その知らせが届いたのは、まだ太陽が地平からわずかに顔を覗かせたばかりの早朝だった。主だった人物たちがすぐに玉座の間に集められ、桂花が改めて報告する。身元預かりの身である季衣と流琉も、特別に同席が許されていた。
「桂花、これまでにわかっている情報を皆に話してちょうだい」
「はい……南下する何進軍は、少なくともおよそ100万。そのすべてが、人外の部隊で構成されています」
「人外だと?」
桂花の報告に、春蘭が声を上げた。
「ええ。約50万は、今まで表舞台に立つことのなかったオークたちの部隊よ。何進は全国のオークに、人間からの解放を訴えているわ」
その言葉に、誰もが顔をしかめた。
「敵の進軍だけではなく、内側からの混乱にも気を配らなければならないということね」
「はい。実際に一部ですが、待遇の改善を要求する動きが起きているという報告もあります。大半が事態を静観しているようですが、今後の何進軍の動きによっては大きく変わるでしょう」
「重労働に従事する彼らは、何の訓練も受けていない状態でも戦力としては十分だわ。実際の数以上の脅威となりうると、考えておいた方がいいようね」
華琳の言葉に、場の空気が重く沈んだ。誰もが、勝機を見出せないでいた。だが、まだ敵の兵力は半分である。
「残りの50万は何だ?」
春蘭が訊ねる。桂花はわずかに言い淀み、迷いを表すかのように視線をさまよわせた。
「……私も、自分の目で見たわけじゃないから、にわかには信じられないのだけれど」
「何だ、らしくないな。いいから言ってみろ」
少し苛ついて春蘭が促すと、桂花は深く息を吐いて答えた。
「残りの50万は、絡繰り兵だそうよ」
誰もが、その言葉の意味を掴みかねていた。
「絡繰り兵? 何だ、それは?」
「言葉のままよ。恐らく木製の、絡繰りで動く兵士らしいわ」
「それが50万だと?」
「そうよ」
あまりに、荒唐無稽な話だった。
「幻術か人形遣いではないのか?」
「ありえないわね」
秋蘭の言葉を、桂花は一蹴する。
「目撃報告は一人じゃない。幻術だとすれば、よほど強力で広範囲に渡るわ。そこまでの幻術なら、竜の部隊とかもっと他のものの方が効果的じゃない」
「確かにそうだな……」
「人形遣いだって、一人で2体動かすとしても25万人も集めなければならないわ。それこそ荒唐無稽よ」
すると、それまで黙ってやりとりを聞いていた華琳が口を開いた。
「死者まで駆り出すほど人手不足だったから、向こうもあらゆる手を尽くしたということね。今まで静かだったのは、おそらくこのためだったのでしょう。いずれにしても、一筋縄ではいかない相手ということだわ。秋蘭、今現在、こちらが集められる最大兵力はどれくらいかしら?」
「はい、黄巾党との戦いで多くの死傷者が出ておりますので、すぐに動けるのは13万……」
「北の国境の守りはいいわ」
「それならば、あと3万は合流できるかと」
だが、それでも合わせて16万でしかない。考えれば考えるほど最悪な状況しか浮かんではこなかった。
(何か策を……)
桂花が頭をフル回転させていると、突然、重く沈んだ空気を破るように兵士が駆け込んできた。
「何事だ!」
「申し上げます! 何進軍、平原より黄河を渡り、許昌に向かって進軍中です!」
その一報の後、次々と新たな報告がやってくる。それは、何進軍が途中にある街や村を襲い、女子供関係なく、人間を皆殺しにしているとの情報だった。報告を聞きながら、華琳は拳を握りしめ、怒りに震えた。
「何進――っ!」
溢れ出る感情のまま、華琳は立ち上がった。
「春蘭、秋蘭! すぐに出陣の準備をしなさい!」
「華琳様!」
華琳が言い終わると同時に、桂花が声を上げ前に進み出る。
