No.152880

Struggler of Other World to World 2話

mapsさん

メサイア戦役から二年後。ザフトで日々テロの鎮圧など戦いに明け暮れるシン・アスカ。ある時、彼は異世界に迷い込む――魔法と言う異常識が闊歩する異世界へと。

少年漫画風味のクロスSSです。血みどろと鬱パートが存在しますが基本的にはハッピーエンドです。

2010-06-24 09:32:13 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:2036   閲覧ユーザー数:1977

 シン・アスカの調査結果を見て、ギンガ・ナカジマは自身の机の前で陰鬱な表情をしていた。

 身体検査、事情聴取。

 そしてモビルスーツの残骸から回収できたブラックボックス内の記録。

 その3つの結果はシロ。彼とジェイル・スカリエッティの間に繋がりはない。

 ここまではいい。だが、問題はシンの証言の内容だった。

 コーディネイターとナチュラル。持つ者と持たざる者。その間で起きた戦争。

 何か些細なきっかけで起きた戦争。愛すべき隣人は互いに銃を持ち殺しあった。

 これが時空管理局の管理世界であるならそれほど問題にはならなかったかもしれない。

 現在、時空管理局の管理する世界では質量兵器の使用は全面的に禁止されている。

 それゆえこのような泥沼の全面戦争―――殲滅戦になることはあり得ない。

 だが、如何せんシン・アスカのいた世界は違った。

 そこは質量兵器が発展した世界。モビルスーツと言う機動兵器が闊歩する世界。

 その中でデスティニーと言う専用機を与えられるまでに強くなった少年。

 少年は与えられた任務に対して忠実に従い何万人もの人間を殺してきた――――そう、“殺している”のだ。

 非殺傷設定というものが存在する時空管理局において殺人とはタブーの一つである。

 そのような人間を野放しにしていいものか。恐らくそういった問題が発生する可能性が高い。

 

「・・・でも、そういうことする人には見えないのよね。」

 

 ぼそりと呟き、彼の顔を思い出す。

 時々こちらを射抜くように鋭くなるものの平時は柔和な感情を浮かべる赤い瞳とどこか子供っぽさを残した顔つき。聞いた限りでは自分よりも一つ年上のはずだが、時折自分よりもよほど子供っぽい仕草をしているように思う。

 卑屈ではあるが、非道ではない。それがギンガの見た、シン・アスカだった。父であるゲンヤも同じくそう思っていることだろう。

 だが、彼は実際に何人も殺している。彼の話を信じればそれこそ、何千人―--もしかしたら何万人もの人間を。

 レコーダーから聞こえてきた彼の叫び声は鬼を連想させるように狂気を纏っていた――けれど、彼は恐らく任務に忠実だっただけだ。軍人である以上、上官の命令は絶対である。

 だから、彼はその戦争において殺し続けた。そして、戦争は彼の所属する側の敗北で終わり、幕を閉じる。

 その後、彼は敵に乗っ取られた軍―――ザフトに復帰し、数え切れないほどの任務をこなし、そして、撃墜される。

 テロリストの鎮圧。航路の治安維持。

 その幾たびの戦いは彼の乗っていた機体、ザクウォーリアに残されていた戦闘記録に残されていた。

 それ以前に彼に与えられた専用機デスティニーの分も。彼の機体に備え付けられていたOSはデスティニーのモノを移植して作ったモノらしい。通常のOSでは彼の動きに追いつかないためのやむを得ぬ措置だったとか。

 結果、そのおかげで自分たちは彼の証言が正確だったことを知ることが出来たのだが――結果としてそのせいで彼の処遇に悩むことになってしまった。

 一度、彼が軍に入ろうと決めた理由について聞いたところ、

 

「身寄りも無い戦災孤児が生きる為にはそれが一番都合が良かっただけです。」

 

 ということらしい。だが、それだけで、僅か13歳の少年が組織のトップになるほどに努力することが出来るのだろうか。

 復帰した理由を聞くと、彼はその瞬間、それまでのような愛想笑いを消し去って―――ぞっとするような冷たい赤い瞳で覗き込まれた。

 何も感情を写さない虚ろな赤い瞳。何があって彼はあれほどに冷たい瞳を手に入れたのか。

 

「・・・・・シン・アスカ、か。」

 

 ギンガは小さく呟くと、再び報告書の作成に没頭する。没頭しつつ彼女は思った。

 ――――彼はこの後どうするつもりなのか。

 その問いに答える言葉をシン・アスカは持っていなかった。今は、まだ。

 

2.烈火

 

 その日、八神はやては自分の机の前でいつもなら気にもしないことを気に病んでいた。

 赤い瞳の男。シン・アスカ。陸士108部隊にて保護され、現在も108部隊にて留まっている次元漂流者である。とりあえずと言うことで陸士108部隊にて受け入れられている。

 気に病んでいるのは彼のことだった。別段、一目ぼれとか好みだったと言うような浮ついた話ではない。何が気になったのか、自分自身でも分からないが、何かが気になった。どこかで会ったことがあるのだろうか。そうも思った。

 けれど、はやてには彼との面識などあるはずもない。

 報告書ははやても、読んだが彼と自分の間に接点となるものは一つも存在しなかった。それも当然。彼は異邦人である。

 ならば、胸に在る違和感は何なのだろうか。例えるなら、再会した相手が自分の思い出とはまるで別の人間だった時の、落胆と懐かしさと嬉しさが同居し混ざりきって混沌とした気持ちだった。

 

(まあ、ええか。また今度や。)

 

 はやては頭を切り替えて、机の前の書類を片付けていく。

 どの道、彼女が今従事している―――そしてこれから行う任務においてゲンヤ・ナカジマ三等陸佐の協力は必要不可欠であり、陸士108部隊にも頻繁に顔を出すことになる。つまり、シン・アスカと話をする機会など幾らでもある。

