No.153826

真・恋姫†無双 3話 成都大宴会

 この話は
 恋姫ベースに演義+正史+北方+横山+妄想+俺設定÷6
 で出来上がった奇怪なものです。
 2話荊州の憂鬱の続編です。
 桃香と一刀はキャラ崩壊するほどにステータスが上昇しています。

続きを表示

2010-06-27 22:01:48 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:2789   閲覧ユーザー数:2509

 

 肝要なのは、諜略戦だと桃香は考えていた。

 今の国力では魏はもとより呉とも戦えない。

 しかし魏も呉も戦闘面、内政面ともに堅牢ではあるが、当然隙も存在している。

 荀彧と、孫策である。

 漢王朝再興を望んでいた荀彧は、是非麾下に加えたい人物であったが、自分の望みの為に今の主を離れるわけにはいかないと公然とした態度をとって、民政を行っている。例え主と不仲になってもこういったことを言えるのは、とてつもなく強固な精神面を持っていると言わざるをえない。

 それなら、残念だが死んで貰うしかない。元々曹操と強い絆で結ばれている人物である。仲がまた良好になったらかなり面倒だ。荀彧は政治家としても軍略家としても、超一流である。

 次に、孫策だ。呉の実権を握っているのは孫権である。孫策は矢傷からの発病により、引退を宣言していた。しかし、また健康になれば、どうだろうか。再び王座に座ろうとしまいか。孫策にその意志がないとしても、取り巻きの者たちはそれを熱心に進めて呉国は二分され、大混乱にならないか。そうすれば、張昭や魯粛などは恐らく孫権につく。周瑜は孫策側につくだろう。呉国の明暗を握っているのは孫権側である。しかし武力に置いては孫策側が圧倒的に優れている。こうして国力が衰えた頃に攻めれば、少なくとも五分五分の戦は出来る。そして、五分五分なら勝てる。そう思っていた。

 

「あとは、同盟続行派の説得だね」

 

 桃香は難しそうな表情で呟いた。薄暗い部屋の内、目の前の台座には首が二つ、さらされていた。

 処断されたばかりの顔越と韓禎の首である。どちらも老人といっても構わないくらい老いていた。

 深く刻み込まれた皺やたるんだ頬の肉。

 老いれば老いるほど、人は自分の安全を求めたくなる。

 どうして、もっとすっきり死ねないのか。

 

「顔越さん、韓禎さん。どうして私を見捨てたの? 悲しいよ」

 

 やはり、心が痛い。裏切られた、と思うと胸が苦しくて、やるせなくなる。

 すると、顔越の目が開いた。

 

「申し訳ございませぬ、主君を裏切るなど言語道断でありました。のう、韓禎」

 

 韓禎も目をぎょろりと動かした。

 

「うむ。今思い出すと、悔いるのう。なぜ、私心に走ってしまったのか」

「本当に、そうだのう。一族にも、迷惑をかけた」

「大丈夫、家族に危害を加たりはしないよ。それより、私も急いじゃったかも。ごめんなさい。もうちょっと様子を見れば、また私に力を貸してもらえたかも知れないのに」

 

 顔越は笑った。

 

「何をおっしゃる。我らのような裏切り者など、切られて当然。心を痛める必要などございませぬ」

「そうですとも。これからも、裏切り者はどんどん処断されるべきです。決して許してはいけません」

「そう、そうだよね」

 

 桃香は涙をぬぐった。

 韓禎は声を低くして言った。

 

「それよりも、まだ我らのような不徳者はいますぞ。皆殺しにするべきです」

「そうでござる。それに、逆賊曹操と和を結ぶなど、自ら逆賊と主張するようなものですぞ。陛下は漢室の血筋。曹操は是非もなく討ち果たすべきです。早く臣の目を覚まさなければ」

「そうだよね。でも、中々いい方法が思いつかなくて」

 

 顔越と韓禎は目を見合せた。

 

「どうじゃ、何か良い方法はあるか、韓禎」

「うむむ、お前こそ何かないか、顔越」

「残念じゃが、首のままでは動けぬしのう」

「陛下、恐れながら、我らの身体は何処にありまするか?」

「塚にあるよ。これから埋めるところ。あ、そうだ。陳堅さんと董伊さんもそこに埋められるよ。顔越さんたちと仲良かったし」

 

