処置を終えたシャマルが部屋に戻ってきたのは、20分後のことだった。
フェイト「シャマル先生……ッ、ティアナは……ッ?」
部屋で待っていた者たちを代表して、フェイトが問いかける。
シャマルは答えるより先に、持参したインスタントコーヒーにスティックシュガーを3本も入れてから、一気にそれを飲み干した。
シャマル「………ひとまず落ち着いたわ、今は鎮静剤が効いて、用意した病室で寝てる。スバルちゃんが見てくれてるわ」
5年間の失踪の末、やっと機動六課の面々と再会を果たしたティアナ=ランスター。
その再会は、咽ぶ感涙があり、師弟の衝突がありなどしたが、その途中ティアナの突然の恐慌のために中断された。
エリオ「シャマル先生……、一体あれはなんだったんですか?」
聞くのは躊躇われたが、それでも聞かないことには話が進まない。
そういうときに火中の栗を拾うのは、最近ではエリオの役目になっていた。
こういうとき男の子は強いな、と育ての母のフェイトは思う。
エリオ「ティアナさん、尋常じゃない痛がりようでしたけど、そのとき押さえていたのは義足でしたよね。義足って、失った本当の足を補うための作り物なんでしょう? 神経なんて通ってるはずないんですよね? だったら なんで………?」
シャマル「ファントムペイン、という症状があるの」
ファントムペイン。
またの名を幻肢痛。
それは怪我や病気によって体の一部を欠損した患者が陥る症状で、失ったはずの体の一部、あるはずのない体の一部が痛みを発し、患者を苦しめるという症状だった。
「幻の四肢が発する痛み、それゆえに幻肢痛と呼ばれるの。…通常、痛みの感覚は、体の各部位にある神経が『痛い』という信号を発し、それを脳が受け取って自覚するというメカニズムになっている。ファントムペインは、信号を発する肉体を失っていても、信号を受け取る脳は無事だから、その齟齬のために脳が様々な勘違いをして、あるはずのない痛みを起こす、といわれているわ」
もっとも その原因も、研究途中の仮説の域を出ないのだが。
いまだ謎の多い、人の脳の領域に巣食う病魔、それがファントムペインだった。
ティアナの場合は右足。
機動六課にいた頃には たしかにあった右足を、5年の旅路のどこかで失い、代わりに義足を用いるようになった。しかしその右足は、幻のままで、今ティアナを痛みで苦しめているのだ。
キャロ「……でも、ティアさん、『痛い』以外にも色々言ってましたよね。その………」
キャロは そこで明言するのを躊躇った。
殺してやる。
殺さないで。
ティアナが訴える痛みと共に吐き出した その言葉は、不吉に満ちすぎていたから。
シャマル「多分アレは、フラッシュバックによる記憶の再生だと思う」
キャロ「ふらっしゅばっく?」
シャマル「トラウマ…、つまり心に深い傷を負った人はね、あるとき何かが きっかけで、トラウマを負った際の辛くて苦しい記憶を思い出すことがあるの。しかも唐突に、鮮明に。それがフラッシュバック。恐らくティアナちゃんが思い出したのは、右足を失くしたときの記憶だったんじゃないかしら……?」
だからフラッシュバックとファントムペインが連動した。
シャマル「両方とも、精神の領域に属する症状だから。…………ああ、私は医者失格だわ!」
頭を抱えて座り込むシャマル。
シャマル「あれだけ体に多くの傷を受けてきたんだもの! 心にだって相応の傷を負っているだろうって予想できたのに! ……再会してからのティアナちゃんが あまりにしっかりしてたから、その可能性に気付けなかった!」
ティアナに心を開いてもらうために、あえて六課メンバーと引き合わせたのが 返って裏目に出てしまった。
出会いがしらの なのはからの平手、あれとて表向きは平気なフリをしていたが、内心ティアナの感情を激しく揺さぶったはずだ。
それに追い討ちをかけるような、各疾患部の指摘。
シャマル「普通女性にとって、自分の体って ある意味 神聖なものでしょう? なのに私は、デリカシーもなく第三者の前で その傷を読み上げて………。あんなの、ティアナちゃんの心の傷をえぐるようなものだわ。……なのになんで、私……」
シャマルは、ティアナが正気を失って暴れだしたことを すっかり自分の責任と思い、沈みこんでしまった。
さすがに声を掛けずらい。
消沈するシャマルを どう励ましたものか。フェイトやエリオやキャロが互いに顔を見合わせている中、沈黙を破ったのは……。
なのは「しっかりしてください、シャマル先生」
シャマル「なのはさん……」
なのはは、その瞳に強い光を宿していた。
シャマルの肩に 優しく手を置く。
なのは「ティアナが ああなってしまった責任は、私にもあります。やっぱり、いきなり叩くなんて よくなかった。最初から もっと落ち着いて話していれば………」