 ならばその時に確認すればいいだけのことだ。そうして再びはやては書類整理に没頭し始めた。それは翌日陸士108部隊に提出しなければならない書類。つまり明日にでも会えるのだから。

 この時、八神はやては知らなかった。いや、ミッドチルダに住む誰もが知らなかった。

 翌日はそんな暢気なことを言っていられる状態には決してならないと言うことを。

 

 仏頂面でシンはギンガと共にあるいていた。空は青く、風は気持ちいい。本来なら喜ぶべきところだ。そんなシンにギンガは苦笑しながら呟いた。

 

「浮かない顔ですね。外出は楽しくないですか?」

「いや、楽しくないと言うか・・・・」

 

 ギンガに睨まれて、シンは両手の荷物に目をやる。右手は生鮮食品やらお菓子やらの食品。左手は服とかタオルとかの洋服関連。

 

「重いんですが。」

「我慢してください。」

 

 ギンガは一言告げると直ぐに歩き出す。

 その後ろ姿を見ながらシンは呟いた。

 

「・・・・何で俺ここにいるんだ?」

 

 シンはこの世界に来て始めての外出をしていた。

 

 

 朝、寝ているとゲンヤから呼び出しを受け、言い渡されたのが「外出命令」。

 ギンガが買い出しに行くと言うのでその手伝いをしろと言うことだった。

 

「・・・何で俺が行くんですか?」

「今日非番の人間はギンガだけでな。暇してる奴って言ったらお前くらいしかいないんだよ。一日、ベッドで寝てるよりは健康的だと思うぞ?」

「・・・・好きで暇してる訳じゃないんですが」

「だったら、グダグダ言わずに行ってこい。今のお前さんは誰がどう見ても暇してるさ。」

 

 そう言われると立つ瀬が無かった。ため息を吐き、シンは答えた。

 

「・・・・分かりました。」

 

 結局シンはそのまま流されて、ギンガと共にここに来る羽目になっていた。

 

「・・・・はあ」

 

 シンの前を歩くギンガは見た感じ笑顔で歩いていた。たまの休日を謳歌していると言う感じだ。だが、当のシン・アスカは冗談じゃないと言う感じで歩いている。ありていに言ってかなり帰りたそうだ。 ぱっと見たら分かるくらいに。何せため息をついている。

 ギンガがそんなシンの様子を見て、ようやく立ち上がる。

 

「それじゃそろそろ行きましょうか、アスカさん。」

「・・・・やっと終わりですか。」

 

 先ほどから数えて三件目。両手の荷物は順調に増えている。幾らなんでも一つくらい持ってくれてもいいんじゃないのかとも思ったりしたが、止めておいた。流石にそれはなんとも情けないにも程がある。

 だが、疲れは蓄積する。ザフトのトップエースと言えどそれは例外ではない。買い込んだ荷物も服だけではなく日用雑貨等、まるで引越しの前準備のようなものばかり。何で自分がこんなことをと言いたくなる。

 

「何言ってるんですか?これからが私の用事です。」

「私の用事?・・・・じゃあ、これ誰のですか?」

「さっき話したじゃないですか・・・・今日はアスカさんの服とか買いに来たんですよ?いつまでも、その服着てる訳にもいかないでしょう?」

 

 ちなみに今シンが来ている服はゲンヤの服である。茶色いジャケットにスラックス。元々、服装に頓着しないとは言え流石にセンスが古かった。ありていに言ってオヤジ臭い。

 

「・・・・ああ、そういえばそんなこと言ってましたね。」

 

 自分の為にやっていると言われて、何で自分がなど言えるはずもない。

 少しだけ居た堪れない気持ちになって、シンは俯いた。

 ギンガはそんな彼を見て、溜息を吐き、口を開いた。

 

「・・・これから食事して、ブラブラするつもりなんです。アスカさんだって、荷物持ちしに来ただけなんて嫌でしょう?」

 

 痛いところを突かれるシン。確かにその通りだった。

 

「いや、まあ。」

「荷物はそこのロッカーにでも入れておいて帰る時に持って行きましょう。」

 

 ギンガはそう話すとロッカーに向かって歩いていく。てきぱきとしたその様子からすると、こういった買い物に慣れているのだろう。

 それに対して、不貞腐れて、ぼうっとしている自分。買い物に慣れていないにしても話を聞いてないのは、自分でも流石にどうかと思った。

 

「・・・ホント何してんだろうな、俺」

 

 自分は何をしているのだろう。情けないにも程がある。ふて腐れるにも程がある。

 今日の外出自体、ゲンヤやギンガが自分を気遣ったからこそ起こったことなのは良く分かる。

 本来、こんなことにギンガが来る必要はまるで無い。

 それどころか自分をこうやって外出させる意味なんてまるで無い。

 もし自分が彼女の立場であれば独房にでも入れて動けないように縛り付けておく。

 そっちの方がよほど確実だし、安価だからだ。それをわざわざここまでして気遣うなどシンの感覚からするとどうにも信じられなかった。

 基本的に人のいい親子なんだろう。

 てきぱきと前を歩いていくギンガの後姿を見つめながら、歩き出す。頭の中にはこれからのこと。

 自分は一体何をしているのだろう?