 桃香はため息を吐いてうつむいた。

 

「陳堅さんと董伊さんはどうだった? やっぱり、私を見捨ててたのかな」

「うむ、心苦しいことですが、そのとおりですぞ。我らの言に簡単に乗ってきました。殺して大正解です。のう、韓禎」

「そのとおり。あのような輩、蜀の害にしかなりませぬ」

「そっか、そうだよね」

 

 不意に、戸を叩く音が聞こえてきた。

 桃香は「入っていいよ」と呟いた。

 中に入ってきた兵は屹立して言った。

 

「陛下、関将軍がお見えになられました。どうぞ、玉座に」

「うん、今行くよ」

 

 桃香は錦を羽織ろうと立ち上がると、兵は訝しげな顔をした。

 

「お一人でございますか? 話し声が聞こえていたのですが」

 

 桃香は目を閉じ、深く息を吸って吐いた。

 ゆっくりと、目を開ける。

 目の前の台座には鞠が二つ、並べられていた。人の頭と、同じくらいの大きさである。

 桃香はそれを眺めて、薄く笑った。

 顔越の首も韓禎の首も、城下に晒されている。今頃は、腐りかけているだろう。

 ここにあるはずがない。そもそも、首が動くはずはないし、話すはずもない。

 それならば、今自分が話をしていた相手は、一体誰なのだろう。

 

「陛下」

「うん、急いで行くから」

 

 桃香は錦を羽織った。そして、雌雄一対の剣を佩く。

 ふと見ると、台座の上で顔越と韓禎の首が、ケタケタと笑っていた。

 桃香は黙って大剣を抜くと、両方の首を切り潰した。

 木片と綿、糸がバラバラになって床に散乱した。

 

「これ、片付けておいて」

 

 桃香が言うと、兵は短く返事をした。

 愛紗と会うのは久し振りである。

 桃香は溢れる笑顔を押えきれずに、足取り軽く大広間へ向かった。

 

 

 

 緊張、という言葉を久しぶりに思い出す。

 愛紗は謁見の準備が整うまで一室にて待つように指示されていた。

 緊張する必要はない。そう思っているのだが、身体はがちがちに固まってしまっている。

 

「緊張しているのか? 愛紗らしくもない」

「一刀殿とは違い、私も人の子です」

 

 一刀は苦笑して、言った。

 

「俺は三公の一人として並んでなきゃいけないから、先に行くよ」

 

 一刀が呼ばれたと言うことは、もう準備はほとんど整ったのだろう。一刀が出て行った後、少しすると兵が一人入ってきて、片膝を付いた。

 

「将軍、支度が整いましてございます」

「おう」

 

 愛紗は立ち上がって、官僚衣を正した。

 広間へ歩いていくと何人もの文官が出迎えてくれた。立ち並ぶ兵士たち。その一番向こうに、桃香がいた。

 玉座に座りもせずに、直立不動のまま雌雄一対の剣をつい立てて待っている。

 厳しい表情をしているが、やはり無理やりなところはある。似合ってはいない。

 少しおかしくなり緊張も消え失せ、愛紗は桃香の前に急いだ。

 

「久し振りだな、関羽」

 

 声色から、桃香にも主君としての威厳が芽生え始めたようだと愛紗は少し安心した。

 

「お久しぶりです、陛下」

「この度の沙汰は、不満か?」

 

 愛紗は頭を下げたまま、朱里に言われたことを思い出していた。

 多分桃香はこうこう言ってくるだろうから、こうこう言い返せと教わってきていたのである。

 

「は、不満かといわれれば、不満であります」

「そうか。だが仕方あるまい。聞けば、お前は勝手に荊州城を離れ先頭に立って戦をした挙句、部下のためとはいえ自殺行為に等しい行動をとったそうだな。お前が死ねば、より多くの兵たちが討ち果たされよう。荊州の安否もわからぬ。これはお前の慢心ではないか」

「陛下は出藍の誉れという言葉をご存知でしょうか」

 

