No.152786

「理姫」、最終話

さん

リトルバスターズ!のSSです。もし理樹に妹がいたら、というifの物語。あの時から1年後の4月、理樹に妹がいることがわかり……
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2010-06-23 21:32:28 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:1170   閲覧ユーザー数:1091

「理姫」4話      『遠くて近い、距離』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――樹」

「――おい」

 

「理樹、おまえ聞いてんのかよ?」

「――……え?」

 

 真人の声で、ループしていた思考が現実へと向き合う。

 耳には休み時間の喧騒。

 僕の机の前には謙吾が立ち、横の席の真人は僕を呆れたような顔で見つめていた。

 

「えっと……ごめん」

「だからよ――…………ハア」

 溜息をつかれた。

「おまえ、どんだけ心配性なんだよ」

「ただの盲腸の手術だろ。んなもん誰だってやってんだ」

「オメェが心配しまくったからって、どうこうなるもんでもねぇだろ」

「そんなんじゃ逆に理姫が心配しちまうだろうが」

「うん……」

「心配するよか、もっとしてやれることあんだろ」

「うん……」

 浮かない返事しか出来ない…。

「理樹、おまえ……」

 謙吾が僕の顔を覗き込んできて、眉をひそめた。

「きちんと寝てるのか?」

「寝てる…よ」

 

 ウソだった。

 昨日から一睡もしていない。

 

 『随分と“転移”した“胃ガン”だな』

 『“予後”は“悪い”だろうよ』

 ……そんなの、ウソだ。

 

 言葉が、吐きそうになるくらい頭の中でループを繰り返す。

 

 恭介の部屋を出た僕は……まるで悪夢の中を彷徨(さまよ)っているようだった。

 いや……悪夢だと思いたかったんだ。

 

 現実から逃げるように布団に潜り込んだ後も、ずっと頭の中では否定を繰り返した。

 冗談だったんだ。

 タチの悪い冗談。

 けど……。

 肯定しそうな考えが首をもたげるたびに、強い否定で上書きを繰り返す。

 僕の聞き間違いかもしれない。

 たぶんそうだ。

 難しい言葉だ。絶対僕が間違って聞いたんだ。

 

 否定を繰り返せば繰り返すほど、苦しさが胸を伝う。

 

 

「理樹」

 謙吾の声で、再び現実に引き戻される。

「兄が妹のことを心配する。それは当然のことだ」

「だがな」

「おまえのそんな浮かない顔を見たら、理姫は何と言うだろうな?」

「……」

 謙吾の大きな両の手が肩に乗せられた。

 

「おまえは堂々としていろ。妹の不安を吹き飛ばすほどに」

 

 

 

 チャイムが鳴り、また授業が始まる。

 そうしてまた思考がグルグルと回り始める。

 

 ようやく幸せがはじまった理姫が…。

 そんなの…信じられない。

 信じたくない。

 ただただ取り留めのない否定を繰り返すだけの思考。

 

 『オメェが心配しまくったからって、どうこうなるもんでもねぇだろ』

 ……そんなこと言ったって、仕方ないじゃないか。

 

 『そんなんじゃ逆に理姫が心配しちまうだろうが』

 ……今の僕を見たら……自分のこと以上に心配すると思う。

 

 『おまえのそんな浮かない顔を見たら、理姫は何と言うだろうな?』

 ……「心配かけちゃって本当にごめんね…」きっとそう言う。

 ……誰よりも人のことを気にかけている理姫のことだ。

 ……心配をかけてしまった自分を責めると思う。

 ……僕が落ち込んでいるのを見て、落ち込むと思う。

 ……。

 ……僕が狼狽(ろうばい)しているせいで、理姫が余計に気を使うと思う。

 

 

 

 

 

 

 ……僕は。

 ……なにをやってるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 『心配するよか、もっとしてやれることあんだろ』

 『おまえは堂々としていろ。妹の不安を吹き飛ばすほどに』

 

 

 ……。

 ……そうだ。

 ……そうだよね。

 二人の言う通りだ。

 僕がどんなに、心配して、狼狽して、取り乱して、落ち込んだからといって……理姫が置かれた状況が変わることは、ないんだ。

 僕がこんな様子でいたのでは、余計に理姫に負担をかけてしまうだけだ。

 …治るものだって治らなくなってしまう。

 うん……。

 そうなんだ。

 そうだよ。

 僕にだって、できることがあるじゃないか。

 僕には医者みたいに病気を治すことはできない。

 けど。

 治す手伝いをすることは、できるんだ。

 

 きっと理姫を元気にしてあげることはできる。

 理姫と…一緒にいることはできる。

 

 ――僕は理姫の、お兄ちゃんなんだから。

 

 僕の中には、まだ拭えそうもない重々しい塊が鎮座している。

 けど……これからどうするべきかが、はっきりと見えてきた。

 

 

「…お、少しは元気が出てきたんじゃねぇか」

 隣の真人が小声で話しかけてきた。

「うん…………僕がしっかりとしないとね」

「…だな」

「真人」

「ん?」

「…ありがとね」

「おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は学校を出ると、まっすぐには病院に行かずに商店街に寄った。

「あの、これください。あと…ラッピングをお願いします」

 …安直だと思ったけどプレゼントを買っていくことにした。

 

 病院に着いたあとは、ひとまずトイレに。

「…うん」

 鏡に映る僕の顔は、上手く笑えていた。

 理姫が見たら、安心できるような笑顔だ。

 

 

――コン、コン

 『はい』

 ノックをすると、いつもの、理姫の声が聞えてきた。

 たったそれだけで…嬉しさが込み上げてくる。

 

「入るよ」

「お兄ちゃん、いらっしゃい」

 髪を下ろしている理姫がベッドに上体を起こしていた。

 いつもの、優しそうで春風のような微笑みは…そのままだ。

 あまりにいつも通りで…ついつい、立ち止まってしまった。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「あ…いや、なんでもないよ」