シャマル「ううん違うのッ! 私が、もっと しっかりしていれば…!」
なのは「私はティアナに対して いつもこうです。あの子のためを考えているつもりで、色々やって、でも結局それが あの子を追い詰めて………。あの子が六課時代、教導を無視してムチャな自主トレをしたときもそうでした。シャーリーやシグナムさんがフォローしてくれなかったら、あの子を ずっと追い詰めたままだった」
フェイト「なのは……」
それは、滅多に聞くことのできない なのはの弱音だった。
自分が間違っているかもしれない、自分が正しくないかもしれない。そんな言葉は、新人たちを指導する立場にある なのはにとって 決して口にしてはいけなかった。
自分が正しくないとしたら、どうして後進たちを正しい道へ導けばいいのか。
なのは「…だから、もしティアナに会うことができたら、今度は絶対に正しい方向へ導いてあげよう。あの子が迷っているなら私が手を引っ張って、進むべき道へ連れていってあげよう。そう思ってたんです。それで少し、気負いすぎました」
微笑む なのはの表情に、少し疲労の陰りがあった。
それでも、まだ瞳の光は消えていない。
なのは「シャマル先生、私たちはまだ失敗したわけじゃないでしょう? ティアナは ここにいる。また どこかへ消えてしまったわけじゃない。だから やり直しはできます。私はティアナを救いたい」
なのはの まっすぐな視線がシャマルを射抜く。
その視線に力を分け与えられるようで、シャマルは勢いよく立ち上がると、自分で自分の両頬をバンバン叩いた。気合が注入される。
なのは「シャマル先生、……具体的にティアナの体調は どれくらい悪いんですか?」
シャマル「うん、説明する!」
シャマルは覇気のこもった声を出す。
シャマル「まずね、さっき私がティアナちゃんの前で言っちゃった外傷の数々なんだけど、アレに関しては それほど深刻じゃないの」
キャロ「そうなんですかッ?」
話を聞いただけでは、それだけで選手生命とかが終わりそうな大ケガが沢山あったような気がするのだが。
皆の疑問に答えるようにシャマルが続ける。
シャマル「何故かというと、それらの外傷には既に適切な処置が施されて、ほぼ完治に近い状態まで回復してるから。…たとえば欠損した右足には高性能な義足がついて、失う前と遜色ない歩行能力を保持している」
その義足は 昨日の戦いでブッ壊れたけど。
シャマル「内臓摘出に関しても、施術した医者の腕がいいのか、まったく侵襲性がなく日常生活に何の問題もないわ。両腕のケガも、治療痕から見て相当深刻な負傷だったとも思うけど、それもキッチリ治している。昨日のテロ事件で、針の穴を通すような超精密射撃をやってのけたのが いい証拠よ」
空間ディスプレイに、昨日のテロ事件中にティアナがおこなった、通気ダクト越しの21連狙撃の様子が映る。通気ダクトの細い管を通して、21発の魔力弾を送り込み、別室のテロリスト20人とシャマルに掛けられた手錠へ見事命中させた神業だった。
フェイト「これね、シャーリーがムリだムリだって大反対してた。絶対不可能だって。それを やってのけちゃうんだから、凄いよねティアナ」
シャマル「ティアナちゃんの精密性は、いまや機械以上ね。どんな訓練を積めば、ここまで正確な射撃能力を獲得できるのかしら…?」
フェイトやシャマルが感嘆の声をあげる中、なのはは、ディスプレイに映る超精密射撃の技を、息詰まる表情で見ていた。
自分に、これと同じことができるだろうか? 同じ射撃タイプであるだけに、ティアナのしてのけた絶技に、鬼気迫るものすら感じる なのはだった。
エリオ「でもシャマル先生、それなら どうしてティアナさんに入院を勧めるんですか? 今の話を聞くと、その必要がないように思えるんですが………」
ティアナの体に刻まれた数々の傷も、適切な治療で回復し、完璧とはいえないまでも日常生活に問題ないほどに至っている。
シャマル「そうね、………でも、問題は まだまだあるの」
キャロ「問題?」
シャマル「これよ」
そう言ってシャマルが机の上に置いたのは、マッチ箱ほどの大きさのピルケース。薬を入れて携帯するためのものだった。
シャマル「これは、さっきティアナちゃんをパジャマに着替えさせるとき拝借してきたモノなんだけど……」
エリオ「じゃあ、それってティアナさんの持ち物なんですか?」
シャマル「そうよ、そして、この映像を見てもらいたいんだけど……」
シャマルが空間ディスプレイに再生したのは、今度は市街地での、ティアナとテロリストの一騎打ちシーン。
そこで画面の中のティアナは、今エリオたちの目の前にあるのと同じピルケースを取り出し、口に運ぶ。
――― Power charge!!
