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真・恋姫†無双 〜白馬将軍 龐徳伝〜 第1章 放浪の鷹 1話

フィオロさん

真・恋姫†無双 〜白馬将軍 龐徳伝〜 プロローグから第1章、放浪の鷹、1話目を更新です。

涼州から一気に飛びました。

読んで下されば幸いです。

2010-03-30 20:18:24 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:3260   閲覧ユーザー数:2761

 

 

紀元前221年、時の秦王贏政とその配下達によって春秋戦国時代から続いた戦乱の歴史は終わり、中華に始めて成立した統一王朝『秦』により、中華は漸く平穏の時が訪れた。

 

春秋戦国の約500年以上もの長過ぎる戦乱の時代は、人々にもう二度と平穏の時が訪れる事は無い、と絶望させた。

 

その終わる事が無いと思われた戦乱の時代が、漸く終わったのである。

 

民は喜び、平穏の時が来るのだと希望を膨らませ、それは実現して戦の無い時代が到来する・・・はずだった。

 

 

 

 

 

結局秦は悪臣趙高の専横により民衆の不満が増大し、ついには陳勝呉広の乱が勃発。

 

最後は劉邦によって帝都咸陽は陥落、秦帝国は統一から僅か15年でその幕を下ろしたのだった。

 

その後は咸陽を落城させた劉邦と、西楚の覇王項籍が中華の覇権を巡って対立を深め、楚漢戦争が勃発する。

 

戦場において無敗を誇る項籍であったが、その苛烈過ぎる戦いと残虐極まる戦後処置等で民衆は項籍を嫌い、劉邦へ心を寄せる。

 

勝ち続けながら項籍は不利に追い込まれ、最後は劉邦の勝利に終わり、秦に続く新たなる統一王朝が誕生する。

 

 

その名は漢。今度こそ乱世に幕が下り、平穏な時代が訪れたのだった。

 

 

そして、高祖劉邦が楚漢戦争を制し、漢王朝を成立させてから約200年。光武帝劉秀が滅んだ漢王朝を復活させてからさらに約200年。

 

永きに渡る漢王朝の支配が綻び、民衆の嘆き、怨嗟の声が天下に満ち、世が乱れ始めていた。

 

 

 

乱世の始まりは、前の時代の幕が下り、次の時代の幕開けである。そして、次の時代を担う英雄が現れる。

 

 

 

 

 

北荊州について記す。

 

荊州・・・北、中、南と大きく分ける事が出来るこの荊州は、非常に広大であり、また全地域が特色を生かした開発が行なわれており、南荊州はまだ未開の地域が多いものの、北荊州は宛を中心に南陽と呼ばれる極めて豊かな地域が存在する。

 

この南陽の歴史は古く、春秋時代には五覇の一国である楚が、この地で金属鉱業を発展させた事から、重要戦略拠点の一つとなり、秦が中華を統一すると移民を送り込んでさらに大きな発展を遂げた。

 

また、かつて新王朝を滅ぼし、後漢王朝を復活させた光武帝劉秀の出身の地でもあり、以降後漢王朝に取って、帝都洛陽に近い事から重要な地であり続けたのである。

 

現在は南陽大守の袁家の袁術がその地を治めており、非常に発展した豊かな土地柄人口も多く、本人の資質はともかくとして、名家である仲袁家(通称)の経済力と軍事力の大きさを誇っている。

 

 

 

 

 

中荊州について記す。

 

漢水を挟んで存在する樊城と襄陽は、それぞれ商業の拠点と、政治・軍事・教育の拠点と分かれており(ただし襄陽も商業に置いても重要な地である)、またそれぞれが堅牢な城壁を誇る難攻不落の巨城でもある。

 

漢水を利用した水軍で連携を取れれば、この2城を陥落させるには相当の兵数と資金、兵糧を必要とするだろう。

 

また、襄陽の南には江陵が存在する。長江中流がすぐ側にあるこの大都市もまた、戦略上重要な拠点である。北に襄陽、西には益州に繋がる道があり、南には長江を挟んで南荊州拠点である長沙、東には揚州との州境にある江夏郡が存在し、「兵家必争の地」と呼ぶに相応しい地、重要拠点である。

 

また軍事上のみならず、この中荊州は前述した商業のみならず、農業に置いても豊かな地であり、北荊州にも決して劣らない発展を遂げている。

 

