北郷一刀たちは曹操の元へ向かう途中、とある街でのんびりと過ごしていた。どうしてすぐに向かわなかったのか、それにはいくつかの理由があった。
まず、張三姉妹が増えて狭くなった馬車の買い換えと、先の戦いで傷だらけになった一刀の服を新調するため、数日ほど街に滞在することになったのだ。すると恋が――。
「家族が……心配……」
そう言い出して、音々音と共に馬超に頼んだ家族の元へ一時帰宅してしまったのである。
「戦後処理で曹操も忙しいわよ、きっと。別に日時を指定されたわけじゃないし、いいんじゃない?」
という詠の一言で、恋と音々音が戻るまでのんびり過ごすこととなったのである。
そこで一刀は一人、新調した服を着て街を散策していた。服のデザインは今までと同じ制服のものだが、さすがに同じ生地はなかったので似たもので代用している。
「黄巾党が倒されたからか、やっぱりどこか嬉しそうだな」
街行く人や店の中の人の顔を眺めながら、一刀は嬉しそうに呟く。そして詠からいつもより多めに貰ったお小遣いで肉まんを買い、頬張りながら特に目的のなくブラブラと散歩を楽しんだ。
「ん?」
ふと、路地裏から怒鳴り声が聞こえた。覗いて見ると、何やら中年の男が包丁を持って下を向いている。視線の先を追うと、三匹のトラ猫が震えながら身を寄せ合っていたのだ。
「あの、どうしたんですか?」
一刀は気になったので、声を掛けた。すると親父は、チラッと視線を送り、すぐに逃がすものかと言わんばかりにトラ猫たちを睨み付けた。
「こいつらが、魚の干物を盗み食いしやがったんだ。しかも今回だけじゃない。これで五回目だ。最初は可哀相だからと見逃したが、さすがにもう勘弁ならねえ」
「事情はわかりますが、でもまだ、子供じゃないですか」
「だから何だ? 子供なら悪さしてもいいのか? 放っておいたら、他の店でも悪さをする。だからここで殺しておくんだ」
「ちょ、ちょっと待った!」
慌てて一刀は、男の腕にすがりつく。
「俺が引き取るから! あと、こいつらが食べた分のお金も払う! だから許してくれ!」
「……ちっ。わかったよ。物好きな兄ちゃんだな」
持っていたお小遣いで代金を払い、男が去ったのを確認して一刀はトラ猫たちの前にしゃがみ込んだ。
怯えて身を寄せ合う姿が、なんとなく張三姉妹に似ていて一刀は笑みを漏らした。
「つくづく、こういう場面に縁があるみたいだな」
呟きながら、怖がらせないようにそっと手を差し伸べる。
「おいで、大丈夫だよ」
「にゃあ……」
トラ猫たちは様子を窺うように一刀を見て、まるで相談でもしているかのようにお互いの顔を見合った。そして一匹がゆっくりと近付いて来て、他の二匹もそれに続く。
「よーし、よしよしよしよし!」
動物とのコミュニケーションはこれだ、とばかりに一刀は三匹の頭をワシャワシャと撫でた。それが気持ちよかったのか、三匹は一刀の指にじゃれついて楽しそうに遊び始める。
「あー! やっぱり猫は可愛いなあ」
ほんわか気分で癒されていると、突然、一刀の耳に生温かい息が吹きかけられた。
「わひゃあっ!」
「にゃっ!」
驚いて一刀が声を上げると、その声にトラ猫たちも驚いて飛び上がった。
「何だ……って、風!」
「いやいや、お兄さんがとうとうメス猫にまで触手を伸ばす衝撃的現場に遭遇してしまい、少し興奮してしまいましたよー」
「それを言うなら食指が動くだろ。そもそも、動いてもいないしね!」
振り向いた先には、いつものぼんやりした表情の風が立っていた。一刀の突っ込みに目を細めた風は、隣にしゃがみ込むとトラ猫たちの頭を撫でる。
「お兄さんの手に掛かれば、人も猫も虜ですねー」
「そんなわけないだろ。第一、誰が俺の虜になってるんだよ」
そんな一刀の言葉に、風は溜息を漏らす。
(まあ、その鈍さもお兄さんらしいと言えなくもないですが……)
それから一刀と風は、なんとなく一緒にトラ猫たちを抱いて街を歩いていた。途中でゴマ団子を買い、人通りの少ない路地の階段に腰掛け、休憩をする。
ポカポカとした日差しに、三匹のトラ猫たちは自分たちのゴマ団子を食べ終えて、一刀の膝の上で互いの体を重ねあって眠った。
「その猫ちゃんたちは、どうするつもりですか?」
「うーん、俺が引き取るって言っちゃったからなあ。まあ、三匹くらいなら連れて行っても大丈夫だろ。あ、稟は猫とか平気かなあ?」
「平気だと思いますよ。可愛いものは、好きですからねー」
安心したように頷いた一刀を、風は何やらじっと見つめた。
「ん? どうした、風?」
「……あのですねー、風は前からお兄さんに聞いてみたかったことがあるのですよ」
「何?」
「お兄さんは、本当に天の国から来たのですか?」