(パワー チャージ!!)
途端にティアナを包む魔力の量が爆発的に増大し、敵のテロリストを瞬時のうちに圧倒していく。
キャロ「お薬を飲んで、魔力量がブーストされてるッ?」
エリオ「なんですか これッ? 見たことも聞いたこともないですッ?」
映像を見て、驚愕の声を上げる視聴者たち。
シャマル「この薬は、大雑把に言って魔力カートリッジと同じ代物よ」
ピルケースから、中身のカプセルを一つ取り出し、摘み上げる。
シャマル「皆も知ってる通り、ベルカ式魔法の最大の特徴である魔力カートリッジは、あらかじめ魔力を蓄積しておいたカートリッジを戦闘中に解放することで、自身の魔力+αの威力を出すことができる、というシステム。カートリッジは、各魔導師の所有するデバイスに挿入され、必要時に解放される」
なのは「……………」
シャマル「そして このカプセルも、基本構造はカートリッジと まったく同じ。作用する対象がデバイスから、魔導師本人に変わっただけのものよ」
フェイト「その……、作用対象が変わることに、利点はあるんですか?」
シャマル「かなりあるわ。このカプセルの最大の利点は、魔力解放をするときの変換効率ね。……カートリッジの場合、その蓄積魔力の50%が、色々な要因で変換失敗してしまうんだけど。このカプセルの場合、正常に変換されて術者に上積みされる魔力の割合が、……97%」
エリオ「それって、二倍近く違うってことですかッ?」
シャマル「そう、魔導師のリンカーコアへ直接作用することで、カートリッジの場合に生じる余計な段階をいくつか すっ飛ばして、その分の変換ロスを削減することができるの。まさにコペルニクス的発想の転換ね、このカプセルを考え付いた人は、天才と言っていいわ。…………でも」
そんな画期的な手法であるからこそ、同時にこうむる副作用も半端なものではない。
シャマル「なのはさん、フェイトさん、思い出して。アナタたちが初めてベルカ式のカートリッジシステムを使い出したときのことを……」
フェイト「カートリッジを…」
なのは「使い出したとき…」
それはちょうど、シャマルもその一員であった『闇の書』の守護騎士たちとの戦いの最中だった。巨大な力をもつヴォルゲンリッターに対抗するため、幼き日の なのはやフェイトも、敵が使用するカートリッジシステムを導入し、戦いの切り札とした。
シャマル「でも、当時まだ研究の進んでいなかったカートリッジシステムは、繊細なインテリジェンスデバイスに相当な負担を強いたと聞いているわ。特にフレーム強化の追いついていなかったレイジングハートは、運用次第によっては大破する危険性もあったと……」
それほどまでに危険なカートリッジ式魔力付与を、ティアナはデバイスではなく、自分自身の体に対しておこなっているのだ。
シャマル「それが、どれほど危険なことか想像はつくでしょう?」
今回記録できたテロリストとの戦いから、ティアナが このカプセルを常態的に服用してきたことは容易に想像がつく。ティアナは、戦いに身を投じるごとに、自身の体が大破する危険性と隣り合わせだったのだ。
シャマル「もちろん蓄積されてきた体への負担も 相当なものになっているでしょうね。………もう一つ、これを見て」
まだあるのか? と説明を受ける者たちは食傷気味だったが、それでもシャマルに従ってディスプレイに視線を向ける。
画面の中では、またも昨日のティアナvsテロリストとの戦いが上映されていた。
テロリストが自滅覚悟で呼び出した召喚獣を相手に、ティアナは例のチャージカプセルを何錠も一度に飲み込む。それだけでも「もうたくさんだ」と思える情景だったが、その次に映し出されたのが……。
シャマル「ヴェノムブレイカー。…本人は そう呼んでいるけど、なのはさんにとってのスターダストに相当する技みたい」
巨大な白色光が、邪竜の体を包み込み、消滅させる。
その破壊力は、歴戦の魔導師ぞろいの視聴者たちから言葉を奪い去るほどのものだった。
シャマル「この魔法は、放出された魔力に ある種の指向性をもたせることで、ナノサイズの魔力が細胞一つ一つへ攻撃を仕掛けるように調整されたものなの」
エリオ「それって、生物に対して特別攻撃性の高い魔法ってことですか?」