 理姫は……病気のことを……。

 いや、考えるのはよそう。

 今、僕に出来ることは理姫を元気にすることだ。

「今日もプレゼントを持ってきたんだ」

 プレゼント、と聞いて理姫が照れくさそうな顔を向ける。

「昨日もツルのプレゼントもらっちゃったのに、今日もなんて…いいのかな?」

「…こんなときくらい、いいと思うよ」

 努めて明るく…話しているつもりだ。

「ふふっ、なら、お言葉に甘えて」

「――はい、プレゼント」

 ラッピングされたプレゼントを、誕生日プレゼントのように手渡した。

「わあ…ありがと……なんかすごいね」

「包みばっかり見てないで開けてほしいな」

「嬉しくて。ふふっ、なんだろ…」

 ゆっくりとした手つきで丁寧にラッピングのリボンを外し、袋を開けていく。

「これ……」

 ほころぶ理姫の顔。

「これ………………トトロ?」

 嬉しそうに、手のひらサイズより少し大きめなぬいぐるみを抱える。

「えーっと、ドルジっていうネコのぬいぐるみだよ」

「あの学校にいる?」

「うん、町中の人気者みたい」

「ホント、この眠そうな顔……ドルジだね」

 ぬいぐるみの顔を覗き込んだり抱いたりしている姿が微笑ましい。

「リトルバスターズのトレードマークがネコだからさ、どうかなって思って」

「みんなが一緒にいれないときでも、これを見たら元気がでるんじゃないかな……って」

「お兄ちゃん……」

 理姫がはにかみながら、ギュッとぬいぐるみを抱きしめた。

「うん、この子がいれば寂しくない」

「――本当にありがとう……すごく嬉しい」

 

 妹の心からの笑顔が、本当に嬉しかった

 

 

「――ねえ、お兄ちゃん」

 しばらく病室で他愛もない会話をしていると。

「また散歩、したいな」

 理姫がいつものように胸の前でポンと手を合わせた。

「……それはダメだよ」

 体のことを考えると、それは…。

「ほら、明日手術でしょ? 寝てないと」

「だから、かな」

「?」

「だって明日手術をしたら…何日かは外に出られないよね」

「その前に、外の空気を吸っておきたくて」

 ベッドの上に上体を起こし、夕暮れが迫る空を見ている理姫。

「それに…手術前の心の準備」

 一瞬、不安そうな声色が混じる。

「どうかな?」

 僕の方を向いた理姫は…いつもの微笑を称えていた。

「……」

「……」

「…………わかったよ。けど、ちょっとだけだからね?」

「ありがと、お兄ちゃん」

「……」

「……」

 ……理姫が僕の顔を見たまま動かない。

「あ、そっか」

「ふふふっ、そう」

「廊下で待ってるね」

「うん」

 廊下に出る前に、チラリと理姫の方を振り返る。

 ドルジぬいぐるみをそっとベッドサイドに置いて、僕と一緒に選んだリボンを幸せそうに手荷物から取り出す理姫の姿が…まぶたに残った。

 

 

 

 

――夕暮れの病院。

 人気が引いた病院の周りを、二人で肩を並べてのんびりと歩む。

 夕日が作った二人の長い影がすぐそこで交わっていた。

 

「――夕焼けってね」

 言葉を紡ぐ理姫。

「みんなは寂しい、って言うけど私はそうは思わない」

「どうして?」

「夕焼けまでは、友達との時間」

「夕焼けからは、家族との時間」

「そんな風に思うの」

「だから、寂しい、じゃなくて、温かい」

 優しい笑みを僕に向ける。

「……理姫らしいね」

「そうかな?」

「……」

「お兄ちゃん」

 僕の横顔に視線を投げかける理姫。

「ん?」

「――手、つなぐ?」

「え?」

 笑顔の中に浮かぶ、理姫の真っ直ぐな瞳。

「…ふふふっ、冗談だよ」

 僕から目を逸らしクスクスと笑い出す。

「理姫」

「ごめんね、ふふふっ」

「……手、つなごっか」

「……………………………………え?」

 キョトン、そんな表現がぴったりとあてはまる顔だ。

「手を、つなごう」

「………………いいの?」

「いいよ」

「……本当に?」

「本当に」

 理姫の顔に桜の花のような笑顔が咲く。

「ほら」

 手を理姫のほうに差し出す。

「……」

 頬を桜色に染め、恐る恐る手を伸ばす理姫。

 一瞬指先が触れ合い、ピクリとしてすぐさま手を遠ざけようとする。

 僕は。

 その手をしっかりと掴んだ。

 

 

 二人で手をつないで、夕焼けの道を歩み始める。

 夕日が作った二人の長い影が重なっていた。

 

 

「――笑わないで聞いてね」

「うん」

「私…夕焼けの道をね、お兄ちゃんと手をつないで歩くのが…ずっと夢だったの」

「ほら、テレビとかでよく見るよね」

「いっぱい遊んで友達とお別れしたあと、お兄ちゃんと妹が手をつないで…おうちに帰るの」

「いい歳して、恥かしいよね」

「そんなことないよ」

「ありがとう、お兄ちゃん」

 くすぐったそうな顔。

「また一つ、夢を叶えてもらっちゃったね」

「……」

「一緒に夢を叶えていこう」

 僕は言葉を区切った。

「……これからもさ」

「……うん」

 

「あ……」

 理姫が足を止めた。

「どうしたの?」

「お兄ちゃん、向こう」

 指を差すほうに目を向ける。

 病院の裏。

 少し奥に入ったところ。

 周りの木で見えづらかったけど…隙間から桜色が顔を覗かせている。

「行こうよ、お兄ちゃん」

「わっ、手を引っぱらないでよ」

 

