簡単なキャラ設定
字 真名
※関羽 雲長 愛紗
本編主人公。
言わずと知れた美髪公。義姉妹に桃香、鈴々がいる。
苦労人で真面目な性格。部下思いで妬きやすい。
容姿は知っての通り。
一刀曰く「俺より女にモテる」
※馬良 季常 白波(ハクハ)
軍政に秀でた文官。白眉と称され、五姉妹で最も優秀とされる人物。武には疎い。
名家育ちのため逆境に弱く、どことなく消極的なところがある。
朱里や雛里と同程度の体格で華奢。光沢のある白髪を腰まで伸ばしている。
朱里曰く「趣味が合う仲良しさん」
※関平 坦之 愛里(アイリ)
愛紗の養娘。忠義を第一とする勇将。
言葉は粗暴だが真面目一徹。男勝りの性格。
蒲公英よりも少し背が高く、髪を後ろで束ねている。引き締まった眉目で左頬に一閃傷がある。
愛紗曰く「いつの間にか養娘になってた村娘」
土と雨の臭いが鼻をついた。ここでは珍しい開けた地形と久しぶりにみる日の光に少々の懐かしさを覚える。
前を見れば土煙に数多の軍勢。
後ろを見れば深い川底。
「釣れましたね」
「あぁ、しかしここからが大変だ」
愛紗は赤兎馬を手足のように扱って、全軍の前に出た。
敷いた陣は背水の陣。別に敷きたくて敷いたわけではない。賊にしては手強いと思い調べてみると、兵法家が敵方についているとのこと。
何故賊風情に兵法家がついているのかは知らないが、荊州南部の地形は複雑でゲリラ戦では先住のあちらに分がある。
相手に兵法家がいるならこの陣がいかに危うい陣か知っているだろう。だとすると一気に叩きに来ると踏み、見事それは的中した。
誘いは成功したが、まだ賭けの最中である。
横に出てきた馬良がぽつりと言った。
「それにしてもおかしいですね。これほど見事な陣を敷くとは」
遥か向こうに見える敵陣は木や地の凹凸をうまく使った自然の要塞そのものだ。
馬良の手綱を握る手が震えている。実際に前線に立ったのはこれが初めてなのだから当然だろう。
「そうだな。名の有った兵法家なのだろう」
「……勝てるでしょうか」
「何を言う。私が指揮していながら不安か」
「いえ! 関羽様がいらっしゃれば百人力です。恐れることは何もありません。ただ……」
馬良はぎゅっと手綱を握りしめた。
「相手は優秀な頭脳を持っています。兵糧心細くなり、争戦に走ったのは時が相手に味方をしたからで、地も相手に利しています」
「何が言いたい」
「勝算があると、確信を持てないのです」
良いお家で育ったお嬢ちゃんだから仕方がない、というのは愛紗は許さない。
愛紗は馬良の頭に拳骨を落とした。
馬良は「あう!」と叫んで頭を押さえた。
「『軍に将たるのことは静にして以って幽なり』。お前がこの言葉を知らんわけがなかろう。副将のお前が動揺すれば我が軍二千が動揺するぞ」
愛紗は今回、わざわざ自分が出向いて良かったと思った。馬良を連れてきたのも良い判断だ。いいとこ育ちのお嬢ちゃんには経験を積ませることが一番大切だ。
頭を抑えて馬良は涙ぐんだ。
「私たちは相手を知っている。斥候全員の情報が合致しているからな。そして自軍の事もよく知っている。私が鍛え上げた精鋭たちだ。ならば何故負けることがある」
「ですが……」
「細かいことを言っていたらな、私はとっくに死んでいるぞ。恐れを抱くのはいい。引き際を知ることが出来る。だが、恐れる時までは恐れるな」
そこまで話すと湿った土を蹴る馬の蹄の音が聞こえてきた。
見ると関平がこちらに駆けてくるところだった。
「義母上様、陣を立て終わりました!」