 ふて腐れて、いじけて、諦めて、そして今も動けないでいる。

 起きるべきだ。動くべきだ。そう、思う。思うけれど、どうしても心は動かなかった。

 自分は何をするべきなのか。何をやればいいのか。

 その答えがどうしても見つからずに、一歩も動けないでいる。

 上空からは陽光が指し照らす異世界ミッドチルダ。その只中で自分はあまりにも無力で弱くて情けなかった。

 

(元気を出してくれればいいけど・・・・多分無理かな。)

 

 ギンガ・ナカジマは半分以上今日の目的に諦めを感じていた。

 日々無気力な様相を続けるシン・アスカ。

 彼女はそんな彼に少しでも立ち直ってもらおうと思っていた。

 とても放っておいて、立ち直るようには思えなかったからだ。

 そこに昨日の夜、ゲンヤに呼び出され、外出許可とシン・アスカの付き添いを言い渡された。

 こういったことは本来捜査官である自分の任務ではないのだが、「異世界から次元移動を行って現れた人間。しかも魔導師の素養があり、その出自は特殊なモノ」という特殊な事情があって、事務官ではもし彼が拉致されたりした場合に対応しきれないと言う判断からだった。

 それ故、生真面目な彼女はやったことも無い異性と外出ということをする羽目になった。

 無論、彼をどうやって立ち直らせるかということを考えていた彼女にとっては渡りに船であったことは間違いない。

 そうして今日に至る。

 不謹慎ではあるが、ギンガもそれなりにワクワクはしていた。

 正直期待するのも甚だしいほど憔悴しきったシン・アスカと街を歩いたところで楽しいとはとても思えなかったが、年齢的にはギンガも少女と言っていい年齢である。

 しかも仕事仕事でそういったこの年代の少女が持つ楽しみ―――いわゆる色恋沙汰とはまるで無縁の生活を彼女は続けてきた。

 故にギンガにとって今日の外出は、保護対象とは言え“男性”との始めての外出であった。男の影などまるで無い彼女にとっては初めての経験である。

 2週間前まではこんなことをするとは思いもよらなかったことを考えると、表面上は完璧に振舞っていても内面では割と葛藤していたりするのだ。

 彼からは見えないようにカンニングペーパーを懐から取り出し、そこに書いてあるチャート図を見て、さも「慣れてますよ」と言わんばかりの態度で先ほどからギンガはシンを案内していた。

 その時々のシンの反応を見て、心の中では一喜一憂している。

 本質的に良いお姉ちゃんを地でいっているため、基本的に見栄っ張りなのだ。

 

「あ、アスカさん、このロッカーです。」

「・・・・ああ、はい。」

 

 このロッカーへの案内にしても、右手に隠したカンニングペーパーに書かれている道だった。

 ギンガ自身はここに来たことは一度も無い―――そこは駅の構内のロッカーでありギンガ自身はこういったものを利用する機会が無かったからだ。

 シンはロッカーを開けると、気だるげにに今日買った荷物を入れていく。

 その横顔を見れば、ギンガで無くとも、息抜きにすらなってはいないなと分かる。

 気だるげで、虚ろで、覇気というものが欠片も無い表情。簡単に言ってやる気が無い、無気力だった。

 

(・・・・前途多難ね)

 

 ギンガはシンからは見えないように影でこっそりとため息をついた。

 仕事とは言え初めての異性と遊んでいるというのに、その相手にやる気がまるで無い。

 自分は何やってるんだろうかと考えたくもなる。

 せめてもう少しくらいはやる気を出してくれてもいいんじゃないだろうか、と。

 

「で、次はどこに行くんですか?」

 

 ロッカーに荷物を入れ、シンは物思いに耽っていたギンガに尋ねてきた。

 

「ああ、次はですね・・・・・・あれ?」

 

 その時、ギンガはシンの後方にそれまでとは違う景色を見た。シンの身体越し―――恐らく数km以上離れた場所にソレはあった。

 

「・・・・?」

 

 怪訝に思ったシンが振り返る。遠方に立ち昇る煙がある。工場から噴出している白煙のように高く立ち昇っていく煙。

 

「・・・・煙、あれは、火?」

 

 ギンガが呟き、慌てて、その場所から駆け出し、外に出る。そして、音がした。空気を震わす轟音が。そして同時に立ち昇る炎。天を焦がさんばかりに炎が登る。それはまるで天に向かって助けを求める手のように。

 

「嘘でしょ」

 

 呟き。そして再び爆発。轟音。炎。終いには火の粉がここからでも見えるほど上空を舞い散った。馬鹿げた大きな炎から飛び散る火の粉も馬鹿げた上空に舞い踊る。

 一瞬。正に刹那。

 時間など幾ばくかの間に、平穏で牧歌的で穏やかそのものだった街は、阿鼻叫喚の煉獄と化した。

 周辺で爆発が起きる。上空には幾つものガジェットドローンの群れが見える。

 空は赤く染め上げられ、街のそこかしこで爆発が起きている。

 一刻前の光景など最早どこにも存在していなかった。

 

「どうなってるんだ!!」

「誰か助けて!!助けて!!」

「いやああああああああああ!」

「娘が、娘が!!!」

 

 悲鳴と怒号。

 いきなりの事態に誰もが恐慌しパニックを起こしている。

 我も、我も、とその場から逃げ出す。

 シンはただその光景を呆然と見つめていた。

 ギンガは懐から慌ててインテリジェントデバイスであり通信機でもあるネックレスに向かって何事か大声を張り上げている。

 

「・・・・・・けるな。」

 

 シンは呟きと同時にその場から駆け出した。走り出した方向は炎が立ち昇るその中心。

 押し寄せる人波を掻き分け、泳ぐように走っていく。表情はギンガからは、陰になってまるで見えない。

 

「あ、アスカさん!!どこ行くんですか、アスカさん!!」

 通話中だった電話から耳を外し、突然走り出したシンに向かってギンガが叫ぶ。

 シンはギンガの叫びなど意に介すこともなく人並みを走り抜ける。

 止める間もなく彼女の方からシンの姿は見えなくなった。

 

「ああ、もう!!ブリッツキャリバー!」

『Yes,sir.』

 

