真・恋姫✝無双 ~美麗縦横、新説演義~ 第二章 彼願蒼奏
第二話 記憶
『―――仲達、くん』
夢を、見ていた。
あの時の様な、見知らぬ夢ではなく、記憶の深淵に葬ったはずの夢を。
消したいと希う記憶の断片を垣間見ていた。
「朱里ちゃん、大丈夫?」
その日、朱里は桃香の執務室を訪れた。
結局あの後、衛士や騒ぎを聞きつけた愛紗や桃香、雛里といった面々が彼女の部屋を訪れたが、ただ泣きじゃくる彼女から何があったのかを聞く事は出来なかったからだ。
「はい…………お騒がせして申し訳ありません」
まだ若干赤い目のまま、ペコリとお辞儀して朱里が謝ると、桃香は「気にしなくていいよ」と言った風に手をパタパタと振った。
「それでね、朱里ちゃん。今なら……聞いても大丈夫?」
そこで話を切り出そうとした桃香は、しかし唐突に響いた声に遮られた。
「―――その前に桃香様。一つ、お聞きしたい事があります」
「ん?何?」
コテンと、可愛らしく小首を傾げる桃香。
暫し躊躇いを見せながら、それでも朱里は意を決して口を開いた。
「――――――先の、襄陽への遠征の折の事です」
「襄陽……って、曹操さんとの?」
「はい。その戦において、魏軍の将官の一人が暗殺されかけたそうです」
暗殺、などという物騒な単語が朱里の口から飛び出した事に、桃香は戸惑いを隠せなかった。
「その下手人は魏軍に即刻捕えられたそうなのですが……」
言い辛そうに淀みを見せる朱里。
しかし桃香は黙って、朱里の次の言葉を待った。
「―――尋問の末、その者は蜀軍が放った刺客であるという情報が出たそうです」
「……え?」
「桃香様、答えて下さい。その刺客は……暗殺をお命じになられたのは、桃香様なのですか?」
「えっ!?ちょ、ちょっと待って朱里ちゃん!それってどういう事!?」
「答えて下さい!!」
懇願する様な眼差しを、朱里は桃香に向ける。
どうか間違いであってほしくて。
そんな事はないと、そう、主の口から言って欲しくて。
「違うのなら……そんな事は知らないというのなら、ハッキリと仰ってください!!」
「ま、待ってよ!」
急かす様に問う朱里を制止しながら、しかし動揺を露わにして桃香は盛大にうろたえた。
「暗殺?刺客?そんな事、私だって初耳だよ!?そんな事があったなんてのも初めて聞いたし……じゃ、じゃあ何?もしかして軍の中の誰かが暴走して―――」
「狂言ではないのですか?」
見計らった様な間で、楓が姿を見せる。
いきなりの登場に朱里も桃香も吃驚しながら、しかし彼女の言葉に耳を傾けた。
「ど、どういう事?楓さん」
「何。簡単な事です」
相変わらず、感情を見せない面のままに楓は言葉を紡ぐ。
「―――魏の帥、曹孟徳が情夫にして『天の御遣い』でもある北郷一刀。彼に向いた刃は、魏の身内によるものだと申しているのです」
「魏の国中にも、曹操のやり方に異を唱える者は少なくない。その者達にとって、曹孟徳は目障りな存在だ。しかし彼女は武にも精通した将である上、その身辺は四六時中精練された兵によって警護される。
―――しかし、その情夫は別だ」
スッと、楓は目を細めた。
「北郷一刀は街の警邏の長を務めているとか。平時こそ常に誰かが傍にいるが、それでも曹操よりは狙いやすい。そして彼は曹操を唆し、既得権益を得ていた自分達よりあっさりと上を行きその権勢を削いだ」
憎みたくなって当然だろう?とでも言いたげに楓は喉の奥を鳴らして哂う。
「そしてあの日、彼らは遂に決行する。北郷一刀の『暗殺』を」
「ま、待って下さい!」
そこまで来て、漸く朱里が口を開いた。
「何か?諸葛亮殿」
「で、では楓さんはあの暗殺未遂は、魏の中の反対勢力によるものだと!そう言いたいんですか!?」
「左様。そして魏は身内の恥を隠すために偽りの刺客をでっち上げ、あたかも我らが暗殺を謀ったかのように見せかけた」
楓の云う事にも納得がいく。
しかし、朱里には信じられなかった。
彼以上の信頼を、楓に寄せる事が出来なかったのだ。
『だったら何で?どうして君の預かり知らない所で!一刀は殺されかけなければならないんだ!?』
『暗殺なんて下策を取る様な君主と、気高くあらんとするあの人を同一視するな!!』
戦の終わった後で、蜀軍が撤退した後で末端の兵士が暴走したとは考えにくい。
だとすれば、仲達の云う『蜀軍の刺客』か、楓の云う『身内の凶刃』に可能性は絞られる。
そして朱里には、彼の言葉が嘘であるとは到底思えなかった。
「―――時に諸葛亮殿。昨晩は誰とお会いになられたのかな?」
唐突に、楓は桃香が聞く筈だったそれを問うた。
だがその口ぶりは、まるで昨日誰と会っていたかを知っているかの様なものだった。