 桃香が黙っているので、愛紗は続けた。

 

「荀子は著書にて『学は以て止むべからず。青はこれを藍より取りて藍より青し。氷これは水これをなして水より寒し』と述べています。略して言えば、学問を始めたら途中で投げ出してはいけない、ということです」

「学問の話はしておらぬが」

「いえ、これも学問にございます。私は戦に立つとならば、常に先頭をきって率いていました。戦の法も学問と心得ております。私はこの方法を生涯貫きたいと思っております。中途半端でやめては、折角育っている部下も私に呆れ、精進を忘れてしまうことでしょう。また、私の麾下は優秀でございます。仮に私が死にましても、他の将がまとめてくれたでしょう。一つを貫き通してこそ、若い才能が育ち、この藍より青い者が現れます。これ以外では私以上に青い者は現れないでしょう」

「つまり、自身の命を守るよりも麾下の才能を伸ばそうとしたわけか」

「はっ、すべては蜀漢のためであります」

 

 桃香は顔をあげた。

 

「皆の者、聞いたか。己の命を顧みず、国を思う心。これが真の忠だ。私はよい妹に恵まれて幸せ者だ」

 

 桃香は従者を一人呼び寄せた。

 盆に乗っていた印と綺羅びやかな紙を一枚、まとめて愛紗に預けた。

 

「ここに、大都督の印を再び預けよう。今まで通り荊州を治めてくれ。太守の印は孔明からもらうように。異存がある者はあるか」

 

 誰も手をあげるものはいなかった。それどころか、皆ほっとしたような嬉しそうな顔をしている。

 

「よし、今日明日は予定通り大宴会を行う。皆の者、此度は無礼講だ。心ゆくまで楽しんでくれ」

 

 わぁっと声が上がった。

 愛紗は片目を開けて周りを見渡しながら、まだ帝がいる以上これは無礼ではないかと思った。

 

「愛紗ちゃん、立派だったね。カッコよかったよ」

 

 桃香は顔を近づけてきて、そう呟いた。

 愛紗は苦笑した。

 

「桃香様こそ、板についてこられたようだ」

「あっ、ひどーい。ちょっと馬鹿にしてたでしょ」

「正直、似合ってはおりません」

「もー」

 

 頬を膨らませる桃香を見て、愛紗は微笑んだ。

 やっと、帰ってきた気がする。そう思った。

 

 

 

 宴会の席である。しかも一城まるまる明け透けになる、大宴会である。外に出れば兵たちのダミ声の歌やヘタクソな踊りを楽しむことができるし、城の内に入れば琴や踊り子の舞を楽しむことが出来る。

 このときばかりはと警護の兵は少なく、しかも酒を飲んだり食べ物を食べたりしてもよいという適当さ加減にしてある。

 愛紗はこの警備体制にかなりの不安を覚えているが、桃香は「平気、平気。三国同盟してるんだから、刺客を放つ人なんていないよ」と何処か皮肉を込めたように笑うだけでそれ以上は何も言わない。

 

「見よ、百歩弓的」

 

 愛紗は大振の杯にたっぷりと注いだ酒を飲みながら、桃香の様子を観察していた。

 桃香は昔と全く変わらない笑顔で、弓を射ている。

 周りの兵たちはやんやとそれを囃し立て、桃香も酔っているのかノリノリである。

 桃香の引いた矢が風を切って飛び、五十メートル向こうの的を射抜いた。

 周りの兵たちが喝采を浴びせる。

 

「一刀殿は、どう思いますか?」

 

 愛紗の隣で短戟を研いでいた一刀が桃香に目を向けた。

 

「見てるだけじゃ、わかんないな。やっぱり話し合わないと通じないものがあると思うよ」

「一刀殿は桃香様とお話をされたそうではないですか。私はあの人の妹でありながら、あの人の心の底を知ることが出来ないのです」

 

 一刀は短戟の刃をよく観察して、皮を巻いて懐に戻した。

 

「俺も話はしたけど、はぐらかされた。これは愛紗じゃなきゃ話せない事なのかも知れない」

「そうですか」

「この調子じゃ、話すのも明日かな。それより今日は見回りしなきゃ。刺客が出たなら密に対処しないと、桃香に都合のいい口実を与えることになる」

 

