桂花は必死だった。これは最後の機会なのだ。奴隷として売られた時は諦めていたが、袁紹の屋敷と聞いて微かな希望が生まれた。
貴族にはロクなのがいなかったが、その中でも袁紹は名家であり、桂花の中の評価ではマシな部類に入る。ずっと居るつもりはなかったが、何かの足掛かりになればよい。そのためには、まず奴隷という身分から抜け出さなければならなかった。
「お願い! 袁紹様に会わせて!」
「うるさいぞ!」
「何よ! あんたなんかに用はないの! さっさと袁紹様を呼んできなさいよ!」
「何だと?」
カッとなった兵士が、持っていた槍で檻を叩いた。
「ちょっと! 危ないじゃない!」
「うるさい! 奴隷のくせに!」
怒鳴りつけた兵士は威嚇するように、檻に近付いて殴る真似をする。思わず身をかばった桂花を見て、兵士は鼻で笑うと持ち場に戻ろうと背中を向けた。その隙を狙って、手を伸ばした桂花は兵士の服を掴むと、力の限り引っ張ったのだ。
突然、後ろに引かれてよろめきながら、後頭部を檻に思いっきりぶつけた兵士は、その場にうずくまった。
「ふん!」
勝ち誇る桂花を兵士は睨み付けると、猫耳を掴んで殴りつけた。
「この女!」
「やっ! やめなさいよ!」
すっかり頭に血が昇った兵士は、手加減もなく桂花を何度も殴る。だが振り上げた手を、突然、何者かに掴まれ驚きの表情で振り向くと、二人の女性が居た。
自分の手を掴む黒髪の女性と、金色の髪をロール状にした女性だ。
「あ、え、袁紹様!」
慌てる兵士の腕を、黒髪の女性がねじ上げる。
「っ!」
逃げるように身をよじりながら兵士がその場に座り込むと、ようやく腕を解放してくれた。
「この奴隷は、あなたのものなのかしら?」
金色の髪の女性――袁紹が兵士に問う。
「えっ? いや……」
「どうなんですの?」
「えっと、ち、違います」
「では、誰のものかしら?」
「袁紹様です」
「そう。あなたは、私のものを好き勝手に殴ったというわけね」
不機嫌そうにスッと目を細めた袁紹に、釈明をしようと兵士が口を開き掛けるが、そばにいた黒髪の女性が有無をいわせず殴り飛ばした。
「あなたはクビです。ごくろうさまでした」
にこやかに女性が言うと、奥から別の兵士たちが現れて、かつての同僚を抱えるようにして連れ去った。
「まったく、あんな野蛮な者はわたくしの部下にはいりませんわ」
「最近は兵の質も落ちてるんですよ」
「しっかりと躾をしないからですわ。それよりも斗詩さん、この子の手当をしてあげなさい」
「はい、姫」
女性が檻を開けて、桂花を外に出す。
「大丈夫? ごめんね」
「……あ、あの!」
「どうしたの?」
「袁紹様! 私を使ってもらえませんか!」
頭を下げる桂花に、袁紹は少し困惑した。
「まあ、何ですの?」
「私を軍師として使ってください。必ず、お役に立ちます!」
そのあまりの剣幕に、袁紹はどうしたものかと視線を彷徨わせた。
「ちょ、ちょっと斗詩さん!」
「袁紹様!」
桂花の勢いは止まらない。
後に文醜は思う。あれほど思い出すのも嫌になるような、おぞましい戦いがあっただろうか。間違いなく、最悪の一戦だった。
「ひっ!」
うっふぅぅぅぅぅん!
「ぎゃ!」
むっふぅぅぅぅぅん!
