真・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 第二章 彼願蒼奏
第七話 崩落・後 ~崩れ落ちる世界~
『守る』という言葉の意味を知ったのは、愛していた筈の彼女と決別した夜。
肌を重ね、唇を合わせ。
そうして彼女を捨てて、漸く悟った。
中途半端な愛情で誰かを傷つけるくらいなら、いっそ誰一人愛さなければいいのだと。
中途半端な優しさで何かを失うくらいなら、いっそ何一つ憐憫の情を抱かなければいいのだと。
痛みが伴ったそれによって、僕はその事を理解した。
そして同時に、決意をした。
二度と同じ過ちを繰り返さない。
どんな事をしても、どんな真似をしても、二度と彼女を傷つけたくない。
だから、僕は彼女を突き放した。
その温もりを守りたくて。
その優しさを残してほしくて。
余りにも傲慢で、笑いがこみあげてくる。
だが、それを誰かに洩らす事などなかった。
自分以外の存在など、所詮は信用ならないから。
いつか裏切り、裏切られるだろうから。
だから、唯一彼女以外の誰かを『信じる』など、あり得る筈がないと思っていた。
なのに。
嗚呼、それなのに―――
『傷つくのが怖くて傷つけて。温もりが欲しくてただ求めて…………そんな傲慢な僕は、けれどやっぱり何処までいっても僕なんだよ』
そんな事を。
自分自身の『弱さ』を、どうして彼には洩らしたのか。
ねぇ?
僕は、ちゃんと泣いていた?
それとも、哂っていた?
――――――一刀。
身に打ち付ける様に吹き荒れる風雨に晒されながらも、司馬懿は裾が汚れるのも気に留めず走り続けた。
門の辺りで膝を突っ張り、動かなくなってしまった馬を捨て置いて駆けだしたまではよかったが、やはりこの豪雨ではまともに走る事も儘ならない。
だが今は自分の軽挙を戒める暇さえ彼にはなく、ただただ懸命に泥と雨に塗れながら走り続けた。
「ハァ……ハァ……ッ!」
歯を食いしばり、泥濘にとられそうになる足に力を入れて大地を蹴る。
霞みそうになる視界の先はやはり見えず、しかし睨みつける様に鋭い形相で彼は駆け続ける。
思えば、何時以来だろうか。
こうして、ただひたすらに駆け抜ける事など。
もう随分と昔、水鏡先生と慕ったあの人の私塾で、外に野草や鳥獣を狩りに出かけた時以来か。
城下でのお祭りを聞きつけ、街中を馬鹿みたいにはしゃぎながら駆けずりまわって以来か。
いずれにしても、司馬懿にとっては過去の遺物でしかない。
もう二度と戻れないあの場所への未練も、情も。
何もかもを捨て去り、自分はただ『司馬懿仲達』として生きる事を決意して。
(―――チッ!今はこんな事など考えている暇はないというのにっ!!)
思いだしたい訳でもないのに、次から次へと瞼の裏に蘇る光景。
それは少女の笑顔であり、先生の厳しい表情であり、穏やかな世界であり。
全ては鮮やかに彩られて蘇り、やがて欠片が零れ落ちる様に消え落ちていく。
雫が零れ落ちる様に、パラパラと消えていく。
「―――ッ!?あ、あ……ッ!!」
降りしきる雨の中、刹那垣間見えた光景に司馬懿は音を洩らした。
「はな、せ……ッ!!」
脳が、全身が。
指先、足先に至るまでの血液が沸騰し、逆流し、しかし脳は氷の様に凍てついて、その血走った眼がギラリと光る。
提げた剣の柄に手を掛け、瞬間、雷鳴と共に司馬懿は叫ぶ。
「―――月から!手を!!放せぇぇぇッ!!!」
崩れ落ちる欠片の中、僅かに見て取れた少女の姿。
朱里とは明らかに違う、青みがかった髪を揺らして微笑む少女。
その笑顔が、血に染まる幻想を垣間見た瞬間。
彼の理性は、弾け飛んだ。
『……あなたは、だれ?』
ずっと昔。
まだ片手で数えられるくらいに幼かった頃、出会った彼。
自分とは違う、月の様に白い、鮮やかな銀色の髪を棚引かせたその子は、おずおずと柱の陰に隠れながら問いかけた自分に対して、まるで興味がなさそうな表情を浮かべたまま小さく呟いた。
『……仲達』
言って、彼は再び庭先の方に座り込んで何かを見ていた。
その仕草に僅かばかりの興味を惹かれ、必要以上にビクビクしながらも彼に歩み寄る。
『……何を、見ているの?』
返答は、ない。
