真・恋姫無双 孫呉伝――第一章第一幕
『一君、いい加減真面目に鍛錬しないと痛い目に会いますよ』
既に痛い目にあわせた後でよくもぬけぬけと言うなと思ったが、口にしたら最後。
翌日の太陽は拝めなくなる事は必至。
それだけは絶対に犯してはならない愚行――なのだが、察しのいい母はにっこりと背筋の寒くなる笑みを見せ、もっていた〝木刀〟(黒樫・鉄芯入りの殺人仕様)を何の躊躇いもなくそれを振り下ろす。
『ちょっ、殺す気か!』
『ほら、反射自体は悪くない。これだけ筋がいいのに、どうして真面目にやらないのです?中学生になる前まではへとへとになるまで頑張っていたじゃないですか』
言われて、押し黙る。
確かに、そんな時期もあった。だがそれは子供の頃の話、現実を知っている今となっては努力する事に虚しさしか感じない。
『母さん・・・幾ら鍛錬を積んだって発揮できないなら意味なんて・・・だから!?』
俯いていた顔を上げた瞬間、横一線の一撃が迫りそれを寸前のところでかわす。
『無駄な鍛錬なんてなに一つありません。ええ、わかりました。いいでしょう・・・いつかは立ち直ってくれると信じて待ってはいましたが、もう限界です。そのヘタレ根性、徹底的に叩き直してあげます!!覚悟なさい、この馬鹿息子!!』
その日は一日を通して徹底的に痛めつけられた。
ボロボロになった一刀をランニングから戻ってきた妹が腹を抱えながら笑い飛ばした。
朝の陽射しが目に入り、深い眠りについていた意識が急浮上する。
「ん、ん~~痛ッ・・・ちくしょう、たかが一日じゃ痛みが抜けないか。母さんは、ほんとに手加減無しだからなぁ。っと急がないと今日は朝錬が・・・・・・っておい、ここ・・どこだ」
ぐるりと周りを見渡す。
そこは彼が知る風景とはまるでかけ離れていた。
彼は寮生ではあるが、週末は浅草の自宅に帰り、休み明けは家から登校している。
そのどちらにいるにしろ、目が覚める場所は自室である筈だ。
にも拘らず、今彼がいる場所は寮と実家のどちらにも当て嵌まらない。
強いて言うのであれば、いつぞやドラマで見た三国志の建築物が一番近いだろうか。
「いや近いけど、そういう問題じゃないだろ。ええと、夢・・・なわけないか。こんなに意識ハッキリしてるし、体の感覚メッチャクチャあるし」
体の隅々から部屋の隅々まで見渡すが、どうにも夢ではないらしい。
と、そこで彼にとって馴染みのある品が部屋の壁に立て掛けられていた。
「〝荒燕〟・・・なんでウチの家宝がここに?いや、確かに和室には飾ってあるけど・・・」
祖父より母が受け継いだ北郷家の家宝である〝荒燕〟。それが何故、見ず知らずの場所であるこの場所にあるのかと頭を捻っていると、ノックも無しに部屋の扉が開かれた。
――「お?どうやら目覚めたらしいな」
視界に写ったのは、超のつく美人だった。
「さて、目が覚めた所で自己紹介といこう。あたしの名は孫堅。姓は孫、名は堅・・・字は文台という。さて・・・儒子、あたしは名乗ったぞ?」
孫堅を名乗る女性の質問に、青年――北郷一刀は完全に思考が停止していた。
「あの・・・申し訳ないのですけれど、もう一度お名前をお聞かせ願えますでしょうか?」
自身でも驚くくらい丁寧な言葉使いで質問を聞き返していた。
「孫堅だ・・・もう一度聞くようなら問答無用で拳を叩きこむぞ?あたしは割と気が短いからな」
その一言で耳を疑った名前を記憶に刻み込んだ。
そうしなければ命にさえ関わると、本能でそれを悟った。
「ふむ、聞き返す気はもうない様だな。今度はお前が名乗る番だぞ儒子・・・ああそれと、親切心から一つ忠告しておいてやるが、お前に拒否権の類は一切ないと思え。場合によっては妖の類とみなす・・・さて、その場合どうなるかは・・・わざわざ聞く必要はあるまい?」
無意識のうちに唾を呑んでいた。背中が寒くなり、冷汗が頬を伝う。
目の前の女性はこう言っているのだ。
――殺す。
たった一言、恐ろしいほど端的で分かりやす過ぎるその一言は、それが一切延喜の類でない事を一刀に教えていた。
そして、女性の殺気に中てられながらも一刀は真剣な瞳で見返す。
「一刀・・・北郷一刀だ」
振るえそうな声を必死に押し殺して、一刀は自身の名を目の前の女性――孫堅に告げた。
「変わった名だな。初めて聞く・・・お前、やはりこの大陸の人間ではないな。となると、管路の占いは真実だったという事か?まぁいい、眼を見てわかった。おい、雪蓮、祭、冥琳・・・この儒子、取り敢えず人間だよ」
