「あの人間が、戦闘の修行を始めた?」
「はいはい、左様でございますゼラ様」
「ふうん……拙劣に泣き寝入りでもするのかと思っていたわ」
飛ぶのをやめた二人は川沿いに歩きます。
ゼラは記帳しながらヴィオの話を聞いていました。
帳面をなぞるだけで、記すべき文字が浮かび上がってきます。
「そうですねえ……あ、泉ですよゼラ様」
ヴィオの指す方向に、確かに泉はあるのでした。
ゼラはそこで一息吐き、水を飲みます。
「あたしもさんざ痛めつけてやりましたが、根気だけはあるようで」
「……まあ、あなたの性格ならいたぶるのが常道よね」
ゼラは珍しく笑みをこぼして、からかうようにゼラを見ます。
ヴィオは慌てたように手を振りながら、弁解します。
「いやーこのあたくし、決してそんなことは……ありますかねえ」
おかしそうに息を吐いて、ゼラは衣服を脱ぎ始めました。
「良い頃合で見てやって頂戴。修行の成果というものを」
「御意ですー。ではでは、監視に戻って参ります」
ヴィオが飛び去り、ゼラは脱ぎ終えた服を几帳面に畳みます。
後ろに束ねていた髪を解くと、それは白い素肌の上を滑り落ちていきました。
(……場合によっては、駒として使えるかもしれない)
ゼラは気持ち良さそうに水を浴びながら、今後の足運びを考えていました。
一方、内股のオッサンはゲイルと相対して修行の続きを始めました。
お昼ご飯が出来上がるまでの、短い授業です。
「武器は拳だと言ったが、体全体を使えよ? 何も打ち込むのだけが体術じゃない」
重要な事を言っているように感じられますが、内股が全てを台無しにしています。
「ましてや武道の演技をするのでもない。お前は闘うんだ」
ゲイルは真剣にオッサンの話を聞きながらも、思わず吹いてしまいます。
「真面目に聞けやゲイルゥゥゥっ!?」
「オッさんこそ真面目にやってくれよ!」
「心だ、平常心だ! オッサンの紳士が平常じゃなかろうと! これも修行のうちだぞ」
「これも修行……?」
ゲイルは、これ(笑いを堪えさせること)をさせるためにわざと股間を蹴られたのかと考えます。
(……それは、ないな。きっと痛いのが好きな性癖の人なんだろう)
娘に殴られて悦ぶとはなんと難儀な性癖だろうと、ゲイルはオッサンを哀れみました。
「おいィ? ゲイル、なんだその目は」
「いや、なんでもないよ」
ほどなくしてお昼になり、シェリオと向かい合ってご飯を食べます。
「あの……俺の、ないの?」
オッサンが言いますが、シェリオは完全に無視しています。
ゲイルは朝の「死にさらせ害虫親父、食事抜き!」という言葉を思い出していました。
「ねえゲイル。買い忘れたものがあるから、もう一回だけ買い物に付き合ってもらってもいい?」
「ああ、俺は構わないよ。食べさせてもらってるんだし、荷物持ちも喜んで」
「そういえばなんでこのキチガイ親父から教わってるの?」
「……先に聞いて良いか? 『城』って、何なんだ……?」
「え……『城』を知らないの……!?」
「存在は知ってるし憎いけれど、『城』そのものについては何も知らない」
「憎い……か。そうね……簡単に説明するなら」
代々の為政者が居住する、権威の中心地であること。
現代の王は民に姿を見せず、悪政を強いているということ。
そして、何やら魔と通じているらしいという噂があること。
シェリオは実に明快に説明しました。
「なるほどな……俺の話にもこの『城』が絡んでくるんだ」
村に兵長オデュエロが現れたこと。
レイが連れて行かれたこと。
『城』の主に仕えているという女の子に会ったこと。
七又の鞭を持つ、ヴィオという子に叩きのめされたこと。
ゲイルはそれらをシェリオに伝えました。
「……大変だったんだ。アロバゴの村も、ゲイルも。あ、えーと大変というか、その」
配慮が足りなかったかと思い至って、シェリオは慌てて取り繕おうとします。
「いいよ。そう、大変だったんだ……」
