クズハに帰り、数カ月が過ぎた。キキョウは忙しい日々を送っている。
病床から起き上がれない父に代わって……というわけには勿論いかなかったが、それでも補佐ぐらいはできるようになった。むしろ教育された。ツキヤマに。
「殿下は呑み込みが早いもんで、教えがいがありますわい」
と老人は口八丁で褒め称える。元来、調子に乗る性格のキキョウは老獪な教育者の手引もあって、せっせと執務をこなす。
だからといって召し物にも気は抜かない。さすがに昔ほどうつつを抜かすことは無くなったものの、気に入りの衣は気持ちを奮い立たせてくれる。キキョウはこれを「戦闘服」と呼んでいる。
アオイは父の代理として表に立つようになった。
「王座に座っているだけだよ。ただそこにいるだけで臣下は安心するからさ」
そう言って弟は笑うが、キキョウは気が付いている。
帰還したした当初、アオイは再び外の世界へと行きたいと申し出た。
近い将来に戦が起こる、その事実をこの目で確かめたいと。
父とキキョウの説得により納得したように見えたが、あの弟のことだ、大人しい顔をして城から抜け出す算段を巡らせているに違いない。
「キキョウさま」
部屋で本を読んでいたキキョウは、女官の声に顔を上げた。銀の盆に手紙を載せている。
「お手紙が参りました」
「あら、スオウからだわ」
嬉々として受け取ったキキョウに女官は声を顰めた。
「アオイさまですが……お言葉通りにされたようです」
「そう」
やっぱりね。溜息をつきたいような、大笑いをしたいような気分だ。
手紙は先の楽しみとして、今は先手を打たなければならない。
「父さまのお見舞いに行きたいわ。目通りを伝えてちょうだい」
その二日後。
裏門近い城壁前で姉と弟は対峙していた。
「まったく、あなたときたら」
キキョウはやれやれという風に両手を腰に当てる。
「一度言いだしたら、本当に聞かないんだから」
「ちょっと城下に行くだけだったら。姉さまは心配性だな」
対するアオイは無邪気な笑顔で笑う。
「嘘おっしゃい。その背負っているものは何よ」
庶民が着るような粗末な衣に、襷がけされている袋。中に入っているのは売っても身元が分らないくらいの宝珠だろう。
「これ? 小腹が減った時用の握り飯だよ」
「またそんな出鱈目を」
もういいわ、とキキョウは溜息をついた。
「父さまからの伝言よ。無茶をするな。問題も起こすな。王家に入る時は国を背負っていることを自覚して慎ましくせよ、ですって」
弟の目が見開いた。
「勘弁しろよー、また子守りかよ」
「これって腐れ縁っていうのかしら」
「そういうわけで、再びよろしくです」
「金はきっちりふんだくったからな」
草葉の陰から出てきたのは、毎度おなじみイランたちだった。
さすがにアオイはあんぐり口を開けたが、元の調子に戻って姉を睨んだ。
「全てお見通しだったってことか。へえ、姉さまも腹黒くなったもんだね」
「腹黒さは血筋でしょ」
涼しげな顔でキキョウは言い放つと、イランを指差した。
「親書はその男が持っているわ。各王家に潜り込む道具にでもしなさいな。安心して行っておいで。クズハはわたしが守ってあげる。ただし」
にやりと笑って先を続けた。
「いつまでも王座が空いたままとは限らないからね」
「いいよ、別に。その時は奪い返してみせるから」
アオイも不敵に笑った。
「で、まずはどこに行くんだよ」
「北へ」
アオイが目線を向ける。まるで解き放たれた鳥のように嬉しそうだった。
弟たちを見送った後、キキョウは一人城内の見晴へと歩いてゆく。
日差しは雲間に遮られて柔らかくなり、風が出てきた。
不思議なことに、久しぶりにイランを見ても何の感傷も湧かなかった。あの時の自分は異質なものを見すぎて混乱していたのだろうか。それとも今はそれどころではないと自覚しているからなのだろうか。
近い将来、戦が起きる。それは確信としてキキョウの中に残っている。ならば父と重鎮たちと結束して、それに備えなければならない。国の基盤もしっかりと作っておかなければ。
王家の人間として、国を守るべき責任がある。
手持ちの切り札は多ければ多いほどいい。
キキョウは緩やかに撫でる風に目を細めた。
この国を、友人が住まい親切な女王と夫君の統治する国を守らなければ。
見渡す眼下。
湖の先には大きな川が流れており、一直線に海に向かっていた。
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ティエンランシリーズ第五巻。
クズハの王子アオイたちの物語。
「これって腐れ縁っていうのかしら」
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