 ギンガが胸に下げているネックレスが答える。

 閃光が煌めき、ギンガの姿が変わる。それは初めてシンを助けたあの時の姿。

 足元の車輪が唸りを上げる。

 

「ウイングロード!」

『Wing Road』

 

 叫びと共に地面に拳を突き立てる。つき立てた場所から空中に向かって伸びて行く薄っすらと輝く空中へと続く道。

 その道をギンガは走り、目的地へ一直線に向かっていく。

 シンの行き先は恐らく被害の中心部。あの爆発が起きた場所だろう。

 ギンガはそう当たりをつけて駆け出した。

 身体が重い。全力で何百mも走り抜け、尚且つ人ごみを掻き分けてきたのだ。

 疲れない方がどうかしている。それはコーディネイターとて同じ。普通ならそこで座り込んでもいいような疲労。

 だが――顔を上げる。炎を見つめる。

 赤い瞳が憤怒で歪み釣り上がる。

 

「ふざけるな。」

 

 声に感情が篭っている。無気力では決して込めることの出来ない感情が。

 

「ふざけるな・・・・!!」

 

 疲れた身体から送られる「休め」というシグナルを全力で無視し、シンは無理矢理走り出した。

 

「ここも同じなのか、平和じゃないのか・・・・!!」

 

 燃えている。世界が、赤色に染め上げられていく。

 炎で燃え盛る街はベルリンを思い出す。

 炎で逃げ惑う人はオーブを思い出す。

 理不尽な光景。戦いとはまるで無縁の一般人を狙った襲撃。否、惨劇、だ。

 それはシン・アスカの心を刺激し、無気力を忘れさせるには十分すぎるほどの刺激だった。

 

 ――――シン・アスカの心には傷がある。戦争という名の傷痕が。

 一度目の戦争で彼は家族を失くした。

 二度目の戦争では守ると約束した少女と親友を失くした。

 それはトラウマとなってシンの脳裏に刻み込まれている。

 トラウマ―――シンにとって戦争とはトラウマそのものである。

 もっと具体的に言うなら、身を守る力を持たない弱き人々が苦しむコトそのものを憎んでいる。

 無気力でやる気など欠片も無かった心には今や暴風雨の如く激情の波濤が押し寄せていた。

 それはこの世界に来てから一度も感じたことの無い感情。

 シン・アスカという男の本能に巣くう感情。「理不尽に対する怒り」という炎だ。

 シンは怒りの形相のままにそこに向かった。

 何が出来るのか。何も出来ないのか。

 足手まといにならないのか。自分は逃げるべきではないのか。

 そんなものは一切関係なかった。考えすら浮かばなかった。

 彼の中にあるのはただ一つ。

 強迫観念のように畳み掛けてくる“守る”と言う願い。

 それを彼は、思い出した。

 自分がどうして生きているのか。その理由を。己にとって初心を。

 思い返すのはあの日のオーブ。散らばる身体。

 右手だけの妹。顔の無い父。臓腑がはみ出た母。

 善でも悪でも関係なく、理不尽に苦しむ人を失くしたい。理不尽な横暴で苦しんで嘆くのは自分だけで十分だったから。

 だから、どんなに疲労してもシン・アスカの疾走は止まらない。身体の命令を心が拒絶し、無理矢理に動かす。

 

「くそったれ・・・・・!!!」

 

 目的地までは未だ遠く、シンは走り続けた。

 

「どうして、こんな辺境にまで・・・!!」

 

 ギンガはウイングロードを展開し、空中を疾走する。目的地へはもう少し。だが、思うようには前に進めないでいた。

 空を飛行し、街を蹂躙するガジェットドローンⅡ型が彼女の邪魔をしているからだ。高速で移動する飛行機のような形をしたソレはギンガのような陸戦魔導師にとって鬼門のような存在だった。

 ギンガの使う魔法は、以前シンの前で使ったリボルバーナックルによって魔力を高め、拳の前面に硬質のフィールドを形成し、フィールドごと衝撃をぶち込む「ナックルバンカー」に代表されるように、その魔法は主に「格闘」を強化しているものばかり。

 ウイングロードを使用することで空中の敵との戦いは行えるものの、あくまで突撃用。広域への射撃魔法を持たないギンガにとって、援護する―――もしくは共闘する仲間のいない単独でのⅡ型の大群など鬼門以外の何者でもなかった。

 

「これじゃきりが無い。」

 

 あまりにも数が多いこと。そして前述したように相性が悪い。ギンガは周辺の地形を観察しながら、思考を巡らせる。無論、回避の為に身体は止めずにだ。

 ガジェットドローンⅡ型というのはその見た目どおりにとにかく動きが早い。だが、その代わりに直線的な動きしか出来ない。ありていに言って小回りがまるで利かない。

 思考を加速させていく。小回りが利かない高速移動。攻撃箇所は前方のみ。つまり、決して

 

「・・・・いけるわね。」

 

 ―――ギンガ・ナカジマの顔色が変わる。鋭く細い視線は明らかな戦士の瞳。

 ふと、シン・アスカを思い出した。

 何も力を持たない癖に、彼は後先を省みずに走っていった。

 それまでとはまるで違うあの様子ならガジェットに生身で喧嘩を売ってもおかしくない。

 だが、彼が向こうの世界でどれほどの実力を持った軍人だとしても、こちらでは魔法も使えない一般人。

 

 ―――それは、ただ死にに行く自殺行為となんら変わらない。

 

(死なせる訳にはいかない・・・!)