孫堅がそう言い捨てると三人の――これまた顎が外れるほどの美人が入ってきた。
「ふむ、堅殿の言う通り、よい眼をしているのう」
「あは♪ホントよね~って、冥琳、穏は?」
「お前な・・・香蓮様の考えで待機してもらっているのを忘れたか?」
呆れ口調に女性は視線を泳がせながらそうだったわねと恍けてみせた。
そんなやり取りを、平和だなと穏気に聞いていて、そこで不意に気になった。
「あの、孫堅さん?そこの眼鏡の人、孫堅さんのこと違う名前で呼んでなかった?」
その質問に対し、一刀以外の全員の目が点になった。
信じられない言葉を聞いたと言わんばかりだ。
「儒子、お前〝真名〟を知らないのか?・・・というのは愚問だったな。知っているなら聞くはずもない。よかったな、うかつに〝真名〟でここにいる面子を呼んでみろ・・・次の瞬間には死んでいたぞ、お前」
孫堅の言葉が冗談の類で無い事はその真剣な口調でよくわかった。
「〝真名〟というのは、その言葉が示す通り〝真〟の〝名〟を意味する。その人を現す神聖な名だ。この〝真名〟その持ち主が認めた時に初めて教える事が出来るものであり、家によっては婚姻を結ぶ者にしか教えない場合もあるほどのものでな。迂闊に〝真名〟を口にしてみろ・・・たとえ殺されたとしても文句は一切言えない・・・と、まぁそれほどの重さを持つものさ」
「――」
絶句。
最初よりも命の危機をハッキリと感じた。人数のせいもあるかもしれないが、安堵の溜息がどっと出て脱力感が全身を包んだ。
「さて、疑問はもうないか?あるなら今の内に聞くといい」
孫堅に促され、頭を捻る一刀。そして歴史上の英雄――目の前にいるのは英傑――がいたりで完全にトンでいたが、尤もな疑問を口にした。
――「ここは何処?」
「今聞く事でもないだろうに・・・まぁいい。公瑾」
完全に呆れ口調の孫堅に促され公瑾と呼ばれた女性が一歩前に出た。
「ここは荊州にある伯符・・・そこで子供みたいに瞳を輝かせているヤツの館だ。北郷・・・といったな。今度はこちらから質問をさせてもらおう。・・・お前は一体何者だ?」
周瑜の問いかけに対し、特に何も隠す事のない一刀は割と落ち着いた様子で答えようとしたのだが、そこに孫堅が割って入ってきた。
「儒子、夜まで時間をくれてやるから、しっかりと答えを用意しておけ。食事を運ばせる・・・取り敢えずその腹の虫を黙らせておけ」
そうして一刀は再び一人になった。
――と思っていたのだが、食事を運んできたのはなんと孫堅だった。
「そら、しっかりと食べておけよ。武器を没収しないのは、その程度には信用している証だ。裏切ってくれるなよ」
重々承知していますと何度も首肯すると、孫堅は豪快に笑って部屋を出ていった。
そして、夜。
孫堅らが一刀を軟禁している部屋に入った時、彼女等は唖然とした。
「いやはや、まさか熟睡とは・・な。ここまで神経が太いと感心するな・・・さて、起こすとしようか」
腰に下げた南海覇王・赤帝に手を掛け殺気を一刀に向けて放つ。
瞬間、一刀は飛び起き寝台に立て掛けていた荒燕を手に取り寝台の上で構えた。
「・・・って、あれ?もう夜なの」
「ふざけているわけじゃなさそうだ・・・肝が据わっているな。しかし、それはそれとして中々良い反応をする」
孫堅の物言いに、一刀はどっと肩を落とす。
「人が寝ているのに、かなり強引なやり方で叩き起こされる・・・ってのに普通よりも慣れているってだけ・・・で、何から話せばいいの?」
「主にはお前が誰でどこから来たのか・・・だな。取り敢えず洗いざらい話せ。あたし達が理解できる出来ないに関わらず、だ。聞きたい事はお前の話が終わった後に聞く」
了解、と頷いた一刀は携えていた荒燕を再び立て掛け、寝台に腰を下ろした。
「それじゃあ改めて名前から・・・・名前は北郷一刀。姓が北郷で、名前が一刀。字ってのはなくて真名もない、聖フランチェスカ学園に通う普通の学生。生まれは浅草で、実家は鹿児島。・・・で、多分俺は・・・・・・未来から来た人間だ」
ぶっちゃけ話せることなんてこれぐらいだと思って話したものの、最後の最後は、自分でも突拍子の無い事を言ったと思っていた。
ここで一刀考えていたのは、今自分自身がいる場所は単に〝過去の世界〟ではないだろうという事だった。何故なら、彼が知識として知る孫堅、孫策周瑜、恐らくはもう一人の女性も知っている武将なのだろうが、全てが男性なのだ。