「おやめください! すぐに策を考えますので、今しばらくお時間を――」
「こうしている間にも、無辜の民が殺されているのよ! 抗うことも出来ず、蹂躙されている! それを黙って見過ごすことなど、出来るはずもないわ!」
「わかっております! ですが今の兵力差では無駄死になります!」
「何進の目的は、私の首。囮くらいにはなるでしょう」
その言葉に、春蘭と秋蘭も声を上げる。だが、華琳は首を横に振った。
「今、動かなければ、私たちも朝廷の連中と同じになってしまう。たとえ損害を最小に抑えることが出来たとしても、その時はもはや人心は我が元にあらず。自己保身の朝廷を見限って立ち上がった我らが、彼らを見捨てたとあっては、遅かれ早かれ滅ぶしかないのよ」
「ですが、華琳様が倒れては、それこそ無意味です!」
「最終的に、その選択が民のためになるのだとしても、今苦しんでいる者にはわからないのよ。もしも自分たちが見捨てられたのだと、わずかにでも胸に抱かせてしまったなら同じこと。ならば死中に活を求めましょう」
揺るがない心を示すように、真っ直ぐな瞳で華琳は一同を見渡した。
「季衣、流琉。それぞれ、春蘭と秋蘭の副官として、あなたたちも同行しなさい」
「はい!」
「わかりました!」
「桂花、あなたは城の守りを」
「華琳様! 私も――」
「私たちの帰る場所を、守ってちょうだい。いいわね?」
最後は優しく微笑む華琳に、桂花は頷くしかなかった。
甲冑をまとい、華琳は外に出る。忙しく走り回る兵士の姿を見守りながら、戦いの空気を全身に染み渡らせるように深呼吸をした。
「華琳様……」
桂花が、華琳の馬を引いてやって来た。
「準備は出来たのかしら?」
「もう間もなくとのことです」
一つ頷いた華琳は、馬の腹を優しく撫でた。
「今頃、どの辺りかしら?」
話しかけるともなく、ぽつりと呟く華琳の言葉に、桂花はすぐにそれが一刀のことだと気付いた。
「順調に進んでいれば、もうまもなく呉に到着するかと……」
「そう……」
華琳は空を見上げた。そして真っ直ぐ、雲を掴むかのように腕を伸ばす。
「華琳様?」
「……ふふ、天は遠いわね」
その時、準備が完了したことを兵士が告げる。頷いて、華琳は馬に乗ろうと手を掛けて動きを止めた。突如、彼女の胸の中に漠然とした不安が溢れ出たのだ。今まで戦いの前に感じたことのない、嫌な予感だった。まるで――。
(このまま進めば、もう二度と一刀には会えない気がする……)
心を癒す一刀の笑顔が、遠ざかってゆく。
「どうかされましたか?」
桂花の声で我に返った華琳は、不安を振り払うように首を振った。
(それが運命だというのなら、そんな運命などこの手で引き裂いてみせるわ)
強い決意と共に、華琳は馬に飛び乗った。思い浮かべるのは、ただ、彼の事――。
「へっくしょい!」
一刀は大きなクシャミをする。
「あー、風邪かなあ」
「それはないのです!」
「ないわね!」
「何で?」
「お兄さんですからねー」
「一刀殿ですから」
「だから、何で?」
思わず漏らした一刀の言葉に、音々音と詠が突っ込み、風と稟が同意する。釈然としない一刀が、助けを求めるように月を見ると寝ていたので、隣の恋に視線を向けた。すると、恋は何やら遠くを見ていた。
「どうしたの、恋?」
「……嫌な、感じがした」
「へっ?」
その言葉に、一刀も恋の視界の先を見てみた。そっちは、一刀たちがやって来た方角だ。
「言われてみれば、何だか妙な胸騒ぎがするような……」
胸の奥にぽつんと浮かぶ、小さな黒い染み。だがすぐに一刀は、気のせいだろうと忘れることにした。目的地の呉の街は、目前だった。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。