No.174473

cutting

yui0624さん

お題『はさみ、風船、中指』を友人から貰って書きました。
他、セリフ禁止、執筆は一時間以内でという制限をかけてみました。
オリジナル短編小説です。

2010-09-24 22:09:39 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:679   閲覧ユーザー数:673

 美しいから、母さんにあげようと思った。

 

 私は、はさみを持っている。誰もこのはさみを見ることはできない。

 普通のはさみよりも、このはさみは少しだけ大きい。

 私の小さな手では、なんとか片手で持てるくらい。一つ切ると、腕が痛くなる。

 そしてこのはさみは、少しだけ、普通じゃない切れ方をする。

 赤い持ち手に指を入れて、私は道端に咲くたんぽぽを切り取った。じょき、と。音を立てて、たんぽぽは切り取られた。

 このくらいなら、手への負担も少ない。

 その瞬間、生物から、モノへと変わる。この感覚は、日本人に独特のものだろうか。他の国にも、この感覚はあるのだろうか。日本を出たことがないから知らないけれど、とにかく、私はその美しいたんぽぽを世界から切り取った。

 

 左のポケットには、いつも風船が入っている。

 風船をふくらませるのには結構体力がいるもので、私はすうっと息を吸って、懸命に、その風船を膨らませた。

 はさみと同じ、赤い風船。

 赤い風船に、黄色いたんぽぽの花はよく映えそうだ。

 たんぽぽは、まるで切り取られたことを気が付いていないかのように、凛と咲いている。花びらをつやつやと広げて、太陽を浴びている。

 なんだか、少しだけ誇らしく思えた。

 普通のはさみで切ってもこうはならない。

 普通のはさみで切り取ると、あっという間に切り取られた花はしおれ、首をたれ、そして、モノですらなくなってしまう。

 私のはさみで切り取られたこのたんぽぽは、モノになりながらも、花としての誇りを失わない。そして、美しい。私の選んだこのたんぽぽは、美しかった。私も、こういう花こそ切りがいというものがある。

 風船に糸をくくりつけて、たんぽぽを糸で結ぶ。

 やはり、赤い風船に黄色いたんぽぽはよく映えた。

 こういうアンティークかなにかのようだ。

 

 私は、手を放した。

 風船は、ふわりと宙を舞った。

 この風船もまた、特別なのだ。普通風船を呼気で膨らませても、こんなふうに空を目指して飛んだりはしない。ヘリウムガスをつかって膨らませなければ、決して、風船は大気よりも軽くなることはできない。世界よりも軽く、空高く、飛んでいくことはできない。

 けれど、この風船は違う。

 私の呼気でも、よく飛んでくれる。

 地べたを這いずるように歩いて生きている私なんかの呼気でも、ふわりふわりと空を目指す。

 風船は、私の母さんの元へと、贈り物を届けてくれるのだ。

 そして、はさみは母さんの元へと贈り物を作るのに、欠かせない存在だ。

 二つのうち、どちらが欠けても、私は母さんを喜ばせることができない。

 特別なはさみで切った、いつまでも美しさの絶えないモノを、風船にくくりつけて母さんに贈る。空までは、母さんまでの道程は長いから、半端な方法ではダメになってしまう。この、はさみでなければダメなのだ。

 

 

 家に帰ると、部屋は真っ暗だった。

 アパートの三階に、私の住処はある。

 父さんと二人暮らし。母さんは、今頃は空で私の贈ったたんぽぽを愛でてくれているだろうか。

 私は朝炊いたご飯の残りを並べ、もそもそと口へ運んだ。暗い部屋で、ご飯を、無機質に食べる。ロボットにでもなったような気分になる。指が、腕が、顎が、まるで別の生き物にでもなったみたいに、その癖ロボットのような平坦な動きで、私の中にご飯を運ぶ。あまり、気持ちのいいものではない。

 

 食べ終わったら、さっさと洗う。冷えて張り付いたご飯をよそった茶碗は、なかなか汚れが落ちてくれない。

 洗い終わって、食器を片付けて、私は、ぼうっと部屋を見渡した。

 ふすまは、びりびりに破れている。一箇所だけ綺麗に穴が開いているのは、そこに描かれていた木の絵が綺麗だったから、私が切り取って、母さんに贈ったのだ。

 そのことを、父さんは気が付いてもいなかった。

 ヒビが入っていない食器はない。食器は、父さんが乱暴に扱うから、すぐに割れてしまう。割れていない綺麗な食器は、母さんに贈ってしまった。

 テレビは、父さんが投げた一升瓶が突き刺さってしまったから、もう、ない。畳は傷だらけ。ちゃぶ台も傷だらけ。床も傷だらけ。何もかも、傷だらけ。

 父さんだって、傷だらけだった。

 服はもう、何年も新しいものを買ってない。

 私の一番新しい服と言えば、去年買った中学校の制服くらいだ。それも、綺麗だったから母さんに贈ってあげたいと思ったけれど、それを贈ってしまうと私は学校に通えなくなってしまうので、我慢した。卒業するまで大事に使って、卒業したら母さんに贈ってあげようと思った。

 

 私は、ぼろぼろの靴を履いて再び家を出た。

 鍵をかける気はおきなかった。盗まれるようなものがこの家に残っているとは思えない。

 家を出て、右のポケットをまさぐる。

 取り出して、眺める。

 父さんの、右手の中指を。

 本当に、綺麗だった。もう切ってから二日は経つのに、いまだに切断面はぬらりと赤く光っている。乾く様子は微塵もない。その上、その切断面に触れても血は全くつかない。爪は毎日ご飯を食べている私よりも血色がいいし、いまにもぴくりと動き出しそうな生々しさを残している。