「そうか、ご苦労。ところで、いつも言っているが『義母』ではなく『義姉』と呼んでくれんか」
「何を言いますか。私は義母上の養娘ですよ」
「かと言って、私はまだそんな歳ではな」
歳は気にする年頃である。
三人は馬を並べて降り、天幕に入った。
適当な地図を見て我が陣を確認する。関平も将としての器が整ってきたようだ。
地形と相手の陣を見る。斥候の情報では敵の兵力は約千。
「私らから仕掛けちゃどうですか」
「まぁ待て。私が策も無しにこんな愚陣を敷いたと思うか?」
愛紗はぐっと杯を傾けた。酒が渇いた喉に染みる。
「私の見立てでは、奴らは軍の残党だ。荊州奪取の際、真に国を思ったどこぞの臣下が潜伏していたのだ」
「裏で孫権が手を引いているのでは?」
馬良は読みがまだ浅い。実践経験が少ない証拠だ。
「それはない。あいつも英傑だ。こんなやり方で国を取り返せるとは思ってはいまい」
愛紗は地図の一帯を指さした。
「ここは見ての通り、扇状に開けた地形だ。森林には狭く、川に接するは広い。二つの山に挟まれて、前にしか動けない。ところがだ」
山と川の間を指す。
「ここに桟道が見つかった。少し難しいが通れないこともないらしい。そこで愛里。お前は槍兵千を連れてこの桟道から相手の後ろに回り込め。今夜中にだ。そして狼煙が上がったら打って出ろ。馬良」
馬良は息を飲んだ。
「この場合、相手はどのような攻め方をしてくると思う」
「兵はこちらの方が多いですし、背水の陣の反発力は凄いですから……私なら錐行陣を敷きます。そして失敗して敗走する振りをして退却。追撃に来た私たちを伏兵と火攻で一網打尽にします」
「その通りだ。私もそう思う」
わざわざ真っ向からぶつかるのは馬鹿らしい話だ。
「こちらは方形陣を敷き、全力で打って出る。然る後狼煙を上げ愛里に後ろを突かせ、前後からの挟撃をする。以上だ。質問はあるか?」
「あの」
馬良はおずおずと手を上げた。
「私は何をすればいいですか?」
「お前は私の後ろにいればよい。さぁ、夜襲に備えよう。愛里、お前は出陣だ。気取られないようにそっと行け」
「はい! 腕がなりますよ!」
関平は腕をぐるぐる回しながら天幕を飛び出して行った。「お前ら出陣だ! 槍を持てぃ!」という大声が聞こえてくる。
愛紗も思わず飛び出して叫んだ。
「馬鹿者! 静かに行けと言っただろう! 間者がいたらなんとする!」
関平が馬から転がり落ちるのを見て、愛紗はため息をついた。
愛紗は関平以下千の兵が出陣した後部下に兵糧を摂らせ、早々に床に付いた。夕の警備は馬良に任せ、愛紗が深夜以降の警備を行うことに決めた。
まだ明るい天幕の天井を見つめ、遠くにいる皇帝劉備のことを考える。仕事をサボってはいまいか。きちんとした食事を摂っていようか。体を壊してはいないか。
あぁ、心配である。桃香の下には鈴々や朱里がいる。そして何より、一刀がいる。大事はないと思うが、それでも心配である。
荊州を授けられて数ヶ月。一度も桃香には会っていない。手紙を出せば返ってくるだろうが、仕事に差し支えてはいけないと思い一通も出していない。来るのは朱里の報告文のみ。
離れるとこんなにも愛しくなるものか。これは桃香の徳か、自分の業か。
「関羽様」
外から声がした。愛紗は体を起こした。
「何用だ?」
「お休みのところ、申し訳ありません」
どうやら馬良のようだった。愛紗は「入ってかまわない」と言い、寝間着を締めなおした。
入ってきた馬良は顔色が悪かった。目も虚ろだ。
馬良はそのままふらふらと歩みを進め、愛紗の胸に倒れ込んだ。