「うにゃっ!」
一刀が両手に持った剣を振るう度に、嫌な声と文醜の悲鳴が響いた。
「くっそー。この両刀使いめ!」
「誤解を招くような事を言うな!」
「もう! 何でもいいから、とにかくこっちに来るなよ!」
戦士としてではなく、乙女としての勘が言うのだ。あの剣に斬られてはならない、と。文醜はひたすら、逃げ回るしかなかった。自分の剣で受けるのも、出来れば避けたい気持ちだったのだ。
「負けを認めろ。そしたら止めるぞ」
「ぐぬぬぬ」
一刀の言葉に、文醜は歯ぎしりをする。悔しいが、この戦いに勝ち目はなさそうだった。
「……わかった。あたいの負けだ」
どかっとその場に座り込み、深い溜息とともに文醜は負けを認めた。
「それじゃ、袁紹様に取り次いでくれよ」
そう一刀が言った時だった。何やら騒がしい声が、こちらに近付いて来る。
「お願いします!」
「しつこいですわ!」
「袁紹様!」
「あっちへ行きなさい!」
「一度、私を使ってみてください! そうすれば役に立つことがわかります!」
見ると、3人の女性が何やら言い合っているようだった。というよりも、先程の猫耳娘が金髪ロールの女性に一方的に話しかけている。
「どうしたんだ、斗詩?」
文醜が声を掛けると、女性たちがこちらに気付いた。
「文醜さん、何をしていますの」
「いや、あのー」
困った様子で一刀を見る文醜の態度で、どうやらこの金髪ロールの女性が袁紹らしいとわかった。すぐさま一刀は、袁紹の前まで言って土下座をする。
「袁紹様!」
「今度は何ですの!」
「奴隷たちを解放してあげてください!」
「はい?」
「とりあえず、今はこれくらいしかないですが、足りない分は何か仕事をして稼ぎます。だからあの――」
言いながら一刀が顔を上げた時、不意に猫耳の少女が間に割り込んできた。
どうしてなのか、わからない。ただ、一生懸命に奴隷を助けようとする目の前の男を見た時、心が騒いだ。それはまるで、何かに嫉妬するような感情だった。
(この男は嫌いだ)
そう思うのに、一方ではそばにいたいとも思う。いや、そばにいなければならない気がした。
(この男のそばにいれば、運命が開く気がする)
勘だ。しかし、確かなものを感じる。賭けるに値する勘だった。だから自然と体が動いて、気が付いたら口から出ていた。
「袁紹様、私がこの男と共に行くことをお許しください」
きょとんとする人々を置いて、桂花は続けた。
「私は袁紹様に買われた奴隷です。ですが、この男とともに行きたいと思います。袁紹様さえお許しくだされば、ですが……」
「えっ? いや、ちょっと」
男が何か言いかけるが、キッと睨み付けると口をつぐんだ。
「お願いします」
「ま、まあ、わたくしは構わないというか、その方がいいというか」
「では、よろしいですね?」
「もちろんですわ!」
厄介払いが出来たという表情で袁紹が承諾すると、桂花は頭を下げて歩き出す。
「何してんのよ、早く来なさい!」
「いや、待てって!」
困惑したままの男が、桂花の後を追い掛けた。
何がどうなったのか。一刀は猫耳少女を追って、屋敷を出た。
「ちょっと待って! 俺、このまま帰れないよ!」
「いいから」
「だから、他の奴隷も――」
「どうするの?」
猫耳少女が足を止め、一刀をじっと見る。
「奴隷を解放できたとして、その後は?」
「えっ?」
「解放された奴隷はどうするの? 彼らはもう、帰るところなんてないのよ。あんた、面倒みられるの?」
「それは……」
「結局路頭に迷って、別の貴族の奴隷になるか、盗賊にでもなるかしかないのよ。助けたいって気持ちは立派だけど、それだけじゃ誰も救えないわ」
一刀は何も言い返せなかった。助けたい一心で乗り込んだが、何か考えがあったわけではない。助けた後のことも、何か仕事でもすればいいくらいの程度だった。
「袁紹は少なくとも、奴隷をちゃんと人として扱ってくれる。楽は出来ないでしょうが、まあ、他のところよりはマシなはずだから」
落ち込んだ一刀を見て、猫耳少女がそう言った。
「もしかして、慰めてくれてる?」
「なっ! 違うわよ! バカ! 変態!」
「誰が変態だ! 猫耳!」
「何よ! 私には荀彧って名前があるんだから!」
「俺は北郷一刀だ!」
「じゃあ、バカ北郷!」
街の人々が奇異の目を向ける中、二人の罵り合いは続いた。
1万の軍勢が、まるで蜘蛛の子を散らすように追い払われてしまう。始めからこうなることはわかっていたのだ。敵は自分が知る限り、最強の戦士である。
「それでも……私は負けられないのよ!」
賈駆は唇を噛みしめた。視線の先には、戦意を喪失した部下たちと、それをじっと見ている一人の少女の姿があった。深紅の髪の少女、呂布。
大空を舞い、兵士たちを威嚇する赤竜が呂布のそばに降り立った。呂布一人でも強敵なのに、赤竜まで相手にするとなると、とても1万では足らない。だが、これ以上の兵力はどこにもないのだ。
「月……私はどうすればいいの」
悲痛な声は、けれど誰にも届かない。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。今回は急ぎ足で進み、大した展開もありません。なので最後にちょっとだけ、付け足しました。楽しんでもらえれば、幸いです。