 

――そこには、夕日に映える小さな桜の木があった。

 幾許(いくばく)かのつぼみが

 ひとつ、ひとつ、香り始めていた。

 

「もう咲き始めてる」

 理姫が嬉しそうに見上げる。

 

 僕たちは言葉もなく、咲き始めている桜を見上げていた。

 

「お兄ちゃん」

「うん?」

 

 桜を見上げたまま。

 

「――私が退院するころには、ちょうど満開だね」

 

 春色の声。

 

「……………………………………うん、きっとそうだよ」

 

 僕は……。

 上手く笑えているだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

――手術当日。

 朝の学校。

「理樹、理姫についていなくてもいいのか?」

 横を歩く恭介が、僕を見つめている。

「理姫がさ」

「ちゃんと学校で授業受けて、だって」

「そうか…」

 

 本当は不安で仕様がない。

 本当は今すぐにでも飛んで行きたい。

 理姫と一緒にいてあげたい。

 けど……理姫との約束を、些細な約束だけど……守りたかった。

 

 

 不安との戦い。

 理姫のことばかり思い浮かび、授業内容は…正直、あまり残っていない。

 最後の授業時間。

 僕の意識はまた暗転した。

 

 

 いつもは見ることがない夢を見た。

 

 

 小さいころの夢。

 幸せな夢。

 誰かが思い描いた夢。

 

 彼女はみんなと遊んでいる。とても楽しく遊んでいる。

 やがて夕焼けがやってきた。

 みんなとお別れしなければいけない。

 けれど彼女は寂しくはなかった。

 夕焼けの道をお兄ちゃんと一緒に手をつないで、おうちに帰る。

 

 

 それは。

 とてもとても温かい光景。

 

 

 

 

 …………ヴー――ヴー――

 

 

「……ん……」

 

 しだいに意識が現実味を帯びてくる。

 ポケットで携帯が振動している感覚。

 自分の頬が少し濡れている感触。

 背中が寒い。

 

 たしかさっきまで授業をしていて……。

 そっか…。

 僕、また寝ちゃったんだ。

 

 まどろんだ目をゆっくりと開く。

 辺りは夕日に照らされ、赤く色づいていた。

 顔の下には白紙のノート。

 その片隅に目を落とすけど、白紙。

 体を起こす。

 

 夕焼けの教室には……誰もいない。

 

 

 ……ヴー――ヴー――

 震える携帯を開いた。

 恭介からのメールだった。

 

 『理樹、おまえには悪いと思ったが、一足先に病院に来ている。

  おまえのことを負ぶっていこうかと思ったが、さすがにやめておいた。

  理姫の手術は、つつがなく終了したそうだ。

  今はまだ麻酔で眠っている状態らしい。

  俺たちは術後の面会はしていない。この人数だと会えそうにないからな。

 

  理樹

  おまえが行ってやれ』

 

 僕は携帯を閉じると、イスから立ち上がった。

 

 

 

 

 

「――恭介」

 病院に着くと、恭介が一人待合室で待っていた。

「来たか」

「理姫は?」

「病室だ。行ってやれ」

「うん」

 

 

 僕は、いつもの通路を通り、いつもの階段を登り、いつもの病室の、いつものドアの前に立った。

「――入るよ」

 いつものように声をかけて病室に入る。

 今日は……ノックなしだ。

 

 そこにはいつもの病室が広がっている。

 窓からは沈みかけた夕日が差し込んでいる。

 理姫の片側の枕元には、みんなからもらったツルが羽を広げている。

 もう片側の枕元には、僕があげたドルジのぬいぐるみがのほほんと腰を下ろしている。

 

 いつもと違うのは……理姫だけだった。

 

 理姫はベッドに横たわっていた。

 体からは、何本もチューブが出ている。

 チューブの先につながった点滴や薬ビンから、液体が流れ込んでいる。

 まるで…機械みたいだ。

 そして何よりも違うのは…。

 

「初めて見たよ…」

「理姫が、笑ってないところ…」

 

 

 …いつものようにベッドの横のイスに腰掛けた。

「…………ぅ…………」

 ほぼ同時に横たわる理姫から、声。

「理姫…」

「…………ぅ……ん…………」

 理姫の目が、ゆっくりと開けられる。

「理姫……起きたんだ」

 僕は今、笑顔でいられている。

「…………」

「……お…に……いちゃん……」

「うん、ここにいるよ」

「…………」

 僕の方に顔を向ける理姫。

 何かを話そうと、口を動かしている。

「どうしたの?」

「…………がっこう、は……?」

 もう…。

 こんな状態でもそんなことを言うなんて……。

「ちゃんと最後まで授業を受けてきたよ、理姫に言われたとおり」

「…………」

「……よかった……」

 理姫が笑顔を浮かべた。

 ……気がした。

 それがわからないほど、今の理姫は……弱々しい。

「…………けど…………」

 目がゆっくり閉じられる。

「……こんな……私……おにいちゃんに……見られたく……なかったな……」

「……だって……心配……かけちゃう……」

「大丈夫だよ」

 

 僕は、理姫の氷のように冷たくなった手を握って、青を通り越して白くなってしまっている顔を見つめた。

「…理姫、とっても元気そうだ」

 

「…………ありがとう…………」

 きっと、今も理姫は、笑った。

「心配かけたっていいよ。だって僕たち――」

 

 兄妹なんだから、と言う前に、

 理姫はまた眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――次の日もまた、理姫の部屋を訪れた。

 

 コン、コン。

 …………。

 

 ノックをしたが中から返事はなかった。

「――入るよ」

 中を覗くように、静かにドアを開けて部屋に入った。

 

 理姫は、眠っていた。

 

