No.150418

Cat and me20.スズの死

まめごさん

ティエンランシリーズ第六巻。
ジンの無責任王子ヤン・チャオと愛姫スズの物語。

光は完全に消えた。
消えてしまった。

2010-06-13 22:29:07 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:695   閲覧ユーザー数:672

春にしてはやけに暑い日だった。

政務が終わったわたしは、カイドウ、リンドウ、キムザを引き連れ部屋に向かっていた。

スズは一人でお留守番をしている。

またリンドウの無数の玉を転がして遊んでいるのだろうか。

昼餉が終わったら、今日は城下にでもいってみようか。

呑気にそんな事を考えながら、扉を開けた。

いつもは飛び付いて出迎えてくるはずのスズがいない。

「スズ?」

部屋を見渡すと一人の男がハッとしたように身を起こした。

寝台の蔭から床に倒れた白い足が見えている。

「ス…」

身体がぐらりとした。まるで捻じれたようだった。

男は慌てて窓から逃げる。

「カイドウ! リンドウ! 追え!」

「はっ!」

寝台の蔭に駆け寄る。血が一気に引いた。

「スズッ!」

スズが血の海に倒れていた。

衣は見るも無残に破け、白い肌から赤い血が流れていた。

「キムザ! すぐに医師を!」

息を呑んだキムザが身を翻して駆けて行った。

「スズ、スズ!」

抱き起こすと息はまだあった。

「スズ、スズ!」

――ごめんなさい。

黒い瞳でにっこりと笑った。なけなしの生命を振り絞るように震えている。

瞬間に血を吐いた。

「馬鹿、しゃべるんじゃない。大丈夫だ、すぐに…」

――ごめんね。

「なにを言っているんだ、お前は…」

――大好き。

「スズ、わたしの言っていることが、分からないのか。しゃべるんじゃないと…」

スズの瞳から光が消えていく。

「スズ、スズ! お前はどこに行く気だ! いくんじゃない、帰って来なさい!」

光は完全に消えた。

消えてしまった。

窓辺の椅子に腰かけて、手にしている玉を眺める。

リンドウの玉だ。スズの硬直した手に握りしめていた。

わたしの愛姫がいなくなってから十日が過ぎた。

実感がない。全く実感がない。

スズがいないなど。

あの可愛らしい鳴き声がしないはずがない。

あの可愛らしい姿が見えないことなどあるはずがない。

しかしいくら耳を澄ませても、部屋を見渡しても、スズはいなかった。

墓は森の二人の秘密の場所にたてた。

現実を未だに受け入れられないわたしは、まだそこには行っていない。

カイドウとリンドウが引きずってきた痘痕面の男はボンクラたちの臣下で、命によってスズを殺したと白状した。

震えながら命乞いをする男の首を撥ね、二人の兄に付きつけた。

「この者を御存じか」

兄たちは蒼白になり、一人は泡を吹いてぶっ倒れ、一人は喚きながら逃げようとした。

騒ぎはわたしが兄たちを殴り殺す寸でで引き離され収まった。

キムザはスズの後を追いかけるように天に昇った。

「わたくしには娘がおりました」

見舞ったとき、老女は寝台の宮に凭れながら静かに語った。

「流行病で、十の頃に死にました。多分…スズさまにその娘を重ねていたのですわ」

きっとジュズさまも。

「わたくしと同じような境遇だったのかもしれませんね」

そういってひっそりと笑った。

「スズさまにもう一度お会いしたかった」

それが最後の言葉になった。

「まさか、あの子が殺されるなんて」

目の前にいるハヅキが痛ましげに眉をひそめた。卓の上には茶器が二つ。

「原因はあいつらに決まっている」

リンドウの玉は光を受けてキラキラと光る。

「あの痘痕面を殺したのが間違いだったな」

ピクリとこめかみが動いた。

初めて神に祈った。心の底から真剣に。

勿論願いは届かず、スズは帰ってこない。

神など大嫌いだ。

慈悲だ何だと銘打って置いて、いざとなれば手ひどく突き放す。

「ところで君の愛姫を殺した男」

手が止まった。

「ティエンランからの流れ者らしいね。あくまでも噂だけれど」

「それで? ハヅキは何を企んでいるのだ?」

悲しいな、とハヅキは首を振った。席を立ってゆっくりとこちらへ近づいてくる。

「ぼくはただ友人を心配しているだけだというのに。酷い話じゃないか、君を憎んでいるからといって何故あの子を殺すんだ」

肩に手がかかる。ハヅキの声は心底悲しげだった。

「何の罪もない愛姫を」

右手を強く握りしめると、リンドウの玉がキチ、と鳴いた。

「ヤン・チャオさま」

リンドウ、カイドウが入ってきた。老医師を連れている。

「スズさまのことなのですが」

真っ青になって目が泳いでいる。老人も痛々しい顔をしていた。

「どうした」

「あの…その…」

「言え」

「実はスズさまは…ご懐妊されていたそうです…」

弾ける音に三人が身をすくませた。

わたしが茶器を床に叩きつけた音だ。

胸の内を燻っていた怒りは、ついに堰を切った。

あのボンクラ共は。

王の目が自分たちにいかず、わたしへ向かっている事に嫉妬していた。

そして卑怯な手に出たのだ。

さすがわたしの兄だと褒めてやろうか。

まさかスズを殺すなど。わたしの子を宿していた、愛するスズを。

わたし以上の卑怯者だ。

あいつらはわたしの一番大切なものを奪った。

ならば、わたしはあいつらが欲しがって堪らないものを奪ってやろう。

「奪いつくしてしまえよ」

耳元でハヅキの声がした。言葉は心の中にするりと入ってきた。

水が干乾びた大地にピチピチと音を立てて染み込んでゆくように、ゆっくりと、確実に。

「そして何もかも消し去ってしまえ」

 


 

 
 
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