 

 心中の叫びと同時にブリッツキャリバーに連絡。返答は問答無用の『Yes,sir』

 直ぐにウイングロードを展開し、その場所に向かう。風切り音と共にⅡ型も追いかけてくる。

 

「―――予想通り。」

 

 だが、遅い。こと直線に限って言えば、ブリッツキャリバーに敵う者など殆どいない。追いすがれるとすれば同じ系統の、そう彼女の妹―――スバル・ナカジマの持つマッハキャリバーのみ。

 鋭く細い鷹の如き視線がⅡ型との距離を推し量る。

 ―――その距離およそ数十m。

 頃合だ。そう思ったギンガ・ナカジマはそこで急停止をかける。

 彼女が今いる場所。そこは、ビル街のど真ん中―---彼女が目指した目的地だ。

 そこでは通り抜ける場所が限定され、必然ガジェットドローンⅡ型の動きは“直線的な動き”だけに限定される。振り返り、彼方を向く。リボルバーナックルが回転し、カートリッジロード。

 見れば―――引き離したⅡ型がこちらに向かって突進してくる。その数、凡そ20。

 

「ブリッツキャリバー、いいわね。」

『Yes,sir』

 

 足元のブーツ―――ブリッツキャリバーが答えを返す。

 次瞬、ウイングロードを自分を中心に複数展開。

 それも平面ではなく三次元的に段差を設けて。

 これは自身の行動範囲を広げるライン。これまでのように「走る」為のラインではない。「戦う」為のラインである。

 ラインは蜘蛛の巣のように幾何学模様を描きながら、広がっていく。

 ――小さな構え。腕を折り畳み、ギンガ・ナカジマの瞳は敵を射抜く。

 ひゅっ、と息を吸い込み、踏み込む。そして、ギンガの足元の車輪が唸りを挙げる。

 左拳のリボルバーナックルに再度のカートリッジロード。ガシュンと薬莢が飛び出し、蒸気があふれ出る。そして、ナックルが回転する。

 僅かに身体を前傾に押し倒し―――瞬間、ギンガ・ナカジマが弾け飛んだ。否、弾け飛んだかのように突進した。

 

「はあああああ!」

 

 裂帛の気合と共にこちらに向かっていたⅡ型が攻撃する前に左拳を叩き込む。拳を叩きつけられたⅡ型は攻撃する間もなく沈黙。その背後が光る。攻撃の為にただ一瞬のみ動きが止まったギンガに向けて狙いを済ました射撃。左右、そして後方のガジェットからだ。

 放たれた射撃。それを彼女は確認することも無く、上空に向かって跳躍―――何も無い虚空に“着地”した。そこにあるのは薄く輝く光の道―――それは先ほどあらかじめ段差を付けて広げられたウイングロード。そして、それを足場に再び跳躍。

 くるり、と回転し左かかとを方向転換してきたⅡ型に浴びせる。

 その後方に再びⅡ型。跳躍。そして先ほどと同じく段差をつけて作られたウイングロードを足場にⅡ型目掛けて跳躍し、左拳を叩き込む。

 ギンガ・ナカジマがやっていることは実に単純なことだ。

 予め高低差を設けて作られたウイングロードを足場に、相手が攻撃してくる瞬間を見計らって回避し背後もしくは上空を取って攻撃する。ただそれだけ。Ⅱ型はその性質上、前面にしか武器がついておらず、上空・真下・背後が死角となる。

 後はそれを繰り返すだけ。単純な作業しか出来ないガジェットは状況への対応が出来ない為に対応策を練ることもない。いわゆるハメ技だ。

 

「これで、最後・・・!」

 

 左拳を打ち込み、最後のガジェットがその動きを停止する。

 戦闘用に展開していたウイングロードを全て破棄し、彼女は再び爆発のあった場所に向かった。

 

「・・・・無茶はしないでくださいね、アスカさん。」

 

 あの無気力なシン・アスカならそんなことはしない。

 だが、多分、無茶をしている。何故だか彼女にはその確信があった。

 最後に一瞬だけ見えた彼の瞳。赤い瞳には焔が宿っていたのだから。

 

 

 シンはその場所にたどり着いた時、何をするべきかなど考えはしなかった。彼はただ反射的にその場所に向かっただけだ。

 だから逃げ遅れた人はいるのか、破壊の規模は、原因は?

 そういった基本的な事柄の確認の一切を忘れて、その場に直行した。だから、着く直前になってシンは思ったのだ。どうするべきか、と。

 今更戻ることには意味が無い。もし、戻ってから、逃げ遅れた人がいるとなれば取り返しのつかないことになる。だから、彼が出来ることは逃げ遅れた人がいないかどうかを確認するくらいだった。何とも間抜けな話である。

 自嘲気味に嗤うシン。慌てたせいで空回り。まるで意味が無い。だが、

 

(いいさ。確認だけでもしてってやる。)

 

 とりあえず現状ではやれることをやろう。そう思ってシンはその熱気の中に身を晒す。建物の影から出た瞬間、そこは正に別世界だった。

 熱気が呼吸を阻害する。炎が生み出す上昇気流。熱量その物も凄まじくその場にいるだけで、息が苦しくなるほど。

 車はひっくり返り、煙を上げている。空は朱く染まり、火の粉が空から降り注ぐ。

 地獄と言って差し支えない、そこはそんな場所だった。

 

(酷いな。)

 

 予想以上の惨劇にシンは胸中で舌打ちする。如何なる方法を用いたのか、この僅かな時間でここまで徹底的な破壊を引き起こすその敵の力量に。

 戦後、シンは兵士として戦っていた際にこういった場面には何度も出くわしていた。無論、その全てが既に廃棄されたコロニー内での出来事ではあったが。だが、それでもここまでの徹底的な破壊というのはそうそうあるものではなかった。

 焔と瓦礫を避けて、赤く染まった道路を歩く。道路の両脇に建てられたビルは軒並み崩壊し、傾くか崩落するかのどちらかだけ。更に酷いものは既に瓦礫が残るのみで殆ど更地と化している。