「理姫…」

 理姫の体から伸びていたチューブは、1本だけになっていた。

 いつものようにベッドの横のイスに腰を下ろして、理姫に掛かっている布団をかけ直す。

 

 横になっている理姫の顔に目を向ける。

 

 『予後は悪いだろう』……先生が言っていた言葉。僕の心に重く重く圧し掛かっている言葉。

 けど。

 …理姫の顔色は、昨日に比べて格段に良くなっていた。

 

 きっと元気になってきたんだ……。

 顔に掛かっている前髪を指先で払った。

 ……指先に熱が伝わってくる。

 たぶん、熱が出てる…。

 けど。

 

「――……すぅ……すぅ……すぅ……――」

 

 寝顔はとても安らかだ。

 少しだけ口元が上がっている気がする。

 もしかしたら夢の中でみんなと遊んでいるのかもしれない。

 

「あ…」

 何事もなくすやすやと眠っている理姫を見ていたら…涙が出てきていた。

「…………」

 手でゴシゴシと擦る。

「…………」

 まだ視界が霞んでいる。

 こんな泣きそうな顔、理姫には見せられないよ…。

 

 僕は、枕元の落ちそうになっていたツルとドルジのぬいぐるみを元の位置に戻して病室を後にした。

 

 

 

 

――翌日。

 病室に行く前にトイレに寄ることが、もう僕の日課になっている。

「…うん」

 鏡に映る僕の顔は、上手く笑えていた。

 押し殺している不安な気持ちは……顔からは、きっと悟られない。

 

 

 病室の手前には、一足先に恭介がいた。

 ……。

 どうしてだろう?

 ただ病室の手前で佇(たたず)んでいた。

 

「恭介…行かないの?」

「理樹か」

 僕に向けられた恭介の表情は、まるで数学の珍問に当たってしまったような表情だった。

「…………何かあったの?」

「いや、そういうわけじゃないんだが…」

 煮え切らない返事。

 首をかしげながら、僕が病室へと行こうとすると。

「理樹」

「?」

「今日は、理姫と会えないそうだ」

「……え?」

「さっき行こうとしたら看護師に止められちまってな」

「本人たっての希望だそうだ」

「理姫の希望……? 会わないことが?」

「ああ」

 ……理姫が人と会いたくない、なんて……。

「……僕――」

「ちょっと顔出してくるね」

 不安を見せないように、恭介の横を通り過ぎようとした。

「待て、理樹」

 恭介の強い語調に足が止まる。

「あいつが会いたくないなんて言うからには、それ相応の理由があるんだろ」

「術後の自分の姿を見せて、みんなを心配させたくない……とかな」

「けど……」

「大丈夫だから心配しないで、とも看護師から言付かっている」

「理姫が大丈夫って言うなら、大丈夫なんだろ」

「……」

「理姫は、気丈だ。だろ?」

「うん……」

「なら、察してやれ」

 

 ……理姫は、恭介が言うとおり気丈な妹だ。

 手術後で弱々しい自分を人に見せたくない、心配させたくない……きっとそういう理由なんだと思う。

 

「明日にでも体力が回復して、いつもの笑顔を見せてくれるさ」

「……そうだね」

 

 

 

 

――次の日。

 理姫の病室の手前まで行くと、看護師さんがちょうど病室を後にするところだった。

 僕は一瞥(いちべつ)して病室へ向かおうとした。

「あ、キミ」

 看護師さんに声をかけられた。

「はい?」

「今日は……このお部屋の患者さんとは面会できないの」

「え……?」

「ごめんね」

「本当は面会謝絶の札をつけるところなんだけど…患者さんが、それはみんなが余計に心配しちゃうからやめてほしいって」

「面会謝絶…?」

 その言葉に息が止まりそうになる。

「えっと…」

 看護師さんの言葉が、ほんの一瞬止まった。

「キミが思ってるような意味じゃなくて、患者さんが人と会いたくない時にも使うの」

「容態は安定してるから、心配しなくて大丈夫よ」

「患者さんからも、安心してと伝えてください、と伝言を頼まれてるの」

「そう、ですか…」

「では」

 看護師さんは軽く頭を下げると歩き去って行った。

 

 …………。

 ――予後は悪いだろう。

 思い出したくもない言葉が胸を締めつける。

 

 僕は、理姫の病室の前に立った。

 

――コン、コン。

 

『はい』

 ノックをすると、理姫の声。

 一拍おいて…不安を気取られないように努めて明るい声を出す。

「入って、いいかな?」

 

 行けば会えそうな気がしていた。

 けど。

 

『…ごめんね』

 

 中から返ってきたのは…否定の言葉。

『今日は…ダメ、だよ』

 困ったような声がドア越しに聞えてくる。

「……」

 なんで、どうして、訳を訊かせて、そんな言葉が頭に並ぶ。

 けど、どの言葉を選んでも……きっと理姫を困らせる。

 僕が言葉を返せないでいると、理姫が言葉を紡いだ。

 いつも通りの調子、で。

 

『体はもう大丈夫なんだよ、私』

「けど……」

『お兄ちゃんって心配性なんだね』

 いつものような理姫の言葉。

「……放っておいて」

 僕もいつもの調子で返す。

『ほら、私は大丈夫だから、安心して。ね?』

「…うん」

「……」

『……』

「明日は…会えそう?」

『………………うん』

「そっか、なら今日はもう帰るね」

『……お兄ちゃん』

「うん?」

『今日も来てくれて…ありがと』

「……うん」

 

「また明日、理姫」

『また明日、お兄ちゃん』

 

 いつもどおりの言葉、だった。

 

 

 

 

 

 

――また次の日がやってきた。

 今日、明日と休日だ。

 きっと今日は……ずっと理姫と一緒にいてあげられる。

 