「おい、どうした」
愛紗は抱きしめた馬良の体温が高いことと、全く汗が出ていないことに気がついた。
脱水症状である。そして貧血もあるかもしれない。この戦に出てきてから十日余り、馬良がまともに物を食べているのを見たことがない。本人は「自分は少食なので」と言い張っていたが、やはり難を抱えていたのだろう。
「誰かある! 衛兵を――」
言いかけると、袖をぎゅっと握り締められた。
「ダメ、です」
喘ぐように呟く馬良を見下ろして愛紗は数瞬迷い、やっと何故馬良がわざわざここに来たのか理解した。
即座に天幕の外にいる部下に衛兵を呼び、たっぷりの水と粥を作ってくることを指示した。
戦の前に将に倒れられると士気に多大な影響を及ぼす。それを知って、大事にならないように気を使ったのだろう。
愛紗は馬良を自分の寝台に横たわらせた。
タライ一杯の水を持った衛兵がすぐに現れ、馬良の様子をみると濡らした布を額に当てた。
後は水を飲ませ、安静にしていればすぐによくなるとのこと。
愛紗は衛兵に話を広めないことを命じ、下がらせた。
「飲めるか?」
馬良はこくりと頷いた。
愛紗はそっと起こしてやり、杯に汲んだ水を口に運んだ。馬良はそれを口に含み、どうにか飲み込んだ。
「少しずつでいいぞ」
愛紗が優しい声でそういうと、馬良の表情は和らいだ。
ちょっとずつ、杯の水は減っていった。
やっと杯が空になるとき、粥が運ばれてきた。
衛兵曰く塩を混ぜるとよいそうだ。愛紗は衛兵を天幕の外に待機するように命じ、少しの塩を溶かした水をまた杯に汲んだ。
「体調管理は基本だぞ。無理をしても食べろ」
「すみません。でも、体が受け付けず」
馬良はこほっと咳き込んだ。口の端をつっと水が伝った。
愛紗はそれを拭き取り、粥を匙で掬った。
「ほら、我慢しろ」
馬良は数瞬迷い、思い切ってそれを口に入れた。
吐き出すかと思ったが、馬良は痙攣する胸を握りしめて無理やり粥を飲み下してみせた。
「よくやった。ほら、もう一回」
馬良は自分では食べようとしなかったが、愛紗が食べさせてやると我慢してそれを飲み込んだ。
やがて器が空になった。
「頑張ったな。偉いぞ」
消耗し細く息をつきながら項垂れる馬良を、愛紗は撫でてやった。
すると、馬良は薄く微笑んでみせた。そしてすぐ眠りについた。
愛紗はその様子を見届け、外に出た。ここは夜でも寒くない。上を見れば満点の星がそれぞれ光を発している。
自分は初陣で何を思っていたのか。桃香、鈴々と共に戦った初陣。懐かしい。緊張した桃香の顔を思い出し、思わず笑ってしまった。
あの前夜もこのような星空だった。自分は何かを考える事もなく、黙々と獲物を研いでいた気がする。その頃にはもう、愛紗は人を殺し慣れていたのだ。
人を殺し慣れるとは、人としてどうなのか。そんなもの考えるまでもない。しかし慣れないことには、こちらが死ぬだけだ。桃園の誓いを果たさぬまま死ぬわけにはいかない。
今度の戦もかなりの人間が死ぬ。敵だけでなく、こちらの兵も。自分の指揮のせいで、大勢。
空を見ると、雲が出てきたのか星や月が霞み始めた。
愛紗はため息を吐き、兵に指示を出すため闇の中を歩き出した。
馬良は翌日の正午近くに目を覚ました。今までの疲れがどっと出たのだろう。
「ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です」
目を覚ました馬良は近くで書物を読んでいた愛紗に抱きついて、笑顔でそう言った。髪と同じ銀色の瞳が光って見える。