 周囲に注意しながら歩いていく。崩れているビルや抉られた道路。何かの爆発でも起こったのだろうか。よほどの破壊力を持つ爆弾でもなければこんな結果は生み出せない―――いや、魔法と言うものがあった。

 あれならば問題なく出来る・・・のかは分からないがシンは恐らく出来るのだろうということにしておいた。モビルスーツや爆弾と言った質量兵器を嫌うこの世界では少なくともそれ以外には考えられない。

 そして曲がり角に指しかかり、シンはそこを曲がろうとした――瞬間、動きが止まり、慌ててその場に身を隠した。

 

(何だ、あれは)

 そこには一人の人間がいた――いや、人間かどうかは定かではない。

 ただ、見えた姿はそうとしか思えなかっただけで―――けれど、それは人間とは懸け離れた存在だったが。

 ソイツは蒼かった。

 蒼い――蒼穹というべき青。白混じりの蒼。全身を覆うは甲冑。

 鋭利に尖り、優美に曲がり、一目見て目を奪われるほどの造形。

 世辞を抜きにして、ソイツは美しかった。機能美などあるはずも無い姿でありながら、ソイツはそれ以外の姿を許されない。

 およそ2mほどの体躯。その体躯に比べて腕や足は細く長い。背面から突き出した翼を思わせる二対の羽金。そして腰に差し込まれた二挺の銃。

 鎧騎士。それを表すとするならその言葉が適当だろう。無骨さなど欠片も無く、優雅さすら忍ばせた華麗な“騎士”。

 その鎧の白混じりの蒼穹を見てシンはふと似ていると感じた――それはどこか、自分がいつか倒したあの機体を思い返させる、と。自由の名を冠した前大戦で最強を誇ったモビルスーツ。

 ―――フリーダムを。

 

「・・・・・ぁ」

 

 ソイツが、上を向く。背部の羽金が変形する。その変形は機械が変形するのとはまるで違う―――変形というよりは再構成。そういった方が良い変化だった。

 砲身を形作り、構成されていく羽金。その間、僅かに数瞬。間髪いれずに放たれる白光。光熱は一瞬で、世界を激変させる。

 熱風が飛び交う。立ち昇る熱風は旋風を生み出し、粉塵を巻き上げ―――一瞬、世界が粉塵に覆われた。そして、その只中でシンは見た。

 ガラス状に融解したビルを。

 

「・・・・・・・」

 

 それを見て、シンは瞬時に察した。眼前に佇む蒼穹の翼持つ鎧騎士。ソレがこの惨状を作り出した元凶なのだと。

 ガラス状になるほどに融解したビル。それは一体どれほどの高温で熱せられたと言うのか。

 シンの体からいきなり冷や汗が流れた。生唾を飲み込む。目が見開いた。

 

(まずい。)

 

 身体が動かない。思考もまるで働かない。今まで一度もこんなことは無かった。

 元の世界で戦っていた時もこんな風に――「恐怖で動けなくなること」など一度も無かった。

 真の恐怖に出会った時、人は震えることすらしない。ただ、停止する。極限の怯えは肉体の活動よりも延命を選択させるのだ。隠れ、逃げることで一分でも一秒でも長く生きる為に。

 今のシンが正にそれだ。一目見てシンは理解する。

 治安維持の為、その前は復讐と平和の為、何度も何度も戦い続けてきた。

 その膨大な戦闘経験がシンに告げたのだ。

 コレに触れるな、と。

 “生き物”としてのレベルではなく、ステージが違う。例えるなら、蟻と象。比べることも馬鹿馬鹿しいほどの絶対的な差がそこにはあった。

 

「・・・・っ」 

 

 蒼穹の鎧騎士がこちらを向いた。いつの間にか背部の砲身は羽金に戻っている。

 シンの背筋を怖気が走る。シンはじっと息を潜め物陰に隠れ続ける。冷や汗が止まらない。心臓の鼓動がやけに煩い。シンはソレの一挙手一投足からまるで眼が離せない。恐怖と、そして絶望で。

 

 ―――ソレが歩き出した。動き出す。

 

 ソレはシンに気付かなかったのか、彼の前をゆっくりと通り過ぎていき、そして、ソレは右手を振り上げる。

 何をする気なのか。シンはそう思い、眼をこらす。

 今度は、右手が変形―――“再構成”されていく。

 その姿は剣。それも大昔西洋の騎士が使ったと言う片手剣―――サーベル。

 そして、シンはそこで気付いた。

 それの振り下ろす先には、気絶しているのか、うつ伏せに倒れている小さな―――凡そ年のころ9、10歳の少女がいることに。

 

(・・・・え?)

 

 心中で間抜けな声が上がった。

 ドクン、と心臓が跳ねる。鼓動が大きく耳の奥で鳴り響く。

 

 ―――間違いない。ソイツは、その少女を殺そうとしている。

 

「・・・・ぁ」

 

 止めろと口にしようとしても声が出ない。止まってしまった身体と同じく、恐怖で口が開かない。

 少女は死ぬだろう。確実に。剣は明確に子供の心臓を貫く。万が一、億が一にも外すようなことはない。

 

(俺は)

 

 かちり、と、シンの頭の奥でチャンネルが切り替わる。

 瞳に今を映すチャンネルから、思いの過去を写すチャンネルへ。

 

 ――焼け焦げた丘。家族は吹き飛んだ。父は死に、母は死に、妹は死んだ。残されたのは妹の右腕と唯一の形見へと成り上がった携帯電話。

 自分は叫んだ。力が欲しいと。不条理をぶち壊し、理不尽を駆逐し、平穏を押し付ける絶対的な力を。

 

 ――チャンネルが切り替わり元に戻る。そこには剣を振り上げた蒼穹の鎧騎士。

ソレに怯えて動けないでいる、無様で惨めで生き汚い汚泥の如き自分自身。

 