 愛紗も隣に立ててある偃月刀を一瞥した。

 

「私の麾下百はすぐにでも動かせます。酒も呑ませておりません」

「そっか。今、俺の麾下五十が見回りをしてるから、それに混じって頼む」

「分かりました」

 

 愛紗は兵を一人呼び、指示を出した。

 一刀はじっと桃香の周辺を見つめている。その視線に気がついたのか、桃香は弓を兵に渡すとこちらに走ってきた。

 

「二人とも、楽しんでるー?」

「あぁ、楽しんでいるよ」

 

 空を見れば水平線の向こうが赤に染まっている。もう夕方である。

 しかし宴は夜通しで明後日までは行われる。夜が一番危ないのだが。

 

「愛紗ちゃん。久しぶりに、お稽古つけてくれないかな」

「しかし、酔われておられませんか?」

「大丈夫だよ。今日は呑んでないんだ」

 

 少し意外だった。愛紗は苦笑して立ち上がった。

 

「そうですか。どれ程上達したか、楽しみです」

 

 ほとんど無意識に、愛紗は偃月刀を持った。

 

「あー! 愛紗ちゃん、真剣の携帯は禁止だよって言ったのに」

 

 宴会の前に、真剣を持つのは禁止と定められていた。

 

「偃月刀は没収だよ。持ってって。他には何か持ってない?」

「短剣があります」

「それも没収」

 

 愛紗は偃月刀の他にも、懐に短剣を忍ばせていた。もしもの時のためである。

 近くにいた兵に偃月刀と短剣を渡し、代わりに木刀を貰った。

 桃香は「頑張るぞー」とはしゃぎながら同じく木刀を振り回した。

 

「一刀は何か持ってない? 危ないものとか」

「俺? 俺は何も持ってないよ」

 

 一刀は近くにあった酒を杯に注いで、少し啜った。

 愛紗は一刀の機転に関心しつつ、木刀を構えた。やはり真剣を携帯していないと不安である。

 

「さぁ、どこからでもどうぞ」

「よーし」

 

 桃香は斜に身体を構えて木刀を右手に持った。左手には小太刀を模した小さな木刀が握られている。

 愛紗は両手で中段に構える。

 こうして稽古をつけるのも久し振りである。桃香の瞳が鋭くなり、気が充実していくのが手にとるようにわかった。

 愛紗も場に集中して木刀を握り直した。

 刹那に、木刀が風を切った。

 桃香が深く踏み込んで右手の木刀を振るったのだ。片腕の分だけ間合いが伸びる。

 愛紗はそれをぎりぎりまで引きつけてかわし、二歩分距離をとった。

 

「鋭い一撃です。鍛錬を怠らなかったようですね」

 

 愛紗の身につけていた官僚衣の胸部が切れ込んだ。かすらせようとは考えていなかった。

 避けようと上体を逸らさなければ、恐らくは喉仏を抉り飛ばす一撃だったはずだ。

 

「愛紗ちゃん、うかうかしてたら死んじゃうよ」

「お気遣いはいりませんよ」

 

 人を殺せる剣を向けてくれるのは、自分を信頼してくれている証だと愛紗は思った。

 桃香は小木刀を前に、木刀を肩に背負って構えた。

 癖のある構えである。桃香の得意な獲物は雌雄一対の剣であり、二刀を構える特殊な流派である。

 その剣技は誰から教わったのか分からないが、他の槍や戟など一般的な武器は愛紗と鈴々で仕込んだ。元々実践的なものではないのだ。馬に乗れば間合いの長いものを使う。両手が塞がっては馬の手綱を握れない。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