シャマル「そうね…、殺傷力、という点ではスターライトより上でしょうね。だからこそ あんな巨大な召喚獣を一撃で沈めることができた」
しかしその大魔法を放った直後、その反動を受けたティアナが尋常ではない苦しみ方をしているのが画面に映った。
どうやら義足デバイスから放出するヴェノムブレイカーの撃ち方は、本来のものとは違うらしく、その分の反動がモロにティアナへのダメージとなったようなのだ。
シャマル「現在、ティアナちゃんを不調にしている最大の原因が、このヴェノムブレイカーによる反動のためなの。ヴェノムブレイカーが対生物用の魔法である以上、ティアナちゃんの細胞レベルでのダメージも大きい。今回の入院で重点的に治療したいのは、そこなんだけど……」
それとは別に深刻な、精神の傷。
ティアナを蝕む諸々は、あまりに重く、根気強い治療が必要とされる。
フェイト「ねえ、なのは……」
フェイトが隣にいる なのはへ尋ねる。
なのは「なに、フェイトちゃん?」
フェイト「なのはは、正直 今のティアナと戦って勝てると思う?」
唐突な問いだった。
その問いの意味を図りかねて、なのはは不覚にも無言だけをフェイトに返してしまう。
これまでに見てきた、ティアナの無理無茶を説明するための映像は、裏を返せばティアナの進化した戦いを検証する映像でもあった。
神業のごとき精密射撃、カートリッジシステムを超えた魔力付加機能、巨竜をも一撃で倒す必殺技。
それら一つ一つが、ティアナが どれほど難攻不落の戦士なのかを教えている。
フェイト「ティアナは5年前と比べると、本当に信じられないくらい強くなった。…もちろん それはティアナだけじゃなくて、スバルやエリオやキャロも同じだけど、ティアナの場合は 他とは違う、何か、得体の知れない強さを感じるの」
なのは「フェイトちゃん……」
フェイト「たとえばね、エリオも相当強くなったから、もう私が戦ったら10回に5,6回は負けちゃうと思うの」
エリオ「ふぇ、フェイトさんッ? そんなことは…ッ?」
フェイト「でもエリオとの勝負は ある程度 想像できる。エリオが相手なら、どういう風に負けるか、どういう風に勝つかが想像できる。…でも今のティアナは違う、もし戦うとなったら、何をしてくるか想像もつかない。私の想像じゃあ、もう あの子は計りきれないの」
なのは「……………」
フェイト「ねえ なのは。たしかにティアナが誰にも言わず姿を消したのは悪いことかもしれない。でも その中でティアナが積み重ねてきたものは、ティアナなりに迷って悩んだ末に獲得したものは、認めてあげても いいんじゃないかな? 多分それがティアナの旅の理由だと思うから」
だから なのはには、それを認めた上で もう一度ティアナと向き合ってほしい。
それが かつてティアナを指導した教官としての役目だと思うから。
フェイトは、長年連れ添ってきた旧友の手を取って言うのだった。
*
闇。
*
ティアナ=ランスターにとって、世界は闇そのものだった。
進もうと進もうと、視界には深い黒しかなく、探し物は見つからない。必死で探そうとするも、闇の中では何も見えず、わからぬままに彷徨って、いつしか何を探していたのかすら忘れる。
闇の中を彷徨い。
彷徨っては何かを探し、
探しては見つからず、
見つからないまま闇の中を彷徨う。そんなことを延々繰り返してきた。
それが終わるとするならば、多分終焉の瞬間は、彼女の生が終わるときに違いなかった。
*
ティアナ「………ん」
目覚めれば暗かった。
場所は どうやら病室。日も暮れて、窓の外には街明かりが またたいていた。
スバル「ティアッ? 目が覚めた? もう大丈夫?」
枕元からスバルの嬉しそうな声がした。
ティアナは、その声にも反応せず ぼんやり起き上がると、おもむろに自分の胸に手をやる。
ティアナ「………」
すると次は尻に、何かを探すように まさぐるが手応えはまったくない。ティアナは、自分が寝ている間に普段着から入院用の検査服に着替えさせられたことに気付いていなかった。
だから胸をまさぐろうと、尻をまさぐろうと、そこにポケットはないのだが、それでも起きぬけのティアナは理解できずに まさぐりを繰り返す。
スバル「……ティア、どうしたの?」
ティアナ「………タバコ」