だがしかし、今こうして目の前で過去の――三国志における英雄の名を名乗る女性がいる。
であればどういう事なのかといえば。
(夢・・・じゃないし・・・パラレルワールドってやつなのかな)
そうであるのならば色々と納得はできる――かろうじて。
しかし、なぜ北郷一刀がそんな世界にいるのかという疑問だけはいくら考えても答えが出てこなかった。
「お前、頭大丈夫か?」
御尤もな孫堅の台詞に、考えを中断せざるを得なくなった。
「正気も正気・・・夢なら覚めてほしいけど、残念な事に全くもって異常なしだよ。突拍子もない事を言ってるのは百も承知。だけど、俺が知っている限り、孫堅は遥か昔の時代に名を馳せた英雄なんだ孫策や周瑜も・・・・馬鹿馬鹿しいけど。貴女たちが嘘を言ってるわけじゃないぐらいは俺にだってわかる。ならどう説明したらいいかと言われたら〝未来から来た人間だ〟って言うしかないんだ。なんならそこの人の姓と名前を教えてよ。字を言い当てて見せるから」
殆ど諦め口調でそう言うと、ならばと孫堅は自身の横にいる女性を紹介した。
「コレはあたしの古馴染で黄蓋という。儒子、こいつの字はなんだ?」
「公覆・・・孫呉の宿将でしょ?あとは・・・孫堅には孫策の他に二人の子供がいて名前は孫権と孫尚香。孫権は字を仲謀といって孫尚香の方に字はない」
「・・・聞いていないが、正解だ。では次・・・この大陸の現状だ」
ややあって一刀はすぐに口を開いた。
「漢王朝が廃れてほとんど機能していない。諸侯が時代の節目を待ってるってとこかな」
「・・・最後だ。あたし達を納得させてみろ」
そう来たかと一刀は思う。確かにこれだけでは信じてもらえないだろうと踏んでいたが、こればかりは信じてもらうしかないと思ってそこで今更な事に気がついた。
(フランチェスカの制服?今更だけど俺、着替えてないぞ?)
全身を手探りで探ってみると、上着のポケットに慣れ親しんだ膨らみと感触があった。
(これ・・・携帯!なら、これを使って)
これで駄目なのであれば、いよいよ流れに身を任せるしかなくなる。
だが、他に方法が思い浮かばない以上、覚悟を決めるしかない。
意を決して携帯を取り出して見せた。当然それは何かと聞かれた。
「携帯電話。俺のいた時代じゃ当たり前の道具で、遠くにいる相手と話すための道具だよ。この世界じゃその機能は使えないけど、カメラなら使える」
「かめら?」
「写真・・・精巧な絵って言えばいいのかな。それを写す道具だよ。とにかく論より証拠・・・誰かそこに立って・・・」
「はいはーい♪私を・・・痛っ!!」
身を乗り出した孫策を、問答無用で孫堅は殴りつけた。見てるだけでも痛々しい拳骨だ。
「今の孫呉の王であるお前に万が一の事があったらどうするつもりだ、この馬鹿娘。儒子、あたしにしろ」
キッと真剣な眼差しで一刀を射抜く孫堅。この時一刀はできれば笑って欲しかったとんがえ、それは無理かとすぐに諦めた。
パシャっというシャッター音が部屋に鳴ると周りが首を捻る。
「なんだ?今の面妖な音は」
「出来たって合図・・・ほら」
そう言って携帯の画面を孫堅たちに向ける。携帯の小さな画面に四人の美女が詰め寄り、彼女達からすれば信じられないほど精巧に映っている孫堅に感嘆の声を漏らす。
「おお、まごうことなき堅殿じゃのう」
「ホントだ~、確かに母様よ。ね、ね、冥琳、母様よ」
「騒ぐな伯符、だが、コレは確かに・・・ふむ、香蓮様」
「ん?結論が出たのか」
「はい。なので、あの件をお願いします」
「やれやれ、周家の令嬢は性急でいかんな・・・まぁいい。と、まて・・大事なことを忘れていた。儒子、真名がないと言っていたな」
孫堅は一刀の名を聞いた時に抱いていた疑問をようやく聞く気になった。
そして対する一刀は言っていなかったときょとんとしてしまう。そしてこほんと咳払いして改めて説明をした。
「さっき説明した筈だけど・・・俺のいた世界には真名ってのはないんだ・・・いや、あるかもしれないけど、少なくとも俺のいた所ではなかった。だからそっちに合わせるなら・・・〝一刀〟がそっちで言うところの〝真名〟になる・・・かな」
――唖然。
非常にわかりやすい二文字だと思った。
「お前・・・〝真名〟を・・・」