「元気になったな。よかった」
「関羽様のおかげです」
これで兵を滞りなく動かすことができよう。
愛紗は報告文を置いて、外に出た。陣に並ぶは武装した兵五百。休養を取っているのもまた五百。
これでいつでも仕掛けられる。
「関羽様、実はこの陣の欠陥に気がついたのですが」
「ほう」
「包囲して攻撃する際は、四方のどれかに逃げ道を用意しておくものです。もし逃げ道が無いなら、敵は死ぬ気で抵抗してきます。逃げ道があるならそこに逃げるでしょう。桟道のない方の山側に逃げ道を作り、後で押し込めるのです」
「逆に川を担がせるのか」
「はい。それなら事は単純です。こちらから討って出ましょう。相手の伏兵に驚いた振りをして逃げ、桟道の方に移動します。後ろから関平さんに突撃させ、それからこちらも再度突撃します。敵は逃げ散らかれずに一方向に移動しますので、後は押して溺れさせるなり火攻で焼くなり出来ましょう」
「それだと追いつめたことにならんか? 抵抗の心配はないのか」
「気力があれば抵抗します。しかしこの策で攻めれば、相手は奇襲に失策と敗走が重なり、背は川。こうなると大概は降伏すると思います。気力なんて残りません」
愛紗は馬良を抱き寄せた。兵法に通じていても、応用力がないと策は立てられないものだ。
やはり此奴は将来、蜀漢の大柱の一本になる者だ。
まだ器は小さいが、やがては大器になるだろう。珠は大事に磨かねばなるまい。
「やはりお前は凄い奴だ」
頭を撫でてやると馬良は顔を赤くして、幸せそうに愛紗の腕に頬擦りをした。関平に使者を送り、その日は暮れていった。
戦の備えはしていたのだが、意外なことに次の日も、また次の日も敵の奇襲はなかった。開いた地形なので相手の陣まで見渡すことができたが、兵を並べることすらなかった。兵糧攻めのつもりだろうか。
もし敵が曹操だったら、すぐに攻撃に移ってきただろう。鈴々や雛里、朱里なら、もっと奇抜な知略があるはずだ。星や翠なら、紫苑ならどうしただろうか。
全てを見通すことは出来ないが、これだけは言える。この場面で兵糧攻めはない。
背水の陣の意味がわかっていないのか。
どんな伏兵を仕掛けても、数はこちらが上。死ぬ気の抵抗がどんなに恐ろしいか、相手はわかっていない。
この戦で万一勝っても、次からどうする気なのだ。その少数で大痛手を負ったら、もうどう仕様も無いではないか。
さらに、追い詰めている割には勧告もない。
これは敵軍の決断力のなさが露呈しているのだ。
敵陣を睨みながら、愛紗はほくそ笑んだ。
その次の日に馬良の策を取り立てた。兵糧は残り十日分しかない。
錐行陣を敷き突撃の構えを見せると相手の陣が騒がしくなった。
馬良には愛紗の後ろを守る兵を指揮させた。直前までよく教えていたから全う出来るだろう。馬良の場合、問題なのは技量でなく精神面だ。そこを鍛えれば一角の将にもなれるかもしれない。
愛紗は恋から譲ってもらった赤兎馬を駆って、先頭に立った。右手の青龍偃月刀が心地よい重みを与えてくれる。
やがて相手の陣前に兵が並んだ。やはり少ない。伏兵がいる。
生兵法は土壇場でほつれる。これがいい例だと愛紗は思った。
「我が名は関羽! 賊将よ名乗りを上げよ!」
愛紗が吠えると一騎が前に出た。
大柄な男だ。武芸には自信があるように見える。
「名を名乗る義理などない! 賊はお前らの方だろう!」
大柄な男は大喝した。
「何故我らが賊か!」
「我が叔父の国を乗っ取ったのはお前らだ! 我はそれを取り返さんとする義勇軍なり!」