 桃香は薄く笑うと、一気に切り込んできた。

 愛紗は木刀を前に間合いを一歩詰める。

 桃香の肩にあった木刀が唸り、愛紗の木刀と打ち合った。木が軋む。桃香は全身を突っ込ませるように体重をかけてきた。鍔迫り合いになる。

 しかし愛紗と桃香は自力が違うし、そもそも片腕と両腕では話にならない。

 愛紗は弾き返そうと前足に体重をかけようとし――冷たいものが背筋を駆け上がったのを感じた。

 咄嗟に身をかがませる。愛紗の首があった位置を小木刀が風を切って走り抜けた。

 息をする暇はない。それとほとんど同時に木刀の先端が左下から跳ね上がって迫るのを視界の隅に捕え、愛紗は反射的に目の前にあった桃香の足を蹴るようにして払った。軸足が中に放り出された桃香はバランスを崩した。

 耳のすぐ傍で、風が渦を巻いた。

 

「ちょ、ちょっと愛紗ちゃん。足技はいいの?」

 

 桃香は地面を二転三転して距離を取って、慌てたように言った。

 片膝立ちになっている愛紗の目の前で、何本か斬れた髪の毛が舞っていた。

 

「実践稽古です。五体を上手く使うように」

「そんなぁ」

 

 桃香が不満そうな顔をした。愛紗も足技を使うとまでは考えていなかったから、少し驚いていた。

 果たして、桃香はここまで強かったろうか。そういえば、愛紗と稽古をしたのは槍や戟の使い方ばかりだった。二刀を構えた桃香とはこれが初めての稽古だ。

 愛紗は立ち上がって、また中段に構えた。桃香は木刀を前に下ろし、小木刀の切っ先をこちらに向けるように構えた。

 

「どうやら私も、酔が回ってきたようです」

「そう? じゃあ今がチャンスだね」

 

 桃香の軸足に力がこもった瞬間、愛紗は木刀を振り抜いた。

 木が砕ける渇いた音が鳴り、木刀が空を舞った。桃香のものだった。

 木刀は折れていた。折れた中程から先の部分が、下から振り上げられた勢いで空高くに舞い上がっていた。

 時間にすれば、コンマ一秒の間だろう。愛紗は桃香の目を見た。桃香もまた、愛紗を見ていた。

 鋭く収縮した瞳に込められた明確な殺意。美しい、と愛紗は思った。昔曹操が言っていた龍はいる、という言葉を思い出した。

 これが、龍の目なのだ。

 桃香は木刀が折れたことには全く動じていなかった。続く小木刀に、魂を預けているようだった。

 愛紗は返す刀で、今度はそれを狙った。

 風が悲鳴を上げ、木が打ち合うカンッという小気味の良い音が鳴った。

 小木刀が、地面に叩きつけられて跳ねた。桃香が手を伸ばす。

 愛紗は小木刀を足で踏みつけ、桃香の首筋に切っ先を留めた。

 少しの静寂。

 空を舞っていた木刀が、地面に打ち付けられた。その音で、滞っていた空気が再び流れ出した気がした。

 桃香は愛紗に踏みつけられた小木刀に手を伸ばす形で、片膝をついていた。

 愛紗が木刀を首から離すと、桃香はため息をついて残った柄を落として、地面に座り込んだ。

 

「少しは手加減してよー、愛紗ちゃん」

「すみません。こちらも必死だったので」

 

 痺れるのか、桃香は左手をさすった。

 愛紗もひびが走っている自分の木刀を地面に置いて、座った。

 離れていた一刀が近づいてきた。

 

「二人とも凄いな。特に愛紗は、最後の一撃。返す刀が間に合うとは思わなかったよ」

 

 一刀は「どんな速度で振られてるんだ」と頬をかきながら苦笑した。

 愛紗も笑った。

 

「最後のは、武官最高位としての意地がでました」

「私だって、皇帝の意地を出してたよー」

「皇帝の仕事は戦うことではありません。そろそろ城に引き上げましょうか」

 

 夜の色が濃くなっている。赤に染まっていた空に、黒が混じり始めていた。

 

「えー? 今日は外で呑みたい」

「奥方も屋敷でお待ちですよ」

「んー」

 

 桃香はしぶしぶ頷いた。

 城に入れるなら、多少は気の利いた刺客対策も取れるだろう。

 桃香が面倒そうに立ち上がると愛紗も立ち上がった。

 それを見て、一刀が先になって歩き出した。

 

 

 