「んー、違う世界から来たのは事実だけど、そこが天の国なのかどうかはわからないなあ」
一刀は、ぽつぽつと自分の住んでいた世界のことを、風に話して聞かせる。本来は自分がいるべき世界のはずなのに、何だか異世界の事を話している気持ちになって少し複雑だった。
「という感じでさ、まあこの世界と比べれば天の国みたいなものだとは思うよ。でもどっちが幸せなのかは、正直、今の俺にはわからないな……」
「ですが、聞いた限りではお兄さんのいた世界は、幸せそうに思えます。それなのに、どうしてお兄さんはこの世界に来たのですか?」
「それは――」
一番最初に言われた、貂蝉の言葉を一刀は思い出す。それは突拍子もない話で、きっと多くの人が突然聞かされたら笑い飛ばすような話だ。それでも一刀が決意をしたのは、『彼女たちを助ける』という一言だった。
胸の奥にある何かが、その言葉に引っかかったのである。でも。
「それはきっと、今にして思えばとても傲慢な思いだなって……。さっきも話したけど、俺のいた国は元の世界でも平和な国でさ、殺人なんて身の回りで滅多に起こることじゃないんだ。一生、そんな事とは関わらずにいる人の方が多いと思う。だから俺も、人を殺したことどころか、いつも食べている牛や豚なんかも殺したことはない。そんな俺が、命がけで生きているこの世界の人を助けるだなんて、すっごい偉そうなことを考えていた」
「……」
「黄巾党の戦いが終わった後、思い知ったんだ。俺は確かに三姉妹を助けることが出来たけど、あの戦いで死んだ人もいるんだって。俺が助けたのはさ、たまたま三人を知っていたからなんだよ。もし何も知らなければ、大勢死ぬのも知らん顔していられたんだ」
一刀は自分の手を見る。血に染まらぬその手は、しかしこぼれ落ちた数多の命の染みをその下に広げている。
「もしもさ、本当に誰かを助けるために俺がこの世界に来たというなら、俺は三姉妹を助けるんじゃなくて、そもそも戦いが起こらないようにするべきだったんじゃないかって思ったんだよ。有名な武将も、名も無き一般兵も、同じ命なんだから……」
「お兄さん……」
ぎゅっと、一刀の服を風が握る。その目は、気遣うような優しい光を湛えていた。だが、一刀は笑みで首を振って風の手を包み込んだ。
「最初はさ、どこか使命感みたいなものがあったんだ。自分は特別で、この世界を救うために来たんだって。この世界が俺を必要としたから、来たんだなんてさ。でも色々考えて、街をゆっくりと眺めて気付いたんだよ」
一刀は空を見上げる。大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
「俺、この世界が好きだ。この世界で暮らすみんなが、好きなんだ。理由ははっきりとわからないけど、きっと来るなって言われても俺はこの世界に来たと思う。ここで生きて――」
そして、死んで行く。まだ言葉には出来ない想いを、一刀は曖昧に笑みで隠す。
「えっと、ようするに来たいから来たってことで。あんまり理由になってなくて、ごめん」
「いいえ、珍しくお兄さんの真面目な話が聞けて良かったです」
「ちょっ! ひどいなあ。俺、いつも真面目なんだけど」
「ふふふふ……」
二人が顔を見合わせて笑っていると、静かに寝ていたトラ猫たちが大きなアクビとともに目を覚ました。そして一刀の膝の上から飛び降りると、じゃれながら遊び始める。
「遠くへ行くなよ」
「にゃあ!」
言葉がわかるかのように鳴き、三匹は一刀の見える範囲で走り回った。それを微笑ましく見ていると、突然、風が一刀の膝の上に座って来たのだ。
「風!」
「お兄さんが物欲しそうに猫たちを見ていたので、風が代わりに座ってみました」
「いや、別に物欲しそうにはしてないからな!」
「ぐぅー……」
「寝るな!」
「おぉっ! あまりに気持ちが良いので、つい」
「まったく……」
呆れたように溜息を吐く一刀だったが、膝に座ったままの風をどかそうとはしなかった。風も軽い気持ちで座ったが、何だか居心地が良いのでそのまま黙って目を閉じる。
(懐かしいような、落ち着く気持ちになりますねー。風もとうとう、お兄さんの虜になってしまったのでしょうか……ふむふむ)
自己分析をしながら、風はやがて本当に深い眠りの中に落ちていった。
そして一刀が連れ帰った三匹の猫は、ミケ、トラ、シャムと名付けられたのである。
Tweet |
|
|
46
|
1
|
追加するフォルダを選択
恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
一刀が思うことをうまく言葉にできないのは、作者に似たからです。そんな休息の回。
楽しんでもらえれば、幸いです。