泣きそうな声で それだけを搾り出した。
どうやら胸や腰をまさぐっているのは、ポケットからタバコを取り出そうとしたらしいのだが、着替えさせられた検査衣にはポケットは無論、その中に入ったタバコもない。
スバル「あの、ね……! ティアの持ち物は着替えさせるときにシャマル先生がもってったから、それにタバコは健康に悪いし……!」
ティアナ「スバル…、お願い…、タバコ……、死ぬ……」
断片的に呟くティアナの声は、あまりにも弱々しかった。
六課時代のときですら、ティアナの ここまで弱々しい姿は見たことがなかった。どんなときでも、虚勢を張ってすら自分の弱みを見せようとしなかったティアナが。
スバル「ちょ、ちょっと待ってて!」
たまらずに病室を飛び出していくスバル。ただティアナのためを思う一心で、ナースセンターで待機していたシャマルへ 捲くし立てるように お願いし、タバコとライターをもぎ取って病室へ とんぼ返りする。
スバル「ティア! ほら、もってきたよ!」
ティアナはタバコを受け取ると、無言のままジッポーの火をともし、タバコの先へ火をつける。
動脈から全身へ向けてニコチンが広がっていく感覚。
ドロドロに波立った心が少しずつ収まっていき、自分の状態がわかるほどに落ち着いた頃には、タバコ一本が丸々 灰に変わっていた。
ティアナ「……みっともないトコ見せちゃったわね」
乱れた髪を指で梳かしながらティアナが言う。その瞳には やっと理性の輝きが戻っていた。
ティアナ「もっとも、アンタには みっともないところばかりを見せてるけど……」
スバル「そんなことないよ! ティアは昔から いつもカッコよかったし! キレイだし…!」
それでも忘れることのできない あの光景。
突然 倒れ、激しい痛みにもだえ、子供のように泣き叫ぶティアナ。あんな尋常ではないティアナを見たのは当然ながら初めてだった。どうしてあんな風になってしまったのか。自分の知らないティアナの5年間を、スバルは思い巡らぬわけにはいかない。
ティアナ「……二年ぶりか」
スバル「なにが?」
ティアナ「あの発作が、よ。ファントムペインとフラッシュバック。…もう克服したとばかり思ってたんだけど、呪いは まだ解けてなかったのね」
ティアナは達観したように、タバコの煙を吐く。
ティアナ「いや……、一生解けないんでしょうね、この呪いは」
スバル「あの…、ティア、それって……?」
ティアナ「聞きたい? 私が目の前で恋人を殺されながら、レイプされた話」
スバル「……ッ!」
ティアナ「ウソよ」
スバルの表情が凍りつくとなりで、ティアナはコロコロと笑った。
ティアナ「アンタが あんまり深刻そうな顔するから からかってみただけ。……そんなヒドイ話が実際にあるわけないでしょ?」
スバル「なっ、ヒドイよティアッ! 私 ホントに心配したのにぃ!」
見事に騙されたスバルがカンカンになるのを見て、ベッドの上のティアナは ますます おかしそうに笑うのだった。
その姿は、若き日の二人と まったく変わらない。何年経とうと友だちは友だちと、そう言い切れる二人。
ティアナ「………本当にアンタは、眩しいわね」
スバル「え?」
唐突に言われて、スバルは戸惑った。
ティアナ「六課や訓練校時代は、言葉にできるほど意識してなかったから。…アンタは本当に光り輝いてた、希望に向かって真っ直ぐで、私みたいな ひねくれ者の友だちになってくれて。アンタのおかげで救われたことは何度もあった、今思い返せばね」
スバル「ティア。……じゃあ何でティアは、急にいなくなっちゃったの?」
寂しげにスバルが問う。
スバル「本当にティアが私のことを友だちだと思ってくれるんなら、なんで いなくなる前に、一言でも相談してくれなかったのッ? 私、ティアの助けになりたかったよ! ティアが迷ってるなら、私もティアと一緒に迷いたかった……!」
それは5年越しの問いだった。
スバル=ナカジマが5年の間、大好きな友だちの助けになれなかったことへの悔い、無力感。それらはずっとスバルの胸に蟠っていた。
ティアナ「スバル……、アンタが魔導師を目指した きっかけは、事故で なのはさんに助けられたことだったわね?」
スバル「うん、そうだけど……」
