今日も魏国は忙しい。三国の臨戦状態は変わらずも膠着状態を保っている。
とはいっても三国最大の領土をもつのが魏国である。その内政をこなすにはいくら時間があっても足りはしない。
そんなときふと中庭に目がいってしまった。
陽光を浴び光り輝くその服は誰しもの目をひくものだが、私が彼を眼で追ってしまっていることは、服のためではない。
そんなことぐらい、もう、私にだってわかっている。
長くからの朋、風こと程昱が今日も一刀殿の膝の上でまどろんでいた。
かくいう一刀殿も木にもたれかかって政務をほっぽり出し、船をこいでいる。
言ってしまえばいつもの光景だった。
ただ、私は見なかったことにした。
「風、私はあなたが羨ましいですよ」
私の名は郭嘉、字を奉孝、真名を稟。
覇王を愛し、その傍らにある天をも愛してしまった……。
自分で言うのもなんですが不器用な女です。
√稟 天の傍で
今日は久々の休暇だった。
ここのところ警備隊の仕事やら、俺に出来る程度の政務やら、春蘭に追い回されるやら、桂花の落とし穴を回避するやら、華琳の冷たい目線にいじめられるやらで、神経が相当参っていた。
いや、認めてしまおう。俺は今日、この部屋から出ない。
だって、部屋から出ると、絶対何かに巻き込まれるんだもん。
まぁ、部屋にいても春蘭とかが結局ドアを蹴破る……ああ、まだ修繕費払ってないんだ。払いに行かなきゃ。
トントントン。
「? あれ珍しいな、稟か。いいよー」
稟は俺の部屋を訪ねる時ノックを三回する。そのためすぐにわかるのだった。
「一刀殿、あの、今日ご予定は?」
「いや、えーと、特に何もないけど……」
「そうですか、他の方とのご予定も?」
「あ、うん。ああっと、扉の修繕費を払おうと思ってたんだ。それくらいだよ」
「修繕費、ですか」
「うん、この前春蘭が思いっきり蹴破っちゃってさ、まぁいつものことなんだけど」
「一刀殿、それはいつものこととして放置しておいていいことではないのでは?」
「ははは、そうなんだけどね」
苦笑する俺に稟は少し顔を赤らめながら言葉を発した。
「それで、ですね、一刀殿。もし、よろしければ今日、市にお付き合い願いませんか?」
「え? 俺と稟が?」
「そうですが」
そう言って眼鏡のフレームを軽く上げ掛け直す。
俺は単純に驚いていた。だって、稟と買いものとかあまりしないから少しばかり予想外だったわけで。
「それとも、やはり、私とでは困るのでしょうか」
俺が少しばかり呆然としていると稟は寂しそうな表情でうつむいた。あ、やばっ。
「いや、そんなわけないない。行こう行こう、市でも、山でも、川でも、世界の果てでも」
「いえ、本当にそこまでで結構ですから」
稟はそうして相好を崩し柔らかい笑みを浮かべるのだった。
今日は部屋から出ないと思ったけど、こうして稟と出歩けるのならまぁいいかと思ってしまう現金な俺がいる。
「あら、先客かしら」
「あ、華琳」
「か、華琳様」
扉は開きっぱなしだったため入口に仁王立ちしている華琳の姿が見える。
いや、なんか本当に仁王のような姿で。
「一刀、……出かけるのかしら?」
「ああっと、うん」
「稟と一緒に?」
「そうだね」
しばらく逡巡するような顔をして、華琳は言う。
「私も一緒で構わないかしら?」
「あ、ああっと、俺は別にいいけど。稟は?」
目の前の稟に話を振ると、彼女は少し仕方がなさそうに俺に断りを入れた。
「私は、その、大した用事でもないですので……。一刀殿、どうぞ華琳様を優先してください」
しばらく沈黙が訪れる。なんとなく、ここで稟を放っておくのはよくない気がしたのだが、俺が言ってもどうにもならないだろう。
それにこういうのは俺よりも華琳のほうが心をつかむのがうまい。
華琳のほうもそれは分かっているのだろう。
「稟、私はあなたにとって何かしら?」
「え、あ、はい。大事な主です」
「私が目指すものは何かしら?」
「覇道を歩み、天下を導くことです」
「私は欲しいものを望み、そしてそれを手に入れるだけの力を持っているつもり。でも、そのために大切な部下を犠牲にすることはしたくはないわ」
「はい」
「稟、もっと素直になりなさい。あなた一人の望みを受け入れられないほど、あなたが愛した主の器は小さくないわ」
愛したという言葉に反応してか、稟の顔が真っ赤に染まる。あっ、まずいかな?
数秒後、見事な深紅のアーチを描き倒れた稟を見て、俺とか稟は顔を合わせ苦笑し合うのだった。
素直に、と華琳様に言われた。
軍師として智を磨き、その術を磨き、それにおける交渉術も磨いてきた。そのためか、私は人より感情が表に出にくくなっていると思う。
戦場において、会議の場において、必要とされるのは冷静さ。
昔ならいざ知らず、季衣や流琉のような天真爛漫さはすでに失ってしまっている。
もう、どれが本当の自分なのかもわからないほどに。
桂花も、風もそれは変わらないだろう。
ただ私は彼女たちほど純粋に、欲望を曝け出せないのかもしれない。
どうせ鼻血を出すのだから、その中身は知れてしまっているというのに。
自らを律した。軍師であるために。
愛する覇王の傍に並び立ちたかったがために。
しかし、もし一人の女性としてならば。彼女の傍らに立つ男性に寄り添うことになるのなら。
もっと素直に、いや、たまにはなってみるのもいいのかもしれない。
「稟、大丈夫か?」
ぼうっとした感覚とともに瞼が開く。
私の双眸には大好きな男性の顔が映っていた。
「一刀、どの」
「よかった、気がついて」
私は彼の寝台に寝ていることに気付いた。
彼の香りが染み付いている、布団に横になっている。
手を伸ばせば届くところに彼の顔がある。
自然と私は彼の顔に腕を伸ばしていた。
「ちょ、り、稟!!」
「愛していますよ、一刀」
強引に引き寄せた彼の体がそのまま私の上に覆いかぶさる。
彼の体の重さが心地よかった。
「どうしたの、急に」
「変ですか?」
「いや、そうじゃないけどさ」
慌てる彼の顔がとても愛おしい。
「あなたの前だけでは、少し素直でいたくなったんです」
愛する人を目の前に何をためらう必要があるだろうか。
甘く温かなこの腕の中で、そう、この腕の中にいる間だけはもっと素直でいよう。
心も体もすべて裸のままで。
Tweet |
|
|
36
|
3
|
追加するフォルダを選択
意外と人気があった√秋蘭。
このところ長編を書きためる時間がないため、暇を見つけては短編ばかり書いています。
少し、拙いかもしれませんがお付き合い願います。
ちなみに、稟√はもう一回別の形で上げる予定です。