No.159897

『碇君は私が守るもの』

サードインパクト後、人々は紅い海から還ってきていた。
が、
霧島マナだけいっぽ遅れてしまって……。

2010-07-22 23:25:58 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:4864   閲覧ユーザー数:4740

 『碇君は私が守るもの』

 

 

 転校してきたばかりの霧島マナは、その光景にいっしゅん自分の目を疑った。

 この中学に転校してきてからまだ一週間も経っていないから、馴染んでいるというわけではない。とはいえ、他のクラスメイトはその光景を日常のひとコマのように受け止めているのはいささかおかしいのではないかと霧島マナは思う。 

 

 碇シンジが、渚カヲルの胸で号泣しているのである。

 

 三時限目の終了直前、シンジが絶叫した直後だった。

 「アスカがいないよぉ」

 そうカヲルの胸に顔を埋めるシンジのさまは、“腐”の属性を持つ女子生徒ならば歓喜しそうなさまである。その微笑みを見ただけでも性別を問わずに紅潮させられそうなカヲルの容姿は、まさに眉目秀麗である。シンジがいかに十人並みの容姿であっても、いかがわしい空気がかもし出されていた。

 カヲルが「よしよし」とシンジの頭を撫でるのを見ながら、どうリアクションをしたらいいものかマナは戸惑っていた。

 

 シンジの絶叫のなかにあったアスカとは、惣流アスカというまさにここにいない同級生のことである。

 実は、サードインパクトの以前にはマナともなんどか面識があった。赤みのかかった金髪にサファイアカラーの瞳の、まさに日本人ばなれしたスタイルの少女であった。マナの転校と行き違うように学校を休んでいるのだが、聞くかぎりその容姿も物腰も以前とまるで変わっていないようである。

 

 ただ、碇シンジと恋人のようにしているということを除いては。

 

 それは、マナにしてみれば由々しきことだった。

 マナがサードインパクトから帰還したのも、この学校に二回目の転校をすることにした理由も、シンジ君に再会するためだったのだし、その会いたかった動機は言わずもがな、である。

 たしかにマナは、以前からアスカのことを警戒してはいた。まさに女の勘ではある。しかし、自分の不在のあいだに二人の関係がここまで進展しているとは、というよりもシンちゃんのほうから告白しているだなんて思いもよらなかった。アスカのほうからの一方的な片思いだと思っていた、ということでもある。

 「碇シンジ君に会うために、霧島マナは紅い海から還ってきました!」

 と、自己紹介の第一声にたいしてのクラス内の異様なざわめきは、数日前のことになるが忘れられない。

 「恋愛は自由だ、けど、ねぇ」

 と、クラス委員長の洞木ヒカルは視線をそらし、

 「茶化すようで悪いが、チャレンジャーやな。応援はせんで」

 と、以前から変わらないジャージ姿の鈴原トウジは傍観者を宣言し、

 「奥さんが留守の時の男にちょっかいだすもんじゃないでしょ」

 とは、訳知りふうにメガネの相田ケンスケは言った。

 「シンジ君はやっぱりもてるねぇ。僕もうかうかしていられないなぁ」

 と渚カヲルが前髪を掻き上げながら言ったことは、さすがにマナも受け流した。

 どうやら、シンジ君のステディはアスカであるという不文律ができあがっているようだった。マナの宣言をして、誰も彼もが哀れむ視線を向けてきたのである。

 とはいっても、霧島マナである。

 アスカがいようといまいと、まったく関係なくシンジにアプローチをしていた。

 帰りに買い物をしよう、とか、家に遊びに行っていいか、と声をかけてみるが、シンジの返事はじつに素っ気ない。アスカのことを持ち出してやんわりと断られてばかりだった。

 業を煮やし、マナは強行手段にうったえる。

 偶然を装って廊下の角でぶつかろうとしてみたり、躓いてよろけてみせて胸に飛び込もうとすらした。

 が、

 どこからともなく現れた綾波レイにより、ことごとくが阻まれた。

 病的に色白でショートカットの髪型、抑揚のないしゃべり方、このまるで活気のない少女の胸に飛び込んだところで、マナは嬉しくはない。快活であろうとも、倒錯した性癖ではないから同姓に抱きとめられたところで気持ちが悪いだけである。そのたびにレイが口にする、

 「碇君は私が守るもの」

 も、まるで意味が解らない。

 このもの静かな綾波レイだけにかぎらず、クラス中はおろか学校中で自分を妨害しているような気がするのは、自分の被害妄想だろうか?

