一刀は大きく間合いを取って、なるべく呂布の攻撃を受けないようにしながら時間を稼いだ。あの強烈な一撃は、何度も受け続けると手の感覚がなくなるほどだったためだ。
(何かいい案はないか……)
女の子――陳宮に呂布を助けると約束したため、とにかく一刀は呂布を傷つけずに何とかする方法を考えた。しかしそう簡単に妙案が浮かぶわけもなく、ただ時間だけが過ぎてゆく。
気持ちが焦り、徐々に疲労も溜まってくるなか、不意に耳鳴りのような音が聞こえた。
「何だ……?」
ぶぅるあぁぁ……。
背筋が寒くなるような、そんな雄叫びだった。それは耳ではなく、頭に直接響いた。
(ご主人様、私よん)
(その声は、貂蝉?)
(そうよ。しばらく眠っていたんだけど、嫌な気配を感じて目が覚めちゃったわ)
(嫌な気配? それってもしかして、呂布さんの事か?)
(ええ、あの子に掛けられた術のせい)
陳宮が、黒い奴に術を掛けられたと言っていたのを、一刀は思い出す。
(それって、何とか解くことは出来ないのか?)
(……方法は一つだけあるわ。でも、ちょっと危険かも知れない)
(それって、呂布さんが?)
(いいえ、ご主人様がよ)
(なら、いい。その方法を教えてくれ)
迷いのない一刀の反応に、貂蝉は楽しげに笑った。
(やっぱり、どこの外史でもご主人様はご主人様なのね)
(ん? どういう意味だ?)
(いいのよ。それじゃ、説明するわよん――)
貂蝉は、一刀にしてもらいたい事を話し始める。それはとても単純で、けれど確かに危険のある事だった。
迷いなどない。一刀は剣を柄だけに戻し、腰に差す。そして素手で、呂布に挑んだ。
貂蝉が伝えた方法、それは呂布に接触し続けること。
(私が呂布ちゃんの中に入って、彼女の心を呼び戻すわ。だからその間、ご主人様は呂布ちゃんに触れていてちょうだい)
(触れているって、ずっと?)
(そうよ。ご主人様はね、灯台みたいなものなの。どんな暗闇にあっても、帰る場所を教えてくれる小さな光……。ご主人様が呂布ちゃんに触れている限り、私は迷うことなく帰ることができるわ)
(もし離れたら?)
(私はもちろん、呂布ちゃんの心も闇を迷い続けるわ。そうなったらもう、救うことは出来ないの)
(わかった。絶対に離れない。でもさ、呂布さんを気絶させて、その間にとかじゃダメなのか?)
(それはダメ。今の呂布ちゃんが覚醒しているからこそ、その支配下から逃れて内側に籠もっている呂布ちゃんに私が近付けるのよ。もしも気絶すると、今の呂布ちゃんが中に来るから難しくなるわ)
(じゃあ、目覚めた状態で接触し続けるというわけか。確かに危険だなあ)
しかしやめるつもりは、一刀にはない。素手で呂布の攻撃をかわしながら、隙をうかがった。
「くっ!」
かすめた一撃が、服の袖と共に浅く腕を斬る。飛び散るほどではないが、血が滲んで地味に痛い。それでも一刀は怯むことなく、呂布の鋭い攻撃を紙一重でかわしながら距離を縮めてゆく。
(もう少し……)
だがさすがに呂布は、近すぎず遠すぎない絶妙な間合いを崩そうとはしなかった。懐に入られては、呂布の長い得物では不利だからだ。
それでも一刀は諦めることなく、呂布の動きを見極めようとする。
(ついて行けない速さじゃない。あと一歩、踏み込めれば……)
致命傷にはならないが、一刀の体にはいくつもの傷が刻まれた。すでに痛みはなく、集中した意識は呂布の動きを捉えている。
もしも、本物の呂布ならば一刀でも近付くことは不可能だろう。だが意識を操られている今の呂布は、本能的な直感がない。それが幸いした。
(今だ!)
肉を切らせて骨を断つ気持ちで、呂布が槍を突き出した瞬間、一刀はあえて踏み込んだ。穂先が頬をかすめ、一刀が呂布の手首を掴む。そしてそのまま、体を密着させて彼女の腕ごとしっかりと抱きしめたのだ。
「貂蝉!」
(まかせてちょうだい!)