(俺は)

 

 止められない。止められない。止めることなど出来はしない。

 無力だからだ。無力な自分は此処でこうやって怯えて生きるしかない。

 

 ―――がん、がん、がん、がん、がん、がん。

 頭痛が走り出す。ハンマーで何かを殴るような音が鳴り響く。

 

 ―――ガチガチガチガチガチガチガチガチ。

 身体の震えが止まらない。さながら虫の羽音のような音が鳴り響く。

 頭の中はさながら大合唱。まるで大音量のライブハウスの中にでも放り込まれたよう。

 

 痛みが教えることは一つだけ。震えは告げることも一つだけ。

 救え、と。それが答えなのだ、と。

 目前で行われようとしている光景。シン・アスカが望むモノはその中にしか存在しないのだと。

 怯えを殺せ。恐怖を殺せ。命など捨てて、全てを「守れ」。

 恐怖と保身から助けられたかもしれない命を見殺すくらいなら、守れなかった後悔で身を切り裂かれるくらいなら、死傷の痛みの方がはるかに良い。

 

(俺は)

 

 唐突にシンの呪縛が解ける――何故か。

 何故ならば、目前で起こるソレを止めること、それこそがシン・アスカの積年の望み。

 積み重なり、澱のように沈殿した願望――「誰かを助けたい」という常軌を逸したヒーロー願望。

 シン・アスカはそれを成就する為「だけに」これまで生きてきた。そしてそれはこれからも変わることなく。

 

(俺は)

 

 何かが割れる音がシンの中で鳴り響く。

 それは、戦時中、幾度もシンを救ったあの感覚。シンの瞳から焦点が失われる。同時に張り巡らされていく全能感。

 

 ―――今、此処にシン・アスカは蘇る。

 

「―――う、」

 

 声が弾けた。足が動く。身体が動く。思考など既に置き忘れた。

 

「うわああああああ!!!!」

 

 迸る咆哮。血走る瞳。裂けんばかりに広がった口。

 憎悪と怒りが燃え上がったその表情は、焦点を失った瞳と相まって悪鬼を思わせる邪悪で苛烈な顔だった。

 シンの雄叫びを聞いて、ソレはシンに気がついたらしい。

 彼の方へ振り向き、剣を構え――その時にはソレの懐に入り、右足を両手で掴み、思いっ切り――柔道で言う、すくい投げの要領で投げた。

 ソレはバランスを崩し、後方に倒れる。

 そのまま馬乗りになると相手の首の部分を左手で掴み、全身全霊を込めて握り締め、そして残っている右腕を振りかぶり―――殴りつけた。

 

「あああああああ!!!」

 

 叫びながら一発といわず何発も連続で殴りつける。

 硬い鎧で拳が割れようと、まったく痛みなど与えていないとしても、構わない。何度も何度も殴りつけた。引き出せるだけの力で思いつくだけ殴り続ける。

 シンの右拳は自分の血で赤く染まり、掴んでいた左手からも同じく赤い血が流れ出ている。

 だが、それがどうしたとばかりにシンの拳は止まない。

 

「うううう、ううううう!!!!!」

 

 獣のような唸りを上げ、今度は両手でソレの首を締め付ける。細身ながらもシンの身体能力は鍛え上げられた結果としてかなり高い。少なくともスチール缶を片手で握り締める程度には。

 その、全身全霊を賭して、シンはソレの首――鎧ではなくその継ぎ目――を両手で握り締める。

 呼吸を止める為にではなく首の骨ごと“折る為”にだ。

 だから首と身体の繋ぎ目を狙った。どんな硬い鎧を着ていようと関節部分は絶対に脆くなる。

 それはモビルスーツだとて例外ではない。

 事実、今触っている感触だとて、殴りつけた鎧のように鋼の感触ではなく柔らかいゴムのような感触。

 首を狙ったのは本能によるものか、それとも考えてのことか。それは定かではないが、それはこの時点でシンが出来る最上の殺害方法。つまるところ、先手必勝考える間もなく殺す。

 だが、全力で首を絞めているにも関わらず、ソレには苦しむ様子がまるで無い。否、苦しむどころかソレは右手を挙げて、シンの額に触れ―――ソレの右腕が僅かに動いた。

 優しげに触れただけの右手はその瞬間、シン・アスカの肉体を軽く“押した”。見た目には軽く触れただけのような―――赤子を撫でるような優しさで。

 だが、その優しげな手つきから生まれた力は、剛力などと言う言葉を馬鹿らしく思うほどの、怪力だった。

 

「うおおお!?」

 

 叫びと共にシンは吹き飛んだ。軽く力を込めて押されただけで、数mほどの距離を吹き飛ばされ―――そして、落ちた。地面に激突する瞬間、わずかばかりに身体を捻り、何とか受身を取る。

 硬いアスファルト舗装の上に叩き付けられるシン。交通事故にでもあったような衝撃がシンの全身を殴打する。だが―――血走った目で、荒い息を吐きながら、鼻血をぼたぼたと流しながらも、彼は直ぐに立ち上がった。痛みなど感じていないかのごとく。

 

「はあっ!はあっ!はあっ!はああああ!!!」

 

 再び突進。ソレは面倒そうに剣を振った。いきなり現れた異常者。そんな風に思ったのだろう。事実、今のシンは健常者とはとても言えない。

 迫る剣。面倒そうとは言ってもそこに込められた力はシン如きの肉体など易々と破壊するほど。

 だが、シンはそれを身体を僅かに前傾させることで回避する―――ボクシングで言うダッキングだ。

 紙一重の差で剣はシンの背の上を通り抜けていく。

 

「ほう?」

 