 身支度を整えて、いつものように病院へ向かった。

 春らしい、温かくて気持ちのいい日だ。

 頬に当たる春風が心地よい。

 

 理姫の病室に行く前にいつも通りトイレの鏡の前に立つ。

「…うん」

 僕は今日も上手く笑えている。

 昨日やおとといよりは、少し下手になった。

 けど。

 きっと理姫が今の僕の顔を見たら安心できる。

 きっと理姫を元気にしてあげられる。

 

 そんな笑顔をしていられている。

 

 

 理姫の病室の前。

 今日は誰にも止められることはなかった。

 

 

――コン、コン。

 

 深呼吸をしてからノック。

 

 …………。

 

 返事はなかった。

「――入るよ」

 

 ドアを開けた。

 

 

 

「……………………え?」

 

 

 

――ベッドは、空、だった。

 

 

 

 そこに、見慣れた光景はなに一つなかった。

 枕元で羽を広げていたツルが……いない。

 枕元でのほほんと腰を下ろしていたドルジのぬいぐるみが……いない。

 

 ベッドの上でいつも笑顔を咲かせていた理姫が…………いない。

 

 整頓された無機質な病室が広がっていた。

「……え?」

 もつれそうになる足を無理矢理動かし病室の前に出て、見上げる。

 

 ネームプレートは

 誰もその病室を使っていないことを表していた。

 

「……え?」

 病室の前を他の患者さんがヒソヒソと話をしながら通り過ぎていくけど……僕の耳には届かない。

 

 

 理姫は……どこだろう。

 ……突きつけられた現実を必死になって否定している。

 

 今日は……いい天気だ……。

 散歩好きな理姫のことだから……散歩に出てるんだ。

 ……突きつけられた現実を必死になって否定している。

 

 目の前の全ての光景が色褪(いろあ)せていく。

 自分が息をしているのかさえわからない。

 

「――――………………ッ!」

 僕は、見えている病室から出て、見えもしない影を追うように病院の外へ飛び出した。

 

 病院の周りに広がる、いつもの散歩道。

 春の日差しが刺すように差し込んでいる光景。

 

 そこを進めば……その先に理姫がいる気がした。

「どこ……行っちゃったのさッ」

 僕はまだ、突きつけられた現実を必死になって否定している。

 認めなければ……すべてが変わる気がしていた。

 

 最初は、もつれる足でゆっくり。

 距離が進むにつれて、早足になっていく。

 

 「理姫ッ! ねぇ、理姫ッ!」

 いるはずのない影を必死で探している。探し求めている。

 

 早足だった足は、徐々に速度を上げて駆け足になってゆく。

「ハァッ…ハァッ……ハァッ………ハァッ……ハァッ――!」

 いつしか駆け足だった足は全力疾走になっていた。

 

 1周……。

 2周…………。

 3周………………。

 

 何度呼びかけても、答えはない。

 何度見回しても、見つからない。

 いくら探し回っても見えることがない……いるはずのない影。

 

「ハァッ…ハァッ……ッグ……ハァッ…ハァッ…ハァッ、ハァッ――!」

 

 体中が悲鳴を上げている。

 足がもつれて思うように走れない。

 それでも、僕は

「僕と……ハァッ、ハァッ…一緒に……ハァッ、ハァッ……帰ろうよっ!」

 見えもしない影を探し続けている。

 探せば見つかる気がしていた。

 

 

 

 

 

 けど……。

 けど…………。

 けど本当は……。

 本当は……わかってるんだ。

 理姫が……どうしていないのか……。

 理姫が…………どうなったか……。

 僕は……。

 

 

 わかっているんだ。

 

 

 

 

 

 疲労しきった足を止める。

「ハァッ…ハァッ……ハァッ……ハァッ…………ハァッ………………――」

 すぐ近くにある病院の窓に、疲れきった僕が映し出されていた。

 

 酷い顔だ。

 眉をしかめて、今にも泣き出しそうな顔をしている。

 それなのに。

 もう必要もないのに。

 それでも僕は笑顔を作ろうとしている。

 だから、酷い顔だ。

 

「……そうだ」

 一箇所だけ、行ってないところがあった。

 

 病院の裏。

 少し奥に入ったところ。

 周りの木で見えづらかったけど…隙間から桜色が顔を覗かせている。

 

 

 

――そこには、小さな桜の木があった。

 桜の花が咲いていた。

 大きく広げた腕いっぱいに、大輪の桜の花が咲き誇っていた。

 春風に揺られ、空いっぱいに広がった桜たちが踊っていた。

 

 もう――満開だ。

 

 

 

 一人佇む僕は言葉もなく、その桜の木を見上げた。

 

 

 この前来たときは、つぼみだったのに。

 この前来たときは、温もりを感じていたのに。

 この前来たときは、確かに僕の横にいたのに。

 

 この前来たときは……妹がいたのに。

 

 今は、いない。

 この光景を誰よりも楽しみに待っていた妹だけが、いない。

 

 

「そんなのって、ないよ……」

 呟く。

「酷すぎるよ……」

「ようやく会えたのに……」

「ようやく夢が叶いはじめたって言ってたのに……」

「これからも、一緒に叶えていこうって言ったのに……」

「そんなのって、ないよ……ないよ……」

 

 涙がこぼれそうになる。

 

「まだ理姫に言葉にして伝えてないことがあるのに……っ」

「理姫があんなにお兄ちゃん、って僕のこと呼んでくれたのに……っ」

 

 涙を堪えるけど、ひとすじ、ひとすじと頬を伝う。

 

「まだ兄妹なんだって、伝えてあげられてないよ……っ」

 理姫との思い出があまりにも短すぎて、あまりにも詰まりすぎて、かえって真っ白になってゆく。

 