代わりとばかりに彼が少し身体をずらして、自分が座る場所を空けてくれた彼に小さく会釈して、彼と同じ方を見る。
そこにあったのは、小さくも青い花弁を懸命に開く一輪の花。
『わぁ……綺麗』
年相応に口をついて出た言葉に、しかし彼は冷ややかな声を返した。
『……この花の命も』
つと、実に小さな声音で、
『さっきの宴で出された料理に使われた家畜の命も』
自身の胸元に手を当てて、
『僕達の命も、全部同じ『命』なんだよね?』
疑問符を浮かべているのに、まるで自分に問いかける様に、彼は呟いた。
『だけど僕達は、目を潤す為に花を刈って、生きる為に家畜を食べる。けれど花も家畜も、僕達の命を奪いはしない。僕達は一方的に彼らの命を奪っているのに、それは咎められない』
冷たい、あまりにも凍てついた瞳に、未だ幼い自分の姿を映して、
『だけど、人の命を奪う事は咎められる。誰かを殺せば、それは罪となる。彼らだって、自分の命を脅かした訳でもないのに、それは咎められる』
あまりにも年不相応な言葉を、淡々と続ける。
『けど、この世界にはそれを犯して尚、咎められない人がいる。生きる為でもないのに、他人を殺して。けれど、咎められない人がいる』
そこに至って、彼は漸く自分を見た。
『…………ねぇ、どうして?』
冷たく、無機質な。
感情を感じさせない瞳に、自分を映して。
稲光を受けて光る刀身が、風の様に鋭く閃く。
大上段から振り下ろされたそれは、寸分の狂いもなく肘へと喰らい付き、一瞬にして地面へと叩きつけられた。
「―――あ、ぁ……わ、私の、腕がぁッ!?」
血飛沫を上げ、痛みの声を上げようとした女―――韓遂は、しかし次の瞬間襲いかかった腹部への凄まじい衝撃に耐えきれず吹き飛ぶ。
「―――――――韓遂ィィィッ!!!」
野獣の様な咆哮を上げるのは、その怒声には到底似つかわしくない容貌の、しかし般若の様にその表情を歪ませた青年。
真正面から血飛沫を浴び、雨によって前身にくまなく滴るそれを気にした様子もなく、握りしめた柄が悲鳴をあげんばかりに力を込めて、彼は、司馬懿は叫ぶ。
「殺す……貴様だけは、絶対に殺すッ!!」
その背では、か細い息を絶え絶えに続ける月を抱いて、詠が泣き叫んでいた。
「月ぇ……!!嫌だよぉ、目を……開けてよぉ!!」
腹の辺りから夥しい血を滴らせ。
白磁の肌は病的なまでにどんどん色を失っていく。
それを見た瞬間から、彼の瞳は狂気に染まっていた。
「ヒッ!?な、何をしているっ!!さ、さっさとこいつらを殺せ!!殺さぬか!!」
片腕を失ったまま、狂った様に韓遂が叫ぶ。
その言葉を合図に、司馬懿達を取り囲んでいた兵士達が次々と襲いかかった。
だが、
「目障りだ……雑魚共がッ!!」
一閃。
間近にいた兵士の首が宙を舞い、空いた片手で別の兵士の頭を鷲掴み、ギラリとその瞳を輝かせた。
「が、ぁ……ぁッ!?」
「―――砕け散れ、下衆がッ!!」
轟音。
肉塊が、骨格が砕ける音と共に、その頭蓋から血飛沫が八方に飛び散った。
そうして、群がり来る雑兵を葬り去り、漸く司馬懿は月の方を見た。
そっと歩み寄り、その頬に手を当てる。
「月……?」
熱を失い、色を失い。
最早二度と開かれる事のない瞼に、雨に紛れた雫が一滴、零れ落ちる。
「お願いだよ……目を、開けてよ」
微かな温もりさえ消え失せたその骸は、雨に、泥に濡れる。
「月……ゆえーーーーーーッ!!!」
雷鳴は天上に鳴り響き、豪雨は滝の様に降りしきる。
その中で泣きじゃくる詠は、二度と目覚めぬ幼馴染の骸を抱いて、ただ泣き叫んだ。
後記
……まさかの月dead
予測できた方はいらっしゃったでしょうか?
書いててどんどん鬱になる展開……だというのに指は凄いスピードでキーボードを叩く叩く。
第二部も終わりが近づき、いよいよシリアス通り越したダークな話に化けていきます。
後二話程で第二部は完結します。
で、次回はいよいよこの作品全体を通しての特大のネタばれと狂化司馬懿の誕生です。
あ、次回投稿は普段通り水曜日を予定しています。
流石に今回は短すぎたので……ちょっとだけお待ちください。
それでは、また。
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前・中・後の『後』。つまり三部構成の完結編です。