スバルが まだ子供だった頃、空港で起きた大規模火災の折に、スバルを救助してくれたのが なのはだった。そんな なのはの姿に憧れて魔導師を目指したスバル。自分も なのはのような魔導師になりたいと心から思った。
ティアナ「私は、死んだ兄のために魔導師を目指した。魔導師だった兄さんが殉職して、そのときバカな上司から『役立たず』だの『恥さらし』だの言われて、それを否定したくて魔導師を目指した。………スバル、アンタと私は、まったく逆なのよ」
スバル「逆って…?」
スバル「アンタの始まりには光がある、憧れとか、希望とかいう光の感情が。そして私の始まりは闇があった。アンタと私じゃ、出発点からして違うの」
それだけじゃない。
六課時代の自分の周りには、光り輝く人々ばかりがいた。
エリオやキャロは、自分を救い出してくれたフェイトのために強くなろうと励んでいた。
シャマルやシグナムやヴィータやザフィーラやリーンは、自身の忠節する主のために身をも捨てんばかりだった。
ヴァイスは少し くすんでいたけれど、自分の中にある光を完全に失ってはいなかった。
なのは はフェイトのために。
フェイトは なのはのために。
皆が誰かのために全力を尽くそうとする、光り輝く感情を抱きしめていた。
ティアナ「一人だけ違うとしたら、八神部隊長かしらね。あの人も心に闇を抱えていた。底辺隊員の私じゃトップには近づけないから詳しいことは わからないけど、本能的に感じた。あの人は後悔や喪失感を抱え込んでいて、そのせいで生き急いでるって」
スバル「ティア……」
ティアナ「でも心に闇をもった八神部隊長は、同時に器用でもあった。だから心に光をもってる人間とも うまく付き合っていけた。でも私には そういう器用さがない。だったらもう弾き出されるしかないでしょう?」
それはスバルにとって、あまりにも寂しい言葉だった。
結局ティアナと自分は、違う世界の住人なのだと、そう言われているようで。
ティアナ「前にシグナム副隊長から言われたじゃない? お前のムチャは誰のためにするムチャなんだって。そう、私には誰かのためにムチャをするような、そんな相手はいなかった。尽くすべき相手なんていなかった。だから旅に出た。旅を続ければ、私にしかない光を見つけられるんじゃないか、そう思って……」
しかし、
ティアナ「旅を続ければ続けるほど、元々もってた光の粒をポケットから取りこぼして、ますます闇にはまりこんでいく。結局 闇から生まれた人間は、闇の中でしか生きられない、それを思い知らされた旅だった」
ねえスバル、と旅を経たティアナが振り向く。
ティアナ「アンタも、そんな女のことなんか忘れなさい。闇に はまった女の影なんか追っても、虚しいだけよ」
スバル「ティアッ! そんな……ッ!」
ティアナ「アンタの知ってるティアナは もういない。……今ここにいるのは、アンタが知ってるティアナ=ランスターを粉々にブッ壊した残骸。アンタが気にかける価値なんてないモノよ」
スバル「そんなことないッ! 違う! ティアはティアだよ! ちゃんと目の前にいるよ! ……ねえティア、私はバカだから、ティアの言うことはよくわからない。でも、ティアが光を探してるっていうんなら、私じゃダメなの? 私じゃティアの光にはなれないの……?」
ティアナ「スバル……」
スバル「私、ティアのことが大好きだよ……ッ!」
ティアナのタバコを挟んだ左手を、スバルが その上から両手で握った。
スバル「私知ってるよ、ティアが ずっと がんばってきたって。辛いときも苦しいときも一人で がんばってきたって。……そんなティアの姿を見て、私も一緒にがんばれたんだよ。ティアは私の光だったんだよ。……私も、私もティアの光になりたいよ………!」
訓練校の、本当にヒヨッ子の頃から共に歩いてきた親友。
苦しさも、喜びも分け合って一緒に歩いてきた。
ティアナ「そうね、アンタは昔から、私の眩しい光だった」
ティアナは、自分の左手を握るスバルの両手に、自分の右手をも重ねた。
ティアナ「なんで気付かなかったんだろ、自分の傍に こんな眩しい光があったってことに。5年前の私に もう少し器用さがあったなら、アンタっていう光を受け入れることができたのに……」
スバル「まだ遅くないよ……! これから二人でやりなおそ? ティアの夢を追いなおそうよ!」