 応援はしないと鈴原トウジは言ったが、応援しないのではなく、邪魔されているとしか思えない所作が学校中から感じられた。

 まさに敵ではないのは教師だけ、といったかんじである。

 得体の知れない圧迫感にマナは途方にくれかけていた。

 

 

 そんな今朝、シンジがまるで取り乱したかのように泣くさまを見たマナは、幻滅するよりもやはり可愛いと思ってしまう。想像だにできなかったじたいに困惑するも、恋心が加速してしまっていた。

 今日は木曜日。

 マナが転校してきてから四日目。

 同時に、アスカが学校に来なくなってから四日目である。

 

 人工進化研究所に泊まり込みで研究の手伝いに赴いているというのが、アスカが休んでいる理由だった。

 ネルフの後継組織であり日本厚生省のいち機関となった研究所は、サードインパクトをさかいにまったく形骸化してしまったエヴァンゲリオンの技術を復活させようとしているのだという。あらゆる意味で特殊だった初号機の搭乗者のシンジよりも、先行量産型と目される弐号機搭乗者のアスカのほうが喚びだされることも多くその期間は長いのだという。ちなみに、鈴原トウジもいちど一日だけ赴いたことがあるのだそうだ。

 またか、といった顔をして教師がシンジを保健室に連れて行くように指示をすると、カヲルが目を輝かせた。

 刹那、ずいぶん席がはなれているはずのレイがグーでカヲルの頭をこづく。

 そして、

 「碇君は私が守るもの」

 というせりふ。

 どうやら保健室でふとどきにおよぼうという渚カヲルの野望をレイが阻んだ、ということであるらしい。

 肩に掌をおいてレイがシンジを促すと、今度は「あやなみぃ」と言って抱きついた。

 レイはすこし困った顔をしたが、まさに手慣れた様子でシンジを連れ出していった。

 

 呆れても良さそうなものだが、トウジはかるく笑いながら後ろに倒れそうなほどに椅子の上で反り返った。

 「惣流成分がたらんくなった、ちゅうこっちゃな」

 うまい喩えだと、それにケンスケが掌を三回ほどたたいて同意した。

 あまりに訳知り風なリアクションのケンスケに、マナは混乱していることをうったえた。保育園児の疳の虫じゃあるまいし、常軌を逸している。普通でないことは解っているようすのクラスがそれでも騒然としないのは、これがはじめてのことではないということらしいとマナには洞察できたのだ。その上でトウジの“惣流成分”という比喩である。

 「惣流は、碇のトランキライザーなのさ」

 ケンスケの言いようはしょうしょう物騒であるが、状況を把握できたとマナは思った。母親不在に子供が泣き出すようなもので、健全なモノの言いようをするなら、心の支えといったところだろう。ケンスケが薬物カテゴリーを口にしたのは、シンジのさまが病的であるという揶揄も込められているのかもしれない。

 「綾波はお目付役っていうか、乳母っていう感じやな」

 これまでの、そして今の一連のレイの行動からして、トウジの表現は的確だ。バカなことばかり言っていることが多いトウジだが、マナは感心していた。

 とはいえけっきょく解ったのは、シンジのアスカへの思いが強いことであって、マナには不機嫌になる要素でしかなかった。

 

 そして、ここでマナは気付いた。

 シンジにあの症状が発る原因というのが、トウジのいうところの惣流成分の欠如であるということになるのだとはいっても、最後のとどめとなるきっかけがあるはずだということにである。そうでなければ、“成分”がたらないあいだじゅう発症しっぱなしということになってしまうからだ。

