朱雀の乱をきっかけに、リウヒと2人、首都ティエンランを目指して旅立ったものの、キャラはあっという間に、いや、あっという間もなく後悔する羽目になった。
目的地はあったものの、そこに辿り着く過程を考えていなかった。それこそが大変だというのに。
自分の甘さを呪う。考えなしを呪う。浅はかさを恨む。
キャラは田舎といえども、その一帯を支配するほどの地主の娘である。年老いた両親に大切に育てられ、温室から出る事も、また出る必要もなく生きてきた。
かたやリウヒ。まごうなき王女様である。一般常識が見事に欠落している。
つまりは親の庇護と権力の庇護元で育った箱入り娘がたった2人、情勢不安定なご時世に、都を目指して旅をするなどとうてい不可能だった。加えて金銭的な問題もある。数日間で金が半分に減っていた。いかにお嬢といえども、使い過ぎという事はキャラにだって分かる。
ああ、でも言いだしっぺはリウヒなのだ。何か考えがあるに違いない。そうよ、さすがに無計画な訳なかろう……と本人に確認した所、見事にノープランだったことが判明した。
「何も考えていない」
「は?」
「だから、何も考えていないと言ったんだ」
「えぇえええ! じゃあ、じゃあ、じゃあ、これからどうするのよっ!」
「どうしようか」
キャラ、絶句。
目の前で慕っていたジャコウが変わり果てた姿で息を引き取ったことに逆上したリウヒはその場で宮の兵たちをボコボコに殴り殺し、王都奪還を宣言。感銘を受けたキャラは泣き縋る両親を振り払い、王女についてゆく決心をしたのだ。
まさにノリとテンションで動いてしまったのである。
せめてきちんと計画を立てていれば……。用心棒の1人でも雇っていれば……。
キャラは後日、「この時初めて絶望感を味わった」とトモキにもらしている(幼馴染が殺されたことよりもか、とトモキは思ったそうだ)。
しかし、希望はあった。間抜けにもノコノコと歩いてきたのである。いや、リウヒが目ざとく発見して強引に引き込んだと言った方が正しい。
元黒将軍、シラギである。
朱雀を発って数日後、とある町でリウヒとキャラは連れ立って歩いていた。この時、キャラは今後を憂いて下ばかりを見ていた。対するリウヒはのんびりと辺りを見渡しながら歩いている。
と、突然、立ち止り遠くを凝視した。不思議に思ったキャラもつられて視線の先を追う。
中々に美丈夫な男がいる。
やだ、姫さまったら。何だかんだ言ってもお年頃よね、かっこいい人がいたら見とれちゃうわよねっ……と微笑ましく思う反面、その前に王都奪還だろう! と腹立たしくも感じた。
そんなキャラをよそに、いきなりリウヒは
「発見!」
と呟くと、男に向かって駆けだした。
その姿はかつてスザクの祭りで見物した闘牛のようにすざまじかった、とこれも後日トモキに語った(ああ、想像できる、とトモキもしみじみ頷いたそうである)。
当の男は全力で向かってくる闘牛娘に大層驚いたようだが、娘の顔を見てさらに驚いたようである。その一瞬の隙を突いてリウヒは男に猛烈な勢いで抱きついた。反動で吹っ飛ぶことなく踏ん張ったのは、見事であったと言っていい。
ああ、闘牛夏祭り……。
父さま、母さま、お元気かしら……。
いやいや、逃避している場合ではない、あわてて二人に駆け寄る。
「すみません、この子……」
謝りつつ引き離そうとするが、リウヒは頑なに男にへばり付いたまま離れない。
「なぜ、ここにあなたがいらっしゃるのです!」
「出会ったよしみで助けろ! お前、師匠だろう!」
どうやら顔見知りの様である。
リウヒがキャラに目配せをしてきた。お前もいけ、いけ! というように。