「だーかーらー、あくまでも、〝そっちに合わせたら〟だって!さっきも言ったけど俺のいた世界には真名が無いんだって・・・多分。だから、俺が持っているのは〝北郷〟っていう姓と〝一刀〟って言う名前だけなんだ。だから、気にしないで」
「・・・・・・なら、いいのだけどな」
今ひとつ腑に落ちないといった感じでったが、とりあえずは納得した様子だった。
それからほんのわずかな時間、孫堅は思案し何らかしらの結論が出たようで、口を開く。
「儒子・・・次からはあたしの事は〝香蓮〟と呼べ」
「え?だけど・・・それって」
「構わん。あたしもお前の事は以降、一刀と呼ぶ」
「え、と・・・それは一向に構わないんだけど」
「ん?ああ、用件だったな・・・率直に言うとだな、〝天の御使い〟としてこの地に留まり我等に力を貸せ。それと・・・子を成せ」
――間。
「はあああああああ!?」
今日は驚く事がいっぱいある日だなと頭の片隅で考える一刀だった。
「少しは落ち着いたか?」
「まだ、頭の中落ち着いてないけどさっきよりはマシかな。・・・で、香蓮さん」
「・・・・・・」
「?」
急に沈黙する孫堅――香蓮、何か気に障ってしまったのだろうかと一刀が不安にかられ始めた時、黄蓋が彼女の頭を軽く小突いた。
「呆けるなど、堅殿らしくありませぬな。如何された?」
「なに、〝さん〟付など初めてだからな。少しばかり噛みしめていただけ・・・それで?聞きたい事があるのだろう?」
と、そこでそれまで沈黙していた周瑜が咳払いをして口を挟む。
眼鏡を押し上げる様は、知性的で繊細な美しさを一刀は感じていた。
「香蓮様、いくらなんでも何の説明もなくこちらからの要求を一方的に告げた所で理解が及ぶはずもないでしょうに。北郷・・・でよいのだったな・・・私から詳しく話してもかまわないか?」
もちろん、と肯定の意を首肯で伝える。とにかく今は詳しい理由を知りたいのだ。
いきなり〝天の御使い〟になれとか、〝子を成せ〟とか訳がわからないにもほどがある。そのため、一刀にすれば詳しい事情説明をしてくれるというのは、願ったりかなったりというものだった。
「先程、お前が指摘した通り現在の漢王朝は最早退廃の一途を辿り、新たな時代――乱世を迎えようとしている。荒れていくこの大陸に一人の占い師が告げたのだ」
――〝黒天を切り裂いて、天より飛来する一筋の流星。その流星は天の御遣いを乗せ、乱世を鎮静す〟
「これを告げた占い師は名を管路と言ってな、巷ではエセ占い師として名が知れている。故に、誰も信じてはいなかった・・・無論、それは我々も同じ・・・しかし、こうしてお前が目の前にいる。そして、香蓮様と祭殿からお前が現れた時の事を聞いた。なんでも夜闇が目を開けていられぬほどの光に染まり、その光と共にお前は現れたそうだ」
そこまで聞いて合点がいった。
「だから〝天の御使い〟・・・ね。子を成せってのも・・・そうすることで周りから尊敬とか畏怖とか集めるため?」
確認を周瑜にとると、彼女は完全に呆気にとられていた。
自分はそんなに頭が悪そうに見えるのかと、一刀は思わず苦笑してしまう。
「ああ、すまんな。しかし、中々どうして頭が回る。さて、そこまで頭が回るお前に急かすようで悪いが、どうする?」
「・・・・・・」
すぐに答えは出てこなかった。対する孫堅も一刀がそうなるであろうことなど、最初からわかっていたようで、軽いため息を吐いた。
「嫌だというなら、まぁそれはそれで構わんが、お前・・・伝はあるのか?」
「ない」
「生きる術は?」
「ないとは言わないけど、自信がない」
「ならどうする?」
結論など考えるまでもなく既に出ていたのだ。突然この世界に放り出された自分には、選択肢などあるようで無い。
ましてやこんな身なりの自分なのだから、胡散臭がられた挙句の果てに野なり山なりを彷徨うのがオチだ。
ならばどうするのが最善なのか――。
返答に悩む必要はなかった。
~あとがき~
リメイク孫呉の外史第二弾、如何でした?
前作との違いを補足しますと、時間軸が違い黄巾の乱直前ではなく、それよりも前となっています。
ただ、まだまだ続きますので、今回のあとがきはこれで締めくくらせていただきます。
それではまた次回で――。
Kanadeでした。
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第二弾、今回は〝対話〟です。
気に入っていただけたら嬉しいです。
それではどうぞ