No.171553

四百年間の願い事・平成編(3)

小市民さん

横浜の官庁街にわずかばかりのアトリエを借り受けた基樹は、日展への応募作品に挑みますが、構想すらつかめません。加えて、貸しアトリエには油絵を楽しむ主婦達も集まり、基樹をからかい始めます。いたたまれなくなった基樹は横浜市街に飛び出してしまいます……
この物語は2008年の夏に書いた作品で、日展への応募要項を手に入れるため、返信用の切手を事務局に送った思い出があります。2年前に書いた作品をヘタだと感じない小市民は、全然、成長していないようです。

2010-09-10 12:38:46 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:575   閲覧ユーザー数:560

 九月に入っても、横浜の残暑は厳しかった。

 基樹は、横浜公園から海岸通りへ真っ直ぐに伸びる日本大通りに面して建つZAIM(ザイム)に貸しアトリエとして狭いスペースを借り受け、一週間が過ぎていた。

 ZAIMは横浜市が所有し、アーティストやクリエイターの制作・発表の場として広く活用されているが、日本綿花横浜支店として昭和二年に竣工し、昭和二十年に極東空軍指令部に接収され、二十九年に国が日本綿花から買収し、三十四年に国に正式返還された。以後、横浜財務部が入居するなどめまぐるしい変遷を経ていたため、通路は狭く、階段も急だった。壁はコンクリートの地が白く塗装されていたが、エレベーターもなく、照明は蛍光灯のみと古色蒼然とした建物であった。

 しかし、二〇〇八年秋に開催される第四十回の日展の第二科と呼ばれる洋画部門に東京都三鷹市の井の頭公園近くのマンションに住む基樹が応募しようとすれば、便のいい東京都内の貸しアトリエは賃料が高額で、とても手が出ない。

 芸大に在学中、横浜市中区の本町四丁目交差点に面して建つ旧富士銀行の建物が、芸大のキャンパスとして用いられていることから、ZAIMの存在も記憶の片隅にあったのだった。

 まるでウォークインクローゼットのような貸しスペースにイーゼルを置き、自分が立てば、もう一杯であったが、無職者にはこれが精一杯どころか、父には頼れず、北京に住み女流工芸美術大師として成功している母に助けられ、応募要項にあるキャンバスを注文し、油絵具の専門メーカーとして著名なウィンザー&ニュートンの製品を揃えるなど、ようやくに支度を調えたのだった。

 しかも、日展の展覧会は今年の場合、十月三十一日から六本木の国立新美術館で始まるが、作品の個人搬入は、十月十日、十一日の二日間だけで、油絵具が完全に乾燥するには二日から十二日間は必要で、少なくとも九月末日までに作品を完成させていなければならない。

 しかし、基樹は天を駆ける龍を主題に、と思ってはいても具体的にどう描けばいいのか、まるで決められない。

 浅草寺や建長寺で拝観した先人達の作品のように、見る者を威圧するような作品は、基樹の求めるところではなかった。

 ZAIMの片隅を借り受けると同時に、日展第二科の応募要項である百号と呼ばれる長辺百六十二・一センチメートル、短辺百三十三・三センチメートルのキャンバスを画材専門店で求めると、発注品であることが解り、注文から納品まで一週間かかる。この間、スケッチブックとB4の鉛筆を片手に横浜の中華街を歩き回り、レストランの壁面の龍のレリーフや造形物などをスケッチして回った。

 こうした作業を繰り返すうち、基樹は山下町公共駐車場の九龍壁と横浜媽祖(まそ)廟の天井を支える石柱に彫られた龍が参考になった。

 ZAIMの狭い貸しスペースで、基樹はスケッチブックを拡げ、浅草迷子しらせ石碑の前で佇んでいた陽菜のデッサンを見つめ、

「……俺は、陽菜をどう描いたらいいんだ、教えてくれ!」

 心の中で問いかけたが、答えは何もない。

 このとき、基樹のジーンズのポケットの中で、携帯電話が鳴った。応答すると、ZAIMの本館一階にある事務所からで、注文しておいたキャンバスが届いたので、取りにきてほしい、とのことであった。

 基樹は別館の貸しスペースから中庭をとおり、狭く複雑な通路を抜け、インドからの留学生が働く事務所で大きく、重いキャンバスを受け取ると、抱えるようにして自分の貸しスペースへ戻ったそのとき、思わず目を疑った。

 基樹が借りているスペースに隣接したスペースを、山手や元町で有志を募って運営している油絵の同好会が借りているのだが、その教室に在籍している五十代から六十代の時間をもてあました主婦数名が、基樹のスケッチブックを拡げ、回し見しては歓声を上げていたのだった。

