袁紹の大部隊が動いて始まったこの黄巾党本隊の討伐は、結果だけ見れば曹操の思惑通りに進んだ。
オレが“崖”と“綱”のキーワードに天の御遣いの知識という言葉も加わって思いついた通り、崖をラペリングで駆け降り、小部隊が黄巾党本城を急襲する。あっという間にその小部隊は中枢を撃破、本城に曹、夏侯、楽の旗を立てた。
本城に翻るその旗を見た、城壁で戦っていた黄巾党の兵たちは一部を除いて降伏。頑迷に抵抗を続けていた一部の兵も、袁紹の大部隊に飲み込まれて、黄巾党は終焉を迎えた。
言葉にすればこれだけで終わってしまう戦いではあったが、オレたちだって何もしなかったわけではない。
何をして何ができなかったのか、様々な人から聞いた話を纏めたものをここに記したいと思う。
慌てて天幕に入ってきた伝令は、さらに言葉を続ける。
「孫策の部隊も後方から急進、砦に向かっています」
夜という言葉をくれたはずの孫策の軍が動いた、そのことは少なからず夜襲を行うと考えていたものたちを驚かせた。
昼間は袁紹に任せ、その後を次いで城門に攻撃を仕掛けて目くらましとし、潜入部隊を送るものだと思っていたのだ。それが孔明たちが曹操の策を見抜いた時に、袁紹と同時に行動に移されては、我々だけが曹操の策を知らなかったと思っても仕方がない。
「これはどういうことだ、朱里。孫策は夜襲をかけるのではなかったのか?」
「はわっ。愛紗さん、私にもわかりませんよぉ。ただ袁紹さんだけでなく、孫策さんも動いたという事実があるだけです」
孔明に詰め寄る関羽の言葉はきつい。孔明は瞳に涙を溜めて抗弁するが、その様は震える小動物のようで弱弱しい。
「愛紗、朱里をいじめたらいけないのだ」
その様に張飛から関羽をやじる言葉が飛んだ。もちろん関羽に孔明をいじめる気は毛頭なく、その張飛の言葉に否定の言葉を言うのだが、その言葉の勢いが再び張飛に揚げ足をとられる要因になっていた。
「うぅ、そんなに顔が怖いのか……。そこまで怖いと思いたくないのだが」
張飛にからかわれ、実際に孔明、鳳統に怯えられている状況では、関羽がいくら言葉を重ねようと焼け石に水。関羽は結局、肩を落として落ち込んでしまい、
「あわわっ。愛紗さん、そう落ち込まないでください。愛紗さんが優しいのを知ってますから」
慌てて鳳統が慰める場面もあった。
しかし状況が状況だけにすぐに皆、気持ちを引き締め、今後の対応について話し合い始める。
「孫策さんたちがなぜ今動いたのか、それを知るすべはありませんが、動いたのは事実です。そして曹操さんが先ほど諏訪さんが言った策をとることも凡そ間違いないと思いましゅ」
そう言って始まったのは、策とはとても言えない、強引に名声を引き寄せるための行動についてだった。
「そしてこれから言うことはとても策とは言えましぇん。強引に皆さんの力で名声を引き寄せてもらうためのお願いになりましゅ」
「私たちがお願いしたいことは、愛紗さんと鈴々ちゃん、そして趙雲さんの三人だけで城壁に登り、黄巾党の名のある将を、曹操さんの部隊が張角を討ち取るまでに何人か討ち取ってほしいということでしゅ」
普段は互いの背に隠れたり、帽子や手でその赤くなる顔を隠す孔明と鳳統が、この話をするときだけは互いの背に隠れることもなく、そして帽子や手で赤くなった顔を隠すことなく真剣な表情で名を呼んだ三人を見つめる。
「ふむ。それは我らが曹操に先んじて張角を討ち取ってもかまわないのだろう?」
「さすがは趙子龍殿。私も劉玄徳が一の矛、幽州の青龍刀の力、ご覧入れよう」
「鈴々の自慢の丈八蛇矛がうなるのだ!」
ほぼ決死隊といえる場所に行ってくれと言われたにもかかわらず、三人に浮かぶは不敵な笑み。
ここでこの笑みを見せることができるのは己の力に自信があるからだろう。
「趙子龍とは水臭い。関雲長殿になら我が真名、星をお預けします、そちらで呼んでくだされ」
「では星と。私も真名を預けよう、愛紗と呼んでくれ」
「ずるいのだ、二人して。鈴々も預けるのだ、鈴々も!」
そしてそのままの流れから真名を交換し合っている。この三人にこれから死地に赴く緊張感といったものは本当に感じられなかった。
「諸葛亮、ただこの三人を送るだけではないんだろ? さすがにこの三人だけでは城壁に着くまでに矢達磨になってしまうぞ」