ティアナ「執務官? あれは兄さんの夢で、私の夢じゃないわ」
スバル「じゃあ私の夢だよ! 執務官になったカッコいいティアナを見るのが私の夢だ!」
それもいいかもしれない、とティアナは思った。
5年間の旅で心は砕け、体もズタズタになった彼女は、もう夢を見るのにも疲れ果てていた。だからこそ自分がこれから進む道を、この親友に ゆだねるのもいいかもしれないと思った。
自分を こんなにも慕ってくれる友人が、そう望んでくれるなら。
疲れ果てた渡り鳥が安住の地を見つけた、そう思われたときだった。
コンコン。
病室のドアを控えめに叩き、高町なのはが現れた。
スバル「なのはさんッ?」
ティアナ「なのは、さん……」
なのは「二人とも、お邪魔していいかな?」
外は すっかり日も暮れ、会議室での再会から何時間も経った今、なのはは いまだ病院に残っていた。フェイトやエリオやキャロが帰宅した後も彼女だけは留まり、別室でティアナが目覚めるのを待っていた。
なのは「さっき、スバルが物凄い形相でナースセンターに押しかけてきたって聞いて、ティアナが目覚めたのかなって思って来てみたの。……ティアナと ちゃんと お話がしたくて」
スバル「なのはさん……」
なのは「座るね…」
パイプ椅子に腰掛ける なのは。自然、ティアナはタバコを口に運ぶ、かつての師に真っ向から向き合うことは なかなかできない彼女だった。
なのは「さっきはゴメンね、頬、痛かった?」
ティアナ「問題ありませんよ、体罰には慣れてますから」
皮肉げなティアナの物言いに、スバルは脇でヒヤヒヤものである。この二人にも何とか和解してもらいたいと、そう思うのが人情のスバルだった。
なのは「……ティアナ、強くなったね。映像見たよ。テロリスト相手に、本当に凄い戦いぶりだった」
ティアナ「…………」
なのは「六課にいた頃から輝いてた精密射撃も、さらに磨きがかかってたね。……実体のある幻影ってのも独創的で、ちょっと私には思いつかなかったな。ティアナには そういう才能があるのかもしれない。柔軟な発想で、新しい戦術や魔法を生み出す才能が」
だからかな、と なのはの声が沈む。
なのは「ティアナが六課から逃げちゃったのは。私の基礎ばっかりの練習法は、ティアナの自由な発想を押さえつけて、ティアナは それに耐え切れなくなって……」
ティアナ「やめてください」
ティアナは困ったように首を振った。
ティアナ「自分がタチの悪い生徒だったってことは わかってます。教官の言うことにイチイチ反発して、なのはさんを困らせていました」
なのは「……………」
なのはは、何かの意を決したような真剣な表情で、口を開く。
なのは「ティアナ、アナタ教導官にならない?」
ティアナ「は?」
この唐突な提案に、ティアナもスバルも目を見開く。
ティアナ「何を言ってるんですか? 私が教導官? それって つまり管理局に復職するってこと? そんな私が……」
なのは「私は本気なの、アナタが旅の間で培ってきたことを、新人たちに伝えてみない?」
その望みにウソ偽りはなかった。
フェイトから指摘されて、初めて わかった。自分の想像を超えるティアナの戦闘力。もしティアナが機動六課に留まり、最後まで自分の指導を受けたとして、これほどまでに成長することができただろうか。「できた」と言い切る自信が なのはにはなかった。
ティアナは、なのはの想像を超える成長をした。
だからこそ その成長を役立ててほしいと思った。こんな成長のできるティアナであれば、普通の人では見逃してしまう稀有な才能を、大輪に花開かせるかもしれない。自分を超える教導官になれるかもしれない、なのは は そう思ったのだ。
スバル「で、でも なのはさん! ティアには執務官になるって夢があるんです!」
スバルが口を挟む。
スバル「……そりゃ、一度は迷って捨てたかもしれない夢だけど。やっぱり私は執務官になったティアの姿を見たいし、フェイトさんだってティアを執務官にスカウトしたがってる。その辺なのはさんは どう思ってるんですかッ?」
なのは「…うん、その話は私もフェイトちゃんから聞いた。でも私は、執務官より教導官になった方が、ティアナのためだと思う」
何故そうまで言い切れるのか?