「僕は……お兄ちゃんらしいこと、してあげられてたのかな……?」

 もちろん返事なんて返ってこない。

「笑顔でいれば……理姫がきっと元気になるんだって……がんばったけど……っ」

「もうさ……っ」

 

 立っていられずに腰が落ちた。

 途端にボロボロと涙がこぼれはじめる。

 

「……泣いたって……いいよね……?」

 

 

「うあぁぁ……っ」

 

「うあぁぁ……っ……ぁう……っぁうあああああぁぁぁ……――」

 

 

 満開の桜の下、春風に桜の花びらが舞う中

――僕は、声を上げて泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰にも会いたくなかった。

 今は誰にも会いたくない。

 こんな僕を……誰にも見せたくない。

 今の僕を見たらみんなは励ましてくれるだろうけど、今はその優しさが……痛い。

 

 僕は泣き疲れた体を引きずり、休日で誰もいない学校に向かった。

 やがて閑散とした教室に辿り着く。

 誰もいない机を通り過ぎ、窓際の自分の席に腰を下ろした。

 

 ここからは理姫の机が見えた。

 突然できた妹。

 ここから理姫が勉強をしている姿を、戸惑いの視線で見ていたんだ。

 

 机に手を入れる。

 ……理姫が入院してから、ずっと道具は置きっぱなしだ。

「あ…」

 その中の一冊のノートを取り出す。

 ペラペラとページをめくると、それはあった。

 

 片隅に「おはよう」という落書き。

 

「ほんの少し前なのに……」

 懐かしい。

 

 まぶたを閉じると、理姫の顔が浮かぶ。遠い声が聞える。

 

 なにもかもが、懐かしいよ。

 懐かしい……。

 

 意識が……暗転していく。

 

 

 

 

――夢を見た。

 

 僕と理姫の辿った軌跡をなぞる夢。

 僕たち兄妹の夢。

 

 出会い。手探りでつたない会話をしていた。

 理姫の転入。教室の反応が恥かしかった。一緒にいるのが恥かしくて理姫と距離を置いていた。

 みんなと野球。僕は少し離れて、みんなと会話をしている理姫を見ていた。

 買い物。僕たち二人は肩を並べて歩いても、足並みが合っていなかった。

 病室。僕たち二人は気兼ねせずに話せるようになっていた。

 散歩。僕たち二人は肩を並べて、揃った足並みで歩いていた。

 桜。僕たち二人は一緒に見上げていた。

 

 

 いつの間にか

 僕たちは

 兄妹になっていた。

 

 

 

 

 

「……ん……」

 

 しだいに意識が現実味を帯びてくる。

 背中には何かが掛けられている感触。

 

 

 そっか…。

 僕、また寝ちゃったんだ……。

 

 

 まどろんだ目をゆっくりと開く。

 辺りは夕日に照らされ、赤く色づいていた。

 顔の下にはさっきまで見ていたノート。

 ノートの片隅に目を落とす。

 さっきまで見ていた「おはよう」の落書き。

 

 

 

 その下には「ただいま」という落書き。

 

 

 

 体を起こすと、肩にかけられていたカーディガンがハラリと落ちた。

 目線の先には夕焼け色に映し出された一人の女の子。

 

 

 

「――ただいま、お兄ちゃん」

 

 

 

 夕日に照らされて、理姫がそこに、立っていた。

 ぼんやりとしていた意識が、はっきりとしていく。

 

「理……姫……?」

 頭の中が真っ白になる。

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 夢の中と変わらない、笑顔。

 

「理姫……なの?」

「そうだよ」

 僕はイスからゆっくりと立ち上がった。

「本当に……理姫……?」

「うん」

 嬉しそうに頷く理姫。

 

 

「ただいま」

 理姫の笑顔が、桜の花のように咲いた。

 

 

「理姫……」

「理姫……っ!」

 思わず僕は理姫に抱きついた。

「ど、どうしたの?」

 

 温かさが伝わってくる。

 胸の鼓動が伝わってくる。

 

「……生きてる……」

「……理姫が……生きてる……」

「お兄ちゃん、大げさだよ」

 少し呼吸を落ち着けてから離れた。

 

 幽霊かと思った…。

 幻覚かと思った…。

 理姫だ。

 確かに理姫がここにいる。

 

「けど……」

 理姫は……ガンで……。

 手術の予後は悪いって……。

 

「今日退院したのに、お兄ちゃんがどこにもいなくて探し回ったんだよ」

「……退院?」

「ふふっ、まさか学校にいるとは思わなかった」

 口元に手を当ててクスクスと笑っている。

「……」

「理姫」

「なに、お兄ちゃん?」

「体は……大丈夫なの?」

「もう大丈夫だよ」

 目の前の理姫は……僕から見ても健康そのものだ。

「けど……理姫がガンだって……」

「ガン? 私?」

 首を傾げている。

「うん、病院の先生が…」

「……」

「……」

「盲腸だったよ、私」

 自分のお腹をさわっている。

「転移したガンだって…」

「……」

「……」

「ううん、盲腸」

 首をかしげながら理姫が自分のお腹をさする。

「けど理姫、何年か前からお腹が痛くなることがあったって……」

「慢性盲腸炎っていう病気だったんだって」

「……」

「……」

「病院の先生が、3階の個室の髪を結ってて男の子がお見舞いに来てる患者さんが……転移した胃ガンで予後は悪いって……」

「あ…」

 胸の前で手をポン、と合わせた。

「それ、たぶん、個室の魚越さん」

「私が手術した日と一緒だったから、魚越さんの手術」

「奇跡的な大成功って病院中大騒ぎだったんだよ」

「お孫さんがいつもお見舞いに来てたみたい」

「……」

「……」

「………………え?」

「それにお兄ちゃん」

「私、病院で髪、結ってない」

 