伯珪の言葉に劉備が不安そうな瞳を三人に向ける。
いくら袁紹と孫策の軍が城壁に押し寄せているとはいえ、三人で梯子を運び、それを使って城壁に登るというのは不可能というより笑い話にしかならない。
孔明も鳳統もそこはしっかりと考えていた。さすがに味方をただ死地に送り込むようなことはせず、送るにしても効果的に送る方法はすでにできていたようだ。
「はい。そのために伯珪様たち白馬義従の力をお借りしたいのです」
孔明と鳳統の考えた策は簡単に言えば、まず白馬義従が弓で牽制して城壁の黄巾兵を怯ませる。そこを関羽たちが梯子で駆け上がり、城壁を突破するというものだ。言葉にすれば簡単ではあるが、かなり厳密に立てられた工程をしっかりと、それぞれがこなさなくてはならない厳しいものだった。
それは第一段階として白馬義従を九つの小部隊に編成を変える。そしてその九つの小部隊を三つの部隊にまとめ、それぞれの部隊長に伯珪、越、厳綱の三人をつける。
次にこの三つの小部隊が三角形を描くように部隊を配置し、それぞれの地点に常に移動するように馬を動かし続ける。この状態で砦に一番近づいたときに弓を放ち、三つの小部隊が十射、射終わったところで次の三小部隊と交代する。
これを伯珪隊、越隊、厳綱隊の三隊交代で行い、休みなく矢を砦に射続ける。
ここまでが第一段階。
第二段階として、第一段階の弓が砦に射掛けられ始めたら、劉備隊全員で盾と梯子を持ち関羽、張飛、子龍の三人を守りつつ、城壁に近づく。
このとき砦だけではなく味方からの矢にも気をつけ、前後上方に盾を構え味方を保護しなければならない。味方の矢は城壁の黄巾兵の頭を抑えるため、常に射続けねばならず、味方が移動しているからと撃ち方をやめればそれは黄巾兵からの攻撃を激しくし、城壁を突破することを難しくする。
そして第三段階。
白馬義従の小部隊が弓を射る間隔は一分から二分。
その間に関羽、張飛、子龍は梯子を駆け上がり、城壁の上で自身の居場所を確保しなくてはならない。
三人が梯子から城壁に登れていないとしても、白馬義従から弓は射掛けられる。なぜなら下に残る劉備軍の兵士に城壁から石などを落とされる可能性はもちろん、梯子上の三人を狙った攻撃が行われるからである。
この第三段階が一番、この策がむちゃくちゃであることを示している。味方が射た矢の雨の中で梯子を登り、味方が射た矢の雨の中で戦うというのだから正気の沙汰ではない。
第四段階は白馬義従の援護を受けつつ、関羽、張飛、子龍は黄巾党の将を見つけ討ち取るというここも行き当たりばったりな、策とは決して言えないものであった。
「愛紗ちゃん、鈴々ちゃん、子龍ちゃん」
孔明と鳳統が説明をすればするほど、劉備の表情に不安の影が色濃く映る。
その心中は何を思っているのだろう。手のひらに指が食い込むほど強く握っている、体が小刻みに震えるほど三人を心配しているのに、劉備は名前を呼ぶ以外言葉を出さない。どんなに危険であろうとも、どんなに無謀であろうとも、行くことを三人は決めている。それをとめることを劉備はできなかった。
「ひとつ質問していいかな?」
孔明と鳳統の要求の困難さに静まり返る天幕に晴信の声が響く。その声には不満の色が色濃くあり、彼がこの作戦に反対なのがよくわかった。
「そこまで危険を冒してやるほどのことなのかな? 大勢は決しているなら無理はせず、きっと来る次の機会を待つことはできないのかな」
この時代の人間ではないからそう言えたのかもしれない。
晴信の言は彼と同じ時代の人間なら正しいと感じるだろう。三国志において黄巾党の叛乱は序盤も序盤。次にくる戦乱の世を前にいたずらに関羽、張飛、子龍という一流の将軍と兵を損なうようなことをするのは馬鹿らしいと考えられよう。しかし、その視点は神の視点と部分的に同じである。
先の事柄を知っている人間だからこそできる視点であったし、この時代の人間と感性が違うからできる視点であった。
「諏訪さん。……たしかにこの黄巾党の乱が治まっても、漢王室に国を治める力が残っていないかもしれません。でも、私たちはここで少しでも名声を得ないと次がないんです。次の乱がくるのだとしても、平時になれば義勇軍はいりません。だからここで得た名声を持って、民に信を得ないといけないんです!」