 とはいえそのトリガーなどというのは、だれにだって容易に想像がつくことだろう。

 シンジがアスカを連想するようなことをすればいいのである。もっと言ってしまえば“アスカ”という単語を聞かせさえすればいいはずだ。

 確認のためにケンスケを問い糾すと、あっさりと肯定した。

 シンジの疳の虫のはじめての被害者は、クラス委員長のヒカリだったのだそうだ。「アスカがいなくて淋しいんじゃないの?」とすこしひやかしてやろうとしたのがあだになったらしい。

 その時の場所も教室で、クラスメイトは初めてのことに騒然としたのだそうだ。

 席に着いているときだったのだから、シンジも机に突っ伏して泣けばいいものを、無意識に人のぬくもりを求めてしまうのか、必ず近くの誰かに抱きつくということが被害をつくることになってしまっていた。

 その後、アスカが不在の時には彼女を連想させる言葉を御法度にするようにクラスメイトは決めたのだが、とはいえそれを徹底することはできなかった。教師たちが無頓着にそれもダイレクトに名前をだすようなことはままあったし、アスカの席を見ただけで発症するようなことにもなってしまう“アスカのいない末期”には手がつけられない状態にまでなるのである。

 そのうえ、渚カヲルなどは故意に働きかけて悦に入るようなことをする輩もいるのだからタチが悪い。

 そのたびに、綾波レイが“碇君を守って”いるのだという。

 「綾波のいないときを狙う必要もあるし、やめといたほうがいいと思うな。俺は」

 と、ケンスケに腹の内をよまれはしたが、マナが怯むことはなかった。

 「応援はせん、と言ったよな」

 トウジも、消極的な言い回しでマナを止めた。

 「でも、シンジ君の隣の席が誰かって、正式に聞かされてないのよ?」

 しらじらしくマナは薄笑いを浮かべてみせた。碇シンジに隣の席の、ずっと休んでいる人間が誰なのか訊いてしまうことくらいはあるだろう、と言うのである。なんといっても、自分は転校したてなのだから。

 いくらアスカとシンジの関係がクラス内で公認になっているとはいえ、こうも自分のシンジへのアプローチを危なげに見るクラスメイトたちの物腰がマナには気にはなっていた。ヒカリにはじかに訊いてはみたのだが「だって碇君なのよ?」と曖昧すぎる返事で、マナにはまったく理解できなかった。

 恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるのだが、それは、自分の恋路を邪魔する奴だって同じはずだ。

 いささか乱暴な自分ルールを発動させ、マナは眦を決した。

 『シンジ君が保健室から帰ってきたら、けしかけてやる』

 シンジの行為が、代償行為ですらないことは解っている。誰だっていいわけで、好きになってもらえたからではないのだから意味がないと言われてしまえばそれまでだ。

 むなしいと言えば、むなしい。

 でも、これがきっかけでシンジの気持ちがこちらに傾かないまでも、ひょっとしたら意識しだしてくれるかもしれないとも思うのだ。“マナって、アスカよりいい香りがするんだね”なんてことになるかもしれない。

 マナの妄想はどんどん肥大化しはじめて、表情がだらしなくゆるんでしまっていた。

 

 

 四時限目の社会科の授業をシンジはまるまる欠席することとなり、教室に帰ってきたのは、お昼の休憩時間になってからだった。

 トイレに行く様子のレイと出入り口ですれ違うようになり、まさにマナには絶好のタイミングだった。

 “碇君を守る”レイはいなくなり、マナの策略を知っているトウジやケンスケ、カヲルも教室にはいない。おそらくは購買に行っているのだろう。弁当を持ってこなかったマナもメロンパンを買いに行きたかったが、今はそんなことよりも優先すべきことがある。

 そう、碇シンジを抱きしめてあげるのだ。

 

 シンジは鞄から弁当を取り出すと机に広げた。

 隣のカヲルの席に腰を下ろしたマナは、それから椅子をシンジのほうに寄せて坐りなおした。

 「相変わらずちゃんと自分でお弁当つくってるんだね」

 「あ、うん。夕べの残り物がほとんどだけど、ね」

 シンジとアスカが交代で弁当を作っているという情報も仕入れていた。アスカのことを連想させるには格好の材料である。マナには、シンジの表情がすこしくもったようにみえてやにさがった。