 …そうだ。

 言われて思い出した。

 理姫は病院では散歩に行くとき以外……髪を下ろしていた。

 

「じゃあ……ガンっていうのは……」

「たぶん、お兄ちゃんの聞き間違い、かな」

 

 …………。

 ……。

 なんだ……。

 そうだったんだ……。

 

「はぁぁ……………――――――」

 大きな溜息と共に、今まで巣食っていた体の中の黒い塊が抜けていく。

 ずっとずっとずっと長い間こめていた全身の力が、急激に抜けていった。

 

 ストン。

 

 僕は崩れるようにイスに尻餅をついて、そのまま顔を隠すように机に塞ぎこんだ。

 

「全部……僕の勘違いだったんだ……」

「お兄ちゃんは早とちりなんだね」

 微笑む理姫の声。

「………………放っておいて」

 顔を伏せたまま、いつもの返事。

 

「お兄ちゃん」

「……うん?」

「心配してくれてたんだね、私のこと」

「…………もう、クタクタになるくらい、本当に……本当に……心配したよ…………」

「……」

 理姫が少し動く雰囲気。

 顔を伏せている僕には見えないけど、きっと肩をすぼめてくすぐったそうな笑顔を浮かべている。

「お兄ちゃん、私との最初の約束を守ってくれた」

「具合が悪くなったらお兄ちゃんに介抱してほしい、っていう約束」

「私のことを介抱してくれて……本当にありがとう」

「……うん」

 机に伏せていた顔をゆっくりとあげる。

「あ……っ」

 理姫が慌ててポケットからハンカチを取り出した。

「涙、でてるよ」

「……うん」

「これで…拭いて」

「……うん」

「ほら…」

「……うん」

 僕は病院の桜の下で泣いた。

 泣いて泣いて泣いて。

 もう涙は枯れ果てたかと思った…。

 けど、さっき使い果たしたのは悲しいほうの涙だったみたいだ。

 

 今出ている涙は

 嬉しい涙。

 

 

「理姫が……元気になって……本当によかった……」

 

 

 今の僕の顔はたぶん酷い顔だ。

 涙が次から次に溢れている。

 それなのに。

 僕は満開の笑顔だ。

 だから、酷い顔だ。

 

 

「お兄…ちゃん……」

 

 理姫までもらい泣きしている。

 誰もいない夕焼けの教室で、兄妹が揃って泣いている。

 傍から見たら滑稽な光景だ。

 けど、僕たち兄妹にとっては……温かい光景だ。

 

 

 

 

――夕日が傾き始めた。

 

「理姫」

「寮まではちょっとしかないけどさ」

「一緒に帰ろうよ」

 妹に手を差し出す。

「……手、つないでさ」

 

「……うん」

「一緒に帰ろ…お兄ちゃん」

 

 妹が僕の手をしっかりと握った。

 

 

 

 

■「理姫」エピローグ     『見える距離』

 

 

 

「かんぱ~~~~~いっっっ!!」

 

――ボフッ、ボフボフボフッ

 

 満開に咲き誇った桜の下。

 リトルバスターズが全員揃って紙コップをぶつけ合う。

 

 僕たちみんなでの――

――お花見の開催だ。

 

「うおおおおおぉぉぉーーーっ!? オレの紙コップがぁぁーーーっ!!」

 さっそく真人が紙コップを握りつぶした。

「わぁっ、私にもジュースがかかりましたーっ」

 巻き添えは乾杯しようとコップを近づけたクド。

「真人、強く握りすぎだよ……」

「こいつ、くっちゃくちゃ馬鹿だな」

「ほら、二人ともちょっと手を上げて」

 理姫がクドの服の汚れに布巾を当て始めた。

「わふーっ、わふふっ、理、理姫さんっくすっ、くすぐったいのですーっ」

「ふふっ、もうちょっとだから我慢だよ――はい、もう大丈夫」

「次は真人くん」

「お、わりぃな」

 理姫が、万歳をしている真人の服を拭いている。

「理姫……真人が悪いんだから、そんなことしてあげなくてもいいよ」

「放っておいたら真人くん、自分で拭かなそうだから……はい、終わったよ」

「サンキュー」

 それを見ていた来ヶ谷さんの目が輝きを放った。

 ……嫌な予感がする。

「おっと、手が滑った」

 

――バシャッ。

 

 ……来ヶ谷さんが、自分の胸元にジュースをこぼした。

「しまった…このままでは汚れが残ってしまうな。理姫女史、悪いが――」

 

「おーい、おまえら肉が焼けたぞー。理姫、小毬、悪いが持って行ってくれ」

「あ、はーい」

「了解だよ~」

 理姫と小毬さんが少し離れて肉を焼いている恭介と謙吾の方へとかけていった。

 

「……」

「……」

「おねーさん、こんな屈辱を受けたのは初めてだよ……」

「……下心があったのがまずかったのではないでしょうか」

「西園女史、悪いが……」

「お断りします」

 ……来ヶ谷さんがションボリしながら、自分の胸元に布巾を当てていた。

 もしかして、来ヶ谷さんを翻弄できるのは理姫だけなんじゃないかな…。

 

――ブルーシートの上に、次々とお弁当箱やバーベキューの串が乗った皿やお菓子が並べられていく。

 桜が舞う中、僕たちリトルバスターズはいつもの大騒ぎだ。

 

「ほわぁぁぁ、おいひいよ~」

「神北よ…」

「なぁに、謙吾君?」

「バーベキューにマシュマロとは……一体どんな味覚をしているんだ」

「マシュマロは焼くと美味しいんだよ~」

「さすがに肉と野菜の串に一緒に刺して焼くのはどうかと思うよ……」

「ふえぇ?」

 なんでそこで不思議そうな顔をするのかが全くわからない。

 