元荊州の、どこかの軍勢の将らしかった。降伏してきた軍の将が蜀漢に投降するのをよしとせず、結局太守に追い出されてしまったのだろう。
ならば兵法を学んでいるのも納得出来る。
「その少数で何が出来る! 大人しく投降せよ! さもなくば命がないぞ!」
「何を言う! ここにいるのは命を投げ出して戦うと誓った精鋭たちだ! もとより死など恐れておらぬ!」
決戦は免れぬなと愛紗は判断して、腕を上げた。
兵たちが一斉に騎乗で槍を構えた。精鋭五百である。
相手方の兵たちも剣を構え始めた。ばらつきがある。その動作で、自分の兵との質の違いがわかった。
風が、ごうっと一度だけ吹いた。
「者共! 我に続け!」
愛紗は叫ぶと赤兎馬の腹を蹴った。兵たちの叫び声が山々に反響する。
前方、相手の兵も突進してきた。
馬の蹄の音が大地に響く。
距離は縮まり――縮まり、やがて両軍が激突した。
所々で血しぶきが上がった。
愛紗は駆けた。
偃月刀を振る。縦に、横に。
一度横に薙ぐと首が三つ飛んだ。返り血を浴び、目を拭い、さらに駆ける。
関旗の下の軍は愛紗にしたがって、まるで大きな、魚の群れのように動いた。
愛紗は相手を馬から突き落とし、突殺し、なぎ倒し、前に走った。
返り血が噴水のように飛ぶ。鉄臭さがまとわりつく。
偃月刀を振る。兜ごと頭蓋を割られた兵が灰色の汁を飛ばして馬から落ちた。
襲い来る矢を偃月刀で払い、突く。腹を裂かれた兵が中身をぶちまけながら転がり落ちる。
ここに来て初めて、矢が敵の伏兵のものであることに気がついた。
「よし、引けっ!」
少し深く入りすぎた。しかし味方がいるなら火攻も使えまい。
愛紗がぐるりと旋回すると後続の騎兵もぴったりと後をついてきた。
敵が、追ってくる。自陣から狼煙が上がった。
引く。これが一番難しい。殿に不安を覚える。
やがて、後方敵軍の声が大きくなった。
勢いづいている。今倒した兵は百前後だろう。しかし、十人あまりは愛紗が叩き切るなり突き落としたりしたものだ。こうして知らしめれば相手は浮き足立つ。
また、敵軍の声が大きくなった。振り返る。
遠い向こう。森林を突き破って、関の旗が現れた。関平だ。
愛紗は退却をやめ、待機した。やがて背をつかれ潰走した敵軍がこちらにやってきた。
盛大にドラを鳴らさせ、愛紗の軍も再び敵軍に突っ込んだ。
また、大量の血が流れた。
敵は方向を変え、さらに潰走した。
潰走をする敵を、別方向から大量の矢が襲った。馬良の率いた弓兵隊だった。
敵軍はさらに数を減らし、方向を変えて逃げた。
愛紗は包み込むように敵軍を追い詰めていった。
愛紗は川淵に追い詰められた十数騎を睨め回して「これまでだな」と呟いた。
他の敵兵五百余りはすでに降伏している。
あとは此奴の麾下十数騎だけだ。敵将はその先頭で苦々しい顔をしていた。
「神妙にしろ」
愛紗がおよそ三丈ほどの距離に近づく。
横に馬良と関平が馬を駆ってきた。
「ぐ、くくっ」
凄まじい怒りの形相。歯ぎしりの音が愛紗の耳まで聞こえた。
馬良が「ひっ」と声を上げた。
「もう終わりだ。貴様ら以外は降伏したぞ。馬から降りろ」
「舐めるなよ、関羽」
敵将の怒りの表情に笑みが混じった。
「言ったはずだぞ。我らは死を恐れておらんと」
敵兵は一斉に、持っていた矢を構えた。
「馬鹿な! お前ら死ぬ気――」
関平が叫んだ。
愛紗は冷静に、やはり戦において完璧な計算などできるものではないと思った。気力など、如何様にも絞り出せるものだ。愛紗自身、そうやって生き延びてきたではないか。
