け散る音が辺りに響き渡った。

 すると、一博に凶器を向けている男は、妙にニヤニヤ笑ってみせる。3人が怖気づいたので

も思ったのだろうか。

「やれやれだ」

「あなた達に構っている暇は無いの!」

 香奈は言った。だが、『NK』の言葉では相手に通じているはずもないだろう。

「だが、邪魔なものはどかしていかないとな…」

 一博は香奈の言葉に付け足すようにそう言った。

 と、同時に、彼に鉄パイプを向けていた男が、それを振り被って、一博へとパイプを振り下ろ

して来た。

 一博はそれを易々と手で掴み取る。男が鉄パイプに力を込めてもびくともしない。

 代わりに一博は鉄パイプを握った手に力を込める。すると、錆び付いていた鉄パイプは曲が

ってしまい、やがては軽い音と共に二つに折れてしまうのだった。

「この野郎!」

 折れた鉄パイプに驚いた様子を見せた男だったが、すぐに自分がなめられたと思い、怒りを

露にする。そして、折れ曲がった鉄パイプを片手に一博へと襲いかかって来ようとした。

 同時に、3人を取り囲んでいた者達全員が、一斉に襲い掛かってくる。それぞれが違う凶器

を持っていた。

 一博は、鉄パイプを持った男の攻撃を易々と避ける。そして彼の背後に回ると、背中へと強

烈な蹴りを入れた。

 まるで大木のような脚による攻撃、それを背後からまともに食らった男は吹き飛ばされ、さっ

きフロントガラスが割られた車へと突っ込んでいってしまう。

 さらに一博は、自分の背後から迫ってきていた男を、振り向きざまに殴りつける。彼の岩のよ

うな拳を顔面に受けたその男は、一撃で気絶した。

 一博ほどの屈強で鍛え上げられた肉体があれば、武器を使わずとも、簡単に大の男をも打

ち負かす事ができる。一博が武器を使うのは、相手が銃火器を使うか、自分よりも上の力を持

つ者と戦う時だけだ。

 太一は警棒を使っていた。自分に襲い掛かってきた者一人を、スタンガンのような衝撃のあ

る警棒で一撃する。

 目にも留まらぬスピードだった。太一は容赦をしていない。相手には彼が何をしたのかさえ見

えなかっただろう。

 警棒に一撃されたその男は、そのまま吹き飛ばされる。更に、後ろにいた2人にもその衝撃

は伝わっていく。後ろの2人は、直接警棒で殴られる事は無かったが、スタンガンのような電流

は伝わっていく。彼らも同じように吹き飛ばされていった。

 そのままもろい造りの塀を破壊し、彼ら3人の体はそこにめり込んだ。

 ここまで3秒も経っていない。香奈も何かをしようとはしていたのだが、太一と一博があっとい

う間に片付けてしまったので、出る幕が無かった。

 しかし、彼女がほっと胸を撫で下ろそうとした、その時だった。

 香奈は思わず悲鳴を上げた。後ろから羽交い絞めにされたのだ。

 彼女の悲鳴に、太一と一博は振り向く。

 おそらく、2人が打ち負かした男達の仲間だ。まだ仲間が隠れていたのか。彼は何やら香奈

に向かって囁いて来る。

 下品な口調だった。何を言って来ているのか、香奈には分からなかったが、とにかく触ってく

る手つきが嫌らしい。

 珍しく彼女は、頭に血が上ってしまう。

 そして香奈を羽交い絞めにしている男は、次の瞬間に悲鳴を上げるのだった。

 彼の手が煙を上げていた。男の手は激しく火ぶくれを見せており、それはとても熱いものを触

ったかのよう。

 香奈は、熱を持つエネルギーを使い、それを自分を触ってくる男の手へと送ったのだ。

 男の掌は、大火傷を負った直後のようになっている。彼は叫び声を上げ、とにかく混乱する

のだった。

 香奈はそこへ、思い切り杖をスイングさせて殴り付けていた。彼女の力でも、杖は強力な破

壊力を引き出し、男も顔面を殴られては、跳ね飛ばされて気絶せざるを得なかった。

 香奈を羽交い絞めにした男は、杖で殴られると、そのまま地面でバウンドしてきりもみしなが

ら吹き飛んだ。

 彼女が男を倒す一部始終、太一と一博は目の当たりにしていた。

「ふう。さーて、行こうか」

 軽く息を付くと、香奈は何事も無かったかのように、2人の方を振り返った。

「彼女も、本当に容赦しなくなったな…」

 一博は、まるで怖いものでも見たかのようにそう言うのだった。

 

フューネラルのアジト

5:31 P.M.