 本当に、美しい指だった。

 父さんが持っている指の中で、右手の中指が一番綺麗だったから、母さんには申し訳ないけれど、私がもらうことにしたのだ。その申し訳なさで、私は父さんと母さんのことをいつまでも覚えていられる気がした。

 

 私は空を見上げた。

 もう、父さんの姿は見えない。

 たんぽぽやふすまの紙を贈るときと違って、世界から切り取られた父さんは、随分ゆっくりと上っていった。風船の数をいつもよりも増やしてみたのだけれど、それでも、ゆっくりと上っていった。そして今日、ようやく見えなくなった。

 今頃は、母さんと再会できて喜んでいるだろうか。

 

 二日前、父さんが泣いた。

 母さんが亡くなった日、葬式の日に泣いて以来、初めてのことだった。私に酷い当たり方をしたことを泣いて謝った。母さんがいなくなって、父さんも色々と混乱していたのだろう。泣いて、土下座して、私に頭を下げたのだ。

 悪かったと。

 母さんの分まで生きようと。

 そう言った父さんは、とても、美しかった。

 母さんが生きていたとき、父さんは、私にあたっていたのと同じように、母さんにもあたっていた。テレビのように穴こそあかなかったけれど、母さんだって、一升瓶をぶつけられたこともあった。本当は美しい母さんに傷がつくのは、私も見ていて辛かった。

 

 私は、母さんが生きていたときから、はさみと風船を持っていた。

 父さんに毎日傷つけられる母さんを見ているのは、堪えられなかった。

 だから、世界から切り取った。

 いつまでも美しさを失わないようにできるはさみで、母さんを切り取った。

 その当時は、まだ風船の使い方が分からなくて、世界から切り取られた母さんは、家の中で、置き去りにされた人形のように固まっていた。父さんはそんな置物のような母さんが見えなくなり、母さんは、世間的には死んだものとして片付けられた。

 私の目の前には、美しい姿をした母さんがいるのに。

 父さんは、母さんが死んだと言った。

 死体のない葬式をした。

 それは、おかしな光景だった。

 そのおかしさを、私だけが味わっていた。

 

 母さんを、どこかに隠そうと思った。母さんはいつまでも美しくて、けれど、生々しくも人形のようになってしまった母さんを見ながら、母さんを失った父さんを見ているのは想像以上に辛かった。

 だから、風船を使った。

 風船を使って、母さんを、空へと送り届けた。

 母さんが昔、言っていたから。

 母さんの母さんも、その母さんも、あるいは父さんの父さんも、皆、皆、空にいるのだと。空は、寂しくないのだと。

 だから空に贈った。

 だから今、母さんは空にいて、父さんも空に行ってしまった。

 父さんの中指を見て、胸が痛んだ。

 何を切り取っても、私以外の人間は切り取られたことに気が付かない。あるいは、切り取られた状態が自然であるかのように振舞ってしまう。切り取った事実を知っているのは、私だけ。

 何か、中指を持つことが戒めのようなものになると思ったけれど、胸が痛いだけだった。自分に刃物を突き立てたように、痛みがこみ上げてくるだけだった。

 

 私は、傷ついているのだった。

 私はもしかしたら、汚れているのだろうか。

 私は、空へはいけないのではないだろうか。行こうとしても、途中で腐ってしまうかもしれない。私は切り取られる価値がない。空へ行く価値がない。どうしよう、ああ。

 

 ――切って、みようか。

 

 ショーウインドウに、私が映っていた。

 服はあまり綺麗ではなかったけれど、父さんに殴られたりした痣は、だいぶ薄れていた。まだ少し痛むけれど、服で隠せる場所にしかないから、見た目には、自分はそこまで汚くもない気がした。

 

 切って、みようか。

 バッグからはさみを、取り出した。

 ポケットから風船を取り出した。

 

 私は、綺麗だと思いますか?

 ショーウインドウに向かって呟いた。

 私が、やまびこのように口の形だけで応える。なんの意味もない質問に無性に悲しくなって、笑えてきた。

 

 私を先に切ってしまったら、風船を膨らませる人がいない。私は、先に風船を膨らませることにした。いくつあれば足りるだろうか。三つだろうか。四つだろうか。

 父さんが四つだったので、保険という意味でも、同じ四つにした。私のほうが父さんよりも随分軽いので、四つあれば大丈夫だろう。

 風船を自分にくくりつけた。

 周りから見たら少しおかしな光景だろうけれど、気にする人はいなかった。

 見えていないみたいだった。

 

 父さんの中指を落としてしまわないように、バッグの中にいれてしっかりと蓋をした。バッグを落としてしまわないように、肩ひもを身体にくくりつけた。

 

 はさみを自分へ向ける。

 切り方は独特だから、ちょっとうまく言葉では言い表せないけれど、……出来る気がした。

 こんな私でも、このはさみにかかれば、少しは綺麗に切り取れる気がした。

 そして、風船が運んでくれるのだ。

 

 私は深呼吸して、そしてはさみを見た。

 一息。力をこめて、そしてはさみを自分に突き立てた。

 

 はやく、母さんに逢いたかった。


 
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