「答えられないか?」
「…………」
口を噤む朱里を見て、楓はやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。
「……誰と会おうと私の関知する所ではないが、誑かされるのも大概にして頂きたい」
「ッ!?どういう、意味ですか……!?」
突然の言葉に、憤りをどうにか隠しながら朱里は口を開く。
すると楓は鼻を鳴らして答えた。
「―――幾ら幼馴染で同門の出とはいえ、他国の間諜に惑わされないで頂きたいと申しているのだ」
「どういう事ですかッ!!」
今度こそ、朱里は怒気を露わにした。
「どう、とは……これは遺憾な」
芝居がかった態度で楓は額に手を当てる。
「敵の間諜に惑わされ、不快な猜疑心を持ち込まないで頂きたいと言っているのだ」
ギロリ、と、楓は朱里を睨みつける。
「御身と彼がどういった仲であるかは無粋故問わぬが、彼は魏の軍師であり御身は蜀の人間であろう?戦時下に、しかもそれなりの緊張状態にある敵対国家どうしの人間が密会するのは、聊か不用心というものではないのか?」
「そんな……ッ!仲達くんは、魏を出奔しています!もう彼は、魏に関係していません!!」
「―――それさえも、覇王の策略だとしたら?」
楓の言葉に、朱里は言葉を詰まらせた。
すかさず楓は口を開く。
「出奔したと偽り浪人を装えば他国への出入りも比較的楽になる。当然、夜闇を盗んで御身に会う為にこの成都に侵入する事もだ。
―――そうして再会した御身を誑かし、この蜀の戦力を削ぐという策をあの覇王が考え付かないとでも?」
「そんな事……!」
「ない、と云い切れるのか?どうしてそんなに彼を信頼する?」
立て続けに楓は問うた。
「幼き頃より共に学んだからか?将来に誓いを立てたからか?
――――――少なからず、逢瀬を重ねたからか?」
嘲笑うかの様な楓を、朱里はキッと睨む。
しかし楓は朱里の視線を一笑にふして続けた。
「幼き頃より想い合いながらそれは戦に引き裂かれ、しかし募る想いを抑えきれず再会する。地位も名声も、全てを捨てて二人は愛を囁き、紡ぎ、そして共に自由となる…………フッ、ククク、ハッ、アッハハハハハ!!幼子の妄想ではあるまいし、その様な下らぬ夢物語に心ときめかす暇など、あろうはずもないというのに!」
堪え切れず大笑した楓は、隠そうともせずその嘲笑を声に出した。
「国家の大事の前に、斯様な私情を持ち込まないで貰おうか」
鋭く射抜く様な眼光で朱里を一睨みしてから、楓は一礼して桃香の執務室を後にする。
次いで朱里もそれに倣う様に礼をして、桃香に背を向けた。
「―――朱里ちゃん」
その背に、桃香は投げかけた。
「私は、朱里ちゃんや楓さんみたいに頭が良い訳じゃないから……何が一番いいのかはよく分からない」
「けれどね」と桃香は続ける。
「自分の気持ちに嘘ついてまで頑張って欲しいとは思わない。朱里ちゃんもそうだし、愛紗ちゃんや鈴々ちゃんや、みんながずーっと笑顔で居られる場所を作りたい」
柔和な、彼女独特の甘い笑みを湛えて桃香は言った。
「それが、私の願いだよ?」
戸の前で足を止めていた朱里は、桃香が言い終わって暫くしてから再び動き出す。
彼女が出ていった後、桃香は「ん~ッ!」と背伸びしてから筆を執る。
「私も頑張ろっと!」
掲げた理想の為、王は政務に執りかかった。
漆黒の闇に包まれた意識の中で、何処とも知れぬ場所に僕は立っていた。
立っている、といっても足が地面に脚立しているとハッキリ認識出来る訳ではない。
無論、どこが地面でどこが天井で、そもそも僕が立っているのか寝ているのか、それとも逆立ちしているのかどうなのか。
それさえも、認識出来ない空間の中で。
景色が変わる。
白くぼんやりと光る円の中にその光景が映る。
覚えのない女性に手を引かれ、大きな門の前に立つ少年。
その女生と歓談する――何を言っているかは聞こえないが――別の女性。
その別の女性の後方、屋敷の一角を形成する建物の壁際から、こちらを窺う少女が一人。
柔らかな緋色の帽子と、同じ色の服に身を包んだ少女が、おずおずといった感じに此方を覗き見ている。
それに気づいた女性が手招きすると、少女はビクリとしながらもトコトコと此方に駆け寄り、そしてそのまま手招きした女性の足にしがみ付いて隠れた。
『―――子が――――ちゃんよ?』
『――ぇ、なかな―――――ね』
大人達の話に大して興味を示さず、少年はただジッと少女を見ている。
金糸の様な髪の合間から覗く、深い赤色の瞳に魅入られる様に―――
景色が変わる。
これは…………街、だろうか?