 

 

 レイはまだベッドに横たわっている。彼にできる事は、ただ昨日の事を思い出すことだけ、そ

れだけだった。

 周囲が全くの静かな沈黙に包まれている中で、自分が大声を上げ、机に拳を叩きつけてい

たのを思い出す。

 

 

 

「何故だッ!? 何故皆、ビルを、仲間を見捨てるなんて言うんだッ!?」

 感情を露にするレイに、メンバー達は何も答えられずにいた。

 フューネラルのメンバーは、アジトの中でも、会議室と呼ばれる大きめの部屋にいたが、そこ

には重い空気が漂っている。十数名ものメンバーが入るには狭すぎるという事もあるかもしれ

ないが、それだけではない。この重い緊張感。静かな部屋の中に、レイの大声だけが響き渡っ

ている。

「何故だ? だとォ…。あんたは自分で勝手にやった事が分かっているのかよ?」

 だがその中で、一人だけ堂々としている者がいる。ベルトだ。彼は他のメンバーよりも多くの

面積を占めて座り、レイと対立している。もともと彼はレイに対して反抗的な所があった。

 とはいえ、こんなにあからさまなのは初めてだったが。

「何…!? どういう意味だ…!」

 レイがベルトに強い視線を送る。だが、ベルトの方は動じもしない。

「いい加減にしてくれよ! 俺達はあんたの行動にはもう付いていけないって事なんだぜ」

 そう彼に対して挑発的な口調で言うのだった。

「どういう事だ!」

 レイは聞き返すように彼に言う。もはやこの場は、レイとベルト、二人の意見だけが対立する

場になっていた。

「信念だか、何だか知らねえがよ。一人の間抜けな不注意の為に、何で皆が巻き添えにならな

きゃあいけないのか、それが分からねえんだぜ。そう、たった一人の愚かな行動に、なんだぜ」

 ベルトは、自分の話している事が、100%正しいというほどの自信に溢れた口調で話してい

る。そう、レイは完全に間違っており、自分の話している事が絶対的に正しい。誰が見てもその

通り。そう言っているかのような口ぶりだった。

 それはレイも強く感じていた。だから彼は、ベルトに対して感情を露にしてしまう。

「いくら愚かだったとしても、ビルは仲間だ! それを見捨てようって言うのなら、それこそ愚か

な行為だ!」

 だがレイのその言葉に対し、ベルトはため息をつくだけだった。

「その為に、あんたは自分が信じてきた信念とやらを捨て、くだらねえ取り引きとやらをしたの

かよ…」

「ああ、そうだ。ビルの為だ…! 選択の余地は無かった」

 一方のレイの方も、自分の言っている事が間違っている事だとは思っていない。全ては一人

の仲間の為にやった行為なのだ。

「何であんたはビルが戻って来るって分かっているんだ? あんたが一番気に入らねえ『ユリウ

ス帝国』に、奴は捕らえられたんだぜ?」

「しかし、何もしないわけにはいかないだろう…!」

「そのくだらねえ信念とやらに、俺達は騙されていたってわけだぜ…!」

 再び挑発的にベルトは言い放った。だがそこに、一人の女の声が割り込んでくる。

「さっきから聞いていればあんた…! よく今まで信じていたレイにそんな事が言えたもの

ね!?」

 彼女は立ち上がり、自分もレイと共にベルトを睨み付けた。

「シェリー…」

 レイは呟く。彼女は、シェリーという『フューネラル』のメンバーの一員だった。彼女はレイの理

解者であり、助言者でもあった。更にそれ以上の関係でもある。彼女は美しいブロンドをしてい

たし、眼鏡をかけていて知的。レイとはお似合いだ。皆がそう思っていた。

「おお、ここでようやく、サブリーダーさんのお出ましか」

 挑発的にベルトは言った。彼の言うように、シェリーはこの組織のサブリーダーと決まってい

るわけではない。しかし実質的にはその通りだ。

「あんたもこの組織の一員なんだから、少しはリーダーの意見にも耳を貸しなさいよ! あなた