現在は荊州牧である劉表が襄陽を荊州の拠点としており、非常に安定した運営を実現している。

 

ただし、江夏郡では例外で、その江夏郡大守黄祖と、北荊州である南陽大守でありながら、揚州に影響力を持つ袁術、その配下として揚州に影響力を持つ孫堅の戦争が勃発しており、劉表と袁術の権力争いが表面化している。

 

 

 

 

 

コト、と言う筆を下ろした音がすると、鷹はうーん、と背を伸ばして自らが宿泊する宿の窓から外を見下ろした。

 

市が開かれ、整理されたこの都市の町並みに賑やかな城下町。町人、農村から訪れた人々が、道に店を開き、売り買いする様がそこかしこに見える。

 

ここは中荊州の拠点、襄陽。

 

つい1ヶ月前、林檎に許可を貰い、彼は宝刀と軽鎧と上着を着込んで、必要な日用品や資金を持って、白影と共に涼州から荊州まで南下して来たのである。

 

涼州経営は既に安定し、引き継ぎもスムーズに済んだため、鷹としても気にせずに出発出来たのである。翠や菖蒲が反対したものの、林檎が「匈奴軍40万撃破」の立役者として政略、戦略、戦術全てを担った鷹への褒美として長期の休暇を与えたのである。

 

こうして、鷹は故郷を気にせず旅行に出る事が出来たのである。

 

「簡易なまとめだが、これで十分だな。」

 

今回の旅行は、全て鷹の私費から出ているため、あくまで鷹個人の観光旅行である。しかし、武将として、また政治家としても他の州の現状を把握しておく事は重要であるために、鷹は調査とそのまとめを怠らなかったのである。

 

 

 

 

 

鷹が旅行の行き先として最初に荊州を選んだのは、「龐徳」が命を落とすのが荊州、それも樊城攻防戦の最中である。

 

于禁を大将とする3万の軍の副将として樊城を包囲した関羽軍との戦闘で、天候の悪化を読めずに、豪雨の中高所を取らなかったために孤立、敗北する。

 

于禁は生き残った兵士達を生かし、なおかつ関羽軍の兵站に負担を与えるために投降を決意。一方龐徳は戦場から離脱しようとして叶わず、関羽に討たれた。

 

だからだった。鷹が未来、恐らく死ぬ可能性の高い地である、樊城と襄陽周辺を見ておきたいと思ったのだ。最も、未来の結末を知っていたとしても、既にその未来が正しいとは限らない以上、あまり意味はなかったのかもしれない。

 

純粋に興味があった事は間違いないが、その地に来て実際に見聞すると、あまり意義があった様には思えないのだった。

 

「まあ、だからと言って最初に此処以外はあり得なかった訳だが。」

 

現在、鷹は樊城から襄陽に来ている。ここ襄陽は、教育の拠点としても発展しているため、この町には様々な書籍を取り扱う書店が数多いと聞いて、鷹は最初に此処を拠点にする事にしていたのである。

 

生まれ育った涼州では、書籍が非常に少なく、鷹が匈奴を相手に政略、戦略、戦術を組み立てたのは、偏に「前世の記憶」による。

 

「とは言え、一地域を除いてこれだけ賊が多いとは思わなかったがな。」

 

そうなのだ。鷹が此処に来るまで、道々に現れる山賊の類を次から次へと討伐して回ったのである。そんな事をしていたら樊城や襄陽で山賊を狩って回る義の武人として、有名人となってしまった。

 

そして今日もまた、この襄陽から離れた山中にあると言う学院に、食料やその他日用品、墨や筆、竹簡や紙等様々な文房具を持ち運ぶために、護衛を依頼されているのである。

 

 

 

 

 

白馬将軍龐徳伝、放浪の鷹1話目を読んでいただき、ありがとうございます。

 

説明文が多い形になってしまいましたが、次回からはオリジナルキャラと恋姫キャラも交えて、白馬将軍龐徳伝の重要キャラが出て来る様になります・・・多分。

 

まあ、最後の文章で、次回以降出て来るキャラクターに関してはだいたい想像出来たかと思います。

 

まあ恋姫キャラとオリジナルキャラの史実の関係を、ちょこっとばかりいじりましたけどね。それについては次回で。

 

それでは、失礼します!

 

 


 
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