その理由を なのはが述べる。
なのは「スバルも見たでしょう、さっきのティアナの発作を」
………ズキリ。
なのは「ファントムペイン、だったよね? 精神的な症状らしいけど、ティアナは あの発作が どういう条件で起こるか自分で把握しているの? 執務官は単独で行動することの多い役職だから、タイミングによっては かなり危険なことになる。もし敵との交戦中に発作が起きたら、どうするつもりなの?」
ティアナ「…………」
なのは「それに比べて教導官なら前線に立つ機会は少ないから、職務と平行して じっくりと治療やリハビリをおこなうことができる。新人を指導しながら根気よく前線に立てる体作りをしていけばいいわ。……執務官になるって言うなら それでもいい、それでも、そういう段階を経てからがいいと思うの」
ティアナ「…………」
なのは「そのためにも、自分の体に極度の負担をかけることは、今すぐに やめなさいティアナ。あの自分の体にブーストする魔力カプセルは もう飲まないで。それからデバイスはクロスミラージュに戻した方がいい、インテリジェンスデバイスは術者の魔力制御をしっかりサポートしてくれるから、それだけで体への負担がかなり減るよ」
ティアナ「…………」
なのは「それでもティアナの本当の強みである精密射撃と戦術眼の能力は、少しも損なわれることはない。…前にも言ったよね、自分の いいところを ないがしろにして、他のモノにいっちゃうのは悪いって。あんなカプセルや反動のキツイ殲滅魔法なんかなくったって、ティアナは いい魔導師だよ……」
ティアナ「……して」
なのは「え?」
ティアナ「いい加減にしてッ!!」
ティアナがベッドの上から吠えた。
その怒号に、なのはもスバルも驚愕して身をすくませる。
一緒に火でも吐き出しそうな、激しい感情のこもった怒号だった。しかし数時間前の発作とは違う、ティアナの瞳には たしかに理性の光が健在だった。
しかし理性と共に、唾棄せんばかりの怒りの感情のこもった瞳に、なのはもスバルもただ戸惑う。
なのは「あの、ティアナ、どうしたの……?」
ティアナ「アンタは いつだってそう! 私の いいところは精密射撃、たったそれだけ! じゃあ何? 精密射撃のできない私は ただのゴミだとでもいうのッ?」
なのは「そ、そんなこと……」
ティアナ「アンタは いつだって、人のことを能力でしか計らない! スピード? 爆発的なオフェンス力? 優しい支援魔法? アンタにとって人間は、その程度の価値しかもたないの? 自分で勝手にヒトの特性を決めて、押し付けがましい訓練メニューで、自分の思うとおりに人間を作り変えるのが、アンタにとっての教導なのッ?」
ティアナ=ランスターは迷っていた。
自分の美点だという精密射撃。では、その精密射撃の腕を何のために使えばいいのか、答えが わからずに迷っていた。当時の教官は疑問に答えてはくれず、ただ腕を磨けというばかり。だから自分で答えを探すために旅に出た。それでも答えは見つからず、体の傷を増やしてばかり……。
ティアナ「迷ったり悩んだりすることの、何が悪いのよ……!」
ティアナは思った。
この人には わからない。心に光をもって、自分の行く先をハッキリ照らしてくれるような人には、闇の中に生まれた人間の気持ちなど わからない。
闇の中、人生の意味を手探りで求め、手触りだけで本物か どうかを確かめ、違うのならば捨て、また手探りで求め続ける、そんな人間の気持ちなど わからない。
なのは「ティアナ…、落ち着いて、私はアナタのために……」
ティアナ「うるさいッ! 私はアンタの着せ替え人形じゃないッ!」
それはハッキリとした拒絶。
もうティアナに なのはの声は届かなかった。
*
数分後。
真っ暗な病室にはティアナただ一人の姿だけがあった。
あの状況を見かねたスバルが、なのはを連れて部屋から出たのだ。ティアナに、一人で気持ちを整理させる時間を与えようといって。
結局ティアナを包むのは闇だけだった。
ティアナ「…なんで、私、なのはさんに あんなにヒドイことを……?」
思い出して涙がこぼれた。
なのはのことを嫌いなわけではない、嫌いになんてなれるわけがない、あそこまで自分のために色々と考えてくれる人のことを。
なのにティアナの人生の意味を求める闇の部分は、簡単に答えを出しすぎる なのはのことを受け入れることができない。
ティアナ「だから、戻ってきたくなかったのよ……ッ!」
どれだけ時が巡ろうと、ティアナの口から悔恨の言葉が途切れることはなかった。
彼女と共にあるのは、ただ、闇ばかり。
to be continued
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リリカルなのは のifモノ。ティアナを主人公に、strikersのラストから5年後のストーリー。ティアナが執務官の道に進まなかったとしたら? 放映当初の、他人を寄せ付けない彼女のまま成長したら? という仮定の下に妄想される話です。
今さらですが、この話を書こうと思った きっかけは、例の「頭冷やそうか」にまつわる一連のエピソードにあります。
あのエピソードで、製作者側は「ムチャはいけないよ☆」てことで話をまとめたかったようだけど。そこに至るまでの過程が僕から見たら、みんなで寄ってたかってティアナに「お前が悪い」と言っているようにしか思えなかった。
…てなことを言うと原作批判になりそうなんですが、でも腹に溜め込んでくのも何なので、自分なりに考えてみた答えを、二次創作に仮託して、表現してみようと思います。
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