 桃香には奥方がいる。呉国の皇帝孫権の妹で、武勇に長けたじゃじゃ馬娘。人呼んで弓姫孫尚香、真名を小蓮という。この婚約は賛成も反対も有力な意見が多かったが、朱里が呉国との同盟強化にいいだろうということで魯粛の手配の下に決まった。一刀は反対派だった。同盟なんて当てにはできないものを強化しても仕様がないと主張したが、実際のところは――これは誰に言っても甘ったれだと言われかねないので黙っていたが、小蓮自身の幸せを考えてのことだった。

 一刀は当時小蓮のことをよく知っているわけではなかったが、少し考えて腹が熱くなるような気分になったのである。国家の策謀に巻き込まれて好きでもない輩と結婚させられて、しかも自分を嫌っている者の多い国へ引き渡されるのである。見方を変えれば人質と変わらない。

 数多くある策の一つのために、肩身が狭い思いをする居心地の悪いところに放り込まれて一生を台なしにさせられ、しかも必要がなくなれば殺される立場である。考えただけで目眩がする。

 一刀は自分のこの性格を好きではなかった。優しい、とは自分では思わない。ただの偽善だ。自分の指揮で何千人の人間を殺しているのである。そんな甘いことを考えて良い立場ではないし、その資格もない。

 しかしそれも杞憂に済んだようだった。桃香は小蓮に冷遇する輩をよく道理を言い聞かせて諌め、自身の信用できる下女をつけた。小蓮も初めは桃香を嫌いだったようで冷たく接していたが、何時の頃からか真名で呼び合うくらい仲良くなっていた。今ではすっかり慎ましやかな夫婦である。

 

「そう言えば雛里はどうしたんだ? 式の時も見なかったけど」

「雛里ちゃんは二日前に梓潼に行ってもらったよ。袁紹さんのところ」

 

 一刀は息の詰まる思いがした。愛紗も表情に不安の色を覗かせている。当てにしていた雛里が、成都にいない。

 薄暗い廊下を踏みしめながら、首筋に汗が伝うのを感じた。

 桃香は相変わらず無邪気な笑顔だ。

 一刀は苦笑した。

 

「それにしても、梓潼を麗羽たちに任せるとは思わなかったよ。少し不安だな」

「そ、そうですね。少なくともお目付け役に翠か蒲公英を派遣する必要があったと思いますが」

「えー? 私は袁紹さんを買ってるのに」

「はぁ、どうして?」

 

 一刀は浪費癖もある上にあまり戦上手でない麗羽を太守に選んだのはよくないと思っていた。

 桃香はきっぱりと言った。

 

「袁紹さんは守戦は凄く得意なんだよ。諜略も上手いし、治め方も悪くないし。もし官渡の戦いの後病気にならなかったら曹操さんに逆転勝ちした可能性もあるよ」

「言いすぎだろ、それは」

 

 愛紗も一刀の隣で苦笑いしていた。

 曹操が麗羽に負ける姿など想像できない。

 

「そんなことないよー。曹操さんは小をもって大を破る戦いは得意だけど、大をもって小を制する戦は苦手だからわからないよ」

「もう済んだことだろ? それよりほら」

 

 廊下の向こうから、小さな足音が響いてくる。

 やがて特徴的なツインテールが見えた。

 

「もー! やっと見つけたわよー!」

 

 高い声が耳に響く。小蓮はたっと走りだして桃香に体当たりするように抱きついた。

 

「ごめんごめん、兵隊さんたちと飲み交わすのもいいと思って、遅くなっちゃった」

「嘘つき。愛紗と一騎打ちしてたじゃん。しかもカッコ悪く負けてたし」

「あれ? 見てたの」

「城壁の上からね」

 

 桃香は頭をかいて苦笑した。

 

「今日は一刀と愛紗も帰ってくるから一緒に遊ぶって決めてたのにー!」

「まぁまぁ、夜は長いし。ほら、一刀と愛紗ちゃんにご挨拶しなきゃ」

「子供じゃないー!」

 

 相変わらず仲はいいようだ。

 

「久しいですね、皇后様」

「小蓮でいいって言ってるでしょ、皇帝の妹」

 