隣にいる馬良は呆然としている。気配でわかるのだ。だが、この経験を活かして飛躍するだろう。こいつはそういうタイプだ。
愛紗は偃月刀を振りかざして突進した。
「愛里! 馬良を守れ!」
後方で馬良が何かを言った。戻って、だと思う。愛紗だってもちろんそうしたかったが、時間が足りなかった。馬の踵を返している間に三人揃って的になる。敵は愛紗を狙っている。ならば突っ込むべきだ。運が良ければ怪我で済む。赤兎には申し訳ないが、馬良と関平を殺すわけにはいかない。腹を蹴ったとき赤兎に「仕方のない主人だ」と鼻を鳴らされた気がした。
速い赤兎。敵方までの距離がおよそ二丈に縮まったとき、一斉に矢が放たれた。
強烈な風切り音。赤兎がいななき、崩れた。身が投げ出される。
肩と腕、腹に熱。
地面に叩きつけられる前の一瞬、赤兎の胸に一本、矢が刺さっているのが見えた。
すまん、赤兎。
背中と頭に衝撃。
「義母上!」
酷い耳鳴りの中、確かに関平の声が聞こえた。
よし、自分は死んでない。
愛紗は歪む視界で必死に青龍偃月刀を探した。
あった。目の前。
手を伸ばす――が、右腕が上がらない。ぶらりと肘から少し下。折れている。
愛紗は舌打ちをした。
「馬鹿! 弓は駄目だ! 義母上に当たる!」
関平が駆け出す。
愛紗は左手で偃月刀を持った。
馬の蹄の音。揺れる世界。目に入る血。矢の刺さった右肩と腹。折れた腕。肉の削げた左腕。
全く、満身創痍だ。
義姉や義妹、いや自分を知る全将はよもや思うまい。天下の関羽が賊討伐で名もなき将に討たれ、死ぬとは。
不意に浮かぶ笑み。
続いて困惑。
何故?
何故自分は笑っている。
「関羽! 覚悟!」
敵将が馬上で大ぶりの戟を振りかざした。
見える。遅い。精進が足りぬ。
愛紗は偃月刀を振りかざした。その瞬間、わかった。自分のほうが遅い。間違っても青龍偃月刀は片手で使用できる武器ではない。
煌めく刃。重い腕。土煙。血の臭い。
一瞬が長い。ここで自分は終わるか。そうか。なるほど。
愛紗はなおも、笑みが浮かぶのを止められなかった。
血が滾る。楽しい。この命をかけた一瞬が、とても楽しい。
「おぉっ!」
敵将が叫ぶ。背から、何かが飛んできた。それは弱々しかったが、ゆっくりと目の前の馬の蹄にぶつかった。
矢だった。
目の前の濃茶色の馬がいなないた。馬が暴れ、不安定になった足場で敵将は戟を振った。
銀色の刃が、愛紗の鼻先一寸をかすめた。
遅れて振られる偃月刀。重い白刃は敵将の首の真ん前を通った。
敵将の胸の装飾が砕けた。身体には届いていない。
共にハズレだ。
迫る十数の馬の蹄。後ろからも馬の蹄。地面に落ちる装飾品。
戦場、最前線、激突地点。やはり、笑みは崩れない。
隣を駆けて行く馬。速い。関平。
「うおぉ!」
槍と戟がぶつかる。
遅れて大勢の馬が駆けて行く。やはり自分の鍛えた精鋭たち。速い。
「関将軍!」
「関将軍をお助けしろ!」
腕を取られて、引き起こされる。痛む体。
そうだ、赤兎。
「大丈夫です。御馬は無事ですぞ」
顔をあげる。いななく赤兎馬。
矢は首に下げた防具に刺さっているだけで、体には触れていなかった。
「死んだふりまでするとはな、流石赤兎だ」
違う意味で笑ってしまう。
傷を素早く布で縛る。続いて折れた腕を木片と布で固定してもらい、愛紗は部下に赤兎に跨らせてもらった。
「お前が放り投げてくれなかったら私は針鼠のようになっていた。それにしても将馬共々生き残るとはな」
赤兎がぶるるっと鼻を鳴らす。