 ソレから初めて声が発せられた。どこか知性的な、されど嫌らしさを滲ませた声。その声には驚いているような調子があった。

 シンが右手を振り被る。狙いは先程と同じ首と体の継ぎ目。どこが脆いか、どこが強いのか。

 そんなこと調べる暇も力もない。だから彼に出来ることはソレを繰り返すだけ。

 

 愚直に、ひたむきに。

 ただ、力任せに殴る以外に無いのだから。

 

「うわああああああ!!」

 

 右拳が当たる。その次は左拳。拳戟は止まない。幾度も幾度も、シンはソレを殴りつける。

 だが、まるで効果は無い。当たり前だ。シンは鎧の上からただ力任せに殴りつけているだけなのだから。

 だから、ソレは面白くも無さげに剣を振りかぶる、その鎧騎士のちょうど瞳の部分にある窪み。そこに白い光が灯る。猫の瞳が輝くように、ソレの瞳が開き、輝く。

 瞳は静かに告げる。

 ―――死ね。

 

「あ―――」

 

 本能が恐怖を覚え、肉体は硬直しようとし―――されど、理性はそれら全部を裏切って、彼の身体を目の前の鎧騎士に向かって“押し出した”。

 

「あ、あ、あああ!!」

 

 振り下ろされる剣。それに向かって、シンは更に殴りかかった。

 ソレもさすがに驚いた。自殺志願としか言いようが無いその所業に。

 

「ああああああああ!!!!」

 

 そして、それまでよりもひときわ大きな叫びと共にシンの右拳がぶち当たる。

 拳程度でソレは微動だにしない。決して、ダメージなど受けることは無い・・・はずだった。

 だが、ソレがよろけた。シンの拳の一撃で。先ほどまでは何の痛痒も感じなかったソレが初めて、“動いた”。

 

「くっ」

 

 たたらを踏んで、後方に倒れ込もうとする身体を、剣を支えとすることで倒れ込むのを防ぐソレ。呆然と―――無論、外側からはその表情は見えないが―――シンを見る。

 

「はあっ!!はあっ!!はあっ!」

 

 止まらない鼻血。全身を襲う殴打の痛み。歯を食いしばり、唇を噛み切って、それでも耐え切れないほどの激痛。けれど、それを全て振り切って、彼は再び視線を向けた。

 鋭く、苛烈な、焔の瞳を。

 

「・・・・・」

 

 ソレは静かにシンを見つめていた。彼の拳、それが朱く燃えていた。彼自身はまるで気付いていないようだが―――それともそんなことは初めから“どうでもいいこと”なのか―――炎は朱く、高らかに燃え上がっている。

 両手に灯る大きな炎。デバイスも詠唱も無しに資質だけで無意識に起こした魔法。

 

「・・・・ふむ、中々面白いことをするじゃないか。」

 

 ソレが口を開く。流される言葉はどこか軽薄な響きを感じさせる。しばしの睨みあい。そして、ソレが上空を見て、口を開いた。

 

「・・・・来たか。」

 

 シンも血走った目で空を見た。そこには、この間、ゲンヤの部屋で会った八神はやてが浮かんでいた。白と黒を基調としたバリアジャケット。背中に生える3対の黒き羽。そして、手に持つは魔法使いの杖。

 

「八神、はやて・・・・?」

「アスカさん、その子連れて離れてや!」

 

 その言葉を聞いてシンは直ぐに子供を抱えて、その場から飛び退くようにして離れる。瞬間、はやては呟く。

 

「いくで、リイン!」

『まかせるですぅ!』

「――仄白き雪の王、銀の翼以て、眼下の大地を、白銀に染めよ。来よ、氷結の息吹。」

 

 高らかに謡われる歌。それは詠唱。即ち、魔法を使う為の言霊。魔力が収束し、形を為す。

 生まれ出でるは幾何学模様の魔方陣。重なり、回転し、そして。

 

「氷結の息吹(アーテム・デス・エイセス)!!」

 

 はやての周囲に出現した4つの立方体から幾つもの光が放たれる。放たれる光、それは光ではなく、圧縮された気化氷結魔法。

 放たれた光は着弾した瞬間、着弾地点の熱を一気に奪い取り凍らせ、氷結へと導く。

 

「す、げえ」

 

 呆然とシンはその光景を見つめる。はやてが放った魔法は付近一帯を鎮火・・・いや、凍結させていた。燃え上がっていた街は一瞬で白く凍った世界となり、阿鼻叫喚は極寒の地獄へと変化する。

 

「アスカさん!大丈夫ですか!」

 

 いきなり腕を掴まれ、シンは振り向いた。そこには、ギンガがいた。出会った時と同じ格好でこちらを睨んでいる。

 

「アンタは・・・・」

「ここは八神二等陸佐に任せて速く!!」

 

 そう言ってシンが抱えていた子供を奪い、彼の手を取ってギンガは叫んだ。

 手をひっぱられるシン。上を向けば、はやては以前としてあの鎧騎士に向かって氷結魔法を放ちながら、付近の鎮火を行っている。あの鎧騎士は沈黙している。確かにあれほどの魔法の直撃を受ければ、どんな生物であろうとも動きを止めるのは間違いない。

 

「・・・分かった。」

 

 ギンガの言うとおりだった。自分がここにいても意味は無い。危険すぎる上に足手まといになるだけだ。既に炎の消えた拳を握り締め、無力を痛感する。

 力が無いと言うのは、つまりは何も出来ないのと同じことなのだ。自分ひとりではこの子供一人助けることも出来なかったのだから。

 

「・・・アスカさん?」

 

 そんなシンを怪訝に思うギンガ。どこか助けてもらったことに不満そうな、駄々をこねる子供のような。そんなこれまで――とは言っても2週間にも満たない期間だが――見たことの無い表情を見せたシンを。


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
2
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択