 嫌味ゼロの皮肉の言い合い。愛紗も初めは小蓮のことが嫌いで、しかも小蓮も愛紗のことが嫌いだった。

 桃香と打ち解けたあたりから急に仲が良くなったのを覚えている。

 一刀は小蓮をひょいと持ち上げて笑った。

 

「小蓮は本当に小さいな」

「うるさーい! 早く下ろしなさいよ!」

「小さいのも可愛くていいと思いますが?」

「シャオも好きで小さいんじゃないー!」

 

 バタバタと暴れる小蓮を下ろす。

 桃香はにこっと笑って言った。

 

「私も小さいのは可愛いと思うな」

 

 刹那に小蓮がほんの少しだけ目を見開いたのを一刀は見逃さなかった。

 

「だっ! 誰が小さいっていうのよー!」

 

 小蓮が激昂してまくし立てる。一刀が見ている限り、現在小蓮は桃香に首ったけのようだ。時々桃香の好きな食べ物や趣味などを相談されることもある。

 対して桃香はまだ冗談めかした接しかたである。

 

「ほらほら、広間に行こうよ。早くしないと良い子はおねんねの時間になっちゃうよ」

「だから子供扱いするなー!」

 

 桃香が小蓮を連れて歩き出した。

 一刀と愛紗もそれに続く。

 

「一刀殿」

 

 愛紗が小声で話しかけてきた。

 何のことかはすぐに分かった。

 

「あぁ、よくこんな所まで潜り込めるな」

「狙われているのはやはり桃香様でしょうか」

「だろうな。愛紗は先に行ってくれ。俺が片付けるよ」

「しかし」

「愛紗じゃ強すぎて早めに逃げられる可能性があるし。俺ならいい餌になるよ」

 

 一刀はちらりと後ろを見た。気配はない。しかし誰かが付けてきているのは確かだ。一刀だけでは気のせいと思ったかも知れないが、愛紗もそれを感じ取っていた。相手はかなりの手練である。

 

「桃香、俺ちょっと厠に行ってくるから先に行ってて」

 

 一刀がそう呼びかけると桃香は振り返って一刀を見た。

 

「そう? 厠はあっちだよ」

「え? あ、そうなんだけど、ちょっと」

 

 桃香は慌てている一刀の胸を指先でなぞった。

 そして肩をすくめた。

 

「さっきの広場に忘れ物、だよね? いいよ。気をつけて取ってきてね」

 

 桃香は薄く笑った。笑っているのは口だけで、目は笑っていない。それでも、ひどく澄んだ目をしている。

 

「殺しちゃだめだよ?」

 

 耳元で呟かれた言葉に、一刀は息を飲んだ。

 

「ちょっと、早く行くわよ。一刀も急いで来てよね」

 

 小蓮に袖を引っ張られて、桃香はまた無邪気に微笑んだ。

 

「ちょっと、そんなに引っ張ったら伸びちゃうよ」

 

 桃香と小蓮が向こうに走っていく。

 一刀と愛紗は立ちすくんで、それを見送った。

 

「一刀殿、ここはやはり私が」

「そういうわけにはいかないよ。桃香の周りを監視してくれ。こんな奴らがまだ何人もいるとなると恐い」

 

 愛紗は少し迷ったようだが、最後に小さく頷くと広間の方に走っていった。

 一刀は愛紗が視界から消えてから、桃香に触れられたところを撫でた。

 布一枚を隔てて、短戟の冷たく重い感触が指先から伝わってきた。

 桃香は何時から気がついていたのか。はじめからか。

 

「馬鹿かよ、俺は」

 

 一刀は頭をくしゃくしゃとかいて、一人で廊下を引き返した。向かうのは人気のない城下の庭端。ついてきていた何かが、完全に存在をくらましていた。

 相手は手練。麾下は全て城内の見回りに出しているため、自分ひとりしかいない。

 勝てるだろうか。負けたら、死ぬのだ。

 一刀は無意識に懐の短戟を指先でなぞった。恐怖はある。

 しかし恐怖に負ければ、死ぬ。一刀は息を落ち着けて、薄暗闇の中を進んでいった。

 

 


 
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