腹の矢は当たりが浅く、落ちるように抜けた。抜けないのは肩。かなり深く刺さっている。
前を見ると関平が敵将と激闘していた。
深く入りすぎだと愛紗が呟く前に真横から敵兵に戟で払われ、関平は落馬した。
そう、戦場では敵は一人じゃない。四方八方、自軍じゃない兵全てが敵だ。
落馬し歯噛みしている関平を見据えた後、敵将はこちらを見た。
そうか。
「下がれ」
愛紗はそう命じ、前に出た。
関平を払い落とした兵が、槍に貫かれて落ちた。最後の一兵だった。
すでに敵兵は全て血の水たまりを広げ、伏していた。
「関羽様! 自陣にお戻りください!」
馬良が愛紗の前に立ちふさがった。
愛紗は構わず馬を進めた。
「お願いします! その怪我では……もしものことがあったら、私たちはどうすれば良いのですか!」
馬良は泣いていた。
赤兎が勝手に止まる。全く、人と変わらぬ馬だ。
愛紗は偃月刀を馬良に持たせ、服で手の血を拭った。
「よく聞け、馬良」
愛紗は馬良の頭に手を乗せ、撫でた。
「目を逸らすな。見ろ。どんなに酷くても、よく見ろ。これが戦だ。酷いものだろう」
周りに丸太のように転がる死体。ついさっきまで生きていた、今はただの肉。広がりきった血溜まり。渇いた鉄の臭い。体中についた返り血。赤黒くなった服。自分の身体から溢れる鮮血。血と脂に塗れた偃月刀。
「こんな酷い世界にも、裏切ってはいけないものがある。それが義だ。前を見ろ」
関旗の下、兵千に囲まれているただ一騎。
悠然と構える、一騎。死を覚悟した表情。
「奴は愛里を斬れた。なのに斬らなかった。あいつが取りたいのはこの関羽の首一つだ。ならば勝負に応じよう。それが蜀漢の大都督、関羽の義だ」
愛紗は馬良が腰につけている短剣を取った。
「借りるぞ」
偃月刀は負傷した片手では振れない。
赤兎が歩き出す。
途中で愛紗は振り返った。馬良はまだ泣いていた。
「言い忘れていたが、先程の矢は助かったぞ。礼を言う」
何となく、そうわかった。馬良の小さな指先の皮はめくれ、血が滲んでいた。
馬良がぎゅっと手綱を握りしめたのを見て、愛紗は前を向いた。
「次からは真名で呼べ。わかったな」
愛紗は赤兎馬の腹を蹴って敵将の目の前に行った。
「愛里、お前もまだまだ甘いな」
「義母上……」
「下がっていろ。此奴は私がやる」
布で吊られた右腕が鬱陶しい。
左腕を回して、短剣を抜く。磨かれきった白刃が生き活きと陽の光を跳ね返した。
敵将も戟を持ち上げた。
「かたじけない」
「それはこちらもだ。娘を見逃してもらった。名は……やはり教えてくれぬか」
「おう、我が主殿の迷惑になる」
降伏してきた軍に主君がいるなら、元臣が賊になり国に害をなしたとして立場が悪くなってしまう。それを恐れているのだろう。
「誠に忠臣だな」
敵将は空を仰いだ。
「できればもう一度、我が君の国を作り、そこにお迎えしたかった。もう一度だけでいい。私を臣と認めて欲しかった」
愛紗は何も言わなかった。馬上、短剣を構える。
敵将は「関羽っ」と叫んだ。
「その首、貰った」
突っ込んでくる敵将。戟が振りあがる。
走る赤兎。光る白刃。
振り下ろされる戟に、ぴったりと短剣は間に合った。
馬が、交差する。
木をたたき切った手応え。愛紗は赤兎に踵を返させ、後ろを向いた。
敵将も馬を回した。悲しい顔をしていた。寂しそうな表情をしていた。戟は柄で真っ二つに斬られ、刃が地面に転がっていた。
すぐに、敵将の首筋から大量の血が溢れ出した。敵将は何かを呟いて一粒、涙を流した。
後は、崩れ落ち地面に転がった。それを見取った後、急速に世界が縮み始めた。