が、キャラは異性に免疫がない。近くにいたのは年老いた父親とじいや(推定70代)であったし、幼馴染のジャコウは紳士でキャラに指一本、触れた事がなかった。
そうこうするうちに、もみ合う2人を中心に人が集まりだした。男は焦り、少女を引き離そうとし、少女は引き離されまいと回している腕に力を込めつつも、オロオロしているキャラを睨みつけている。
キャラはすっかりパニックに陥ってしまった。もう、どうしていいか分からない。
この場で泣きだすか、いっそ気絶してしまえばどんなに楽だろう。
しかしだ。今、この男を逃したらまた大きな不安と心配を抱いて旅を続けなければいけないのだ。
決めたわ。リウヒ、わたし、やる。
そう頷くと、男の右腕に飛び付いた。
「お願いします! 困っているのです!」
見物者たちから、おおーう、とどよめきが上がった。やんややんやと喝采も上がった。
もう必死である。無我夢中でしがみついていると、リウヒと間近で目があった。今度は『やりすぎっ』と牽制してくる。
これにはキャラも腹が立ち『だったらどうしろってのよっ』と威嚇した。
そうこうしている内に、男は観念したようである。小さくため息をついて敗北を宣言した。
「分かった、もう分かりましたから、お手を離してください」
リウヒとキャラは、その町の郊外にある屋敷へと案内された。町の規模にすれば、大きな屋敷である。
居間に通され、待つよう男……シラギは言い残し、静かに扉の向こうへと消えた。
キャラは物珍しそうに室内を歩き回る。部屋からは小さな廊下を挟んで中庭が見えた。一見雑に見えるが、草木がのびのびと育ち、うららかな光溢れる気持ちの良い庭だ。
心がほぐれた。こんなに穏やかな気持ちになったのは、久しぶりだ。
リウヒが現れてから、キャラの人生は大幅に変わった。穏やかで静かで、そして誰かに支配される……両親だとか、いつしか夫になる人物だとかに……未来は消え去り、自由を手に入れた。その自由が自己の責任であることにも気が付いた。
すくなくとも、温室を飛び出した事は後悔していない。
そういえば。
居間に戻り、長椅子でくつろいでいたリウヒに尋ねた。
「ねえ、あの方はどなた?」
「わたしの剣の師だ。そして黒将軍と呼ばれた男だ。中々に強い」
キャラは愕然とした。
黒将軍といえば泣く子も恐れる随一の恐ろしい男ではないか。噂だけで聞いていたので、岩のように厳つい強面だと思っていた。
「想像していた方と全然違うのね……」
取りあえず、とリウヒが指を一本立てる。
「あれを仲間に引き込むぞ」
「黒将軍を?」
「か弱い女2人だしな。用心棒として」
か弱いとな。
リウヒの朱雀での暴れっぷりや、先の闘牛もかくやという猛突ぶりを目の当たりにしているキャラは首をかしげたが、あえて突っ込まなかった。それよりもどうティエンランまでいくかが問題である。頼りになりそうな人だし、今までよりかは遥かに楽になるに違いない。
「ここがシラギの故郷だと聞いていたから、もしかしたらと思ってい来てみた」
一応、考えていたようである。際どいところだが。
その時、シラギが茶器を携えて入ってきた。
軍人らしく、優美とまではいかなかったが、茶器を整える隙なくきびきびと動く大きな手に、キャラは思わず見入ってしまった。
わたし、先程この方に縋りついたんだわ。ああ、この人と一緒に旅ができたら……。
サンサンとふる太陽、花咲く小道。小石につまずいたキャラを抱きとめるシラギ。見つめ合う2人、そしてそのまま……。
い――や――! 華麗なるロマンスが幕あけちゃう――!