さっきから、自分勝手な事を言い過ぎなのよ!」

 レイと同じく、シェリーも声を荒立てている。

「自分勝手、だとォ! 自分勝手なのはよォ、うちのリーダーさんなんだぜ! いい加減気付け

よ。俺はうちの組織のリーダーがこんなに自分勝手だと知って、正直失望しているんだぜ!」

 ベルトはレイを睨み付けながら言った。

「自分勝手なんかじゃあなく、レイのした事は悪い事? 自分の仲間を救おうとしたのよ!」

「だが組織の命、俺達の命は見捨てようとした!」

 一喝するベルト。しかしシェリーは引こうとはしない。

「そんなの、組織に入る前に覚悟はあったはずだわ!」

 だがベルトは彼女の言葉に答える代わりに、ゆっくりとその場から立ち上がった。

「それはビルも同じはずだぜ。仲間に見捨てられる事もあるかもって、覚悟があったはずだ。

それでもって、ついでに言わせてもらえば、そんな覚悟なんざ、俺にはご免だって事だ」

 彼はそこまで言ってしまうと、まるでリーダーのように、皆に向かって話し出した。

「なあ、おい! いつまで俺達はこんな事を続けているんだ? 何の見返りもねえ。何の利益も

ねえこんな事をよ!」

「この国が変わる為によ!」

 シェリーは割り込んでベルトに言ったが、それは無視された。

「そんなのは知った事か。普通に生活している奴なんざあ、この国には幾らだっているぜ。お

う、そもそも俺らだって、コンピュータ会社に入っていたら、億万長者になれるぐらいの能力を

持っているんだ。なのにこれかよ。冗談じゃあねえぜ!」

「誰もあなたに、この組織に入れなんて命じていないわよ。あなたが自分の意思でこの組織に

入ったんだわ」

「この国を変えるだとか、何とか言ってよォ、結局俺達が一体何を不自由しているってんだ?」

 ベルトは更に言葉を続けていく。

「国を変えたから一体何が起こるってんだ? 俺達の思い通りに動くような国ができるわけでも

あるまいしよ。ちっと税金が高いぐれえで、よその国を見たら何も文句は言えねえ」

「でも…」

 シェリーはさっきよりも気弱に言いかけた。しかし、

「いや、いいんだ」

 それをレイがとがめるのだった。

「こんな奴に、いいたい放題言わせておいていいの!?」

「構わない」

「俺はいい加減降りるぜ。こんな事をいつまでも続けていられるかよ。そりゃあ、ガキの時はで

かいものに対して一矢報いるような事もしたいと思うけどよ、それが馬鹿のする事だって事は、

いい加減によく分かった」

 そう言ったベルトは乱暴に椅子から立ち上がる。そしてそのまま、部屋の扉の方へと向かお

うとした。

「待って、どこに行こうって言うのよ?」

 シェリーがそのように彼に言うと、ベルトは少しだけ背後を振り返り、挑発的な皮肉を込めて

言うのだった。

「まともな、人間のいるところさ」

 その言葉にレイは歯軋りをした。ベルトは更に、その場にいる『フューネラル』のメンバー達に

向かって言い放つ。

「どうだ? 俺と一緒に来るような奴はいないか? もっとまともな生活と仕事をしたいような奴

はいないのか?」

 ベルトは、自分の言っている事が正しい事だと確信している。だから非常に強い自信を持っ

ている。

 しかし、誰もその場から動こうとしない。ただ下をうつむいて無言のまま黙っているだけだ。

 ベルトの表情にだんだんと影が差していく。やがて彼は爆発的に言い放った。

「いい加減にしろよ! いいか? いつまでもこんなリーダーさんのいる組織にいたらよ、てめ

えらだって命はねえからな!」

 自分が間違いなく正しいと思っていたベルトは、仲間の誰も自分に賛成しない、否定した事と

受け取ったらしい。非常な剣幕でそのように捨て台詞を残すと、彼は部屋の扉を荒々しく開け、

わざと強い音を立てながら閉め、出て行ってしまった。

 

 

 