最初に孔明が諏訪の言葉に答えようとした。
それを抑えたのが伯珪、言葉を返したのが劉備だった。
劉備は目に涙をいっぱいに溜め、手は白くなるほど強く握っている。城壁に乗り込む三人のことが心配で心配でたまらないくせに、その決意がわかる故に止められない。そしてこのまま手を拱いて、曹操に一人名声を奪われでもしたら、今ここに集まってくれた義勇軍の兵たちを養っていくことすら難しくなる。
「諏訪。たしかに危険な、そして無駄なことをしようとしているのかもしれない。しかしな、私たちは今やらなくてはならないことをしているんだ。諏訪、お前の世界の基準で判断していいことじゃない」
劉備の精一杯自分の思いを込めた訴えの後の、静かな伯珪の言葉。晴信はその二つの言葉に自分がどれだけ平和な時代に生きてきて、どれだけ後のことを考えずに物を言ったか思い知らされた。
羞恥に顔が赤くなるのが、頬が熱を持っていく様が手に取るようにわかった。その情けない顔を見られたくなかったのだろう、顔を下に向けてしまう。
「諏訪殿。われら三人、それに白馬義従に劉備隊の面々、皆々無事帰ってきますゆえ、心配めさるな」
やさしい声音で子龍が晴信の肩を抱きながら耳元で囁く。
急に背後から抱きつかれた晴信はわたわたと慌てふためくが、子龍が力ずくで押さえ込みその場から動けない。子龍の顔にニヤニヤとした笑みが張り付いている。
「諏訪殿……貴方は」
「趙将軍、大事な軍議中です。おふざけも大概にしてください」
ツツツと晴信の頬を滑る子龍の指が緊張からか少しかさついた唇に触れた瞬間、その手を越が掴み取る。
耳元で囁いていた言葉も途切れ、子龍は多少心外そうな表情で越を見る。
「おやおや、これは越将軍。おふざけとは心外ですな」
「趙将軍」
越の静かな一言に子龍は諸手を挙げて降参し、晴信の背中から離れる。
今まで固まっていた晴信は“ホゥ”と一息ついて力を抜いた。
「それと諏訪。あなたも情けない言動と態度はやめなさい。私が前に言ったことを忘れたわけではないでしょう?」
だらしなく両手両足を投げ出して椅子に座る晴信を、越は厳しい眼差しで睨みつけ、硬い声音でその言動と行動を叱った。
越の言葉に晴信はビンタとともに言われた越の言葉を思い出す。
“貴方は自分の立場をよく考えて行動してください”
あのときから自分が行動するときの指針にしてきた言葉であるはずなのに、晴信はその言葉を再びかけられるようなことをしてしまった。
「覚えてる……。あぁ、なにやってるんだろな、オレ。孔明ちゃん、オレは何をやればいいんだ?」
“パン!”と両手で頬を叩いて気合を入れなおし、そのままの勢いで孔明に自分がやるべきことの指示を乞う。
「はわわ。えと、あの……」
孔明もさすがに晴信に対してまでは考えていなかったようであわててしまった。
「諏訪は桃香と一緒に輜重隊を任せる。諸葛亮は私たち白馬義従のところに。鳳統は桃香のところで全体の指揮を頼む」
伯珪の言葉で軍議は解散となり、それぞれがそれぞれの役割を果たしに散っていく。
伯珪、越、厳綱は白馬義従の再編成をするために。
関羽、張飛、趙雲は己の武を研ぎ澄ますために。
孔明、鳳統は少しでも安全に三人を城壁まで運ぶために。
自分ができることを精一杯行い、選びうる最良の結果になるようその努力を惜しまなかった。
「私にできることは精一杯、無事を祈ること。精一杯笑顔で無事に帰ってきた皆を出迎えてあげること。そして皆を信じて待つこと……」
天幕を次々と出て行く将軍たち。
その一人ひとりをしっかりと瞳に焼付け、劉備はそっと口ずさむ。祈るように、願うように。
公孫伯珪と劉玄徳、二人の合同軍の戦いはこうして始まった。
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双天第十三話の前編です。
すみません。黄巾終わりませんでした。というわけで前編となります。切がいいとこで切ってはいると思いますが、双天の他の話と人称が異なるので、前編とさせてください。前、中、後編と3つくらいになるかなぁ……アハハハ、ハァ( ̄▽ ̄;
続きは極力早く書き上げたいとは思いますが、いかんせん……。がんばりますので、よろしくお願いします。