桃色空想世界に突入した乙女の横で、リウヒは黙って茶を注ぐシラギの手を凝視していた。ただ、その瞳の奥は陰謀を企む様な黒い渦を巻いていた。
温かな湯気を立てる茶を2人の目の前に置いたシラギは、向かいの長椅子に座りなおした。
「さて、お話を聞きましょうか」
「我らと共に参れ」
今までの継起をかいつまんで説明した後、リウヒは低い声で一言そう告げた。
「それは、命令ですか」
片手を口に、目線をリウヒにあてて、微動だにせず聞いていたシラギも低い声で返した。
「命令だ」
「では、お受けできません」
そうか、とリウヒは呟く。
2人の重苦しい空気は、空想世界にぶっ飛んでいたキャラを現実に引き戻した。
「そんな、どうぞお願いいたします。一緒に来てくださりませ。わたくしたち2人ではとても首都までたどり着けません」
「第一に」
シラギは淡々と言う。
「わたしは将軍職を退いた。王家の姫君といえども命令を受けるいわれはございません。第二に、王宮の方々のお誘いをお断りしてこの地に戻った身としては、もう宮へ戻るつもりはないのです。申しわけありませんが、お断りいたします」
リウヒは黙って茶を口に含んだ。
そしてキャラに
「悪いが、すこし席を外してくれないか」
と言った。
リウヒとシラギを残し、キャラは庭に出た。勿論、不満タラタラであった。
なによ、私を除け者にして。
数日間とはいえリウヒと共に過ごしてきた身としては疎外感を感じたし、一度もキャラに目を合わせないシラギには怒りさえ湧いてきた。
はっ! もしかしたらあの2人はかつて恋人同士だったのかもしれない。
だったらリウヒが出会った瞬間、シラギの胸にためらいなく飛び込んで行ったのも(妄想フィルター濾過中)、先程、居間での会話が妙にぎこちなかった(妄想フィルター稼働中)のも納得がいく。
そうなると、2人の会話が気になりだした。そして、こっそり聞き耳を立てたのである。お嬢様と呼ばれる身にはあるまじき行為だったが、好奇心の方がはるかに勝った。
「姫さまがご存命で本当に良かった」
「トモキが知恵を働かせてくれたからな」
リウヒが笑った気配があった。
「気には書けていたのです。王が最も……」
「それを言うな」
沈黙。
「申しわけありません。口が過ぎました」
しばらく衣擦れの音と、茶器の音しか聞こえなかった為、キャラはやきもきした。
「なあ、シラギ。お前が父王に恩義を感じていたのは知っている。その父王が……した娘であるわたしを気にかけてくれていた事も」
再び沈黙。
「では、その娘の願いを聞いてはくれないか」
「願いと」
「そう、命令ではなくお願いだ」
「わたしは宮の方々に王宮とは縁を切ると宣言して、引退した身なのですよ」
リウヒの小さな笑い声。
「相変わらず堅苦しい奴だな。そんなもの律義に守らなくてもよいではないか。将軍ではなく別の役職として復活すればいい。そうだな、例えば雅楽師?」
「あきれましたな、王女という方がなんて適当な……。しかも例えが悪すぎます」
その声は呆れ気味だったが、笑いも含んでいる気がした。
「もう一つ、伝えておくことがある」
なんです? と問うシラギ。リウヒが立ったようである。
さらなる好奇心に負けて、こっそり覗いたキャラの目に飛び込んできたのは。
長椅子に座る男の横にかがんで、その耳に口を寄せる少女であった。
窓からあるれる光を背景に、黒髪の逞しい青年と、傍に寄り添うように腰を折り、耳打ちする藍色の髪を持つ少女の姿は、まるで切り取られた美しい世界だった。
絵画の様な……とこれも後日、トモキにうっとりと伝えた(トモキの反応は「ははっ。ありえねー」)。
とにもかくにも、耳打ちされたシラギは、目を見開き明らかに驚愕した顔になった。
対照的に勝ち誇ったようなリウヒ。
「な、な、な、なぜそれをっ!」
「王女の情報網なめんなよ?」
嫌らしい笑顔のまま立ち上がった王女様は目線をそのままにキャラを呼んだ。
「キャラ! 待たせたな。元将軍様は我々に同行くださるそうだ! 今夜は祝いだ、飲み明かすぞ!」
まさか、いままで覗いてたんだけどー、シラギ様になにを言ったの、ねえねえ……。なんて聞けるはずもなく、慌てて居間に飛び込む。
「本当に?」
「ああ」
シラギを見ると、深く腰掛けたまま、額に手を当てて表情は見えないものの撃沈しているようだ。
勝負あり。王女様の勝ち。
ああ、ありがとう神さま。朝も夜もあなたに祈っていて良かった――!
キャラは彼方に向かって手を合わせ、感謝の言葉を心内に述べた。これで今後の旅も楽になる。小説の様な素敵な恋だって出来るのだ。
期待に胸膨らんだキャラは、その場で踊りだしたい気分だった。
そうしてシラギが加わった。
ちなみにこの男、軍人を輩出する名門エジンバラ家の一人息子で、リウヒはともかくキャラほどではないにしろ、結構な世間知らずだった。加えて基本無口、無愛想、無仏面で恋愛には全く不向きだった。
期待に外れたキャラが、しばらくぶんむくれていたのも無理はない。
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「princess of Thiengran」下書きの落書きをサルベージ。
設定、キャラクターが若干違うことはご了承ください。