 そのベルトの声も、部屋の扉が閉められる音も、レイの頭には強く残っていた。

 ベルトが出て行ったとき、その場から彼に付いていこうとする者はいなかった。しかし、今朝レ

イが『SVO』の2人に会うためにアジトを抜け出し、そして戻って来た時には、アジトには誰もい

なかったのである。

 『フューネラル』を抜けたのはベルトだけ。後の仲間達は自分に付いてきてくれると、改めて

信じ込んだレイだったが、自分一人を残し、後は誰もいなくなってしまっていた事には、ショック

を隠せなかった。

 レイも、ベルトのように『フューネラル』を見捨てた、または『ユリウス帝国軍』に捕まってしまっ

た。そう仲間達が考えたのかもしれない。

 しかしそれでも、仲間が一人もおらず、孤立無援となってしまったのは辛かった。

 レイは仲間が戻ってきてくれるかもしれないと信じ、ずっとアジトで待っていたが、どうやらそ

の気配は無いらしい。もうすでに夕方だった。

 彼は待ち続けていた。いつまでだって待つつもりだった。

 そんな彼でも、もう無理だろうと思い始めた時だった。

 レイの部屋の扉が突然開け放たれた。彼は思わず驚き、寝ていたベッドから飛び出すように

跳ね起きる。

 そこには、眼鏡をかけたブロンドの女性が立っていた。

「何だ、シェリーか…。脅かすな」

 レイはほっと安心したようにそう言った。しかしシェリーの方は不満のある表情をしている。全

くそれを隠そうともしていない。

「何だ…、じゃあないわよ。一体どういうつもり?」

 言葉にも不満が表れていた。

「どういうつもりって、一体何の事だ?」

 レイには何の事かとっさには見当が付かなかった。

「どうして、得体も知れない組織のメンバーに接触なんかしたのよ?」

 それが『SVO』の事だとはレイにはすぐに理解できた。

「よく知っているな?」

「『ユリウス帝国軍』がやっきになって私達を探している。国家反逆罪での捜索よ。何で会ったり

したの?」

 レイは少し戸惑った。

「…彼らに情報を与える為さ」

「情報? いい? あなたが接触した組織は、『NK』の防衛庁が管轄している組織なのよ!そ

れが一体どういう事を意味しているか分かっているの!?」

 レイはどう答えたら良いか迷った。そう、本当に自分がなぜあんなに大胆な行動に出たの

か、未だに信じられないでいたのだ。

 今までは正しいと信じて行動に出てきた。しかし今回は、そうビルが誘拐されてからは何もか

もが変わっていた。

 だからレイは、そうなってしまう前には思ってもみない事を言っていた。

「いいや、彼らはそんな組織じゃあないさ」

「いい加減にしなさい!」

 シェリーの言う通りだった。彼女は感情をレイに投げつけてきている。

 当たり前だ。得体の知れない組織など、なんで信じたりしたのだろう。今まで名前すら知らな

かった組織だ。『ユリウス帝国』に太刀打ちできる組織なのかもしれないと思った自分が愚かだ

った。

「ベルトが言っていた事は正しかったかもしれないわ。あんた、やはり自分勝手な行動に出てし

まう時がある。皆の意見も聞かないで、自分一人で突っ走っていく! そう、本当は組織のリー

ダーになんかなるべきじゃあなかったんだわ! あなたはリーダー失格なのよ!ビルが誘拐さ

れてから気でも違ったの!? 何でもっと冷静に判断できなかったの!?」

 シェリーの言う言葉一つ一つが、レイに深く突き刺さっていた。ベルトに言われていた時とは

全く違う。

 それは、自分の最も信頼している人物に言われているからだろう。彼女に言われると、自分

が何をしたのか分かってくる。

 自分一人だけ何も無い空間に取り残され、そこにシェリーの言葉だけが響き渡っている。レ

イはそんな感じを受けていた。

「お、俺は…」

 彼にはそう呟くしかなかった。

 頼りの無い言葉。あれだけ『フューネラル』を動かしていた時のレイは、頼れる姿を見せてい

た。感情に先走る事は多くても、頼れる姿ではあったのだ。

 しかし今のレイは違っていた。行き場、希望、未来を失った、小さな人間でしかないようだっ

た。

「レイ! 一体、どうしたのよ!」

 それはシェリーだけでなく、レイ自身も強く感じていたのだ。

 


 
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