重い空気の中、オッサンは腕立て伏せをしています。
本当にどうしようもなく空気の読めないオッサンでした。
「えーとゲイル……そのレイって子のこと……好きだったの?」
「いや、嫌いではないけど……ずっと一緒だったしな。大切な奴だ」
「そう……なんだ」
「おい、そろそろ俺にもメシ……ひぃんっ」
オッサンは本日二度目の金的攻撃を受け、のたうちまわっていました。
昼一番、ゲイルはシェリオと街へ出かけます。
「よーしゲイル、今日は買うものささっと買って……あ」
シェリオは街の大通りに入るや否や、ゲイルの襟首を掴んで引き返します。
「隠れてっ」
そのまま路地の隅に押し込まれ、そこへシェリオも飛び込みます。
「な、何なんだ!?」
「ごめん、後で!」
小声でやりとりをしながら、シェリオは様子をうかがっているようでした。
ゲイルは何をすることも出来ず、ただ所在なさそうにあっちを見たりこっちを見たりしています。
シェリオは小さいなあ、とゲイルがしみじみ思ったとき、シェリオはゲイルに向かい合いました。
「……ふう。いきなりごめんね」
「何があったんだ?」
「黒っぽい布を身に纏ってる男、見た?」
「ん? ……ああ、暑くないのかなーとは思ったが」
この辺りは比較的温暖な気候で、上に布を纏うほどではありません。
加えてこの日は一日中強い陽照りで、辟易している商人もいるほどでした。
「あの男、この街の一番偉い人。フェグラーティだったかな」
「へえー……偏見かもしれないけど変わった人なんだな」
ゲイルはほんの一瞬見た、その男の憂うような表情を思い浮かべました。
「そうね、心身どっちかわからないけど間違いなく変人だわ」
「……で、何か咎められるようなことでもやったのか?」
「私は何もしてないけど……芋親父がなんかやったみたいで顔合わせるたび嫌味言われるのよ……」
「ああ、お疲れ様です」
ゲイルは心の底からシェリオを労いました。
「さあ、召し上がれ!」
三度目の金的攻撃で泡を吹いているオッサンを尻目に、アロバゴ鳥料理が並びます。
ちなみに今回は夕飯に呼ぶ際邪魔だったからという理由で蹴られていました。
「おお……これは村でも食べたことないな、美味しそうだ」
丸々煮込まれた体を筆頭に、手羽をこんがりと焼いたもの、骨で出汁を取ったスープ、脚肉を散りばめたサラダ……
それぞれに違う味付けがされており、飽きないための趣向が凝らされています。
湯気とともに立ち込める匂いがお腹に訴えかけます。
ゲイルは煮込み鳥に手を付けます。身は口の中で柔らかくほぐれて、溶けているかのようでした。
「美味しい……シェリオ、これ美味しいよ!」
「そ、そう? ありがと……」
つま先で床に円を描きながら、シェリオはうつむいていました。
オッサンは依然として引きずられてきたままの姿で伏せて泡を吹いています。
(というか……本当にオッさんは食事抜きなんだな)
朝・昼・夜と食事を抜かされているオッサンに憐憫の情が湧きますが、一瞬にして立ち消えました。
これもこの親子なりの交流なのだろうということと、オッサンだから仕方がないということと。
オッサンから視線をそらして、ゲイルはスープをゆっくりとすすりました。
「うん、やっぱり美味しい。こちらこそありがとう、シェリオ」
「……嬉しいわ、ゲイルに食べてもらえて」
ゲイルが美味しい料理が食べられる事に感謝するとともに、夜は更けていくのでした。
……そうして。更ける宵闇から、少女は現れたのでした。
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辟易するような日照りを予想させる、朝のミデノの街。
その外れで、ゲイルとオッサンの修行は続きます。
七又鞭の女の子を、倒すために。
そして、レイを取り戻すために。
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