声が頭に響くなか、一刀は暴れる呂布を必死に抑えつけた。
ぽかぽかと、暖かな日差しの中に彼女はいた。おいしいものがあって、セキトと音々音、大切な家族のみんながいて、そして一刀がいた。
「ご主人様……」
甘えるように、寄り掛かる。一刀の手が優しく頭を撫でると、恋の心はドキドキした。それが心地よい。
「恋……」
一刀が肉まんを恋に差し出す。それを受け取ると、彼女は半分にして一刀に渡した。
「全部食べていいんだよ」
「一緒……」
フルフルと首を振って、強引に半分を一刀に手に持たせた。おいしいものは、一緒に食べたい。楽しいことは一緒にしたい。それが、恋の幸せだった。
結局、一刀が折れて一緒に半分の肉まんを頬張る。
(ずっと、続けばいい……)
穏やかな時間にそう思った恋の気持ちに、突然、太い声がどこからか掛けられた。
(それはただの幻よ、呂布ちゃん……)
(誰?)
辺りを見るが、大切な家族以外に誰もいない。気のせいかと思って肉まんをかじったその時、恋の前に貂蝉が忽然と現れた。ビクッと驚いた恋は、そのまま固まってしまう。
「こっちにいらっしゃい……」
「……(フルフル)」
「それは全部幻よ。本物じゃないわ」
「……でも、恋は憶えている。ちゃんと、ここにある」
そう言って恋は、自分の胸に手を当てた。
「そう、確かにかつてあなたはご主人様を愛し、そして愛されていたわ。こうやって穏やかな時間を過ごしていたこともあったかも知れない。でもね、それは今の呂布ちゃんに必要のないものなのよ」
「そんなことはない。恋は、ずっと欲しかった……」
「いいえ、違う。今の呂布ちゃんには、今のご主人様がいるの。だからね、これは返してあげないといけないのよ」
「返す?」
「かつてご主人様に愛された、かつての自分自身にね」
恋はうつむいた。はっきりと理解できたわけではない。ただ、直感が伝える。
「恋のものじゃない……?」
「あなたは、あなた自身の手で、新しい絆を手に入れるのよ」
「……でも」
不安そうに、恋は一刀を見た。失いたくはないもの。もう、離れたくはない。だが貂蝉は優しく言う。
「大丈夫よ。ほら、目を閉じて。感じないかしら?」
言われるまま、恋は目を閉じてみた。すると、とても暖かい小さな光が見えた。
「思い出を失っても、何度、繰り返したとしても、呂布ちゃんの好きになったご主人様は、相変わらずご主人様なのよ。女の子に甘くて、優しくて、とても暖かい……ね、感じるでしょ?」
「…………(コクッ)」
恋は立ち上がると、貂蝉のそばまでやって来る。
「どこへ行くんだ、恋?」
「ご主人様……恋は、行く。みんなが、待ってるから」
「そうか……気をつけてな」
「うん……ありがと」
少し寂しげに、恋は笑った。
暴れる呂布を、一刀は必死に抱きしめていた。何度も叩かれ、噛みつかれ、ひっかかれてもその腕は離さない。事情を知らない女性陣から、「変態!」だの「女の敵!」だの「自動孕ませ絡繰り」だの言われても、泣きながら一刀は堪えた。
(まだか、貂蝉……早くしないと、俺の心が折れる)
体よりも心が痛い一刀が、そう弱音を吐いた時だった。あれほど暴れていた呂布が、不意に意識を失ったように力が抜けたのだ。そして。
(もう大丈夫よ、ご主人様)
(貂蝉! 良かった……)
一刀は弛緩した呂布を、そっとその場に寝かせる。するとパチンと目を開けた呂布と、視線が合った。
「大丈夫?」
心配してそう声を掛けると、呂布はゆっくりと体を起こした。
「……えっと、誰?」
「ははは、一騎討ちの時に名告ったと思うんだけど……」
すっかり忘れられた一刀は、頭を掻いて笑った。そして改めて名告る。
「俺は北郷一刀。よろしく、呂布さん」
「……恋でいい」
「えっ? でも、それって真名でしょ?」
「いい……一刀なら、いい気がする」
「そっか。わかった。よろしくね、恋」
「うん……」
一刀は呂布に手を差し出す。それを少し見つめ、だがそっと彼女はその手を掴んだ。二人は立ち上がり、心配そうに見ているみんなに手を振った。陳宮が掛けだし、みんなも安堵した様子で近付いて来る。
その様子を見ていた呂布は、そっと視線を一刀の背中に向けた。大きな背中が、頼もしく、そして優しく見えた。だから心に誓う。
(今度は、忘れない……)
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。