 とうぜん、アスカという単語が頭に浮かぶたびにシンジの疳の虫が発動するわけではない。泣きっぱなしというわけにはいかないという自我もあるから、こみあげてくるものが軽微なうちは我慢しているのである。その忍耐の壁を徐々に崩してゆく、マナはサディスティックな気分にもなっていた。

 「私もひとり暮らしだから、つくるようにしたほうがいいかなぁ。ね、シンジ君と交代でつくるようにしようか」

 いいアイデアが思い浮かんだとばかりに、しらじらしくマナは掌をたたいた。無論、これもアスカを連想させることになる言葉である。

 シンジの箸が止まった。

 「う、ん。でも」

 それに合意しようというのならば、アスカも交えて話をしないといけないし、彼女の合意も必要なのだ。シンジのなかにアスカという単語が間接的に飛び込んでるのではないかという想像がマナの肢体をゾクゾクとうちふるわせた。

 そして、とどめのひとことである。

 「前から気になってたんだけどさ。シンジ君のむこう側の隣の人って誰? ずっと休んでるよね」

 そう言いながら、マナは既に受け入れ体制をととのえつつあった。

 また少し身体を近づけ、心持ち両手を広げかけていた。

 目を閉じる。

 『さあいつでもいらっしゃい。私が慰めてあげるからっ!』

 「あ、アースゥカァ〜!」

 シンジは声を張り上げ、一気に立ちあがった。

 マナの心拍数が一気にはね上がる。期待に胸をふるわす、とはまさにこのことだとマナは思った。

 が、

 シンジは、そのマナのわきをすり抜けるようにして足早に抜けていった。

 数秒おくれで期待していた状態にならなかったことに気付き、マナはシンジの向かった先、後ろを振り返る。

 そこには、信じられない光景があった。

 思わぬ伏兵がいたのである。

 いないはずの、いてはいけないはずの少女が、シンジを抱きとめていたのである。

 マナは愕然とし、身体中から力が抜けてしまっていた。

 

 金髪碧眼、相変わらず日本人ばなれしたスタイルの惣流アスカである。

 

 「シンジったら、男なんだから泣かないの!」

 とアスカはシンジを窘めてはいるが、それでもくすぐったそうだった。

 「今度こそ帰ってこないんじゃないかって、心配だったんだよ〜」

 姉にあまえる弟のようにシンジはアスカに抱きついて離れようとしなかった。

 「ダメよ、シンジったら。みんなが見てる」

 

 ハートマークがぽんぽんと飛んできて、つぎつぎと自分にぶつかってきているようなさまにマナの悋気ゲージがどんどんあがってゆく。予定どおりなら自分がそのポジションにいたはずなのに、なんでこんなタイミングでアスカが帰ってきたのか。なにか見えない力の悪意を感じずにはいられなかった。

 ずかずかと駆けより、シンジを引っ剥がしたくなる衝動にかられ、ギュと拳をつくる。

 アスカはシンジに濃厚な接吻をした。

 その超絶なテクニックにシンジは腰砕け、糸の切れた操り人形のようになって失神してしまったようだ。

 と、アスカは静かにマナを睨みつけた。

 「いないあいだにアタシの男にちょっかいだそうなんて、命知らずもいたもんだわね」

 その地獄の底からわきあがってくるような声に、マナの嫉妬心はいっきに吹き飛ぶ。

 総毛だち、ひきつけをおこしそうになった。

 今ここにきたばかりであろうアスカが、そんな情報をどこで仕入れたのかマナには想像もできなかった。

 しかしアスカが、シンジの体をそっとレイに預けたことで、合点がいった。

 その時のレイの一瞥は、まさに「碇君は私が守るもの」そのものであり、あざ笑っているようにも見えた。その横で渚カヲルも含み笑いをしている。

 

 腕まくりをするような仕草をし、地を打ち鳴らすようにせまってくるアスカの形相を見たマナは、この世の終わりでもこんな気持ちにはならないだろうと思った。

 そして、学校のみんなは自分の邪魔をしていたのではなく、守ろうとしてくれていたのだと知った。

 あとがき

 

 シンジもアスカもちょっとしか出てきませんけど、これもLASですよね?

 


 
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