「やっぱりお菓子といったら魅力はこれですナ」

 ……葉留佳さんはお菓子から袋を取り出して、何かを始めた。

「ふむ、葉留佳君は何をしているのだ?」

「なにって姉御、そんなん決まってるじゃないッスか」

「じゃーーーんっ、ケロン軍換装ドッグーーーっ!」

「……ほう、ケロロ軍曹ですか」

「さすがみおちん、わかってるっ」

「やっぱりお菓子といったら食玩に決まりですヨ。ケロッケロッケロッ――」

 一人で歌いながら、食玩を作り始めてるし…。

「時に葉留佳君」

「はいよ」

「その食玩はどうしたんだ?」

「どうしたもこうしたも、みんなの買い物にひっそり潜ませておいたんですヨ」

「うむ、あれほどみんなで食べれるものを買うぞと言っておいたのにな」

「罰としてキミのお菓子はそれだけだ」

「へ…?」

「って、これガム一個しか入ってねーーーっ!」

 うん。

 こういうのを自業自得と言うんだと思う。

 

「鈴、ちょっとジュース取ってくれ」

「ファンタか? それともコーラか?」

「ネーポン」

「ずいぶんとまにあっくだな…」

 恭介に目を向けると、鈴と肩を並べて座っていた。

「きょーすけ、ピーマンをやる」

「好き嫌いするなよ」

「違うぞ。あたしはきょーすけの健康を心配しているだけなのかもしれない」

「マジかよ……」

「ん」

「ちょーうめぇぇぇーーーっ」

 恭介が鈴からもらったピーマンを歓喜の声をあげながら食べている……。

「そうか。ならニンジンもやる」

「マジかよ……」

「ん」

「ちょーうめぇぇぇーーーっ」

 ……恭介も存外単純だ。

 

「ふふふっ……くすくすっ」

 僕の横にちょこんと腰を下ろしている理姫を見ると、みんなの様子を見て肩を震わせて笑っていた。

「こんなに賑やかなの、久しぶり」

「そうだね」

 入院の前の夕食パーティー以来だ。

「――お花見、ずっとずっと楽しみにしてたんだ」

「みんなと…理樹くんとのお花見」

「初めての、お花見」

「すごく……うれしい」

 僕らの頭上に咲き誇る桜に負けないくらいの微笑みだ。

 

 みんなの大騒ぎの声を聞きながら、二人で桜の木を見上げる。

 

「綺麗、桜」

「うん」

「病院で、ちょっとフライングしちゃったけど」

 胸の前で指を組んで、遠くを見つめるように桜を見ている。

「――理姫さ」

「なに?」

「退院する前の日とその前の日に会えなかったけど……何かあったの?」

「あ……それは…………」

 途端に理姫の顔が桜色に色づいた。

 何か変なこと聞いちゃったのかな?

「笑わないって約束できる…?」

「うん」

「……」

「……」

「耳かしてね」

「え、うん」

 理姫の方に耳を近づけると、理姫が僕の耳に手を当てて小声で呟いた。

「…………お…………」

「お?」

「…………おなら…………」

「え?」

 理姫を見ると…。

 おでこでお茶が沸かせるんじゃないかと思うほど真っ赤になっていた。

「……だって……その……先生が……」

「……おならがでるって……言うんだもん……」

「…それで会いたくなかったの?」

 真っ赤な顔で小さくコクンと頷く理姫。

「………………ぷふっ」

「理樹くん、ひどいよ……笑わないって約束したのに」

「ごめんごめん」

「じゃあさ、そのお詫び……というわけでもないけど」

「おわび?」

「うん」

 理姫が胸の前で指を組みながら、期待のこもった目で僕を見つめている。

 

「みんなの前でもさ、学校でもさ、出かけた先でもさ」

「僕のこと……お兄ちゃんって呼んでほしいな」

「いいの?」

 理姫の笑顔がより一層、輝きを増す。

 

「当たり前だよ」

「だって、僕たち」

 

 

 

「――兄妹なんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

////////////////////////////////////////////////////////////

 

■あとがき

 

みなさん、こんにちは。初めましての方は初めまして。作者のmと申します。

SS「理姫」を最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。

楽しんでいただけたら光栄です。

 

さて、このSSのメインテーマは『兄妹』です。

時にはゆっくりと、時にはいつの間にか、兄妹の絆を紡いでゆく物語です。

日々の思い出を積み重ねる中で、兄妹特有の程よい距離を見つけていく。

いつしか二人の歩調が合っている。

そういった思いをこめています。

 

サブテーマは、『距離』『夕焼け』。

近づいては離れ、離れては近づく二人の物理的な距離。

けれど精神的には一歩ずつ縮められてゆく距離。

夕焼けを通して書き表していたりします。具体的には、点在している夕焼けを歩くシーン描写の冒頭を見ていただければ良いかと思います。

加えて、各所で理姫が「冗談だよ」と言って目をそらして笑うシーンがあります。

実は、そう言ったときが理姫の本音です(笑)

最初から、理姫はお兄ちゃんと一緒に手をつないで歩きたかったんです(笑)

 

最後に。

理姫は本来リトルバスターズにはいないオリジナルキャラクターです。

私は、そんな理姫を読んで下さった皆さんの心の片隅に居続けられる子になる様に、丹精を込めて書き綴りました。

 

このSS「理姫」を、読んで下さった皆さんが楽しんでいただけたのなら幸いです。

 

 

追記:

病院で理樹が医者の会話を立ち聞きするシーンでひとつだけ調べていない単語があります。

 

アッペ→虫垂炎。

 

つまり、盲腸の意味です(笑)

 

 

 

サムネイルに使用した絵も折角ですので貼り付けておくとします(笑)

全て絵板で描いています。

どうやら2枚までしか挿入できないようですので、残り2枚は割愛させていただきます。

 

 

 


 
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