何処かの書店の様だ。
棚に並べられた書物が、所せましと店の中にも堆く積まれている。
『――――達くん、こ――――か?』
『―――にすれ――?』
先の少年と少女の様だ。
少女は実に楽しそうに、少年は実に煩わしそうに歩を進めている。
だが、だが何故だろう。
鬱陶しそうに顔を歪めているその少年は、しかし何処か嬉しそうにも見えた。
景色が変わる。
先の屋敷の一角の様だ。
『――んま調子に―――――わよ!!』
声が響く。
見れば四、五人の少年少女が、あの少女を取り囲んで何か叫んでいた。
それは罵倒であり、嘲笑であり、侮蔑であり。
負のどす黒く汚らわしい念が目に見える様だった。
『―――――っさい』
囲んでいた少年が一人、蹴飛ばされる。
蹴ったのは―――あの少女と共にいた少年だ。
『―――にすん――!?』
『―――さいって言って――――』
言い争っている様だ。
数の多い方は激昂して、少年はただ淡々と。
『―――親なしの分際で!!』
少女の一人が叫んだその言葉が耳目を打った時。
動かない筈の掌から、血が滴ったのを覚えた。
景色が変わる。
屋敷の敷地ではないと思しき、山中の開けた場所。
周囲を鬱蒼とした木々が覆う中、まるでそこの木々だけが獣に喰われたかの様にその場所は開けていた。
座っているのは、やはりあの少年と少女。
此処まで来て、恐らくはあの二人のどちらかの記憶なのだろうとあたりをつけた。
『――して、反論しな―――んですか?』
『言う――――がなか―――から』
随分と形もハッキリと目に見える様になったその光の中で、二人は話を続ける。
夕闇の中、たった二人だった。
景色が変わる。
月の光以外の全てを夜闇が支配する部屋の中、その声は囁く様に紡がれる。
『―――仲達くん』
『―――朱里』
交わる言葉。
重なる影。
その時、漸く悟った。
嗚呼、これは僕と朱里の記憶なのか、と。
初めて会った時の記憶。
一緒に街に出かけた時の記憶。
彼女を深く知った時の記憶。
幼心に想いを募らせた時の記憶。
そして―――触れ合い、重ねた時の記憶。
全て、過去の僕が重ねた時間であり、罪の証だった。
後に訪れる別れも知らず、知る由もなく。
ただその刹那に全てを捧げ、重ね、交わった。
それが、初めて女性を知った時の事だ。
求めるまま、求められるままに彼女に触れ、重ねた時の。
そして後に知る。
己が浅はかさを。愚かさを。
だがそれを知るには、この時の僕は余りにも幸福に満ち足りていた。
知っているのだ。自分の事だからこそ。
彼女さえいれば、朱里さえいてくれれば、他に何一つ必要ないと思える自分がいた事を。
彼女と触れ合える事で、重なる事で浅ましくも幸せを知ったつもりになっていた自分がいた事を。
孤独の傷を舐め合い、一人の哀しさを別け合い、喜びを分かち合い。
そして、全てが順調に思えた。全てが満ちた様な気になっていた。
この時は。
冷たい雨が降りしきる。
あてどない旅路をただひたすらに歩き、彷徨う様に。
それが果たして夢なのか現なのか。
地を踏みしめる感触はあっても、果たしてそれが自分のものなのかは分からない。
何処までも暗く、冷たく、広大な大地。
魏にいた頃は―――一刀や華琳様といた頃は感じなかった孤独が、僕を支配していた。
幼き頃、朱里といた時は感じず、そして別れた時改めて知ったその感情が、僕の中にあった。
遠雷が轟く。
雨がただただ降る。
「しゅ、り…………」
会いたかった。
ただ途方もなく、彼女の笑顔を見たいと思った。
もう叶わないと知って。
自らの心に漸く気づいて。
そうして漸く―――自らの中の彼女の比重が、果たしてどれだけ自分にとって大きかったのかを悟った。
「しゅり……ッ!」
覚えている。
自らの罪を。
覚えている。
自らの業を。
だが―――だがそれでも、想わずにはいられなかった。
願わずにはいられなかった。
温もりを知ったからではない。
優しさを知ったからではない。
愛しさを知ったからではない。
何故なのか、そんな事は知らない。
ただ―――
「あ…………アァ……!」
ただ、この世界でただ一人共に居たいと。
そう願う相手だったから。
そう思える人だったから。
――――――霞み、消え往く意識の中、僕はただ一つの事を願った。
後記
念のため言っておきますが、楓さんと司馬懿は直接の面識はありませんよ。念のため。
それと孫呉は当面出てきません……孫呉ファンの方申し訳ありません(謝罪)
もう殆ど原作関係なくなってきた気がしないでもないのですが……大丈夫でしょうか?
や、だからといって「駄目です」と言われても今更引き返せたりするわけないのですが。
伏線を回収しつつ新たに伏線を立てるエンドレス……それでも最後には全て回収できると信じて!
次回は『あの子』が登場します。
誰かって?ヒントはずばり『マルチーズ』……いや、『まるちぃず』の方がいいか?
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今回は司馬懿の独白を多量に含みます。
あと割と短めです。