あっという間に目の前は真っ暗になった。愛紗はこの感覚を知っていたので、黙って身を委ねた。死ぬか生きるか、それは目覚めてみないと分からない。
最後、意識を失う直前。誰かに名前を呼ばれた気がした。
ゴトゴトという揺れに愛紗は目を覚ました。痛む身体に閉口しつつ身体を起こす。
愛紗は自分が生きていることに驚き、傷の具合を見てみた。包帯が巻かれた肩、腹。未だ吊られている腕。左腕にも包帯。
馬車に乗っているようだった。垂れ布を払って外を見る。関の旗が見えた。
近くの兵に話しかけてみる。
「おい、ここはどこだ」
「荊州城まであと半日の場所です」
「私はどれくらい寝ていたのだ」
「はい。五日ほどでしょうか」
これは参った。五日間も寝こけていたとは。
「関将軍のお世話は馬良様が行っていました。とても献身的に」
「そ、そうか」
どうりて、ベタつきもなく爽快なわけだ。
愛紗はごろりと寝転んだ。この馬車は怪我をした将を運ぶ特注品で、粗末だが寝台付きである。朱里の発明品の一つでかなり使い勝手がいいと評判だ。
熱があるのか、頭がくらくらする。
「先頭は平か?」
「はい。関平将軍が先頭です」
「それなら、馬良を呼んでくれ」
「少しお待ちください」
兵は後方に下がっていった。
額に手をやる。熱い。
そのままぼぉっとしていると、聞きなれた声がした。
「か、関羽様。馬良です」
「おう、早かったな」
愛紗は垂れ布をまくって、馬良を中に通した。
と言っても、狭い馬車の中だ。愛紗が横になると、小柄な馬良がいるだけで人の乗るスペースなどなくなる。
「我が軍の被害を報告してくれ」
「はい。えっと、死亡者が七十六人、負傷者が百十八人です」
「そうか」
愛紗は腕で目を覆った。
「この数、多いか? 少ないか? どちらだと思う」
「二千対千の戦です。相手は五百人近く死亡しているところを見れば、十分に少ないと思います」
「そうか」
将として最も胸を痛めるのはこの時だ。手塩にかけた精鋭たち。それでもこんなに簡単に死んでしまう。
また急に、眠くなってきた。疲れがあるのだろう。心労もある。
「馬良、この五日間、ご苦労だったな」
「いえ! 私こそ勝手な真似をして」
馬良の顔が赤く染まっている。
愛紗はそれを見て、目を閉じた。
「すまんが、城につくまでの半日、またよろしく頼むぞ」
「はい。わかりました」
「あー、それからな」
愛紗は痛む身体を推して、ごろりと寝返りをうち馬良に背を向けた。
「私のことは愛紗でよいと言っただろう。こんな気恥ずかしいこと何度も言わせるな。わかったな」
顔が火照るのは熱のせいだ。そうに決まっている。
愛紗はそんな不毛なことを自分に言い聞かせた。
少し時を置いてから「はい、愛紗様」と声が聞こえてきた。
それに満足しながら、愛紗は眠りに落ちていった。
荊州城まであと半日。次に目覚めるころには着いているだろう。
関の旗は太陽に照らされて輝き、風に翻って踊った。
夏季が、もうそこまで近づいている。
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この話は
恋姫ベースに演義+正史+北方+横山+妄想+俺設定÷6
で出来上がった奇怪なものです。
半オリキャラも出てきます。他の作者様と被っているかもしれません。
青龍偃月刀が偃月刀と略されるのは仕様です。
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