 もともと、建物そのものが施錠できる構造になってはいないため、貴重品は常に携行することが使用規則にうたわれていたが、見ず知らずの主婦の一団に自分のスケッチブックを無断で見らていることに基樹はかあっと腹を立てた。しかし、ここは父が経営する会社の社長室ではない。公共施設で騒ぎを起こして退去させられては、もはや日展へは応募できなくなる。基樹は、同好会の主宰者らしい瀬川文子と名札をつけた六十代の女性に、

「返して下さい。勝手に他人の作品を見るなんて、失礼じゃないですか?」

 怒りを押し殺した声で言うと、瀬川は、

「この女の子、お兄ちゃんの彼女か?」

 浅草迷子しらせ石碑の前で佇む陽菜のスケッチを見ながら尋ねた。

「今はもう、つき合ってないの? アソコ役に立たなくて振られちゃったのか?」

 瀬川がなおも非礼な言葉を重ねると、どっと同好会の主婦たちが笑い出した。これほど初対面の相手にあざけり笑われたことはなく、基樹は茫然としていると、

「兄ちゃん、仕事はどうしたの? ここ一週間、ずっとかよっているよね?」

「もしかして働いてないの? 駄目だよ、お父ちゃん、心配してんよ」

「女の子の絵以外は怪獣の絵ばかり、兄ちゃん、ラーメン丼作りたいの?」

 主婦たちは口々に言い、基樹を笑い者にした。基樹はいたたまれず、ZAIMから日本大通りに飛び出し、当てもなく海岸通りへ走っていくと、不意に横浜の空がどす黒く厚い雲に覆われ始め、わずかな先も見えない豪雨に見舞われ、巨大な獣の咆吼のような雷が轟いた。今年の夏は、こうした局地的な雷雨の発生が頻発している。

「ババアどもが!」

 基樹が瀬川を始めとした主婦たちを罵り、旧横浜商工奨励館の外壁を活用して建設された横浜情報文化センターの前まできたとき、

「もう、逃げるの?」

 若い女性の声が基樹を呼び止めた。基樹が思わず立ち止まると、陽菜が立っていた。

 基樹は建長寺で、「日展に向けてがんばれる」と、宣誓したはずの陽菜に「逃げるの?」と、質(ただ)され、何も答えられず、思わず目を逸らせた。陽菜は、

「今、基樹君が逃げ出したら、わたしはどうなるの? 四百年間も待っていたのに。もう、どうにもできなくなっちゃうじゃない!」

「でも、あのババアどもが!」

「あの人たち、何の悪気もないのよ。ただ、主婦たちの同好会の場に若い男の子がいたから、嬉しかっただけよ。四年間も専門の英才教育を受けた基樹君にとって、素人の集まりがどうだったって言うの!」

 絵であざけられた思うのなら、絵でやりかえせ、と焚きつけんばかりに陽菜は基樹に言った。

 基樹は、陽菜が自分を怒鳴りつけている間、全く口を動かしていないことに気付いた。陽菜は、思念を基樹の頭の中に送り込んでいるのだった。

 それどころか、激しい雷雨の中で、陽菜は全く濡れていない。自分の周囲だけ空気を対流させて、降雨全てをよけていた。そして、市街を覆った雲の中で雷が発生する度に横浜情報文化センターの壁面に巨大な龍の影をくっきりと映し出している。

 基樹は『等伯画説』の追補の記述の中に、等伯と鶴が陽菜を保護した裏店で火災が起きたとき、陽菜が火と空気を操り、瞬時にして消火した、とする一文と、陽菜の父龍が雷雨の中でありながら、等伯と意思のやりとりをした、という記録を自ら体験し、暫時、言葉を失った。基樹は、

「それじゃ、一つだけ教えてくれ。俺はどんな絵を描いたらいいんだ!」

 問いかけた。陽菜はじっと基樹の瞳を見つめると、

「四百年前に描いた絵をもう一度……今度は油絵で描いて」

「覚えていないんだ! 人間は生まれ変わったら、前世の記憶はなくしているんだぞ!」

 基樹が追いすがる思いで言うと、陽菜は、

「『等伯画説』の追補の最後には、何て書いてあったの?」

「陽菜が龍体に変化して、金色の父龍とともに天界へ帰っていたって……それを等伯は伝法院の庭園から見上げていて……」

 基樹は、反射的に答えたとき、目を見張った。等伯は寺院の天井画のように上空に滞空している龍を描いたのではなく、壮麗な光芒を残して飛び去っていく龍の後ろ姿を描いていたのだった。

 基樹は、こんな簡単なことも解らず、悩み続けていた自分に声を上げて笑った。

 いつしか、横浜の空は雷雲が途切れ、金色の陽の光が射し、基樹と陽菜を照らしていた。


 
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